18世紀の印刷本のテキストを読んでいると,中世から続く <s> の異字体 (allograph) である <<ʃ>> がいまだ頻繁に現われることに気づく.この字体は "long <s>" と呼ばれており,現代までに廃れてしまったものの,英語史の長きにわたって活躍してきた異字体だった.Tieken-Boon van Ostade (40) に引かれている ECCO からの例文により,<<ʃ>> の使われ方を見てみよう.
. . . WHEREIN / THE CHAPTERS are ʃumm'd up in Contents; the Sacred Text inʃerted at large, in Paragraphs, or Verʃes; and each Paragraph, or Verʃe, reduc'd to its proper Heads; the Senʃe given, and largely illuʃtrated, / WITH / Practical Remarks and Obʃervations
見てわかる通り,すべての <s> が <<ʃ>> で印刷されているわけではない.基本的には語頭か語中の <s> が <<ʃ>> で印刷され,語末では通常の <<s>> しか現われない.また,語頭でも大文字の場合には <<S>> が用いられる.ほかに,Idleneʃs や Busineʃs のように,<ss> の環境では1文字目が long <s> となる.
しかし,この long <s> もやがて廃用に帰することとなった.印刷においては18世紀末に消えていったことが指摘されている.
Long <s> disappeared as a printing device towards the end of the eighteenth century, and its presence or absence is today used by antiquarians to date books that lack a publication date as dating from either before or after 1800. (Tieken-Boon van Ostade 40)
注意すべきは,1800年を境に long <s> が消えたのは印刷という媒体においてであり,手書き (handwriting) においては,もうしばらく long <s> が使用され続けたということである.「#584. long <s> と graphemics」 ([2010-12-02-1]) で触れたように,手書きでは1850年代まで使われ続けた.印刷と手書きとで使用分布が異なっていたことは long <s> に限らず,他の異字体や異綴字にも当てはまる.現代の感覚では,印刷にせよ手書きにせよ,1つの共通した正書法があると考えるのが当然だが,少なくとも1800年頃までは,そのような感覚は稀薄だったとみなすべきである.
long <s> について,「#1152. sneeze の語源」 ([2012-06-22-1]),「#1732. Shakespeare の綴り方 (2)」 ([2014-01-23-1]) も参照されたい.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
ルーン文字について,「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) を始め runic の記事で話題としてきた.現代において,ルーン文字はしばしば秘術と結びつけられ,神秘的なイメージをもってとらえられることが多いが,アングロサクソン文化で使用されていた様子に鑑みると,そのイメージは必ずしも当たっていないかもしれない.5--6世紀のルーン文字で書かれたアングロサクソン碑文は武器,宝石,記念碑などの工芸品に刻まれている例が多い.墓碑銘ではたいてい "X raised this stone in memory of Y" のような短い定型句が書かれているにすぎず,文体のヴァリエーションが少ないというのもルーン文字使用の特徴である.ルーン文字が主として秘術に利用されたという積極的な証拠は,実は乏しい.
しかし,「#1009. ルーン文字文化と関係の深い語源」 ([2012-01-31-1]) でみたように語源的にもオカルト的なオーラは感じられるし,「#1897. "futhorc" の acrostic」 ([2014-07-07-1]) で紹介した言葉遊びの背後には,ルーン文字に宿る言霊の思想のようなものが想定されているようにも思われる.
文字における言霊といえば,表語文字である漢字が思い浮かぶ.漢字は原則として1文字で特定の語に対応しているので,特定の意味を直接的に想起させやすい.この点,アルファベットなどの表音文字とは性質が異なっている.
アルファベットは,ローマン・アルファベットにせよギリシア・アルファベットにせよ,各文字は単音を表わすのみであり,具体的な意味を伴うわけではない.確かにローマン・アルファベットの各文字には「エイ」「ビー」などの名前がついているが,まるで無意味である(「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]) を参照).また,ギリシア・アルファベットでは各文字に alpha, beta などの有意味とおぼしき名前がつけられているが,その名前を表わしている単語は,あくまでセム語レベルで有意味だったのであり,ギリシア人にとって共時的には無意味だったろう(「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1]),「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1]) を参照).
ところが,ルーン文字については,各文字に,母語たるゲルマン語において共時的に有意味な名前が付されていた.つまり,漢字と同様に,各文字が直接に語と意味を想起させるのである.それゆえ,後に置き換えられていくローマン・アルファベットと比べて,言霊的な力を担いやすかったという事情はあったのではないか.Crystal (180) より,各ルーン文字と対応する語の一覧を示そう(Wikipedia より Runes の一覧表も参照).
Rune | Anglo-Saxon | Name | Meaning (where known) |
---|---|---|---|
ᚠ | f | feoh | cattle, wealth |
ᚢ | u | ūr | bison (aurochs) |
ᚦ | þ | þorn | thorn |
ᚩ | o | ōs | god/mouth |
ᚱ | r | rād | journey/riding |
ᚳ | c | cen | torch |
ᚷ | g [j] | giefu | gift |
ᚹ | w | wyn | joy |
ᚻ | h | hægl | hail |
ᚾ | n | nied | necessity/trouble |
ᛁ | i | is | ice |
ᛡ | j | gear | year |
ᛇ | ȝ | ēoh | yew |
ᛈ | p | peor | ? |
ᛉ | x | eolh | ?sedge |
ᛋ | s | sigel | sun |
ᛏ | t | tiw/tir | Tiw (a god) |
ᛒ | b | beorc | birch |
ᛖ | e | eoh | horse |
ᛗ | m | man | man |
ᛚ | l | lagu | water/sea |
ᛝ | ng | ing | Ing (a hero) |
ᛟ | oe | eþel | land/estate |
ᛞ | d | dæg | day |
ᚪ | a | ac | oak |
ᚫ | æ | æsc | ash |
ᚤ | y | yr | bow |
ᛠ | ea | ear | ?earth |
ᚸ | g [ɣ] | gar | spear |
ᛦ | k | calc | ?sandal/chalice/chalk |
ᛤ | k~ | (name unknown) |
昨日の記事「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]) に引き続いて,分かち書き (distinctiones) の話題.Crystal (17) は,分かち書きの発生こそが,他の句読法の体系的な発達を促したと考えている.
It's difficult to see how punctuation could have developed in a graphic world where scriptura continua was the norm. If there are no word-spaces, there's no room to insert marks. Writers or readers might be able to insert the occasional dot or simple stroke, to show where the sense change, but it would be impossible to develop a sophisticated system that would keep pace with the complex narratives and reflections being expressed in such domains as poetry, chronicles, and sermons. However, once word-spaces became the norm, new punctuational possibilities were available.
確かに,この因果関係はある程度の説得力をもつように聞こえるかもしれない.しかし,おそらく部分的にはその通りであると思われるものの,さほど自明な議論ではない.というのは,日本語を考えてみれば分かるとおり,分かち書きが定着していない書記においても,他の句読法は十分に体系的に発達しているからだ.そこでは,むしろ他の句読法が分かち書きの果たすはずの役割を部分的に果たしている.したがって,書記上の機能や発生順序の自然さという観点から,分かち書きと他の句読法という二分法を設けるべき根拠は強くないように思われる.空白があれば,その分,他の記号が書き込まれる契機が増し,したがって句読法も発達しやすい,という Crystal の論理は,完全に無効とは決めつけられないものの,どこまで有効なのかを積極的に示すことは難しいのではないか.
それでも,分かち書きは,言語使用者にとって最も直観的で基本的な単位である語を区切るものであるという点で,他の句読法よりも本質的な地位を占めると主張することもまた可能のように思われる.日本語のような稀な例も考慮に入れながら,より説得力をもって主張できそうなことは,分かち書きという方法にかぎらず,語と語の区分を示す何らかの手段が確立しさえすれば,次にその他の句読法も発達していきやすい,ということではないか.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.
Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.
しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).
People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.
考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).
・ thisisanexampleofwordseparation
・ this.is.an.example.of.word.separation
・ this+is+an+example+of+word+separation
・ this_is_an_example_of_word_separation
・ this-is-an-example-of-word-separation
・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation
現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
カーランスキーの著わした『紙の世界史』は,書写材料としての紙の歴史をたどりながら,結果として文字と文字文化の歴史を同時に記述している.書写材料については,「#2465. 書写材料としての紙の歴史と特性」 ([2016-01-26-1]),「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) などで扱ってきたが,今回はカーランスキーの巻末より紙の歴史年表 (466--74) を掲げたい.一覧するとテクノロジーが社会を動かしてきたことがよく分かるが,カーランスキーの言葉を借りれば「社会がテクノロジーを生み出してきた」というべきなのだろう.
紀元前38000年 | 北スペインのエル・カスティリョ洞窟に残る赤い点が人間による最古の描画とされている |
紀元前3500年 | メソポタミアの石灰岩に最古の文字が刻まれる |
紀元前3300年 | バビロニア南部(現イラク)のウルクで粘土板に文字が刻まれる.楔形文字の始まり |
紀元前3000年 | 年代が特定されている最古のパピルス.文字跡のない巻物がカイロ近郊サッカラの墳墓から発掘 |
紀元前3000年 | エジプトのヒエログリフ象形文字(神聖文字)の始まり |
紀元前2500年 | インダス川流域ではじめて文字が書かれる |
紀元前2400年 | 現存する最古のエジプト語の文書 |
紀元前2200年 | インダス川流域で銅片や陶片に文字が彫られる |
紀元前2100年 | 年代が特定されている最古のタパ.断片がペルーで出土 |
紀元前1850年 | 年代が特定されている最古の文献.獣皮に書かれたエジプト語の巻物 |
紀元前18世紀 | クレタで書記体系が生まれる |
紀元前1400年 | 中国で獣骨に文字が書かれる |
紀元前1300年 | 中国で青銅,翡翠,亀甲に文字が書かれる |
紀元前1200年 | 漢字が発達する |
紀元前1100年 | エジプト人がフェニキア人にパピルスを輸出しはじめる |
紀元前1000年 | フェニキア語のアルファベットが生まれる |
紀元前600年 | メキシコでサポテク/ミステク文字が生まれる |
紀元前600年 | 中国とギリシアで木板に帳簿が書かれる |
紀元前5世紀 | 中国人が帛を書写に使う |
紀元前400年 | イオニア式アルファベットがギリシアでの標準語となる |
紀元前400年 | 中国で油煙から墨が発明される |
紀元前3世紀 | アレクサンドリアに図書館が建造される |
紀元前255年 | 中国で封印に関するはじめての記述がなされる.ただし墨を用いずに粘土に押印された |
紀元前252年 | 中国の楼蘭で発見された年代のあきらかな最古の紙 |
紀元前250年 | マヤ文字が使用される |
紀元前220年 | 中国で蒙恬が発明した駱駝の毛筆が書道に使われる |
紀元前206年 | 中国の王朝,前漢の幕開け.中国では漢代に紙が開発される |
紀元前63年 | ギリシアの地理学者ストラボンが,黒海沿岸を統治するポントス王国のミトリダテス6世の王宮に水車設備があることへの驚きを記述 |
紀元前31年 | 現存する最初のオルメカ文字 |
紀元前30年 | ローマ帝国がエジプトを征服,パピルスが地中海世界に広まる |
紀元後1世紀 | ローマで一時的な書写に蝋板が使用される |
75年 | 楔形文字で最後の日文が書かれる |
105年 | 通説では語感の宮廷に使えた宦官の蔡倫が紙を発明したとされている |
2世紀 | スカンディナビアでルーン文字のアルファベットが生まれる |
250年--300年 | 年代がほぼ特定されている紙がトルキスタンで出土 |
256年 | 中国で最初の紙に書かれた本『譬喩経』が作られる |
297年 | 最初のマヤ暦が石に彫られる |
394年 | エジプトのヒエログリフ象形文字で最後の日文が書かれる |
5世紀 | 日本語の独自の文字体系が開発される |
450年 | 年代が特定されている棕櫚の葉に書かれた最初の手稿.中国の北西部で葉写本の断片が発掘された |
476年 | 西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスの廃位により古代世界が正式に幕を閉じる |
500年 | マヤ人がアマテに文字を書きはじめる |
500年--600年 | マヤ人が樹皮紙を発達させる |
538年 | 朝鮮半島の百済の王が紙で作られた経典と仏像を日本へ送る |
610年 | 高句麗の僧の曇徴が製紙法を日本に伝える |
630年 | ムハンマドがメッカを征服 |
673年 | 川原寺の僧侶が仏典を写しはじめ,ほどなく日本で写経が活発になる |
8世紀 | 中国で印刷が始まる |
706年 | アラブ人が紙をメッカに持ちこむ |
711年 | アラブ人率いるベルベル人軍がモロッコからジブラルタル海峡を越えてスペインを侵攻 |
712年 | 日本文学の最古の作品『古事記』が漢文で書かれる |
720年 | 仏教の浸透とともに日本での紙の使用が大々的に広まる |
751年 | サマルカンドで製紙が始まる |
762年--66年 | バグダードの建設 |
770年 | 日本の称徳女帝が紙を使った初の印刷物,病気平癒を願う祈祷書の百万部の作成 |
794年 | 布くずを材料とする製紙場がバグダードに設けられる |
800年 | エジプトで紙がはじめて使われる |
832年 | イスラム教徒がシチリアを征服 |
848年 | アラビア語で紙に書かれた完全な形の本が作られる.年代が特定された書籍では最古とされている |
850年 | 『千夜一夜物語』がはじめて書き起こされたと推定される |
868年 | 現存する最古の書籍『金剛般若経』が印刷された |
889年 | マヤ人がすべての記録に石ではなく紙を使用しはじめる |
9世紀後半 | バグダードが製紙業の重要拠点となる |
900年 | エジプトで製紙が開始 |
969年 | 中国で遊戯用カード(紙牌)がはじめて使われた |
1041年--48年 | 鉄の版に組まれる初の陶活字が中国で作られる.年代が特定される最古の可動活字 |
900年--1100年 | マヤ人が『ドレスデン・コデックス』を作成 |
1140年 | イスラム教徒支配下のスペインのハティバで製紙が始まる |
1143年 | 『コーラン』がラテン語に翻訳される |
1164年 | イタリアのファブリアーノで初の製紙の記録 |
1308年 | ダンテが『神曲』の執筆を開始 |
1309年 | イングランドで紙がはじめて使用される |
1332年 | オランダで紙がはじめて使用される |
1353年 | ボッカチオが『デカメロン』を執筆 |
1387年 | チョーサーが『カンタベリー物語』の執筆を開始 |
1390年 | ドイツの製紙がニュルンベルクで始まる |
1403年 | 朝鮮王の太宗が銅活字を製造させる |
1411年 | スイスで製紙が始まる |
1423年 | ヨーロッパで木版印刷が始まったとされる |
1440年--50年 | ヨーロッパで最初の版本(ブロック・ブック)が作られる |
1456年 | グーテンベルクが可動活字で初の『聖書』の印刷を完成 |
1462年 | マインツが破壊され,印刷者が離散 |
1463年 | ウルリッヒ・ツェルがケルンで印刷所を興す |
1464年 | ローマ近郊のスビアコ修道院がイタリアで最初の印刷所となる |
1469年 | キケロの『家族への書簡集』が,ヴェネツィアで印刷された最初の書籍となる |
1473年 | ルーカス・ブランディスがリューベックで印刷所を興す |
1475年または1476年 | 『東方見聞録』がフランス語で印刷された最初の書籍となる |
1476年 | ウィリアム・キャクストンがイギリスで最初の印刷所を開く |
1494年 | アルドゥス・マヌティウスがヴェネツィアにアルド印刷工房を開く |
1495年 | ジョン・テイトがハートフォードシャーにイングランドで最初の製糸場を造る |
1502年--20年 | アステカ人の貢ぎ物の記録に四十二ヵ所の製紙拠点が掲載されている.年間五十万枚の紙を作っていた村もある |
1515年 | アルブレヒト・デューラーがエッチングを始める |
1519年 | エルナン・コルテスが現ベラクルス付近に上陸し,アステカ文化の破壊を開始する |
1520年 | マルティン・ルターの『キリスト教界の改善に関してドイツのキリスト諸貴族に宛てて』が印刷され,二年間で五万部が配布される |
1528年 | ファン・デ・スマラガ神父が先住民の庇護者としてメキシコに到着し,本を燃やす |
1539年 | スペイン人が先住民向けの本を作るためにメキシコ初の印刷所を開く |
1549年 | マヤ人の図書館がスペイン人に焼かれる |
1575年 | スペイン人がメキシコに最初の製紙場を建てる |
1576年 | ロシア人が製紙を開始 |
1586年 | 製紙許可の政令がドルトレヒトで発布される.オランダの製紙史上最古の記録 |
1605年 | セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版される |
1609年 | 世界初の週刊新聞がシュトラスブルクで創刊 |
1627年 | フランスのラ・ロシェルがカトリック勢力に包囲され,ユグノーの製紙業者はイングランドへ逃れる |
1635年 | デンマークで製紙が開始 |
1638年 | 英字印刷機はじめてアメリカへもたらされる |
1672年 | オランダ式叩解機の発明によりオランダは良質な白い紙の輸入国から純輸出国に転じる |
1690年 | ウィリアム・リッテンハウスがアメリカで最初の製紙場を設立 |
1690年 | アメリカで最初の新聞『パブリック・オカレンシズ・ボース・フォーリン・アンド・ドメスティック』がボストンで創刊 |
1690年 | アメリカ大陸の植民地で最初の紙幣がマサチューセッツで発行される |
1698年 | トマス・セイヴェリが鉱山の排水目的で最初の蒸気機関を設計する |
1702年 | ロンドンで日刊紙『デイリー・クーラント』が創刊 |
1719年 | ルネ・アントワーヌ・フェルショー・ド・レオミュールが木材から紙を作るスズメバチの手法を解説 |
1728年 | マサチューセッツで製紙が始まる |
1744年 | はじめての児童向け絵本『小さなかわいいポケットブック』がイングランドで出版される |
1744年 | ヴァージニアで製紙が始まる |
1767年 | コネチカットで製紙が始まる |
1768年 | アベル・ビュエルがアメリカ大陸植民地ではじめて活字を製造 |
1769年 | ニューヘイヴンのアイザック・ドゥーリトルが,イギリスのアメリカ大陸植民地ではじめて印刷機を製造 |
1773年 | ニューヨークで製紙が始まる |
1774年 | スウェーデンの薬剤師カール・シェーレによる塩素の発見が漂白への道を開く |
1785年 | ロンドンの独立系新聞『デイリー・ユニヴァーサル・レジスター』が創刊.三年後,『ザ・タイムズ』に紙名を変更 |
1790年 | トマス・ビュイックがイギリスでもっとも人気の挿絵画家となる |
1798年 | ニコラ-ルイ・ロベールが連続式抄紙機の特許を申請 |
1798年 | 画家J・M・W・ターナーが水彩画で実験を始める |
1799年 | アロイス・ゼネフェルダーがリトグラフを考案 |
1800年 | スタンホープ卿が総鉄製の印刷機を発明 |
1801年 | ジョセフ-マリー・ジャカールがパンチカードによる自動織機を開発 |
1804年 | ブライアン・ドンキンが長網抄紙機の第一号を製造 |
1809年 | ジョン・ディキンソンが円網抄紙機の特許を取得 |
1811年 | フリードリヒ・ケーニヒが蒸気動力の印刷機を発明 |
1814年 | ロンドンの『ザ・タイムズ』がケーニヒの蒸気印刷機を使用 |
1818年 | ジョシュア・ギルピンがアメリカではじめて連続式抄紙機を製造 |
1820年 | この年イギリスで二千九百万部以上の新聞が売れる |
1825年 | ジョセフ・ニセフォール・ニエプスがはじめて写真撮影する |
1830年 | 新しい漂白法により色つきのぼろ布から白い紙の製作が可能となる |
1833年 | 木材を原料とする製紙の特許がイギリスで登録される |
1840年 | ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが紙に定着する写真をはじめて作成 |
1841年 | エビニーザ・ランデルズがロンドンの風刺雑誌『パンチ』を創刊 |
1843年 | アメリカのリチャード・M・ホーが蒸気動力の輪転機を発明 |
1863年 | アメリカの製紙業者が木材パルプの使用を始める |
1867年 | イギリスの砕木機がパリ万国博覧会で展示される |
1867年 | マサチューセッツ州のストックブリッジで合衆国初の製紙用の木材パルプが作られる |
1867年 | タイプライターの発明 |
1872年 | アメリカ合衆国がイギリスとドイツを抜いて世界最大の紙の生産国になる |
1874年 | 東京の有恒社が機械漉き紙の製造を開始.大阪,京都,神戸の六社があとに続く |
1890年 | 合衆国の国勢調査にパンチカード式の集計機が使用される |
1899年 | スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンが,古代都市,楼蘭の遺跡発掘作業中,紀元前252年の紙を発.紙の歴史を完全に塗り変える |
1931年 | ヴァネヴァー・ブッシュがアナログ・コンピュータを開発 |
1945年 | ジョン・フォン・ノイマンが電子メモリをプログラミングするための二進数の採用を論文で発表 |
1947年 | トランジスタがベル研究所で発明される |
1951年 | レミントン・ランドが,記憶装置と出力装置に磁気テープを登載したUNIVAC1を四十七台製造 |
1959年 | マイクロチップの特許出願 |
昨日の記事「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]) で取り上げた高島の漢字論,そして日本語論はぶっきらぼうな刺激に満ちている.おもしろい.日本語は,文字との付き合い方に注目すれば,すこぶる畸型の言語である,と高島 (243) は明言する.念頭にあるのは「高層」「構想」「抗争」「後送」「広壮」などの同音漢語のことである.
日本の言語学者はよく,日本語はなんら特殊な言語ではない,ごくありふれた言語である,日本語に似た言語は地球上にいくらもある,と言う.しかしそれは,名詞の単数複数の別をしめさないとか,賓語のあとに動詞が位置するとかいった,語法上のことがらである.かれらは西洋で生まれた言語学の方法で日本語を分析するから,当然文字には着目しない.言語学が着目するのは,音韻と語法と意味である.
しかし,音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない,という点に着目すれば,日本語は,世界でおそらくただ一つの,きわめて特殊な言語である.
音声が意味をにない得ない,というのは,もちろん,言語として健全な姿ではない.日本語は畸型的な言語である,と言わざるを得ない.
では,日本語のこの問題を解決することができるのか.高島は「否」と答える.畸型のまま成長してしまったので,健全な姿には戻れない,と.「日本語は,畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない」 (p. 236) と考えている.
この悲観論な日本語論について賛否両論,様々に議論することができそうだが,私がおもしろく感じたのは,西洋由来の音声ベースの言語学から見ると,日本語は何ら特別なところのない普通の言語だが,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学から見ると,日本語は畸型の言語である,という論法だ.高島は日本語の畸型性を力説しているわけだから,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学のほうに肩入れしていることになる.つまり,音声を最重要とみなす主流の近代言語学から逸脱しつつ,音声と比して劣らない文字の価値を信じている,とも読める.
文字は音声と強く結びついてはいるが,本質的に独立したメディアである.言語学は,そろそろ音声も文字も同じように重視する方向へ舵を切る必要があるのではないか.書き言葉の自立性については,以下の記事を参照.
・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])
・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.
高島 (43) による漢字論を読んでいて,漢字という表語文字の一つひとつは,英語などでいうところの綴字に相当するという点で,Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶ方が適切である,という目の覚めるような指摘にうならされた.
漢字というのは,その一つ一つの字が,日本語の「い」とか「ろ」とか,あるいは英語の a とか b とかの字に相当するのではない.漢字の一つ一つの字は,英語の一つ一つの「つづり」(スペリング)に相当するのである.「日」は sun もしくは day に,「月」は moon もしくは month に相当する.英語の一つ一つの単語がそれぞれ独自のつづりを持つように,漢語の一つ一つの単語はそれぞれ独自の文字を持つのである.であるからして,漢字のことを英語で Chinese characters (シナ語の文字)と言うけれど,むしろ Chinese spellings (シナ語のつづり)と考えたほうがよい.
ときどき,英語のアルファベットはたったの二十六字で,それで何でも書けるのに,漢字は何千もあるからむずかしい,と言う人があるが,こういうことを言う人はかならずバカである.漢字の「日」は sun や day にあたる.「月」は moon や month にあたる.この sun だの moon だののつづりは,やはり一つ一つおぼえるほかない.知れきったことである.漢語で通常もちいられる字は三千から五千くらいである.英語でも通常もちいられる単語の数は三千から五千くらいである.おなじくらいなのである.それで一つ一つの漢字があらわしているのは一つの意味を持つ一つの音節であり,「日」にせよ「月」にせよその音は一つだけなのだから,むしろ英語のスペリングよりやさしいかもしれない.
確かに,この見解は多くの点で優れている.アルファベットの <a>, <b>, <c> 等の各文字は,漢字でいえば言偏や草冠やしんにょう等の部首(あるいはそれより小さな部品や一画)に相当し,それらが適切な方法で組み合わされることによって,初めてその言語の使用者にとって最も基本的で有意味な単位と感じられる「語」となる.「語」という単位にまでもっていくための部品統合の手続きを「綴り」と呼ぶとすれば,確かに <sun> も <sunshine> も <日> も <陽> もいずれも「綴り」である.アルファベットにしても漢字にしても,当面の目標は「語」という単位を表わすことである点で共通しているのだから,概念や用語も統一することが可能である.
文字の最重要の機能の1つが表語機能 (logographic function) であることは,すでに本ブログの多くの箇所で述べてきたが(例えば,以下の記事を参照),英語の綴字と漢字が機能的な観点から同一視できるという高島の発想は,改めて文字表記の表語性の原則をサポートしてくれるもののように思われる.
・ 「#284. 英語の綴字と漢字の共通点」 ([2010-02-05-1])
・ 「#285. 英語の綴字と漢字の共通点 (2)」 ([2010-02-06-1])
・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
・ 「#2344. 表意文字,表語文字,表音文字」 ([2015-09-27-1])
・ 「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」 ([2015-11-11-1])
・ 「#2429. アルファベットの卓越性という言説」 ([2015-12-21-1])
・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.
昨日の記事 ([2017-03-23-1]) で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」を紹介した.その記事を読むにあたって,文字史やアルファベット史におけるフェニキア文字の重要性を理解していると,よりおもしろくなると思われるので,ここに補足しておきたい.
フェニキア文字は,それ自身が紀元前2千年紀前半に遡るシナイ文字や原カナン文字などから発展した文字体系であり,前1000年頃に使われていた子音文字体系である.このフェニキア文字から,現在まで広く使用されている多種多様なアルファベット文字体系が生じたという点で,まさにアルファベットの母というにふさわしい(以下,『世界の文字の物語』 (8--9) のタイムラインの一部を掲載).
* *
フェニキア文字の影響を受けた各種の文字体系は,地理的にはユーラシア大陸全域に及んでおり,東アジアの漢字系統の文字体系を別とすれば,少なくともこの2千年間,地球上で最も影響力のある文字グループを形成してきたといえる.
私たちが英語を書き記すのに用いているアルファベットは「ローマン・アルファベット」あるいは「ラテン文字」(正確には,その変種というべきか)だが,それが文字体系としてもっている本質的な特徴の多くは,フェニキア文字のもっていた特徴に由来するといってよい.したがって,英語の文字や綴字について深く考察していくと,否応なしにフェニキア文字やそれ以前にまで遡るアルファベットの歴史を参照せざるを得ない.
フェニキア人とその文字に関しては,昨日挙げたリンク先のほか,以下の記事も参照されたい.
・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
・ 「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1])
・ 「#2482. 書字方向 (3)」 ([2016-02-12-1])
・ 古代オリエント博物館(編)『世界の文字の物語 ―ユーラシア 文字のかたち――』古代オリエント博物館,2016年.
3月21日付で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」が公開されました.今回は,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」で取り上げた話題と関連して,特に「母音の表記の仕方」に注目し,掘り下げて考えています.現代英語の母音(音声)と母音字(綴字)の関係が複雑であることに関して,音韻論や文字史の観点から論じています.この問題の背景には,実に3千年を優に超える歴史物語があるという驚愕の事実を味わってもらえればと思います.
以下に,第3回の記事と関連する本ブログ内の話題へのリンクを張っておきます.合わせてご参照ください.
・ 「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1])
・ 「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1])
・ 「#2405. 綴字と発音の乖離 --- 英語綴字の不規則性の種類と歴史的要因の整理」 ([2015-11-27-1])
・ 「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1])
・ 「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1])
・ 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1])
・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
・ 「#1837. ローマ字とギリシア文字の字形の差異」 ([2014-05-08-1])
・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
言語の歴史を研究するほぼ唯一の方法は,現存する資料に依拠することである.ところが,現存する資料は質的にも量的にも相当の偏りがあり,コーパス言語学の用語でいえば "representative" でも "balanced" でもない.
まず物理的な条件がある.現在に伝わるためには,長い時間の風雨に耐え得る書写材料や書写道具で記されていることが必要である(「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).次に,メディアの観点から,話し言葉(的な言葉遣い)は,書き残されて,現在まで伝わる可能性が低いことは明らかだろう.書き手の観点からは,文献にはもっぱら読み書き能力のあるエリート層の言葉遣いや好みの話題が反映され,それ以外の層の言語活動が記録に残さることはほとんどないだろう.さらに,ジャンルや内容という観点から,例えば反体制的な書き物は,歴史の途中で抹殺される可能性が高いだろう.
現存する文献資料は,様々な運命をすり抜けて生き残ってきたという意味で歴史の「偶然性」を体現しているのは確かだが,生き残りやすいものにはいくつかの条件があるという上記の議論を念頭に置くと,ある種の「必然性」をも体現しているとも言える.歴史言語学や文献学において,どのような「条件」や「必然性」があり得るのか,きちんと整理しておくことは重要だろう.
そのための間接的なヒントとして,どのような化石や遺跡が現在まで生き残りやすいかを考察する化石生成学 (taphonomy) という分野の知見を参考にしたい.例えば,人類化石の残りやすさ,残りにくさは,何によって決まると考えられるだろうか.ウッドは「人類化石記録の空白と偏在」と題する節 (73--75) で,次のように述べている.
何十年間も,人類学者は,700?600万年前以降に生存した何千もの人類個体に由来する化石を集めてきた.この数は多いように思えるかもしれないが,大部分は現在に近い年代のものだ.この年代的な偏在のほかにも,人類化石にはさまざまな偏りがある.このような偏りが起こる機序を明らかにし,それを正そうとする学問は「化石生成学」とよばれる.歯や下顎骨あるいは四肢の大きな骨はよく残るが,椎骨,肋骨,骨盤,指の骨などは緻密性が薄く,容易に破損するので残りにくい.つまり,骨の残りやすさは大きさと頑丈さに比例する.椎骨のような軽い骨は雨による川の氾濫で流され,湖に運ばれ,サカナやワニの骨と一緒に化石になる.一方,重い頭骨や大腿骨は洪水で流され,川底の岩の間に引っかかって,ほかの陸生の大型動物の骨と一緒に化石になる.
化石の残り方を左右するもう一つの要因は,捕食動物が死体のどの部分を好むかである.ヒョウはサルの手足を噛むのが好きなので,もし昔の絶滅した捕食動物も同じ習性があったのなら,人類化石の手足も発見されることが少ないはずである.実際,手足の化石はあまり産出しておらず,そのため歯の進化についてはよくわかっているが,手足の進化はよくわかっていない.身体の大きさも,化石が残るかどうかに影響する,身体の大きな種は化石として残りやすいし,同一種内でも身体の大きな個体は残りやすい.もちろん,このような偏りは人類化石にも該当する.
ある環境では,ほかに比べ,骨が化石になりやすく,発見されやすい.したがって,ある年代やある地域に由来する化石が多いからといって,その年代あるいは地域に多くの個体が住んでいたとは限らない.その年代や地域の状況が,ほかに比べて化石化に適していた可能性があるのだ.同様に,ある年代や地域から人類化石が見つからなくても,そこに人類が住んでいなかったことにはならない.「証拠のないのは,存在しない証拠ではない」という格言もある.したがって,昔の種は,最古の化石が発見される年代より前に誕生し,最新の化石が発見される年代より後まで生存していたことになる.つまり,化石種の起源と絶滅の年代は実際に比べて常に控えめになる.
同様の制限は化石発見遺跡の地理的分布にも当てはまる.人類は,化石が発見される遺跡より広範囲で生存していたはずだ.また,過去の環境は現在とは違っていたはずだ.現在では厳しい環境も過去には住みやすかったかもしれないし,逆もあり得る.さらに,骨や歯を化石として保存してくれる環境は決して多くはない.酸性の土壌では,骨も歯もめったに残らない.とくに森林環境では,湿度が高く土壌が酸性なので,化石は残らないと考えられてきた.しかし,最近では,必ずしもそうではないことが明らかになった.とはいえ,考古学者が石器と人骨を一緒に発見したいと願っても,たいてい人骨は溶けてしまい,石器しか発見できないのである.
この問題は,ある語の初出した時期や廃語となった時期を巡る文献学上の問題とも関連するだろう.言語史研究における資料の問題については,「#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1)」 ([2012-03-13-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]) を参照されたい.関連して,文字の発生についての考察も参考になる(「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).
・ バーナード・ウッド(著),馬場 悠男(訳) 『人類の進化――拡散と絶滅の歴史を探る』 丸善出版,2014年.
文字論では,文字の機能といった抽象的な議論が多くなされるが,文字の形という具体的な議論,すなわち字形の議論は二の次となりがちだ.各文字の字形の発達にはそれ自体の歴史があり,それをたどるのは確かに興味深いが,単発的な話題になりやすい.しかし,このような卑近なところにこそ面白い話題がある.なぜローマン・アルファベットの字形はおよそ左右相称的であるのに対して,漢字や仮名の字形は非相称であるのか.アルファベットの字形には幾何学的な端正さがあるが,漢字やそこから派生した仮名の字形にはあえて幾何学的な端正さから逸脱するようなところがある.これは,なぜなのか.
もちろん世界の文字種には様々なものがあり,アルファベットと日本語の文字のみを取り出して比較するだけでは視野の狭さは免れないだろう.また,字体の問題は,書写材料や書写道具の歴史とも深く関係すると思われ,その方面からの議論も必要だろう(「#2456. 書写材料と書写道具 (1)」 ([2016-01-17-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).しかし,あえて対象を絞ってアルファベットと日本語の文字の対比ということで考えることが許されるならば,以下に示す牧野の「言語と空間」と題する日米比較文化論も興味深く読める (p. 10) .
人工的な空間構成においてアメリカ人は日本人よりも整合性と均衡を考え,多くの場合,相称的空間構成を創る.庭園などはよくひかれる例である.言うまでもなく,日本の庭園は自然の表層の美の人工的再現である.深層の自然は整合的であろうが,表層の自然にはさまざまなデフォルメがあって,およそ均斉のない代物なのである.言語の表記法にも,この基本的な空間構成の原理が出ている.アルファベットはその約半数が,A,H,M,O,T,U,V,W,X,Y のように左右相称である.日本の仮名文字は漢字の模写が出発点で,元が原則として非相称であるから出て来た仮名も一つとして左右相称な文字はない.この点お隣の韓国語の表記法はかなり相称性が強く出ていて興味深い.
ここに述べられているように,字形と空間の認識方法の間に,ひいては言語と空間との間に「ほとんど密謀的とも言える平行関係」(牧野,p. 11)があるとするならば,これは言語相対論を支持する1つの材料となるだろう.
・ 牧野 成一 「言語と空間」 『『言語』セレクション』第2巻,月刊『言語』編集部(編),大修館書店,2012年.2--11頁.(1980年9月号より再録.)
2月1日の読売新聞夕刊11面に「若者は1字下げない」と題する記事が掲載されていた.筆者も大学で学生が書く長めの日本語文章を読む機会が多いが,この「1字下げない」現象には戸惑っている.課題レポート,試験の記述解答,入試の願書に至るまで,段落を1字下げずに書くということが,普通になってきている.
専門家によると,若者が1字下げを行なわなくなってきているのは,普段書き慣れている SNS でそのような慣習がなく,まとまった文章を書く際にも段落という単位を意識する機会が減っているからだろうという.
これを問題として指摘するにあたって,いくつかの角度がありそうだ.思いつくのは,(1) 1字下げしないという慣習を無視している(あるいは知らない)ということ,(2) 友人相手の SNS の文章と,ある程度の正式さとまとまりが必要とされる種類の文章の区別ができていないこと,(3) 文章を構成するという感覚がなさそうであること,辺りだろうか.
(1) は「小学校の作文でしっかり習っていたはずなのに,それをすっかり忘れている,けしからん」という批判である.個人的にはこの批判に加担するし,1字下げは日本社会の常識の1つだと思っている.しかし,規則なのだからとにかく守れ,と述べて済ませるだけでは,言語を論じる者として大人げない気もする.実際,段落の最初の1字下げがどこまで日本語の文章における公式な「規則」なのかは,イマイチよく分からない.学習指導要領では,改行については小学3,4年生の国語で学ぶことになっているが,1字下げについては,指導実態としては教えているものの,「必要性の評価が学術的に定まっていない」ために明示はされていないという.国語教科書の歴史でみると,戦前に1字下げされていない例もあったようだ.そもそも日本語書記における1字下げは,西洋の文章の翻訳に伴って発展し,その慣習が教科書の文章などにも取り込まれて一般化したもののようで,金科玉条の規則というよりは,あくまで慣習やマナーといった位置づけと見ておくのがよさそうだ.とすると,「守らざれば即ち非」と断じるのも難しくなる.
(2) と (3) は繋がっていると思われるが,慣習を守る守らないだけの問題ではなく,長いまとまった種類の文章を書く機会がないという,一種の書記経験の貧困さの問題のことである.1字下げをしない→その必要性や意義を認識していない→段落構成のある文章を普段書いていない→そのような文章を書く機会がそもそもない,という疑いが生じる.
SNS の1字下げをしない文章の書き方が悪いというよりは,1字下げすべき類いの文章を書く機会が激減しているという状況がある,と認識すると,問題は別次元のものになっていきそうだ.
畢竟,句読法 (punctuation) も時間とともに変化するものである.しかし,その変化も,実際的意義と歴史的慣習とのせめぎ合いを通じて進行していくはずのものであって,それゆえに最も大事なことは,保守派にせよ革新派にせよこのような話題に関心をもち,議論していくことだろう.
昨日の記事「#2818. うわさの機能」 ([2017-01-13-1]) で取り上げた松田著『うわさとは何か』を読んでいて,言語学の流れについて考えさせられる機会があった.
松田によると,従来のうわさの研究はうわさの内容(情報)にこだわる傾向があった.例えば,古典的な「うわさの公式」によると,うわさの強さや流布量 (Rumor) は,当事者に対する問題の重要さ (importance) とその論題についての証拠の曖昧さ (ambiguity) との積に比例する,つまり R?i×a とされる (23) .だが,ほかにも考えるべき側面はある.例えば,何のメディアで発せられ広がるかというメディアの観点からの考察も必要だろう.松田はこのように,うわさの内容だけではなく形式をも考慮に入れることを説いている.そこで述べていることがおもしろい.「民俗学における口承研究が過去からの伝承や口頭性にこだわるあまり,そのうわさが語られる場や時代――メディアを含む――に対して寄せる関心が薄い」ことを指摘しているのである (154) .
社会に関する学問でも,19世紀に民俗学が興る以前には書き言葉の資料がむしろ重視されていただろうから,現在はぐるりと一回転して再び書き言葉を含めた各種メディアが注目される時代となってきたものと言えそうだ.
このような潮流は言語学の歴史にも見ることができる.20世紀の主流派言語学は,研究対象としてもっぱら話し言葉を重視し,その他のメディア,つまり書き言葉を軽視する方向で発展した.「口頭性にこだわるあまり」,ことばが「語られる場や時代に対して寄せる関心が薄」かったのである.ところが,20世紀後半から21世紀にかけては,社会言語学や語用論など,メディアやコンテクストを重視する傾向が強まってきた.近代言語学が興る以前には,むしろ文献学 (philology) と呼ばれる書き言葉偏重の言語研究の伝統が確立していたわけだから,現代はやはりぐるりと一回転して再び各種のメディアに関心が戻ってきた時代と言えそうだ.
もちろん,一回転して戻ってきたといっても,学問としては一皮むけた状態で戻ってきたということであり,単純な過去への回帰ではないはずである.21世紀の言語学は,話し言葉中心主義,あるいは「内容」中心主義から脱して,他のメディアにも目配りするといった意味での「形式」重視へと舵を切っていると言えるだろう.
関連して,書き言葉の自立性という話題について,本ブログでも「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]),「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]),「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]),「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1]) などで議論しているので,ぜひ参照を.
・ 松田 美佐 『うわさとは何か』 中央公論新社〈中公新書〉,2014年.
昨日の記事「#2789. 現代英語の Engl&,中英語の 7honge」 ([2016-12-15-1]) で,本来の表語文字 <&> や <⁊ > が純粋に表音文字として用いられている例を見た.文字遊びとして「おもしろい」と思うかもしれないし,「中英語にもあったなんて」と驚くかもしれないが,ほとんど同じ原理の文字使用が,かつての日本語にもあった.万葉仮名の「借訓」の用法である.むしろ,大陸からもたらされた漢字という文字体系と必死に格闘せざるを得なかった上代の日本人にとっては,このような文字の使い方は,文字遊びであるという以上に,まさに真剣勝負だったのかもしれない.
ここで,上代日本人が,漢字という文字体系をいかにして日本語の書記に適用したかという観点から,漢字の用い方を整理しよう.以下,佐藤 (49--51) より,詳細な分類を再現する.
[茵?????????]
(1) 正音(漢語をそのまま用い,字訓で読まれる)
布施(ふせ),餓鬼(がき),双六(すごろく),塔(たふ)
(2) 正訓(日本語の意味が漢字の字義と一致,あるいは共通する度合が高い場合の,日本語の訓を表す)
一字訓:心(こころ),情(こころ),思(おもふ),念(おもふ),音(こゑ・おと)
熟字訓:光儀(すがた),茅子(はぎ),織女(たなばた)
(3) 義訓(語の意味を間接的に喚起する分析的・解説的な表記)
金風(あきかぜ),暖(はる),寒(ふゆ),乞(こそ),不安(くるし)
[表音本意] 真仮名・万葉仮名と称する
(1) 音仮名(借音仮名・借音字とも呼ばれる)
・ 一音節を表示する音仮名
1. 全音仮名(無韻尾字)
阿(あ),伊(い),宇(う),麻(ま),左(さ),知(ち),之(し)
2. 略音仮名(有韻尾字,韻尾を捨てる)
安(あ),散(さ),芳(は),欲(よ),吉(き),万(ま),八(は)
3. 連合仮名(有韻尾字,韻尾を後続音に解消する)
印南(いなみ),吉師(きし),奈伎和多里南牟(なきわたりなむ)
・ 二音節を表示する音仮名(有韻尾字,韻尾に母音を加える.二合仮名とも呼ばれる)
君(くに),粉(ふに),険(けむ),兼(けむ),濫(らむ),越(をち),宿祢(すくね)
(2) 訓仮名(借訓仮名・借訓字とも呼ばれる)
・ 一音節を表示
押奈戸手(おしなべて),田八酢四(たやすし),名津蚊為(なつかし),湯目(ゆめ)(副詞),家呼家名雄母(いへをもなをも)
・ 多音節(一字二音節以上)表示
言借(いふかし)(不審),雲谷裳(くもだにも),夏樫(なつかし),名束敷(なつかしき),奈都炊(なつかしき),慍下(いかりおろし)(碇)
・ 熟合仮名(二字一音節,二字二音節など.熟字訓を利用)
五十日太(いかだ),嗚呼児乃浦(あごのうら),二十物(はたもの)(織物),見左右(みるまでに)
(3) 戯書
1. 字謎
色二山上復有有山者(いろにいでば)
2. 擬声語表記から
神楽声浪(ささなみ),馬声蜂音石花蜘虫厨荒鹿(いぶせくもあるか),追馬喚犬所見喚鶏(そまみえつつ)
3. 九九と関連して
十六自物(ししじもの),八十一隣之宮(くくりのみや),不知二五寸許瀬(いきとをきこせ)(助詞),生友奈重二(いけりともなし)
4. 義訓・熟字訓・熟合仮名の技巧から
恋渡味試(こひわたりなむ)(←舐(助動詞)),事毛告火(こともつげなむ)(←南(助詞)),暮三伏一向夜(ゆふづくよ)(古代朝鮮の木四戯の目),所聞多祢(←喧)
漢字は,表意本意の使い方と表音本意の使い方に大きく2分される.表意本意の用法は,いわばオリジナルの中国風の漢字の用法だが,表音本意の用法,すなわち万葉仮名こそが,日本における新機軸だった.万葉仮名は,見た目は漢字だが,機能としては平仮名・片仮名に類する表音文字として用いられているものである.万葉仮名の表音的用法も細かく下位区分されるが,上の (2) に挙げられている「訓仮名」の原理こそが,英語の <Engl&>, <⁊honge> に見られる原理である.
訓仮名は,ある漢字の和訓が確定し,他の訓で読まれる可能性が少なくなってから生じる用法であるから,常に後に発生するものである.同じように,<&> や <⁊ > も各々 and という「訓読み」が確定していたからこそ,後に表音的にも用いられるようになったものである.<Engl&>, <⁊honge> における <&>, <⁊ > の使い方は,感覚的には,万葉仮名でいえば「夏樫」(なつかし),「偲食」(しのはむ)のタイプの「多音節表示の訓仮名」に近いのではないか.本来的に表意的な文字の意味を取って読み下し,その読み下した音列を,今度はその意味から切り離して,その音を部分的にもつ単語を純粋に表音的に表記するために用いる,という用法だ.言葉で説明するとややこしいが,つまるところ <Engl&> で England と読ませ,<夏樫> で「なつかし」と読ませる原理のことである.
万葉仮名については,「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1]),「#2390. 文字体系の起源と発達 (2)」 ([2015-11-12-1]) を参照.
・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.
「#817. Netspeak における省略表現」 ([2011-07-23-1]) で見たように,ネット上では判じ絵 (rebus) の原理による文字遊びともいえる省略表現が広まっている.<Thx2U> (= Thanks to you) や <4U> (= For you) や <CUL8R> (= See you later) や <Engl&> (= England) のような遊び心を含んだ文字列である.これらの数字や記号 <&> の用例は,本来の表語文字(記号)を表音的に用いている例として興味深い.それぞれ意味は捨象し,[tuː], [fɔː], [eɪt], [ənd] という音列を表す純粋な表音文字として機能している.
これは現代人の言葉遊びにすぎないと思われるかもしれないが,実は古くから普通に行なわれてきた.例えば,接続詞 and を書き表わすのに古くは <&> ではなく数字の <7> に似た <⁊ > という記号 (Tironian et) が用いられていた(「#1835. viz.」 ([2014-05-06-1]) を参照).そして,これが接続詞 and を表わすものとしてではなく,他の語の一部をなす音列 [and] を表わすものとして表音的に用いられる例があった.この接続詞は,現代と同様に弱い発音では語尾音がしばしば脱落したので,[and] だけでなく [an] あるいは [a] を表音する文字としても機能した.例えば,The Owl and the Nightingale から,l. 1195 に現われる動詞の過去分詞形 anhonge の接頭辞 an- が Tironian et で書かれており,<<⁊honge>> と写本に見える.同じように,l. 1200 の動詞の過去分詞形 astorue も <<⁊storue>> と書かれており,接頭辞 a- が Tironian et で表わされている.
書き手の遊び心もあるだろうし,少しでも短く楽に書きたいという思いもあるだろう.書き手の思いと,その思いを満たす手段は,昔も今も何も変わらない.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
Ferguson は,言語の "language 'development'" を計測する方法を提案している.'development' と引用符があることから示唆されるように,これは進化論的な言語観に基づいているわけではなく,社会言語学的な発展の度合いを測ろうとする試みである.Ferguson (23) が具体的に挙げているのは,「書き言葉の使用の度合い」 ("the degree of use of written language") と「標準化の性質と程度」 ("the nature and extent of standardization") の2点である.
1つ目の指標である「書き言葉の使用の度合い」については,大雑把に W0, W1, W2, W3 の4段階が認められるという (23--24) .各段階の説明をみれば分かる通り,当面の便宜的な指標といってよいだろう.
・ W0. --- not used for normal written purposes
・ W1. --- used for normal written purposes
・ W2. --- original research in physical sciences regularly published
・ W3. --- languages in which translations and resumés of scientific work in other languages are regularly published
2つ目の指標である「標準化の性質と程度」は,もっと込み入っている.この指標には2つの側面があり,第1のものは "the degree of difference between the standard form or forms of a language and all other varieties of it" (24) である.つまり,言語変種間の差異性・類似性の度合いに関する側面である(関連して「#1523. Abstand language と Ausbau language」 ([2013-06-28-1]) や「#1522. autonomy と heteronomy」 ([2013-06-27-1]) を参照されたい).
第2の側面は "the nature of the standardization and the degree to which a standard form is accepted as such throughout the community" (24) である.Ferguson (24--25) は3段階を設定した.
・ St0. --- "a language in which there is no important amount of standardization" (ex. Kurdish) (24)
・ St1. --- a language which "requires considerable sub-classification to be of any use. Whatever scheme of classification is developed, it will have to take account in the first instance of whether the standardization is unimodal or bi- or multimodal, and in the case of more than one norm, the nature of the norms must be treated" (ex. bimodal Armenian, Greek, Serbo-Croatian, Norwegian; multimodal Hindi-Urdu) (25)
・ St2. --- "a language which has a single, widely-accepted norm which is felt to be appropriate with only minor modifications or variations for all purposes for which the language is used" (24)
測定のための指標として荒削りではあるが,分かりやすさの点では優れている.
このような測定値に基づいて,諸言語(共同体)を社会言語学的に類型化しようとする試みは,ほかにもある.「#1519. 社会言語学的類型論への道」 ([2013-06-24-1]) や「#1547. 言語の社会的属性7種」 ([2013-07-22-1]) も要参照.
・ Ferguson, Charles A. "The Language Factor in National Development." Anthropological Linguistics 4 (1962): 23--27.
Swadesh の言語年代学 (glottochronology) によれば,普遍的な概念を表わし,個別文化にほぼ依存しないと考えられる基礎語彙は,時間とともに一定の比率で置き換えられていくという.ここで念頭に置かれているのは,第一に話し言葉の現象であり,書き言葉は前提とされていない.ということは,読み書き能力 (literacy) はこの「一定の比率」に特別な影響を及ぼさない,ということが含意されていることになる.しかし,直観的には,読み書き能力と書き言葉の伝統は言語に対して保守的に作用し,長期にわたる語彙の保存などにも貢献するのではないかとも疑われる.
Zengel はこのような問題意識から,ヨーロッパ史で2千年以上にわたり継承されたローマ法の文献から法律語彙を拾い出し,それらの保持率を調査した.調査した法律文典のなかで最も古いものは,紀元前450年の The Twelve Tables である.次に,千年の間をおいて紀元533年の Justinian I による The Institutes.最後に,さらに千年以上の時間を経て1621年にフランスで出版された The Custom of Brittany である.この調査において,語彙同定の基準は語幹レベルでの一致であり,形態的な変形などは考慮されていない.最初の約千年を "First interval",次の約千年を "Second interval" としてラテン語法律語彙の保持率を計測したところ,次のような数値が得られた (Zengel 137) .
Number of items | Items retained | Rate of retention | |
---|---|---|---|
First interval | 68 | 58 | 85.1% |
Second interval | 58 | 46 | 80.5% |
Some new factor must be recognized to account for the astonishing stability disclosed in this study . . . . Since these materials have been selected within an area where total literacy is a primary and integral necessity in the communicative process, it seems reasonable to conclude that it is to be reckoned with in language change through time and may be expected to retard the rate of vocabulary change.
なるほど,Zengel はラテン語の法律語彙という事例により,語彙保持に対する読み書き能力の影響を実証しようと試みたわけではある.しかし,出された結論は,ある意味で直観的,常識的にとどまる既定の結論といえなくもない.Swadesh によれば個別文化に依存する語彙は保持率が比較的低いはずであり,法律用語はすぐれて文化的な語彙と考えられるから,ますます保持率は低いはずだ.ところが,今回の事例ではむしろ保持率は高かった.これは,語彙がたとえ高度に文化的であっても,それが長期にわたる制度と結びついたものであれば,それに応じて語彙も長く保たれる,という自明の現象を表わしているにすぎないのではないか.この場合,驚くべきは,語彙の保持率ではなく,2千年にわたって制度として機能してきたローマ法の継続力なのではないか.法律用語のほか,宗教用語や科学用語など,当面のあいだ不変と考えられる価値などを表現する語彙は,その価値が存続するあいだ,やはり存続するものではないだろうか.もちろん,このような種類の語彙は,読み書き能力や書き言葉と密接に結びついていることが多いので,それもおおいに関与しているだろうことは容易に想像される.まったく驚くべき結論ではない.
言語変化の速度 (speed_of_change) について,今回の話題と関連して「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]),「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1]),「#1874. 高頻度語の語義の保守性」 ([2014-06-14-1]),「#2641. 言語変化の速度について再考」 ([2016-07-20-1]),「#2670. 書き言葉の保守性について」 ([2016-08-18-1]) なども参照されたい.
・ Zengel, Marjorie S. "Literacy as a Factor in Language Change." American Anthropologist 64 (1962): 132--39.
「#2717. 暗号から始まった点字」 ([2016-10-04-1]) の記事で見たように,ブライユ点字は,シャルル・バルビエの考案した「夜間文字」の応用である12点点字を,ブライユが6点点字に改良したことに端を発する.19世紀始めには,目の不自由な人々にとっての読み書きは,紙に文字を浮き出させた「凸文字」によるものだった.しかし,指で触って理解するには難しく,広く習得されることはなかった.そのような時代に,ブライユが読みやすく理解しやすい点字を考案したことは,画期的な出来事だった.音楽の得意だったブライユは,さらに点字音符表を作成し,点字による楽譜表記をも可能にした.
その後,19世紀後半から20世紀にかけて,ブライユ点字は諸言語に応用され,世界に広がっていく.1854年にフランス政府から公式に認められた後,イギリスでは英国王立盲人協会を設立したトーマス・アーミテージがブライユ点字を採用し,改良しつつ広めた.アメリカでは,ニューヨーク盲学校のウィリアム・ウエイトらがやはりブライユ点字に基づく点字を採用した.1915年に標準米国点字が合意されると,1932年には英米の合議により英語共通の点字も定まった(この点では,アメリカとイギリスで異なる体系を用いている手話の置かれている状況とは一線を画する;see 「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1])).
我が国でも,1887年に東京の盲学校に勤めていた小西信八がブライユ点字を持ち込み,日本語への応用の道を探った.そして,1890年(明治23年)11月1日に石川倉次(=日本点字の父)の案が採用されるに至った.この日は,日本点字制定記念日とされている.
点字を書くための道具に,板,定規,点筆がセットになった「点字盤」がある.板の上に紙をのせた状態で,穴の空いた定規を用いて点筆で右から左へを点を打っていくものである.通常の文字と異なり,点字は紙の裏側から打っていく必要があり,したがって,発信者の書きと受信者の読みの方向が逆となる.これは点字の読み書きに関する顕著な特徴といってよいだろう.また,日本語点字はかな書きで書かれるため,分かち書きをする必要がある点でも,通常の日本語書記と異なる (see 「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1])) .現代では,伝統的な点字盤のほか,点字タイプライターやコンピュータにより,簡便に点字を書くことができるようになっている.
日本でも身近なところで点字に出会う機会は増えてきている.電化製品,缶飲料,食品の瓶や容器など,多くの場所で点字が見られるようになった.
・ 高橋 昌巳 『調べる学習百科 ルイ・ブライユと点字をつくった人びと』 岩崎書店,2016年.
点字は,フランスの盲人 Louis Braille (1809--52) が1829年に発明したものとされ,これにより視覚障害者が初めて自由に読み書きできるようになったという点で,教育史上,画期的な出来事だった.ブライユ点字法 (Braille) と呼ばれることになるこの点字は,3行×2列の6点を単位として,その組み合わせによりアルファベットと数字を表わす仕組みのものである.ブライユ点字法はブライユの亡くなった2年後にフランスで公式文字として認められ,それから100年後の1954年にはユネスコ主催の世界点字統一会議で,全世界の視覚障害者の文字として採用された.日本へは1890年に導入されており,そこから50音を表わす日本点字が開発され,現在も使用され続けている.点字は,それ自体が自立した記号体系というわけではなく,(文字)言語の代用記号ととらえるべきだろう.その点では,モールス符号 (「#1805. Morse code」 ([2014-04-06-1])) や手旗信号などに類する.
さて,点字の歴史は,このようにブライユに遡るというのが通例だが,その原型は,ナポレオン時代の砲兵大尉 Charles Barbier が,ブライユの学んだ訓盲院(世界最初の盲学校)に持ち込んだ「夜間文字」(Ecriture Nocturne "night writing") の改良版にあった.夜間文字とは,技術家でもあったバルビエが考案した暗号の一種で,うすい板紙の上に秘密のルールに従って点やダッシュを浮き彫りにしたものであり,解読者は闇夜にもそれに触れて読むことができるという代物だった.バルビエは,除隊後,これを視覚障害者のために活用する方法を探り,訓盲院へ6行×2列の点字を導入した.これを受けて,その生徒だったブライユが改良を加え,3行×2列の6点のブライユ点字法を開発するに至ったという次第である.
今や世界で広く認知され,用いられている点字という記号体系が,このように軍事的な色彩の強い環境で開発された暗号に起源をもつという事実は,非常に興味深い.点字も暗号もコミュニケーション手段には違いなく,ある意味でこの発展は必然的とも考えられるが,一方で,バルビエから訓盲院を経てブライユへと連なったのは,歴史の偶然でもある.暗号の発明が,結果的に,教育史上きわめて重要な発明につながった稀有な例である.
以上,稲葉 (54) を参照して執筆した.
・ 稲葉 茂勝 『暗号学 歴史・世界の暗号からつくり方まで』 今人舎,2016年.
現代英語の書記にみられる句読法 (punctuation) の発達と定着は,一般に近代以降の出来事といってよい (see 「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1]),「#575. 現代的な punctuation の歴史は500年ほど」 ([2010-11-23-1]),「#582. apostrophe」 ([2010-11-30-1]),「#2666. 初期近代英語の不安定な句読法」 ([2016-08-14-1])) .ハイフン (hyphen) にしても例外ではなく,広く用いられるようになり,一般化したのは1570年代以降である.実際,hyphen という呼び名が英語に現われるのは1620年辺りになってからであり,案外遅い.この語は,"together" を意味するギリシア語 huphén (hupó "under" + hén "one") がラテン語経由で英語に入ったものである.それ以前にも,この句読記号自体は用いられており,様々に呼ばれていたが,例えばその使用を重視した John Hart (c. 1501--74) は joiner と呼んでいた.
実際,ハイフン記号の使用は写本時代の最初期から一貫して確認される.その役割も様々だったが,基本的な機能は,現代に伝わるものと同様であり,語やその一部の境目に関する種々の関係を明示することにあった.単語の内部で行またぎをする必要が生じたときには「分割記号」 (divider) の役割を果たし,複数の形態素の関連が密であり1語にまとめたい場合には「連係記号」 (linker) の役割を果たした.いずれにせよ,語の単位を明示する目的で用いられる符号である (Crystal 260--61) .
しかし,ハイフンの正書法は,現代ですら定着したものがない.その使用には,相当程度,揺れが見られる.例えば,変種間というレベルの揺れとしても見られ,イギリス英語ではアメリカ英語よりもハイフンを多用する傾向がある.カナダ英語などでは,英米変種の中間的な振る舞いを示すともいわれる.また,個人差もあり,e-mail vs email, ice-cream vs ice cream や,flowerpot vs flower-pot vs flower pot など,揺れが激しい.通時的にも,以前は2語で書かれていたものが,後にハイフンを付され,さらに後にハイフンを省いて1語として綴られるような変化を遂げた語がいくつか確認される.例えば,type writer > type-writer > typewriter がその例であり,ほかに today, tomorrow, tonight などの to- 接頭辞をもつ語も to day > to-day > today のように,似たような経路を辿っている (Crystal 266) .
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
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