Penn Parsed Corpora of Historical English のプロジェクトの成果として,University of Pennsylvania から PPCMBE ( Penn Parsed Corpus of Modern British English ) が出版された.これにより,以下の通り,古英語から現代英語にわたる各時期のイギリス英語の統語タグ付きコーパスが出そろったことになる.
・ YCOE: Taylor, Ann, Anthony Warner, Susan Pintzuk, and Frank Beths. York-Toronto-Helsinki Parsed Corpus of Old English Prose, first edition. Oxford Text Archive, 2003. (1.5 million words)
・ PPCME2: Kroch, Anthony and Ann Taylor. Penn-Helsinki Parsed Corpus of Middle English, second edition. University of Pennsylvania, 2000. (1.3 million words)
・ PPCEME: Kroch, Anthony, Beatrice Santorini, and Ariel Diertani. Penn-Helsinki Parsed Corpus of Early Modern English, first edition. University of Pennsylvania, 2004. (1.8 million words)
・ PPCMBE: Kroch, Anthony, Beatrice Santorini, and Ariel Diertani. Penn-Hensinki Parsed Corpus of Modern British English, first edition. University of Pennsylvania, 2010. (1.0 million words)
いずれも Helsinki Corpus をベースとしたソースに対して同一の annotation scheme による統語的タグが付加されており,互いに連携できるように作られている.視点は異なるが,およそ1410年から1695年までのあいだの書簡集となるコーパス PCEEC も同様の annotation scheme でタグ付けされており,やはり連携が可能である(ただし利用は限定的).
・ PCEEC: Taylor, Ann, Arja Nurmi, Anthony Warner, Susan Pintzuk, and Terttu Nevalainen. Parsed Corpus of Early English Correspondence, first edition. Oxford Text Archive, 2006. (2.2 million words)
現時点で,あわせて 7.8 million words が通時的かつ統語的な視点からタグ付けされ,一般に利用可能になったことになる.
一昨日と昨日と,東京外国語大学のグローバルCOEプログラム「コーパスに基づく言語学教育研究拠点」 ( Corpus-based Linguistics and Language Education ) 主催で,"Corpus Analysis and Diachronic Linguistics" と題する国際シンポジウムが同大学で開かれ,Anthony Kroch や Merja Kytö など英語史コーパス言語学の著名な学者も講演した(ポスターはこちら).PPCMBE の出版直後ということもあったので,特に Anthony Kroch が何を話すかに興味をもっていた.一連の歴史英語コーパスを使った統語研究の一端でも見せてくれるのかなと期待していたが,驚いたことに,歴史英語コーパスと歴史フランス語コーパスを組み合わせた「英仏対照通時統語コーパス言語学」とでもいうべき研究の可能性を示す発表だった.今や University of Pennsylvania は英語に限らず諸言語のコーパス作成の拠点となっており,あれやこれやと組み合わせるとこんなこともあんなこともできるんだぞというところを見せつけられたとでもいおうか.
ちなみに,取り上げられた話題は英仏の direct object topicalization の歴史で,英語の場合には 1151--1250 年期から 1251--1350 年期にかけて,直接目的語の前置される頻度が一気に減少したという.
現代英語の最頻英単語は何か.この話題についてはコーパス言語学,辞書学,計算機の発展により,様々な頻度表が作られてきた.ウェブ上でも簡単に手に入るので,いくつか代表的なリストや情報源へのリンクを掲げておく.語彙研究に活用したい.
[主要な頻度表]
・ GSL ( General Service List ): 最頻2000語を掲げたリスト.出版が1953年と古いが,現在でも広く参照されているリスト.
・ AWL ( Academic Word List ): 学術テキストに限定した最頻語リスト.2000年に出版され,GSLに含まれる語と重複しないように選ばれた570語を掲載.10のサブリストに分かれている.AWL の前身となる,1984年に出版された808語のリスト UWL ( University Word List ) も参照.
・ BNC Word Frequency Lists: BNC ( The British National Corpus ) による最頻6318語のリスト.頻度表の直接ダウンロードはこちらから.
・ Top 1000 words in UK English: 18人の著者,29作品,460万語のコーパスから抽出したイギリス英語の最頻1000語リスト.
・ Brown Corpus List: Brown Corpus によるアルファベット順リスト.
・ The Longman Defining Vocabulary: LDOCE の1988年版の定義語彙リスト.2000語以上.
[他のリストへのリンク集]
・ Work/Frequency List: 様々な頻度表へのリンク集.(2010/09/10(Fri)現在リンク切れ)
・ Famous Frequency Lists: 様々な頻度表へのリンク集.
・ Basic English and Common Words: ML上の最頻語頻度表についての議論.
[アルファベットの文字の頻度表]
・ Letter Frequencies (rankings for various languages): いくつかのランキング表がある.BNCでは "etaoinsrhldcumfpgwybvkxjqz" の順とある.
(後記 2010/03/07(Sun):American National Corpus に基づいた頻度表を見つけた.Written と Spoken で分別した頻度表もあり.)
(後記 2010/04/12(Mon):COLT: The Bergen Corpus Of London Teenage Language に基づいた最頻1000語のリストを見つけた.)
(後記 2011/02/14(Mon):Corpus of Contemporary American English (COCA) に基づいた Corpus-based word frequency lists, collocates, and n-grams を見つけた.Top 5,000 lemma, Top 500,000 word forms など.)
英語研究を始め言語研究にコーパスが利用されるようになって,すでに久しい.英語史の分野でも,革新的な The Diachronic Part of the Helsinki Corpus of English Texts の出版以来,様々な種類の歴史・通時コーパスが出ている.
研究には大いにコーパスを利用したいが,コーパス利用研究の注意点を(コメントつきで)挙げておきたい (McEnery et at. 121).
(1) コーパスは negative evidence を提供してくれない.○○がどれだけ生起するかは教えてくれるが,××が生起しないことは教えてくれない.(だが,一般的にいって存在しないかもしれないことを研究することは難しいので,これはコーパス言語学に限った問題点ではない.)
(2) コーパスは事実を提供してくれるが,その事実の説明はしてくれない.(確かに.説明それ自身は研究者の仕事である.)
(3) コーパスは,研究の範囲を限定する.(コーパスではできない研究もたくさんある.コーパス研究は,問題を適切に設定すればその目的のためには常に有効である.しかし,最初の問題設定の外にも問題が広がっていることは忘れてはいけない.)
(4) コーパス研究で導かれた結論を一般化する際には細心の注意を要する.(いくら膨大なコーパスでも,あくまで対象とする言語事実の部分集合である.)
以上4点を書き留めてみてふと立ち止まった.考えてみれば,この4点はコーパス利用ならずとも常に気をつけなければならない点である.英語史を含め歴史言語学の研究は,話者の直感に頼ることができない以上,残された事実(=コーパス)を分析するところから始まらざるをえないのだから,それを電子的に扱うか否かにかかわらず,やっていることはコーパス言語学にほかならない.ただ,電子的な統計に注目する傾向のある近年の(コンピュータ)コーパス言語学では,上記4点について余計に注意すべきだということは言えるだろう.
(3) に関連して,望遠鏡(コーパス言語学に代表される量的研究)と顕微鏡(文献学や談話分析に代表される質的研究)の比喩が興味深い.コーパスを利用するか否かにかかわらず,研究の目的が最重要ということだろう.
If it is ridiculous to criticize a telescope for not being a microsope, it is equally pointless to criticize the corpus-based approach for not doing what it is not intended to do (McEnery et al. 121)
英語コーパス研究の入り口として,以下の非常に良質なリンクを参照.
・ コーパス言語学の入門: 家入葉子先生のサイトより.英語史研究に有用.
・ 英語史関係のコーパス・電子テキスト: 家入葉子先生のサイトより.
・ 英語史関係のコーパス: 三浦あゆみさんの A Gateway to Studying HEL より.
・ コーパス研究に有用なWebサイト一覧
・ JAECS 英語コーパス学会
(後記 2010/03/21(Sun))
・ おすすめコーパスサイト: 『実践コーパス言語学』の著者の一人,須賀廣氏のリンク集.
・ McEnery, Tony, Richard Xiao, and Yukio Tono. Corpus-Based Language Studies: An Advanced Resource Book. London: Routledge, 2006.
私は,普段,英語を書くときにはイギリス綴りを用いている.英国留学中,指導教官に -ize / -ization の語を -ise / -isation に訂正されてから意識しだした習慣である.そのきっかけとなったこのペアは,一般には,アメリカ英語ではもっぱら -ize を用い,イギリス英語では -ise も用いられるとされる.
イギリス英語での揺れの理由としては,アメリカ英語の影響や,接尾辞の語源としてギリシャ語の -izein に遡るために -ize がふさわしいと感じられることなどが挙げられるだろう.単語によって揺れ幅は異なるようだが,実際のところ,イギリス英語での -ise と -ize のあいだの揺れはどの程度あるのだろうか.
この問題について,Tieken-Boon van Ostade (38) に BNC ( The British National Corpus ) を用いたミニ検査が示されていた.generalise, characterise, criticise, recognise, realise の5語で -ise と -ize の比率を調べたというものである.このミニ検査に触発されて,もう少し網羅的に揺れを調べてみようと思い立ち,BNC-XML で計399個の -ise / -ize に揺れのみられる動詞についてそれぞれの頻度を出してみた.以下は,-ise / -ize を合わせて頻度がトップ20の動詞である.ちなみに,399個の動詞についての全データはこちら.
item | -ise rate (freq) | -ize rate (freq) | -ise + -ize |
---|---|---|---|
recognise | 61.1% (9143) | 38.9% (5812) | 14955 |
realise | 63.2% (9442) | 36.8% (5492) | 14934 |
organise | 62.3% (5540) | 37.7% (3359) | 8899 |
emphasise | 60.0% (2998) | 40.0% (1998) | 4996 |
criticise | 54.9% (2054) | 45.1% (1688) | 3742 |
characterise | 52.2% (1398) | 47.8% (1278) | 2676 |
summarise | 61.4% (1164) | 38.6% (731) | 1895 |
specialise | 70.7% (1163) | 29.3% (481) | 1644 |
apologise | 68.8% (1084) | 31.2% (492) | 1576 |
advertise | 99.5% (1542) | 0.5% (7) | 1549 |
authorise | 64.5% (987) | 35.5% (543) | 1530 |
minimise | 65.4% (984) | 34.6% (521) | 1505 |
surprise | 99.9% (1345) | 0.1% (1) | 1346 |
supervise | 99.8% (1303) | 0.2% (3) | 1306 |
utilise | 68.9% (798) | 31.1% (360) | 1158 |
maximise | 63.2% (719) | 36.8% (418) | 1137 |
symbolise | 49.2% (324) | 50.8% (334) | 658 |
mobilise | 45.5% (286) | 54.5% (342) | 628 |
stabilise | 53.5% (334) | 46.5% (290) | 624 |
publicise | 69.4% (419) | 30.6% (185) | 604 |
現代英語の語彙研究あるいは英語語彙の歴史的研究をおこなうときに,情報源は二つある.一つは辞書であり,もう一つは(電子)コーパスである.(膨大な量のテキストに体当たりという力業もあるが,ここではその可能性は考えないことにする.)歴史的な観点から英語の語彙論や形態論に関心のある私は,とりわけ OED 等の辞書(電子版)にお世話になることが多いが,The Helsinki Corpus of English Texts (Diachronic Part) を始めとする電子コーパスをもっと活用すべきだと自認している.
辞書は語と語にまつわる諸情報を集めることに特化した出版物なので,電子版を用いれば「かくかくしかじかの条件に当てはまる語彙を一覧にせよ」という類の命令にはめっぽう強い.一方で,電子コーパスは通常,語彙研究に特化しているわけではなく広く言語研究全般に供する情報源として出版されている.だが,語彙研究において電子コーパスのほうが辞書よりも有用であるケースは少なくない.Baayen and Lieber (803) によると,語彙研究におけるコーパスの利点は以下の通り.
(1) コーパスで語を検索すると,その頻度を知ることができる.辞書では頻度はわからない.
(2) コーパスは生の言語使用を反映しており,辞書に掲載されない語を含んでいる可能性が高い.(辞書は一般に保守的な傾向が強く,俗語や新語を含んでいないことが多い.)
(3) 逆に辞書に掲載されていてもコーパスではヒットしない語が多く存在する.
まとめると,語彙研究にコーパスを用いる利点は,「生きた語彙を頻度つきで集めることができる」という点だろう.要は,辞書とコーパスそれぞれの長所と短所をわきまえたうえで,目的に応じて両者を使い分ければよいということになろう.
辞書とコーパスのちょっとした比較例としては,octopus の複数形 ([2009-08-26-1]) と rhinoceros の複数形 ([2009-10-05-1]) の記事を参照.
・Baayen, Harald and Rochelle Lieber. "Productivity and English Derivation: A Corpus-Based Study." Linguistics 29 (1991): 801--43.
「レディース」と答える人が圧倒的ではないだろうか.英語でも,men's wear に対して ladies' wear というのが一般的である.ところが,先日,ユニクロの日替わりセールの広告で「ウィメンズ 3Dスキニージーンズ 1,490円」なる文言を見つけた.
確かに,英語でも women's wear という表現はないではないし,むしろ mens' wear との対比が綴字上の eye rhyme として効果的に示されるという利点はあるかもしれない.ただ,[2009-12-06-1], [2009-12-07-1]で見たように,発音上は /mɛnz/ と /wɪmɪnz/ とでは韻を踏まない.
一方,日本語では,綴字上も発音上も見事に韻を踏む.「メンズ」に対して,「ウィメンズ」と発音が日本語化するからである.無標の ( unmarked ) 「レディース」ではなく,あえて有標の ( marked ) 「ウィメンズ」を使うというのは,ユニクロの差別化戦略だろうか?
英語の話しに戻るが,ladies' wear と women's wear のように二つ(以上)の variants があり,どちらの使用頻度がより高いかの見当をつけたい場合に便利なウェブツールがある.英文校正サイト [NativeChecker]は「Web上に蓄積されている膨大な英文テキストを基盤とした,英語のネイティブチェックシステム」で,自然な英語表現のチェックに威力を発揮する.入力された英語表現のヒット数によって,その頻度や自然度も計れるので,今回のような問題に活用できる.
これによると,ladies' wear のヒットは2,780,000件,women's wear のヒットは1,520,000件だった.前者のほうが,およそ倍近くの頻度を誇るようだ.およその見当付けとして活用したい.
[2009-08-26-1]で octopus の複数形は何かという話題を扱ったが,今回は rhinoceros /raɪnˈɑsərəs/ 「犀」の複数形は何かという問題に分け入りたい.
この語はギリシャ語にさかのぼり,rhīno- "nose" + -kerōs "horned" の複合語である.英語には1300年頃に借用された.
この語は,私が知っている英単語のなかで,取り得る複数形態の種類が最も多い語である.まずは OED で調べてみると,8種類の複数形があり得ると分かる.
rhinoceros, rhinocerons, rhinocerontes, rhinoceroes, rhinocero's, rhinoceri, rhinoceroses, rhinocerotes
とてつもない語なので,Jespersen の文法などでも取りあげられているし,『英語青年』にも記事がある.これには,さすがに犀もびっくりしていることだろう.
須貝氏の記事によれば,1905年に Sir Charles Eliot なる人物がこの問題に頭を悩ませていたという記録がある.rhinocerotes は衒学的であり,かといって rhinoceroses は口調が良くない.口語での省略形の rhinos では威厳がなく,単複同形の rhinoceros では問題を回避しているに過ぎないとも言う.
また,1938年には Julian Huxley なる生物学者が,rhinoceri は誤用であり,rhinoceroses がもっとも抵抗が少ないだろうが,それですら衒学的な響きを禁じ得ないとも述べている.結論としては rhinos を正規の複数形とするよう提案している.
この二人の記録と洞察を忠実に受け入れて考えてみよう.1905年の時点で rhinocerotes にはすでに衒学的な響きがあったということだが,「規則複数」の rhinoceroses には特に衒学的な響きがあったとは触れられていない.だが,1938年には rhinoceroses ですら衒学的になっていたということが述べられている.だからこそ,rhinos を提案したわけである.
とすると,1938年までの推移の順序は以下のように推論できるのではないか.まず,rhinocerotes を含めた多くの「不規則複数」が20世紀初頭にはすでに衒学的だった.そこで,「規則複数」たる rhinoceroses がより一般的になりかけた.だが,口調上の理由でこれも最終的には好まれず,やや口語ぽい響きが気にはなるものの,省略形に規則的な -s を付け足した rhinos が一般化し出した.
須貝氏のいうように,この30年余の期間における「犀」の複数形の推移は,Jespersen のいう simplification と monosyllabism という英語の通時的傾向を表す好例のように思われる( rhinos の場合,厳密には monosyllabism への変化とはいえないが,音節数の減少であることは確かである).まず不規則を規則化し,それでも飽き足りずに切り株 ( clipping ) にした.
さて,現在に話しを移そう.須貝氏の記事は1938年のものであり,それから現在までに「犀」の複数形はどのように変化したか.BNC ( The British National Corpus ) の単純検索によると,「不規則複数」のヒットは皆無だった(タグ付き検索ではないため,単複同形の rhinoceros の複数形としてのヒット数については未確認).規則形については,ヒット数は以下の通り.
rhinoceroses | 13 |
rhinos | 100 |
octopus の複数形は何か.手持ちの辞書を引き比べてもらうとわかるが,すべての辞書で規則的な octopuses が挙がっていることだろう.特に記述のない辞書では octopuses を当然とみなしての省略に違いない.
だが,大きめの辞書や古めの辞書を引くと,octopodes なる複数形が併記されている.例えば OED では,octopodes /ɒkˈtəʊpədi:z/ が先に挙がっており,その後に octopuses が追記されている.
Web3 ( Webster's Third New International Unabridged Dictionary ) にいたっては,第三の複数形として octopi /ˈɑktəˌpaɪ/ が挙げられている.
複数形態に関するこの複雑な状況は,この単語がギリシャ語からネオ・ラテン語を経て,18世紀に英語へ借用されてきたという経緯による.ギリシャ語の屈折に従えば octopodes となり,ラテン語の屈折を適用すると octopi になる( see sg. alumnus -- pl. alumni ).ただし,ラテン語に準じた octopi は,COD11 ( The Concise Oxford English Dictionary 11th ed. ) によると誤用とされている.
ただ,この二種類の古典語に基づく不規則複数形は,現在では衒学的・専門的な響きが強すぎて普通には用いられないと考えてよい.このことは,多くの学習者英英辞典で octopuses のみが挙げられていることからもわかる.
BNC ( The British National Corpus )で調べてみるとヒット数は以下の通りだった.
octopuses | 29 |
octopi | 11 |
octopodes | 4 |
昨日の記事[2009-07-14-1]で,Verbix の古英語版の機能を紹介し,評価して終わったが,実は述べたかったことは別のことである.
動詞の不定詞形を入れると活用表が自動生成されるという発想は,標準語として形態論の規則が確立している現代語を念頭においた発想である.これは古英語や中英語などには,あまりなじまない発想である.確かに古英語にも Late West-Saxon という「標準語」が存在し,古英語の文法書では,通常この方言にもとづいた動詞の活用表が整理されている.だが,Late West-Saxon の「標準語」内ですら variation はありうるし,方言や時代が変われば活用の仕方も変わる.中英語にいたっては,古英語的な意味においてすら「標準語」が存在しないわけであり,Verbix の中英語版というのは果たしてどこの方言を標準とみなして活用表を生成しているのだろうか.
Verbix 的な発想からすると,方言や variation といった現象は,厄介な問題だろう.このような問題に対処するには,Verbix 的な発想ではなくコーパス検索的な発想が必要である.タグ付きコーパスというデータベースに対して,例えば「bēon の直説法一人称単数現在形を提示せよ」とクエリーを発行すると,コーパス中の無数の例文から該当する形態を探しだし,すべて提示してくれる.その検索結果は,おそらく Verbix 型のきれいに整理された表ではなく,変異形 ( variant ) の羅列になるだろう.古英語の初学者にはまったく役に立たないリストだろうが,研究者には貴重な材料だ.
英語史研究,ひいては言語研究における現在の潮流は,標準形を前提とする Verbix 的な発想ではなく,variation を許容するコーパス検索的な発想である.同じプログラミングをするなら,Verbix のようなプログラムよりも,コーパスを検索するプログラムを作るほうがタイムリーかもしれない.
とはいえ,Verbix それ自体は,学習・教育・研究の観点から,なかなかおもしろいツールだと思う.だが,個人的な研究上の都合でいうと,古英語や中英語の名詞の屈折表の自動生成ツールがあればいいのにな,と思う.誰か作ってくれないだろうか・・・.自分で作るしかないのだろうな・・・.
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