標題は,先日,慶應義塾大学通信教育学部のメディア授業「英語史」の電子掲示板でいただいた素朴な疑問です.
with me, for her, against him, between us, among them など前置詞の後に人称代名詞が来るときには目的格に活用した形が用いられます.なぜ主格(見出し語の形)を用いて各々 *with I, *for she, *against he, *between we, *among they とならないのか,という質問です(星印はその表現が文法上容認されないことを示す記号です).
最も簡単な回答は「前置詞の目的語となるから」です.動詞の目的語が人称代名詞の場合に目的格の形を要求するように,前置詞の目的語も人称代名詞の目的格を必要とするということです.動詞(正確には他動詞)にしても前置詞にしても,それが表わす動作や関係の「対象」となるものが必ず直後に来ます.この「対象」を表わす語句が「目的語」であり,これが主体(主語)と区別される独特な形を取っていれば,文法上の機能が見た目にも区別しやすくなり便利です.
しかし,文中で他動詞や前置詞が特定できれば,その後ろに来るものは必然的に目的語ということになり,独特な形を取る必要はないのではないかという疑問が生じます.実際,文法上はダメだしされる上記の *with I, *for she, *against he, *between we, *among they でも意味はよく理解できます.他動詞の後でも *Do you love I/he/she/we/they? は文法的にダメと言われても,実は意味は通じてしまうわけです.
では,この疑問について英語史の視点から迫ってみましょう.千年ほど前の古英語の時代には,代名詞に限らずすべての名詞が,前置詞の後では典型的に「与格」と呼ばれる形を取ることが求められていました.前置詞の種類によっては「与格」ではなく「対格」や「属格」の形が求められる場合もありましたが,いずれにせよ予め決められた(主格以外の)格の形が要求されていたのです(cf. 「#30. 古英語の前置詞と格」 ([2009-05-28-1])).(ちなみに,現代英語の「目的格」は古英語の「与格」や「対格」を継承したものです.)
名詞に関しては,たいてい主格に -e 語尾を付けたものが与格となっていました.例えば「神は」は God ですが,「神のために」は for Gode といった具合です.しかし,続く中英語の時代にかけて,この与格語尾の -e が弱まって消えていったために,形の上で主格と区別できなくなり for God となりました.したがって,現代英語の for God の God は,解釈の仕方によっては,-e 語尾が隠れているだけで,実は与格なのだと言えないこともないのです.
一方,人称代名詞に関しては,主格と区別された与格の形がよく残りました.古英語で「神」を人称代名詞で受ける場合,「神は」は He で「神のために」は for Him となりましたが,この状況は現代でもまったく変わっていません.人称代名詞は名詞と異なり使用頻度が著しく高く,それゆえに与格を作るのに -e などの語尾をつけるという単純なやり方を採用しなかったため,主格との区別が後々まで保持されやすかったのです.ただし,you と it に関しては,歴史の過程で様々な事情を経て,結局目的格が主格と合一してしまいました.
現代英語では,動詞の目的語にせよ前置詞の目的語にせよ,名詞ならば主格と同じ形を取って済ませるようになっており,それで特に問題はないわけですから,人称代名詞にしても,主格と同じ形を取ったところで問題は起こらなさそうです.しかし,人称代名詞については過去の慣用の惰性により,いまだに with me, for her, against him, between us, among them などと目的格(かつての与格)を用いているのです.要するに,人称代名詞は,名詞が経験してきた「与格の主格との合一」という言語変化のスピードに着いてこられずにいるだけです.しかし,それも時間の問題かもしれません.いつの日か,人称代名詞の与格もついに主格と合一する日がやってくるのではないでしょうか.その時には,星印の取れた with I, for she, against he, between we, among they が聞こえてくるはずです.
古英語の3人称代名詞の屈折表について「#155. 古英語の人称代名詞の屈折」 ([2009-09-29-1]) でみたとおりだが,単数でも複数でも,そして男性・女性・中性をも問わず,いずれの形態も h- で始まる.共時的にみれば,古英語の h- は3人称代名詞マーカーの機能を果たしていたといってよいだろう.ちょうど現代英語で th- が定的・指示的な語類のマーカーであり,wh- が疑問を表わす語類のマーカーであるのと同じような役割だ.
非常に分かりやすい特徴ではあるが,皮肉なことに,この特徴こそが中英語にかけて3人称代名詞の屈折体系の崩壊と再編成をもたらした元凶なのである.古英語では,h- に続く部分の母音等の違いにより性・数・格をある程度区別していたが,やがて屈折語尾の水平化が生じると,性・数・格の区別が薄れてしまった.たとえば古英語の hē (he), hēo (she), hīe (they) が,中英語では(方言にもよるが)いずれも hi などの形態に収斂してしまった.h- そのものは変化しなかったために,かえって混乱を来たすことになったわけだ.かつては「非常に分かりやすい特徴」だった h- が,むしろ逆効果となってしまったことになる.
そこで,この問題を解決すべく再編成のメカニズムが始動した.h- ではない別の子音を語頭にもつ she が女性単数主格に,やはり異なる子音を語頭にもつ they が複数主格に進出し,後期中英語までに古形を置き換えたのである(これらに関する個別の問題については「#713. "though" と "they" の同音異義衝突」 ([2011-04-10-1]),「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1]),「#974. 3人称代名詞の主格形に作用した異化」 ([2011-12-27-1]),「#975. 3人称代名詞の斜格形ではあまり作用しなかった異化」 ([2011-12-28-1]),「#1843. conservative radicalism」 ([2014-05-14-1]),「#2331. 後期中英語における3人称複数代名詞の段階的な th- 化」 ([2015-09-14-1]) を参照).
さて,古英語における h- は共時的には3人称代名詞マーカーだったと述べたが,通時的にみると,どうやら単数系列の h- と複数系列の h- は起源が異なるようだ.つまり,h- は古英語期までに結果的に「非常に分かりやすい特徴」となったにすぎず,それ以前には両系列は縁がなかったのだという.Lass (141) を参照した Marsh (15) は,単数系列の h- は印欧祖語の直示詞 *k- にさかのぼり,複数系列の h- は印欧祖語の指示代名詞 *ei- ? -i- にさかのぼるという.後者は前者に基づく類推 (analogy) により,後から h- を付け足したということらしい.長期的にみれば,この類推作用は古英語にかけてこそ有用なマーカーとして恩恵をもたらしたが,中英語にかけてはむしろ迷惑な副作用を生じさせた,と解釈できるかもしれない.
なお,上で述べてきたことと矛盾するが「#467. 人称代名詞 it の語頭に /h/ があったか否か」 ([2010-08-07-1]) という議論もあるのでそちらも参照.
・ Marsh, Jeannette K. "Periods: Pre-Old English." Chapter 1 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1--18.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
昨日の記事 ([2019-06-15-1]) に引き続き,中英語の them の代わりに用いられる es という人称代名詞形態について.Bennett and Smithers の注を引用して,およそ "SE or EMidl" に使用が偏っていると述べたが,LAEME と eLALME を用いて,初期・後期中英語における状況を確認しておこう.
LAEME では Map No. 00064420 として "THEM dir obj: 's' forms (sometimes cliticised), e.g. as, es, is, ys, hes, his." が挙げられており(下左図),eLALME では Item 8 として "THEM: 'his' type (incl as, es, is and enclitic -(e)s)." が挙げられている(下右図).ここでは縮小して掲げているので,詳しくはクリックして拡大を.
全体として例が多いわけではないが,中英語期を通じて East Midland と Southeastern を中心として,部分的には内陸の West Midland にも散見されるといった分布を示していることが分かる.
オランダ語との関連を議論するためには,当時のオランダ語話者集団のイングランドへの移民状況などの歴史社会言語学的な背景を調べる必要がある.一般的にいえば,「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1]) でみたように,14世紀辺りには毛織物貿易の発展によりフランドルと東イングランドの関係は緊密になったことから,East Midland における es や類似形態の分布に関しては,オランダ語影響説を論じ始めることができるかもしれない.しかし,West Midland の散発的な事例については,別に考えなければならないだろう.
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
Bennett and Smithers 版で14世紀初頭の作品といわれる Havelok を読んでいる.East Midland 方言で書かれており,古ノルド語からの借用語を多く含んでいることが知られているが,East Midland はオランダ語からの影響も取り沙汰される地域である.
Havelok より ll. 45--52 のくだりを引用しよう.
Þanne he com þenne he were bliþe,
For hom he brouthe fele siþe
Wastels, simenels with þe horn,
Hise pokes fulle of mele an korn,
Netes flesh, shepes, and swines,
And hemp to maken of gode lines,
And stronge ropes to hise netes
(In þe se-weres he ofte setes).
最後の行は he often set them in the sea-weir を意味し,setes の -es は前行の hise netes (= "his nets") を指示する接語化された3人称複数対格の代名詞と解釈できる.要するに "them" として用いられる -es というわけだが,この形態について Bennett and Smithers (293) は注で次のように解説している.
setes: i.e. sette es 'placed them'. Es, is (ys in Hav. 1174), hes, his, hise are first recorded in England c. 1200, as the acc.pl. or fem. sg. of the pronoun of the third person, and (apart from 'Robt. of Gloucester's' Chronicle are restricted to SE or EMidl texts. This pronoun is best explained as an adoption of the comparable MDu pronoun se, which is likewise used enclitically in the reduced form -s; for a pronoun (as an essential and prominent element in the grammatical machinery of a language) would hardly have escaped record till 1200 if it had been a native word.
つまり,問題の -es は中期オランダ語の対応する形態を借用したものだということである.この説を評価するに当たっては関連する事項を慎重に調査していく必要があるが,英語史においてオランダ語の影響が過小評価されてきたことを考えると,魅力的な問題ではある.
英語史とオランダ語の関わりについては,「#3435. 英語史において低地諸語からの影響は過小評価されてきた」 ([2018-09-22-1]),「#3436. イングランドと低地帯との接触の歴史」 ([2018-09-23-1]),「#126. 7言語による英語への影響の比較」 ([2009-08-31-1]),「#2645. オランダ語から借用された馴染みのある英単語」 ([2016-07-24-1]),「#2646. オランダ借用語に関する統計」 ([2016-07-25-1]),「#140. オランダ・フラマン語から借用した指小辞 -kin」 ([2009-09-14-1]) を含め dutch の記事を参照
・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
英語の人称代名詞体系においては,単複ともに1, 2人称では性が区別されない (I, you) が,3人称単数では区別される (he, she, it) .状況は古英語でも同じであり,性の形式上の区別は1, 2人称ではつけられないが,3人称ではつけられた.これはなぜだろうか.18世紀半ばの影響力のある文法家 Lowth (29) は次のように説明している.
The Persons speaking and spoken to, being at the same time the Subjects of the discourse, are supposed to be present; from which and other circumstances their Sex is commonly known, and needs not to be marked by distinction of Gender in their Pronouns; but the third Person or thing spoken of being absent and in many respects unknown, it is necessary that it should be marked by distinction of Gender; at least when some particular Person or thing is spoken of, which ought to be more distinctly marked: accordingly the Pronoun Singular of the Third Person hath the Three Genders, He, She, It.
1, 2人称は会話の現場にいるわけだから性別は見ればわかる.しかし,3人称はたいてい現場にいないわけなので,性別に関する情報を形式に載せるのが理に適っている,という理屈だ.3人称複数で性差がつけられない点については直接言及されていないが,3人称単数のほうが "some particular Person or thing" として性の区別をより強く要求すると言うことだろうか.
Lowth の理屈は分からないでもないが,必ずしも説得力があるわけではない.少なくとも日本語やその他の言語の状況をも説明する普遍的な説明とはなっていない.日本語では,ある意味ではむしろ1, 2人称でこそ性の区別がつけられる傾向があるともいえるからだ.
しかし,日本語と異なり,英語には明確に人称 (person) という文法範疇が認められてきた.1人称=オレ,2人称=オマエ,3人称=その他の一切合切,という1つの世界観のことだ(cf. 「#3463. 人称とは何か?」 ([2018-10-20-1]),「#3468. 人称とは何か? (2)」 ([2018-10-25-1]),「#3480. 人称とは何か? (3)」 ([2018-11-06-1])).この世界観のもとでは,ある人称の場合には,例えば性というような第2の文法範疇がより強く意識される・されないといった傾向が出てくるのは自然といえば自然だろう.そこに何か重要な区別が表わされていると感じられるからこそ,人称という文法範疇が存在しているはずだからだ.
ただし,人称にせよ性にせよ,文法範疇というものは人間の分類フェチの一種にすぎないことに注意する必要がある.フェチに,あまり合理的な説明を求めることはできないのではないかと考えている.「文法範疇=フェチ」という持論については,「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1]),「#1868. 英語の様々な「群れ」」 ([2014-06-08-1]),「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1]) などを参照.
・ Lowth, Robert. A Short Introduction to English Grammar. 1762. New ed. 1769. (英語文献翻刻シリーズ第13巻,南雲堂,1968年.9--113頁.)
新年度の「英語史」の講義が始まりました.毎年度,初回の授業では,何でもよいので英語に関する疑問,とりわけ素朴な疑問を出してくださいと呼びかけています.今回も,おかげさまで,たんまりとブログのネタが集まりました.実際には必ずしも「素朴」でもなく高度だったりするのですが,本格的に英語の先生にこんな問いを投げかけてよいのだろうか,と問うことを躊躇していたような問いでも,とにかく出してくださいと呼びかけての募集だったで,なかなかの良問が出そろいました.向こう数週間,本ブログで,そのような学生からの問いを取り上げていきたいと思います.ということで,まずは標題の疑問.
千年ほど前に話されていた古英語 (Old English) では,フランス語やドイツ語をはじめとする現在のヨーロッパ諸言語にみられる文法上の性(文法性 = grammatical gender)が健在でした.すべての名詞が男性,女性,中性のいずれかに割り振られていたのです.おそらく第2外国語として文法性のある言語を学んだことのある学生が,このことを聞いて「英語にも文法性があったのか」と驚き,そこから標題の問いへと思いを巡らせたのかと思います.確かに,現代の英語には,船を始めとする各種の乗り物や国名を指して女性代名詞 she で受ける言語習慣があります.たとえば,次の通りです.
・ Look at my sports car. Isn't she a beauty?
・ What a lovely ship! What is she called?
・ Hundreds of small boats clustered round the yacht as she sailed into Southampton docks.
・ There were over two thousand people aboard the Titanic when she left England.
・ Iraq has made it plain that she will reject the proposal by the United Nations.
・ France increased her exports by 10 per cent.
・ Britain needs new leadership if she is to help shape Europe's future.
・ After India became independent, she chose to be a member of the Commonwealth.
しかし,これは古英語にあった文法性とは無関係です.乗り物や国名を女性代名詞で受ける英語の慣習は中英語期以降に発生した比較的新しい「擬人性」というべきものであり,古英語にあった「文法性」とは直接的な関係はありません.そもそも「船」を表わす古英語 scip (= ship) は女性名詞ではなく中性名詞でしたし,bāt (= boat) にしても男性名詞でした.古英語期の後に続く中英語期の文化的・文学的な伝統に基づく,新たな種類のジェンダー付与といってよいでしょう.詳しくは,以下の記事をご覧ください.
・ 「#852. 船や国名を受ける代名詞 she (1)」 ([2011-08-27-1])
・ 「#853. 船や国名を受ける代名詞 she (2)」 ([2011-08-28-1])
・ 「#854. 船や国名を受ける代名詞 she (3)」 ([2011-08-29-1])
・ 「#1028. なぜ国名が女性とみなされてきたのか」 ([2012-02-19-1])
・ 「#1912. 船や国名を受ける代名詞 she (4)」 ([2014-07-22-1])
・ 「#1517. 擬人性」 ([2013-06-22-1])
そもそも文法性とは何なのだ,と気になる人も多いと思います.言語学的にもいろいろと議論できるのですが,私は人間の「フェチ」の一種であると考えています.「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1]) をご参照ください.
近代英語期にはゆっくりと英語の標準化 (standardisation) が目指されたが,標準化とは Haugen によれば "maximum variation in function" かつ "minimum variation in form" のことである(「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1])).後者は端的にいえば,1つの単語につき1つの形式(発音・綴字)が対応しているべきであり,複数の異形態 (allomorphs) が対応していることは望ましくないという立場である.
標題の機能語のペアは,n をもつ形態が語源的ではあるが,中英語では n を脱落させた異形態も普通に用いられており,特に韻文などでは音韻や韻律の都合で便利に使い分けされる「役に立つ変異」だった.形態的に一本化するよりも,音韻的な都合のために多様な選択肢を残しておくのをよしとする言語設計だったとでも言おうか.
ところが,初期近代英語期に英語の標準化が進んでくると,それ以前とは逆に,音韻的自由を犠牲にして形態的統一を重視する言語設計が頭をもたげてくる.標題の各語は,n の有無の間で自由に揺れることを許されなくなり,いずれかの形態が標準として採用されなければならなくなったのである.n のある形態かない形態か,いずれが選ばれるかは語によって異なっていたが,不定冠詞や1人称所有代名詞のように,用いられる分布が音韻的,文法的に明確に規定されさえすれば両形態が共存することもありえた.このような個々の語の振る舞いの違いこそあれ,基本的な思想としては,自由変異としての異形態の存在を許さず,それぞれの形態に1つの決まった役割を与えるということとなった.
a や my では n のない形態が選ばれ,in や on では n のある形態が選ばれたという違いは,音韻的には説明をつけるのが難しいが,標準化による異形態の整理というより大きな言語設計の観点からは,表面的な違いにすぎないということになるだろう.この鋭い観点を提示した Schlüter (29) より,関連箇所を引用しよう.
Possibly as part of this standardization process, the phonological makeup of many high-frequency words stabilized in one way or the other. While Middle English had been an era characterized by an unprecedented flexibility in terms of the presence or absence of variable segments, Early Modern English had lost these options. A word-final <e> was no longer pronounceable as [ə]; vowel-final and consonant-final forms of the possessives my/mine, thy/thine, and of the negative no/none were increasingly limited to determiner vs. pronoun function, respectively; formerly omissible final consonants of the prepositions of, on, and in became obligatory, and the distribution of final /n/ in verbs was eventually settled (e.g. infinitive see vs. past participle seen). In ME times, this kind of variability had been exploited to optimize syllable contact at word boundaries by avoiding hiatuses and consonant clusters (e.g. my leg but min arm, i þe hous but in an hous, to see me but to seen it). The increasing fixation of word forms in Early Modern English came at the expense of phonotactic adaptability, but reduced the amount of allomorphy; in other words, phonological constraints were increasingly outweighed by morphological ones . . . .
標題の語の n の脱落した異形態については「#831. Why "an apple"?」 ([2011-08-06-1]),「#2723. 前置詞 on における n の脱落」 ([2016-10-10-1]),「#3030. on foot から afoot への文法化と重層化」 ([2017-08-13-1]) などを参照.定冠詞の話題だが,「#907. 母音の前の the の規範的発音」 ([2011-10-21-1]) の問題とも関連しそうな気がする.
・ Schlüter, Julia. "Phonology." Chapter 3 of The History of English. 4th vol. Early Modern English. Ed. Laurel J. Brinton and Alexander Bergs. Berlin: Mouton de Gruyter, 2017. 27--46.
「#3527. 呼称のポライトネスの通時変化,代名詞はネガティヴへ,名詞はポジティヴへ」 ([2018-12-23-1]) でみたように,近代英語の呼称を用いたポライトネス戦略は,なかなか複雑なものだったようだが,椎名 (66--67) は,呼称を通時的に調べてみると貧弱化や単純化の方向が確認されるという.その社会語用論的な背景についてコメントされている箇所があるので,引用しよう.
通時的に見ると,使用される語彙や意味の変化,修飾語 (modification) の減少による address terms の構造の単純化など,幾つかの変化が見られる.原因としては,識字率の向上・郵便制度の整備・プライバシーの尊重・社会的階層構造の流動化があげられている.簡単に言うと,幅広い階級において識字率が向上すると同時に,郵便制度が完備することにより,上流階級に限られていた手紙を書く習慣が庶民にも広がり,多くの人によって頻繁に書かれるようになったことである.もう片方には,人々の階級の流動性が高まり,人々の敬称が複雑化したことがあげられる.そうした社会的・文化的な諸事情により address terms が単純化していったのである.つまり,人々の階級の変動が多い時代には,礼を失することのない安全策として negative politeness の度合いの高い address terms を使うようになっていったということである.
「安全策として」説は,2人称単数代名詞 thou/you の対立が,近代英語期にネガティヴ・ポライトネスを表わす後者の you の方向へ解消されたのがなぜかを説明するのにも,しばしば引き合いに出される (cf. 「#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2)」 ([2012-12-23-1])).当時の社会背景を汲み取った上で再訪してみたい問題である.
・ 椎名 美智 「第3章 歴史語用論における文法化と語用化」『文法化 --- 新たな展開 ---』秋元 実治・保坂 道雄(編) 英潮社,2005年.59--74頁.
明けましておめでとうございます.このブログも足かけ11年目に突入しました.平成も終わりに近づいていますが,来たるべき時代にかけても,どうぞよろしくお願い申し上げます.
新年一発目は,ある意味で難しい話題.最近,<o .. e> ≡ /ʌ/ の問題について「#3513. come と some の綴字の問題」 ([2018-12-09-1]) で触れた.その際に,one, none などにも触れたが,それと関連する once とともに,この3語は実に複雑な歴史をもっている.「#86. one の発音」 ([2009-07-22-1]),「#89. one の発音は訛った発音」 ([2009-07-25-1]) でも,現代に至る経緯は簡単に述べたが,詳しく調べると実に複雑な歴史的経緯があるようだ.母音の通時的変化と共時的変異が解きほぐしがたく絡み合って発達してきたようで,単純に説明することはできない.ということで,中尾 (207) の解説に丸投げしてしまいます.
one/none/once: ModE では [ū?ō?ɔː?ɔ] の交替をしめす.史的発達からいえば PE [oʊ] が期待される.事実 only (<ānlic/alone (<eall ān)/atone にはそれが反映されている.PE の [ʌ] をもつ例えば [wʌn] はすでに16--17世紀にみられるが,これは方言的または卑俗的であり,1700年まで StE には受けられていない.しかしそのころから [oːn] を置換していった.
上述3語の PE [ʌ] の発達はつぎのようであったと思われる.すなわち,OE ɑːn > ME ɔːn,方言的上げ過程 . . . を受け [oːn] へ上げられた.語頭に渡り音 [w] が挿入され (cf. Hart の wonly) . . . woːn > (GVS) uː > (短化 . . .) ʊ > (非円唇化) ʌ へ到達する . . . .
この解釈では,語頭への w 挿入により上げを経てきた歴史にさらに上げが上乗せされ,ついに高母音になってしまったというシナリオが想定されている.いずれにせよ,方言発音の影響という共時的な側面も相俟って,単純には説明できない発音の代表格といっていいのかもしれない.
なお,上では one, none, once の3語のみが注目されていたが,このグループに関連語 nothing (< nā(n) þing) も付け加えておきたい.
・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.
椎名 (65--72) は,1640--1760年までの gentry comedy を含むコーパスで,呼称 (address_term) の表現を調査した.
呼称は,大きく negative politeness を指向する "deferential type" と positive politeness を指向する "familiar type" に区分される.これは,2人称代名詞でいえば you と thou の区別に相当し,名詞(句)でいえば,たとえば Lord と dear の区別に相当する (cf. 「#2131. 呼称語のポライトネス座標軸」 ([2015-02-26-1])) .歴史的な事実としておもしろいのは,代名詞と名詞(句)の呼称の変化に関して,調査された初期近代英語期から,その後の後期近代英語期および現代英語期にかけて,傾向が異なっていることだ.代名詞では,よく知られているように negative politeness が重視されたかのように thou ではなく you が一般化した.ところが,名詞(句)では,むしろ dear や名前 (first name) での呼びかけのように positive politeness が重視されて,現在に至っている.椎名 (69) の指摘するとおり,「nominal address terms の変化の方向が pronominal address terms の変化の方向と逆だということ」である.
2人称代名詞に関して,なぜ thou ではなく you の方向で一般化したのかについては,「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1]),「#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2)」 ([2012-12-23-1]) で話題にしてきたが,ここに新たな論点が加わったように思われる.つまり,なぜ名詞(句)の呼びかけ表現では,むしろ親密 (familiarity) や団結 (solidarity) を示す方向が選択されたのか.これは偶然だろうか.あるいは総合的なバランスということだろうか.
・ 椎名 美智 「第3章 歴史語用論における文法化と語用化」『文法化 --- 新たな展開 ---』秋元 実治・保坂 道雄(編) 英潮社,2005年.59--74頁.
人称代名詞について,文法的に目的格が求められるところで主格の形態が用いられたり,その逆が起こったりするケースを pronoun exchange と呼ぶ.最も有名なのは「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) でトップに輝いた between you and I である.前置詞に支配される位置なので1人称代名詞には目的格の me が適格だが,前置詞から少々離れているということもあり,ついつい I といってしまう類いの「誤用」である.
しかし,誤用とはいっても,それは規範文法が確立した後期近代英語以後の言語観に基づく発想である.それ以前の時代には「正誤」の問題ではなく,いずれの表現も許容されていたという意味において「代替表現」にすぎなかった.実際,よく知られているように Shakespeare も Sweet Bassanio, ... all debts are cleared between you and I if I might but see you at my death. (The Merchant of Venice iii.ii) のように用いているのである.同様に,Yes, you have seen Cassio and she together. (Othello iv. ii) などの例もある.
古い英語のみならず,現代の非標準諸方言でも,pronoun exchange はありふれた現象である.Gramley (196) を引用する.
Pronoun exchange, in which case is reversed, is widespread (SW, Wales, East Anglia, the North). This refers to the use of the subject pronoun for the object: They always called I "Willie," see; you couldn't put she [a horse] in a putt.. The converse is also possible. Compare 'er's shakin' up seventy; . . . what did 'em call it?; Us don't think naught about things like that. Subject forms are much more common as objects than the other way around (55% to 20%) . . . . In the North second person thou/thee often shows up as leveled tha in traditional dialects . . ., but not north of the Tyne or in Northumberland . . . . Today pronoun exchange is generally receding.
引用で触れられている thou/thee については,拙論の連載 第10回 なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?の方言地図も参照されたい.同様に,she と er (< her) の pronoun exchange の例については,「#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布」 ([2011-06-29-1]) の方言地図を参照.
考えてみれば,そもそも現代標準英語でも,2人称(複数)代名詞の主格の you は歴史的には pronoun exchange の例だったのである.you はもとは目的格の形態にすぎず,主格の形態は ye だったが,前者 you が主格のスロットにも侵入してきたために,後者 ye が追い出されてしまったという歴史だ.これについては「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1])「#800. you による ye の置換と phonaesthesia」 ([2011-07-06-1]),「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1]) を参照.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
1549年,Thomas Crammer の編纂した The Book of Common Prayer (祈祷書)が世に出た.1552年には,その改訂版が出されている.この祈祷書の引用元となっているのは1539年の the Great Bible である.一方,およそ1世紀後,王政復古期の1662年に,別版の祈祷書が出版された.現在も一般に用いられているこちらの新版は,1611年の the King James Bible に基づいており,言語的にはむしろ保守的である.つまり,1552年版と1662年版の祈祷書を比べてみると,後者のほうが年代としては100年余り遅いにもかかわらず,言語的には前者よりも古い特徴を示すことがあるということだ.ただし,全部が全部そうなのではなく,後者が予想通り,より新しい特徴を示している例もあり複雑だ.
Gramley (144) は,Nevalainen (1998) の研究を参照しながら,5点の文法項目を比較している.
feature | 1552 | 1662 |
---|---|---|
3rd person singular ending | mixed {-th} and {-s} | reversion to {-th} |
2nd person singular personal | thou/thee but some ye/you | largely a return to thou/thee |
nominative ye/you | both ye and you | largely a return to ye |
nominative which/who | 56 who vs. 129 which | 172 who vs. 13 which |
present tense plural be/are | 52 are vs. 105 be | 125 are vs. 32 be |
「#3480. 膠着と滲出」 ([2018-11-14-1]) で,burger の「滲出」の例をみた.「滲出」を形態論上の問題として論じた Jespersen (384) は,次のように定義している.
By secretion I understand the phenomenon that one integral portion of a word comes to acquire a grammatical signification which it had not at first, and is then felt as something added to the word itself. Secretion thus is a consequence of a 'metanalysis' . . .; it shows its full force when the element thus secreted comes to be added to other words not originally possessing this element.
Jespersen は「滲出」の例として文法的なケースを念頭においていたようで,理解するのは意外と難しい.「滲出」の "a clear instance" として,所有代名詞 mine から n が滲出したケースを挙げているので,それを以下に解説する.
古英語では min, þin の n は語の一部であり,それ自体は特に有意味な単位ではなかった.しかし,中英語になると,後続音との関係で n の脱落する例が現われてきた.つまり,子音の前位置では n が保たれたものの,母音の前位置で n が消失する事例が増えてきた.一方,単独で「?のもの」を意味する所有代名詞として用いられる場合には,語源的な n は消えずに mine, thine などとして存続した.この段階になって,純粋に音韻的だった対立が機能的な対立へと転化され,現代的な my と mine, thy と thine の使い分けが発達することになった(関連して,不定冠詞 a と an の分化を扱った「#831. Why "an apple"?」 ([2011-08-06-1]) も参照).
さて,my, thy は上記の通り,歴史的には mine, thine の語の一部である n が脱落した結果の形ではあるが,my, thy がデフォルトの所有格と理解されるに及び,むしろそれに n を付加したものが mine, thine であるととらえられるようになった.つまり,n がどこからともなく,ある種の機能を帯びた音韻・形態として切り取られることになったのである.いったんこのような「有意味な」 n が切り取られて独立すると,これが他の数・人称・性の代名詞の所有格にも付加され,新たな所有代名詞 hisn, hern, ourn, yourn, theirn (ただし現代では非標準的)が生み出されることになった.これらは,明らかに n が「滲出」した証拠と理解することができる.
これらの -n を語尾にもつ所有代名詞については,「#2734. 所有代名詞 hers, his, ours, yours, theirs の -s」 ([2016-10-21-1]),「#2737. 現代イギリス英語における所有代名詞 hern の方言分布」 ([2016-10-24-1]) を参照.
・ Jespersen, Otto. Language: Its Nature, Development, and Origin. 1922. London: Routledge, 2007.
標題は,[2018-10-20-1], [2018-10-25-1]の記事の続編.『新英語学辞典』と The Oxford Companion to the English Language より, (人称)という用語を引くと,興味深い情報が得られた.英語の人称代名詞の用法の詳細についての話題が主となるが「人称」というフェチ的世界観の奥深さが垣間見える.いくつかを挙げよう.
・ Well, and how are we today? などにおける「親身の we」 (paternal we) は,1人称(複数)というよりも「総称人称」 (generic person) あるいは「共通人称」というべき.as we know なども同様.
・ 人称の指示対象と人称の文法上の振る舞いは異なる:たとえば the (present) writer, the author, the speaker などは,指示対象は1人称だが,文法上は3人称である.同様に your Majesty, your Excellency なども指示対象は2人称だが,文法上は3人称である.Does His Majesty wish to leave? や Does Madam wish to look at some other hats? などを参照.関連して「#440. 現代に残る敬称の you」 ([2010-07-11-1]) も.
・ 逆に,Mother, where are you? のような呼びかけでは,3人称的な名詞を用いながらも,2人称的色彩が濃厚.
・ 各種の Pidgin English では "inclusive" な1人称複数 yumi (< "you-me") と,"exclusive" な1人称複数 mipela (< "me-fellow") が区別される (cf. 「#1313. どのくらい古い時代まで言語を遡ることができるか」 ([2012-11-30-1])) .
・ royal we という,きわめてイギリスらしい慣習.Victoria 女王による We are not amused. (← 一生に1度でも言ってみたい)を参照.
・ 日本語「こそあ(ど)」は各々1,2,3人称に対応すると考えられる.(← なるほど)
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
人称 (person) について,先日「#3463. 人称とは何か?」 ([2018-10-20-1]) で私見を述べた.より客観的に言語における人称を考えていくに当たって,まずは言語学用語辞典で person を引いてみよう.以下,Crystal (358--59) の記述より.
person (n.) (per, PER) A category used in grammatical description to indicate the number and nature of the participants in a situation. The contrasts are deictic, i.e. refer directly to features of the situation of utterance. Distinctions of person are usually marked in the verb and/or in the associated pronouns (personal pronouns). Usually a three-way contrast is found: first person, in which speakers refer to themselves, or to a group usually including themselves (e.g. I, we); second person, in which speakers typically refer to the person they are addressing (e.g. you); and third person, in which other people, animals, things, etc are referred to (e.g. he, she, it, they). Other formal distinctions may be made in languages, such as 'inclusive' v. 'exclusive' we (e.g. speaker, hearer and others v. speaker and others, but no hearer); formal (or 'honorific') v. informal (or 'intimate'), e.g. French vous v. tu; male v. female; definite v. indefinite (cf. one in English); and so on. There are also several stylistically restricted uses, as in the 'royal' and authorial uses of we. Other word-classes than personal pronouns may show person distinction, as with the reflexive and possessive pronouns in English (myself, etc., my, etc.). Verb constructions which lack person contrast, usually appearing in the third person, are called impersonal. An obviative contrast may also be recognized.
なるほど,一口に人称といっても考慮すべき点はいろいろあるようだ.意味論・語用論的な観点からの人称の捉え方もあれば,文体的な問題としての人称もある.
最後に触れられている obviative という3人称と区別される弁別的な人称の発想はおもしろい.いわば「4人称」である.Crystal (338) の同じ用語辞典より,説明を聞いてみよう.
obviative (adj./n.) A term used in linguistics to refer to a fourth-person form used in some languages (e.g. some North American Indian languages). The obviative form ('the obviative') of a pronoun, verb, etc. usually contrasts with the third person, in that it is used to refer to an entity distinct from that already referred to by the third-person form --- the general sense of 'someone/something else'.
「オレ」「オマエ」「それ以外」という3区分に従えば obviative も3人称であるには違いなく,「4人称」とは不適切な呼称かもしれない.しかし,「4人称」という発想は,人称というフェチな世界観が(いくつかの言語においては)すでに言及されているか否かという談話の観点までも考慮しつつ,どこまでもフェチになりうる文法範疇であることを教えてくれる.
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
人称代名詞に数詞が後続する we two 「私たち2人」,you three「あなたがた3人」などの名詞句があるが,この名詞句を所有格とする場合にはどうなるのだろうか.Jespersen (§17.15) を参照してみよう.
まず,近代英語では,人称代名詞だけが所有格に屈折し,数詞は無屈折のままという事例がある.例えば,Shakespeare では your three motiues, your two helpes, their two estates, our two histories などがみられる.これらの場合には,数詞は意味的に後ろの名詞にかかっているとも解釈できるだろう.
次に,数詞が所有格マーカーを伴って現われる事例もある.例えば,初期近代の Bullokar などに,our twooz chanc' という表現がみえる.
そして,もちろん迂言法を利用して of us two, of you three とする方法は常に残されている.
数詞ではなく,all, both などを用いた we all や you both のような表現の場合にも,歴史的には上記の3種が可能だった.しかし,これらの語は,人称代名詞の後ではなく前に置いて all our . . . や both your . . . などと用いられるのが,数詞の場合とは異なる点である.また,all については,古英語の後でも比較的遅くまで aller や alder などの属格形が残存していたため,後期中英語の Chaucer でも hir aller cappe, our alder dede などの表現が可能だったことも付記しておこう.
現代英語では,迂言的に逃げる,あるいはその他の表現を工夫して回避するなどの方策が最もスマートだろうか.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part VI. Copenhagen: Ejnar Munksgaard, 1942.
singular they の話題について,以下の記事で扱ってきた.
・ 「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」 ([2010-01-27-1])
・ 「#1054. singular they」 ([2012-03-16-1])
・ 「#1887. 言語における性を考える際の4つの視点」 ([2014-06-27-1])
・ 「#1920. singular they を取り締まる規範文法 (1)」 ([2014-07-30-1])
・ 「#1921. singular they を取り締まる規範文法 (2)」 ([2014-07-31-1])
・ 「#1922. singular they を取り締まる規範文法 (3)」 ([2014-08-01-1])
・ 「#2455. 2015年の英語流行語大賞」 ([2016-01-16-1])
先日,Merriam-Webster の辞書サイトのコラムで,Singular 'They' に関する記事を見つけた.1881年に Emily Dickinson が singular they の用例を提供してくれていること,男女という性別の二分法そのものに疑問を呈するシンボルとしての用法が現われてきていることなど興味深い内容を含んだ記事だが,読みながらとりわけなるほどと膝を打ったのが,次のくだりである.
. . . the development of singular they mirrors the development of the singular you from the plural you, yet we don't complain that singular you is ungrammatical . . . .
互いに近すぎるために,これまで気づかなかった.人称代名詞の複数系列では,2人称と3人称においてともに,形態上の数の区別が中和され(得)るということだ.英語史上,人称代名詞体系はちょこちょこ変化してきたが,その伝統は21世紀へも着実に受け継がれており,今も変化と変異を生み出し続けている.
単複兼用の2人称代名詞 you については,「#3099. 連載第10回「なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?」」 ([2017-10-21-1]) 及びそこに張ったリンク先を参照されたい.
昨日10月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第10回の記事「なぜ you は「あなた」でもあり「あなたがた」でもあるのか?」が公開されました.
本文でも述べているように,この素朴な疑問にも「驚くべき歴史的背景が隠されて」おり,解説を通じて「英語史のダイナミズム」を感じられると思います.2人称代名詞を巡る諸問題については,これまでも本ブログで書きためてきました.以下に関連記事へのリンクを張りますので,どうぞご覧ください.
[ 各時代,各変種の人称代名詞体系 ]
・ 「#180. 古英語の人称代名詞の非対称性」 ([2009-10-24-1])
・ 「#181. Chaucer の人称代名詞体系」 ([2009-10-25-1])
・ 「#196. 現代英語の人称代名詞体系」 ([2009-11-09-1])
・ 「#529. 現代非標準変種の2人称複数代名詞」 ([2010-10-08-1])
・ 「#333. イングランド北部に生き残る thou」 ([2010-03-26-1])
[ 文法範疇とフェチ ]
・ 「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1])
・ 「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1])
[ 親称と敬称の対立 (t/v_distinction) ]
・ 「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1])
・ 「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1])
・ 「#1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction」 ([2012-02-24-1])
・ 「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」 ([2012-03-21-1])
・ 「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1])
・ 「#1552. T/V distinction と face」 ([2013-07-27-1])
・ 「#2107. ドイツ語の T/V distinction の略史」 ([2015-02-02-1])
[ thou, ye, you の競合 ]
・ 「#673. Burnley's you and thou」 ([2011-03-01-1])
・ 「#1127. なぜ thou ではなく you が一般化したか?」 ([2012-05-28-1])
・ 「#1336. なぜ thou ではなく you が一般化したか? (2)」 ([2012-12-23-1])
・ 「#1865. 神に対して thou を用いるのはなぜか」 ([2014-06-05-1])
・ 「#291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響」 ([2010-02-12-1])
・ 「#2320. 17世紀中の thou の衰退」 ([2015-09-03-1])
・ 「#800. you による ye の置換と phonaesthesia」 ([2011-07-06-1])
・ 「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1])
[ 敬称の you の名残り ]
・ 「#440. 現代に残る敬称の you」 ([2010-07-11-1])
・ 「#1952. 「陛下」と Your Majesty にみられる敬意」 ([2014-08-31-1])
・ 「#3095. Your Grace, Your Highness, Your Majesty」 ([2017-10-17-1])
[ you の発音と綴字 ]
・ 「#2077. you の発音の歴史」 ([2015-01-03-1])
・ 「#2234. <you> の綴字」 ([2015-06-09-1])
イギリス君主を呼称・指示するのに,Majesty という称号が用いられる.通常,所有格を伴い,Your Majesty, Her Majesty, His Majesty, Their Majesties, the Queen's Majesty, the King's Majesty などと使われる.Your Majesty は2人称代名詞で受けられるが,動詞に対しては3人称単数で一致するという特殊な用法を示す.
英語における Your Majesty などの「所有格 + Majesty」という敬称の型は,ラテン語の対応表現にならって中英語期から用いられていたが,平行して Your Grace や Your Highness なども同義で用いられていた.石井 (87) によれば,Your Majesty の使用が確立したのは,チューダー朝の開祖 Henry VII の治世下 (1485--1509) においてだったという.
チューダー王朝の開祖ヘンリー七世は,王家のしきたりをいくつか変えたり新設したりしたが,そのなかに王の尊称がある.それまでは,国王の尊称は Your Grace だったが,それを Your Majesty に改め,王権をいちだんと高める措置をとった.以来,君主には Your Majesty と呼びかけるのがルールになっている.
しかし,実際にはチューダー朝の後続の君主たちも,一貫して Your Majesty と呼ばれていたわけではなく,従来からの Your Grace, Your Highness も用いられていた.さらにスチュアート朝でも,開祖 James I に対して Your Majesty と並んで Your Highness も無差別に用いられていた.OED の majesty, n. の語義2の説明によれば,Your Majesty の定着は17世紀のことだったという.James I の治世の後半には確立したようだ.
It was not until the 17th cent. that Your Majesty entirely superseded the other customary forms of address to the sovereign in English. Henry VIII and Queen Elizabeth I were often addressed as 'Your Grace' and 'Your Highness', and the latter alternates with 'Your Majesty' in the dedication of the Bible of 1611 to James I.
チューダー朝からスチュアート朝にかけて,互いに重複しながらも,およそ Your Grace → Your Highness → Your Majesty と移り変わってきたことになる.おりしも絶対王政が敷かれ,君主の権威がいよいよ高まってきた時代である.音節が1つずつ増え,より重く厳かになってきているようで興味深い.
・ 石井 美樹子 『図説 イギリスの王室』 河出書房,2007年.
初期中英語のテキスト The Owl and the Nightingale を Cartlidge 版で読んでいる.868行にこのテキストからの唯一例として,1人称代名詞主格として ih の綴字が現われる.梟が歌のさえずり方について議論しているシーンで,Ne singe ih hom no foliot! として用いられている.この綴字はC写本のものであり,対するJ写本ではこの箇所に一般的な綴字 ich が用いられている.
この事実から,初期中英語における1人称代名詞主格の異形態の分布に関心をもった.そこで,LAEME で分布をさっと調べてみることにした.特に気になっているのは語末の子音の有無,およびその子音の種類である.母音を無視して典型的な綴字タイプを取り出してみると,ich, ik, ih, i 辺りが挙がる.細かく見ればほかにもありうるが,当面,この4系列の綴字について出現分布を大雑把にみておきたい.
LAEME のプログラムはよくできているので,私の行なったことといえば,該当する形態に関して地図を表示させることのみだ.以下に4枚の方言分布図をつなぎ合わせたものを掲載する.キャンプションが小さくて読みにくいが,位置関係は次の表に示した通り(画像をクリックすれば拡大版が現われる).
以下の合成地図での位置 | Map No. | 説明 |
---|---|---|
左上 | 00001302 | I: '(h)ich' and 'ych' incl iich and ichs |
右上 | 00001305 | I: 'ik', all k forms, incl icke. |
左下 | 00001312 | I: Ih, ih and yh |
右下 | 00001308 | I: I. |
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow