「#1198. ic → I」 ([2012-08-07-1]) の記事で,古英語から中英語にかけて用いられた1人称単数代名詞の主格 ich が,語末の子音を消失させて近代英語の I へと発展した経緯について論じた.そこでは,純粋な音韻変化というよりは,機能語に見られる強形と弱形の競合が関わっているのではないかと提案した.
しかし,音韻的な要因が皆無というわけではなさそうだ.Schlüter によれば,後続する語頭の音に種類によって,従来の長形 ich か刷新的な短形 i かのいずれかが選ばれやすいという事実が,確かにある.
Schlüter は,Helsinki Corpus を用いて中英語期内で時代ごとに,そして後続音の種類別に,ich, everich, -lich それぞれの変異形の分布を調査した.以下に,Schlüter (224, 227, 226) に掲載されている,各々の分布表を示そう.
I | 1150--1250 (ME I) | 1250--1350 (ME II) | 1350--1420 (ME III) | 1420--1500 (ME IV) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
tokens | % | tokens | % | tokens | % | tokens | % | ||
before V | ich | 169 | 100 | 121 | 95 | 4 | 3 | 0 | 0 |
I | 0 | 0 | 6 | 5 | 135 | 97 | 253 | 100 | |
before <h> | ich | 171 | 100 | 105 | 97 | 3 | 2 | 0 | 0 |
I | 0 | 0 | 3 | 3 | 156 | 98 | 316 | 100 | |
before C | ich | 513 | 94 | 363 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 |
I | 33 | 6 | 494 | 58 | 1106 | 100 | 2043 | 100 | |
EVERY | 1150--1250 (ME I) | 1250--1350 (ME II) | 1350--1420 (ME III) | 1420--1500 (ME IV) | |||||
tokens | % | tokens | % | tokens | % | tokens | % | ||
before V | everich | - | 6 | 86 | 7 | 64 | 9 | 39 | |
everiche | - | 1 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
every | - | 0 | 0 | 4 | 36 | 14 | 61 | ||
before <h> | everich | - | 0 | 0 | 1 | 20 | - | ||
everiche | - | 1 | 100 | 1 | 20 | - | |||
every | - | 0 | 0 | 3 | 60 | - | |||
before C | everich | - | 6 | 29 | 2 | 2 | 0 | 0 | |
everiche | - | 10 | 48 | 2 | 2 | 0 | 0 | ||
every | - | 5 | 24 | 105 | 96 | 138 | 100 | ||
-LY | 1150--1250 (ME I) | 1250--1350 (ME II) | 1350--1420 (ME III) | 1420--1500 (ME IV) | |||||
tokens | % | tokens | % | tokens | % | tokens | % | ||
before V | -lich | 23 | 12 | 8 | 12 | 12 | 4 | 1 | 0 |
-liche | 162 | 87 | 51 | 77 | 23 | 8 | 21 | 5 | |
-ly | 1 | 1 | 7 | 11 | 251 | 88 | 421 | 95 | |
before <h> | -lich | 13 | 18 | 7 | 21 | 1 | 2 | 0 | 0 |
-liche | 59 | 82 | 24 | 73 | 8 | 14 | 0 | 0 | |
-ly | 0 | 0 | 2 | 6 | 49 | 84 | 76 | 100 | |
before C | -lich | 70 | 13 | 18 | 15 | 18 | 2 | 2 | 0 |
-liche | 468 | 85 | 93 | 77 | 39 | 5 | 23 | 2 | |
-ly | 11 | 2 | 10 | 8 | 788 | 93 | 947 | 97 |
. . . the affricate [ʧ] in final position has turned out to constitute another weak segment whose disappearance is codetermined by syllable structure constraints militating against the adjacency of two Cs or Vs across word boundaries. . . . [T]he three studies have shown that the demise of final [ʧ] proceeds at different speeds depending on the item concerned: it is given up fastest in the personal pronoun, not much later in the quantifier, and most hesitantly in the suffix. In other words, the phonetic erosion is overshadowed by lexical distinctions. Relics of the obsolescent long variants are typically found in high-frequency collocations like ich am or everichone, where the affricate is protected from erosion by the ideal phonotactic constellation it ensures.
関連して,「#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か?」 ([2009-06-07-1]) 及び「#832. every と each」 ([2011-08-07-1]) も参照.
・ Schlüter, Julia. "Weak Segments and Syllable Structure in ME." Phonological Weakness in English: From Old to Present-Day English. Ed. Donka Minkova. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2009. 199--236.
先日の記事「#1750. bonfire」 ([2014-02-10-1]) で触れたが,イギリスでは11月5日は Bonfire Night あるいは Guy Fawkes Night と呼ばれ,花火や爆竹を打ち鳴らすお祭りが催される.
James I の統治下の1605年同日,プロテスタントによる迫害に不満を抱くカトリックの分子が,議会の爆破と James I 暗殺をもくろんだ.世に言う火薬陰謀事件 (Gunpowder Plot) である.主導者 Robert Catesby が募った工作員 (gunpowder plotters) のなかで,議会爆破の実行係として選ばれたのが,有能な闘志 Guy Fawkes だった.11月4日の夜から5日の未明にかけて,Guy Fawkes は1トンほどの爆薬とともに議会の地下室に潜み,実行のときを待っていた.しかし,その陰謀は未然に発覚するに至った.5日には,James I が,ある種の神託を受けたかのように,未遂事件の後始末としてロンドン市民に焚き火を燃やすよう,お触れを出した.なお,gunpowder plotters はすぐに捕えられ,翌年の1月末までに Guy Fawkes を含め,みな処刑されることとなった.
事件以降,この日に焚き火の祭りを催す風習が定着していった.17世紀半ばには,花火を打ち上げたり,Guy Fawkes をかたどった人形を燃やす風習も確認される.本来の趣旨としては,あのテロ未遂の日を忘れるなということなのだが,趣旨が歴史のなかでおぼろげとなり,現在の風習に至った.Oxford Dictionary of National Biography の "Gunpowder plotters" の項によれば,次のように評されている. * * * *
. . . the memory of the Gunpowder Plot, or rather the frustration of the plot, has offered a half-understood excuse for grand, organized spectacle on autumnal nights. Even today, though, the underlying message of deliverance and the excitement of fireworks and bonfires sit alongside the tantalizing what-ifs, and a sneaking respect for Guy Fawkes and his now largely forgotten coconspirators.
さて,Guy という人名はフランス語由来 (cf. Guy de Maupassant) だが,イタリア語 Guido などとも同根で,究極的にはゲルマン系のようだ.語源的には guide や guy (ロープ)とも関連する.この固有名詞は,19世紀に,「Guy Fawkes をかたどった人形」の意で用いられるようになり,さらにこの人形は奇妙な衣装を着せられることが多かったために,「奇妙な衣装をまとった人」ほどの意が発展した.さらに,より一般化して「人,やつ」ほどの意味が生じ,19世紀末にはとりわけアメリカで広く使われるようになった.固有名詞から普通名詞へと意味・用法が一般化した例の1つである.この意味変化を Barnhart の語源辞書の記述により,再度,追っておこう.
guy2 n. Informal. man, fellow. 1847, from earlier guy a grotesquely or poorly dressed person (1836); originally, a grotesquely dressed effigy of Guy Fawkes (1806; Fawkes, 1570--1606, was leader of the Gunpowder Plot to blow up the British king and Parliament in 1605). The meaning of man or fellow originated in Great Britain but became popular in the United States in the late 1800's; it was first recorded in American English in George Ade's Artie (1896).
口語的な "fellow" ほどの意味で用いられる guy は,20世紀には you guys の形で広く用いられるようになってきた.you guys という表現は,「#529. 現代非標準変種の2人称複数代名詞」 ([2010-10-08-1]) やその他の記事 (you guys) で取り上げてきたように,すでに口語的な2人称複数代名詞と呼んで差し支えないほどに一般化している.ここでの guy は,人称代名詞の形態の一部として機能しているにすぎない.
あの歴史的事件から400年余が経った.Guy Fawkes の名前は,意味変化の気まぐれにより,現代英語の根幹にその痕跡を残している.
・ Barnhart, Robert K. and Sol Steimetz, eds. The Barnhart Dictionary of Etymology. Bronxville, NY: The H. W. Wilson, 1988.
「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]) で,T/V distinction の起源に関する Brown and Gilman の古典的な学説を紹介した.Brown and Gilman 以来,ヨーロッパの主要言語以外でも2人称単数に対する呼称の T/V distinction が広く観察されることが知られるようになり,理論においても politeness や face という概念が育ってきたことで,新しい観点からこの問題に迫ることができるようになってきている.
先の記事[2012-05-27-1]でも既に示唆したが,敬称 (V) のもつ本来的な複数性が丁寧と結びつけられるのは,複数性が相手に権力を認めることになるからだとされる.一方で,同じ複数性は,実際には1人である相手への指示の度合いをぼかしたり弱めたりするということにもなる.矛盾する2つの力が働いているのだとすれば,互いに打ち消し合って敬称を用いる効果が減じてしまうように思われるが,これはどう説明されるのか.
一見矛盾する2つの力は,ポライトネス理論の face という観点から無理なく融合させることができる.複数性のもつ,相手に権威を付すという機能は相手の positive face を守る役割としてとらえることができ,指示対象をぼかし,「敬して遠ざく」ことにより敬意と遠慮と示すという複数性の機能は相手の negative face を守る役割としてとらえることができる.両者は方向こそ異なっているが,ともに相手の顔を立てようとしている点で一致している.これを,Hudson (124) は次のように要約している.
Their [Penelope Brown and Stephen Levinson's] explanation is based on the theory of face . . . . By using a plural pronoun for 'you', the speaker protects the other person's power-face in two ways. First, the plural pronoun picks out the other person less directly than the singular form does, because of its ambiguity. The intended reference could, in principle, be some group of people rather than the individual actually targeted. This kind of indirectness is a common strategy for giving the other person an 'out', an alternative interpretation which protects them against any threats to their face which may be in the message. The second effect of using a plural pronoun is to pretend that the person addressed is the representative of a larger group ('you and your group'), which obviously puts them in a position of greater power.
複数性を利用した意味のぼかしが権威付与と敬意に通じるという洞察は,広い言語現象に応用できるように思われる.日本語に多いぼかし表現の例である「?など」や「?みたいな」は,「?」だけではないことを柔らかく示しながらも,「?」に代表としての特別な地位を与えているともいえるのである.
・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
近現代英語では無生物の指示対象は中性として扱われるが,ときに擬人化 (personification) され,男性あるいは女性として扱われる場合がある.これを擬人性 (gender of animation) という.近現代英語の擬人性と初期中英語以前に機能していた文法性 (grammatical gender) とは,関与の認められるものもないではないが,両者は本質的に区別すべきものである.擬人性において付与されるのが男性か女性かを決定する要因には,以下の3点が認められる(『新英語学辞典』 pp. 469--70).
(1) 神話・伝説・古典などの影響.moon は Phoebe, Luna, Diana との同一視から女性とされる.同様に love は Eros, Cupid より,war は Mars より男性とされる.なお,古英語 mōna は男性名詞,lufu は女性名詞だったので,語源的な関与は否定される.
(2) 語源・語史的影響.Rome はラテン語の女性名詞 Roma より,virtue は古仏語の女性名詞 vertu より,darkness は古英語の女性名詞語尾 -nes より,それぞれ擬人性が与えられているとされる.しかし,このように語源・語史的影響を想定する場合でも,歴史的に連続性があるのか,あるいは語源への参照の結果なのか,あるいは両者を区別することはできないのかという問題は,個々の例について考慮する必要があるだろう.特に国名については,「#1028. なぜ国名が女性とみなされてきたのか」 ([2012-02-19-1]) を参照.
(3) 心理的影響.対象に対する主観的感情に基づき,雄大・強烈なものを男性,優美・可憐なもの,多産なものを女性とするなどの例がある.男性として wind, ocean, summer, anger, death などが,女性として nature, spring, art, night, wisdom などがある.また,乗物や所持品など,運転者や所有者が愛着を表わすものに対して付与する性を心理的性 (psychological gender) と呼び,典型的に口語において男性の所有者が対象物を she と言及する例が多いが,所有者が女性の場合には he と言及することもありうる.関連して,「#852. 船や国名を受ける代名詞 she (1)」 ([2011-08-27-1]) 及び「#853. 船や国名を受ける代名詞 she (2)」 ([2011-08-28-1]) を参照.
心理的影響による擬人性は主観的で任意であるため,ある意味で応用範囲は広い.ハリケーンや人工頭脳機器を女性に見立てる英語の傾向については,「#890. 人工頭脳系 acronym は女性名が多い?」 ([2011-10-04-1]) を参照.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
古英語の人称代名詞体系において,中性単数属格形は男性単数属格形と同じ his であり,これが中英語でも継承されたが,16世紀末にits が現われ,17世紀中に his を置換していった.この歴史について,「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1]) で概説した.
Baugh and Cable (243--44) によれば,後期中英語から初期近代英語にかけて,中性単数属格形の his の代用品として,its 以外にも様々なものが提案されてきた.聖書にみられる two cubits and a half was the length of it や nine cubits was the length thereof のような迂言的表現 (「#1276. hereby, hereof, thereto, therewith, etc.」の記事[2012-10-24-1]を参照),Shakespeare にみられる It lifted up it head (Hamlet) や The hedge-sparrow fed the cuckoo so long, / That it had it head bit off by it young (Lear) のような主格と同じ it をそのまま用いる方法,Holland の Pliny (1601) にみられる growing of the own accord のような定冠詞 the で代用する方法などである.
しかし,名詞の属格として定着していた 's の強力な吸引力は,人称代名詞ですら避けがたかったのだろう.おそらく口語から始まった its あるいは it's (apostrophe s のついたものは1800年頃まで行なわれる)の使用は,16世紀末に初例が現われてから数十年間は,正用とはみなされていなかったようだが,17世紀の終わりにかけて急速に受け入れられていった.例えば,17世紀前半では,欽定訳聖書 (The King James Bible) での使用は皆無であり,Shakespeare の First Folio (1623) では10例を数えるにすぎなかったし,John Milton (1608--74) でもいささか躊躇があったようだ.しかし,John Dryden (1631--1700) ではすでに his が古風と感じられていた.
Görlach (86) も,17世紀に入ってからの its の急速な受容について,次のように述べている.
The possessive its . . . is the only EModE innovation; his, common for neuter reference until after 1600 . . ., did not reflect the distinction 'human':'nonhuman' found elsewhere in the pronominal system. This is likely to be the reason for the possessive form it . . ., which is found from the fourteenth century, and the less equivocal forms of it or thereof, which are common in the sixteenth and seventeenth centuries . . . . But its . . . obviously fitted the system ideally, as can be deduced from its rapid spread in the first half of the seventeenth century.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
・ Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.
現代英語において,再帰代名詞 (reflexive pronoun) という用語から想起されるのは,通常,kill oneself や turn oneself のような動詞句だろう.動詞の目的語の指示対象が主語のものと同じである場合に用いられる,特殊な人称代名詞の形態である.強意用法や by oneself などの成句を別とすれば,これが再帰代名詞のほぼ唯一の用法であると考えられている.しかし,behave oneself, pride oneself on, oversleep oneself のような例も同じように考えてよいだろうか.つまり,behave, pride, oversleep は他動詞であり,その目的語が主語と同じものを指示するがゆえに再帰代名詞が用いられているのだと考えてよいのだろうか.kill oneself とは性質が異なっているように感じられないだろうか.
実は,歴史的には,behave, pride, oversleep に後続する再帰代名詞は,対格(動詞の直接目的語)ではなく与格だった.つまり,"for oneself" や "to oneself" ほどの意味を表わし,動詞とはあくまで間接的に結びついていたにすぎない.言い換えれば,これらの動詞はあくまで自動詞として用いられていたということだ.中英語やその後の近代英語に至るまで,再帰代名詞は形態として -self を伴うものと,-self を伴わない単純形とが並存していたため,近代英語あたりでも,単純形を用いたこの種の用例は事欠かない.細江はこの与格の再帰代名詞の用法を反照目的 (reflexive object) と呼んでおり,その例文をいくつか示している (137--38) .
・ Hie thee hence! Fare thee well! / I fear me that thou hast overreached thyself at last. ---H. R. Haggard.
・ I followed me close.---Shakespeare.
・ They knelt them down.---Scott.
・ Then lies him down the lubber fiend.---Milton.
・ I sat me down and stared at the house of shaws.---Stevenson.
・ Would it not be better to absent himself from the concert and nurse his dream?---Edith Wharton.
・ Behave yourself!---Joyce.
・ I to the sport betook myself again.---Wordsworth.
・ In this perplexity, he bethought himself of applying for information to one of the warders.---Ainsworth.
・ Aunt Winifred prides herself on her coffee.---Galsworthy.
・ They entered the vestibule and sat themselves down before the wide hearth.---H. R. Haggard.
・ She's not very ill any more. Console yourself, dear Miss Briggs. She has only overlaten herself.---Thackeray.
・ He started up in bed, thinking he had overslept himself.---Hardy.
いずれも,感覚としてはなぜ再帰代名詞が用いられるのか分かりかねる例ばかりである.往来発着の自動詞と再帰代名詞が共起する例が多いが,これについては「#578. go him」 ([2010-11-26-1]) で触れた通りである.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
標記の問題について,[2012-05-28-1]の記事に追加して述べたい.Bloomfield (401--02) で,親称が敬称によって駆逐されるという過程は,英語のみならずオランダ語にも見られ,オランダ語ではさらに次の段階に進んできたという.
There is an advantage, often, in applying well-favored terms to one's hearer. The habit of using the plural pronoun 'ye' instead of the singular 'thou,' spread over Europe during the Middle Ages. In English, you (the old dative-accusative case-form of ye) has crowded thou into archaic use; in Dutch, jij [jej] has led to the entire obsolescence of thou, and has in turn become the intimate form, under the encroachment of an originally still more honorific u [y:], representing Uwe Edelheid [ˈy:we ˈe:delhejt] 'Your Nobility.' (401--02)
オランダ語で生じたことは,「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) で触れた「敬意逓減の法則」のもう一つの例といえるだろう.同族の言語でこのような過程が確認されるということは,英語における過程も平行的だったのではないかと疑いたくなるのも自然である.
敬意逓減の法則は,敬意を表わすはずの語から敬意が失われてゆくために,真正な敬意を表わすべく次なる語が導入されるということを述べているが,そこで前提とされているのは,何らかの語句よって相手に敬意を表わしたいという話者の意図である.敬意の語は下落してゆくのが常だが,それでも敬意を表わすこと自体はやめたくない,とでもいおうか.もしこの前提が普遍的だとすれば,thou と you の選択に迷った場合に,より安全に,より丁寧な you を選ぶことは理に適っているように思われる.もともと下落傾向があるなかで,あえて非敬称の thou を選ぶことは,不合理だろう.
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
昨日の記事「#1246. 英語の標準化と規範主義の関係」 ([2012-09-24-1]) で,英語の標準化は無意識の自然な過程であるとする Hope の見解を紹介した.しかし,Hope はあえてその見解と矛盾する,英語の標準化にまつわる不自然さをも同時に指摘している.標準化の過程そのものは人々の「自然」で「言語内的」な営みなのだが,その結果としての標準英語は言語類型論的には最もありそうにない「不自然な」変種であるという.Hope (52--53) は,例として4点を挙げている.
(1) 3単現の -s の保持.類型的には最も保持されにくいスロットに屈折語尾が残っている.フィンランド語など,高度に総合的な言語でもこのスロットでは無標形式が用いられる.
(2) 不均衡な人称代名詞体系(下表参照).中英語 ([2009-10-25-1]),初期近代英語,現代の諸方言では,よりきれいな体系がみられる.(cf. thou / you, you / youse, you / you-all; [2010-10-08-1]の記事「#529. 現代非標準変種の2人称複数代名詞」を参照.)
singular | I | she / he / it |
singular / plural | you | |
plural | we | they |
Thus, in each case, Standard English arrives at a typologically unusual structure, while non-standard English dialects follow the path of linguistic naturalness. One explanation for this might be that as speakers make the choices that will result in standardisation, they unconsciously tend towards more complex structures, because of their sense of the prestige and difference of formal written language. Standard English would then become a 'deliberately' difficult language, constructed, albeit unconsciously, from elements that go against linguistic naturalness, and which would not survive in a 'natural' linguistic environment.
人々は標準化を目指す無意識の過程のなかで,類型論的にはあり得なさそうな,より不自然な言語的選択をなすのだという.結果として,学ぶのに難しく,それだけ教える側にとっては教え甲斐のある(教えるのに都合のよい)言語体系ができあがり,そこから,努力して学んだ者は偉いという風潮,すなわち規範主義が生まれのだという.
確かに,上に挙げられた文法項目は,類型論的にありそうにないもののように思われる.しかし,反論するとすれば,どの言語も類型的にありやすい文法項目ばかりで構成されているわけではなく,個々の項目をみれば平均からの逸脱はいくらでもあるだろう.むしろ,そのような逸脱があってはじめて類型論という考え方も生まれるはずだ.そうだとしても,Hope の「集団的無意識の選択によるひねくれ」論は含蓄がある.昨日の記事[2012-09-24-1]では標準化と規範主義の峻別を強調したが,実際のところ,両者の関係は入り組んでいるだろう.
・ Hope, Jonathan. "Rats, Bats, Sparrows and Dogs: Biology, Linguistics and the Nature of Standard English." The Development of Standard English, 1300--1800. Ed. Laura Wright. Cambridge: CUP, 2000. 49--56.
古英語の1人称単数代名詞 ic は,どのような経緯で現代英語の I へと発展したのか.教科書的な説明としては,中英語で語尾子音 /ʧ/ が脱落し,残った母音が長母音化し,それが近代英語の大母音推移を経て /aɪ/ となったとされる.基本的にはこの理解でよいが,なぜ子音が脱落したのか,なぜ母音が長化したのかという問題は残る.音韻消失とそれに伴う代償延長 (compensatory_lengthening) という可能性が浮かぶかもしれないが,それよりも人称代名詞に典型的にみられる強形と弱形の交替として考えるのがよさそうだ.
機能語全般にいえることだが,人称代名詞には強形と弱形の区別が発達しやすい.例えば,現代標準英語における人称代名詞の強弱の対立として,強形 them に対する弱形の 'hem (ただし両者は直接的な語源関係にはない),同じく you に対する ye などが挙げられる.非標準や方言に目を移せば,人称代名詞における(そして指示代名詞でも)強弱の対立はあちらこちらに見られるし,歴史的にも類例は多く確認される (Yokota 9--11) .フランス語の1人称単数代名詞 me に対して,強調形 moi が別に用いられるのも似た現象だろう.
この傾向に照らせば,ic → I の発達は,語尾子音の脱落と,それに続く代償延長であると説明づけるよりは,語尾子音の脱落により弱形として機能していた /i/ から,改めて長化によって強められた強形 /iː/ が発達し,これが後に標準化したと説明づけるほうが説得力があるのではないか.語尾子音 /ʧ/ の脱落は,軒並み生じたわけではなく,一般的な音韻変化の名のもとに説明づけようとすることはできない.むしろ,機能語の強弱両形の対立として説明するほうが説得力がある.
Yokota (8) は,Brook を参照しながら次のように述べている.
As we know, variation of stress has greatly influenced the development of pronouns. Strongly-stressed and lightly-stressed forms coexist for a time with only one form eventually becoming generally accepted by the majority of people. This general acceptance, however, does not lead to permanent fixation. Minor forms can at anytime gain popularity, a process that is repeated in history. For instance, the regular ME development of the OE first person singular ic was ich. Along with this strongly stressed ich, all dialects of ME has the lightly stressed i /i/ (later written I). When ich disappeared, i started to be used in all positions, developing a strong-stressed pronunciation /i:/ for the stressed positions. From this lengthened /i:/, through the Great Vowel Shift, the present-day pronunciation /ai/ was created (Brook 1965: 104).
・ Yokota, Yumi. "Some Thoughts on the Origin of They, Them and Their." 『外国語外国文化研究』(国士舘大学外国語外国文化研究会編),第20巻,5--13頁.
古英語と古ノルド語の言語接触を直接に文証する記録はほとんど残されていない.イングランド東部や北部から接触当時の碑文が見つかっているが,指折り数えられるほどにすぎない.
その少数の碑文のなかでもよく知られているものの1つが,The Aldbrough Sundial と呼ばれる日時計の円周部に刻まれている銘である.East Yorkshire の小さな町 Aldbrough にある St. Bartholomew's church の内壁にはめ込まれているもので,碑文はノルマン・コンクェスト以前に刻まれたものと考えられている.University of Pennsylvania の Anthony Kroch のページで画像と説明を閲覧できる. *
そのページにも一部引用のある,Page の論文を読んだ.この日時計の碑文には,古英語と古ノルド語の言語接触を示唆する貴重な言語特徴が見られるという.その文の翻字と現代英語訳を添えよう.
+VLF LET (?HET) ARŒRAN CYRICE FOR HANVM 7 FOR GVNWARA SAVLA
"+Ulf had this church built for his own sake and for Gunnvǫr's soul."
古英語の屈折体系が崩れていることが,CYRICE や SAVLA からわかる.Late West-Saxon の標準であれば,*cirican や *saule となるはずのところである.ただし,Northumbrian 方言では古英語後期にはすでにこの種の屈折の水平化は進行しており,これだけをもって古ノルド語との言語接触による影響を論じることはできないだろう.GVNWARA については,統語的に属格形と考えられるが,英語化した屈折形を示しているようだ.なお,固有名詞 GVNWARA と VLF はともに北欧系の名前である.
屈折体系の崩壊を示唆する語形以上に興味深いのは,再帰代名詞の与格を表わすとおぼしき HANVM という語形である.古英語では3人称男性単数代名詞の与格としてこの形態は確認されていないが,古ノルド語ではまさにこの形態が用いられていた.したがって,この語形が古ノルド語から借用されたという仮説は受け入れてよいだろう.しかし,3人称代名詞が再帰的に用いられている今回のような文脈では,古ノルド語であれば再帰代名詞形 sér の用いられるのが常である.一方,古英語では,再帰代名詞と非再帰代名詞の形態的な区別はなかった.以上を考え合わせると,この例は,古英語の3人称男性単数代名詞の機能と用法は保ったままに,その形態 him が古ノルド語の対応形 HANVM に置き換わった例ということになる.
VLF と GVNWARA なる人物,そしてこの碑文を刻んだ人物は,いずれも古ノルド語話者の末裔だった可能性がある.彼らは,古英語話者との数世代の融合のうちに,この碑文に示唆されるような,言語接触によって変形した英語を話すようになっていたのかもしれない.しかし,Page (178) は,少ない証拠からそのような可能性を引き出すことには注意を要すると述べている.
Even in the highly Scandinavianized York, people with Norse names need not be of Norse descent. Surviving English inhabitants may have given their children fashionable Norse names in imitation of a Norse dominant class.
Page の論題は「イングランドで古ノルド語はいつまで話されていたか」というものだが,明確な結論は提示せずに論を閉じている.ただし,Page の全体的な論調からは,あまり長くもたなかったのではないかという見解が読み取れる.
・ Page, R. I. "How Long Did the Scandinavian Language Survive in England? The Epigraphical Evidence." England Before the Conquest: Studies in Primary Sources Presented to Dorothy Whitelock. Ed. P. Clemoes and K. Hughes. Cambridge: CUP, 1971. 165--81.
昨日の記事[2012-05-27-1]では「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」を概説し,T/V distinction に関するかつての記事へのリンクを張った.英語における T/V distinction の最大の問題の1つとして,近代英語期以後に親称 thou と敬称 you の対立が解消される際に,なぜ thou ではなく you のほうが一般化したのかという問題がある.T/V distinction の解消については,初期近代英語期の社会に平等主義の潮流が生じてきたとする説があるが,仮にそれを受け入れるとしても,なぜ thou の方向ではなく you の方向へ解消したのかは不明である.平等主義が "power semantics" に基づく T/V distinction の排除を促したと考えるのであれば,"power semantics" を体現する you こそが切り捨てられて然るべきではないか.加えて,thou こそが古英語以来の純正の2人称単数代名詞であり,単数の「あなた」を表わすにはふさわしいはずである.実際に,人民の平等を目指したフランス革命期には,上流階級の頻用する vous は忌避され,tu が汎用の2人称単数代名詞として好まれた事実がある (Brown and Gilman 264--65) .
英語が you を一般化させた背景には,ある社会言語学的状況が関与していたのではないかという説がある.1650年代にイングランドの聖職者 George Fox (1624--91) が創始したキリスト教の一派フレンズ会 (The Society of Friends) の信徒たち(俗称 Quakers)は,習慣的に,互いに thou を用い合った.神の前には,信徒に上下はなく,みな平等であるという思想に基づいている.この点では,上述のフランス革命期の tu の一般化と軌を一にしていたことになる.現在でも多くのクエーカー教徒たちは thou や thee を用いており,なかには仲間内では thou を,外部の人々に対しては you を使い分ける者もいる.
さて,クエーカー教徒や,同じく平等主義を掲げるより急進的な水平派 (Leveller) は,社会の中では少数派であり,敵意をもって見られることもあった.そこで,多数派の社会は,クエーカー教徒たちの標榜する平等主義の象徴ともいえる特徴的な thou 使用を煙たがり,自らはそれを忌避したのではないか.social distancing の作用が働いて thou が消えていったとするこの説は,しばしば英語史概説書でも説かれるが,定説として受け入れられているわけではなく,1つの可能性として提示されていることに注意しておきたい.
Brown and Gilman (266) が合わせて触れているもう1つの要因として,"a general trend in English toward simplified verbal inflection" がある.[2010-02-12-1]の記事「#291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響」では,「thou の消失が,英語の屈折衰退の流れに一押しを加えた」としたが,もしかすると因果関係は逆かもしれないということになる.動詞の屈折衰退の流れが2人称単数現在の屈折語尾 -(e)st にまで及び,その衰退とともに,対応する人称代名詞 thou も衰退した,という筋書きかもしれない.
いずれにせよ,標題の問いに対する定説といえるような答えは,いまだ提案されていない.2人称代名詞の you への一本化の問題は,英語史上の大きな課題である.
(後記 2013/06/30(Sun):solidarity を表わすのにフランス革命では上述のように T を双方向で用いたが,ロシア革命では V を双方向で用いたということが,Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010. p. 208 に書かれていた.)
・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
[2012-03-21-1]の記事「#1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction」で Brown and Gilman の画期的な研究を間接的に紹介した.Brown and Gilman の論文には,ヨーロッパの主要な言語で T/V の区別が生じてきた経緯,諸言語間の用法の比較,英語での区別の喪失とその語用的な残滓などに至る話題がちりばめられており,非常に刺激的な論考である.
なぜヨーロッパの主要な言語で,2人称代名詞における T/V distinction の用法が共有されているのか.T/V distinction の起源についてはいくつかの説があるが,Brown and Gilman (255) による記述に従えば次のようになる.
古代のラテン語では,2人称単数を示す代名詞として tu のみが用いられていた.しかし,4世紀に,ローマ皇帝を指す代名詞として,対応する複数形 vos が特別に用いられるようになった.これには諸説あるが,当時,Constantinople とRome のそれぞれに皇帝がおり,皇帝は文字通り複数だったことが関与しているといわれる.Diocletian 皇帝の改革により,ローマ皇帝の座には2人が占めていたが,行政的には1つに統合されることになった.いずれかの皇帝に呼びかけることは,含みとして,2人の皇帝に呼びかけることと同じとされたのである.vos の使用は,この含みとしての複数性を反映しているといわれる.
また,別の説によれば,1人の皇帝が複数形と結びつけられたのは,統治される帝国民の統合と考えられたからではないか.イギリス君主が "royal we" を用いるのと同じ理屈で,ローマ皇帝は自らを指して nos と言ったのであり,それに対応して vos で呼びかけられたのだろう.もう1つの考え方として,指示対象が単数か複数かという文字通りの数とは別に,偉大な権力はそもそも複数性を喚起しやすいということがある.偉大であることと複数性は,iconicity により容易に結びつけられそうだ.
以上の説のいずれか,あるいは組み合わせにより,2人称複数形で1人の皇帝を指し示す慣用が発達した.やがて,この慣用は,皇帝のみならず権力者一般に適用されるようになった.ただし,その後発達したロマンス諸語においては,T/V distinction はそれほど体系的に守られていたわけではなく,数世紀の間,用法の揺れがみられた.言語間で時期に差はあるが,およそ12--14世紀に,"power semantics" に基づく体系的な T/V distinction が確立した.
英語へは中英語の時代に you と thou の区別が導入された.関連記事としては,以下の記事,あるいは personal_pronoun pragmatics 辺りを参照.
[2009-10-11-1]: #167. 世界の言語の T/V distinction
[2009-10-29-1]: #185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction
[2010-02-12-1]: #291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響
[2010-07-11-1]: #440. 現代に残る敬称の you
[2011-03-01-1]: #673. Burnley's you and thou
[2011-07-06-1]: #800. you による ye の置換と phonaesthesia
[2012-02-24-1]: #1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction
[2012-03-21-1]: #1059. 権力重視から仲間意識重視へ推移してきた T/V distinction
・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
英語や諸言語の T/V distinction について,「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1]) , 「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) , 「#1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction」 ([2012-02-24-1]) などで扱ってきたが,社会歴史言語学的な立場から,T/V distinction の傾向を見事に整理した研究を紹介したい.Brown and Gilman の研究だが,トラッドギル (118--21) で要約されているものを参照する.以下は,トラッドギル (120) より抜き出した,T/V distinction の通時的変化の図式である.
第1段階 | 第2段階 | 第3段階 | 第4段階 | |||||
S | NS | S | NS | S | NS | S | NS | |
+P → +P | T | T | V | V | T | V | T | V |
-P → -P | T | T | T | T | T | V | T | V |
+P → -P | T | T | T | T | T | T | T | V |
-P → +P | T | T | V | V | V | V | T | V |
現代英語の問題としてしばしば取り上げられる singular they について.「#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞」の記事 ([2010-01-27-1]) でも取り上げたが,現代英語には any, each, every, no などで修飾された形態的に単数である人を表わす名詞を,後で受けるための適切な代名詞がない.he で代表させようとすると男尊女卑と言われかねず,かといって she で代表させるのもしっくりこない.it だとモノ扱いのようで具合が悪い.性を問わない they を用いれば,伝統主義の規範文法家の大好きな数の一致 (agreement) という規則に抵触し,槍玉にあげられかねない.現実の語法としては,最後に挙げた singular they が勢力を得ているが,そのような問題の生じないように文を改めよという助言もよく聞かれる.
このような現代的とされる語法上の問題は,実は現代英語で生じたものではなく,古い歴史をもっているものが多い.OED の "they, pers. pron." B. 2. によると,"Often used in reference to a singular noun made universal by every, any, no, etc., or applicable to one of either sex (= 'he or she'). See Jespersen Progress in Lang. §24." とあり,その初例は1526年である.細江 (254--56) には,近代英語からの例がいろいろと挙げられている.いくつかを抜き出そう.
・ Let each esteem others better than themselves.---Philippians, ii. 3.
・ Each was swayed by the emotion within them, much as the candle-flame was swayed by the tempest without.---Hardy.
・ Nobody knows what it is to lose a friend till they have lost him.---Fielding.
・ Everyone must judge of their feelings.---Byron.
・ No one in their senses could doubt.---Dickens.
・ Nobody will come in, will they?---Priestley.
each などが先行しない単数名詞が they で受けられている例もある.
・ The feelings of the parent upon committing the cherished object of their cares and affections to the stormy sea of life.---S. Ferrier.
・ A person can't help their birth.---Thackeray
they の数の不一致の問題は,英語の代名詞体系が否応なく内包する問題である.フランス語では,このような場合に便利な soi, son などの語が用意されており,問題とはならない.英語にとっての解決法は,問題の語法をまったく使わないという回避策を採らないとするのであれば,代名詞体系を改変するか,既存の体系内の運用で対処するかである.前者については,[2010-01-27-1]の記事で示したように,様々な語が提案されたが,文書で時折見られる s/he でさえ好まれているとは言い難い.後者の有力候補である singular they は,歴史的にも連綿と行なわれてきたし,その苦肉の策たることは誰しもが理解しているのであり,共感を誘う.その苦肉は,以下の例のなかにも見て取ることができる.
・ If an ox gore a man or a woman, that they die; then the ox shall be surely stoned.---Exodus, xxi. 28.
Burchfield も認めている通り,すでに大勢は決せられているといってよい.
関連して,愚痴を一つ.英語で論文執筆の際に,引用している著者の性別の見当がつかず,代名詞を用いるのをためらわざるをえない状況に困ることがある.日本語であれば「著者は」を繰り返してもそれほどおかしくないが,英語では the author を何度も繰り返すわけにもいかない・・・.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
昨日の記事「#1034. 英語における敬意を示す言語的手段」 ([2012-02-25-1]) の (4) で,英語では,1人称と他人称が並列される場合に,「倫理的敬意」から1人称が後置されることに触れた.謙譲的な語法といってよいだろう.2人称→3人称→1人称という順序が普通であり,"you and I", "she and I", "you, he, and I" などとなる.このことを初めて学んだとき,これはまさしく尊敬と謙譲の精神の現われであり,日本語に匹敵する敬意と配慮だ,などと感心したものである.Quirk et al. (Section 13.56, Note [a]) には次のようにある.
When one of the conjoins is a personal pronoun, it is considered polite to follow the order of placing 2nd person pronouns first, and (more importantly) 1st person pronouns last: Jill and I (not I and Jill); you and Jill, (not Jill and you), you, Jill, or me (not me, you, or Jill), etc.
同趣旨の記述は,Huddleston and Pullum (1288), Biber et al. (338) にもある.
ところが,英語の人称代名詞の順序を politeness として本当に賛美してよいのかどうか疑わしくなる記述に出くわした.細江 (191) によると,複数では1人称→2人称→3人称の順序が慣例だという.つまり,"we and you", "we and they", "we, you, and they" などとなる.これでは,敬譲にはならないだろう.
ただし,複数主格形について BNCWeb で調べたところ,そもそも用例が少なく,確かめようがないというのが実際のところだ.3つの人称の並列される例などは皆無だった.
・ we and you (0), you and we (0);
・ we and they (11), they and we (7)
・ you and they (11), they and you (6)
・ we, you, and they (0), we, they, and you (0)
・ you, we, and they (0), you, they and we (0)
・ they, we, and you (0), they, you, and we (0)
複数については,例文を豊富に挙げるのを身上とする細江にも例文が挙がっていないことからすると,何らかの規範文法書から取ってきたものなのだろうか.先の3種の大型英文法書にも言及がない.
単数についても,先に示した順序はあくまで慣例であり,場合によってはこの慣例から外れる場合もある.例えば,悪いことをしたときには,1人称を先に出すのがよいとされる (ex. I and Bob were arrested for speeding.) .また,自分の身分のほうが明らかに上の場合には,I and my children や I and my dog も当然ありうる.慣用はあるとしても,最終的にはケースバイケースだろう.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
・ Huddleston, Rodney and Geoffrey K. Pullum. The Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: CUP, 2002.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
世界の言語における敬語(ここでは,狭い意味での,専門言語要素を用いた敬譲・丁寧表現を指す)の分類は様々になされているが,ネウストプニー氏による,相手敬語(対者敬語)と登場人物敬語(素材敬語)の2種類の分布による分類がある(南,pp. 34--36 参照.出典は,ネウストプニー,J. V. 「世界の敬語---敬語は日本語だけのものではない---」 『敬語講座8 世界の敬語』 林 四郎・南 不二男 編,明治書院,1974年.) .これは,一方で日本語のよく発達した敬語体系を,他方で中英語,現代フランス語,現代ドイツ語などにみられる T/V distinction などの比較的単純な敬語体系(実際の使い分けは精妙だが)を区別するのにも,ある程度は役に立つ分類である.
日本語は「○○がいらっしゃった」 (A),「○○がいらっしゃいました」 (B),「○○が来ました」 (C) ,さらにはそのいずれからも外れた「○○が来た」も含めて,素材敬語と対者敬語のありとあらゆる組み合わせが可能である.
一方,例えば現代フランス語では,Tu es vené venu (おまえは来た)と Vous êtes vené venu (あなたはいらっしゃった)といった対立が見られるものの,この T/V の対立は,聞き手に対して(対者),聞き手自身を指す2人称単数代名詞(素材)を用いる場合にしか生じない.Vous が素材敬語 (A) なのか対者敬語 (C) なのか,あるいは両者を兼ねているのか (B) は判然としないが,たとえ B だとしても,2人称単数代名詞に限られるという条件つきの敬語表現にすぎない.
英語では「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1]) や「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) で見たように,近代英語期以降,T/V distinction すら失っており,現在ではこの図に関与すらしない.しかし,[2010-07-11-1]の記事「#440. 現代に残る敬称の you」で挙げたように Your Majesty のような称号は敬語表現として残っている.3人称単数として Her Majesty などとも言えるので,これは A や B に属する素材敬語の一種といえるだろう.
なお,世界の言語を見渡すと,A か C のいずれかの敬語タイプしかもたない言語はほとんどないという.
ネウストプニー氏の分類に代えて,南 (37) は「敬語的表現のための,多くの専用の言語要素を持ち,しかもそれがはっきりした組織をもっている」日本語型の言語と「敬語的表現のための専用言語要素を持たないか,持っていても数がすくなく,むしろ一般的な言語要素の用法に依存するか,あるいは非言語表現を用いる」非日本語型の言語とを区別することを提案している.
通言語的な敬語モデルに照らすと,日本語と英語が対蹠的であることは確かだ.
・ 南 不二男 『敬語』 岩波書店,1987年.
英語で,国名が女性代名詞 she で受けられてきた歴史的背景や,過去50年ほどのあいだにその用法が衰退してきた経緯については,##852,853,854 の記事で取り上げた.今回は,なぜ国名が歴史的に女性と認識されてきたかという問題に迫りたい.
1つには,[2011-08-29-1]の記事「#854. 船や国名を受ける代名詞 she (3)」で触れたように,国家とは,為政者たる男性にとって,支配すべきもの,愛すべきものという認識があったのではないかと想像される.船やその他の乗り物が女性代名詞で受けられるのと同様の発想だろう.
もう1つは,細江 (259) が「あの国民に対して女性を用いることなどは,明らかにラテン語の文法の写しである」と指摘するように,ラテン語で Italia, Græcia, Britannia, Germania, Hispania などが女性名詞語尾 -ia で終わっていることの影響が考えられる.文法性をもつヨーロッパの他の言語が国名をどの性で受け入れたかは,各々であり,必ずしも一般化できないようだが,文法性を失った英語において擬人的に女性受けの傾向が生じたのには,ラテン語の力があずかって大きいといえるかもしれない.
ラテン語の語尾 -ia は,ギリシア語の同語尾に由来し,ギリシア語では -os 形容詞から抽象名詞を作るのに多用された.OED によると,Australia, Tasmania, Rhodesia などの国名・地名のほか,hydrophobia, mania, hysteria などの病名,Cryptogamia, Dahlia などの植物名,ammonia, morphia などの塩基性物質名の造語にも活用された.古典語では,この語尾は女性単数と中性複数を同時に表わしたので,症候群,植物の属,塩基物,国民の集合体など,集合物を抽象化して名付けるにはうってつけの語尾だったのだろう.
ラテン語では -ia のみならず -a も女性語尾であり,これによる国名・地名の造語もさかんだった (ex. Africa, Asia, Corsica, Malta) .
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
昨日の記事「#974. 3人称代名詞の主格形に作用した異化」([2011-12-27-1]) で,子音を違えるという異化作用によって homonymic clash を回避した可能性について論じたが,それは3人称代名詞の主格に限っての議論だった.では,斜格はどうだったかというと,状況は異なっていた.
3人称複数代名詞の th- 形の受容のタイミングが格により異なっていたことは,英語史上,よく知られている.複数主格形 they の受容は初期中英語だが,斜格形の their や them などは後期中英語の Chaucer でも一般的ではなかった.そして,この受容の時間差は,通常,頻度の差と関係していると説明される.主格は斜格に比べて使用頻度が高く,それだけ区別する必要性も大きい.homonymic clash を回避すべき機会が多い分,主格のほうが早く刷新形を受け入れた,というわけだ.
主格と斜格の頻度の差による説明は,3人称複数の th- 形についてなされるのが普通だが,同じ議論は3人称複数以外の代名詞形態についても適用できそうだ.古英語の人称代名詞体系では,昨日取り上げた主格だけではなく,斜格においても homonymy がみられた.例えば,Late West-Saxon 方言の標準的なパラダイム ([2009-09-29-1]) に従えば,his は男性単数属格かつ中性単数属格,him は男性単数与格かつ中性単数与格かつ複数与格,hīe は女性単数対格かつ複数対格であり,衝突の機会は確かにあった.近代英語以降の観点からみれば,結論としてはこれらの衝突も回避されたことになるが,これら斜格での刷新形の受容のタイミングは,主格に比べれば遅かったようである.一例として,中性単数属格の his が its に置換されたのは,[2009-11-11-1]の記事「#198. its の起源」で見たとおり,近代英語になってからだ.
斜格では,中英語期に対格と与格の融合 (syncretism) という一大変化が進行しており,単純に主格の発達と比べることはできない.斜格は,主格にみられるような異化作用によってではなく,格の融合によってそのパラダイムを再編成したといってしかるべきだろう.とはいえ,やはり主格に比べれば衝突が許容されやすい傾向,換言すれば刷新形の受容が(あったとすればの話しだが)遅れる傾向は強いといえそうだ.その際に考えられる理由は,やはり頻度の差ということ以外には考えつかない.
古英語から中英語にかけての時代は,3人称代名詞体系が大変化を被った時代である.古英語では3人称代名詞は一貫して h で始まる形態を保持しており,性・数・格の区別は主として h に後続する母音によってなされていた.his, him, hīe, hit などの同音異義 (homophony) は確かに存在したが,体系に異変を生じさせるほどの問題とはなっていなかった.(古英語,中英語,現代英語の人称代名詞体系の比較には,##155,181,196 を参照.)
ところが,中英語期に近づくと,母音の水平化が進行し,特に主格形において homophony が顕著になってきた.古英語の男性単数主格 hē,女性単数主格 hēo,複数主格 hīe が,母音の区別の曖昧化により,いずれも he のような形態へと収斂してしまう機会が増えてきたのである.方言によっては最小限の母音の区別が保たれ,h- 形の保たれた場合もあるが,北部方言を代表とする多くの方言では,同音異義衝突 (homonymic clash) を避けるかのように,刷新形を受け入れていった.このようにして,現代英語の分布である男性単数主格 he,女性単数主格 she,複数主格 they の原型が作られた.
以上の homonymic clash 回避の議論は,[2011-04-10-1]の記事「#713. "though" と "they" の同音異義衝突」や[2011-06-28-1]の記事「#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」でも触れた.今回新たに考えたのは,衝突の回避とは,形態的な区別を明確化する言語変化として,広く異化 (dissimilation) の問題とも捉えられないかということである.男性単数主格の h-,女性単数主格の sh-,複数主格の th- に加え,中性単数主格が古英語形 hit から h を落としていったことも注目すべきである([2010-08-07-1]の記事「#467. 人称代名詞 it の語頭に /h/ があったか否か」を参照).結果的に,互いの語頭子音(の有無)で明確に区別されるようになったのがおもしろい.
かつては一律に語頭子音 h- をもち,主として後続する母音によって区別していた性や数が,今やむしろ語頭子音を違えることで明確に区別されるようになったというのだから,言語変化は不思議だ.後からみれば,音韻変化によって崩れかけた3人称代名詞体系が異化作用によって崩壊を逃れたかのようである.言語体系の治癒力 (therapeutic power) というものを想定したくなる言語変化の事例だろう.
標題について[2011-08-27-1], [2011-08-28-1]の記事で話題にしてきたが,現代英語でこの用法の she が《古風》となってきている,あるいは少なくともその register が狭まってきているのはなぜだろうか.
これには,1960年代以降,とりわけアメリカ英語で高まってきた言語の gender 論,男女平等という観点からの political correctness (PC) への関心がかかわっている.この観点から,人間の総称としての man(kind),女性接尾辞 -ess,職業人を表わす複合語要素 -man,一般人称代名詞としての he の使用などが疑問視され,数々の代替表現が提案されてきた.(関連する話題は,[2009-08-20-1]「男の人魚はいないのか?」, [2010-01-27-1]「現代英語の三人称単数共性代名詞」, [2011-04-17-1]「レトリック的トポスとしての語源」などの記事を参照.)
この観点から she の特殊用法を見ると,船や国名を取り立てて女性代名詞で受ける理由はないではないかという議論が生じる.船乗りや国の為政者が主として男性だったという英語国の歴史を反映していることは確かだろうが,現在も旧来の慣習を受け継ぐべき合理性はないという考え方である.
特に国名を受ける she の用法は,形式張った書き言葉という register に限ると,1960年代以降,激減してきていることが実証される.The Times corpus を用いてこれを検証した Bauer (148--49) によると,1930年までは国を指示する she の用法は標準的だった.実際,1900年から1930年の間で,国を指示する it の用例は3例のみだったという.ところが,1935年以降,it の例が断続的に現われだし,1970年にはshe を圧迫して一気に標準となった.she の用例が減少してきた過程は逆S字曲線を描いているかのようであり,語彙拡散 (lexical diffusion) を思わせる.以下のグラフは Bauer (149) のグラフに基づいて概数から再作成したものである.
・ Bauer, Laurie. Watching English Change: An Introduction to the Study of Linguistic Change in Standard Englishes in the Twentieth Century. Harlow: Longman, 1994.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow