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personal_pronoun - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-22 17:50

2011-07-06 Wed

#800. you による ye の置換と phonaesthesia [personal_pronoun][sound_symbolism][phonaesthesia]

 近代英語期に,本来の2人称単数代名詞 thou が対応する複数の you に取って代わられた背景については,これまでにも多くの記事で触れてきた ([2009-10-11-1], [2009-10-29-1], [2010-02-12-1], [2010-03-26-1], [2010-07-11-1], [2010-10-08-1], [2011-03-01-1]) .2人称代名詞系列の整理に関して事情がややこしいのは,それと同時に本来の主格 ye が対格・与格の you に呑み込まれていったという,もう一つの変化が関わってくることである.前者の thou/you 置換については主に語用論的に研究が盛んだが,後者の you/ye 置換についての研究はあまり聞き覚えがない.
 [2009-12-25-1]の記事「phonaesthesia と 遠近大小」で掲げた表を眺めていて,ふと気付いたことがある.you/ye 置換には phonaesthesia が関与しているのではないか,ということである.その表によれば,1人称代名詞 は「近い」語として前舌母音を用いる傾向があるのに対して,2人称代名詞は「遠い」語として後舌母音へ偏っているとされる.そこでは me, we, you を例として挙げたが,もう少し範囲を拡大すれば I, my, me, mine もすべてどちらかといえば前舌母音の部類である.大母音推移前の発音を想定すれば,余計に前舌である.一方,you, your, yours はいずれも後舌母音である.ただし,1人称複数代名詞 we の屈折形を考慮に入れると,us, our, ours などの母音はどちらかといえば後舌母音の部類に属し,ここでは phonaesthesia の遠近対立があてはまらない.
 このように phonaesthsia はあくまで弱い説明であることを認めつつも,あえてこの視点から you/ye 置換を考えてみれば,you の後舌母音が「遠い」2人称代名詞にはより適切だったということがいえるのではないか.さらに,大母音推移前の発音としてではあるが,thouyou との脚韻の成立も you の主格への昇格を促す要因だったのではないか.(ちなみに,you が大母音推移を経なかったのは /j/ によるブロックとされる.他例に youth があり.[2009-11-12-1]の記事「<U> はなぜ /yu:/ と発音されるか」も参照.)
 閉じた語類は内部に体系性や対称性を示す傾向が強い.[2009-12-25-1]の表で phonaesthesia の遠近対立の例として挙げたものも,すべて閉じた語類である代名詞や指示詞である.証明は難しいのかもしれないが,ye に代わる形態として you が選択された経緯には,体系性の指向と phonaesthesia という,言語に内在する微弱ではあるが普遍的な傾向が関与しているのではないか.

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2011-06-29 Wed

#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布 [personal_pronoun][dialect][map][she]

 昨日の記事[2011-06-28-1]に引き続き she の話題.昨日は古い英語には she に相当する形態が様々にあったことを述べたが,現代英語でも方言を調べれば3人称女性単数代名詞の異形は複数存在する.以下の地図は,20世紀半ばの時点でのイングランドにおける she の異形の方言分布である( Upton and Widdowson, p. 80 の地図に基づいて作成).

Map of Variants of

 中英語の West Midlands 方言では,古英語の West-Saxon 方言の hēo に対応する形態として haho が行なわれていた.後者が語頭の /h/ を脱落させ,現代まで継承したのが,地図上の緑で表わした oo という形態である.歴史的にはもっとも古い形態といってよい.
 中西部や南西部に分布する erher から /h/ が脱落した形態で,her 自体は所有格形・目的格形として標準英語でもおなじみである.しかし,この方言では er が主格として she の代わりに用いられていることに注意すべきである.ほかに斜格形が主格形を置きかえた例としては,[2011-06-17-1], [2009-10-24-1], [2009-10-25-1]などの記事で見たように,you が典型である.本来は対格だった you が主格の ye を置きかえた.現在,you は主格と目的格を区別できないばかりか,数も区別できないが,用は足している.

 ・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.

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2011-06-28 Tue

#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語 [personal_pronoun][she][etymology][pchron][homonymic_clash]

 [2009-12-28-1]の記事「西暦2000年紀の英語流行語大賞」で見たとおり,American Dialect Society の選んだ西暦2000年紀のキーワードは she だった.12世紀半ばに初めて英語に現われ,2000年世紀の後期にかけて,語そのものばかりでなくその referent たる女性の存在感が世界的に増してきた事実を踏まえての受賞だろう.その英語での初出は The Peterborough Chronicle の1140年の記録部分で,scæ という綴字で現われる.この scæ の指示対象が,Henry I の娘で王位継承を巡って Stephen とやりあった,あの男勝りの Matilda であるのが何ともおもしろい.結局 Matilda は後に息子を Henry II としてイングランド王位につけることに成功し,事実上の Plantagenet 朝創始の立役者ともいえる,歴史的にも重要な scæ だったことになる.該当箇所を Earle and Plummer 版より引用.

Þer efter com þe kynges dohter Henries þe hefde ben Emperice in Alamanie. 7 nu wæs cuntesse in Angou. 7 com to Lundene 7 te Lundenissce folc hire wolde tæcen. 7 scæ fleh 7 for les þar micel.


 ところが,この she という語は,英語史では有名なことに,語源不詳である.[2010-03-02-1]の記事「現代英語の基本語彙100語の起源と割合」で she を古ノルド語からの借用語として触れたのだが,これは一つの説にすぎない.英語語彙のなかでは最も頻度の高い語源不詳の語といってよいだろう.
 提案されている各説ともに,理屈は複雑である.諸説の詳細はいずれ紹介したいと思うが,ここではある前提が共有されていることを指摘しておきたい.古英語の3人称女性単数代名詞 hēo やその異形は,中英語までに母音部を滑化させ,古英語の3人称男性単数代名詞 や3人称複数代名詞 hīe の諸発達形と同じ形態になってしまった.この同音異義衝突 ( homonymic clash ) の圧力は,起源のよく分からない she を含めた数々の異形が3人称女性単数代名詞のスロットに入り込む流れを促した.後の3人称複数代名詞 they の受容も,同音異義衝突によって始動した人称代名詞の再編成の結果として理解できる.
 she の起源を探る研究は,数々の異形の方言分布,初出年代,音声的特徴,類推作用などの関連知識を総動員しての超難関パズルである.hēo, hīe, sēo, sīo, hjō, sho, yo, ha, ho, ȝho, scæ, etc. これらの中からなぜ,どのようにして she が選択され,定着してきたのか.英語語源学の最大の難問の1つである.

 ・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.

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2011-06-17 Fri

#781. How d'ye do? [personal_pronoun]

 古英語や中英語には2人称代名詞に数の区別が存在した.中英語形で示せば,単数は thou,複数 は ye である.yeyou は本来それぞれ主格と対格・与格を表わしたが,近代英語期以降,相互に混同が生じた.(2人称代名詞に関連する話題は,[2009-10-11-1], [2009-10-24-1], [2009-10-25-1], [2009-10-29-1], [2010-02-12-1], [2010-03-26-1], [2010-07-11-1], [2010-10-08-1], [2011-03-01-1]を参照.)
 thouye は現在では《古風》あるいは《方言》だが,特殊な文脈や慣用表現で用いられることがある.ここでは ye について見てみよう.この語は強形では /ˈjiː/, 弱形では /ji/ と発音され,視覚方言として <ee> のように綴られることもある.現在では,次のような表現で用いられることがある.

Abandon hope, all ye who enter here. ( Dante, The Divine Comedy )
Do ye not know me? 「私をご存じないのですか」
Hark ye. 「聞け」
Hear ye, hear ye! 「(民衆に向かって)聞け,聞け」
How d'ye do? 「初めまして」
I tell ye. 「おまえに言っておく」
Look ye. 「見よ」
Thank ye. 「ありがとう」
What d'ye think? 「どう思うかい」
Ye are the salt of the earth. 「汝らは地の塩なり」 ( Matt. 5:13 )
Ye gods! 「いやはや」
Ye hills and brooks 「汝ら山と川よ」


 How d'ye do? などの主語としての yeyou の弱形と解されることがあるが,かつての2人称代名詞(敬称) ye の方言的・口語的な生き残りと考えるべきである.
 同綴字だが定冠詞 the を表わすもう1つの ye については,[2009-05-11-2]の記事「英国のパブから ye が消えていくゆゆしき問題」を参照.

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2011-04-10 Sun

#713. "though" と "they" の同音異義衝突 [homonymy][homonymic_clash][me_dialect][spelling][conjunction][personal_pronoun]

 [2010-10-18-1], [2010-11-07-1]の記事で同音異義衝突 ( homonymic clash ) を取り上げた.先日,接続詞 though の話題 ([2011-04-06-1], [2011-04-07-1]) で記事を書いていたときに思い出したのが,中英語方言学で知られている "though" と "they" の同音異義衝突である ( Samuels 69--72 ) .
 中英語では同じ語でも方言によって様々な綴り方をした.特に極端な例として[2009-06-20-1]で "through" の綴字を挙げたが,予想されるとおり接続詞 "though" も似たよったりの状況である.MED, "though" で見れば綴字の豊富さが分かるだろう.今回の話題に関わる点だけ述べると,中英語イングランド南部方言では,古英語 West-Saxon 形 þēah に由来する þeiȝ などの前舌母音を示す形が優勢だった.語末の摩擦音はすでに消えかかっており,þei などの綴字も見られる.一方,北部方言では古ノルド語の同根語 ( cognate ) に由来する þouȝ などの後舌母音を示す形が優勢だった.
 人称代名詞 "they" に移ると,南部方言では古英語 hīe に由来する hy など <h> を語頭にもつ形が圧倒的に優勢だった (古英語の人称代名詞体系は[2009-09-29-1], [2009-10-24-1]を,中英語の Chaucer の人称代名詞体系は[2009-10-25-1]を参照).一方,北部方言では古ノルド語から借用された þey が優勢だった.図式的には,北部 þouȝ "though", þey "they" の組み合わせが,南部 þeiȝ "though", hy "they" の組み合わせに圧力をかけようとしている状況だ.
 ここで,先に北から南へ圧力をかけてきたのは人称代名詞 þey "they" である.これが南部に侵入し,伝統的な hy "they" をゆっくりと置換していった.今や南部方言では þey が "though" と "they" の両方を意味することになり,同音異義衝突が生じた.この同音異義衝突で負けに回ったのは,頻度と重要性の点で相対的に劣る接続詞 "though" のほうだった."though" は,"they" と明確に区別される þouȝ などの後舌母音を示す北部形を受け入れた.結果として,当初の北部の組み合わせが南部にも借用されたことになる.そして,これが現代標準英語にも伝わっている.
 þouȝ "though" が þey "they" よりも後に南下したと分かるのは,hy "they" と þouȝ "though" が主要な組み合わせとして文証されるテキストが1つもないことである ( Samuels 71 ) .ところが,þey "they" が先に南下したと仮定した場合に予想される þey "they" と þeiȝ の組み合わせは,少数のテキストにおいて実際に文証されるのである.ただし,そのようなテキストが少数であるということは,þey の同音異義衝突が短期間しか持続しなかったことを示唆する.同音異義衝突が生じて間もなく,þouȝ "though" が南下したことで,問題が解決されたと考えることができる.
 以上が,Samuels の "though" と "they" の同音異義衝突に関する議論である.Samuels がここで論じていないのは,なぜ þey "they" がまず最初に南下したかということである.実は,ここにはもう1つの同音異義衝突が潜んでいる.南部の hy "they" は,母音次第で男性および女性単数人称代名詞 と形態上の区別がつかなくなる.ここで h と明確に区別される th の形態を複数人称代名詞として導入することによって,人称代名詞体系における同音異義衝突の問題を解決しようとしたのではないか.このように考えると,þey "they" は1つ目の衝突を解決した救世主ではあるが,2つめの衝突をもたらした張本人でもあったことになる.

 ・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.

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2011-03-18 Fri

#690. Northern Personal Pronoun Rule を LAEME で検証 [laeme][me_dialect][personal_pronoun][verb][nptr]

 昨日の記事[2011-03-17-1]で記事で取り上げた The Northern Personal Pronoun Rule (NPPR) は北部イングランドで中英語期に行なわれた統語規則とされる.初期中英語で実際に文証されるかどうかを,LAEME で確認してみたい.
 Laing and Lass (26--27) によれば,LAEME のコーパスでは NPPR が 動詞にタグ付けされているということなので,簡単に拾い出すことができる.Tasks ページから以下のようにメニューをたどり,検索表現として "(-)vps2%apn(%)" (代名詞の直後に現われる動詞の現在形複数)と "(-)vps2%bpn(%)" (代名詞の直前に現われる動詞の現在形複数)でそれぞれ検索してみた.検索表現をより細かく工夫することはできるが,これで当面の用は足せる.

[LISTS] -> [Make an Item List] -> [Inflections] and [Search by TAG] -> ( [(-)vps2%apn(%)] or [(-)vps2%bpn(%)] ) and Frequency Counts


 出力された情報を読み解くにも少々の知識と経験がいるが,各行は「検索対象となったテキスト番号」「そのテキストの言語が位置づけられている州の略名」「問題の語尾の種類と頻度」からなっている.NPPR では,複数人称代名詞の前後で動詞の現在形が( -e や -en もありうるが)ゼロ語尾を取るというのが最も顕著な特徴なので,語尾として "0" が含まれている行を探し出せばよい.その行を以下に抜き出す.

[for "(-)vps2%apn(%)"]
188DUR+E [2] 0 [2]
285NFK+E [7] +En [4] +ETH [3] +N [2] 0 [2] +EN [1]
295YWR+>I>Ey [17] 0 [9]
296YCT+E [16] 0 [14] +E [2]
297YER0 [36] +E [10] +IEy [2]
298YNR+E [43] 0 [31]
300NFK0 [31]

[for "(-)vps2%bpn(%)"]
119[-]0 [2]
173WOR+Ay [1] +E [1] +Ey [1] 0 [1]
247HRF+E [2] +ET [1] +T [1] 0 [1]
295YWR0 [4]
296YCT0 [5] +E [3]
297YER0 [8] +E [4]
298YNR0 [22] +E [10] 0+ [2]
2000WOR+E [6] 0 [3] +Ed [1] +IE [1]
2001WOR0 [3]


 州名を一覧すると,Durham, Yorkshire, Hereford, Worcester, Norfolk など北部から中部にかけて分布していることが分かる.特にテキスト番号295--298は Cursor Mundi という長大な詩を指し,14世紀前半の北部方言を代表するテキストとして知られている.
 テキスト298 (Edinburgh, Royal College of Physicians, MS of Cursor Mundi, hand B, fols. 16r-36v: Extracts from the Northern Homily Collection) から例を抜き出すと,例えば次のような NPPR を示す行が得られる.問題の動詞は赤字で記した.

- Yef þai lef her rihtwislie
- For in hali bok find we
- For if we schrif us clen of sinne
- Ye wen ful wel nou euerilkan
- Þan sau þai in vs goddes sede
- Of his offering today spec we


 Tasks ページから CONCORDANCING 機能により用例のコンコーダンス・ラインを出力することもできるが,検索の敷居はさらに高い.TAGGED TEXTS からテキストファイルを取り出して自分で検索したほうが容易かもしれない.

 ・ Laing, Margaret and Roger Lass. "Tagging." Chapter 4 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction." Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap4.pdf .

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2011-03-17 Thu

#689. Northern Personal Pronoun Rule と英文法におけるケルト語の影響 [me_dialect][personal_pronoun][verb][celtic][contact][nptr][do-periphrasis][celtic_hypothesis]

 The Northern Personal Pronoun Rule (NPPR) は,中英語期に Scotland との国境付近からイングランド南部へ広がったとされる統語形態規則である.これは,Laing and Lass (26--27) により The Northern Present Tense Rule と呼ばれているものと同一である.3人称複数代名詞 "they" に隣接する現在形の動詞語尾(方言によって異なるが通常は -s や -eth )が抑制され,代わりに -en, -e, -ø の語尾が現われるという規則である.この規則は,中英語後期には The Wash 以北のイングランド方言でおよそ確立しており,同時期の終わりまでには,義務的な規則ではないものの選択肢の1つとしてロンドンへも到達していた ( Wright 147 ) .
 Wright には,14世紀の後期の Rosarium theologie からの例として次の例が挙げられている.

whiche is giffen to al sentis or holy men, þat cleueþ togeder in charite, weyþer þei knowe þam bodily or noȝt (qtd in Wright 147 as from Rosarium theologie)


 赤字で示した最初の cleueþ は通常の3人称複数形を示すが,次の knoweþei のすぐ次に続いているために NPPR が適用され -e 語尾をとっている.
 さて,現代のイングランド北部方言で動詞の現在形はどのように屈折するかといえば,主語の数・人称にかかわらず -s 語尾を取るのが規則である ( ex. I walks, you walks, Betty walks, we walks, Betty and Shirley walks ) .しかし,3人称複数形については,代名詞 they が用いられるときにのみ they walk と無語尾になるのが特徴だ.まさに中英語期の NPPR の遺産である.
 NPPR に関して興味深いのは,この統語形態規則がケルト語との接触に起因するものと疑われていることである.ケルト語影響説を強く主張する著名人に McWhorter がいる.McWhorter (48--51) は,北部方言の NPPR (彼の呼称では Northern Subject Rule )は,Welsh や Cornish といったケルト諸語の動詞屈折規則と平行的な関係にあると指摘する.Welsh では,"she learned" と "Betty and Shirley learned" はそれぞれ dysgodd hi, dysgodd Betty a Shirley となり共通の -odd 語尾をとるが,"they learned" は dysgon nhw のように異なる語尾 -on をとるという.(1) 広くゲルマン諸語を見渡してもイングランド北部の NPPR のように奇妙な規則をもっている言語や方言は他に見あたらないこと,(2) イングランドの基層にあるケルト諸語に平行的な統語形態規則が認められること.この2点を考え合わせると NPPR は偶然の産物とは考えられず,ケルト語との言語接触による結果と認めざるを得ない,という議論である.McWhorter は他にも英語史における do-periphrasis や進行形構文の発達をケルト語の影響と見ている.
 私はケルト語を知らないので具体的に論じることはできないが,英語では現在形に関する規則であるにもかかわらず,McWhorter が Welsh から過去形の例をもってきて比較しているのが引っかかった.また,一読すれば著者の書き方が一般向けでトンデモ本的な調子であることはすぐに分かるが,それをどこまで学術的に評価できるかは疑問である.ただし,現代英文法のいくつかの特徴の背景には,一般に英語史研究者が論じている以上に周辺諸言語との接触が関与しているに違いないという一貫した信念は,私自身の考えと一致しており,おもしろく読むことはできた.著者の言語変化の "why" にこだわる姿勢も最初はややうるさく聞こえたが,これは "why" を控えめにしか論じない英語史研究の現状への批判なのだろうと捉えたら,かえって痛快に読めた.
 [2009-08-31-1]の記事で少し触れたように,基層言語としてのケルト語が英文法に与えた影響については,近年,少しずつ議論されるようになってきたようである.

 ・ Wright, Laura. "The Languages of Medieval Britain." A Companion to Medieval English Literature and Culture: c.1350--c.1500. Ed. Peter Brown. Malden, MA: Blackwell, 2007. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009. 143--58.
 ・ McWhorter, John. Our Magnificent Bastard Tongue: The Untold History of English. New York: Penguin, 2008.

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2011-03-01 Tue

#673. Burnley's you and thou [personal_pronoun][pragmatics][honorific]

 英語史における yethou の使い分けと,それに関連する2人称代名詞の話題は,[2009-10-11-1], [2009-10-29-1], [2010-02-12-1], [2010-03-26-1], [2010-07-11-1], [2010-10-08-1]の記事で扱ってきた.
 古英語では,[2009-10-24-1]の人称代名詞屈折表に見られるように,þū は2人称単数,ȝē は2人称複数というように,数 ( number ) という文法カテゴリーによって使い分けが明確に区別されていた.しかし,中英語になると両者の使い分けは数によって区別される ([2009-10-25-1]) のとは別に,様々な文体的,語用論的な要素の関数として決まってくるようになった.
 では,例えば Chaucer の英語を例に取ると,yethou の使い分けを区別する要素にはどのようなものがあったのだろうか.そして,各々どの程度の重みをもって使い分けの区別に関与していたのだろうか.これは Chaucer 研究,英語史研究における積年の問題であるが,完全な答えは出ていないといってよい.日本語の敬語体系にまつわる問題に喩えれば,問題の難しさが想像できるかもしれない.
 しかし,一般的な提案はなされてきている.以下に,Burnley (21) のフローチャートを,少々改変した形で示そう.

Flowchart: ye or thou?

 中央から右上にかけての "addressee familiar", "non-intimate", "age +", "status +" の分岐については,特にその項目が焦点でなければ上の道筋をたどり,より丁寧な YE に近づくのが原則である.また,YETHOU にはさまれた各種の "SWITCHING" は,最終的には感情,態度,文体といった要素が決め手になるということを表わしている.例えば "affective switching" によれば,ye の使用は detachment, distancing, formality, objectivity, rejection, repudiation などと結びつけられ,thou の使用は intimacy, solidarity, engagement, rapprochement, joking, patronising, cajolery, conspiracy などと結びつけられる ( Burnley 21 ) .

 ・ Burnley, David. The Language of Chaucer. Basingstoke: Macmillan Education, 1983.

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2011-02-21 Mon

#665. Chaucer にみられる3人称代名詞の疑似指示詞的用法 [chaucer][personal_pronoun][demonstrative][french]

 中英語では3人称代名詞を人名に先行させて,その代名詞に一種の指示的機能をもたせる特殊な用法がある.Chaucer の "The Knight's Tale", ll. 1209--10 からの例が Burnley (22--25) で論じられているので引用しよう(以下,引用は The Riverside Chaucer より).

This was the forward, pleynly for t'endite,
Bitwixen Theseus and hym Arcite:


 幽閉されていた Arcite を条件つきで解放する契約に言及している箇所で,その契約が Theseushym Arcite の間で交わされた契約であることが示されている.ここで用いられている hym が,問題の疑似指示詞的な用法の3人称代名詞である.hymArcite という名前に先行しているのは,1つには韻律上の都合ということが考えられるが,ここでは「くだんのアルシータ,前述のアルシータ」ほどの意味で,hym は指示対象を限定し,明示していると解釈することができる.Horobin (95) では,指示詞 that ほどに置きかえられる hym だとしている.
 人称代名詞には主として前方照応 ( anaphora ) の機能がある.前方照応の聞き手に及ぼす効果としては,(1) 前方照応の対象の存在を認知させ,(2) それが何・誰であるかを突き止めさせる,という2つの段階が考えられる.上記の hym Arcite で,hym は (1) の役割のみを担っており,照応対象として Arcite が直後に明示されているために,(2) までを担う必要がない.人称代名詞でありながらその本来の機能を半分しか果たしていない点が,疑似指示的と呼ばれる所以だろう.
 しかし,韻律の都合は別として,文脈としては hym は不要なように思えるかもしれない.確かに Arcite だけでも解釈の上で何ら問題はないし,Arcite として示されている明確な指示対象を hym でさらに限定し,明示するというのも妙なものである.だが,ここでは「契約」が絡んでいるという点が重要である.
 「契約」の関わる法律的な文言においては,問題になっているのが誰なのか,何なのかをことさらに明示する必要がある.そのために,法律文書では固有名詞にも指示詞的な要素が余剰的に先行することが多いのである.Burnley (24) が挙げている法律文書からの例としては,Petition of the Folk of Mercerye (1386) に he Nichol, hym Nichol, the forsaid Nichol (PDE (the) aforesaid), the same Nichol などが繰り返し現われるという.まさに「くだんのニコル,前述のニコル」である.
 中世イングランドの法律語法は非常に多くをフランス語に負っており ( see [2010-03-29-1], [2010-07-04-1] ), 今回の問題の語法もフランス語の影響を多分に受けていると想定される.3人称代名詞を疑似指示詞として用いる hym Arcite のような「人称代名詞+固有名詞」という型に完全に対応する例はフランス語にはないが,機能的にほぼ対応する dit, le ditz, avaunt ditz, lequel などが影響を及ぼしたと考えられる.ラテン語の法律文書でも,フランス語法に対応する dictus, supradictus, ipse, idem などが見られる.

 ・ Burnley, David. The Language of Chaucer. Basingstoke: Macmillan Education, 1983.
 ・ Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007.

Referrer (Inside): [2013-04-10-1]

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2010-11-26 Fri

#578. go him [me][syntax][reflexive_pronoun][personal_pronoun][hc][dative]

 中英語ではごく普通に見られるが,現代の視点から見ると妙な構造がある.go に主語に対応する目的格代名詞が付随する構造で,現代風にいえば he goes him のような表現である.統語的には主語を指示する再帰代名詞と考えられるが,himself のような複合形が用いられることは中英語にはない(中尾, p. 187).機能的には一種の ethical dative と考えられるかもしれないが,そうだとしてもその機能はかなり希薄なように思える.
 例えば,Chaucer の "The Physician's Tale" (l. 207) からの例(引用は The Riverside Chaucer より).

He gooth hym hoom, and sette him in his halle,


 この構造についてざっと調べた限りでは,まだ詳しいことは分からないのだが,OED では "go" の語義45として以下の記述があった.

45. With pleonastic refl. pron. in various foregoing senses. Now only arch. [Cf. F. s'en aller.]


例文としては,中英語期から4例と,随分と間があいて1892年のものが1例あるのみだった.
 一方 Middle English Dictionary のエントリーを見てみると,2a.(b) に関連する記述があったが,特に解説はない.以前から思っていたことだが,中英語では実に頻繁に起こる構造でありながら,ちょっと調べたくらいではあまり詳しい説明が載っていないのである.ただし,中尾 (187) によれば,中英語では gon のほか,arisen, feren, flen, rennen, riden, sitten, stonden などの往来発着の自動詞がこの構造をとることが知られている.
 中英語で盛んだったこの構造は,近代英語期ではどうなったのだろうか.Helsinki Corpus で go him を中心とした例を検索してみたが,中英語からは10例以上が挙がったものの,近代英語期からは1例も挙がらなかった.この統語構造は近代英語期に廃れてきたようにみえるが,どういった経緯だったのだろうか.

 ・ 中尾 俊夫 『英語史 II』 英語学大系第9巻,大修館書店,1972年.

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2010-10-08 Fri

#529. 現代非標準変種の2人称複数代名詞 [personal_pronoun][ame][dialect][t/v_distinction]

 人称代名詞体系の変遷については,古英語 ([2009-10-24-1]),中英語 (Chaucer) ([2009-10-25-1]),現代英語 ([2009-11-09-1]) で屈折表を掲げてきた.2人称代名詞に焦点を当てると,古英語では þū 「あなた」(単数)と ȝē 「あなたがた」(複数)が形態上,完全に区別されていた.中英語でも同様に thou / ye と単複の区別がつけられていたが,その上に [2009-10-11-1], [2009-10-29-1]で触れたような T/V distinction (親称と敬称)の区別も覆いかぶさり,語用論的に複雑な使い分けの様相を呈した.しかし,近代英語以降は数の区別も語用論上の区別も一気に解消され,標準語では you が唯一の2人称代名詞となった.便利なのか不便なのかよく分からないが,現在では単複の区別も敬称・親称の区別もつけない you 一辺倒である.
 ただ,これは標準英語に限った話しである.非標準変種を考慮に入れれば,現代英語でも規則的に単複の区別をつけるような代名詞体系が発達している.[2010-03-05-1], [2010-03-06-1]で言及したように,単数の you に対して複数の諸形態が頻用される頻用される変種がある.以下のような形態が確認されている.

 ・ yous(e): many parts of North America (esp. New York City and Boston), Ireland, parts of Britain (e.g. Liverpool, Glasgow), Australia, New Zealand
 ・ you-uns: upper Southern USA (western Pennsylvania and the Appalachians)
 ・ you-all, y'all: Southern US
 ・ you guys, youse guys: in a spoken variety (newer innovations than the other dialectal forms)
 ・ you folks, you people: in a more formal variety

 American Heritage Dictionary of the English Dictionary のコラムがこの辺の事情をコンパクトにまとめてくれている.

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003. 210.
 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 168--69.
 ・ 寺澤 盾 『英語の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年. 125頁.

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2010-08-07 Sat

#467. 人称代名詞 it の語頭に /h/ があったか否か [personal_pronoun][h][analogy][germanic]

 現代英語の3人称代名詞 it は,古英語では語頭に <h> の付された <hit> という綴字で用いられていた.[2009-09-29-1]に掲げた古英語の人称代名詞体系を見れば分かるとおり,すべての屈折形が <h> で始まっており,非常にきれいな体系をなしている.このなかで特に中性単数主格の <hit> は「軽い」参照機能を果たすときに語頭が弱まり,it へ変化して定着したと考えられている.古英語後期ですでに it の形態が確認されており,1200年頃からは強勢が置かれる環境ですら it が用いられるようになってくる.一方 hit は中英語期に衰退し,1500年頃まで細々と続いていたが,現在では北部方言で強調表現として使われる het, hit などを除いては廃用となっている.これが,古英語 hit が徐々に it に置換された歴史として一般的に語られる記述である.
 しかし,その前史として興味深い説がある ( Scragg, p. 42fn ) .古英語の hit はより古い段階ではやはり <h> のない <it> であり,後に他の人称代名詞の屈折に合わせようとする類推作用 ( analogy ) によって <h> が加えられたのではないかという.つまり,[2009-09-29-1]に掲げた「すべてが <h> で始まるきれいな体系」は「きれいにされた」ものではないかという.これによると,it の歴史は,<h> のない形態から開始して,古英語期に類推によって <h> をとるようになったが,後に再び語頭音の弱化で <h> のない形態に回帰したということになる.
 他のゲルマン語の同根語 ( cognate ) には,Old Saxon や Middle Low German の it,Low German の et,Gothic の ita,Old High German の ëz, Old Icelandic es があり,いずれも <h> をもっていない.しかし,Old Frisian や Middle Dutch には hit があるので,上記の説を正当化するならば,この2言語でも古英語と同様に類推が起こったと考えなければならないのだろう.
 仮にこの説を受け入れるとして,ithitit と回帰した現代英語で将来的に再び hit になる可能性はあるだろうか.恐らくないだろう.現代英語の人称代名詞では,<h> を語頭にもつのは男性単数の he の屈折だけになってしまったので,古英語のときに働いた(とされる)「体系の要請する語頭音揃えの圧力」はすでに弱いのだから.

 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.

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2010-07-11 Sun

#440. 現代に残る敬称の you [honorific][personal_pronoun][pragmatics][title][address_term]

 中英語期の二人称単数代名詞が親称の thou と敬称の you で語用論的に使い分けられていたことについて,関連する話題を何度か扱ってきた ([2009-10-11-1], [2009-10-29-1], [2010-02-12-1], [2010-03-26-1]) .この区別が1660年くらいまでにほぼ消失し,you が一般化した.現在,かつての親称 thou を用いた表現は,聖書や古風な文体でのみ見られる化石的表現と考えてよい.では,かつての敬称 you の化石的表現は何らかの形で現代英語に残っているだろうか.
 一般的ではないかもしれないが,高位の人への呼びかけや you の代わりに,以下のような表現が聞かれる.いずれも大文字で始められ,動詞は三人称単数で呼応する.ただし,代名詞は you として受けることもあれば,heshe として受けることもあり,一貫していない.

Your Majesty 「陛下」(君主)
Your Excellency 「閣下」(大使,知事,総督,司教・大司教など)
Your Grace 「閣下,猊下」(公爵,大司教など)
Your Highness 「殿下」(皇族)
Your Lordship 「閣下」(公爵をのぞく貴族,主教,裁判官など)
Your Honour 「閣下」(地方判事など)
Your Worship 「閣下」(治安判事,市長など)

 これらの Your はかつての敬称の you の所有格であることは明らかである ( Svartvik and Leech, p. 211) .Your Majesty の起源はラテン語の vestra maiestas に遡り,そこからロマンス諸語やゲルマン諸語に広がった.英語では15世紀から見られるが,定着したのは17世紀である.

 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.

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2010-03-26 Fri

#333. イングランド北部に生き残る thou [personal_pronoun][dialect]

 二人称単数代名詞の thou については,このブログでも何度か話題に取りあげた([2010-02-12-1], [2009-10-29-1], [2009-10-11-1]).現代標準英語では聖書や詩などの限られた register で生き残っているにすぎないが,地域変種を考慮に入れると,イングランド北部などで生き延びていることが確認される.通常,綴りは <tha>,発音は /ðə/ で,予想通り中英語以来の親近感のこめられた二人称単数代名詞として用いられているという.
 次の用例は,ヨークシャー発の表現である (Svartvik and Leech 55).

Don't thou thou me, thou thou them as thous thee.


 thou は,二人称親称代名詞としての用法のほか,「二人称親称代名詞 thou で呼びかける」という動詞の用法があり,ここでは "Please don't use thou in addressing me; use thou to address people who use thou in addressing you." ほどの意味になる.

 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.

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2010-02-12 Fri

#291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響 [pragmatics][personal_pronoun][conjugation][paradigm][deixis][t/v_distinction]

 英語史では,二人称代名詞の形態と機能の変遷はよく取りあげられるテーマの一つである.古英語では þūȝē はそれぞれ二人称の単数と複数を表し,単純に数カテゴリーに基づく区別をなしていた(屈折表は[2009-10-24-1]).
 中英語になると,thouye は,古英語からの数カテゴリーの基準に加え,[2009-10-29-1][2009-10-11-1]で触れたように,親称・敬称の区別を考慮に入れるようになった(屈折表は[2009-10-25-1]).T/V distinction と呼ばれる,語用論でいうところの社会的直示性 ( social deixis ) の機能が,単複の区別のうえに覆いかぶさってきたことになる.
 近代英語期には,thou が犠牲となり T/V distinction が解消されたが,同時に古英語以来の単複の区別も解消されてしまい,一般に二人称代名詞としては you だけが残った(屈折表は[2009-11-09-1]).
 中英語の T/V distinction やその対立解消の過程などは,語用論的な関心から英語史でもよく取りあげられるが,しばしば見落とされているのは thou の消失によって,単純化へ向かっていた動詞の屈折体系がさらに単純化したことである.thou が現役だった中英語期の動詞屈折をみてみよう.強変化動詞の代表として binde(n),弱変化動詞の代表として loue(n) の屈折表を掲げる.

ME Verb Conjugation

 中英語の段階では,数・人称による屈折語尾の種類は現在系列で -e(n), -est, -eth の3通りがあったが,これでも古英語に比べれば単純化している.過去系列にあってはさらに種類が少なく,事実上,弱変化二人称単数で -est が他と区別されるのみである.近代英語期に入ると,-e(n) も消失したので,動詞屈折の単純化はいっそう進むことになった.
 そして,近代英語期にもう一つだめ押しが加えられた.上に述べたように,語用論的な原因により thou が消失すると,thou に対応する二人称単数の屈折語尾 -est は現れる機会がなくなり,廃れていった.結果として,三人称単数の -eth (後に -s で置換される)のみが生き残り,現在に至っている.
 thou の消失が,英語の屈折衰退の流れに一押しを加えたという点は覚えておきたい.
 中英語期の動詞屈折については,以下のサイトも参照.

 ・ Horobin, Simon and Jeremy Smith. An Introduction to Middle English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002. 115--16.
 ・ Middle English Verb Morphology
 ・ ME Strong Verbs
 ・ ME Weak Verbs

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2010-01-27 Wed

#275. 現代英語の三人称単数共性代名詞 [personal_pronoun][gender][grammatical_change][political_correctness][singular_they]

 現代英語に起こっている文法変化としてよく取り上げられる話題の一つに,人を表す三人称単数代名詞がある.標準英語には人を表す三人称単数代名詞として he (男性)と she (女性)の二つがあるが,性を含意せずに使うことのできる代名詞は存在しない.一方,複数では性にかかわらず使うことのできる they が存在する.(人称代名詞体系の非対称性については,[2009-11-09-1], [2009-10-24-1]を参照.)

If anyone is interested in this blog, he can always contact me.


のような文を発する場合,伝統的な英語ではここにあるように he が使われてきた.だが,anyone は女性の可能性も半分あるわけで,それを受ける人称代名詞は he では不適切であるという議論が成り立つ.そこで,言語における男女平等を達成しようと,heshe の代わりとなる共生代名詞が様々な形で提案されてきた.Crystal (46) などから列挙すると:

 ・ co (used in some American communes)
 ・ E
 ・ et
 ・ he or she
 ・ heesh
 ・ hesh
 ・ hir
 ・ ho
 ・ jhe
 ・ mon
 ・ na (used by some novelists)
 ・ ne
 ・ per (used by some novelists)
 ・ person
 ・ po
 ・ s/he
 ・ tey
 ・ they (as a singular pronoun)
 ・ thon
 ・ xe

 どう発音するのか不明な例も含めて代案は乱立しているが,どれもしっくりこないということで広く支持されているものはない.当面の現実的な提案として,heshe を使わないですむように書き換えるべし,といわれることも多い.上の文であれば,If you are interested in this blog, you can always contact me.Those who are interested in this blog can always contact me. などがあるだろうか.
 どのように決着をみるかはわからない.いずれかの代案が採用されるのか,書き換え strategy で問題を回避するのか.前者であれば,(1) 複数の選択肢が提案され (variation),(2) いずれかが選ばれ (potential for change),(3) 文法体系のなかに定着し (implementation),(4) 人々のあいだに広まる (diffusion),という言語変化の一般的なステップ (Smith 7) を踏むことになるのだろう.

 ・Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997.
 ・Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.

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2009-11-11 Wed

#198. its の起源 [spelling][personal_pronoun][punctuation][gender][genitive]

 昨日の記事[2009-11-10-1]で,人称代名詞 its の用法について触れた.そこに挙げた Shakespeare (First Folio ed.) からの引用では,its ではなく it's という綴字が用いられていることに気づいただろうか.First Folio 版を全体としてみると,apostrophe ありの it's が9例,なしの its が1例,確認される.当時は it's のほうが頻度が高かったことになる.
 apostrophe の有無は別として,そもそも its が所有代名詞として使われるようになったこと自体が,比較的あたらしい.its の初例は16世紀末であり,それ以前の古英語・中英語の時期は,his が用いられていた.この his は,[2009-09-29-1],[2009-10-25-1]でみたように,由緒正しい三人称単数中性の形態であり,三人称単数男性 his の転用というわけではない.同様に,歴史的には him は三人称単数男性の与格形であるとともに三人称単数中性の与格形でもあった.
 だが,中英語期に,文法性 ( grammatical gender ) が廃れて自然性 ( natural gender ) が名詞・代名詞のカテゴリーとして確立してくると,男性(人)と中性(非人)のものとで同じ代名詞の形態が共有されていることに違和感が生じてくる.実際に,Chaucer の代名詞体系 [2009-10-25-1] では,古英語で中性与格形だった him は姿を消している.そして,近代英語期にずれこみはしたが,違和感解消の圧力は,中性属格形だった his にも及んだ.中性の his を置き換えたのは,it という主格形に名詞の所有格語尾として定着していた -s を付けようという単純な発想に基づいて作られた its だった.
 中性としての himhis の消失・置換のほかにも,人と非人の区別を明確にしようという圧力は,先行詞に応じて関係代名詞 whowhich を使い分けるようになった過程にもみられる.これも,近代英語期に生じた過程である.
 以上の背景で its は16世紀末に現れ,17世紀中にはほぼ確立した.しかし,初期の綴字である it's も19世紀初まで散発的にみられたし,誤用として現在にまで根強く残っている.it isit has の省略形としての it's と,代名詞の所有格の its は,発音が同じこともあり,現在でも英語母語話者にとって最もよく間違えられる綴字の一つである.このよくある間違いについてはこちらの記事も要参照.

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2009-11-10 Tue

#197. its に独立用法があった! [personal_pronoun]

 昨日の記事[2009-11-09-1]で,現代英語の人称代名詞体系において,it に対応する所有代名詞の独立用法が欠けていると指摘した.「それのもの」という表現は確かに他の性や人称に比べれば使用頻度が少ないように思われるが,its という限定用法がありながら,独立用法が欠けているのは,体系として欠陥であるといわざるを得ない.
 しかし,驚くなかれ,この its には非常にまれながら独立用法が存在するのである.あまりに稀少なので屈折表のなかに取り込まれていないだけで,「あり得ない」わけではないということを示しておきたい.ただし,its が独立用法として使用されるのは,対比表現に限られるようである.以下の3例のうち,最初の2例は Quirk et al. の CGEL の例を再掲したもので,最後の例は OED より Shakespeare, Henry VIII 1.1.18 (First Folio ed.) からの引用である(こちらを参照).

 ・History has ITS lessons and fiction has ITS.
 ・She knew the accident was either her husband's fault or the car's: it turned out to be not HIS but ITS.
 ・Each following day Became the next dayes master, till the last Made former Wonders, it's.

 対比としてでなければ使用できないのでは,やはり屈折体系に納めることはできないということか.

 ・Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985. 362 (fn. [a]).

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2009-11-09 Mon

#196. 現代英語の人称代名詞体系 [personal_pronoun][gender][paradigm]

 [2009-09-29-1], [2009-10-24-1]で古英語の人称代名詞の屈折表を,[2009-10-25-1]で Chaucer に代表させて中英語の人称代名詞の屈折表を示した.対比のために,現代英語の人称代名詞の屈折表も示しておこうと思ったので,以下に掲げる.

Paradigm of PDE Personal Pronouns

 伝統的な英語教育では,学習者は I -- my -- me -- mine などと唱えて覚えるが,形態論的に体系づけるとこのような配列となる.
 現代英語の人称代名詞を分類するカテゴリーには「人称」「性」「数」「格」があり,名詞よりもはるかに複雑である.「性」は,古英語にあったような文法性 ( grammatical gender ) ではなく,指示対象の生物学的な性によって定まる自然性 ( natural gender ) である.「男性」「女性」に対して「非人」というのは妙な用語だが,英語の non-personal をうまく訳せなかっただけである.
 [2009-10-24-1]では古英語の人称代名詞体系の非対称性に言及したが,現代英語の体系も多くの点で非対称的である.すぐに気づくのは,it に対応する所有代名詞の独立用法の形態が存在しないことだろう.また,二人称で単数と複数のあいだに形態的な区別がない ( you ) のは,現代英語の泣き所ともいえる.三人称女性単数で,目的格と所有格(限定用法)にも区別がない ( her ).
 このように細かいところを指摘すればきりがない.時とともに変化する宿命にある言語において,体系とは,きれいにまとまらないものなのだろう.

 ・Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985. 346.

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2009-10-29 Thu

#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction [pragmatics][personal_pronoun][typology][german][taboo][t/v_distinction]

 [2009-10-11-1]で世界の言語における T/V distinction の類型を簡単に紹介した.
 英語では,中英語期に thou (親称)と you (敬称)により相手との社会的関係を標示する手段が存在したが,後に you に一本化されてからは区別する手段がなくなっている.thou でなく you の方に一本化したということは,相手との距離を大きく取る方向へ舵を切ったということになるだろう.
 比較しておもしろいのは,ドイツ語の T/V distinction の通時的変遷である.現代ドイツ語では,二人称親称代名詞は du,二人称敬称代名詞は Sie として区別しているが,かつてはそうではなかったという.最初は二人称敬称代名詞として二人称複数形 Ihr を転用していたらしい.つまり,英語で本来的に二人称複数形であった you を敬称として転用したのと同じ状況があったことになる.
 ところが,次に三人称単数男性形 Er が二人称敬称代名詞として使われるようになった.そして,さらに三人称複数形 Sie がその役割を担うようになり,現在に至っている.英語でたとえれば,二人称敬称代名詞が youhethey と変遷してきたということになる.ドイツ語では,二人称敬称代名詞を表す形態こそ変化してきたが,その機能は失わずに保ってきたということになろう.
 上記のように,英語とドイツ語とでは,二人称敬称代名詞に関して異なる歴史を歩んできたわけだが,T/V distinction という語用論的機能は,いずれの言語でも,どうやら扱いづらいもののようだ.二人称単数(=相手)を名指しするやり方は,日本語ならずとも,やはり神経を使うものなのだろう.
 ドイツ語で,Ihr と複数形によって「あなた」を間接的に指していたはずが,使われ続けるうちにその間接性が薄まり,結局は直接的に指しているのと同じくらい生々しい効果を生んだ.そこで再び新しい間接的で丁寧な「あなた」として Er を使い出したが,これもそのうちに手垢がついて,直接性が感じられるようになる.そこで,次に Sie を持ってくる・・・.これは「敬意逓減の法則」と呼ばれるが,この調子でいくと,永遠に新しい語が現れては滅ぶということを繰り返すことになりそうだ.英語では,この輪廻を断ち切って,いわば涅槃の境地に達したということになるのかもしれない.
 文化人類学的には,「人を呼ぶ」(=相手の名指し)は「相手に触れる」のと同様のタブー性を有しているとされ,多くの言語文化で敬避的呼称が発達しているという.[2009-10-11-1]の結論の追認することになるが,涅槃の境地に達した英語と,煩悩を抱き続けている日本語を含めた多くの言語とでは,呼称に対する言語文化の差は実に大きいのだなと改めて感じさせられる.

 ・滝浦 真人 「呼称のポライトネス」 『月刊言語』38巻12号,2009年,32--39頁.

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