「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]) で Stern による意味変化の分類をみた.同じくらい影響力のある意味変化の分類として,Ullmann のものがある.この分類は Ullmann の第8章 "Change of Meaning" (193--235) で紹介されているが,それを Waldron (136) が非常に端的にまとめてくれているので,そちらを示そう.
A. Semantic changes due to linguistic conservatism
B. Semantic changes due to linguistic innovation
I. Transfers of names:
(a) Through similarity between the senses;
(b) Through contiguity between the senses.
II. Transfers of senses:
(a) Through similarity between the names;
(b) Through contiguity between the names.
III. Composite changes.
A の "linguistic conservatism" というのは誤解を招く名付け方だが (see Waldron, pp. 138--39),Stern の意味変化の類型でいうところの adequation と substitution におよそ相当する.ある語の指示対象(の理解)が歴史的に変化するにつれ,その語の意味も変化してきたケースを指す (ex. ship, atom, scholasticism) .B の "linguistic innovation" は,意味 (sense) と名前 (name) の対立に,類似性 (similarity) と隣接性 (contiguity) の対立を掛け合わせた論理的な体系へと下位区分されている.
とりわけ Ullmann の関心は B の I と II にあるということで,Waldron (137) はこの2つの分類について,さらに直感的に理解しやすいように,以下のような図にまとめている.
(a) (b) Similarity Contiguity ------------------------------------------------ I. between senses: between senses: Metaphor Metonymy ---> Name-Transfer ------------------------------------------------ II. between names: between names: Popular Etymology Ellipsis ---> Sense-Transfer ------------------------------------------------
現代英語では,指示代名詞である this, that, these, those は各々単独で,人を指示することができる.しかし,単数系列にはある特徴がある.単数の this, that が単独で人を指す場合には,原則として軽蔑的な含意がこめられるというのだ(本記事では,This is John. のような人を紹介する文脈での用法は除くものとする).この用法に関心を示した Poussa (401) は,that のこの用法の初例として OED から1905年の例文を引いている.
'Would you like to marry Malcolm?' I asked. 'Fancy being owned by that! Fancy seeing it every day!' (Eleanor Glynn, Vicissitudes of Evangeline: 127).
Poussa は,このような that(や this)の用法を,英語史上,比較的最近になって現われたものとし,社会的直示性を示す "comic-dishonourific" な用法と呼んだ.20世紀初頭ではこの用法はまだほとんど気づかれていなかったようで,例えば Jespersen (406) は,this と that がそもそも単独で人を表わす用法はないと述べている.
While in the adjunctal function the plural forms these and those correspond exactly to the singulars this and that, the same cannot be said with regard to the same forms used as principals, for here this and that can no longer be used in speaking of persons, while these and those can. The sg of those who is not that who (which is not used), but he who (she who); similarly there is no sg that present corresponding to the pl those present
元来 this, that が単独で人を指示することができなかったことと,新しい用法として人を指せるようにはなったものの,そこに否定的な社会的直示性が含意されていることとは,無関係ではないだろう.this, that が単独で人を指すのには,いまだ何らかの抵抗感があるものと思われる.
しかし,さらに古く歴史を遡ると,古英語でも中英語でも,this, that は,確かに頻繁ではないものの,複数形の these, those とともに単独で人を指すことができたのである (Jespersen 409--10) .ここで,単独で人を指す this, that のかつての用法が,なぜ現代英語の直前期までに一旦消えることになったのかという,別の問題が持ち上がることになる.
Poussa は,gender という意外な観点を持ち出して,この問題に迫った.3人称代名詞が単数系列では he, she と男女を区別し,複数系列では区別せずに共通して they を用いる事実と,指示代名詞の分布を関係づけたのである.
上の図 (Poussa 405) に示したように,もとより性を区別しない複数系列では,人称代名詞の they はもちろん,指示代名詞 these, those も単独で人を指すことができるが,単数系列では性を区別できる人称代名詞 he, she のみが可能で,性を区別できない指示代名詞 this, that を用いることはできない.単数系列では,this, that は性を区別することができないがゆえに,その生起がブロックされるというわけだ.このことは,文法性として男性と女性を区別していた古英語の分布図 (Poussa 407) と比較すると,より明らかになる.
古英語では,単数系列で指示代名詞が男性と女性を区別しえたために,単独で人を指すことも問題なく許容されたと解釈できる.後世の観点からすると,いまだ [-HUMAN] の意味特性を獲得していないということができる.
Poussa は,近現代英語につらなる "HUMAN" という意味特性の発生は,古英語から中英語にかけての文法性の体系の崩壊と関連して生じたものであり,指示体系の新たな原理の創出の反映であるとみている.初期近代英語における his に代わる its の発展や,関係代名詞 which と who の先行詞選択の発達も,同じ新しい原理に依拠しているといえるだろう (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1]),「#1418. 17世紀中の its の受容」 ([2013-03-15-1])) .
Poussa の議論を受け入れるとすれば,後期古英語からの音声変化によって文法性の体系が崩れ,中英語期に形態論と統語論を劇的に変化させることとなったが,さらに近代英語期以降に,その余波が意味論や語用論にも及んできたということになる.英語史の壮大なドラマを感じざるを得ない.
・ Poussa, Patricia. "Pragmatics of this and that." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 401--17.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 2. Vol. 1. 2nd ed. Heidelberg: C. Winter's Universitätsbuchhandlung, 1922.
固有名詞の本質的な機能は,個物や個人を特定することにある.このことに異論はないだろう.確かに世の中には John Smith や鈴木一郎はたくさんいるかもしれないが,その場その場では,ある人物を特定するのに John Smith や鈴木一郎という名前で十分なことがほとんどである.固有名詞の最たる役割は,identification である.
固有名詞には,その機能を果たす目的と関連の深い,付随した特徴がいくつかある.立川・山田 (100--08) は,言語論において固有名詞がいかに扱われてきたか,その歴史を概観しながら,固有名詞の特徴として以下の4点ほどに触れている.
(1) 固有名詞は一般概念としてのシニフィエをもたず,個物や個人を直接的に指示する.すなわち,シニフィエ (signifié) なきシニフィアン (signifiant),空虚なシニフィアンである.
(2) 固有名詞は翻訳不可能である.
(3) 固有名詞は言語のなかにおける外部性を体現している.
(4) 固有名詞は意味生成の拠点である.
(1) は,端的に言えば固有名詞には意味がないということだ.普通名詞のもっているような象徴化機能を欠いているということもできる.一方で,指示対象は明確である.指示対象を特定するのが固有名詞の役割であるから,明確なのは当然である.意味あるいはシニフィエをもたずに,指示対象を直接に指すことができるというのが固有名詞の最も際立った特徴といえるだろう.「#1769. Ogden and Richards の semiotic triangle」 ([2014-03-01-1]) の図でいえば,底辺が直接に矢印で結ばれるようなイメージだ.
(2) 以下の特徴も,(1) から流れ出たものである.(2) の固有名詞の翻訳不可能性は,固有名詞にもともと意味(シニフィエ)がないからである.翻訳というのは,シニフィエは(ほとんど)同一だが,シニフィアンが言語によって異なるような2つの記号どうしの関連づけである.したがって,シニフィエがない固有名詞には,翻訳という過程は無縁である.人名の Smith は「鍛冶屋」,鈴木は「鈴の木」であるから,意味があると議論することもできそうだが,人名として用いるときに意味は意識されることはないし,他言語への翻訳にあたって,通常,意味を取って訳すことはしない.
(3) は,固有名詞が紛れもなく言語を構成する一部であるにもかかわらず,ソシュールの唱えるような差異の体系としての言語体系にはうまく位置づけられないことを述べたものである.言語が差違の体系であるということは,語彙でいえば,ある語は他の語との主として意味的な関係において相対的に存在するにすぎないということである.例えば,「男」という名詞は「女」という名詞との意味の対比において語彙体系内に特定の位置を占めているのであり,逆もまた然りである.語彙体系は,主として意味における対立を基本原理としているのだ.ところが,固有名詞は意味をもたないのであるから,主として意味に立脚する語彙体系には組み込まれえない.固有名詞は,言語内的な意味を経由せずに,直接に外界の指示対象を示すという点で,内部にありながらも外部との連絡が強いのである.固有名詞という語類は,ソシュール的な言語体系のなかに明確な位置づけをもたない.コトバとモノの狭間にある特異な存在である.
(4) は逆説的で興味深い指摘である.固有名詞は,確かにシニフィエはもたないが,シニフィアンをもっている以上,外面的に記号の体裁は保っている.半記号とでも呼ぶべきものであり,少なくとも記号の候補ではあろう.そのようにみると,固有名詞には一人前の記号となるべく何らかのシニフィエを獲得しようとする力が働くものなのではないか,とも疑われてくる.固有名詞のシニフィアンに対応するシニフィエは無であるからこそ,その穴を埋めるべく何らかのシニフィエが外から押し寄せてくる,という考え方である.これは,意味生成 (signifiance) の過程にほかならない.立川・山田 (104--05) は,固有名詞の意味生成について次のように述べる(原文の傍点は下線に替えてある).
さらに興味深いのは,語る主体にたいする固有名詞の効果である.通常の語がすでに意味によって充満しているのにたいして,意味をもたない〈空虚なシニフィアン〉である固有名詞は,その空虚=シニフィエ・ゼロをめざして押し寄せてくる主体のさまざまな情念や想像にとらえられ,ディスクールのレベルでは逆に多義性を獲得してしまう.つまり,固有名詞はラングのレベルでシニフィエをもたないがゆえに,語る主体たちのファンタスムを迎えいれ,それと同時にみずから核となってファンタスムを増殖させていくのである.
「#1108. 言語記号の恣意性,有縁性,無縁性」 ([2012-05-09-1]),「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]) などで,普通名詞の固有名詞化は意味の無縁化としてとらえることができると示唆したが,一旦固有名詞になると,今度は意味を充填しようとして有縁化に向けた過程が始動するということか.有縁化と無縁化のあいだの永遠のサイクルを思わずにいられない.
立川・山田 (100) は「固有名詞という品詞をいかに定義するか.それは,それぞれの言語理論の特性を浮かびあがらせてしまう試金石であるといってもよい.」と述べている.
・ 立川 健二・山田 広昭 『現代言語論』 新曜社,1990年.
言語学史的にみれば,アメリカ構造言語学は明らかに形態重視の言語学だった.言語における意味に関しては,行動主義の観点から理解したものの,本格的に考察して理論化することはなかった.意味を軽視していたと言わざるをえない.しかし,アメリカ構造言語学の領袖 Bloomfield 自身は,彼に続く門下生ほど,意味を軽視していたわけではない.むしろ,よく考えていたからこそ,その難しさをも理解していた.意味を彼の創始した言語科学に持ち込むのに慎重だったのである.
立川・山田 (58) も Bloomfield をそのように評価しながら,「いままでのどの言語理論家にもまして,〈意味〉の本質をつく明解な定義を提出したのが,ほかならぬこのブルームフィールドだった」とまで述べている.その定義とは,以下のくだりである.
When anything apparently unimportant turns out to be closely connected with more important things, we say that it has, after all, a "meaning"; namely, it "means" these more important things. Accordingly, we say that speech-utterance, trivial and unimportant itself, is important because it has a meaning: the meaning consists of the important things with which the speech-utterance . . . is connected, namely the practical events . . . . (Bloomfield 27)
話者にとってより重要でないことを通じてより重要であることを表わす作用,その両者の関係こそが意味であると,Bloomfield は考えた.例えば,[ai] という音のつながりは,それ自体は物理的な音波にすぎず,些末なものである.しかし,それは日本語では「愛」,英語では I という,より重要とみなされるであろう事物や概念に結びつけられている.この結びつきこそが [ai] の意味であると考えられる.
立川・山田 (58--59) の説明を聞いてみよう.
だから,〈意味〉というのは,主体がある現象を,なんであれそれよりも「重要」だと彼がみなす,ほかの物質的ないし心的な事物に結びつける際の関係のことだ,ということになるだろう.「ヨリ重要な物事」が言及対象であるか概念であるか行動であるか,そのことはここでは問題ではない(ちなみに,ブルームフィールド自身は,〈意味=行動説〉に立っている).問題なのは,主体が現に聴いている音,見ている形や色などに満足することなく,それを不在の「ヨリ重要な物事」に関係づけるという,そのプロセスである.
このように,意味とは価値の階層的な関係を構成している.何がより重要でなく,何がより重要かは,文化によっても異なるものであるから,その限りにおいて意味(作用)とは相対的なものとならざるをえない,ということにもなる.Bloomfield は,意味の相対性を知っていたゆえに,音韻や形態と同列に意味を理論化することの困難にも気づいていたのだろう.
意味の意味については,「#1782. 意味の意味」 ([2014-03-14-1]),「#1863. Stern による語の意味を決定づける3要素」 ([2014-06-03-1]),「#1769. Ogden and Richards の semiotic triangle」 ([2014-03-01-1]) も参照されたい.
・ 立川 健二・山田 広昭 『現代言語論』 新曜社,1990年.
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
先日,国立新美術館で開催されているマグリット展に足を運んだ.13年ぶりの大回顧展という.
René Magritte (1898--1967)はベルギーの国民的画家で,後のアートやデザインにも大きな影響を与えたシュルレアリスムの巨匠である.言葉とイメージの問題,あるいは記号論の問題にこだわり続けたという点で,マグリットの絵画は「言語学的に」鑑賞することが可能である.
マグリットは metaphor と metonymy を意識的に多用した.多用したというよりは,それを生涯のテーマとして掲げていた.metaphor や metonymy という言葉のあやを絵画の世界に持ち込み,目に見える形で描いた.つまり,目に見える詩の芸術家である.
意味論において metaphor は類似性 (similarity) に基づき,metonymy は隣接性 (contiguity) に基づくとされ,2つは対置されることが多い.しかし,対置される関係ではないという議論もしばしば聞かれる.マグリットも,絵画のなかで metaphor と metonymy を対立させるというよりは,しばしば同居させ,融合させることによって,この議論に参加しているかのようである.
例えば,マグリットの絵には,一本の木が,立てられた一枚の葉の輪郭として描かれているものが何点もある.木と葉の関係は全体と部分の関係であり,典型的な metonymy の例だが,同時に両者の輪郭が類似しているという点において,その絵は metaphor ともなっている.絵を眺めていると,metonymy でもあり metaphor でもあるという不思議な感覚が生じてくるのだ.もう1つ例を挙げると,Le Viol (陵辱)という作品では,女性の胸像がそのまま女性の顔とも見えるように描かれている.体と顔とは上下に互いに隣接しており metonymy の関係をなすが,その絵においてはいずれとも見ることができるという点で metaphor でもある.Dubnick (417) によれば,マグリットは,この絵のなかで視覚的に metaphor と metonymy を表現したのみならず,同時に背後で言葉遊びもしているという.
Le Viol (The Rape, 1934) which substitutes a woman's torso for her face, is predominantly metonymic though relationships of similarity are also important. The breasts are substituted for eyes, the navel for the nose, and perhaps a risqué pun on the word labia is intended. This monstrous image is both funny and grotesque. But even though this image may convey a metaphorical and moral message about the sexual basis of a woman's identity, especially in the eyes of the rapist, the core of the painting is really the vulgar synecdoche which replaces the word "woman" with a slang term for a female's genitals. Thus, this is both a verbal and a visual pun.
Dubnick (418) は,言語学者 Roman Jakobson を引き合いに出しながら,マグリットを次のように評価して評論を締めくくっている.
Jakobson's linguistic theories about metaphor and metonymy suggest that the phrase "visible poetry" was not an empty metaphor for Magritte, who created figures of speech with paint.
・ Dubnick, Randa. "Visible Poetry: Metaphor and Metonymy in the Paintings of René Magritte." Contemporary Literature 21.3 (1980): 407--19.
言葉のあや (figure of speech) のなかでも,王者といえるのが比喩 (metaphor) である.動物でもないのに椅子の「あし」というとき,星でもないのに人気歌手を指して「スター」というとき,なめてみたわけではないのに「甘い」声というとき,比喩が用いられている.比喩表現があまりに言い古されて常套語句となったときには,比喩の作用がほとんど感じられなくなり,死んだメタファー (dead metaphor) と呼ばれる.日本語にも英語にも死んだメタファーがあふれており,あらゆる語の意味がメタファーであるとまで言いたくなるほどだ.
metaphor においては,比較の基準となる source と比較が適用される target の2つが必要である.椅子の一部の例でいえば,source は人間や動物の脚であり,target は椅子の支えの部分である.かたや生き物の世界のもの,かたや家具の世界のものである点で,source と target は2つの異なるドメイン (domain) に属するといえる.この2つは互いに関係のない独立したドメインだが,「あし」すなわち「本体の下部にあって本体を支える棒状のもの」という外見上,機能上の共通項により,両ドメイン間に橋が架けられる.このように,metaphor には必ず何らかの類似性 (similarity) がある.
「#2102. 英語史における意味の拡大と縮小の例」 ([2015-01-28-1]) で例をたくさん提供してくれた Williams は,metaphor の例も豊富に与えてくれている (184--85) .以下の語彙は,いずれも一見するところ metaphor と意識されないものばかりだが,本来の語義から比喩的に発展した語義を含んでいる.それぞれについて,何が source で何が target なのか,2つのドメインはそれぞれ何か,橋渡しとなっている共通項は何かを探ってもらいたい.死んだメタファーに近いもの,原義が忘れ去られているとおぼしきものについては,本来の語義や比喩の語義がそれぞれ何かについてヒントが与えられている(かっこ内に f. とあるものは原義を表わす)ので,参照しながら考慮されたい.
1. abstract (f. draw away from)
2. advert (f. turn to)
3. affirm (f. make firm)
4. analysis (f. separate into parts)
5. animal (You animal!)
6. bright (a bright idea)
7. bitter (sharp to the taste: He is a bitter person)
8. brow (the brow of a hill)
9. bewitch (a bewitching aroma)
10. bat (You old bat!)
11. bread (I have no bread to spend)
12. blast (We had a blast at the party)
13. blow up (He blew up in anger)
14. cold (She was cold to me)
15. cool (Cool it,man)
16. conceive (f. to catch)
17. conclude (f. to enclose)
18. concrete (f. to grow together)
19. connect (f. to tie together)
20. cut (She cut me dead)
21. crane (the derrick that resembles the bird)
22. compose (f. to put together)
23. comprehend (f. seize)
24. cat (She's a cat)
25. dig (I dig that idea)
26. deep (deep thoughts)
27. dark (I'm in the dark on that)
28. define (f. place limits on)
29. depend (f. hang from)
30. dog (You dog!)
31. dirty (a dirty mind)
32. dough (money)
33. drip (He's a drip)
34. drag (This class is a drag)
35. eye (the eye of a hurricane)
36. exist (f. stand out)
37. explain (f. make flat)
38. enthrall (f. to make a slave of)
39. foot (foot of a mountain)
40. fuzzy (I'm fuzzy headed)
41. finger (a finger of land)
42. fascinate (f. enchant by witchcraft)
43. flat (a flat note)
44. get (I don't get it)
45. grasp (I grasped the concept)
46. guts (He has a lot of guts)
47. groove (I'm in the groove)
48. gas (It was a gasser)
49. grab (How does the idea grab you?)
50. high (He got high on dope)
51. hang (He's always hung up)
52. heavy (I had a heavy time)
53. hot (a hot idea)
54. heart (the heart of the problem)
55. head (head of the line)
56. hands (hands of the clock)
57. home (drive the point home)
58. jazz (f. sexual activity)
59. jive (I don't dig this jive)
60. intelligent (f. bring together)
61. keen (f. intelligent)
62. load (a load off my mind)
63. long (a long lime)
64. loud (a loud color)
65. lip (lip of the glass)
66. lamb (She's a lamb)
67. mouth (mouth of a cave)
68. mouse (You're a mouse)
69. milk (He milked the job dry)
70. pagan (f. civilian, in distinction to Christians, who called themselves soldiers of Christ)
71. pig (You pig)
72. quiet (a quiet color)
73. rip-off (It was a big rip-off)
74. rough (a rough voice)
75. ribs (the ribs of a ship)
76. report (f. to carry back)
77. result (f. to spring back)
78. shallow (shallow ideas)
79. soft (a soft wind)
80. sharp (a sharp dresser)
81. smooth (a smooth operator)
82. solve (f. to break up)
83. spirit (f. breath)
84. snake (You snake!)
85. straight (He's a straight guy)
86. square (He's a square)
87. split (Let's split)
88. turn on (He turns me on)
89. trip (It was a bad (drug) trip)
90. thick (a voice thick with anger)
91. thin (a thin sound)
92. tongue (a tongue of land)
93. translate (f. carry across)
94. warm (a warm color)
95. wrestle (I wrestled with the problem)
96. wild (a wild idea)
ラテン語由来の語が多く含まれているが,一般に多形態素からなるラテン借用語は,今日の英語では(古典ラテン語においてすら)原義として用いられるよりも,比喩的に発展した語義で用いられることのほうが多い.体の部位や動物を表わす語は比喩の source となることが多く,共感覚 (synaesthesia) の事例も多い.また,比喩的な語義が,俗語的な響きをもつ例も少なくない.
このように比喩にはある種の特徴が見られ,それは通言語的にも広く観察されることから,意味変化の一般的傾向を論じることが可能となる.これについては,「#1759. synaesthesia の方向性」 ([2014-02-19-1]),「#1955. 意味変化の一般的傾向と日常性」 ([2014-09-03-1]),「#2101. Williams の意味変化論」 ([2015-01-27-1]) などの記事を参照.
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.
「#2175. 伝統的な意味変化の類型への批判」 ([2015-04-11-1]) の記事に補足したい.McMahon (184--86) は,意味変化を扱う章で,やはり伝統的な意味変化の類型を概説しながらも,それに対する批判を繰り広げている.前回の記事と重なる内容が多いが,McMahon の議論を聞いてみよう.
まず,伝統的な意味変化の類型においては,一般化 (generalization),特殊化 (specialization),悪化 (pejoration),良化 (amelioration) のほかメタファー (metaphor),メトニミー (metonymy),省略 (ellipsis),民間語源 (folk_etymology) などのタイプがしばしば区別されるが,最後の2つは厳密には意味変化の種類ではない.意味にも間接的に影響を及ぼす形態の変化というべきものであり,せいぜい二次的な意味における意味変化にすぎない.換言すれば,これらは semasiological というよりは onomasiological な観点に関するものである.この点については,「#2174. 民間語源と意味変化」 ([2015-04-10-1]) でも批判的に論じた.
次に,複数の意味変化の種類が共存しうることである.例えば,民間語源の例としてしばしば取り上げられる現代英語の belfry (bell-tower) では,鐘 (bell) によって鐘楼を代表する "pars pro toto" のメトニミー(あるいは提喩 (synecdoche))も作用している.この意味変化を分類しようとすれば,民間語源でもあり,かつメトニミーでもあるということになり,もともとの類型が水も漏らさぬ盤石な類型ではないことを露呈している.このことはまた,意味変化の原因やメカニズムが極めて複雑であること,そして予測不可能であることを示唆する.
最後に,従来挙げられてきた類型によりあらゆる意味変化の種類が挙げ尽くされたわけではなく,網羅性が欠けている.もっとも意味変化の種類をでたらめに増やしていけばよいというものでもないし,そもそも類型として整理しきることができるのかという問題はある.
結局のところ,類型の構築が難しいのは,(1) 意味変化が社会や文化を参照しなければ記述・説明ができないことが多く,(2) 不規則で予測不可能であり,(3) 共時的意味論の理論的基盤が(共時的音韻論などよりも)いまだ弱い点に帰せられるように思われる.
・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.
「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1]),「#2060. 意味論の用語集にみる意味変化の分類」 ([2014-12-17-1]),「#2102. 英語史における意味の拡大と縮小の例」 ([2015-01-28-1]) などで,伝統的な意味変化の類型をみてきた.とりわけどの概説書にも出てくる意味変化の4種は,[2010-08-13-1]で取り上げた,一般化 (generalization),特殊化 (specialization),悪化 (pejoration),良化 (amelioration) である.この伝統的な分類では,最初の2つが指示対象の範囲の拡大縮小という denotation の軸に関わり,後の2つが主観的評価の高低という connotation の軸に関わっている.2つの軸のみでスパッと切れる切れ味の良さが受けてきたのだろう,意味変化といえばこの4種が必ず言及される.
確かに非常に分かりやすい類型ではあるが,この4種のいずれにも当てはまらない意味変化は数多く確認されており,しばしば批判にさらされてきたのも事実である.例えば,著名な例である count one's beads における beads (cf. 「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1])) の経た意味変化は,4種のいずれにもあてはまらない.伝統的な類型は,まるで包括的でなく,漏れが非常に多いという批判は免れない.また,ある意味変化が特殊化でもあり悪化でもあるなどのように,2つの区分に同時にあてはまってしまう例も少なくない.これは,類型自体に問題があることを物語っている.
もう1つの批判として,一般化や悪化などの用語は,語の意味変化の前後における旧語義Aと新語義Bとの明示的意味あるいは含蓄的意味の対応関係を名付けた静的なラベルにとどまっている,というものがある.実際には意味変化そのものは動的な過程であり,真に知りたいのはその過程がどのようなものであるかであるはずだ.これについて上記のラベルは何も教えてくれない,と.(関連する議論として,「#2101. Williams の意味変化論」 ([2015-01-27-1]) を参照.)
この点を指摘する批判者の1人である Fortson (650) は,この動的な過程とは再分析 (reanalysis) にほかならないと断言する.再分析は言語使用者の心理的な過程であり,それ自身,所属する文化に依存するという点で社会的な性質も帯びている.したがって,変化の前後の意味を互いに関係づける様式は,4つほどの概念でまとめられるほど単純ではなく,むしろ著しく多様なはずである.この事実を見えなくさせてしまう点で,固定化した伝統的な類型は役に立たない.Fortson (652) の主張は次の通りである.
. . . a fundamental flaw of most categorizations of semantic change is that they rest upon the assumption that an old meaning becomes the new meaning, that there is some real connection between the two. As these and other examples show, however, this assumption is false; a connection between the new and old meanings is illusory. The set of meanings in a speaker's head is created afresh just like all the other components of the grammar. It may legitimately be asked how it is, then, that one can seem so often to find a connection between an old and a new meaning. In the case of metonymic change, the question makes little sense. Metonymic changes are so infinitely diverse precisely because . . . the connections are not linguistic; they are cultural. This has in some sense always been known, but when metonymic extension is defined in terms of an "association" of a word becoming the word's new meaning, we can easily forget that the "association" in question is not linguistic in nature.
Fortson は,意味変化のメカニズムにあるのは再分析という非連続的な過程であると断じており,伝統的に主張されてきた意味変化における意味の連続性を否定している.Fortson のこの見解は言語変化の子供基盤仮説に立脚しており,それがどこまで正しいのかはわからないが,伝統的な意味変化の類型に何か足りないものを感じるとき,それに対する議論の1つを提供してくれている.
・ Fortson IV, Benjamin W. "An Approach to Semantic Change." Chapter 21 of The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Blackwell, 2003. 648--66.
「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1]) で意味の一般化 (generalization) と特殊化 (specialization) について触れた.別の言い方をすれば,意味の拡大 (widening) と縮小 (narrowing) である.英語史からの意味の伸縮の例が一覧できると便利だと思っていたところ,Williams にいろいろと挙げられていたので掲載しよう.
まず,縮小の例から (Williams 171--73) .かっこ内に挙げた意味(の推移)は,縮小を起こす前段階のより広い意味である.現在の主要な語義と比較されたい.
accident (an event)
accost (come alongside in a boat > to approach anyone)
addict (someone who devotes himself to anything)
admonish (advise)
affection (the act of being affected > any affection of the mind)
argue (make clear)
arrest (stop)
artillery (any large implement of war)
carp (talk)
censure (judge)
condemn (pass sentence)
corn (any grain)
cunning (knowledge, skill)
damn (pass sentence)
deer (any animal)
denizen (a citizen of a country or city)
deserts (whatever one deserves, good or bad)
disease (discomfort)
doom (judge)
ecstasy (beside oneself with any strong emotion: fear, joy, pain)
effigy (any likeness)
erotic (relating to love)
esteem (put a value on, good or bad)
fame (report, rumor)
fiend (the enemy)
filth (dirt)
fortune (chance)
fowl (any bird)
ghost (spirit)
grumble (murmur, make low sounds)
hound (any dog)
immoral (not customary)
leer (look obliquely out of the side of the eye)
liquor (liquid)
lust (desire in general)
manure (v., hold land > to cultivate land)
meat (food)
molest (trouble or annoy)
odor (anything perceptible to the sense of smell)
orgy (secret observances)
peculiar (belonging to or characteristic of an individual)
pill (any medicinal ball)
praise (from (ap)praise: set a value on, good or bad)
predicament (any situation)
proposition (a statement set forth for discussion)
reek (smoke from burning matter > produce any vapor)
retaliate (repay for anything)
sanctimonious (holy, sacred)
scheme (horoscope > diagram > plan)
seduce (persuade someone to desert his duty)
shroud (an article of clothing)
smirk (smile)
smug (trim neat)
starve (die)
stink (any odor)
stool (a chair)
success (any outcome)
suggestive (that which suggests something)
syndicate (a group of civil authorities > any group of businessmen pursuing a common commercial activity)
thank (from the general word for think)
vice (a flaw)
次に,拡大の例 (Williams 175--77) を挙げる.
allude (mock)
aroma (the smell of spices)
aunt (father's sister)
barn (a store for barley)
bend (bring a bow into tension with a bow string)
bird (young of the family avis)
box (a small container made of boxwood)
butcher (one who slaughters goats)
carry (transport by cart)
chicken (a young hen or rooster)
deplore (weep for)
detest (condemn, curse)
dirt (excrement)
divest (remove one's clothes)
elope (run away from one's husband)
fact (a thing done)
frantic (madness)
frenzy (wild delirium)
gang (a set of tools laid out for use > a group of workmen/slaves)
go (walk)
harvest (reap ripened grain)
holiday (a holy day)
journey (a day > a day's trip or day's work)
magic (the knowledge and skill of the Magi)
manner (the mode of handling something by hand)
mess (a meal set out for a group of four)
mind (memory > thought, purpose, intention)
mystery (divine revealed knowledge)
oil (olive oil)
ordeal (trial by torture)
pen (a feather for writing)
picture (a painted likeness)
picture (a painting or drawing)
plant (a young slip or cutting)
sail (cross water propelled by the wind)
sail (travel on water)
sanctuary (a holy place)
scent (animal odor for tracking)
silly (deserving of pity > frail > simple, ignorant > feeble minded)
slogan (the battle cry of Scottish clans)
start (move suddenly)
stop (fill or plug up > prevent passage by stopping up > prevent the movement of a person)
surly (sir-ly, that behavior which characterizes a "Sir")
uncle (mother's brother)
ここに挙げた事例数からも推測されるように,意味の拡大と縮小の例を比較すると,縮小の例のほうが一般的に多いもののようだ.その理由は定かではないが,時代とともにあらゆるものが分化していく速度のほうが,それら断片を総合しようとする人間の営為よりも勝っているからかもしれない.概念階層 (cf. 「#1962. 概念階層」 ([2014-09-10-1])) の観点からみれば,下位語 (hyponyms) を作り出し,枝を下へ下へ伸ばしていくことは半ば自動的に進むが,新たな上位語 (hypernyms) を作り出す統合の作業には労力が要る.学問も,ひたすら細分化していきこそすれ,総合の機会は少ない・・・.Williams (177) は,次のような見解を述べている.
It is harder to find a pattern for widening than it is for narrowing. It is not entirely certain, but meanings seem to widen somewhat less frequently than they narrow. As a culture becomes more diversified and more complex with more areas of knowledge and activity, those areas require a vocabulary. Because every language has a finite number of words and because speakers are not inclined to coin completely new forms for new concepts, the simplest way to deal with new areas of knowledge is to use the current vocabulary. Borrowing, derivation, compounding, and so on operate here. But perhaps even more frequent is narrowing.
But on the other hand it can also be difficult to talk about the most ordinary activities of daily life as they diversify. Once it becomes possible to drive (drive originally meaning to force an animal along), or ride (ride originally meaning to go on horseback), or walk (originally meaning to travel about in public), then talking about getting some place without specifying how becomes difficult. The word go, originally meaning to walk, generalized so that an English speaker can now say I am going to town this morning without having to specify how he gets there. Carry generalized from transporting specifically in a conveyance of some sort to transporting by bearing up in general: The wind carried the seed, and so on.
上掲の一覧には,広い意味と狭い意味が完全に推移 (shift) しきった例ばかりではなく,古いほうの語義も残存し,新旧が並存している pill や sanctuary などの例も少なくない.
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.
Williams の英語史を読んでいて,意味変化の扱いが本格的であり(7章と8章を意味変化に当てている),数ある英語史概説書のなかでも比較的よくまとまっているように感じた.以下,いくつかコメントしたい.
Williams (170) は意味変化の局面を "reasons", "mechanism", "consequences" の3種に分けて考えようとしている.この洞察により,意味変化の分類に関してもつれていた頭が少しクリアになったように思う.というのは,従来の分類ではこれらの局面があまり明示的に区別されてこなかったからだ.本ブログでも意味変化(の原因)の分類について「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1]),「#1109. 意味変化の原因の分類」 ([2012-05-10-1]),「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]),「#1973. Meillet の意味変化の3つの原因」 ([2014-09-21-1]),「#2060. 意味論の用語集にみる意味変化の分類」 ([2014-12-17-1]) で取り上げてきたが,いまだ決定的な分類というものはないといってよい.分類法は,論者の数だけあるといっても過言ではないほどだ.Stern も繰り返し示唆しているように,2つの意味変化の動機づけが同じタイプだったとしても異なるタイプに帰結することはあるし,逆に帰結のタイプは同じであっても,経由した過程のタイプは異なるというような意味変化もある.また,異なる複数の要因が絡み合って,1つの意味変化が発生するということもごく普通にみられる.そもそも意味変化の分類といっても,意味変化のどの局面に注目して分類するかという考え方の問題もあり,一筋縄ではいかなかったのだ.Williams も特に何か新しいことを述べているわけではないのだが,"reasons", "mechanism", "consequences" の3局面を区別している点が評価できる.
また,Williams は意味変化の法則 (semantic laws) の話題に1節を割いている (207--10) .この話題については「#1756. 意味変化の法則,らしきもの?」 ([2014-02-16-1]),「#1759. synaesthesia の方向性」 ([2014-02-19-1]),「#1955. 意味変化の一般的傾向と日常性」 ([2014-09-03-1]) の記事などで触れてきたが,Williams (207) も,意味変化の法則とはいわずとも傾向として指摘できることとして,伝統的で無難な項目をいくつか挙げている.
1. Words for abstractions will generally develop out of words for physical experience: comprehend, grasp, explain, and so on.
2. Words originally indicating neutral condition tend to polarize: doom, frame, predicament, luck, merit.
3. Words originally indicating strong emotional response tend to weaken as they are used to exaggerate: awful, terrific, tremendous.
4. Insulting words tend to come from names of animals or lower classes: rat, dog, villain, cad
5. Metaphors will be drawn from those aspects of experience most relevant to us: eye of a needle, finger of land; or most intense in our experience: turn on, spaced out, freaked out, for example.
Williams (208) は,より強力な意味変化の法則の例として「#1756. 意味変化の法則,らしきもの?」 ([2014-02-16-1]) で触れた中英語期に生じた「速く」→「すぐに」の意味変化を取り上げているが,これは「将来を取り込む法則」ではなく「過去についての限定された一般化」であると評している.もう少し法則の名に値するものとしては,Basic Color Terms にみられる通言語的な方向性と,自らが提唱する共感覚 (synaesthesia) の方向性を挙げている(後者については,「#1759. synaesthesia の方向性」 ([2014-02-19-1]) を参照).Williams によれば,「意味変化の法則」にかなうのは,"universals of change which, because they are so regular and so general, reflect internal influences either peculiar to the particular language or to human language and cognition in general" (208) であるようだ.
Williams は,意味変化と関連して slang, argot, cant, jargon といった使用域の「低い」語にも注目しており,著書の副題 "A Social and Linguistic History" にふさわしい社会言語学的な観点からの洞察が光っている.
・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.
・ Williams, Joseph M. "Synaesthetic Adjectives: A Possible Law of Semantic Change." Language 52 (1976): 461--78.
「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]) で触れたが,Stern は様々な種類の意味を区別している.いずれも2項対立でわかりやすく,後の意味論に基礎的な視点を提供したものとして評価できる.そのなかでも論理的な基準によるとされる種々の意味の区別を下に要約しよう (Stern 68--87) .
(1) actual vs lexical meaning. 前者は実際の発話のなかに生じる語の意味を,後者は語(や句)が文脈から独立した状態で単体としてもつ意味をさす.後者は辞書的な意味ともいえるだろう.文法書に例文としてあげられる文の意味も,文脈から独立しているという点で,lexical meaning に類する.通常,意味は実際の発話のなかにおいて現われるものであり,単体で現われるのは上記のように辞書や文法書など語学に関する場面をおいてほかにない.actual meaning は定性 (definiteness) をもつが,lexical meaning は不定 (indefinite) である.
(2) general vs particular meaning. 例えば The dog is a domestic animal. の主語は集合的・総称的な意味をもつが,That dog is mad. の主語は個別の意味をもつ.すべての名前は,このように種を表わす総称的な用法と個体を表わす個別的な用法をもつ.名詞とは若干性質は異なるが,形容詞や動詞にも同種の区別がある.
(3) specialised vs referential meaning. ある語の指示対象がいくつかの性質を有するとき,話者はそれらの性質の1つあるいはいくつかに焦点を当てながらその語を用いることがある.例えば He was a man, take him for all in all. という文において man は,ある種の道徳的な性質をもっているものとして理解されている.このような指示の仕方がなされるとき,用いられている語は specialised meaning を有しているとみなされる.一方,He had an army of ten thousand men. というときの men は,各々の個性がかき消されており,あくまで指示的な意味 (referential meaning) を有するにすぎない.厳密には,referential meaning は specialised meaning と対立するというよりは,その特殊な現われ方の1つととらえるべきだろう.前項の particular meaning と 本項の specialised meaning は混同しやすいが,particular meaning は語の指示対象の範囲の限定として,specialised meaning は語の意味範囲の限定としてとらえることができる.
(4) tied vs contingent meaning. 前者は語と言語的文脈により指示対象が決定する場合の意味であり,後者はそれだけでは指示対象が決定せず話者やその他の状況をも考慮に入れなければならない場合の意味である.前者は意味論的な意味,後者は語用論的な意味といってもよい.
(5) basic vs relational meaning. 語が「語幹+接尾辞」から成っている場合,語幹の意味は basic,接尾辞の意味は relational といわれる.例えば,ラテン語 lupi は,狼という基本的意味を有する語幹 lup- と単数属格という統語関係的意味 (syntactical relational meaning) を有する接尾辞 -i からなる.統語関係的意味は接尾辞によって表わされるとは限らず,語幹の母音交替 ( Ablaut or gradation ) によって表わされたり (ex. ring -- rang -- rung) ,語順によって表わされたり (ex. Jack beats Jill. vs Jill beats Jack.) もすれば,何によっても表わされないこともある.一方,派生関係的意味 (derivational relational meaning) は,例えば like -- liken -- likeness のシリーズにみられるような -en や -ness 接尾辞によって表わされている.大雑把にいって,統語関係的意味と派生関係的意味は,それぞれ屈折接辞と派生接辞に対応すると考えることができる.
(6) word- vs phrase-meaning. あらゆる種類の慣用句 (idiom) や慣用的な文 (ex. How do you do?) を思い浮かべればわかるように,句の意味は,しばしばそれを構成する複数の単語の意味の和にはならない.
(7) autosemantic vs synsemantic meaning. 聞き手にイメージを喚起させる意図で発せられる表現(典型的には文や名前)は,autosemantic meaning をもつといわれる.一方,前置詞,接続詞,形容詞,ある種の動詞の形態 (ex. goes, stands, be, doing) ,従属節,斜格の名詞,複合語の各要素は synsemantic meaning をもつといわれる.
・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.
昨日の記事「#1972. Meillet の文法化」([2014-09-20-1]) で引用した Meillet は,文法化のみならず語の意味変化についても重要な考察を加えている.「#1109. 意味変化の原因の分類」 ([2012-05-10-1]) で部分的に触れたように,特に意味変化の原因について,まとまった記述を残している.
Meillet によれば,意味変化の一般的原因には,言語的原因,歴史的原因,社会的原因の3種が区別される.これらは互いにほとんど関連するところがないため,明確に区別すべきだと論じている.まずは,適用範囲の狭いといわれる言語的原因から.
Quelques changements, en nombre assez restreint du reste, procèdent de conditions proprement linguistiques : ils proviennent de la structure de certaines phrases, où tel mot paraît jouer un rôle spécial. (239)
ここに属するのは,いわゆる文法化の事例などである.フランス語の homme, chose, pas, rien, personne などにおいて,具体的な意味が抽象的・文法的な意味へと変化した例が挙げられている.2つめは,歴史的原因である.
Un second type de changements de sens est celui où les choses exprimées par les mots viennent à changer. (241)
これは指示対象あるいはモノの歴史的変化に依存する語の意味変化である.「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]) でいえば,最初に挙げられている代用 (substitution) に相当する.フランス語の plume (ペン)は,かつては鉄筆を指示したが,後に鵞ペンを指示するようになったという例が挙げられている.名前は変わらないが,技術の発展などによりそれが指すモノが変わった場合に典型的にみられる意味変化である.3つめは社会的原因である.
... la répartition des hommes de même langue en groupes distincts: c'est de cette hétérogénéité des hommes de même langue que procèdent le plus grand nombre des changements de sens, et sans doute tous ceux qui ne s'expliquent pas par les causes précitées. (243--44)
Meillet はこの社会的な原因を最も重要な要因であると考えており,紙幅を割いて論じている.1つの言語の異なる変種においては,それぞれの話者集団に特有の register に彩られた言語使用が発達する.一般的な変種においてある意味をもって用いられている語が,特殊化した変種において別の意味をもって用いられることは,ごく普通に見られる.犯罪者集団の隠語,職業集団の俗語,専門集団の術語などである.各変種で発生した新しい語義が変種間の境を越えて往来すれば,結果としてその語の意味は変化(あるいは多義化)したことになる.
意味変化の3種類の原因と多くの例を挙げたうえで,Meillet は次のように締めくくっている.
Ces exemples, où l'on a remarqué seulement les plus gros faits et les plus généraux, permettent de se faire une idée de la manière dont les faits linguistiques, les faits historiques et les faits sociaux s'unissent, agissent et réagissent pour transformer le sens des mots; on voit que, partout, le moment essentiel est le passage d'un mot de la langue générale à une langue particulière, ou le fait inverse, ou tous les deux, et que, par suite, les changements de sens doivent être considérés comme ayant pour condition principale la différenciation des éléments qui constituent les sociétés. (271)
この碩学のすぐれて社会言語学的な立場が表明されている結論といえるだろう.
・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). Rpt. in Linguistique historique et linguistique générale. Paris: Champion, 1958. 230--71.
昨日の記事「#1968. 語の意味の成分分析」 ([2014-09-16-1]) で導入した componential_analysis には,語彙的関係や統語的・形態的な選択制限をスマートかつ経済的に記述できるという利点があるが,理論的には問題も多い.以下,厳しい批判を加えている Bolinger に主として依拠しながら,問題点を挙げる.
(1) 理想的な成分分析が可能な意味場は限られており,大部分の語彙にはうまく適用できないのではないかという疑問がある.昨日の bachelor, spinster, woman, wife などに関する意味場において相互の概念的関係を表現するには,[MALE], [FEMALE], [UNMARRIED], [MARRIED] (より経済的には [±MALE], [±MARRIED])など比較的少数の成分を用いれば済む.同様に,親族名称 (kinship terms) など閉じられた意味場では,一般に効力を発揮するだろう.しかし,たいていの意味場はもっと開かれているし,そのなかの語彙関係を少数の成分で(否,実際には多数の成分をもってしても)的確に分析するのは極めて困難である.例えば,bird の意味場において,sparrow, penguin, ostrich は,それぞれどのように成分分析すれば互いの関係をスマートに示せるだろうか.上位語の bird に [+CAN FLY] を認めるならば,下位語の penguin はその成分をキャンセルして [-CAN FLY] としなければならないだろう.また,別の下位語 ostrich のために [±CAN RUN FAST] などという成分を認めるべきかなどという問題も生じるかもしれない.
(2) 1つの語の多義をどのように表現するかという問題がある.bachelor には「独身男子」のほかにも,「若い騎士」「学士」「相手のいないオットセイ」の語義もある.これらを統一的に記述する方法はあるだろうか.Bolinger (557) は,Katz and Fodor の分析を引いて示している.
Katz and Fodor は,(Human), (Animal) などのかっこ付きで示される意味成分を "marker" と呼び,[who has never married] などの角かっこ付きで示される,その語義に固有の意味成分を "distinguisher" と呼んで区別した(distinguisher は,固有で特異であるとしてそれ以上分析することのできない要素とされているので,結局のところ,成分分析で押し切ることはできないことを認めてしまっていることになる!).しかし,どのレベルまでが marker で,どのレベルからが distinguisher かについて客観的に定めることは難しい.例えば,「若い騎士」と「相手のいないオットセイ」は,ともに「若い」という意味成分を共有していると考えられるので,(Young) という marker をくくり出すことも可能である.実際,Katz and Fodor は次のような成分分析を新提案として出している (Bolinger 559) .
だが,そうなると,どこまでも marker を増やしていき,distinguisher を下へ下へと追いやることも可能となってくる.例えば,「若い騎士」と「学士」はそれぞれ騎士制度と学位制度のなかで「低い階位」の意味成分を共有しているので,(Hierarchic), (Inferior) などの marker を設定することができるともいえる.半ば強引に marker を増やしていくと,例えば Bolinger (563) が批判混じりに示しているように,次のようなばかげた分析が可能となってくる.
distinguisher の領分を広げれば成分分析の手法そのものの価値が問われるし,marker を増やしていけば,このようにばかげた結果になってしまう.
(3) "Henry became a bachelor in 1965." という文の bachelor の語義は「学士」以外にはありえないことを,話者は知っている.「(一度も結婚したことのない)独身男子」になる(ステータスを変える)ことはできないし,1965年には騎士制度はなかったし,Henry は人間だから,他の語義は自動的に排除される.しかし,とりわけ1965年に騎士制度はなかったという百科事典的な知識は,意味成分として埋め込むことは不適当のように思われる.semantics と pragmatics の境目,辞書的知識と百科事典的知識の境目という問題になってくるが,Katz and Fodor など成分分析を支持する生成意味論者はこの問題に正面から取り組んでいない.
(4) 成分分析では,成分の有無,プラスかマイナスかという二項対立を基盤にしており,程度,連続体,中心と周辺,プロトタイプ (prototype) といった概念を取り込むことができない.また,成分分析はあくまで静的な分析なので,比喩など意味生成の動的な過程を扱うことができない.(それなのに,Katz and Fodor は「生成」意味論を標榜することができるのか?)
上記の問題点は,新しく登場した認知意味論によって解決の糸口を与えられてゆく.とはいえ,成分分析のもつ記述のスマートさと経済性は,大きな魅力であり続けている.語の意味のすべてを成分の束として表現することは困難だとしても,特定の意味場において関連する語彙との異同関係を明示するという目的においては,威力を発揮する分析であることは間違いない.
・ Bolinger, D. "The Atomization of Meaning." Language 41 (1965): 555--73.
伝統的な意味論では,語の意味を,意味の成分あるいは意味の原子要素 (semantic components or primitives) へと分解する成分分析 (componential_analysis) の手法が採られてきた.これは,音素論における「音素は弁別素性の束である」という考え方を語の意味にも応用したものである.
意味成分は,音素における弁別素性と同様に,角括弧にくくって表現される(しばしば + か - かを付した二項対立として表わされるが,以下の例では符号はつけていない).例として,独身男子を表わす bachelor の成分分析を示そう.
bachelor [MALE] [ADULT] [HUMAN] [UNMARRIED]
ここでは,bachelor の概念的意味が4つの成分の組み合わせとして示されている.ただし,この組み合わせがすなわち bachelor の定義そのものであると解釈するのは早計である.むしろ,この組み合わせによって関連する他の語との語彙的・意味的関係が明確になるという点で,成分分析が有用なのである.例えば,独身女性を表わす spinster は,次のように成分分析されるだろう.
spinster [FEMALE] [ADULT] [HUMAN] [UNMARRIED]
この4つの成分の組み合わせが spinster の定義そのものであるというよりは,bachelor の成分分析と比較したときに相互関係が明確になるという利点が大きい.すなわち,bachelor と spinster はともに [ADULT] [HUMAN] [UNMARRIED] という点では共通するが,[MALE] か [FEMALE] かの1点における違いによって,全体として対義関係となることが明示されている.spinster と関連して,woman と wife の成分分析も示そう.
woman [FEMALE] [ADULT] [HUMAN]
wife [FEMALE] [ADULT] [HUMAN] [MARRIED]
spinster と woman は,後者が [UNMARRIED] という成分が関与しないという1点において異なっており,このことから後者は前者の上位語 (hypernym) であることが判明する.また,spinster と wife の関係については,[UNMARRIED] か [MARRIED] かという1点において対立を示す対義語ということになる.さらに,*The man is a wife. の意味的な矛盾も,主語が [MALE] の成分を含んでいるのに,述語は相容れない [FEMALE] の成分を含んでいることにより説明できる.改めて成分分析の最大の利点を指摘すると,語彙における反対関係 (antonymy),包摂関係 (hyponymy),矛盾関係など各種の関係が明示的に表現できるようになったことである.ほかにも,成分分析は,統語的・形態的な選択制限 (selection restriction) の記述にも力を発揮するなど,有用性が認められている.
Katz や Fodor などの生成意味論者は,成分分析の考え方を発展させて,例えば「#1801. homonymy と polysemy の境」 ([2014-04-02-1]) で覗いたような分析を進めた.どこまでもアリストテレス的な二分法で意味を扱おうとする彼らの成分分析の手法には,疑念と批判が向けられてきたし,理論的に難しい課題が指摘されてもいるが,意味分析の有力な方法の1つとして,いまだに影響力を失っていない.
以上,Saeed (259--66) を参照して執筆した.
・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.
先日の「#1961. 基本レベル範疇」 ([2014-09-09-1]) の記事で,基本語彙あるいは基礎語彙の話題を取り上げたときに,Swadesh の提案した基礎語彙に言及した.これは「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) で挙げた100語からなる basic vocabulary のことであり,通言語的に普遍的な基礎語彙であると唱えられている.批判も多いが,比較言語学や歴史言語学では core vocabulary に関する影響力のある提案の1つと認識されている.
core vocabulary を同定するもう1つの試みとして,Wierzbicka や Goddard の提案がある.Swadesh の提案が比較言語学を基盤としているのに対し,Wierzbicka らの提案は意味論を基盤としている.意味論には,ちょうど音韻論において普遍的な弁別素性が仮定されるのと同様に,普遍的な意味の原子要素 (semantic primes) があるはずだと考え,それを同定しようとする伝統がある.これは,意味の成分分析 (componential_analysis) の伝統の延長線上にある.決して成功しているとはいえないが,意味のプリミティヴを追求するというこの魅力的な計画には,これまでも多くの研究者が参加してきた.Goddard もこの計画に魅せられた1人であり,使命感をもって次のように述べている(Cliff Goddard ("Lexico-Semantic Universals: A Critical overview." Linguistic Typology 5.1 (2001): 1--65. p. 3) から引用した Saeed (78) より).
Natural Semantic Metalanguage
. . . a 'meaning' of an expression will be regarded as a paraphrase, framed in semantically simpler terms than the original expression, which is substitutable without change of meaning into all contexts in which the original expression can be used . . . The postulate implies the existence, in all languages, of a finite set of indefinable expressions (words, bound morphemes, phrasemes). The meanings of these indefinable expressions, which represent the terminal elements of language-internal semantic analysis, are known as 'semantic primes'.
具体的には,Wierzbicka と Goddard により,次の60語が "universal semantic primes" として提案されている(Saeed 79).諸言語の語彙を比較調査した上でより抜かれた精鋭の語彙素だといわれる.
Substantives: | I, you, someone/person, something, body |
Determiners: | this, the same, other |
Quantifiers: | one, two, some, all, many/much |
Evaluators: | good, bad |
Descriptors: | big, small |
Mental predicates: | think, know, want, feel, see, hear |
Speech: | say, word, true |
Actions, events, movement: | do, happen, move, touch |
Existence and possession: | is, have |
Life and death: | live, die |
Time: | when/time, now, before, after, a long time, a short time, for some time, moment |
Space: | where/place, here, above, below |
'Logical' concepts: | not, maybe, can, because, if |
Intensifier, augmentor: | very, more |
Taxonomy: | kind (of), part (of) |
Similarity: | like |
昨日の記事「#1961. 基本レベル範疇」 ([2014-09-09-1]) で,概念階層 (conceptual hierarchy) あるいは包摂関係 (hyponymy) という術語を出した.後者の包摂関係は語彙的な関係を念頭においた見方であり,「家具」と「いす」の例で考えれば,「家具」は「いす」の上位語 (hypernym) であるといわれ,「いす」は「家具」の下位語 (hyponym) であるといわれる.一方,前者の概念階層は概念間の関係を念頭においた見方であり,上位と下位の関係が幾重にも広がり,巨大なネットワークが展開されているととらえる.
概念階層を理解するは,具体的にある意味場 (semantic_field) を取り上げ,関係を図示してみるのがよい.生物学における界 (kingdom),門 (phylum or division),綱 (class),目 (order),科 (family),属 (genus),種 (species) の分類図はよく知られた概念階層であるし,比較言語学の系統図 (family_tree) もその一種である.以下では中野 (17) に挙げられている日本語「家具」の意味場における概念階層と,英語 COOK(動詞)の意味場における概念階層を示す.
「家具」について[用途]と[形状・構造]というノードがあるが,これはそれ以下の分類が視点に基づいたものであることを示す.意味場に応じてあり得る視点も変わるだろうし,個人によっても異なる可能性があるので,上の図は1つのモデルと考えたい.
すぐに気づくように,概念階層は語彙学習にも役立つ.上記の COOK は動詞の例だが,FURNITURE, FRUIT, VEHICLE, WEAPON, VEGETABLE, TOOL, BIRD, SPORT, TOY, CLOTHING などの名詞の概念階層を描いてみると勉強になりそうだ.
・ 中野 弘三(編)『意味論』 朝倉書店,2012年.
昨日の記事「#1960. 英語語彙のピラミッド構造」 ([2014-09-08-1]) の最後で,「語彙階層は,基本性,日常性,文体的威信の低さ,頻度,意味・用法の広さといった諸相と相関関係にある」と述べた.言語学では,しばしば「基本的な語彙」が話題になるが,何をもって基本的とするかについては様々な立場がある.直感的には,基本的な語彙とは,日常的に用いられ,高頻度で,子供にも早期に習得される語彙であると済ませることもできそうだし,確かにそれで大きく外れていないと思う.しかし,どこまでを基本語彙と認めるかという問題や,個別言語ごとに異なるものなのか,あるいは通言語的にある程度は普遍的なものなのかという問題もあり,易しいようで難しいテーマである.例えば,言語学史的には「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) を提唱した Swadesh の綴字した基礎語彙に対して,猛烈な批判が加えられたという事例もあったし,実用的な目的で唱えられた Basic English (cf. 「#960. Basic English」 ([2011-12-13-1]),「#1705. Basic English で書かれたお話し」 ([2013-12-27-1])) とその基本語彙についても,疑念の目が向けられたことがあった.
基本的な語彙ということでもう1つ想起されるのは,認知意味論でしばしば取り上げられる基本レベル範疇 (Basic Level Category) である.語彙的な関係の1つに,概念階層 (conceptual hierarchy) あるいは包摂関係 (hyponymy) というものがある.例えば,「家具」という意味場 (semantic_field) を考えてみる.「家具」という包括的なカテゴリーの下に「いす」や「机」のカテゴリーがあり,それぞれの下に「肘掛けいす」「デッキチェア」や「勉強机」「パソコンデスク」などがある.さらに上にも下にも,そして横にもこのような語彙関係が広がっており,「家具」の意味場に巨大な語彙ネットワークが展開しているというのが,意味論や語彙論の考え方だ.ここで「家具」「いす」「肘掛けいす」という3段階の包摂関係について注目すると,最も普通のレベルは真ん中の「いす」と考えられる.「ちょっと疲れたから,いすに座りたいな」は普通だが,「家具に座りたいな」は抽象的で粗すぎるし,「肘掛けいすに座りたいな」は通常の文脈では不自然に細かすぎる.「いす」というレベルが,抽象的すぎず一般的すぎず,ちょうどよいレベルという感覚がある.ここでは,「いす」が Basic Level Category を形成しているといわれる.
では,この Basic Level Category は何によって決まるのだろうか.Taylor (52) は,プロトタイプ理論の権威 Rosch に依拠しながら,次のような機能主義的な説明を支持している.
Rosch argues that it is the basic level categories that most fully exploit the real-world correlation of attributes. Basic level terms cut up reality into maximally informative categories. The basic level, therefore, is the level in a categorization hierarchy at which the 'best' categories can emerge. More precisely, Rosch hypothesizes that basic level categories both
(a) maximize the number of attributes shared by members of the category;
and
(b) minimize the number of attributes shared with members of other categories.
「いす」は,その配下の様々な種類のいす,例えば「肘掛けいす」や「デッキチェア」と多くの共通の特性をもつ点で (a) にかなう.また,「いす」は,「机」や様々な種類の机,例えば「勉強机」や「パソコンデスク」と共有する特性は少ないので,(b) にかなう.これは「いす」を中心にして考えた場合だが,同じように「家具」あるいは「肘掛けいす」を中心に考えて (a) と (b) にかなうかどうかを検査してみると,いずれも「いす」ほどには両条件を満たさない.
Basic Level Category の語彙は,認知的に重要と考えられている.また,日常的に最もよく使われ,子供によって最初に習得され,大人も最も速く反応することが知られている.ある種の基本性を備えた語彙といえるだろう.
基本語彙の別の見方については,「#308. 現代英語の最頻英単語リスト」 ([2010-03-01-1]),「#1874. 高頻度語の語義の保守性」 ([2014-06-14-1]),「#1101. Zipf's law」 ([2012-05-02-1]) の記事も参照されたい.
・ Taylor, John R. Linguistic Categorization. 3rd ed. Oxford: OUP, 2003.
英語語彙に特徴的な三層構造について,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]),「#335. 日本語語彙の三層構造」 ([2010-03-28-1]),「#1296. 三層構造の例を追加」 ([2012-11-13-1]) などの記事でみてきた.三層構造という表現が喚起するのは,上下関係と階層のあるビルのような建物のイメージかもしれないが,ビルというよりは,裾野が広く頂点が狭いピラミッドのような形を想像するほうが妥当である.つまり,下から,裾野の広い低階層の本来語彙,やや狭まった中階層のフランス語彙,そして著しく狭い高階層のラテン・ギリシア語彙というイメージだ.
ピラミッドの比喩が適切なのは,1つには,高階層のラテン・ギリシア語彙のもつ特権的な地位と威信がよく示されているからだ.社会言語学的,文体的に他を圧倒するポジションについていることは,ビル型よりもピラミッド型のほうがよく表現できる.
2つ目として,それぞれの語彙の頻度が,ピラミッドにおける各階層の面積として表現できるからである.昨日の記事「#1959. 英文学史と日本文学史における主要な著書・著者の用いた語彙における本来語の割合」 ([2014-09-07-1]) でみたように,話し言葉のみならず書き言葉においても,本来語彙の頻度は他を圧倒している(なお,この分布は,「#1645. 現代日本語の語種分布」 ([2013-10-28-1]) でみたように,現代日本語においても同様だった).対照的に,高階層の語彙は頻度が低い.個々の語については反例もあるだろうが,全体的な傾向としては,各階層の頻度と面積とは対応する.もっとも,各階層の語彙量(異なり語数)ということでいえば,必ずしもそれがピラミッドの面積に対応するわけでない.最頻100語(cf. 「#309. 現代英語の基本語彙100語の起源と割合」 ([2010-03-02-1]) と最頻600語(cf. 「#202. 現代英語の基本語彙600語の起源と割合」 ([2009-11-15-1]))で見る限り,語彙量と面積はおよそ対応しているが,10000語というレベルで調査すると,「#429. 現代英語の最頻語彙10000語の起源と割合」 ([2010-06-30-1]) でみたように,上で前提としてきた3階層の上下関係は崩れる.
ピラミッドの比喩が有効と考えられる3つ目の理由は,ピラミッドにおける各階層の面積が,頻度のみならず,構成語のもつ意味と用法の広さにも対応しているからだ.本来語は相対的に卑近であり頻度も高いが,そればかりでなく,多義であり,用法が多岐にわたる.基本的な語義が同じ「与える」でも,本来語 give は派生的な語義も多く極めて多義だが,ラテン借用語 donate は語義が限定されている.また,give は文型として SVOiOd も SVOd to Oi も取ることができる(すなわち dative shift が可能だ)が,donate は後者の文型しか許容しない.ほかには「#112. フランス・ラテン借用語と仮定法現在」 ([2009-08-17-1]) で示唆したように,語彙階層が統語的な振る舞いに関与していると疑われるケースがある.
この第3の観点から,Hughes (43) は,次のようなピラミッド構造を描いた.
上記の3点のほかにも,各階層の面積と語の理解しやすさ (comprehensibility) が関係しているという見方もある.結局のところ,語彙階層は,基本性,日常性,文体的威信の低さ,頻度,意味・用法の広さといった諸相と相関関係にあるということだろう.ピラミッドの比喩は巧みである.
・ Hughes, G. A History of English Words. Oxford: Blackwell, 2000.
使用域 (register) による語彙と意味の広がりについて,「#611. Murray の語彙星雲」 ([2010-12-29-1]) で見た.そこで図示したように,COMMON (meaning) を中心に,LITERARY, FOREIGN, SCIENTIFIC, TECHNICAL, COLLOQUIAL, SLANG, DIALECTAL へと放射状に語彙と意味が広がっているというのが,Murray の捉え方だ.この図を具体的な語と意味で埋めてみよう.以下の図 (Hughes 5) では,「妊娠した」 (PREGNANT) という意味の場を巡って,種々の語句が然るべき位置を占めていることが示されている.
平面的に描かれがちな意味の場に使用域という次元を加え,語彙的な関係を立体的に描くことを可能とした点で,「語彙星雲」との見方は鋭い洞察だった.しかし,Hughes は語彙星雲のあり方も通時的な変化を免れることはないとし,現代英語の語彙星雲を形作るガス(使用域)は,ますます多岐に及んできていると論じた.Murray から100年たった今,別の図式が必要だと.そして,Murray の語彙星雲を次のように改良し,提示した (372) .
新しいラベルが加えられたり位置が変化したりしているが,Hughes (370--71) によれば,これは現代英語の語彙の特性を反映したものであるという.例えば,現代は借用語に対する純粋主義 (purism) が以前よりも弱まり,他言語から語彙が流入しやすくなってきたという点で,FOREIGN とは区別されるべき,取り込まれた外来要素を示すラベル EXOTIC が必要だろう(ただし,現代英語で全体的に語彙借用が減ってきていることについて,「#879. Algeo の新語ソース調査から示唆される通時的傾向」([2011-09-23-1]) を参照).また,SCIENTIFIC と TECHNICAL の語彙の増大や役割の変化に伴って,両者の位置関係についても再考が必要かもしれない.上記4ラベルが ARCHAIC とともに中心から離れた周辺に位置しているのは,これらの語彙の不透明さを反映している.さらに,現代はLITERARY というラベルの守備範囲が曖昧になってきていることから,そのラベルはなしとし,部分的に FORMAL, ARCHAIC, 場合によっては COLLOQUIAL, SLANG, OBSCENITY その他のラベルで補うのが妥当かもしれない.
この図に反映されていないものとして,他変種からの語彙がある.例えば,イギリス英語の語彙を念頭におくとき,そのなかに多く入り込んでくるようになったアメリカ英語の語彙 (americanism) やその他の変種の語彙はどのように位置づけられるだろうか.FOREIGN や EXOTIC とも違うし,伝統的な地域方言が念頭にある DIALECT とも異なる.
語彙構造も意味構造も時代とともに変化する.現代英語もその例に漏れない.現代英語でも,使用域として貼り付けるラベル,そして語彙星雲の図式が,再考を迫られている.
・Hughes, G. A History of English Words. Oxford: Blackwell, 2000.
言語の意味とは,その指示対象 (referent) そのものではなく,それが喚起する概念 (concept) であるというのが,現代の意味論では主流の考え方である.しかし,この概念というものが一体どのようなものであるかは,今ひとつはっきりしない.この「意味=概念」説は,大きく2つの立場に分かれる.
「概念」説には2種あり,一つは形式(記号)論理学の流れを汲む伝統的意味論の考え方であり,もう一つは新しい認知言語学の考え方である.伝統的意味論では,概念(=意味)を,言語表現が表わす事物や事象がカテゴリー(類)として持つ特性の集合体と考える.たとえば,「犬」という語の概念(=意味)は,現実に存在する多様な犬がカテゴリーとして持つ特性(哺乳類である,四つ足で尻尾がある,人間によくなつく,など)の束であると考える.伝統的意味論での概念は,このように,それが適用される事物や事象の定義として働く.また,このような考え方の概念は,言語表現の音声形式と同じように,言語使用の場においては既存のものとして扱われ,そのため当の概念がどのような過程を経て形成されるかという概念形成の過程は問題にされない.
これに対し,言語研究において人間の認知能力を重要視する認知言語学では,言語表現が表わす概念は,概念化 (conceptualization) と呼ばれる,言語使用者の外界の捉え方 (construal) を反映した概念形成法によって形成されるものと考えられ,言語使用者から離れて存在する(既存の)ものとはみなされない.概念を固定したものでなく,言語使用者が使用の場に応じて弾力的に形成するものとするこの認知言語学の概念観は,概念(カテゴリー)の可変性や比喩表現に見られる概念の拡張を説明するのに非常に有効である.(中野,p. vii--viii)
伝統的意味論における概念を,もう少し詳しく説明すると,次のようになる(「#1931. 非概念的意味」 ([2014-08-10-1]) も参照).
概念 (concept) とは,事物や出来事をカテゴリー(類)として把握することから生まれる認識で,この認識は事物や出来事の個別的・差異的特徴を排除し,共通的・本質的要素を抽出することによって得られる.(中野,p. 13--14)
このように,伝統的意味論において,言語の意味(=概念)とは客観的,静的で形の定まった固体という風である.一方,新しい認知意味論の立場では,言語の意味(=概念)とは主観的,動的で形の定まらない流体という風である.
この30年ほどの間に急成長してきた認知言語学 (cognitive_linguistics) の分野には,生成文法などの学派には典型的な,これぞという金科玉条があるわけではない.言語(の意味)に関して様々な関心をもった複数の研究者が緩やかに呼応し,徐々に共通の認識を築きあげてきた結果,台頭してきた分野である.その緩やかな共通認識のいくつかとは,谷口 (7) によると,次のものである.
・ ことばは「記号」である.つまり,「形式」と「意味」の結びつきで成り立っている.
・ ことばの「形式」が違えば「意味」も必ず違う.
・ 同じ「形式」に結びつく意味が複数ある場合,その意味は相互に関連性を持ち,1つのまとまりを形成している.
・ ことばの「意味」は,客観的な意味内容だけに限らず,私がちがそれをどのように捉えたかという,認知的な作用も含んでいる.
4つ目で示唆されているように,認知意味論においては,ことばの意味(=概念)はあくまで流動的なものである.
・ 谷口 一美 『学びのエクササイズ 認知言語学』 ひつじ書房,2006年.
・ 中野 弘三(編)『意味論』 朝倉書店,2012年.
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