分野別に整理された書誌を専門家が定期的にアップデートしつつ紹介してくれる Oxford Bibliographies より,"Semantic-Pragmatic Change" の項目を参照した(すべてを読むにはサブスクライブが必要).この分野の重鎮といえる Elizabeth Closs Traugott による選で,最新の更新は2020年12月8日となっている.副題に "Your Best Research Starts Here" とあり入門的書誌を予想するかもしれないが,実際には専門的な図書や論文も多く含まれている. *
今回はそのイントロを引用し,この分野の研究のあらましを紹介するにとどめる.
Semantic change is the subfield of historical linguistics that investigates changes in sense. In 1892, the German philosopher Gottlob Frege argued that, although they refer to the same person, Jocasta and Oedipus's mother, are not equivalent because they cannot be substituted for each other in some contexts; they have different "senses" or "values." In contemporary linguistics, most researchers agree that words do not "have" meanings. Rather, words are assigned meanings by speakers and hearers in the context of use. These contexts of use are pragmatic. Therefore, semantic change cannot be understood without reference to pragmatics. It is usually assumed that language-internal pragmatic processes are universal and do not themselves change. What changes is the extent to which the processes are activated at different times, in different contexts, in different communities, and to which they shape semantic and grammatical change. Many linguists distinguish semantic change from change in "lexis" (vocabulary development, often in cultural contexts), although there is inevitably some overlap between the two. Semantic changes occur when speakers attribute new meanings to extant expressions. Changes in lexis occur when speakers add new words to the inventory, e.g., by coinage ("affluenza," a blend of affluent and influenza), or borrowing ("sushi"). Linguists also distinguish organizing principles in research. Starting with the form of a word or phrase and charting changes in the meanings of that the word or phrase is known as ???semasiology???; this is the organizing principle for most historical dictionaries. Starting with a concept and investigating which different expressions can express it is known as "onomasiology"; this is the organizing principle for thesauruses.
意味・語用変化の私家版の書誌としては,3ヶ月ほど前に「#4544. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌(改訂版)」 ([2021-10-05-1]) を挙げたので,そちらも参照されたい.
皆様,今年も「hellog?英語史ブログ」のお付き合い,ありがとうございました.よいお年をお迎えください.
形容詞の原級 (positive degree) と比較級 (comparative degree) の意味論的な関係は一見すると自明のようにみえる.以下の (1) と (2) を比べてみよう.
(1) John is tall.
(2) John is taller than Peter.
原級を用いた基本的な文 (1) から,比較級を用いた応用的な文 (2) が二次的に派生されたかのようにみえる.しかし,事はそう簡単ではない.(1) はジョンは文句なしに背の高いことが含意されるが,(2) ではジョンはピーターより長身だが,二人ともさほど背が高くないケースにも使える.換言すれば,(1) の主題はジョンの絶対的身長であるのに対し,(2) の主題はジョンの相対的身長である.(2) は (1) から単純に派生されたものではなさそうだ.
次に,形容詞 tall の原級の意味に注目してみよう.上で (1) はジョンの絶対的身長を主題としていると述べたが,よく考えてみると,これも疑わしい.というのは,「背が高い」という性質は絶対的に規定されるものではなく,あくまで相対的に規定されるものだからだ.(1) が意味していることは,ジョンが平均的な人(あるいは大多数の人)よりも背が高いという事実であり,そこには比較が暗黙裏に持ち込まれているのである.同様に「象は大きい」「ネズミは小さい」も,それぞれ話者である人間のサイズを暗黙の基準としており「象は(人間よりも)大きい」「ネズミは(人間よりも)小さい」ほどを含意していると考えられる.
すると,tall の基本的な意味から taller の応用的な意味が二次的に派生されるというストレートな見方は改めなければならくなる.むしろ逆に taller の意味こそがプリミティヴであり,tall はそこから二次的に派生された意味であると理解しなければならなくなるだろう.まさに逆転の発想だ (Klein 2) .
しかし,意味論的に taller のほうが tall よりも基本的であるという見方は,直観に著しく反する.英語を含めた多くの言語で形態論的に無標なのは比較級ではなく原級のほうであり,実際「原級」という用語がこのことを示唆している (cf. 「#3843. なぜ形容詞・副詞の「原級」が "positive degree" と呼ばれるのか?」 ([2019-11-04-1])).
一見して何も問題がなさそうな tall と taller を巡る意味論が,思いのほか込み入っていることに気づくだろう.
・ Klein, Ewan. "A Semantics for Positive and Comparative Adjectives." Linguistics and Philosophy 4.1 (1980): 1--45.
「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) と「#4575. and が表わす3種の意味」 ([2021-11-05-1]) に引き続き,接続詞 (conjunction) の意外な多義性 (polysemy) に関する第3弾.or という基本的な接続詞にも「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種の用法が確認される (Sweetser (93--95)) .
(1) Every Sunday, John eats pancakes or fried eggs.
(2) John will be home for Christmas, or I'm much mistaken in his character.
(3) Have an apple turnover, or would you like a strawberry tart?
上記 (1) は「現実世界の読み」の例である.or の基本義といってよい論理的な二者択一の例となる.毎日曜日にジョンがパンケーキ,あるいは目玉焼きを食べるという命題だが,現実にはたまたまある日曜日にパンケーキと目玉焼きをともに食べたとしても,特に矛盾しているとは感じられないだろう.ただし,毎日曜日に必ず両者を食べるという場合には,or の使用は不適切である.
(2) は「認識世界の読み」となる.話者はジョンがクリスマスに帰ってくることを確実であると「認識」している.もしそうでなかったら,話者はジョンの性格を大きく誤解していることになるだろう.文の主旨は,ジョンの帰宅それ自体というよりも,それに関する話者の確信の表明にある.
(3) は「発話行為世界の読み」の例となる.話者はアップルパイかイチゴタルトを勧めるという発話行為を行なっている.いずれかを選ぶように迫っている点で,一見すると論理的な二者択一のようにもみえるかもしれないが,そもそも or で結ばれた2つの節は何らかの命題を述べているわけではない.形式としては命令文,疑問文で表現されていることから分かるとおり,勧誘という発話行為(=勧誘)が行なわれているのである.
or の多義性について上記のような観点から考えたことはなかったので,とても興味深い.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
『英語便利辞典』をペラペラとめくっていたら「単数と複数で意味の異なる名詞」のページ (p. 473) を発見.知らないものも多かったので,改めて英語の名詞の単複というのは難しいなと思った次第.例えば glass は「ガラス」だけれど,glasses は「眼鏡」というタイプ.
(1) 名詞の複数形が単数形の意味に加えて別の意味をもつもの
appearance 出現 appearances 状況 arm 腕 arms 武器,兵器 bone 骨 bones 骨格 brain 脳 brains 知力 chain 鎖 chains 束縛 color 色 colors 軍旗 compass 羅針盤 compass コンパス custom 習慣 customs 関税,税関 future 未来 futures (商品・為替)先物 letter 文字,手紙 letters 文学 line 行,線 lines 詩句 manner 方法 manners 作法 mountain 山 mountains 山脈 number 数 numbers 韻文 oil 油 oils 油絵 part 部分 parts 才能 quarter 四分の一 quarters 宿舎 spectacle 光景 spectacles 眼鏡 tear 涙 tears 悲嘆 term 期間,学期 terms 条件
(2) 名詞の複数形が単数形の意味とは全く別の意味しかもたないもの
accomplishment 成就 accomplishments 芸能 advice 忠告 advices 報告 air 空気 airs 気取り arrangement 配列,整頓 arrangements 手配,準備 attention 注意 attentions 求愛 authority 権威 authorities 当局 charge 管理,世話 charges 料金 cloth 布 cloths 衣服 copper 銅 coppers 小銭 damage 損害 damages 損害賠償(額・金) direction 指導,指揮 directions 指図 force 力 forces 軍勢 glass ガラス glasses 眼鏡 good ???????????? goods ?????? ground 地面 grounds 構内 height 蕭???? heights 蕭???? humanity 人間性 humanities 人文科学 instruction 教えること instructions 指図 look 見ること looks 容貌 need 必要性 needs 必要品 pain 苦痛 pains 骨折 physic 医薬 physics 物理学 power 力 powers 列強,体[知]力 sale 販売 sales 売上高 sand 砂 sands 砂州 saving 拙訳 savings 預貯金 security 安全 securities 証券 spirit 精神 spirits 火酒 time 時 times 時代 water 水 waters 領海,水域 wood 木材 woods 森 work 仕事 works 工場
これらの例において複数形は事実上語彙化しているのだろう.多義語というよりも同音異義語に近いということだ.
関連して「#4214. 強意複数 (1)」 ([2020-11-09-1]),「#4215. 強意複数 (2)」 ([2020-11-10-1]),「#1169. 抽象名詞としての news」 ([2012-07-09-1]) を参照.
・ 小学館外国語辞典編集部(編) 『英語便利辞典』 小学館,2006年.
「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) でみたように,because という1つの接続詞に「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種があり,英語話者はそれらを半ば無意識に使い分けていることをみた.3つの世界の間を自由自在に行き来しながら,同一の接続詞を使いこなしているのである.
まったく同じことが,さらに基本的な接続詞である and についてもいえるという.Sweetser (87--89) より,3つの世界の読みを表わす例文を引用しよう.
(1a) John eats apples and pears.
(1b) John took off his shoes and jumped in the pool.
(2) Why don't you want me to take basketweaving again this quarter?
Answer: Well, Mary got an MA in basketweaving, and she joined a religious cult. (...so you might go the same way if you take basketweaving).
(3) Thank you, Mr Lloyd, and please just close the door as you go out.
(1a) と (1b) は,and の最も普通の解釈である「現実世界の読み」となる例文である.(1a) と (1b) の違いは,前者はリンゴと梨を単純に接続しており,通常の読みでは順序を反転させても現実の命題に影響を与えないのに対して,後者は and で結ばれている2つの節の順序が重要となる点だ.(1b) においては,ジョンは靴を脱いだ後にプールに飛び込んだのであり,プールに飛び込んだ後に靴を脱いだのではない.この and は,時間・順序の観点から現実と言語の間の図像性 (iconicity) を体言しているといえる.だが,現実世界における何らかの接続が and によって示されている点は,両例文に共通している.
(2) では,答えの文においてコンマに続く and が現われている.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,(私が考えるところでは,それが原因となって)カルト宗教団体に入団した,という読みとなる.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,その後でカルト宗教団体に入団した,という時間的順序は,確かに (1b) と同様に含意されるが,ここでは時間的順序に焦点が当てられているわけではない.むしろ,話者が2つの節の間に因果関係をみていることが焦点化されている.話者は(コンマ付き) and により認識上のロジックを表現しているのだ.
(3) では,感謝と依頼という2つの発話行為 (speech_act) が and (やはりコンマ付き)で結びつけられている.ここでは現実世界や認識世界における何らかの接続が言語化されているわけではなく,あくまで発話行為の接続が表わされている.
前回の because のケースに比べると,and の「3つの世界の読み」の区別は少々分かりにくいところがあるように思われるが,それぞれ and の「意味」が異なっていることは感じられるのではないか.Sweetser の狙いは,1つの接続詞で「3つの世界の読み」をまかなえることを because だけではなく and でも例証することによって,この分析の有効性を高めたいというところにあるのだろう.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
because は理由を表わすもっとも普通の接続詞だが,具体的な用例を観察してみると,そこに表わされている理由の種類にも様々なものがあることが分かる.ここで因果関係の哲学に入り込むつもりはないが,語用論や認知言語学の観点に絞って考察してみるだけでも,3種類は区別できそうだ.Sweetser (77) からの例文を挙げよう.
(1) John came back because he loved her.
(2) John loved her, because he came back.
(3) What are you doing tonight, because there's a good movie on.
3文における because が表わす理由の種類は明らかに異なる.(1) はもっとも普通で,現実世界の因果関係が表わされている.ジョンは彼女のことを愛していた,だからジョンは戻ってきたのだ.これを仮に「現実世界の読み」と呼んでおこう.
しかし,(2) の because の役割は,現実世界の因果関係を表わしているわけではない.ジョンが戻ってきた,そのことが理由でジョンが彼女を愛するようになったという読みは成り立たない.この文の言わんとするところは,ジョンが戻ってきた,そのことを根拠としてジョンが彼女を愛していたのだと話者が悟った,ということだ.because 節は,話者がジョンの愛を結論づける根拠となっている.この趣旨でもとの文を拡張すれば,"I conclude that John loved her, because he came back." ほどとなろうか.これを仮に「認識世界の読み」と呼んでおこう.
(3) は,主節が命題を表わす平叙文ですらなく疑問文なので,because が何らかの命題に対する理由であると解釈することは不可能だ.そうではなく,「今晩何してる?」と私が尋ねている理由は,いい映画が上映されているからであり,映画に誘おうと思っているからだ.もとの文を拡張すれば,"I am asking you what you are doing tonight, because there's a good movie on." ほどとなる.主節が表わす発話行為 (speech_act) を行なっている理由が because 以下で示されているわけだ.これを仮に「発話行為世界の読み」と呼んでおこう.
3文において because 節が何らかの理由を表わしているとはいっても,その理由が属する世界に応じて「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」と各々異なるのである.3つのパラレルワールドがあると考えてよいだろう.because は3つの世界を股にかけて活躍している接続詞であり,この語を混乱せずに使いこなしている話者もまた3つの世界を股にかけて言語生活を営んでいるのである.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
意味論 (semantics) と一口にいっても,様々なとらえ方がある.そして,学界にも派閥がある.学問名 semantics の複数形の -sは,その点でふさわしいともいえる.
大きく2つの派閥に分けるならば,伝統的な形式意味論(構造主義意味論を含む)か,1970年代後半に興った新しい認知意味論かとなる.これは,一般言語学でいうところの構造主義・生成文法と認知言語学の対立になぞらえることもできるだろう.
Sweetser (12) が意味論の2つの派閥の対立について,分かりやすく記述している.
Recent work in linguistics has tended to view semantics in one of two divergent ways: either meaning is a potentially mathematiziable or formalizable domain (if only we could find the right primes or premises for the mathematical analysis), or meaning is a morass of culturally and historically idiosyncratic facts from which one can salvage occasional linguistic regularities. Those who do the former kind of semantics have frequently been eager to separate linguistic meaning from general human cognition and experience, and to keep linguistic "levels" 'syntax vs semantics vs pragmatics) distinct from one another; formalization is presumed to be easier if the domain can be successfully delimited. Semanticists of the latter sort, on the other hand, are often quite ready to accept the direct influence of experience or cognition on meaning-structures, but find it hard to see how such meaning-structures could be formalized: how can airtight generalizations be made about experience-shaped semantics, when experience itself is so varied and so far from currently being described by any complete formal analysis?
確かに対立の構図とはなっているが,伝統的意味論と新興の意味論の各々には長所もあれば短所もある.相互補完的にみておくのがよさそうだ.関連して「#1686. 言語学的意味論の略史」 ([2013-12-08-1]) も参照.
・ イレーヌ・タンバ 著,大島 弘子 訳 『[新版]意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,2013年.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
語の意味変化に関して Williams を読んでいて,なるほどと思ったことがある.これまであまり結びつけてきたこともなかった2つの概念の関係について考えさせられたのである.比喩 (metaphor) と意味借用 (semantic_borrowing) が,ある点において反対ではあるが,ある点において共通しているというおもしろい関係にあるということだ.
比喩というのは,既存の語の意味を,何らかの意味的な接点を足がかりにして,別の領域 (domain) に持ち込んで応用する過程である.一方,意味借用というのは,既存の語の形式に注目し,他言語でそれと類似した形式の語がある場合に,その他言語での語の意味を取り込む過程である.
だいぶん異なる過程のように思われるが,共通点がある.記号論的にいえば,いずれも既存の記号の能記 (signifiant) はそのままに,所記 (signifié) を応用的に拡張する作用といえるのである.結果として,旧義と新義が落ち着いて共存することもあれば,新義が旧義を追い出すこともあるが,およその傾向はありそうだ.比喩の場合にはたいてい旧義も保持されて多義 (polysemy) に帰結するだろう.一方,意味借用の場合にはたいてい旧義はいずれ破棄されて,結果として語義置換 (semantic replacement) が生じたことになるだろう.
動機づけについていえば,比喩は主にオリジナリティあふれる意味上の関連づけに依存しているが,意味借用はたまたま他言語で似た形式だったことによる関連づけであり,オリジナリティの点では劣る.
上記のインスピレーションを得ることになった Williams (193) の文章を引用しておきたい.
Semantic Replacement
In our linguistic history, there have been cases in which the reverse of metaphor occurred. Instead of borrowing a foreign word for a new semantic space, late OE speakers transferred certain Danish meanings to English words which phonologically resembled the Danish words and shared some semantic space with them. The native English word dream, meaning to make a joyful noise, for example, was probably close enough to the Scandinavian word draumr, or sleep vision, to take on the Danish meaning, driving out the English meaning. The same may have happened with the words bread (originally meaning fragment); and dwell (OE meaning: to hinder or lead astray).
引用中で話題となっている意味借用の伝統的な例としての dream, bread, dwell については「#2149. 意味借用」 ([2015-03-16-1]) を参照.とりわけ bread については「#2692. 古ノルド語借用語に関する Gersum Project」 ([2016-09-09-1]) を参照されたい.
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975.
今年の初めに「#4289. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌」 ([2021-01-23-1]) という記事をポストしました.今週から本格的に動き出した今年度後期は,英語史関連のいくつかの授業で「英単語の意味変化」を主たるテーマとして掲げることにしています.そこで取っ掛かり書誌の改訂版を作成しました.いくつかの文献を新たに加え,一言コメントも付しました.種別ごとに,お勧め順で並べてみました.本ブログから semantic_change や semantics もどうぞ.今後も随時この書誌に追加していきたいと思っています.
[ 通時的な関心のために --- 英単語の意味変化についてのお薦め書誌 ]
・ 寺澤 盾 「第7章 意味の変化」『英語の意味』 池上 嘉彦(編),大修館,1996年.113--34頁.(まずはこちらから,という手始めの1章です)
・ 寺澤 盾 『英単語の世界 --- 多義語と意味変化から見る』 中央公論新社〈中公新書〉,2016年.(まずはこちらから,という手始めの1冊です)
・ 堀田 隆一 「第8章 意味変化・語用論の変化」『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 服部 義弘・児馬 修(編),朝倉書店,2018年.151--69頁.(cf. 「#3283. 『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]が出版されました」 ([2018-04-23-1]))
・ 松浪 有(編),小川 浩・小倉 美知子・児馬 修・浦田 和幸・本名 信行(著) 『英語の歴史』 大修館書店,1995年.(pp. 98--107 にコンパクトが意味変化概論があります)
・ 松浪 有・池上 嘉彦・今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.(英語学事典より pp. 765--80 が意味変化の概論となっています)
・ Williams, Joseph M. Origins of the English Language: A Social and Linguistic History. New York: Free P, 1975. (pp. 153--93 が意味変化論として非常によく書けています)
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. "Words and Meanings." Chapter 10 of The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Boston: Thomson Wadsworth, 2005. 227--44.(よく読まれている英語史概説書の1章より,よく書けた意味変化の概論です)
・ Bloomfield, Leonard. "Semantic Change." Chapter 24 of Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984. 425--43.(言語学の古典的名著の1章で,読み応えがあります)
・ Waldron, R. A. Sense and Sense Development. New York: OUP, 1967.(意味変化の本格的な研究書でよくまとまっています)
・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.(意味変化の古典的研究書で,高度に専門的です)
・ Ullmann, Stephen. The Principles of Semantics. 2nd ed. Glasgow: Jackson, 1957.(同じく意味(変化)論の古典的名著で,専門的です)
・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.(フランスの著名な言語学者による語の意味変化の古典的論考です)
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.(これを手元においておくと便利です.cf. 「#4243. 英単語の意味変化の辞典 --- NTC's Dictionary of Changes in Meanings」 ([2020-12-08-1]))
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.(意味論・語用論のハンディな用語辞典です)
・ Kastovsky, Dieter. "Semantics and Vocabulary." The Beginnings to 1066. Vol. 1 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 290--408.(これと下の2件は,権威ある英語史シリーズの各時代における語彙と意味変化の専門的な議論です)
・ Burnley, David. "Lexis and Semantics." 1066--1476. Vol. 2 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 409--99.
・ Nevalainen, Terttu. "Early Modern English Lexis and Semantics." 1476--1776. Vol. 3 of The Cambridge History of the English Language. Ed. Roger Lass. Cambridge: CUP, 1999. 332--458.(とりわけ pp. 433--54 は意味変化の概論ともなっています)
・ Kay, Christian and Kathryn Allan. English Historical Semantics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2015.(英語の史的意味論の一冊本としては今のところ唯一のもの.HTOED への導入書でもあります.cf. 「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1]))
・ Hughes, G. A History of English Words. Oxford: Blackwell, 2000.(意味変化というよりも語彙変化がメインですが,随所に関連する話題があります.読み物としてもおもしろいです.)
・ Hughes, G. Words in Time. Oxford: Blackwell, 1988.(上と同じ著者による史的語彙論です)
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.(史的語彙論,とりわけ借用語の史的語彙論ですが,意味変化の隣接分野でもあります)
・ 山中 桂一,原口 庄輔,今西 典子 (編) 『意味論』 研究社英語学文献解題 第7巻.研究社.2005年.(意味変化も含めた専門的な解題書誌です)
・ Coleman, Julie. "Using Dictionaries and Thesauruses as Evidence." Chapter 7 of The Oxford Handbook of the History of English. Ed. Terttu Nevalainen and Elizabeth Closs Traugott. New York: OUP, 2012. (歴史辞書を用いた言語変化・意味変化の研究についてのメタな方法論が論じられています.斜めからの視点ですが,かなり貴重です.)
[ 共時的な関心のために --- 意味とは何かを学ぶためのお薦め書誌 ]
・ 中野 弘三(編)『意味論』 朝倉書店,2012年.(意味論入門としては,この本から)
・ ピエール・ギロー 著,佐藤 信夫 訳 『意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,1990年.(文体論を専門とする著者による意味論概説です)
・ イレーヌ・タンバ 著,大島 弘子 訳 『[新版]意味論』 白水社〈文庫クセジュ〉,2013年.(かなり歯ごたえのある本です)
・ Hofmann, Th. R. Realms of Meaning. Harlow: Longman, 1993.(英語の読みやすい意味論入門書としてお勧めです)
・ Ogden, C. K. and I. A. Richards. The Meaning of Meaning. 1923. San Diego, New York, and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1989.(意味論の古典的名著です)
・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.(比較的新しい意味論の概説書です)
語の意味変化の典型的なパターンとして,ある語の意味が技術や文化の発展に伴って変化するというもの例がある.例えば,英語 ship は古英語からある古株の単語だが,当時のへっぽこな船と,中世の帆船と,近代の蒸気船と,現代のコンピュータ搭載の最新鋭の船とでは,指示対象の姿形や性能が大きく異なるにもかかわらず,「水に浮かぶ移動手段」という基本機能の点で同一であるために,同じ ship という名で呼ばれている.ship の意味が変化したといえるのかどうかは微妙だが,指示対象が相当に変化してきたということは認めざるを得ないだろう.この手のタイプは,語の意味変化の議論において,しばしば最初に挙げられるタイプの事例である (cf. 「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1])).
Stern はこの種の意味変化を "substitution" と呼んでいる.一方,今回調べるなかで初めて知ったのだが,Pearce (183--84) によると,"subreption" という術語も用意されているようだ.
Subreption A process of semantic change in which objects, entities, social roles, concepts, institutions and so on change over time, but the words for them remain the same. Take, for example, the phrase 'the driver of the car looked at the dashboard'. The emphasized words have their English origins at a time when all wheeled vehicles were powered by horses: the original meaning of drive (a meaning which it still retains) was 'to force to move before one' (which is what a 'driver' did with horses); car is derived from an earlier word meaning 'chariot', and dashboard originally referred to the wooden board located at the fron of a horse-drawn carriage to prevent objects kicked up by the horses' hooves from hitting the driver.
subreption は通常は「虚偽申請」を意味する法律用語である.普通の辞書では詳しく載っていないほどの専門用語である.OED を引いてみると,言語学用語としては掲載されていないようだ.第1語義は "Misrepresentation or suppression of the truth or facts; an act or instance of this." にとどまる.
語の意味変化に関して何がどう「虚偽申請」なのかと考えたのだが,こういうことだろうか.例えば,上の引用にもある dashboard は,本来は「馬車馬によって跳ね飛ばされた泥をよける板」ほどの意味だが,それを基準とすると,現在の普通の意味「自動車・飛行機などの計器盤」は,虚偽とはいわずとも原義が隠蔽されてしまっていることは確かだ.現在の意味は dash + board から常識的に推測される意味から遠く離れてしまっている.そのような意味での「虚偽申請」(大げさな呼び方ではあるが)ということだろうか.
現代日本語では,下駄ではなく靴を入れているのに,いまだに「下駄箱」ということがある.これも厳密にいえば確かに「虚偽申請」ではある(=突っ込みどころがある)から,subreption の例になるのだろう.
・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.
・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.
あまりにおもしろそうで,手を出してしまったら身を滅ぼすことになるかもしれないという分野がありますね.私にとって,それは固有名詞学 (onomastics) です.端的にいえば人名や地名の話題です.泥沼にはまり込むことが必至なので必死で避けているのですが,数年に一度,必ずゼミ生がテーマに選ぶのです.たいへん困ります.困ってしまうほど,私にとって磁力が強いのです.
固有名詞の問題,要するに「名前」の問題ほど,言語学において周辺的な素振りをしていながら,実は本質的な問題はありません.言葉は名前に始まり名前に終わる可能性があるからです (cf. 「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]) で触れた "Onymic Reference Default Principle" (ORDP)).
そもそも固有名詞というのは,言語の一部なのかそうでないのか,というところからして問題になるのが悩ましいですね.タモリさんではありませんが,私が「パリ,リヨン,マルセーユ,ブルゴーニュ」と上手なフランス語の発音で言えたとしても,フランス語がよく話せるということになりません.そもそも地名はフランス語なのかどうなのかという問題があるからです (cf. 「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1])).
英語史のハンドブックに,Coates による固有名詞学に関する章がありました.その冒頭の「固有名の地位」と題する1節より,最初の段落を引用します (312) .
The status of proper names
Names is a technical term for a subset of the nominal expressions of a language which are used for referring ('identifying or selecting in context') and, in some cases, for addressing a partner in communication. Nominal expressions are in general headed by nouns. According to one of the most ancient distinctions in linguistics, nouns may be common or proper, which has something to do with whether they denote a class or an individual (e.g. queen vs Victoria), where individual means a single-member set of any sort, not just a person. Much discussion has taken place about how this distinction should be refined to be both accurate and useful, for instance by addressing the obvious difficulty that a typical proper noun denoting persons may denote many separate individuals who bear it, and that common nouns may refer to individuals by being constructed into phrases (the queen). I will leave the concept [賊proper], applied to nouns, for intuitive or educated recognition before returning to discussion of the inclusive concept of proper names directly. Proper nouns have no inherent semantic content, even when they are homonymous with lexical words (Daisy, Wells), and many, perhaps all, cultures recognise nouns whose sole function is to be proper (Sarah, Ipswich). Typically they have a unique intended referent in a context of utterance. Proper names are the class of such proper nouns included in the class of all expressions which have the properties of being devoid of sense and being used with the intention of achieving unique reference in context. Onomastics is the study of proper names, and concentrates on proper nouns; I shall confine the main subject-matter of this chapter to the institutionalised proper nouns associated with English and, in accordance with ordinary usage, I shall call them proper names or just names. Readers should note that strictly speaking these are a subset of proper names, and from time to time other members of the larger set will be discussed. There is some evidence from aphasiology and cognitive neuropsychology that institutionalised proper nouns --- especially personal names --- form a psychologically real class . . . .
これだけでおもしろそうと感じた方は,仲間かもしれません.ぜひ章全体を読んでみてください.
・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.
原則として他動詞として用いられる動詞が,目的語と伴わないケースがままある.文脈から目的語が明らかな場合が多いが,その用法がごく普通になると,もはや「原則として他動詞」というレベルを超えて「自動詞用法もあり」へ移行したととらえるほうが妥当な場合もあるだろう.この辺りは常に流動的である.
Quirk (§10.4) より,典型的に他動詞として用いられる動詞において目的語が省略される場合の4タイプを挙げよう.
(1) A specific object is recoverable from the preceding linguistic context:
A: Show me your essay. B: I'll show you later.
Let's do the dishes. I'll wash and you dry.
In such instances the verb may be analysed as genuinely transitive with ellipsis of the direct object.
(2) A specific object is understood from the situational context:
Keep off [sign on grass]
Shake well before use.
Watch!
Don't touch.
The tie doesn't fit.
(3) A specific reflexive object is understood when the verb allows such an object . . . .:
I'm shaving.
They're dressing.
Some verbs allow omission of either a reflexive or a nonreflexive object: She's washing (herself or the clothes).
(4) A nonspecific object is semantically entailed . . .:
Are you eating again?
Do you drink?
He teaches.
I don't want to catch you smoking again.
They can't spell.
I can't come now, because I'm cleaning.
I don't want to read.
The range of understood nonspecific objects is restricted with some verbs when they are used intransitively. For example, Do you drink? refers to the drinking of alcoholic drinks, I'm cleaning refers to domestic cleaning and not (say) to cleaning teeth or cleaning a pipe, and to catch you smoking again normally excludes (say) smoking fish.
このような振る舞いを示す本来的な他動詞には,きわめて日常的な語が多いことに注意したい.日常的であればこそ,「読む」といったら何を読むのが典型的なのか,「飲む」といったら何を飲むのが典型的なのかという,社会的なフレームやスクリプトが,同じ言語共同体内で自明のものとして共有されているからだろう.逆に言えば,どんな目的語が省略されているかの調査を通じて,当該社会のプロトタイプ的な行動をあぶり出せることになるかもしれない.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
標題は breath-taking や man-made の類いの複合形容詞を指す.第2要素として現在分詞をとる「N + V-ing 型」と過去分詞をとる「N + V-ed 型」の2種類がある.名詞と分詞になっている動詞との統語意味論的関係にはどのようなものがあるのだろうか.大石 (100--01) を参照し,各々の型について例を挙げる.合わせて,OED より初出年を括弧内に付す.
[ N + V-ing 型 ]
(1) N が V の目的語となる例
breath-taking (1840), man-eating (1607), fact-finding (1833), habit-forming (1899), time-consuming (1600), English-speaking (1798); self-defeating (1812), self-sacrificing (1654), self-respecting (1597)
(2) N が表面化していない前置詞の目的語となる例(以下では関与する前置詞を補う)
ocean-going [across] (1854), fist-fighting [with] (1950), law-abiding [by] (1839)
[ N + V-ed 型 ]
(3) "V-ed by [at, in, with] N" とパラフレーズできる関係(以下では関与する前置詞を補う)
moth-eaten [by] (c1400), self-taught [by] (1586), man-made [by] (1845), home-made [at] (1547), country-bred [in] (1620), star-spangled [with] (1600)
例を眺めてみると,複合形容詞の要素となる名詞と動詞(分詞)の統語的関係は,緩く多様であることが分かる.換言すれば,複合形容詞は,統語的に展開されたフレーズと比べると,要素間の意味関係が明示的でないともいえよう.もちろん,そのような明示性を多少犠牲にしつつ形式としてのコンパクトさを獲得していることこそが,複合形容詞の存在意義なのだろうとは思う.
今回取り上げたタイプの複合形容詞の歴史的な発生に関しては,上記例の初出年を眺める限り,近代英語のものがほとんどである.より早い中英語期から用いられている類例はどれだけあるのだろうか,探してみたくなった.
・ 大石 強 『形態論』 開拓社,1988年.
連日「#4426. hedge」 ([2021-06-09-1]) と「#4427. 様々な hedge および関連表現」 ([2021-06-10-1]) のように hedge の話題を取り上げている.今回も Lakoff の論文を参照して考察を続けたい.
論文を読んで hedge の理解が変わってきた.昨日の記事の最後でも述べたが,単なる「ぼかし言葉」ではなく「ある命題を真たらしめる条件を緩く指定・制限する方略」と理解すべきだろう.少なくとも Lakoff の考える hedge はそのようなものらしい.そうすると,議論は必然的に意味論から語用論の方面に広がっていくことになるだろうし,意味に関する検証主義という言語哲学の問題にもつながっていきそうだ.
hedge と prototype の深い関係も明らかになった.例えば,sort of という hedge は,プロトタイプから少々逸脱したものを許容する方向に作用する意味論・語用論上の「関数」とみることができる.実際,Lakoff はファジー集合を提唱した Lofti Zadeh の研究よりインスピレーションを受け,論理学・代数学的な関数を利用して tall, very tall, sort of tall, pretty tall, rather tall の意味分析を行なっている.Lakoff 論文 (482) より,以下の図を見てもらいたい.
この図の見方は次の通りだ.「ある人が tall, very tall, sort of tall, pretty tall, rather tall である」という命題がある場合,実際にどれくらいの背の高さであれば,その命題は真であると考えられるかについて多数の人にアンケートを取った結果のサマリーと読める.つまり,5'3" (5フィート3インチ≒160cm)で tall とみなす回答者はほぼ0%だろうが,6'3" (6フィート3インチ≒190cm)であればほぼ100%の回答者が tall を妥当な形容詞とみなすだろう.6'3" であれば,very tall ですら100%に近い高い値を示すだろう.しかし,rather tall は 6'3" に対しては,大方かえって不適切な表現と判断されるだろう,等々.
要するに,5種類の表現に対して描かれた各曲線の形状が,その表現の hedge としての効果である,と解釈できる.これらは曲線であるから,代数的には関数として表現できることになる.もちろん Lakoff とて何らかの定数を与えた厳密な意味での関数の立式を目指しているわけではないのだが,hedge と prototype の関係がよく分かる考え方ではある.
この点について Lakoff 自身の要約 (492--93) を引用しておこう.
6.5. Algebraic Functions Play a Role in the Semantics of Certain Hedges
Hedges like SORT OF, RATHER, PRETTY, and VERY change distribution curves in a regular way. Zadeh has proposed that such changes can be described by simple combinations of a small number of algebraic functions. Whether or not Zadeh's proposals are correct in all detail, it seems like something of the sort is necessary. . . .
6.6. Perceptual Finiteness Depends on an Underlying Continuum of Values
Since people can perceive, for each category, only a finite number of gradations in any given context, one might be tempted to suggest that fuzzy logic be limited to a relatively small finite number of values. But the study of hedges like SORT OF, VERY, PRETTY, and RATHER, whose effect seems to be characterizable at least in part by algebraic functions, indicates that the number and distribution of perceived values is a surface matter, determined by the shape of underlying continuous functions. For this reason, it seems best not to restrict fuzzy logic to any fixed finite number of values. Instead, it seems preferable to attempt to account for the perceptual phenomena by trying to figure out how, in a perceptual model, the shape of underlying continuous functions determines the number and distribution of perceived values.
いつの間にかファジー集合という抜き差しならない領域にまで到達してしまったが,そもそも hedge =「ぼかし(言葉)」という認識から始まったわけなので,遠く離れていないようにも思えてきた.
・ Lakoff, G. "Hedges: A Study in Meaning Criteria and the Logic of Fuzzy Concepts." Journal of Philosophical Logic 2 (1973): 458--508.
昨日の記事で「#4426. hedge」 ([2021-06-09-1]) を取り上げた.英語についていえば sort of が hedge の代表例として挙げられることが多いが,実際のところ hedge の種類は多様である.
昨日の引用文で触れた Lakoff の論文を読んだ.p. 472 に "SOME HEDGES AND RELATED PHENOMENA" と題する表が掲げられている.英語の hedge (関連)表現の具体例として,以下に掲載しておこう.
sort of
kind of
loosely speaking
more or less
on the _____ side (tall, fat, etc.)
roughly
pretty (much)
relatively
somewhat
rather
mostly
technically
strictly speaking
essentially
in essence
basically
principally
particularly
par excellence
largely
for the most part
very
especially
exceptionally
quintessential(ly)
literally
often
more of a _____ than anything else
almost
typically/typical
as it were
in a sense
in one sense
in a real sense
in an important sense
in a way
mutatis mutandis
in a manner of speaking
details aside
so to say
a veritable
a true
a real
a regular
virtually
all but technically
practically
all but a
anything but a
a self-styled
nominally
he calls himself a ...
in name only
actually
really
(he as much as ...
-like
-ish
can be looked upon as
can be viewed as
pseudo-
crypto-
(he's) another (Caruso/Lincoln/ Babe Ruth/...)
_____ is the _____ of _____ (e,g., America is the Roman Empire of the modern world. Chomsky is the DeGaulle of Linguistics. etc.)
一覧して分かるように,「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1]) で挙げた広い意味での強意語 (intensifier) は,いずれも hedge の一種とみなすことができる.これまで hedge を単純に「ぼかし言葉」くらいに認識していたが,そうでもないことが分かってきた.ある命題を真たらしめる条件を緩く指定・制限する方略と理解しておくのがよさそうだ.
・ Lakoff, G. "Hedges: A Study in Meaning Criteria and the Logic of Fuzzy Concepts." Journal of Philosophical Logic 2 (1973): 458--508.
hedge (hedge) は,語用論の用語・概念として広く知られている.一般用語としては「垣根」を意味する単語だが,そこから転じて「ぼかし言葉」を意味する.日本語の得意技のことだと言ったほうが分かりやすいだろうか.
『ジーニアス英和辞典』によると「(言質をとられないための)はぐらかし発言,ぼかし語句;〔言語〕語調を和らげる言葉,ヘッジ《◆I wonder, sort of など》.」とある.
また,Cruse の意味論・語用論の用語集を引いてみると,たいへん分かりやすい説明が与えられていた.
hedge An expression which weakens a speaker's commitment to some aspect of an assertion:
She was wearing a sort of turban.
To all intents and purposes, the matter was decided yesterday.
I've more or less finished the job.
As far as I can see, the plan will never succeed.
She's quite shy, in a way.
述べられている命題に関して,それが真となるのはある条件の下においてである,と条件付けをしておき,後に批判されるのを予防するための言語戦略といってよい.一般には「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]) を破ってウソを述べるわけにもいかない.そこで言葉を濁すことによって,言質を与えない言い方で穏便に済ませておくという方略である.これは私たちが日常的に行なっていることであり,日本語に限らずどの言語においてもそのための手段が様々に用意されている.
私も hedge という用語を上記のような語用論的な意味で理解していたが,言語学用語としての hedge はもともと認知意味論の文脈,とりわけ prototype 理論の文脈で用いられたものらしい.Bussmann の用語集から引こう (205) .
hedge
Term introduced by Lakoff (1973). Hedges provide a means for indicating in what sense a member belongs to its particular category. The need for hedges is based on the fact that certain members are considered to be better or more typical examples of the category, depending on the given cultural background (→ prototype). For example, in the central European language area, sparrows are certainly more typical examples of birds than penguins. For that reason, of these two actually true sentences, A sparrow is a bird and A penguin is a bird, only the former can be modified by the hedge typical or par excellence, while the latter can be modified only by the hedges in the strictest sense or technically speaking.
この言語学用語自体が,この半世紀の間,意味合いを変えながら発展してきたということのようだ.ところで,個人的には hedge という用語はどうもしっくりこない.なぜ「垣根」?
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.
・ Lakoff, G. "Hedges: A Study in Meaning Criteria and the Logic of Fuzzy Concepts." Journal of Philosophical Logic 2 (1973): 458--508.
will be doing の形式で表わされる未来進行形 (future progressive) の用法について.最も普通の使い方は,未来のある時点において進行中の出来事を表現するというものである.現在進行形の参照点が現在時点であり,過去進行形の参照点が過去時点であるのとまったく平行的に,参照点が未来時点の場合に用いるのが未来進行形ということだ.We'll be waiting for you at 9 o'clock tomorrow morning. や When you reach the end of the bridge, I'll be waiting there to show you the way. のような文である.この用法は大きな問題を呈しないだろう.
未来進行形のもう1つの用法は,確定的な単純未来(「成り行きの未来」)を明示する用法である.単純未来は will do の形式の未来時制によっても表現できるが,これだと意志未来の読みと区別がつかなくなるというケースが生じる.例えば I'll talk to him soon. では,話者の意志のこもった「近いうちに彼に話しかけるつもりだ」の意味か,単なる成り行きの「近いうちに彼に話しかけることになるだろう」ほどの意味か,文脈の支えがない限り両義的となる.このような場合に I'll be talking to him soon. と未来進行形にすることにより,成り行きの読みを明示的に示すことができる.
同様に Will you come to the party tonight? は「あなた今晩パーティに来ない?」という勧誘の意味なのか,「あなた今晩パーティに来ることになっている人?」ほどの純粋な疑問あるいは確認の意味なのかで両義的となりうる.後者の意味を明示的に表わしたい場合には,Will you be coming to the party tonight? を用いることができる.
歴史的には will do の未来表現は,願望・意志を表わした本動詞がその意味を漂白 (bleaching) させ,時制を表わすための助動詞へと文法化 (grammaticalisation) したものとされる(cf. 「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]),「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])).しかし,現代の助動詞 will とてすっかり「単純未来」へ漂白したわけではなく,原義をある程度残した「意志未来」も平行して行なわれている.これは文法化にしばしば生じる重層化 (layering) の事例である.重層化の結果,両義的となってしまったわけなので,いずれの意味かを明示したいケースも生じてくるだろう.そこで,本来「未来時点を参照点とする進行形」として発達してきた will be doing の形式を,「単純未来」を明示するのにも流用するという発想が生まれた.文法化の玉突きのようなことが起こっているようで興味深い.
上記のような事情があるため,通常は現在・過去進行形をとらない動詞が,未来進行形としては用いられる可能性が出てくる.He'll be owning his own house next year. のような例文を参照.
以上,主として Quirk et al. (§4.46) を参照して執筆した.なお,未来進行形の発達は19世紀以降の比較的新しい現象である.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
4月5日より始まっていた「英語史導入企画2021」のコンテンツ紹介記事は,今回で最終回となります.話題は「office, john, House of Lords --- トイレの呼び方」です.トリを飾るに相応しいテーマですね! トイレの英語文化史あるいは英語文化誌というべき内容で,Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary (= HTOED) を用いてこんなにおもしろい調査ができるのかと教えてくれるコンテンツです.コンテンツ内の図と点線を追っていくだけで,トイレの悠久の旅を楽しむことができます.
タブー (taboo),婉曲表現 (euphemism),類義語 (synonym) といった語彙論 (lexicology) 上の問題は,英語史の卒業論文研究などでも人気のテーマです.英語史語彙論研究に関心をもったら,これらのタグの付いた hellog の記事群を読んでみてください.また,以下に今回のコンテンツと緩く関連した記事も紹介しておきます.
・ 「#470. toilet の豊富な婉曲表現」 ([2010-08-10-1])
・ 「#471. toilet の豊富な婉曲表現を WordNet と Visuwords でみる」 ([2010-08-11-1])
・ 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1])
・ 「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])
・ 「#3885. 『英語教育』の連載第10回「なぜ英語には類義語が多いのか」」 ([2019-12-16-1])
・ 「#3392. 同義語と類義語」 ([2018-08-10-1])
・ 「#469. euphemism の作り方」 ([2010-08-09-1])
・ 「#4395. 英語の類義語について調べたいと思ったら」 ([2021-05-09-1])
・ 「#3159. HTOED」 ([2017-12-20-1])
・ 「#847. Oxford Learner's Thesaurus」 ([2011-08-22-1])
・ 「#4334. 婉曲語法 (euphemism) についての書誌」 ([2021-03-09-1])
・ 「#1270. 類義語ネットワークの可視化ツールと類義語辞書」 ([2012-10-18-1])
・ 「#1432. もう1つの類義語ネットワーク「instaGrok」と連想語列挙ツール」 ([2013-03-29-1])
・ 「#4092. shit, ordure, excrement --- 語彙の3層構造の最強例」 ([2020-07-10-1])
・ 「#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット」 ([2020-05-20-1])
「英語史導入企画2021」も終盤に差し掛かってきました.本日紹介するコンテンツは「視覚表現の意味変化 --- 『見る』ことは『理解』すること」です.Lakoff and Johnson は,認知の仕方にせよ言語表現にせよ,身の回りには私たちが思っている以上に多くメタファー (metaphor) が潜んでいることを喝破し,世を驚かせました.今回のコンテンツは,「見る」と「理解する」を意味する英単語に焦点を当て,Lakoff and Johnson の認知言語学的なモノの見方を易しく紹介したものです.
人間は視覚がよく発達した動物です.視覚から入ってくる大量の情報こそが認知活動の大部分を支えていると考えられます.すると,「見る」を意味する語がメタファーにより「理解する」の意味に応用されるのも自然に思われます.もし洞穴のコウモリのような超音波を感知できる動物が言語を発明していたとしたら,むしろ「聞く」を意味する語が「理解する」に応用されていたかもしれません.また,嗅覚の優れた動物だったら,「匂う,嗅ぐ」を「理解する」の意味で用いていたことでしょう.
人間は実は聴覚も悪くはないので「聞く」を「理解する」にメタファー的に応用する事例はあります.「聴解する」にせよ Listen carefully. にせよ,高度な理解に関わる表現です.しかし,人間が比較的弱い嗅覚についてはどうでしょうか.「匂う,嗅ぐ」の「理解する」への転用例はあるでしょうか.日本語の「嗅ぎつける」「嗅ぎ分ける」にも,ある種の理解の気味が入っていると言えるかもしれませんが,もしそうだとしても「見る」や「聞く」よりは単純な種類の理解のように感じます.さらに味覚,触覚についてはどうでしょうか.
今回のコンテンツで「『見る』ことは『理解』すること」として提示された種類のメタファーは,概念メタファー (conceptual_metaphor) と呼ばれています.単発のメタファーではなく,体系的なメタファーとして認知や言語の隅々にまで行き渡っているものだということを主張するために作られた用語です.この辺りに関心をもった方は,ぜひ以下の記事群をお読みください.
・ 「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1])
・ 「#2548. 概念メタファー」 ([2016-04-18-1])
・ 「#2551. 概念メタファーの例をいくつか追加」 ([2016-04-21-1])
・ 「#2568. dead metaphor (1)」 ([2016-05-08-1])
・ 「#2569. dead metaphor (2)」 ([2016-05-09-1])
・ 「#2593. 言語,思考,現実,文化をつなぐものとしてのメタファー」 ([2016-06-02-1])
・ 「#2616. 政治的な意味合いをもちうる概念メタファー」 ([2016-06-25-1])
・ Lakoff, George, and Mark Johnson. Metaphors We Live By. Chicago and London: U of Chicago P, 1980.
「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「この世で一番「美しい」のは誰?」です.ディズニー映画 Snow White and the Seven Dwarfs (『白雪姫』)の台詞 "Magic mirror on the wall, who is the fairest one of all?" で用いられている形容詞 fair の意味変化に焦点を当てた英語史導入コンテンツとなっています.
「美しい」といえばまず beautiful が思い浮かびますが,なぜ問題の台詞では fair なのでしょうか.まず,コンテンツでも解説されている通り fair には「色白の」という語義もありますので,Snow White とは相性のよい縁語といえます.さらに,beautiful が容姿の美しさを形容するのに特化している感があるのに対し,fair には「公正な,公平な」の語義を含め道徳的な含意があります (cf. fair trading, fair share, fair play) .白雪姫を形容するのにぴったりというわけです.
fair は古英語期より用いられてきた英語本来語で,古く清く温かい情感豊かな響きをもちます.一方,beautiful は,14世紀に古フランス語の名詞 beute を借用した後に,15世紀に英語側で本来語接尾辞 -ful を付加して作った借用語です.フランス借用語(正確には「半」フランス借用語)は相対的にいって中立的で無色透明の響きをもつことが多いのですが,beautiful についていえば確かに fair と比べて道徳的・精神的な深みは感じられません.(ラテン借用語 attractive と合わせた fair -- beautiful -- attractive の3語1組 (triset) と各々の使用域 (register) については,「#334. 英語語彙の三層構造」 ([2010-03-27-1]) をご覧ください.)
fair と beautiful のような類義語の意味・用法上の違いについて詳しく知りたい場合には,辞書やコーパスの例文をじっくりと眺め,どのような語と共起 (collocation) しているかを観察することをお薦めします.試しに約1億語からなるイギリス英語コーパス BNCweb で両語の共起表現を調べてみました.ここでは人物と容姿を形容する共起語に限って紹介しますが,fair とタッグを組みやすいのは hair と lady です.一方,beautiful とタッグを組む語としては woman, girl, young, hair, face, eyes, looks などが挙がってきます.気品を感じさせる fair lady に対して,あくまで容姿の良さを表わすことに特化した beautiful woman/girl という対立構造が浮かび上がってきます.白雪姫にはやはり fair がふさわしいのでしょうね.
fair に見られる白さと公正さの結びつきは,candid という形容詞にも見られます.candid は第一に「率直な」を意味しますが,やや古風ながらも「公平な」の語義がありますし,古くは「白い」の語義もありました.もともとの語源はラテン語 candidus で,まさに「白い」を意味しました.「白熱して輝いている」が原義で,candle (ロウソク)とも語根を共有しています.また,candidate (候補者)は,ローマで公職候補者が白いトーガを着る習わしだったことに由来します.ちなみに日本語でも「潔白」「告白」「シロ(=無罪)」などに白さと公正さの関係が垣間見えますね.
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