「#2699. 暗号学と言語学」 ([2016-09-16-1]) で論じたように,暗号学 (cryptology) と文字論 (grammatology) の関係は深い.1点目に,未解読文字の解読と暗号の解読は,方法や作業が類似している.2点目に,暗号化・復号化の対象となるのは,ほとんどの場合,書記言語,すなわち文字である.3点目に,暗号解読に利用される手法は,多くの場合,書記言語の文字論的な特性に基づく高度な数学や統計学の手法である.したがって,文字論は暗号学へ理論的な基礎を与え,暗号学は実用性を背景に数学的,統計的な観点から文字論へ成果をフィードバックするという関係が成り立っている.
しかし,それ以前の問題として,そもそも原始・古代においては文字(体系)それ自体が暗号だったと考えることもできるのではないか.文字を利用できるのは,権力者と知識人に限られ,大多数の一般庶民にとって,それは無意味な記号の羅列にしか見えなかった.昨日の記事「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1]) で議論した暗号コミュニケーションの本質に照らすと,当時の文字はまさに「排他的なコードにより排他的な接触の関係を作り上げて排他的なコミュニケーション回路を作る」のに貢献していたのである.実際,権力者や知識人は,文字体系のカラクリたるコードを一般庶民から秘匿し(一般庶民はそれを魔法と信じていた),情報戦における優位と権益を保持できるように努めた.これは,近現代の戦争において国家が軍事的暗号を厳密に管理しようとした動機やその実態にも,そのまま当てはまる.
以前に「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1]) と題する記事を書いたが,暗号(学)の歴史を概観した後でその記事を読み返すと,文字と暗号の性質の類似性がよく理解できる.暗号が秘匿性をもっているというのはトートロジーだとしても,暗号が保守性を有するという見解は一面の真実を含んでいる.例えば,暗号はいったんその強度に関して信頼を得ると,有用な方法として広く用いられ,制度として定着する傾向がある.敵の暗号解読者に破られて有用性を失う瞬間までは,新たな暗号開発が本格的になされることはない(既存暗号の安全性を高める工夫は常に行なわれていたが).暗号の歴史は,その軍事的実用性に駆り立てられて,新暗号の発明→解読の成功→新暗号の発明→解読の成功→・・・を繰り返してきたという点で,全体としてはむしろ革新の歴史とも理解できるかもしれないが,解読成功というやんごとなき理由が発生するまでは,あくまで保守的にとどまると見ることもできるのである.
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