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tabihel - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2026-08-31 00:40

2026-08-23 Sun

#6327. カナダへ16往復した不屈の船 --- ダブリンの Jeanie Johnston Famine Ship 前より [ireland][dublin][great_famine][tabihel][canadian_english][l][th][be][perfect][auxiliary_verb][newfoundland_english][variety]


jeanie_johnston_famine_ship_in_dublin.jpg



 昨日の記事「#6326. アイルランド大飢饉の英語史上の意義 --- ダブリンの記念像前より」 ([2026-08-22-1]) に引き続き,アイルランドのジャガイモ大飢饉(the Great Famine)にまつわる話題.
 ダブリンのリフィー川沿いを朝ジョギングしていると,あの痛切な飢饉追悼記念像(Famine Memorial)から目と鼻の先に,堂々たる3本マストの帆船が係留されているのが目に入る.これは,19世紀半ばにアイルランドの西岸 Tralee からカナダへと移民を運び続けた帆船 Jeanie Johnston Famine Ship である.本物は沈没してしまっているため,これはレプリカなのだが,ダブリン観光の呼び物の1つとなっている.
 当時,飢餓と病から逃れるべく大西洋を渡った移民船の多くは,昨日の記事でも触れたように,劣悪な衛生環境と過密積載のため「棺桶船」 (coffin-ships) と呼ばれた.乗船者の3分の1近くがチフスやコレラ等で命を落とすことも珍しくなかった.しかし,この Jeanie Johnston 号の経歴は奇跡ともいうべきものだった.船長の James Attridge による徹底した衛生管理と定員制限,船医 Richard Blennerhassett の乗船によって,1848年の初航海から1855年までの間に,アイルランド西部の Kerry 県の首都 Tralee からカナダへ16往復し,2,500人もの移民を輸送しながら,船上での死者をただの1人も出さなかったという栄光の記録を残しているのだ.後に木材輸送船となり1858年に浸水・沈没した際にも,乗組員全員が生還を果たしたというから,乗船した者にとっては幸運の船としか言いようがない.
 ところで,こうした飢饉移民の船が向かった先であるカナダ(アメリカ合衆国ではなく)の英語には,アイルランド英語の痕跡は残っているのだろうか.私自身はカナダ英語とアイルランド英語の接点について不勉強なのだが,少し調べてみたところ,カナダのなかでもとりわけ Newfoundland の英語 (newfoundland_english) に注目すると,明確な影響の痕が見られるようだ.Kirwin (449--50) の "Anglo-Irish Influence" と題された節によると,Newfoundland の英語変種には,例えば以下のようなアイルランド英語由来の顕著な特徴があると報告されている.

 ・ 明るい /l/ (clear /l/)
 ・ 歯摩擦音 /θ/, /ð/ の破裂音 [t], [d] での代替
 ・ 習慣的現在 (consuetudinal present) を表わす be
 ・ 直前完了を表わす be after -ing 構文
 ・ 助動詞 shall を用いず,もっぱら will で一貫させる特長

 Tralee の港から命がけで海を渡っていった人々の記憶と,彼らの運んだ言葉の痕跡は,海を越えたカナダの地に,少なくとも Newfoundland に,今も息づいているということだ.帆船を見上げながら,過酷な歴史の荒波と,海を渡った英語変種に思いを馳せている.

 ・ Kirwin, William J. "Newfoundland English." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 2008. 441--55.

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2026-08-22 Sat

#6326 アイルランド大飢饉の英語史上の意義 --- ダブリンの記念像前より [ireland][dublin][irish_english][great_famine][tabihel][language_shift][ame]


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 アイルランドの首都ダブリンに滞在している.毎朝,市内を西から東に流れる Liffey 川沿いをジョギングしているのだが,壮麗な Custom House Quay の近くに,飢餓に苦しみながら河口埠頭へと歩く人々をかたどった飢饉追悼記念像(上記写真)を横目に走ることになる.1847年5月,Roscommon 県の Strokestown からダブリン港まで,1490人もの小作農民たちが165キロ(100マイル)におよぶ過酷な道のりを歩かされた記録 (The National Famine Way) が記されている.彼らはカナダを目指して「棺桶船」 ("coffin-ships") に乗り込んだが,多くの命が航海中や到着直後に失われた.新世界で生活を始めることができたのは,Strokestown を出発した1490人のうち,2/3にも満たなかったという.
 1840年代後半にアイルランドを襲ったジャガイモ大飢饉(the Great Famine, またはアイルランド語で An Gorta Mór)は,アイルランド史のみならず,近代ヨーロッパ史における最大の悲劇の1つである.しかし同時に,英語史の観点からも重大な転換点となった.この未曾有の災厄がもたらした英語史上の意義は,2点あるように思われる.
 第1に,アイルランド国内における劇的な言語交替 (language_shift) の加速だ.大飢饉以前より社会的な圧力から英語化の流れは生じていたが,依然としてアイルランド語を母語とする話者層も強固に残っていた.ところが,飢餓と疫病によって命を落とし,あるいは国外への脱出を余儀なくされた人々の多くは,アイルランド語を話す農村部や西部の貧しい階層だった.大飢饉による人口の急減と人口動態の激変によって,世代間の言語継承が断ち切られ,アイルランド語から英語への交替が一気に進むことになったのである.これにより,アイルランド語を基層言語とする独自の英語変種,すなわちアイルランド英語 (irish_english) の形成も決定づけられた.
 第2に,世界的な英語変種,とりわけアメリカ英語への影響である.大飢饉を逃れてアメリカやカナダなどへと渡った膨大な数のアイルランド系移民は,各地で自分たちのコミュニティを形成した.彼らが携えていったアイルランド英語の語彙,語法,発音の特徴は,部分的にせよ移住先の英語へ移植され,各地の英語変種に独特のアイルランド風味をもたらすことになった.19世紀半ば以降のアメリカ英語の形成や多様化を語る上で,アイルランド移民の存在は欠かすことができない.関係する具体的な言語項目については,「#327. Irish English が American English に与えた影響」 ([2010-03-20-1]) や「#328. 菌がもたらした(かもしれない) will / shall の誤用論争」 ([2010-03-21-1]) を参照.
 この大飢饉は,一見するとジャガイモの疫病による天災のように見える.しかし,その実態はイギリス統治下の収奪が生み出した人災の側面が大きい.近代のイギリス支配のもとで,アイルランドの人々は東部の肥沃な土地を奪われ,地味の乏しい西部の狭小な土地で,高収量なジャガイモのみに依存する極端なモノカルチャーへと追い詰められていたからだ.社会構造の歪みが,農作物の病害を壊滅的な大惨事へと変えてしまったわけだ.
 言語の歴史は,文法規則の変遷だけで完結するものではない.まさに「英語と歴史」が交錯する現場において,人々の移動,社会の激変,そしてときに過酷な歴史的悲劇が,言語の運命を大きく揺り動かすことがある.毎日ダブリンの記念像の前を通り過ぎながら,大飢饉という歴史の傷跡が世界の英語のあり方をいかに変えてきたかを考えている.
 関連して「#2958. ジャガイモ,アイルランド,英語史」 ([2017-06-02-1]) も参照されたい.

Referrer (Inside): [2026-08-23-1]

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2026-08-18 Tue

#6322. スコットランドの入り口,駆け落ち婚の名所 Gretna Green のトイレ [onomastics][tabihel][semiotics][semantics][sociolinguistics][voicy][heldio]


Gretna_Green_notice.jpg



 先日,イギリスを旅する機会があり,イングランドからスコットランドへと北上するルートをたどりながら「旅hel」 (tabihel) を実践してきました.その道中,イングランドとスコットランドの国境を越えてすぐの場所にあるスコットランド側の村,Gretna Green に立ち寄りました.スコットランドの玄関口に位置する村です.
 この村にある観光スポット Gretna Green Famous Blacksmiths Shop を訪れた際,立ち寄ったトイレの男女別表示に目が留まりました.通常の MenWomen などではなく,Groom (花婿)と Bride (花嫁)という文字で案内されていたのです.周囲にピクトグラムはなかったように思うのですが,いずれにせよこの単語の綴字が目に飛び込んできたため,「おや,どっちがどっちだったっけ」と一瞬考えつつ,正しく Groom のほうへ入りました.なぜこのような表示がなされているのでしょうか.
 その背景には,Gretna Green のユニークな歴史があります.1754年,Lord Hardwicke's Marriage Act (ハードウィック卿の結婚条例) が施行されました.これにより,イングランドおよびウェールズでは21歳未満の若者が親の承諾なしに結婚することが法的に厳しく制限されることになりました.ところが,国境を越えた北側のスコットランドでは婚姻に関する法律が緩やかで,若者同士の結婚が可能だったのです.
 そこで,イングランド側で若いカップルたちが国境を目指して北上し,最初に到達する村である Gretna Green へと駆け落ちして結婚の誓いを立てるようになりました.こうして,この村は「駆け落ち婚の名所」,ひいては「愛の聖地」として定着していったのです.村の鍛冶屋が金床を打って結婚式を取り仕切ったということです.
 現在でも多くの観光客やカップルが訪れる名所となっているようです.私が訪れたときにも,結婚式を終えたとおぼしき1組のカップルが芝生で写真を撮っていました.「愛の聖地」として,日本でも見られるようなラックに南京錠がぎっしりとかけられていました.


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 トイレの男女別表示における言語表現という点では,8月13日に heldio/helwa のコアリスナーである Grace さんが note 記事「どちらに入るか、それが問題だ。」で,日本料理のお店のトイレの表記「花子/太郎」を取り上げ,その記号論的な効果を考察されていました.固有名詞論 (onomastics) の観点からいえば,固有名詞それ自体には指示対象があるのみで記述的な意味論的意味はないと説明されるのが一般的ですが,一般名詞化して男性や女性を代表する記号として用いられると,文化的な連想や雰囲気を喚起する connotation を帯びるようになる,という点を指摘した,洞察に富む論考でした.
 今回の GroomBride の場合,単語そのものはもとより一般名詞ですが,通常の Men / Women の代わりに用いられることで,Gretna Green という土地の歴史的文脈を鮮やかに浮き彫りにする記号として機能しています.名詞の選択ひとつに,その土地の歴史が巧みに織り込まれている好例といえます.
 なお,本件については Voicy heldio にて「#1904. 駆け落ち婚の名所 Gretna Green のトイレの話し」「#1905. wedlock 「結婚」の lock は「錠前」か?」で,関連する話題をお話ししていますので,ぜひそちらもお聴きください.

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2026-04-28 Tue

#6210. 旅する英語史「旅hel」の動画シリーズが始まりました --- 第1回はアバディーン編 [tabihel][hel_education][youtube][helwa][heldio][helkatsu][notice][old_norse][scottish_english][scots]

 新年度の私の「hel活」 (helkatsu) の新機軸として,「旅する英語史 旅hel」 (tabihel) という動画シリーズを立ち上げました.目下,私はスコットランドのアバディーンに滞在しているのですが,旅をし街歩きをしながら英語史に関係する話題を見つけ,ビデオカメラで撮影しつつ,自由にお話ししていこうという Vlog シリーズです.
 シリーズ第1弾は,4月13日に半日をかけて撮影した「アバディーン編」です.こちらは一般公開はしておらず,Voicy のプレミアムリスナー限定配信チャンネル 「英語史の輪 (helwa)」にお入りいただいているメンバーへの限定公開となっております.helwa メンバーの方は,4月16日配信の「【英語史の輪 #0433】旅する英語史「旅hel」アバディーン編をご視聴ください」を経由して,本編動画への URL にアクセスできます.

 今回の動画の舞台は,スコットランド第3の都市 Aberdeen です.「花崗岩の街」 (Granite City) としても知られる美しい街並みを歩きながら,いくつかの英語史ポイントを拾い上げました.
 例えば,Upperkirkgate という通りの名前です.この gate は,現代英語の「門」ではなく,北イングランドやスコットランドで「道,通り」を意味する古ノルド語に由来すると考えられます.南部の waystreet に相当するもので,まさに北部的な語といえます.実は kirk ももう1つの北部ポイントです.
 また,町の北を流れるドン川に架かる歴史的な橋 Brig o'Don にも訪れています.ここで注目したいのは橋を意味する brig という語形です.標準的な bridge の最後の子音が -dg- /dʒ/ ではなく -g /g/ となっているのは,やはり古ノルド語の影響を強く受けた北部方言の特徴を色濃く残している証拠です.
 動画内では他にも,1593年創立の歴史ある Marischal College を眺めたり,最後には銀行の建物を改装したパブでエールを楽しんだりと,37分にわたる盛りだくさんの内容になっています.Osmo Pocket 3 という小型ビデオカメラを手に,慣れない動画編集に苦戦しながらも,楽しく英語史の視点から街の魅力を切り取ってみました.

 この「旅hel」シリーズの立ち上げについては,一昨日の heldio でも「#1792. 旅する英語史「旅hel」アバディーン編の動画を helwa 経由で配信しています」としてお話ししましたが,そこではダイジェスト版となる5分ほどの「音声」もお聴きいただけます.本編動画の雰囲気を味わうことができるかと思います.
 本編動画にご関心のある方は,ぜひプレミアムリスナー限定配信チャンネル 「英語史の輪 (helwa)」にお越しください.helwa は初月無料となっておりますので,ぜひ4月分にお入りいただき,試し聴きしつつ,特に4月16日配信の「【英語史の輪 #0433】旅する英語史「旅hel」アバディーン編をご視聴ください」を経由して動画にアクセスしていただければ.

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