hellog〜英語史ブログ

#6326 アイルランド大飢饉の英語史上の意義 --- ダブリンの記念像前より[ireland][dublin][irish_english][great_famine][tabihel][language_shift][ame]

2026-08-22


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 アイルランドの首都ダブリンに滞在している.毎朝,市内を西から東に流れる Liffey 川沿いをジョギングしているのだが,壮麗な Custom House Quay の近くに,飢餓に苦しみながら河口埠頭へと歩く人々をかたどった飢饉追悼記念像(上記写真)を横目に走ることになる.1847年5月,Roscommon 県の Strokestown からダブリン港まで,1490人もの小作農民たちが165キロ(100マイル)におよぶ過酷な道のりを歩かされた記録 (The National Famine Way) が記されている.彼らはカナダを目指して「棺桶船」 ("coffin-ships") に乗り込んだが,多くの命が航海中や到着直後に失われた.新世界で生活を始めることができたのは,Strokestown を出発した1490人のうち,2/3にも満たなかったという.
 1840年代後半にアイルランドを襲ったジャガイモ大飢饉(the Great Famine, またはアイルランド語で An Gorta Mór)は,アイルランド史のみならず,近代ヨーロッパ史における最大の悲劇の1つである.しかし同時に,英語史の観点からも重大な転換点となった.この未曾有の災厄がもたらした英語史上の意義は,2点あるように思われる.
 第1に,アイルランド国内における劇的な言語交替 (language_shift) の加速だ.大飢饉以前より社会的な圧力から英語化の流れは生じていたが,依然としてアイルランド語を母語とする話者層も強固に残っていた.ところが,飢餓と疫病によって命を落とし,あるいは国外への脱出を余儀なくされた人々の多くは,アイルランド語を話す農村部や西部の貧しい階層だった.大飢饉による人口の急減と人口動態の激変によって,世代間の言語継承が断ち切られ,アイルランド語から英語への交替が一気に進むことになったのである.これにより,アイルランド語を基層言語とする独自の英語変種,すなわちアイルランド英語 (irish_english) の形成も決定づけられた.
 第2に,世界的な英語変種,とりわけアメリカ英語への影響である.大飢饉を逃れてアメリカやカナダなどへと渡った膨大な数のアイルランド系移民は,各地で自分たちのコミュニティを形成した.彼らが携えていったアイルランド英語の語彙,語法,発音の特徴は,部分的にせよ移住先の英語へ移植され,各地の英語変種に独特のアイルランド風味をもたらすことになった.19世紀半ば以降のアメリカ英語の形成や多様化を語る上で,アイルランド移民の存在は欠かすことができない.関係する具体的な言語項目については,「#327. Irish English が American English に与えた影響」 ([2010-03-20-1]) や「#328. 菌がもたらした(かもしれない) will / shall の誤用論争」 ([2010-03-21-1]) を参照.
 この大飢饉は,一見するとジャガイモの疫病による天災のように見える.しかし,その実態はイギリス統治下の収奪が生み出した人災の側面が大きい.近代のイギリス支配のもとで,アイルランドの人々は東部の肥沃な土地を奪われ,地味の乏しい西部の狭小な土地で,高収量なジャガイモのみに依存する極端なモノカルチャーへと追い詰められていたからだ.社会構造の歪みが,農作物の病害を壊滅的な大惨事へと変えてしまったわけだ.
 言語の歴史は,文法規則の変遷だけで完結するものではない.まさに「英語と歴史」が交錯する現場において,人々の移動,社会の激変,そしてときに過酷な歴史的悲劇が,言語の運命を大きく揺り動かすことがある.毎日ダブリンの記念像の前を通り過ぎながら,大飢饉という歴史の傷跡が世界の英語のあり方をいかに変えてきたかを考えている.
 関連して「#2958. ジャガイモ,アイルランド,英語史」 ([2017-06-02-1]) も参照されたい.

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