音位転換 (metathesis) について,「#60. 音位転換 ( metathesis )」 ([2009-06-27-1]) を始めとしていくつかの記事で取り上げてきた.音位転換は,調音の都合によるある種の言い間違いといってもよいものであり,諸言語に普通にみられる現象である.しかし,音位転換は,各言語の音素配列 (phonotactics) とも密接な関係があるようであり,その型は言語間で一様ではない.例えば,英語の場合,古英語以来生じた音位転換の例をみる限り,標記の原則が貫かれている.
藤原 (8--9) は,古英語に観察される例を以下の通りに挙げている.
(a) 隣接する r と母音の交替
・ bridd > bird "bird"
・ drit > dirt "dirt" (汚物)
・ frost > forst "frost"
・ þridda > þirda "third"
(b) その他の交替
・ æspe > æpse "aspen-tree"
・ ascian > axian "ask"
・ botle > bold "house"
・ cosp > cops "fetter"
・ frosc > frox "frog"
・ sedl > seld "seat"
・ spatl > spald "spittle" (唾液)
・ tusc > tux "tusk" (牙)
・ wlisp > wlips "lisping" (舌足らずで発音すること)
これらのうち,現代標準英語で音位転換を経た発音が採用されているものは,(a) の bird, dirt, third のみである.このことから,大部分の音位転換が一過性のものだったことがわかる.標準的なイングランド南部の方言では,これらの non-prevocalic r は発音されなくなっているため,現在では(綴字からの影響を無視するならば)音位転換以前の状態に戻る音声的な動機づけはない.
「英語の音位転換は直接隣り合う2音に限られる」という限定をあえて掲げる必要があるのは,例えば日本語ではまったく異なる条件が適用されるからだ.日本語の音位転換の場合,むしろ直接隣り合う子音が交替する例はなく,母音を飛び越えて子音が入れ替わるのが普通である.「よもぎ餅」と「よごみ餅」,「舌づつみ」と「舌つづみ」,「ぶんぶくちゃがま」と「ぶんぶくちゃがま」,「あらた」と「あたら(しい)」,「あきば」と「あきは(ばら)」,「つごもり」と「つもごり」などにおいては,仮名で書くと少しわかりにくいが,最後の例でいえば tsugomori と tsumogori というように,直接隣り合っていない,母音を間に挟んだ g と m の2子音が交替している.
音位転換には,英日それぞれの言語の音素配列の傾向が反映されている可能性が高い.
・ 藤原 保明 『言葉をさかのぼる 歴史に閉ざされた英語と日本語の世界』 開拓社,2010年.
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