標題は多くの英語学習者が抱いたことのある疑問ではないでしょうか?
目下 khelf(慶應英語史フォーラム)では「英語史コンテンツ50」企画が開催されています.4月13日より始めて,休日を除く毎日,khelf メンバーによる英語史コンテンツが1つずつ公開されてきています.コンテンツ公開情報は日々 khelf の公式ツイッターアカウント @khelf_keio からもお知らせしていますので,ぜひフォローいただき,リマインダーとしてご利用ください.
さて,標題の疑問について4月22日に公開されたコンテンツ「#9. なぜ be going to は未来を意味するの?」を紹介します.
さらに,先日このコンテンツの heldio 版を作りました.コンテンツ作成者との対談という形で,この素朴な疑問に迫っています.「#711. なぜ be going to は未来を意味するの?」として配信しています.ぜひお聴きください.
コンテンツでも放送でも触れているように,キーワードは文法化 (grammaticalisation) です.英語史研究でも非常に重要な概念・用語ですので,ぜひ注目してください.本ブログでも多くの記事で取り上げてきたので,いくつか挙げてみます.
・ 「#417. 文法化とは?」 ([2010-06-18-1])
・ 「#1972. Meillet の文法化」([2014-09-20-1])
・ 「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1])
・ 「#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2)」 ([2014-09-23-1])
・ 「#3281. Hopper and Traugott による文法化の定義と本質」 ([2018-04-21-1])
・ 「#5124 Oxford Bibliographies による文法化研究の概要」 ([2023-05-08-1])
とりわけ be going to に関する文法化の議論と関連して,以下を参照.
・ 「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])
・ 「#3272. 文法化の2つのメカニズム」 ([2018-04-12-1])
・ 「#4844. 未来表現の発生パターン」 ([2022-08-01-1])
・ 「#3273. Lehman による文法化の尺度,6点」 ([2018-04-13-1])
文法化に関する入門書としては「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) で紹介した保坂道雄著『文法化する英語』(開拓社,2014年)がお薦めです.
・ 保坂 道雄 『文法化する英語』 開拓社,2014年.
文法化 (grammaticalisation) は,いまや言語学の主要な領域を占めている.本来は言語史,歴史言語学,言語変化研究の文脈から現われてきた概念だが,現在では認知言語学やコーパス言語学とも結びつき,広く文法を扱う研究において一大潮流を形成している.文法化の具体的事例は,形態論,統語論,意味論でカバーされるものが多いものの,しばしば音韻論,語用論,語法研究など各種方面へはみ出していくので,ある意味では1つの言語学とみなしてもよいほどである.
Oxford Bibliographies は,各分野の専門家が整理した書誌を定期的にアップデートしつつ紹介してくれる重要なリソースだが,そこに "Grammaticalization" の項目も立てられている.D. Gary Miller と Elly van Gelderen による選書で,最終更新は2016年,最終レビューは2022年となっている.書誌の全文にアクセスするにはサブスクライブが必要である.ここでは,A4で印刷すると13ページほどにわたる書誌の冒頭部分 "Introduction" のみを引用しておく. *
The essence of grammaticalization is the evolution of a lexical category to a grammatical one or of a hybrid/functional category to another grammatical category. The first involves changes such as that of the verb have from "possess" to the marker of the perfect tense. The second involves changes such as that of to from a preposition (a hybrid category in English) to an infinitive marker or such as that of a demonstrative (e.g., the Latin ille 'that') to a definite article (the Italian il, the Spanish el, and so on). These changes have attracted attention for hundreds of years and are very well known. More recently, additional conditions and stipulations have been placed on this leading idea, but the essence remains the same.
Oxford Bibliographies の紹介シリーズの hellog 記事として,以下も参照.
・ 「#4631. Oxford Bibliographies による意味・語用変化研究の概要」 ([2021-12-31-1])
・ 「#4634. Oxford Bibliographies による英語史研究の歴史」 ([2022-01-03-1]) も参照.
・ 「#4742. Oxford Bibliographies による統語変化研究の概要」 ([2022-04-21-1])
昨日の記事「#5063. 前置詞は名詞句以外の補文を取れるし「後置詞」にすらなり得る」 ([2023-03-08-1]) で取り上げた前置詞 notwithstanding 「~にもかかわらず」について,もう少し掘り下げてみたい.前置詞 (preposition) でありながら目的語の後に置かれることもあるという変わり種だ.notwithstanding + NP と NP + notwithstanding の例文を各々挙げてみよう.
・ Notwithstanding some members' objections, I think we must go ahead with the plan.
・ Notwithstanding his love of luxury, his house was simple inside.
・ They started notwithstanding the bad weather.
・ His relations with colleagues, differences of opinion notwithstanding, were unfailingly friendly.
・ Injuries notwithstanding, he won the semi-final match.
・ She is an intolerable person, her excellent work notwithstanding.
意味としては,in spite of や despite が積極的で強めの反対を含意するのに対し,notwithstanding は障害があることを暗示する程度で弱い.また,格式張った響きをもつ.
副詞として Notwithstanding, the problem is a significant one. のように単体で用いられるほか,接続詞として I went notwithstanding (that) he told me not to. のような使い方もある.
OED によると,この単語は1400年頃に初出し,アングロノルマン語や古フランス語の non obstant,あるいは古典時代以降のラテン語の non obstante のなぞりとされる.要するに,現在分詞の独立分詞構文として「○○が障害となるわけではなく」ほどを意味した慣用表現が,文法化 (grammaticalisation) し前置詞として独り立ちしたという経緯である.この前置詞の目的語は,由来としてはもとの分詞構文の主語に相当するために,前に置かれることもあるというわけだ.
前置詞のほか,副詞,接続詞としての用法も当初から現われている.いくつか例を挙げてみよう.
・ c1400 Bk. to Mother (Bodl.) 113 (MED) And ȝut notwiþstondinge al þis..religiouse men and wommen trauelen..to make hem semliche to cursed proude folk.
・ 1490 W. Caxton tr. Eneydos vi. 23 This notwystondyng, alwaye they be in awayte.
・ c1425 J. Lydgate Troyyes Bk. (Augustus A.iv) iv. 5474 Not-wiþstondynge þat he trouþe ment, ȝit for a worde he to exile went.
・ ?a1425 tr. Catherine of Siena Orcherd of Syon (Harl.) (1966) 22 (MED) Which synne worþily askide and disceruede a peyne þat schulde haue noon eende, notwiþstondynge þe deede of synne had eende.
・ 1425 Rolls of Parl. IV. 274/1 Which proves notwithstondyng, yat hie and myghti Prince my Lord of Glouc'..and your oyer Lordes..will not take upon hem declaration for my said place.
なお,問題の前置詞のもととなる動詞 withstand の接頭辞 with は,現在普通の「~といっしょに」の意味ではなく,古い「~に対抗して」ほどの意味を表わしている.
英語の典型的な未来表現では,will, shall, be going to のような(準)助動詞 (auxiliary_verb) を用いる.よく知られているように,これらの表現は元来は語彙的な意味をもっていたが,歴史を通じて「未来」を表わすようになってきた.つまり,典型的な文法化 (grammaticalisation) の産物である.
will, shall の核心的な意味はそれぞれ「意志」「義務」であり,be going to のそれは「○○への移動」である.たまたま英語では「意志」「義務」「○○への移動」に由来する未来表現がそれぞれ発達してきたようにみえるが,世界の言語を見渡しても,この3種は典型的な未来表現の素なのである.Bybee (123) は,これを例証するために,様々な言語名を挙げている.系統的に関係のない諸言語の間で,同じ発達が確認されるというのがポイントである.
a. Volition futures: English, Inuit, Danish, Modern Greek, Romanian, Serbo-Croatian, Sogdian (East Iranian), Tok Pisin
b. Obligation futures: Basque, English, Danish, Western Romance languages
c. Movement futures: Abipon, Atchin, Bari, Cantonese, Cocama, Danish, English, Guaymí, Krongo, Mano, Margi, Maung, Mwera, Nung, Tem, Tojolabal, Tucano and Zuni; and French, Portuguese, and Spanish.
さらに Bybee (123) は,この文法化の発達経路を次のように一般化している.
volition
obligation > intention > future (prediction)
movement towards
原義からひとっ飛びに「未来」が発達するわけではなく,「意図,目的」という中間段階が挟まれるという点が重要である.目的を示す to 不定詞もしばしば未来志向と言われるが,この発達経路が関係してくるだろう.
英語の未来表現については「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1]),「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]),「#2209. 印欧祖語における動詞の未来屈折」 ([2015-05-15-1]) を含む future の各記事をどうぞ.
・ Bybee, Joan. Language Change. Cambridge: CUP, 2015.
一昨日,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第42弾が公開されました.「英語の比較級・最上級はなぜ多様なのか?」と題して,英語の比較級・最上級の形式の歴史についてお話ししています.
英語を含む印欧諸語では日本語と異なり,形容詞や副詞に比較級 (comparative degree) や最上級 (superlative degree) といった「級」の文法カテゴリーがあります.比較・最上の概念が文法化 (grammaticalisation) されているのです.そのため英語では比較に関する語法や構文が様々に発達しています.
形式に注目しても,例えば比較級は -er 語尾を付けるもの,more を前置するもの,better や worse のように補充法 (suppletion) に訴えるものなど,種類が豊富です.
このように「級」については英語史・英語学的に論点が多いこともあり,hellog その他でもしばしば関連する話題に触れてきました.以下はこの問題に関心をもった方へのお薦め記事・放送です.より広く記事を読みたい方は comparison の記事群をどうぞ.
[ hellog 記事 ]
・ 「#3835. 形容詞などの「比較」や「級」という範疇について」 ([2019-10-27-1])
・ 「#3843. なぜ形容詞・副詞の「原級」が "positive degree" と呼ばれるのか?」 ([2019-11-04-1])
・ 「#3844. 比較級の4用法」 ([2019-11-05-1])
・ 「#4616. 形容詞の原級と比較級を巡る意味論」 ([2021-12-16-1])
・ 「#403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史」 ([2010-06-04-1])
・ 「#2346. more, most を用いた句比較の発達」 ([2015-09-29-1])
・ 「#2347. 句比較の発達におけるフランス語,ラテン語の影響について」 ([2015-09-30-1])
・ 「#3032. 屈折比較と句比較の競合の略史」 ([2017-08-15-1])
・ 「#3349. 後期近代英語期における形容詞比較の屈折形 vs 迂言形の決定要因」 ([2018-06-28-1])
・ 「#3617. -er/-est か more/most か? --- 比較級・最上級の作り方」 ([2019-03-23-1])
・ 「#3618. Johnson による比較級・最上級の作り方の規則」 ([2019-03-24-1])
・ 「#4234. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-29-1])
・ 「#4442. 2音節の形容詞の比較級は -er か more か」 ([2021-06-25-1])
・ 「#4495. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第6回「なぜ形容詞の比較級には -er と more があるの?」」 ([2021-08-17-1])
[ heldio & hellog-radio (← heldio の前身) ]
・ hellog-radio 「#46. なぜ比較級には -er をつけるものと more をつけるものとがあるのですか?」
・ heldio 「#97. unhappyの比較級に -er がつくのは反則?」
昨日の記事「#4764. 慣用的な懸垂分詞の起源と種類」 ([2022-05-13-1]) に続き,懸垂分詞の起源について.
この構文を Jespersen (407) は "dangling participle" や "loose participle" と呼び,数ページにわたって議論している.とりわけ pp. 409--10 では,"perfectly established" したものとして allowing for, talking of, speaking of, judging by, judging from, saving, begging your pardon, strictly speaking, generally speaking, counting, taking, considering の例が挙げられている.
pp. 410--11 では,さらに慣習化して前置詞に近くなったものがあるとして,中英語以降からの豊富な例文とともに挙げられている.今後の考察のためにも,ここに引用しておきたい.
22.29. A loose participle sometimes approaches the value of a preposition. This use is with possibly doubtful justice ascribed to French influence by Ross, The Absolute Participle, 30. Examples: Ch B 4161 as touching daun Catoun | More U 64 Now as touchyng this question . . . But as concernyng this matter . . . | Caxton R 11 touchyng this complaint | Hawthorne S 247 I am utterly bewildered as touching the purport of your words | Caxton R 54 alle were there sauyng reynard | Gay BP 40 . . . a Jew; and bating their religion, to women they are a good sort of people | Hawthorne Sn 51 barring the casualties to which such a complicated piece of mechanism is liable | Quincey 116 one may bevouack decently, barring rain and wind, up to the end of October | Scott I 31 incapable of being removed, excepting by the use of the file | Di Do 239 Edith, saving for a curl of her lip, was motionless | Dreiser F 292 what chance would he have, presuming her faithfulness itself | Defoe R 2.190 his discourse was prettily deliver'd, considering his youth | Hope D 77 Considering his age, your conduct is scandalous | Thack N 5 there may be nothing new under and including the sun.
Cf. also regarding, respecting (e.g. Ruskin S 1.291) | according to (Caxton R 57, etc.) | owing to | granting (Stevenson JHF 103 even granting some impediments, why was this gentleman to be received by me in secret?).
Cf. pending, during, notwithstanding 6.34.
On the transition of seeing, granting, supposing, notwithstanding with or without that to use as conjunctions, see ch. XXI; on being see above 6.35.
これによると,慣習化した懸垂分詞はフランス語の対応構文からの影響の結果とみなす説もあるようだが,昨日の記事でもみたとおり古英語にルーツを探ることができる以上,少なくともフランス語からの影響のみに依拠する説明は妥当ではないだろう.
引用の最後の部分にあるように,現代までに完全に前置詞化,あるいは接続詞化したものも数例あるので,judging from 問題を考察するに当たって,そのような事例にも目を配っていく必要がある.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
「#4754. 懸垂分詞」 ([2022-05-03-1]) で取り上げたように,judging from のように慣用表現として定着している懸垂分詞 (dangling participle) の例がある.speaking of, strictly speaking, considering, including なども仲間だろう.もともと現在分詞句として始まった表現が,文法化 (grammaticalisation) を経て,機能的に前置詞に近いものへ発展してきたのだろうと考えることができる.
この統語構造について,Visser (§1075) が1セクションを割いている.先駆的表現はすでに古英語にあったとのことだ.
>>
1075 --- Types 'Speaking of daughters, I have seen Miss Dombey' 'This is, strictly speaking, no quibble'
Here follow a number of instances of the use of non-related free -ing adjuncts which have nowadays begun to be generally considered established usage. In this case the adjunct never takes the having + past participle or the being + past participle form. Some of the adjuncts are more or less halfway in their development to prepositions, e.g. 'talking of' = 'apropos of'.
It seems worth while to cite the following Old English passage as being a kind of forerunner of the idiom under discussion: Ælfric, Gen. 13, 10, 'eall se eard . . . wæs mirige mid wætere gemenged swa swa godes neorxna wang and swa swa Egipta land becumendum on Segor' (Auth. V.: as thou comest unto Zoar). A Middle English instance is: c1450 Cov. Myst. p. 387, 'My name is great and marveylous, treuly you telland.'
Visser は同セクションで,近代英語期からの用例を多数引きつつ,16種類の関連表現を列挙している.allowing, begging, considering, counting, excluding, excusing, granting, including, judging, letting alone, reckoning, speaking, supposing, taking, talking, waiving
同セクションには,この問題を掘り下げていくに当たって(必然的に古いものではあるが)有用な参考文献が数多く紹介されているので,その辺りからスタートするのがよさそうだ.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
分野別に整理された書誌を専門家が定期的にアップデートしつつ紹介してくれる Oxford Bibliographies より,"Syntactic Change" の項目を参照してみた(すべてを読むにはサブスクライブが必要).Acrisio Pires と David Lightfoot による選書で,最終更新は2013年,最終レビューは2017年となっている(そろそろ更新されないかと期待したい). *
英語史の分野では統語変化研究が非常に盛んであり,我が国でも先達のおかげで英語統語論の史的研究はよく進んでいる.しかし,学史を振り返ってみると,統語変化研究の隆盛は20世紀後半以降の現象といってよく,それ以前は音韻論や形態論の研究が主流だった.1950--60年代の生成文法の登場と,それに触発されたさまざまな統語研究のブームにより,英語史の分野でも統語への関心が高まってきたのである.21世紀に入ってからは,とりわけ文法化 (grammaticalisation) が注目され,統語変化研究は新局面に突入した.上記の "Syntactic Change" の項のイントロダクションより引用する.
Linguistics began in the 19th century as a historical science, asking how languages came to be the way they are. Almost all of the work dealt with the changing pronunciation of words and "sound change" more broadly. Much attention was paid to explaining why sounds changed the way they did, and that involved developing ideas about directionality. Work on syntax was limited to compiling how different languages expressed clause types differently, notably Vergleichende Syntax der Indogermanischen Sprachen, by Berthold Delbrück. With the greatly increased attention to syntax in the latter half of the 20th century, approaches to syntactic change were enriched significantly. Most of the work on change, both generative and nongenerative, continued the 19th-century search for an inherent directionality to language change, now in the domain of syntax, but other approaches were developed seeking to understand new syntactic systems arising through the contingent conditions of language acquisition.
Oxford Bibliographies からの話題としては,「#4631. Oxford Bibliographies による意味・語用変化研究の概要」 ([2021-12-31-1]) と「#4634. Oxford Bibliographies による英語史研究の歴史」 ([2022-01-03-1]) も参照.
英語史や言語変化の研究において,法助動詞 (modal verb) の発達の問題は,とりわけ生成文法 (generative_grammar) や文法化 (grammaticalisation) などの理論的な観点から注目されてきた.古英語期やそれ以前から存在した過去現在動詞 (preterite-present_verb) に端を発し,中英語期には文法化を通じて各種の法助動詞が生まれ,そして近現代英語期に至っても準助動詞と称される仲間たちが続々と誕生している.主として注目される時期は文法化が進行していた後期中英語から初期近代英語にかけてだが,その前後を含めれば相当に息の長い言語変化である.本ブログでは以下の記事などで取り上げてきた.
・ 「#1670. 法助動詞の発達と V-to-I movement」 ([2013-11-22-1])
・ 「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1])
・ 「#3528. 法助動詞を重ねられた時代」 ([2018-12-24-1])
・ 「#64. 法助動詞の代用品が続々と」 ([2009-07-01-1])
最初の2つの記事で触れたように,Lightfoot によると,多くの法助動詞は短期間に生じ,その過程は16世紀初期までに完了していたという.しかし,この見方には異論がある.Bergs (1640--41) によれば,むしろ各法助動詞は時期的にバラバラに発達しているし,法助動詞的な諸特徴が一斉に獲得されたわけでもなかった,というのだ.
時期的にバラバラに発達した件について,Bergs は次のように述べる.法助動詞化の嚆矢となったのは,おそらく motan, magan である.両者ともにすでに古英語期に法助動詞的な特徴を示していた.次に,初期中英語で cunnan が,後期中英語で willan が発達した.過去形の should, would, could, might も各々バラバラの時期に法助動詞化しており,対応する現在形より早かったケースもある.さらに,法助動詞化の過程において新旧の形態が共存していた "layering" の事実も確認されている.つまり,すべてが徐々にゆっくり進行していたというわけだ.
また,法助動詞的な諸特徴が一斉に獲得されたわけではないという件についても,Bergs は次のように述べる.直接目的語を取らないという法助動詞の特徴は,あるとき一夜にして生じたものではなく,あくまで徐々に獲得されてきたものである.また,形態的無屈折という特徴についても同様.
Bergs は,法助動詞化の問題を,構文文法 (construction_grammar) の枠組みでとらえようとしている.構文文法は,言語体系を構文間のネットワークととらえ,言語変化をそのネットワークの変化ととらえる.したがって,法助動詞化という言語変化は,問題の動詞の形式・機能的特徴が,それまでの他の構文との関わり方を変化させ,ネットワークの組み替えを行なったということにほかならない.そして,そのネットワークの組み替えは,あくまで徐々にゆっくりと起こったものであると説く.
法助動詞の発達は,文法化の典型例として紹介されることが多いが,構文文法の枠組みにあっては上記のように構文化 (constructionalization) の典型例として解釈されるのである.
・ Lightfoot, David W. "Cuing a New Grammar." Chapter 2 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 24--44.
・ Bergs, Alexander. "New Perspectives, Theories and Methods: Construction Grammar." Chapter 103 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1631--46.
will be doing の形式で表わされる未来進行形 (future progressive) の用法について.最も普通の使い方は,未来のある時点において進行中の出来事を表現するというものである.現在進行形の参照点が現在時点であり,過去進行形の参照点が過去時点であるのとまったく平行的に,参照点が未来時点の場合に用いるのが未来進行形ということだ.We'll be waiting for you at 9 o'clock tomorrow morning. や When you reach the end of the bridge, I'll be waiting there to show you the way. のような文である.この用法は大きな問題を呈しないだろう.
未来進行形のもう1つの用法は,確定的な単純未来(「成り行きの未来」)を明示する用法である.単純未来は will do の形式の未来時制によっても表現できるが,これだと意志未来の読みと区別がつかなくなるというケースが生じる.例えば I'll talk to him soon. では,話者の意志のこもった「近いうちに彼に話しかけるつもりだ」の意味か,単なる成り行きの「近いうちに彼に話しかけることになるだろう」ほどの意味か,文脈の支えがない限り両義的となる.このような場合に I'll be talking to him soon. と未来進行形にすることにより,成り行きの読みを明示的に示すことができる.
同様に Will you come to the party tonight? は「あなた今晩パーティに来ない?」という勧誘の意味なのか,「あなた今晩パーティに来ることになっている人?」ほどの純粋な疑問あるいは確認の意味なのかで両義的となりうる.後者の意味を明示的に表わしたい場合には,Will you be coming to the party tonight? を用いることができる.
歴史的には will do の未来表現は,願望・意志を表わした本動詞がその意味を漂白 (bleaching) させ,時制を表わすための助動詞へと文法化 (grammaticalisation) したものとされる(cf. 「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]),「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])).しかし,現代の助動詞 will とてすっかり「単純未来」へ漂白したわけではなく,原義をある程度残した「意志未来」も平行して行なわれている.これは文法化にしばしば生じる重層化 (layering) の事例である.重層化の結果,両義的となってしまったわけなので,いずれの意味かを明示したいケースも生じてくるだろう.そこで,本来「未来時点を参照点とする進行形」として発達してきた will be doing の形式を,「単純未来」を明示するのにも流用するという発想が生まれた.文法化の玉突きのようなことが起こっているようで興味深い.
上記のような事情があるため,通常は現在・過去進行形をとらない動詞が,未来進行形としては用いられる可能性が出てくる.He'll be owning his own house next year. のような例文を参照.
以上,主として Quirk et al. (§4.46) を参照して執筆した.なお,未来進行形の発達は19世紀以降の比較的新しい現象である.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
文法化 (grammaticalisation) の議論では,原義の強度が弱まる意味の漂白化 (bleaching) が話題になる.これ自体が意味変化 (semantic_change) の一種でもあるが,そのように意味が弱まって漂白化したスキをついて,その形式に対して新たな意味や機能が潜り込んでくるという点,つまり二次的な意味変化が続くという点がおもしろい.Meillet が意味変化の著名な論文 "Comment les mots changent de sens" (p. 7) で,この点に触れている.
En ce qui concerne spécialement le changement de sens, une circinstance importante est que le mot, soit prononcé, soit entendu, n'éveille presque jamais l'image de l'objet ou de l'acte dont il est le signe; comme l'a si justement dit M. Paulhan cité par M. Leroy, Le langage, p. 97: « comprendre un mot, une phrase, ce n'est pas avoir l'image des objets réels que représente ce mot ou cette phrase, mais bien sentir en soi un faible réveil des tendances de toute nature qu'éveillerait la perception des objets représentés par le mot ». Une image aussi peu évoquée, et aussi peu précisément, est par là même sujette à se modifier sans grande résistance.
ある記号 (sign) について,シニフィエが弱まると,スカスカになったその空隙を埋めるかのように,容易に別の意味や機能が入り込んでくるのだという.シニフィアンの立場からみると,常に確実で強固な相方(=シニフィエ)を欲するということになろうか.
この点と関連して想起されるのは,「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]) の最後に触れたことである.指示対象はもっているが,本来シニフィエをもたない固有名詞にすら,スカスカのシニフィエを埋めようとする作用が認められるということだ.これは「記号のシニフィエ充填原理」とでも呼びたくなる興味深い現象である.
・ Meillet, Antoine. "Comment les mots changent de sens." Année sociologique 9 (1906). 1921 ed. Rpt. Dodo P, 2009.
現代英語にはみられないが,印欧語族の多くの言語では形容詞 (adjective) に屈折 (inflection) がみられる.さらにゲルマン語派の諸言語においては,形容詞屈折に関して,統語意味論的な観点から強変化 (strong declension) と弱変化 (weak declension) の2種の区別がみられる(各々の条件については「#687. ゲルマン語派の形容詞の強変化と弱変化」 ([2011-03-15-1]) を参照).このような強弱の区別は,ゲルマン語派の著しい特徴の1つとされており,比較言語学的に興味深い(cf. 「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1])).
英語では,古英語期にはこの区別が明確にみられたが,中英語期にかけて屈折語尾の水平化が進行すると,同区別はその後期にかけて失われていった(cf. 「#688. 中英語の形容詞屈折体系の水平化」 ([2011-03-16-1]),「#2436. 形容詞複数屈折の -e が後期中英語まで残った理由」 ([2015-12-28-1]) ).現代英語は,形容詞の強弱屈折の区別はおろか,屈折そのものを失っており,その分だけゲルマン語的でも印欧語的でもなくなっているといえる.
古英語における形容詞の強変化と弱変化の屈折を,「#250. 古英語の屈折表のアンチョコ」 ([2010-01-02-1]) より抜き出しておこう.
では,なぜ古英語やその他のゲルマン諸語には形容詞の屈折に強弱の区別があるのだろうか.これは難しい問題だが,屈折形の違いに注目することにより,ある種の洞察を得ることができる.強変化屈折パターンを眺めてみると,名詞強変化屈折と指示代名詞屈折の両パターンが混在していることに気付く.これは,形容詞がもともと名詞の仲間として(強変化)名詞的な屈折を示していたところに,指示代名詞の屈折パターンが部分的に侵入してきたものと考えられる(もう少し詳しくは「#2560. 古英語の形容詞強変化屈折は名詞と代名詞の混合パラダイム」 ([2016-04-30-1]) を参照).
一方,弱変化の屈折パターンは,特徴的な n を含む点で弱変化名詞の屈折パターンにそっくりである.やはり形容詞と名詞は密接な関係にあったのだ.弱変化名詞の屈折に典型的にみられる n の起源は印欧祖語の *-en-/-on- にあるとされ,これはラテン語やギリシア語の渾名にしばしば現われる (ex. Cato(nis) "smart/shrewd (one)", Strabōn "squint-eyed (one)") .このような固有名に用いられることから,どうやら弱変化屈折は個別化の機能を果たしたようである.とすると,古英語の形容詞弱変化屈折を伴う se blinda mann "the blind man" という句は,もともと "the blind one, a man" ほどの同格的な句だったと考えられる.それがやがて文法化 (grammaticalisation) し,屈折という文法範疇に組み込まれていくことになったのだろう.
以上,Marsh (13--14) を参照して,なぜゲルマン語派の形容詞に強弱2種類の屈折があるのかに関する1つの説を紹介した.
・ Marsh, Jeannette K. "Periods: Pre-Old English." Chapter 1 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1--18.
現代の言語学理論を大きく2つに分けるとすれば,言語運用 (linguistic performance) を重視する学派と言語能力 (linguistic competence) を重視する学派の2つとなろう.言語運用と言語能力の対立は,パロール (parole) とラング (langue) の対立といってもよいし,E-Language と I-Language の対立といってもよい.学派に応じて用語使いが異なるが,およそ似たようなものである.
言語運用を重視する学派は,文法化理論 (grammaticalisation theory) や構文文法 (construction_grammar) に代表される認知言語学 (cognitive_linguistics) である.一方,言語能力に重きをおく側の代表は生成文法 (generative_grammar) である.両学派の言語観は様々な側面で180度異なり,鋭く対立しているといってよい.Fischer et al. (32) の表を引用し,対立項を浮かび上がらせてみよう.
EMPHASIS ON PERFORMANCE/LANGUAGE OUTPUT | EMPHASIS ON COMPETENCE/LANGUAGE SYSTEM | |
---|---|---|
(a) | product-oriented | process-oriented |
(b) | emphasis on function (in CxG also form) | emphasis on form |
(c) | locus of change: language use | locus of change: language acquisition |
(d) | equality of levels | centrality (autonomy) of syntax |
(e) | gradual change | radical change |
(f) | heuristic tendencies | fixed principles |
(g) | fuzzy categories/schemas | discrete categories/rules |
(h) | contiguity with cognition | innateness of grammar |
8月14日に,『英語教育』(大修館書店)の9月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第6回となる今回の話題は,「なぜ一般動詞の疑問文・否定文には do が現われるのか」です.この do の使用は,英語統語論上の大いなる謎といってよいものですが,歴史的にみても,なぜこのような統語表現(do 迂言法と呼びます)が出現したのかについては様々な仮説があり,今なお熱い議論の対象になっています.
現代英語で不定詞マーカーといえば to である.別に原形不定詞というものもあるが,こちらはゼロのマーカーととらえられる.to 不定詞は原形不定詞と並んで古英語から用いられてはいたが,一気に拡大したのは後期古英語から初期中英語にかけての時期である (Mustanoja 514) .
中英語期までに to は完全に文法化 (grammaticalisation) を成し遂げ,形態・機能ともに弱化したこともあり,それを補強するかのように前置詞 for を前置した2音節の forto/for to が新たな不定詞マーカーとして用いられるようになった.MED の fortō adv. & particle (with infinitive) によると,初例は Peterborough Chronicle からであり,中英語の最初期から使用されていたことがわかる.
a1131 Peterb.Chron. (LdMisc 636) an.1127: Se kyng hit dide for to hauene sibbe of se earl of Angeow.
この新しい不定詞マーカー forto はかなりの頻度で用いらるようになったが,結局は to と同様に弱化の餌食となっていった.衰退の時期は14世紀から15世紀とみられ,Elizabeth 朝までにはほぼ廃用となった(非標準変種では現在も使われている).ただし,中英語期を通じて両者の揺れは観察され,Caxton の Morte Darthur では,時代錯誤的に forto のほうが優勢なくらいだった.
付け加えれば,中英語期には to や forto に比べてずっと稀ではあったが,単体の for,till, for till, at といった別の不定詞マーカーもあった (Mustanoja 515) .現代と異なり,不定詞の形は様々だったのである.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
「#3692. 英語には過去時制と非過去時制の2つしかない!?」 ([2019-06-06-1]),「#3693. 言語における時制とは何か?」 ([2019-06-07-1]) で簡単に論じたように,英語における未来時制の存在は長らく議論の的になってきた.未来時制を認めるべきなのか,認めるとすればその根拠は何か.あるいは,認めるべきではないのか,そうだとすればその根拠は何か.『英語学要語辞典』の future tense の項 (269) で要約されている「英語に未来時制がない」とする説の根拠を示そう.
(1) 一般に「will/shall + 不定詞」という形式を「未来形」と称し,「未来時制」を表わすものと理解されているが,これはあくまで統語的な手段を利用しているにすぎないことに注意が必要である.一方,時制として確立されている「現在時制」と「過去時制」は,go と went のように動詞を屈折・変化させる形態的な手段により「現在形」と「過去形」を形成しており,will/shall go とはレベルが異なるように思われる.will/shall go が対立するのはむしろ would/should go であり,この対立自体が結局のところ「現在時制」対「過去時制」に還元されるというべきではないか.
(2) 上記のような手段の問題は別にしても,will/shall がどこまで文法化した形式的な語であるかという点についても疑義がある.各語は元来「意志」「負債,義務」を表わす本動詞であり,助動詞化したあとでもその原義はある程度残っている.他にも付随意味として「推量・習慣」「必然・強制」などの意味が残っており,純粋に「未来」の意味を担うものとはなっていない.一方 can, may, must, ought, be going to, be (about) to など他の(準)助動詞も,多かれ少なかれ「未来」の意味を担当しているため,もし will/shall を「未来」の助動詞と認めるのであれば,これらも同様に認めなければ一貫性が保てない.もっとも,法的な含意を伴わない純粋な「未来」を表わす用例が,will/shall に見られるというのも事実ではある.以下の事例を参照.
My babe-in-arms will be fifty-nine on my eighty-ninth birthday ... The year two thousand and fifteen when I shall be ninety. --- [F. R. Palmer]
英語に未来時制はあるのか,ないのかという問題は,一般に,所与の言語項がある文法範疇の成員であるとみなすためには,どのような条件が満たされていればよいのかという本質的な問いへとつながっていく.これは文法理論や言語観に関わるきわめて大きなトピックである.
・ 寺澤 芳雄(編)『英語学要語辞典』,研究社,2002年.298--99頁.
現代英語では,will, shall, can, may などの法助動詞を重ねて用いることはできない.法助動詞は1つのみで用いられ,その後に本動詞の原形が続くという形式しか許容されない.しかし,かつて法助動詞を2つ重ねることができた時代があった.
中尾 (350) を参照した縄田 (89--90) より,中英語からの例を示そう.
a. Shall 「未来」 + Will 「意志」
whase wilenn shall þiss boc efft oþerr sitþe written
'whoever shall wish to write this book afterwards another time' (?c1200 Orm D. 95)
b. Shall 「未来」 + Can 「能力」
I shal not konne answere.
'I shall not be able to answer.' (c1386 Chaucer, C. T. B 2902)
c. Shall 「未来」 + May 「能力」
Hu sal ani man ðe mugen deren?
'How shall any man be able to injure thee?' (c1250 Gen & Ex 1818)
d. May 「可能性」 + Can 「能力」
it may not kon worche þis work bot ȝif it be illuminid by grace
'it may not be able to do this work unless it be illumined by grace' (?a1400 Cloud 116, 14)
現在の法助動詞はもともとは一般動詞にすぎなかったが,歴史的に法助動詞へと文法化 (grammaticalisation) してきた経緯がある.しかし,一般動詞から法助動詞への範疇の移行は,一夜にして切り替えが生じたわけではなく,グラジュアルな過程だったために,その移行期においては上記のように両範疇の特性を合わせもったような「2つ重ね」が許容されたということだろう.しかし,近代英語以降,この構造は廃れていく.
縄田論文では,この2重法助動詞を巡る問題について,個々の助動詞間で法助動詞化の速度が異なっていたことが背景にあると議論されている.異なる立場からの関連する議論としては,「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]),「#1670. 法助動詞の発達と V-to-I movement」 ([2013-11-22-1]) を参照.
・ 中尾 俊夫 『英語史 II』 英語学大系第9巻,大修館書店,1972年.
・ 縄田 裕幸 「第4章 分散形態論による文法化の分析 --- 法助動詞の発達を中心に ---」『文法化 --- 新たな展開 ---』秋元 実治・保坂 道雄(編) 英潮社,2005年.75--108頁.
「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1]) で6つの際立ったゲルマン語的な特徴を挙げた.Kastovsky (140) によると,そのうち以下の3つについては,ゲルマン祖語が発達する過程で互いに密接な関係があっただろうという.
(2) 動詞に現在と過去の2種類の時制がある
(3) 動詞に強変化 (strong conjugation) と弱変化 (weak conjugation) の2種類の活用がある
(4) 語幹の第1音節に強勢がおかれる
One major Germanic innovation was a shift from an aspectual to a tense system. This coincided with the shift to initial accent, and both may have been due to language contact, maybe with Finno-Ugric. Initial stress deprived ablaut of its phonological conditioning, and the shift from aspect to tense required a systematic marking of the new preterit tense. From this, two types of exponents emerged. One is connected to the secondary (weak) verbs, which only had present aspect/tense forms. They developed an affixal "dental preterit", together with an affix for the past participle. The source of the latter was the Indo-European participial -to-suffix; the source of the former is not clear . . . . The most popular theory is grammaticalization of a periphrastic construction with do (IE *dhe-), but there are a number of phonological problems with this. The second type was the functionalization of the originally non-functional ablaut alternations to express the new category, i.e. the making use of junk . . . . But this was somewhat unsystematic, because original perfect forms were mixed with aorist forms, resulting in a pattern with over- and under-differentiation. Thus, in class III (helpan : healp : hulpon : geholpen) the preterit is over-differentiated, because the different ablaut forms are non-functional, since the personal endings would be sufficient to signal the necessary distinctions. But in class I (wrītan : wrāt : writon : gewriten), there is under-differentiation, because some preterit forms and the past participle have the same vowel. (140)
Kastovsky によれば,ゲルマン祖語は,おそらく Finno-Ugric との言語接触の結果,(a) 印欧祖語的な相 (aspect) を重視する言語から時制 (tense) を重視する言語へと舵を切り,(b) 可変アクセントから固定的な語頭アクセントへと切り替わったという.新たに区別されるべきようになった過去時制の形態は,もともとは印欧祖語的なアクセント変異に依存していた母音変異 (gradation or ablaut) を(非機能的に)利用して作ったものと,歯音接尾辞 (dental suffix) を付すという新機軸に頼るものとがあった.これらの形態組織の複雑な組み替えにより,現代英語の動詞の非一環的な時制変化に連なる基盤が確立していったのである.一見すると互いに無関係に思われる現象が,音韻形態の機構において互いに関連していたという例の1つだろう.
上の引用で触れられている諸点と関連して,「#3135. -ed の起源」 ([2017-11-26-1]),「#2152. Lass による外適応」 ([2015-03-19-1]),「#2153. 外適応によるカテゴリーの組み替え」 ([2015-03-20-1]),「#3331. 印欧祖語からゲルマン祖語への動詞の文法範疇の再編成」 ([2018-06-10-1]) も参照.
・ Kastovsky, Dieter. "Linguistic Levels: Morphology." Chapter 9 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 129--47.
Hopper and Traugott による文法化 (grammaticalisation) の定義および捉え方を紹介しておきたい.文法化というとき,それは言語変化のあるパターンを指すこともあれば,そのような言語変化を研究する枠組みのことを指すこともある.まずは,Hopper and Traugott (231) より,その辺りの定義から.
. . . we have considered grammaticalization as (i) a research framework for studying the relationships between lexical, constructional, and grammatical material in language, whether diachronically or synchronically, whether in particular languages or cross-linguistically, and (ii) a term referring to the change whereby lexical items and constructions come in certain linguistic contexts to serve grammatical functions and, once grammaticalized, continue to develop new grammatical functions.
(ii) の意味での文法化について,Hopper and Traugott (231) は,その本質は話し手と聞き手の間における意味の交渉であるとみている.文法化は,このようにコミュニケーションの基本的なポイントに立脚しているがゆえに,語用論的な観点や認知言語学的な観点も含み込むことになり,射程が広いフレームワークということになるのだろう.
We have argued that grammaticalization can be thought of as the result of the continual negotiation of meaning that speakers and hearers engage in in the context of discourse production and perception. The potential for grammaticalization lies in speakers attempting to be maximally informative, and in hearers attempting to be maximally cooperative, depending on the needs of the particular situation. Negotiating meaning may involve innovation, specifically, pragmatic, semantic, and ultimately grammatical enrichment. This means that grammaticalization is conceptualized as a type of change not limited to early child language acquisition or to perception (as is assumed in some models of language change), but due also to adult acquisition and to production.
この射程の広さが,文法化研究の魅力の1つといってよい.
・ Hopper, Paul J. and Elizabeth Closs Traugott. Grammaticalization. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
通時的であれ共時的であれ文法化 (grammaticalisation) を問題にする場合,取りあげている事例がどの程度「文法化」らしいのか,「文法的」なのかを判断する基準が必要である.しかし,そのような基準を設定することは,言い換えれば文法化に定義を与えることにほかならず,自ずから困難な課題であることは論を俟たない.このような基準,ないしパラメータとしては,Lehmann の提案が古典的なものとされている.議論はあるものの,たたき台として重要である.Hopper and Traugott (31) に Lehmann のパラメータが要領よくまとまっているので,そちらを引用しよう.連合関係の軸 (paradigm) から3点,統合関係の軸 (syntagm) から3点である.
Of relevance on the paradigmatic axis are:
1. the "weight" or size of an element (Lehmann refers to "signs"); weight may be phonological (Lat. ille 'that' has more phonological weight than the French article le that derives from it) or semantic (the motion verb go is thought to be semantically weightier than the future marker go) --- "Grammaticalization rips off the lexical features until only the grammatical features are left" (1995: 129);
2. the degree to which an element enters into a cohesive set or paradigm; e.g., Latin tense is paradigmatically cohesive whereas English tense is not (contrast the Latin with its translation in amo 'I love,' amabo 'I will love,' amavi 'I have loved');
3. the freedom with which an element may be selected; in Swahili if a clause is transitive, an object marker must be obligatorily expressed in the verb (given certain semantic constraints), whereas none is required in English.
Of relevance on the syntagmatic axis are:
4. the scope or structural size of a construction; periphrasis, as in Lat. scribere habeo 'write:INF have:1stSg', is structurally longer and weightier and larger than inflection, as in Ital. scriverò, 'I shall write';
5. the degree of bonding between elements in a construction (there is a scale from clause to word to morpheme to affix boundary, 1995: 154); the degree of bonding is greater in the case of inflection than in that of periphrasis;
6. the degree to which elements of a construction may be moved around; in earlier Latin scribere habeo and habeo scribere could occur in either order, but in later Latin this order became fixed, which allowed the word boundaries to be erased.
これらを現代英語の文法事象に照らしてみよう.例えば,現代英語の法助動詞 will による「未来時制」の発達はどのくらい「文法化」的な問題だろうか.「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1]),「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]) で論じたように,法助動詞 will の発達は文法化の典型例の1つと考えられているが,上記の2から示唆される通り,現代英語の will による「未来時制」は連合関係の観点から,さほど cohesive とはいえないようにも思われ,どこまで時制という文法カテゴリーの成員として扱えるのか疑問が残る.もちろん,これは Yes/No の問題ではなく程度の問題であり,プロトタイプ的に理解する必要はあるだろう.6つのパラメータをすべて満たす完璧な事例だけを「文法化」としてしまうと,多くを見落としてしまうことになる.
・ Lehmann, Christian. Thoughts on Grammaticalization. Munich: Lincom Europa, 1995.
・ Hopper, Paul J. and Elizabeth Closs Traugott. Grammaticalization. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
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