Baugh and Cable は,古典的名著である英語史(第5版)の第1章で,英語の国際的拡大とその "econo-technical superiority" の密接な関係を説いている.英語が国際語となった背景についての著者たちの考え方は,ひとえに言語外の社会的要因ゆえであるとしており,この点では[2012-04-13-1]の記事「#1082. なぜ英語は世界語となったか (1)」で解説した Crystal 等の解釈と一致している (Baugh and Cable, pp. 3, 11) .ただし,Baugh and Cable は,"econo-technical superiority" のみがその言語を国際語へと至らしめる決定的な要因であるわけではなく,ある程度の長期にわたる下積みの歴史も重要な要素だとしている.ここで英語と対比されているのは "econo-technical superiority" をもつとされる日本語である.
If "econo-technical superiority" is what counts, we might wonder about the relative status of English and Japanese. Although spoken by 125 million people in Japan, a country that has risen to economic and technical dominance since World War II, the Japanese language has yet few of the roles in international affairs that are played by English or French. The reasons are rooted in the histories of these languages. Natural languages are not like programming languages such as Fortran or LISP, which have gained or lost international currency over a period of a decade or two. Japan went through a two-century period of isolation from the West (between 1640 and 1854) during which time several European languages were establishing the base of their subsequent expansion. (5)
国際語として根付くためには,ある程度の長期にわたって世界の諸地域に影響力を行使し,保持し,発展させてゆく必要があるという議論は,確かにその通りだと思う.コンピュータ言語の覇権の盛衰が短期間で起こるのに対して,人間の言語の覇権がもっとゆっくりしたものであるという指摘も興味深い.人間の言語は,コンピュータ言語のように,実用的なプログラムの作成という1つの目的に特化しているわけではなく,多種多様な機能をもっているし([2012-04-02-1]及び function_of_language の諸記事を参照),話者共同体の社会的特性や歴史をも色濃く反映している.そのような人間の言語は,たとえ国際コミュニケーションという実用的な目的のために用いられるとしても,短期間でくるくると取り替えることは難しい.もし国際関係の流れが現在よりももっと激しくなり,主導権がめまぐるしく展開するような社会状況になれば,発展著しいコンピュータとその言語のように,人間の言語の国際的な覇権も,短期間でくるくると交替する可能性はある.しかし,常識的には,人間の言語が国際的に根付いてゆくためには,基盤作りの時間と受容の時間が必要であることは認めてよい.
しかし,Baugh and Cable の上の議論は,いくつかの点で疑問がある.日本(語)が戦後に econo-technical superiority を獲得したことを前提として,それと英語の国際的拡大とを比較しているのにもかかわらず,日本語がそれを獲得する以前の鎖国時代までに話しを遡らせている理由がわからない.英語や西洋の主要言語が数世紀もの時間をかけて国際的に展開を経てきたのに対して,日本語は戦後のたかだか約60年しか時間がなかった,というのであれば,下積みの歴史の長さという観点から議論が一貫しているといえるだろう.しかし,ここでは著者たちは17世紀における西洋諸言語の国際的立場と日本語の架空の国際的立場と比較してしまっている.
また,Baugh and Cable は日本の "a two-century period of isolation from the West" が日本語の国際化にとって負の要因だったと考えているようだが,西洋との関係を断絶したことがすなわち日本語の国際化の道を閉ざしたのだという論理は必ずしも受け入れられない.いや,一面ではその通りかもしれない.鎖国前後の時代に世界史の主導権を担っていたのは確かに西洋諸国であり,彼らと何らかの関係を結ばないかぎり世界展開は不可能だったように思える.世界展開を文字通りに捉えるのであれば西洋との関係は必須だったにちがいないが,ここで問題になっているのは国際的な通用度であり,必ずしも全世界を対象としているわけではない(現代の英語ですら全世界を覆いつくしているとは決して言えない).東アジア圏という狭い世界に限れば,鎖国直前の時代,明を中心とした交易通商秩序が崩壊するなかで,日本はむしろ地域の交易の主導権を握ろうと画策しており,東アジア圏での国際化は視野に入れていたのである.鎖国時代に入ってからも,西洋の通商の国としてはオランダに限ったものの,中国とは交易し続けたし,韓国や琉球とも通信していた.それでも鎖国時代には全体として限定された通商であったことは,もちろん,否定しようもない.しかし,西洋との関係の断絶がすなわち日本語の国際化の道を閉ざしたかのような議論は,西洋中心主義的な見方である.
もう1点.Baugh and Cable は鎖国時代を1640--1854年としているが,鎖国の完成は,オランダ商館が平戸から出島に強制移転され,すべての外国船貿易が長崎に集中された1641年とするのが,日本史の定説である.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
現代世界における英語の重要性を示す事実や統計については,elf の各記事や,とりわけ statistics elf の各記事で取り上げてきた.英語の世界化は現在進行中であり,英語に関する事実と統計も常に変化の最中にあるために,最新の情報を正確に捉えることは難しい.いきおい数年遅れ,場合によっては数十年遅れの情報をもとに現状を推し量るということになりがちである.また,多くの研究者や機関が事実や統計を調査しているものの,個別の情報を個別に公表するにとどまることが多く,全体像を得ることが難しい.
以下の一覧は,2006年に出版された Schmitt and Marsden (2--3) に挙げられている英語の重要性を示す事実と統計の諸項目だが,著者もいうように "In many cases, the most current information available dates from the 1990s, or even the 1980s." (2) である.あくまで参考資料だが,このように一覧されていると便利ではある.なお,原文では,各項目に典拠が注記されており,必要に応じて参照することができる.
・ English is the principal language of intercontinental telephone communication.
・ Perhaps as much as 75 percent of mail around the world is written in English.
・ About half of the world's newspapers are published in English.
・ Twenty-eight percent of the books published annually are in English.
・ The majority of academic journals with international readership are in English.
・ The majority, and perhaps even more than two-thirds, of international scientists write in English. For example, nearly two-thirds of the publications produced by French scientists were in English in the early 1980s. Likewise, English was the major working language for German academics surveyed in the early 1990s. In 13 out of 20 disciplines, at least 40 percent claimed to work in English, and for psychology, biology, chemistry, and physics, the figures ranged from 81 to 98 percent. One can only suspect that these figures are even higher today.
・ Ninety percent of Internet hosts were based in English-speaking countries in the mid-1998s.
・ Close to 80 percent of the world's computer data available on the Internet was stored in English in the 1990s, which is not surprising considering that English-speaking countries took the lead in developing the Internet. However, as other countries rapidly increase their use of the Internet, the use of non-English languages is rising. Still, English sites on the Internet continue to attract a disproportionately high percentage of hits.
・ Forty percent of the people online on the Internet speak English (228 million people), though this may eventually drop to around 30 percent. The next highest language is Chinese at 9.8 percent (55.5 million people).
・ The most influential software company, Microsoft, is based in an English-speaking country: the United States.
・ Most of the largest advertising agencies are based in the United States.
・ Eighty-five percent of world institutions use English as their language, or as one of their languages; for example, it is the official language of the Olympics and the World Council of Churches.
・ The official international language for both aviation and maritime use is English.
・ English is the dominant language of international trade, with about 40 percent of the business deals made in English.
・ The most influential movies and modern music come from English-speaking countries.
・ In 1994, 80 percent of all feature films that were shown in cinemas worldwide were in English.
・ About 85 percent of the global movie market was controlled by the United States in 1995.
・ The fact that large numbers of people are learning English as a second language is reflected by the large number of people taking the TOEFL® Test (about 689,000 people in 215 countries) and University of Cambridge Local Examinations Syndicate (UCLES) tests (more than 1 million people in more than 130 countries) every year.
1997年に出版の Graddol や2003年に出版の Crystal も(いずれもやはり古いが)この種の統計情報に満ちている.関連して,「#48. 国際的に英語が使用される主要な分野」 ([2009-06-15-1]) や「#716. 英語史のイントロクイズ(2011年度版)とその解答」 ([2011-04-13-1]) も参照.
本当は個別に情報をアップデートできればよいのだが,日に日に状況が変わるので,情報更新だけでもフルタイム専任の仕事になってしまう.このような項目一覧は,古いことを認めつつ,便利に使ってゆくのがよい.
・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.
・ Graddol, David. The Future of English? The British Council, 1997. Digital version available at http://www.britishcouncil.org/learning-research-futureofenglish.htm.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
言語学の基本的な項目に関連して本ブログでも何度も取り上げてきたフランスの構造主義言語学者 André Martinet (1908--99) が,英語の英米差について論考した1995年の論文を発見したので読んでみた (see André Martinet) .
ヨーロッパでは伝統的に英語の学習といえばイギリス変種が主でありアメリカ英語は副とされてきた.地理的,歴史的,文化的により緊密であるイギリスへ指向するのは自然といえば自然である.英語に限らず,ヨーロッパに起源をもちアメリカ大陸へも拡大したヨーロッパの主要言語についても同じ傾向が認められる.ヨーロッパ人にとって,スペイン語といえば南米変種ではなくスペイン変種だし,ポルトガル語といえばブラジル変種ではなくポルトガル変種だし,フランス語といえばケベック変種ではなくフランス変種だ.
しかし,英語ほど lingua franca としての役割が大きくなってくると,英米変種の差がもたらす問題点も大きくなってくる.書きことばについては,事実上,差がないといってよいが,話しことばについては発音の相違は時に理解の妨げになる.Martinet は,自身の経験として,アメリカで出身地を聞かれたときに France [frɑːns] とイギリス発音で答えたところ,Florence と聞き間違えられたので,以降は [fræns] と発音するよう心がけたというエピソードを述べている (124) .
しかし,Martinet は,彼らしく,この問題について楽観的である.言語使用に関して作用している調整機能が自然と解決してくれるだろうという考えだ.相互のコミュニケーションが日増しに密になってきている現在,異なる語法に対する寛容とその収束 (convergence) が確実に進行しており,遠からず適切な解決をみるだろう,と.
Comme toutes les langues évoluent à chaque instant pour satisfaire aux besoins changeants de ceux qui les emploient, nous sommes tous, sans nous en douter, dressés à comprendre et à accepter des formes et des valeurs que nous ne pratiquons plus ou que nous n'avons jamais pratiquées, mais que nous avons entendues et identifiées depuis notre enfance. (126)
すべての言語は,その使用者の変わりゆく要求に応じるべく常に進化してゆくのだから,私たちはみな,それに気付かずとも,もはや実践しなかったり,一度も実践したことのない形態や価値ではなく,子供の頃から聞いてそれと認めてきた形態や価値を理解し,受け入れる準備ができている.
Crystal の予見する WSSE (World Standard Spoken English) は,アメリカ英語の話しことばが下敷きとなって,世界中の英語話者がそれに調整を加えてゆくことで発展してゆくのではないかと考えられているが,上の Martinet の引用はその理論的な支柱を与えているといえるかもしれない (see wsse ) .
言語変種の convergence あるいは conversion については,[2010-10-09-1]の記事「#530. アメリカ英語と conversion / diversion」を参照.
・ Martinet, André. "Quelle sorte d'anglais pour les plurilingues à venir?" International Journal of the Sociology of Language 109 (1994): 121--27.
昨日の記事「#958. 理想的な国際人工言語が備えるべき条件」 ([2011-12-12-1]) の最後に触れた,Charles Kay Ogden (1889--1857) による Basic English について取り上げる.
19世紀後半から始まった国際人工言語への熱 ([2011-12-11-1]) は,様々な現実によるその理想の頓挫とともに,20世紀が進むにつれて冷めてきた.一方,国際コミュニケーションの需要は激増しており,国際共通語の必要も爆発的に高まってきた.人工言語の創案に取って代わるべきアイディアは,広く行なわれている既存の自然言語を単純化するというものだった.主要な西欧の言語はすべて,このように簡略化された "modified natural language" の提案を試みた.そのなかで最も有名な試みが,"British American Scientific International Commercial" の acronym (頭字語)をとった Basic English である.
英国の作家・言語学者 Ogden によって1926--30年にかけて考案されたこの簡略版の英語は,850の語彙(600の名詞,150の形容詞,100の操作詞)から成っている.動詞は18個しかないが,他の語との結びつきにより,標準英語の約4,000の動詞の代わりとなることができる.assemble に代えて put together, invent に代えて make up, photograph に代えて take pictures の如くである.
1940年代には,Churchill や Roosevelt などという著名人によっても支持されたが,語彙が少ない分,複雑な統語構造で補われなければならなかったこと,イディオムが増えざるを得なかったことなどの理由もあり,やがて衰退した.たとえ語彙を極度に単純化したとしても,そのためにかえって統語や意味の点で不便が生じ,言語体系全体としてはむしろ不経済となり得ることが,現実に感じられたのだろう(関連して,[2010-02-14-1]の記事「#293. 言語の難易度は測れるか」を参照).
Basic English は現在では歴史的な意義をもつのみとなっているが,その精神は世界の英語教育のなかに反映されている.限られた数の知っている語の組み合わせにより複雑な概念を表現する能力や,基本語で平易に表現する技量を身につけることは,外国語教育においては重要な課題である.近年の学習者用英英辞典学習において採用されている "defining vocabulary" の考え方も,Basic English の思想の延長線上にあるといえる.ELF (English as a Lingua Franca) や世界標準英語という呼称が聞かれるようになってきた昨今,Basic English という試みそのものではないにせよ,その考え方は,改めて有効となってくるのではないだろうか.
以上の記事は,Crystal (358) および Basic-English Institute の記述を参考にして執筆した.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.
最近,現代英語の言語変化の傾向について調べる機会をもった.関連する話題は,これまでにも以下のような記事(とそこから張られているリンク先の記事)で扱ってきた.
・ 「#860. 現代英語の変化と変異の一覧」 ([2011-09-04-1])
・ 「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1])
・ 「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」 ([2011-01-12-1])
・ 「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1])
・ 「#339. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由」 ([2010-04-01-1])
・ 「#386. 現代英語に起こっている変化は大きいか小さいか」 ([2010-05-18-1])
(以上を一括した,##860,795,625,622,339,386 もどうぞ.)
一般的な定義に従って現代英語を20世紀以降とすると,その前半と後半とでは英語を取り巻く環境は激変している.また,1990年代半ば以降には,ELF (English as a Lingua Franca) という表現も聞かれるようになり,世界の中での英語の位置づけは,21世紀中も安定することはなく,ますます変化してゆくものと思われる.英語の社会言語学的な立場が変化するにつれて,英語が言語的にも変容してゆくだろうということは容易に想像されよう.
Barber は,20世紀半ばの時点での英語(主として彼が "Received Standard" と呼ぶイギリス標準英語)の言語変化について考察しているが,そこには2つの潮流が認められると述べている.
On the one hand, there has been a trend towards greater uniformity, a levelling out of differences; on the other hand, there has been an increased reluctance to accept as a norm what has hitherto been considered the standard form of the spoken language. In sum the effect has been to make the language more mixed. (16)
非標準変種を含めた様々なイギリス英語内の変種に特徴的だった言語項目が標準変種へと忍び込んできているという潮流と,標準変種の地位そのものが低下してきているという潮流である.これは,標準と非標準が混合しながらも,足して2で割ったような同質的な変種が生まれつつあるという洞察と読めるだろう.この洞察から推測できることは,標準英語に生じている言語変化(の一部)は,標準英語に限定された視点からすれば新しい言語変化とみなすことができるかもしれないが,視野を広げて見れば,単に非標準変種にすでに存在していた言語項目が標準変種へ移入してきただけということもありそうだ,ということである.これは,方言借用 (dialectal borrowing) という過程に近い.Barber 自身の表現で言えば,次の引用で赤字で示したように "changes in acceptance" (受容の変化)ということになる.
Because of the change which is going on in the concept of standard English, and because of the social changes of the post-war period, some of the linguistic changes which we shall note will be changes in acceptance, rather than changes in actual usage. Usages which are not new, but which have previously been considered non-standard, are now coming to be accepted as standard by increasing numbers of educated speakers (though not always by the speaker of R. S. [Received Standard] proper). (28--29)
Barber の説く現代イギリス標準英語の言語変化の潮流は,一言でいえば "dialectal mixing" の傾向と要約できるが,彼の達識は,20世紀半ばという比較的早い段階で,同じ潮流がイギリス標準英語だけでなく世界英語にも観察されることを指摘した点に見いだされる.(アメリカ英語を強力な基盤としながらも)世界中の英語変種が混ざり合い,緩やかに均一化しているのではないかという観察である.
[W]ith the great increase in world-wide communications, it is probable that the various forms of English spoken in the world are now influencing one another more than formerly, and that the trend to greater dialectal mixing is therefore taking place in English on a world scale. (21)
これは,Crystal の提起する WSSE (World Standard Spoken English) に近い考え方である.[2010-10-09-1]の記事「アメリカ英語と conversion / diversion」で触れたように,相反する傾向,世界中の英語がちりぢりになって行く diversion の傾向を無視するわけにはいかないが,ELF が暗黙に目指している世界標準英語の確立という観点からは,Barber の1964年の観察と直感は評価に値すると考える.
・ Barber, Charles. Linguistic Change in Present-Day English. Alabama: U of Alabama P, 1964.
8月2日付けの asahi.dom で,次の記事を見つけた.
植物の新種報告,英語でも可 ラテン語の壁崩し規約改訂
76年間,ラテン語に限られていた植物の新種の発見報告が英語でもできるようになった.オーストラリア・メルボルンで開かれた国際植物学会議が30日,規約を改訂した.また,報告は紙媒体だけでなく,電子出版の論文も認めることにした.
植物学では1935年に国際ルールができ,新種の報告は「ラテン語のみ」で,紙媒体に掲載されたものに限ってきた.今回の改訂で論文の発表が加速され,検索も容易になると期待される.
命名規約委員会委員長のサンドラ・ナップ博士(英国自然史博物館)は「植物科学にとって大きな一歩.大量絶滅に直面している今,新種がいち早く登録され,探しやすくなるのは保全活動に大いに役立つはずだ」と談話を発表した.
2005年のウィーン会議で改正された国際植物命名規約 (ICBN) の第36条によれば,非化石植物の新分類群の命名にはラテン語による記載が義務づけられていた.ICBN の改正案は6年に一度開催される国際植物会議で議決されるが,今回のメルボルン会議(2011年7月23日?30日)では,過去に幾度も提案されては否決されてきた「ラテン語義務の撤廃」がついに議決された.XVIII International Botanical Congress に掲載されている Congress Resolutions で,正式な報告がなされている.以下,関連する部分を転載(赤字は引用者).
Resolution 5
The XVIII International Botanical Congress, in Melbourne, Australia, resolves that the decisions of its Nomenclature Section with respect to the International Code of Botanical Nomenclature (now to be the International Code of Nomenclature for algae, fungi, and plants), noting with interest that specified types of electronic publication are now effective for nomenclatural purposes, that descriptions of new taxa may now appear in English or Latin, that, for valid publication, new names of fungi must include citation of an identifier issued by a recognized repository that will register the name, and that the Code will henceforth provide for a single name for all fungi and for all fossils falling under its provisions, as well as the appointment of officers and members of the nomenclature committees, made by that section during its meetings on 18-22 July, be accepted.
門外漢なので植物学と分類群の命名の慣例については詳しく知らないが,今回の議決は,現代世界におけるラテン語の役割の大幅な衰退を明示する事例だろう.ラテン語擁護派は,植物学の古典がラテン語で書かれていること,ラテン語の厳格なフォーマットゆえに安直な新分類群記載が避けられること,ラテン語が安定的な言語であること,などを理由に挙げているが,これらの理由では押し切れないほどにラテン語の役割が減じてきたということだろう.また,この議決は英語がかつてのラテン語と同等の機能を担うようになってきている証拠でもある.
ラテン語にしても英語にしても,恒久的に安定的な言語というものが存在し得るのかどうかは疑わしい.たとえある言語に厳格な規範が定められたとしても,規範自体が時とともに変化することはあり得る.また,その言語が威信を保ち続けられるかどうかは社会の要求に依存するが,社会の要求とは時代とともに変わるものである.社会的機能において英語がかつてのラテン語に取って代わってきているということは間違いないだろうが,英語が今後,かつてのラテン語を超えて恒久的に安定的な言語となるだろうという予測は議論の余地があろう.
関連して,学名 (scientific name) について,[2010-09-21-1]の記事「学名」を参照.
2011年5月3日付けで国連の World Population Prospects: The 2010 Revision が公表された.プレスリリースのPDFはこちら.
これによると,世界人口は今年10月末までに70億人に達し,2050年には93億人,2100年には101億人に達するとされる.人口を押し上げる主因は高い出生率を示す国々で,これにはアフリカの39カ国,アジアの9カ国,オセアニアの6カ国,ラテンアメリカの4カ国が含まれるという.
主な国の数値を示すと,日本の人口は2010年の1億2600万人から2100年には約9130万人へ減少.中国の人口は1925年の約13億9500万人をピークに,2100年には約9億4100万人へ減少.インドの人口は,1925年に中国を追い抜き,1960年には17億1796万人に達し,2100年には約15億5000万人へ減少.
大規模な人口統計予測には多くの前提が含まれている.例えば,プレスリリースの標題にもあるように "if Fertility in all Countries Converges to Replacement Level" という前提がある.したがって解釈には注意を要するが,英語話者人口を推計する上でも,このような統計値は最重要である.[2010-05-07-1]の記事「主要 ENL,ESL 国の人口増加率」で取り上げた主要ENL国(7カ国;参考として日本を追加)とESL国(13カ国)について,2100年までの人口推移( medium variant に基づく)をグラフ化してみた.
ENL国はアメリカを除いて今世紀は低迷の予測だ.一方,ESL国は今世紀半ばにかけて伸長著しく,後半も衰えにくい.インドは突き抜けており,ナイジェリア,パキスタン,タンザニアの勢いも目を見張るものがある.
国別の人口予測をもとに未来の英語話者の人口予測をすることは単純な作業ではないが,少なくともESL国の人口爆発力が具体的な予測に基づいて視覚的に確認されたとはいえるだろう.
英語話者人口については,[2010-06-28-1], [2010-06-15-1], [2010-05-29-1]の記事も参照.
いうまでもなく,英語は世界語 (a global language or world language) あるいはリンガ・フランカ (a lingua franca) と称される一級の言語の1つである.人類史上,これほど多くの場所でこれほど多くの人に話されている言語はなかった.現代世界でもっとも通用度の高い言語であり,事実上 "the global language" と定冠詞をつけて呼ばれたとしても,多くの日本人にとって違和感がないだろう.しかし,世界語としての現代英語を論じる際には,不定冠詞で "a global language" あるいは複数形の環境で "one of the global languages" として用いるのが適切である.
多くの言語学者が英語を「世界語の1つ」と控えめに表現しているが,1つには勝利主義的な英語観の含意を避けるという目的がある.もっと具体的にいえば,反英語論者を意識して中立的な言葉遣いを選んでいるとも考えられる.言語(特に世界語としての英語)を語る際には必然的になにがしかの政治的スタンスを伴わざるを得ないが,その政治的含意をなるべく少なくするための(それ自体がある意味で政治的な)レトリックの1つとみなすことができる.
しかし,それ以上に「世界語の1つ」という表現には学問的な謙虚さが感じられる.過去にも現在にも,程度の差はあれ「世界語」と呼びうる言語は複数あった.将来も,同じように複数の世界語の存在する可能性がある.世界語としての英語の性質を理解するためには,他の世界語の性質と比較対照し,異同を取ることが必要である.世界語としての英語の研究は,是非とも "global languages" という pluralist な文脈でなされなければならない.
英語ならずとも世界語の立場にある言語は,およそ似たような影響を世界に及ぼすだろうと仮定できる.Crystal, The English Language 10--11 を参考に,現在,世界語としての英語が世界に及ぼしている影響のいくつかを指摘したい.
(1) 世界語は未曾有の詳細さをもって学習され,研究される.その結果として,規範的な文法書や辞書が書かれ,語学教育や語学施設が充実し,言語研究が発展する.
(2) 世界語(やその他の言語)に対する人々の意識が高まり,言語に関する書籍や雑誌,ラジオ番組やテレビ番組を通じて,世界が言語的に啓発される.
(3) 世界語(やその他の言語)に対する意識が高まり,言語的に啓発される一方で,人々は逆に言語の問題について批判的で心配性になる.言語変化を言語の堕落とみなして不安を覚えたり,他の言語や変種に対して排他的で不寛容な態度が生じることもある.
世界語の潜在的な影響は,他にもいくつか指摘できる.
・ 当然のことながら,世界語は世界のコミュニケーションを容易にし,活発にする
・ 世界語の学習に取り残された者が "linguistic divide" の社会的不利や差別に苦しむということも生じるかもしれない
・ 世界語の圧力により,少数言語の消滅する傾向が加速される(ただし,これには異論もある.例えば Crystal, English as a Global Language 20--25 を参照.)
・ 世界語の変種(ピジン語やクレオール語も含む)が各地に生まれ,次第に互いに理解不能の言語へと分かれてゆく
上記の項目の多くが,かつての世界語の1つであるラテン語にも当てはまるだろう.「世界」の規模は,現代の世界語である英語と異なるが,世界語の立場にある言語がもつ影響力には,共通の特徴があることが分かる.しかし,現代における重要な問題は,英語に特有の特徴が何か,である.その答えを知るためには,過去そして現在の他の世界語(の候補)との比較対照が欠かせない.
ELF (English as a Lingua Franca) については,elf の各記事で取り上げてきたが,特に以下の記事を参照.
・ #177. ENL, ESL, EFL の地域のリスト: [2009-10-21-1]
・ #272. 国際語としての英語の話者を区分する新しいモデル: [2010-01-24-1]
・ #372. 国際語としての英語の趨勢についての気になる事実(2005年版): [2010-05-04-1]
・ #376. 世界における英語の広がりを地図でみる: [2010-05-08-1]
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
こんな英語学習サイトを見つけた.English Language: All about the English language.この手のサイトは多数あるが,トップに英語史と英語の統計情報が簡単にまとまっているので目を引いた.
・ English language History
・ English language Statistics
前者の英語史の解説文の "Middle English" の節で,中英語期の英語の復権 ( see reestablishment_of_english ) がノルマン・コンクェスト後の50年くらいで早々と始まっていたという記述があった.
Various contemporary sources suggest that within fifty years most of the Normans outside the royal court had switched to English, with French remaining the prestige language largely out of social inertia. For example, Orderic Vitalis, a historian born in 1075 and the son of a Norman knight, said that he only learned French as a second language.
英語の復権を話題にするときには話し言葉か書き言葉か,庶民レベルか貴族レベルか,言語使用の状況が私的か公的かなど,視点によって復権の時期や程度が変わってくるのだが,従来の英語史ではフランス語のくびきの時代が中世のあいだに比較的長く続いたと記述されることが多かったように思う.しかし,事実としては上の解説文にあるとおり,中世イングランドでは庶民の実用上,英語は圧倒的な言語だったのであり,この事実を強調しておくことは重要だと思う.
英語の統計については本ブログでも statistics の各記事で取り上げてきたが,以下のものは驚きこそしないが,私にとって初耳だった.
・ English is the language of navigation, aviation and of Christianity; it is the ecumenical language of the World Council of Churches
・ Five of the largest broadcasting companies in the world (CBS, NBC, ABC, BBC and CBC) transmit in English, reaching millions and millions of people all over the world
・ Of the 163 member nations of the U.N., more use English as their official language than any other. . . . After English, 26 nations in the U.N. cite French as their official tongue, 21 Spanish and 17 Arabic.
・ People who count English as their mother tongue make up less than 10% of the world's population, but possess over 30% of the world's economic power
ただし,全体的に典拠は示されていない.また,2010年現在の国連加盟国は192カ国であり,上記の3点目の163カ国に基づく統計は1990年くらいの時点での数値かもしれない( see United Nations member States - Growth in United Nations membership, 1945-present ) .
このサイトには他にも English Dictionaries や English Literature などのページがある.
英語話者の分類については,いろいろな形で記事にしてきた ( see [2009-10-17-1], [2009-11-30-1], [2009-12-05-1], [2010-01-24-1], [2010-03-12-1], [2010-06-15-1] ) .もっとも基本的なモデルは[2009-11-30-1]の記事でみた Kachru による同心円モデルだが,Kachru はその後もこれに基づく応用モデルをいくつか公開してきた.今回は,そのうちの一つ,私が「泡ぶくモデル」と呼んでいるものを紹介する.下図は,各種のモデルを批評している McArthur の論文に掲載されていた図をもとに,私が改変を加えたものである.
これが同心円モデルの発展版であることは,国名の掲載されている楕円のうち,一番下が Inner Circle,真ん中が Outer Circle,一番上が Expanding Circle に対応することからも分かる.しかし,泡ぶくモデルが特徴的なのは以下の点においてである.
・ 太古の昔が下方,現在から未来にかけてが上方に位置づけられており,英語の拡大の歴史が「湧き上がるあぶく」としてより動的に表現されている
・ 英語の拡大が具体的な人口統計の情報とともに示されている.[2010-03-12-1]で示した銀杏の葉モデルも人口を示している点で類似するが,泡ぶくモデルでは主要な国について具体的な数値が挙げられている.なお,上記の人口統計は,[2010-05-07-1]で挙げた情報源を参照して,最新の2010年における数値を私が書き入れたものである.挙げた国名については網羅はできないので,[2009-10-21-1]のリストを参照しながら,特に人口の多い国をピックアップした.
・ 英語話者の中核を占めるのは Inner Circle ではなく,むしろ Outer Circle や Expanding Circle であるという解釈を誘う
・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (October 1992). 12--21.
これまでも英語変種のモデルをいくつか紹介してきた ( see model_of_englishes ) .今日は,最新のモデルの一つとして Svartvik and Leech (225--27) のピラミッドモデルを紹介したい.基本となっているのは,本ブログでは未紹介の Kachru の平面同心円図だが,それを立体化して円錐形に発展させたのがこのモデルである.Svartvik and Leech (226) の図を改変したものを示す.
ピラミッドの最上部には抽象的な変種である WSE ( World Standard English ) が置かれる.抽象的というのは,これを母語として用いる者はいず,あくまで英語を用いる皆が国際コミュニケーションの目的で学習・使用するターゲットとしての変種であり,現在も発展途中であるからだ.WSE は国際的な権威も付与され,教育上の目標となり,言語的にもおよそ一様の変種であると思われるので,他よりも「高い」変種 ( acrolect ) として最上部に据えられている.占める部分が下部よりも狭いのは,言語的に一様であることに対応している.
抽象的な WSE 変種の下には,より具体的な地域変種が広がっている.中層上部には,広域変種として North American English や South Asian English などの変種が横並びに分布している.その下の中層下部には,より狭い地域(典型的には国や地方)レベルでの変種が広がる.この階層 ( mesolect ) では,変種の種類が豊富で,各変種の独自性も目立つので,区分けが細かくなってくる.American English, British English, South African English, Hong Kong English などがここに属する.
最下層 ( basilect ) は,州や村といったレベルでの区分けで,さらに多数の変種がひしめく.この階層では,各変種は言語的に一様どころかバラバラであり,社会的な権威は一般に低い.各地の方言,クレオール英語,ピジン英語などがここに属する.
ピラミッドの頂点に近い変種ほど,より広いコミュニケーションのために,すなわち mutual intelligibility のために用いられることが多い.逆にピラミッドの底辺に近い変種ほど,所属している共同体の絆として,すなわち cultural identity のために用いられることが多いといえる.
このモデルの特徴は,AmE や BrE の標準変種が他の国の標準変種とならんで中層に位置づけられていることである.WSE の基盤には多分に AmE の特徴が入り込んでいるはずだが,だからといって AmE を特別視しないところが従来の英語観とは異なる点だろう.
acrolect, mesolect, basilect は,creole を論じるときによく使用される術語だが ( see [2010-05-17-1] ),そのまま変種の議論にも当てはめられるそうである.
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.
他の様々な英語変種が伸張しているとはいえ,英語の二大変種としてアメリカ英語 ( AmE ) とイギリス英語 ( BrE ) があり,いまだ世界の英語使用や英語教育に大きな影響力を及ぼしていることは周知のとおりである.ところが,英米が取り囲んでいる大西洋の真ん中に「間大西洋変種の英語」 ( a Mid-Atlantic variety of English ) というものがある.
大西洋の真ん中に浮かぶ小島で話されている英語というわけではない.AmE とも BrE ともつかない英米の中間的な英語という意味で,言葉遊びを混じえた表現である.ヨーロッパの英語非母語話者によって用いられることが多く,その特徴は発音によく反映されている.例えば,Mid-Atlantic variety では語尾の r が,AmE ほど rhotic でなく BrE ほど non-rhotic でもない弱い /r/ で実現されるという.同様に,last や past などの母音が,AmE 的な /æ/ と BrE 的な /ɑ:/ との間で交替すると言われる ( see [2010-03-08-1] ).
Mid-Atlantic variety の発生にはいくつかの背景が関わっている.従来ヨーロッパでは,英語を学習したり使用したりする際に AmE か BrE のどちらかを意識的に選ぶということが行われてきた.しかし,lingua franca としての英語 ( ELF ) の役割が重要性を帯びてくると,ある特定の変種を絶対とする感覚は薄れてくる.AmE か BrE のどちらかにこだわるという態度が古いものとなってくると,明確にどちらともつかない Mid-Atlantic variety が生じてくるのは自然の成り行きだろう.
また,政治的な要因もあるだろう.EU など複数の公用語を設けている国際機関では,実質上の共通語として英語がもっとも幅を利かせていることは疑いようがないが,その上でピンポイントに BrE か AmE を選んでしまうと,言語的にイギリスかアメリカを優遇する形になり,それが政治的な優遇に結びつくという懸念があるようである.
ヨーロッパ人ではなくとも,英米変種の中間的な発音や表現を用いたり,交替させたりすることは頻繁に起こりうるのではないか.私自身,AmE を中心に英語を学習してきた経緯があるが,イギリスに留学するに及んで BrE にも慣れ親しんだ.結果として,英米ちゃんぽんの Mid-Atlantic Japanese variety なる何ともいえない英語変種を話していることに自分で気づくときがある.書き言葉でこそ英米変種のどちらかに統一するのがよいだろうという感覚は根強く残っているが,話し言葉ではしつこくどちらかを追求することはあまりない.区別を知っているに越したことはないが,実際的な使用ではこだわる必要がないのではないか.一英語学習者として Mid-Atlantic (Japanese?) variety の今後の発展に期待したい.
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 233.
現代世界で使用されている英語の変種をどのようにとらえ,どのように分類するかについては,これまでにも種々のモデルを紹介して考えてきた ( see model_of_englishes ).
今回は,ENL と ESL についてのみだが,イギリスによってどのように植民されたか,特にどのような人口構成で植民が行われたかに注目して英語変種の行われている地域を分類する方法を紹介する.Leith によると,イギリスによる植民地化には次の三つのタイプがあるという.
In the first type, exemplified by America and Australia, substantial settlement by first-language speakers of English displaced the precolonial population. In the second, typified by Nigeria, sparser colonial settlements maintained the precolonial population in subjection and allowed a proportion of them access to learning English as a second or additional language. There is yet a third type, exemplified by the Caribbean islands of Barbados and Jamaica. Here, a precolonial population was replaced by new labour from elsewhere, principally West Africa. (181--82)
この三分類は,イギリス出身植民者と先住民との関係という観点からの分け方で,理解しやすい.タイプ1は植民者がほぼ先住民を置き換えたという意味で displacement タイプと呼ぼう.タイプ2は,植民者は先住民を置き換えたのではなく,政治的に支配化におき,政治や教育などの制度 ( establishment ) を通じて英語を普及させたというタイプで,establishment タイプとでも呼べそうである.タイプ3は,植民者が西アフリカなどよその地域から労働力として奴隷を供給し,その奴隷たちが英語変種 ( pidgin や creole ) を習得して先住民とその言語を置き換えていったというタイプで,replacement タイプと呼べるかもしれない.
[2009-10-21-1]の (1a) のようにカリブ地域の英語国を指してアメリカやオーストラリアと同列に ENL 地域とみなす場合があるが,英語が根付くことになった歴史的経緯や人種の多様性を考慮したい文脈では,同列に並べるには違和感がある.このような場合に,イギリスによる植民地の設立と運営という観点からみた上記の三分類は役に立ちそうだ.
・ Leith, Dick. "English---Colonial to Post Colonial." Chapter 5 of English: History, Diversity and Change. Ed. David Graddol, Dick Leith and Joan Swann. London and New York: Routledge, 1996. 180--221.
World Englishes の議論でイギリス英語 ( BrE ) の権威が話題になるときに,チャールズ皇太子の英語観がたびたび引用されるのを目にする.以下は,The Times の1995年3月24日(金)の記事 "Prince says Americans are ruining the language" から,興味深い箇所をいくつか抜き出したものである.
He [The Prince of Wales] described American English as "very corrupting" and emphasised the need to maintain the quality of language . . . .
. . . increasing competition from America and Australia is threatening Britain's leading position in the lucrative language-teaching market.
The Prince said: "We must act now to ensure that English, and that to my way of thinking means English English, maintains its position as the world language well into the next century."
"Speaking after the launch [of the British Council's English 2000 project], Prince Charles elaborated on his view of the American influence. "People tend to invent all sorts of nouns and verbs, and make words that shouldn't be. I think we have to be a bit careful, otherwise the whole thing can get rather a mess."
In the long term, the British Council fears that instantaneous translation could see English replaced as the main international language by Chinese within three generations.
Other areas of increasing competition between British and American English include India, Eastern Europe and parts of Latin America. More than 30,000 Indian students now study in American colleges and universities, compared with 2,000 in Britain.
チャールズ皇太子の英語観がイギリス人,より正確には English English speakers の一般的な考え方をどのくらい代表しているかを客観的に示すことはできないが,私見では AmE を "corrupting" とみなし,EngE こそが正統であるとするメンタリティは EngE speakers に比較的広く行き渡っていると見ている.AmE speakers のなかにも EngE が正統とみなす人も少なくないと思われ,ブランドとしての EngE はいまだに存在しているといっていい.しかし,[2010-04-21-1]でみたように実力としては AmE が Americanization によって世界中の英語を席巻しつつあることは明らかである.上の引用の一つにあるように,近年は Australian English の活躍も甚だしい.また,英語内部の変種との競合とは別に,中国語などの外国語との競合も控えており,EngE の守護者としての Prince Charles と British Council の焦りが感じられる.
イギリスにとっては,EngE あるいは BrE の伝統ブランドの価値をいかに保ち,広めていくかは国家的な問題だろう.単に国の威信がかかっているだけだけでなく,国内の英語ビジネスが稼ぐ5億ポンドの経済(記事当時)もかかっているのだから.
ELF ( English as a Lingua Franca ) を扱っている本にはよく掲載されているが,現代世界における英語の広がりを示す世界地図がある.最初は Strevens によって作成されたが,後に改変されたものが Crystal (70) に現れた.Crystal 版のタイトルは "A family tree representation (based on a model by Peter Strevens) of the way English has spread around the world, showing the influence of the two main branches of American and British English".
Crystal の地図をそのままブログに掲載することはできないので,今回はそれをもとに作成した「ちょっと改訂版」を掲げる.ELF という文脈なので,英米ではなくあえて日本を中心にした世界地図の上に英米二大変種の展開を描いてみた.
この地図は,現代世界でおこなわれている主な英語の地域変種の祖をイギリス変種とアメリカ変種のいずれかに遡らせており,結果として歴史的展開と地理的展開を同時に表現することに成功している.英米二大変種の影響力が一目瞭然であり,概念図としては非常によくできていると思う.
一つの English が諸方言へ次々と枝分かれしていく様はちょうど印欧語族の系統図 ( see [2009-06-17-1] ) を想起させるが,[2010-05-03-1]の記事で話題にした「系統と影響は必ずしも峻別できない」という議論も同時に想起させられる.というのは,青とピンクに色分けされた二本の大枝は歴史的な「系統」を示すものの,現代では両者間の「影響」,特にアメリカ変種からの「影響」が著しく,現実的には青とピンクが混交しているからである.[2010-04-21-1]の記事で触れた英語の Americanization は,この地図でいえばさしずめピンク化ということになろう.
・ Strevens, P. "English as an International Language." The Other Tongue: English across Cultures. Ed. B. B. Kachru. Urbana: U of Illinois P, 1992.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
(後記 2010/05/23(Sun):Strevens のオリジナルとして挙げた Strevens の書誌情報は誤っていました.正しくは,以下のものです.また,いろいろな場所で再掲されているようです.
・ Strevens, Peter. Teaching English as an International Language. Oxford: Pergamon P, 1980.
・ Strevens, Peter. "English as an International Language: Directions in the 1990s." The Other Tongue: English across Cultures. 2nd ed. Ed. B. B. Kachru. Urbana: U of Illinois P, 1992.
・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (October 1992). 12--21.
・ McArthur, Tom. The English Languages. Cambridge: CUP, 1998. 94.
)
ELF ( English as a Lingua Franca ) あるいは EIL ( English as an International Language ) としての英語の現状と未来を考えるうえで,人口統計は重要な示唆を与えてくれる.Crystal (71) では,2001年における人口統計により主要な ENL 国と ESL 国の人口および直近5年間の人口増加率が示され,前者が減少し後者が増加するという構図が鮮明に浮かび上がった.単純化していえば,英語母語話者の人口が減る一方で英語非母語話者の人口が増えているということであり,今後もこの傾向が続いてゆくとなると,[2009-10-17-1]で示した英語話者の分布において ENL 比率(円グラフの黄色部分)がますます圧迫されてゆくということになる.従来より規範的な変種として認められてきた British English や American English のブランドが,はたしてこの数的な圧迫のもとで今後も維持されてゆくのかどうか.英語の未来にかかわるエキサイティングな問題である.
Crystal の示した統計はすでに古くなったので,今回は最新版の統計を用いて Crystal と同様の表を作成してみた.ENS 国,ESL 国の詳しいリストは[2009-10-21-1]に掲げたとおりだが,今回は主要国に限った.ENS 国については7カ国(参考までに日本も加えた),ESL 国については原則として2010年年央時において人口2000万人を超える国を対象とした.統計値の典拠は UN, World Population Prospects: The 2008 Revision Population Database だが,これに基づいて作成された便利な表が国立社会保障・人口問題研究所のページから入手できたので,主にこれを利用した.人口の単位は1000人.人口増加率の読み方は,一年間に人口が1%ずつ増加する国は70年後には人口がほぼ2倍になる.
ENL countries | population (2010) | population growth rate (2005-2010) (%) |
---|---|---|
USA | 317,641 | 0.96 |
UK | 61,899 | 0.54 |
South Africa | 50,492 | 0.98 |
Canada | 33,890 | 0.96 |
Australia | 21,512 | 1.07 |
Ireland | 4,589 | 1.83 |
New Zealand | 4,303 | 0.92 |
Japan (for reference) | 126,995 | -0.07 |
ESL countries | population (2010) | population growth rate (2005-2010) (%) |
---|---|---|
India | 1,214,464 | 1.43 |
Pakistan | 184,753 | 2.16 |
Bangladesh | 164,425 | 1.42 |
Nigeria | 158,259 | 2.33 |
the Philippines | 93,617 | 1.82 |
Egypt | 84,474 | 1.81 |
Tanzania | 45,040 | 2.88 |
Kenya | 40,863 | 2.64 |
Uganda | 33,796 | 3.27 |
Nepal | 29,853 | 1.85 |
Malaysia | 27,914 | 1.71 |
Ghana | 24,333 | 2.09 |
Sri Lanka | 20,410 | 0.88 |
[2010-01-24-1]の記事でみたように,国際語としての英語という話題では,ELF ( English as a Lingua Franca ) や EIL ( English as an International Language ) という呼称がよく聞かれるようになってきた.英語話者数を始めとする国際語としての英語に関する最新の数値については,Crystal や Graddol がよく引き合いに出される.この種の統計値は最新のものが手に入りにくく,出版されるものは常に数年前のデータというのが普通である.
今回は,2005年時点でNewsweek が関連記事を掲載しているのをみつけたので,そこから世界英語の趨勢についての気になる事実・統計をいくつか抜き出してみたい.5年後の現在,すでに古くなっている情報もあるかもしれないのであしからず.
・ インド国内で英語学習産業は年間1億ドルのビジネスである
・ the British Council によると,10年以内に英語学習者数は20億人に達し,英語話者は30億人に達すると見込まれる
・ アジアの英語使用数は3億5千万人に達する(←アメリカ,イギリス,カナダの人口の和に相当する数)
・ 中国の1億人の子供たちが英語を学んでいる
・ インドは英語教師を中国や中東へ輸出し始めている(← [2009-10-07-1])
・ 反英語主義と結びつけられることの多いフランスでも,教育大臣が英語必修化に反対したものの,選択必修として96%の生徒がすでに英語を履修している(←事実上の必修科目)
・ 世界の電子情報の80%が英語で蓄積されている(← [2010-04-13-1] のイントロクイズで採用した問題.しかし,電子情報における英語の相対頻度は年々減ってきている.いつのデータかは本文内だけでは不明.)
・ the British Council によると,世界中の科学者の66%が英語を読む
・ 中国は,一部 China English を Standard English に取り込む方向で英語のカリキュラムを検討しつつある
このような記事だけを読んでいると英語の勢いは止まらないという一方的な印象を受ける.しかし,実際には諸事情で英語の近未来像を明確に想像することは難しい.その諸事情については,Jenkins の著書がよくまとまっている.
・ "Not the Queen's English". Newsweek 145. 10. March 7, 2005, 41--45.
・ Crystal, David. English As a Global Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
・ Graddol, David. English Next. British Council, 2006. Digital version available at http://www.britishcouncil.org/learning-research-englishnext.htm.44--45.
・ Graddol, David. The Future of English? The British Council, 1997. Digital version available at http://www.britishcouncil.org/learning-research-futureofenglish.htm.
・ Jenkins, Jennifer. World Englishes: A Resource Book for Students. 2nd ed. London: Routledge, 2009.
母語としての英語 ( ENL ) を代表する地域として挙げられるのは普通,以下の国々ではないだろうか.アメリカ合衆国,イギリス,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,アイルランド.いわば英語語学留学に行ける国と考えるとイメージしやすい.( see [2009-10-17-1], [2009-10-21-1], [2009-11-28-1] )
では,南アフリカ共和国 ( Republic of South Africa ) はどうだろう.南アは英語国として言及されることがあり,世界英語 ( World Englishes ) の話題でよく取り上げられる国である.しかし,上の5カ国と同グループに入れるのには違和感があるのではないか.世界の英語使用について ENL と ESL という区分を認めるとすると,南アフリカ共和国は,確かに両者の性質を合わせもった微妙な位置取りをしているのである.
典型的な ENL 国では,国民の大多数が「アングロサクソン系」 の白人であり,イギリス英語の伝統を多かれ少なかれ受け継ぎつつ,公私の場で英語を母語として使用している.一方,典型的な ESL 国では,母語として英語を話す人口は存在するとしてもごく僅かであり,英語はあくまで第2言語として習得され,歴史的・政治的・文化的な機能を担う言語として存在している.
上の典型の記述からわかるとおり,ENL と ESL が水を漏らさぬ相補的な関係であるわけではない.その隙間をつくような地域が存在するのも無理からぬことである.南アには「アングロサクソン系」の白人で英語を母語としている人口が存在する.しかし,典型的な ENL 国とは異なり,かれらが国民の大多数を構成しているわけではない.英語母語話者は10%ほどである.この10%という ENL 人口は多くもないが少なくもない.この中途半端な人口比こそが,南アの微妙な位置取りの主たる原因である.国内での英語使用をみてみると,政治的・文化的な機能が強く,この点では明らかに ESL 的である.
ENS と ESL という伝統的な区分のもとで,南アはいずれの側からも周辺的な存在とみなされる不遇(?)をかこってきたように思う.近年の議論では伝統的な英語話者の区分の妥当性が問われるようになってきており,南アはそのような議論に独自の例を提供できる立場にあるのではないか.
Robinson Crusoe の著者 Daniel Defoe (1660-1731) が,その出版よりずっと前の1701年に The True-Born Englishman という風刺詩を書いている.当時,イギリスは James II を廃して(名誉革命),オランダからやってきた William of Orange が William III として,Mary II との共同統治という形で王位についていた.政治パンフレット作家で William III の支持派であった Defoe は,外国人が我が国を治めているということに不満を抱く人々に対抗する目的で,本書を世に出した.要するに,生粋のイングランド人などというものはありえない.歴史を見れば分かるとおりイングランド人は雑種なのだから,外国人の王を黙って受け入れよ,というメッセージである.当時これは飛ぶように売れ,現在でも人種・国籍差別廃止の観点からその内容は色あせていないと評価されている.
イングランド人が雑種であることと英語が雑種であることは,ぴたりと符合している.かつての征服や移住などによる多民族との接触の結果として,イングランドが今ある姿になり,英語が今ある姿になった (see [2009-06-04-1]).イングランドの多民族性,英語の雑種性を説明するには,当の Defoe の言葉をして語らしめるのが一番よさそうだ.少し長いが 1703年版に基づくオンラインの Luminarium Edition から引用する.
The Romans first with Julius Cæsar came,
Including all the nations of that name,
Gauls, Greeks, and Lombards, and, by computation,
Auxiliaries or slaves of every nation.
With Hengist, Saxons; Danes with Sueno came,
In search of plunder, not in search of fame.
Scots, Picts, and Irish from the Hibernian shore,
And conquering William brought the Normans o'er.
All these their barbarous offspring left behind,
The dregs of armies, they of all mankind;
Blended with Britons, who before were here,
Of whom the Welsh ha' blessed the character.
From this amphibious ill-born mob began
That vain ill-natured thing, an Englishman.
The customs, surnames, languages, and manners
Of all these nations are their own explainers:
Whose relics are so lasting and so strong,
They ha' left a shibboleth upon our tongue,
By which with easy search you may distinguish
Your Roman-Saxon-Danish-Norman English.
さしずめ英語は,"this amphibious ill-born language" ということになろうか.あるいは,"The Untrue-Born English Language" と呼んでもよい.
今後,非母語話者からの強力な圧力により英語が変容してゆく可能性があるが ( see [2009-10-07-1] ),新たに現われてくる雑種的な英語に対して母語話者(や伝統文法を重んじる世界中の英語教師)はどのような反応を示してゆくことになるだろうか.
近代以降,特に19世紀から20世紀にかけて英語の話者人口が爆発的に増えてきたことは,本ブログでもたびたび話題に取りあげている.例えば,英語話者人口の様々な分類の仕方と問題点は[2009-10-17-1], [2009-11-30-1], [2009-12-05-1], [2010-01-24-1]で扱った.英語話者の分類はともかくとして話者人口そのものが増えてきた点に焦点をあてたとき,よく引き合いに出されるのがマッシュルームモデルである.最近では,Svartvik and Leech (8) でも掲載されたモデルである.
子供に図を見せて何に見えるかと尋ねたら,マッシュルームではなくイチョウの葉だというので,ここでは名称を改め「銀杏の葉モデル」と呼んでおきたい.これの意味するところは図を見れば一目瞭然だろう.
図中の数値は ENS, ESL, EFL を含めた概数だが,過去2世紀の間に約40倍も増えているのだから驚きだ.この図を見て思うところが3点あるので,コメントしておきたい.
(1) 話者人口数を表すこの銀杏の葉モデルを側面図ととらえて,立体的に真上からのぞき込むと,話者人口の分類を表す同心円モデル([2009-11-30-1])に近くなるのではないか.透明の円錐をとがった方を下にして,上からのぞき込んだ感じである.話者人口増加にもっとも貢献しているのは,Outer Circle 及び Expanding Circle に所属する人々である.
(2) 銀杏の葉の上端にある筋状の葉脈の一つひとつが,英語の変種 ( variety ) に相当すると見ることができるのではないか.上端に近いほど筋は互いに離れていくが,実際には葉っぱ本体に埋め込まれている筋なので,つながっている.現代の英語の変種間に働く遠心力と求心力を思い起こさせる.
(3) 近代以前と以降とで英語史が二分されるというイメージ.近年,英語史研究の世界では,特に近代英語期以降に関する研究において,話者と言語との関係を意識した社会言語学なアプローチが活気づいている.また,変種間の微妙な違いに留意する研究も増えてきている.話者が増え,その分だけ変種も増え,現在に近いだけに言語現象の背後にある社会言語学的な情報にもアクセスできる,ということが関与していると思われる.
それに対して,中英語期の研究は,確かに社会言語学的な視点からのアプローチが増えてきているとはいえ,アクセスできる情報には限りがある.変種も地域変種(方言)の研究は盛んだが,地理的な広がりといえばイングランド(とせいぜいその周辺)に限られ,近代以降の世界中に展開する複雑きわまれる変種の分布とは規模が異なる.
だが,英語史をこのように二分する考え方が必ずしもいいとは思っていない.変種の規模や広がりこそ大きく異なるが,変種のあり方については近代も中世も古代もそれほど変わらない点があるのではないか.
あれやこれやと,この図から想像してみた.
・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.
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