英語の存在文 (existential_sentence) といえば,There is/are . . . . の構文が思い浮かぶ.一般に be 動詞の前に来る There は形式上のダミーの主語ととらえられ,意味上の真の主語は be 動詞の後ろに来る名詞句と理解される.真の主語が動詞の後ろに来るというのは,英語の通常の語順に照らせば例外的というほかない.一方,動詞の前に形式上主語らしきものが来なければならないという英語の一般的な統語規則は,ダミーの there によって遵守されている.いずれにせよ,普通でないタイプの構文であることは明らかだ.
Moro (149--50) によると,Jespersen (155) は英語を含めた多くの言語を調査し,いわゆる「存在文」における主語(存在者)が,広く動詞の後ろに来ること,そして典型的な主語らしい振る舞いをしないことを指摘した.
Whether or not a word like there is used to introduce [existential sentences], the verb precedes the subject, and the latter is hardly treated grammatically like a real subject.
例えば,ドイツ語では Es gibt viele Kartoffeln "(lit.) it gives many potatoes; There are many potatoes" のように,真主語は形式的には目的語として表わされる.フランス語でも Il y a beaucoup de livres. "(lit.) it there has lots of books; There are many books" のように表現し,やはり真主語は目的語として表現される.ルーマニア語では Sunt probleme "(lit.) are problems; There are problems" となり,there に相当するものはないが,やはり真主語は動詞の後ろに置かれる.中国語では You gui "(lit.) you have ghosts; There are ghosts" となる.
Moro は英語の there is/are 存在文にみられる主語後置は,むしろ be 動詞のデフォルトの統語的特徴を保持した結果であるという説を唱えている.一般の be 動詞の文の主語,例えば John is in the garden なり John is a student の John は,当然ながら動詞に前置されるわけだが,これは本来的に動詞に後置されていたものが統語操作によって繰り上げ (raising) られた結果であるという立場をとっていることになる.非人称動詞 (impersonal_verb) としての be 動詞という見方に基づく説だ.関心のある向きは,詳しくは Moro の第3章を参照されたい.
存在文のは「#1565. existential there の起源 (1)」 ([2013-08-09-1]) と「#1566. existential there の起源 (2)」 ([2013-08-10-1]) も参照されたい.
・ Moro, Andrea. A Brief History of the Verb To Be. Trans. by Bonnie McClellan-Broussard. Cambridge, Mass.: MIT. P, 2017.
・ Jespersen, O. The Philosophy of Grammar. London: Allen and Unwin, 1924.
昨日の「英語の語源が身につくラジオ」にて,「昔の英語では主語が必須じゃなかった!」を放送しました.古英語や中英語では主語が現われない文があり得たという衝撃の話題を取り上げましたが,実は現代英語でも口語や定型文句においては,文法や文脈から補うことのできる自明な主語が省略されることは,少なくありません.Quirk (§12.47)より,人称別に主語が省略されるパターンを示しておきます.
[1人称主語の省略]
・ (I) Beg your pardon.
・ (I) Told you so.
・ (I) Wonder what they're doing.
・ (I) Hope he's there.
・ (I) Don't know what to say.
・ (I) Think I'll go now.
[2人称主語の省略]
・ (You) Got back all right?
・ (You) Had a good time, did you?
・ (You) Want a drink?
・ (You) Want a drink, do you?
[3人称主語の省略]
・ (He/She) Doesn't look too well.
・ (He/She/They) Can't play at all.
・ (It) Serves you right.
・ (It) Looks like rain.
・ (It) Doesn't matter.
・ (It) Must be hot in Panama.
・ (It) Seems full.
・ (It) Makes too much noise.
・ (It) Sounds fine to me.
・ (It) Won't be any use.
・ (There) Ought to be some coffee in the pot.
・ (There) Must be somebody waiting for you.
・ (There) May be some children outside.
・ (There) Appears to be a big crowd in the hall.
・ (There) Won't be anything left for supper.
思ったより多種多様な主語省略があるなあ,という印象ではないでしょうか.2人称では疑問文が基本であり,3人称では it や there の例が多いなど,一定の傾向も確認されます.
現代英語では原則として主語が必須である,ということは英語学習・教育でも金科玉条とされています.それでも,このように主語省略の事例は確かにありますし,英語史的にも主語省略は決して稀ではなかったということは,改めてここで述べておきたいと思います.
標題は breath-taking や man-made の類いの複合形容詞を指す.第2要素として現在分詞をとる「N + V-ing 型」と過去分詞をとる「N + V-ed 型」の2種類がある.名詞と分詞になっている動詞との統語意味論的関係にはどのようなものがあるのだろうか.大石 (100--01) を参照し,各々の型について例を挙げる.合わせて,OED より初出年を括弧内に付す.
[ N + V-ing 型 ]
(1) N が V の目的語となる例
breath-taking (1840), man-eating (1607), fact-finding (1833), habit-forming (1899), time-consuming (1600), English-speaking (1798); self-defeating (1812), self-sacrificing (1654), self-respecting (1597)
(2) N が表面化していない前置詞の目的語となる例(以下では関与する前置詞を補う)
ocean-going [across] (1854), fist-fighting [with] (1950), law-abiding [by] (1839)
[ N + V-ed 型 ]
(3) "V-ed by [at, in, with] N" とパラフレーズできる関係(以下では関与する前置詞を補う)
moth-eaten [by] (c1400), self-taught [by] (1586), man-made [by] (1845), home-made [at] (1547), country-bred [in] (1620), star-spangled [with] (1600)
例を眺めてみると,複合形容詞の要素となる名詞と動詞(分詞)の統語的関係は,緩く多様であることが分かる.換言すれば,複合形容詞は,統語的に展開されたフレーズと比べると,要素間の意味関係が明示的でないともいえよう.もちろん,そのような明示性を多少犠牲にしつつ形式としてのコンパクトさを獲得していることこそが,複合形容詞の存在意義なのだろうとは思う.
今回取り上げたタイプの複合形容詞の歴史的な発生に関しては,上記例の初出年を眺める限り,近代英語のものがほとんどである.より早い中英語期から用いられている類例はどれだけあるのだろうか,探してみたくなった.
・ 大石 強 『形態論』 開拓社,1988年.
NHKラジオ講座「中高生の基礎英語 in English」のテキストにて「英語のソボクな疑問」を連載しています.7月号のテキストが発刊されました.第4回となる今回の話題は「なぜ疑問文に do が現われるの?」です.
be 動詞および助動詞を用いる文は,疑問文を作るのに主語とその(助)動詞をひっくり返して Are you Japanese? とか Can you cook? とかすればよいのですが,その他の一般動詞を用いる文の場合には do (あるいは適宜 does, did)が幽霊のごとく急に現われます.英語初学者であれば,これは何なのだと言いたくなるところですね.
驚くことに,古くは一般動詞も,主語とひっくり返すことにより疑問文を作っていたのです.つまり Do you speak English? ではなく Speak you English? だったわけです.動詞の種類にかかわらず1つのルールで一貫していたので,ある意味で簡単だったことになります.ところが,16世紀以降,初期近代英語期に,一般動詞に関しては do を用いるというややこしい方法が広まっていきます.なぜそのような面倒くさいことが起きたのか,今回の連載記事ではその謎に迫ります.
本ブログでも関連記事を書いてきました.以下の記事,さらにより専門的には do-periphrasis の記事群をお読みください.
・ 「#486. 迂言的 do の発達」 ([2010-08-26-1])
・ 「#491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do」 ([2010-08-31-1])
英語新聞に関する言語学的研究の歴史について,Fries の概説を読んだ.コンパクトながらも要点がまとまっており,この分野に本格的な関心を寄せたことはなかったものの,改めておもしろそうな分野だと認識することができた.特に関心をもったのは見出し (headline) の通時的変化である.以下に,Fries (1070--71) の内容を紹介したい.
新聞の見出し研究は70年を超える歴史を有する.「見出し」といっても,日々私たちが見慣れているタイプの見出し (headline proper) のほかにもいくつかの種類がある.17世紀から18世紀初頭にかけては,記事の出所と日時 (dateline) をもって見出しとする慣習がごく普通だった.
また,国名・都市名・話題名などを1, 2語で端的に表現する項見出し (section heading) も一般的だった (ex. "LONDON", "AUSTRIA", "BIRTHS", "SHIP NEWS") .現代の新聞でいえば,ページの上部に1語で印刷されているテーマに相当するものと考えられる.
20世紀の初めからは,続く段落を際立たせる中見出し (crosshead) も現われてきた.
私たちが見慣れている通常の見出し (headline proper) は,実は古くから当然のようにあったわけではない.18世紀までは上記のように見出しといえば dateline が原則であり,headline proper が広く使われるようになってきたのは19世紀に入ってからである.その後,着実に分布が広がっていき,平均語数も1,2語程度から7語の長さにまで成長した.
headline proper は,統語的にいえば名詞的見出しと動詞的見出しに分けられる.名詞的見出しとは The earthquakes, The Russian epidemic, Surrender of General Johnston, Brazil and Portugal, Russian and India のようなタイプを指す.
一方,動詞的見出しには,To cease fire, Normal life returning to Krefeld, Recall suggested のように非定形動詞を用いるものもあれば,German Cabinet resigns のように定形動詞を用いるものもある.いずれも19世紀まではほとんど現われず,動詞的見出しはすぐれて現代的な特徴といってよい.
統語的というよりは意味的な観点から見出しを分類すると,Arrival of the La Plata, Destructive Fires, Prices up のような "relational" なタイプと,A Scotch Ghost のような純粋に場所に関する(名詞的な)"regional" なタイプに分けられる.
新聞は,メディアとしての発展とともに,その言語的特徴をも大きく変化させてきた.近代英語期の重要なジャンルとして,新聞英語の歴史的研究には大きな可能性がありそうだ.
・ Fries, Udo. "English and the Media: Newspapers." Chapter 68 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1063--75.
日本歴史言語学会の2019年のシンポジウム「進化言語学への招待」での基調講演に基づいた論文が,『歴史言語学』の最新号に掲載されている.進化言語学という分野について私自身は門外漢だが,藤田論文「階層的シンタクスと(自己)家畜化」を読み,このような議論がなされているのかと興味を覚えた.同論文の狙いは,冒頭 (p. 69) で次のように述べられている.
特に,人間言語の大きな特徴となっている回帰的・階層的シンタクスについて,これが物体の組み合わせ操作からの外適応的進化によるとする「運動制御起源仮説」 (Fujita 2009, 2017, 藤田 2012 他)を振り返り,そこで残されていた問題を「(自己)家畜化) ((self-)-domestication)」の観点から解決する可能性について考察してみたい.
進化言語学や生成文法において,併合 (merger) は「2つの統語体(語彙項目および語彙項目からなる集合)を組み合わせて1つの無順序集合 (unordered set) を形成する回帰的演算操作」(藤田,p. 71)を指す.定式化すると,Merge(α, β) → {α, β} ということだ.2つの統語体であれば組み合わせ方は単純に1種類しかない(これは "Pairing Strategy" と呼ばれる).しかし,3つの統語体となると「戦略」はもっと複雑になる.
A (小), B (中), C (大)の3つのカップを想定しよう.3つのカップをすっぽりはめるやり方は2通りある.B を C にはめ,最後に最小の A を合わせてはめるというやり方が1つ ("Pot Strategy") .もう1つは,先に A を B にはめておき,その一体化したものを最大の C にはめるというやり方だ ("Subassembly Strategy") .
藤田の仮説によれば,戦略の進化は,"Pairing Strategy" → "Pot Strategy" → "Subassembly Strategy" の順で起こってきたのではないかという.このような「行動文法」の進化と連動する形で,言語上の統語体の併合も進化してきたのではないかと.そして,この仮説のことを「運動制御起源仮説」と呼んでいる.
"Subassembly Strategy" の最大の特徴は「先に形成した集合を記憶に蓄えておき,それ全体を部分部品として再利用する点」(藤田,p. 76)にある.反応を遅延させる能力,将来に備えた準備,平たくいえば今したいことを我慢する力ととらえてもよいかもしれない.これは人間が自らを制御する能力に関わるので,「自己家畜化」という見方が出てくるという理屈だ.
門外漢として狐につままれた感があるが,進化言語学の議論の雰囲気を知ることができた.
・ 藤田 耕司 「階層的シンタクスと(自己)家畜化」『歴史言語学』第9号(日本歴史言語学会編),2020年.69--85頁.
目下開催中の「英語史導入企画2021」より今日紹介するコンテンツは,昨日学部生より公表された「先生,進行形の ing って現在分詞なの?動名詞なの?」です.動詞の進行形の歴史をひもとき,形式上は現在分詞の構文の流れを汲んでいるが,機能上は動名詞の構文の流れを汲んでいることを指摘したコンテンツです.
be + -ing として表現される進行形 (progressive form) の起源と発達については,英語史上多くの議論がなされてきました.諸説紛々としており,今なお定説と呼べるものがあるかどうかも怪しい状況です.研究史については Mustanoja (584--90) によくまとまっています.以下,それに依拠して概略を述べましょう.
古英語には,現代英語の be + -ing の前駆体というべき構文として wesan/beon + -ende がありました.当時の現在分詞は -ende という形態を取っており,後に込み入った事情で -ing に置き換えられたという経緯があります(cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]),「#2422. 初期中英語における動名詞,現在分詞,不定詞の語尾の音韻形態的混同」 ([2015-12-14-1])).古英語の wesan/beon + -ende は,確かに継続を含意する文脈で用いられることもありましたが,そうでないことも多く,機能的には後世の進行形に直接つながるものかどうかは不確かです.また,起源としてはラテン語の対応する構文の模倣であるとも言われています.中英語期に入ると,この構文はむしろ目立たなくなります.方言によっても生起頻度に偏りがみられました.しかし,中英語後期にかけて着実に成長し始め,近現代英語の進行形に連なる流れを作り出しました.典型的に継続を表わす現代的な用法が発達し確立したのは,16世紀以降のことです.
進行形の起源と発達をざっと概観しましたが,その詳細は実に複雑で,英語史研究上,喧喧諤諤の議論が繰り広げられてきました.古英語の対応構文からの地続きの発達であるという説もあれば,後世の「on + 動名詞」の構文からの派生であるという説もあります.この2つの説を組み合わせた穏当な第3の説も提案されており,これが今広く受け入れられている説となっているようです.
他言語からの影響による発達という議論も多々あります.上述の通り,古英語の wesan/beon + -ende はラテン語の対応構文を模倣したものであるというのが有力な説です.中英語期での使用については,古フランス語の対応構文の影響も疑われています.さらに,ケルト語影響説まで提案されています(cf. 「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1])).
進行形は,このように英語史研究の魅力的な題材であり続けています.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
標題は,少々ハッタリ的であることは認めながらも,英語史的には真剣に考えておきたいテーマです.
普通の文(平叙文)に関する限り,英語史を通じて主語 (S) +動詞 (V) という SV 語順が優勢だったことは間違いありません.現在,ほぼ完全に SV で固まっているといってよいでしょう.しかし,千年ほど前の古英語期においても同様に SV がほぼ完全なるデフォルト語順だったといえるかというと,必ずしもそうではありません.VS 語順が,まま見られたからです.
目下「英語史導入企画2021」が進行中ですが,昨日大学院生により公表されたコンテンツはこの辺りの問題を専門的に扱っています.「英語の語順は SV ではなかった?」をご覧ください.
このコンテンツでは,1週間ほど前の「#4378. 古英語へようこそ --- 「バベルの塔」の古英語版から」 ([2021-04-22-1]) でも取り上げられた,旧約聖書「バベルの塔」の古英語版,中英語版,近代英語版,現代英語版を用いた通時的比較がなされています (cf. 「#2929. 「創世記」11:1--9 (「バベルの塔」)を7ヴァージョンで読み比べ」 ([2017-05-04-1])).各時代版の「バベルの塔」のくだりに関して,各文の語順を丁寧に比較したものです.その結果,古い時代であればあるほど VS 語順が出現していることが確認されました.古い時代とて,平叙文の基本語順が SV だったことは確かなのですが,マイノリティながら VS 語順も可能だったのです.
この事実は多くの英語学習者にとって衝撃的ではないでしょうか.英語の基本語順は SV であるとたたき込まれてきたはずだからです.しかし,考えてみれば現代英語にも周辺的とはいえ Here comes (V) the train (S). や In no other part of the world is (V) more tea (S) consumed than in Britain. のように,副詞句が文頭に現われる平叙文において語順が VS となる例は存在します.
上記から何が言えるでしょうか.今回のコンテンツにある通り,現代英語の「文型」として8文型や5文型など様々な分類があります.しかし,これらの定式化された語順も歴史を通じて固まってきたものであり,古くはもっと自由度が高かったということです.平叙文ですら SV ならぬ VS が一定程度の存在感を示していた時代があり,しかも後者の余韻は現代英語にも周辺的ながらも残っているという点が重要です.
言語の歴史においては,語順という基本的な項目ですら,変化することがあり得るということです.私が初めてこの事実を知ったのは大学生のときだったでしょうか,腰を抜かしそうになりました.
語順の推移の問題は一筋縄ではいかず,相当に奥が深いテーマです.単に形式的な問題にとどまらず,リズムや情報構造など様々な観点から考察すべき総合的な問題なのです.
いわゆる「剥奪の of」と呼ばれる用法や構文について,「#1775. rob A of B」 ([2014-03-07-1]) の記事で英語史の観点から少し考えてみた.なかなか難しい問題で,英語学的にもきれいには解決していないようである.
Blake (134) が,格 (case) や意味役割 (semantic_role) の観点からこの問題に迫っている議論をみつけたので,そちらを引用したい.
(39) a. The vandals stripped the branches off the tree agent patient source b. The vandals stripped the tree of its branches agent source patient
The roles appropriate for (39a) are noncontroversial. The vandals are clearly the agent, the branches patient and the tree source. Of the two sentences (39a) would appear to be unmarked, since it exhibits a normal association of role and relation: patient with direct object and source with a noncore or peripheral relation. The ascription of roles in (39b) is more problematic. Under a common interpretation of constructions like this the tree in (39b) would still be the source and the branches the patient. But note the different in meaning. (39a) presents the situation from the point of view of the effect of the activity on the branches, whereas (39b) emphasises the fate of the tree. In fact, the phrase of its branches can be omitted from (39b). This makes it problematic for those who claim that every clause has a patient. The problem could be avoided by claiming that the tree in (39b) has been reinterpreted as a patient, but that creates the further problem of finding a different role for the branches.
剥奪の構文の問題について格の理論的観点から議論したものだが,およそ私たちの直感的な問題意識に通じる議論となっており,結局のところ未解決なのである.最後に触れられているように,(39b) において the tree の意味役割を patient とするのであれば,of its branches の意味役割は何になるのか.そして,その意味役割を担わせる前置詞 of の意味・用法はいかなるものであり,それは of の原義や他の主要語義からどのように派生したものと考えるべきなのか.
1つ気になるのは,両文で用いられている前置詞が,起源を同じくする off と of であることだ(ただし,前者は from でも言い換えられる).両語の同一起源については「#55. through の語源」 ([2009-06-22-1]),「#4095. 2重語の分類」 ([2020-07-13-1]) を参照.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
標題は,類型論的な傾向として指摘されている.日本語などの SO 語順をもつ言語は,何らかの形態的な格標示をもつ可能性が高いという.実際,日本語には「が」「を」「の」などの格助詞があり,名詞句に後接することで格が標示される仕組みだ.一方,英語を典型とする SV 語順をもつ言語は,そのような形態的格標示を(顕著には)もたないという.英語にも人称代名詞にはそれなりの格変化はあるし,名詞句にも 's という所有格を標示する手段があるが,全般的にいえば形態的な格標示の仕組みは貧弱といってよい.英語も古くは語順が SV に必ずしも固定されておらず,SO などの語順もあり得たのだが,上記の類型論が予測する通り,当時は形態的な格標示の仕組みが現代よりも顕著に機能していた.
上記の類型論上の指摘は,Blake を読んでいて目にとまったものだが,もともとは Greenberg に基づくもののようだ.Blake (15) より関係する箇所を引用する.
It has frequently been observed that there is a correlation between the presence of case marking on noun phrases for the subject-object distinction and flexible word order and this would appear to hold true. From the work of Greenberg it would also appear that there is a tendency for languages that mark the subject-object distinction on noun phrases to have a basic order of subject-object-verb (SOV), and conversely a tendency for languages lacking such a distinction to have the order subject-verb-object (SVO) . . . . The following figures are based on a sample of 100 languages. They show the relationship between case and marking for the 85 languages in the sample that exhibit one of the more commonly attested basic word orders. The notation [+ case] in this context means having some kind of marking, including appositions, on noun phrases to mark the subject-object distinction . . . .
VSO | [+ case] | 3 | SVO | [+ case] | 9 | SOV | [+ case] | 34 |
[- case] | 6 | [- case] | 26 | [- case] | 7 |
The SVO 'caseless' languages are concentrated in western Europe (e.g. English), southern Africa (e.g. Swahili) and east and southeast Asia (e.g. Chinese and Vietnamese).
この類型論的傾向が示す言語学的な意義は何なのだろうか.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
昨日の記事「#4312. 「呼格」を認めるか否か」 ([2021-02-15-1]) で話題にしたように,呼格 (vocative) は,伝統的な印欧語比較言語学では1つの独立した格として認められてきた.しかし,ラテン語などの古典語ですら,第2活用の -us で終わる単数にのみ独立した呼格形が認められるにすぎず,それ以外では形態的に主格に融合 (syncretism) している.「呼格」というよりも「主格の呼びかけ用法」と考えたほうがスッキリするというのも事実である.
このように呼格が形態的に主格に融合してきたことを認める一方で,語用的機能の観点から「呼びかけ」と近い関係にあるとおぼしき「感嘆」 (exclamation) においては,むしろ対格に由来する形態を用いることが多いという印欧諸語の特徴に関心を抱いている.Poor me! や Lucky you! のような表現である.
細江 (157--58) より,統語的に何らかの省略が関わる7つの感嘆文の例を挙げたい.各文の名詞句は形式的には通格というべきだが,機能的にしいていうならば,主格だろうか対格だろうか.続けて,細江の解説も引用する.
How unlike their Belgic sires of old!---Goldsmith.
Wonderful civility this!---Charlotte Brontë.
A lively lad that!---Lord Lytton.
A theatrical people, the French?---Galsworthy.
Strange institution, the English club.---Albington.
This wish I have, then ten times happy me!---Shakespeare.
この最後の me は元来文の主語であるべきものを表わすものであるが,一人称単数の代名詞は感動文では主格の代わりに対格を用いることがあるので,これには種々の理由があるらしい(§130参照)が,ラテン語の語法をまねたことも一原因であったと見られる.たとえば,
Me miserable!---Milton, Paradise Lost, IV. 73.
は全くラテン語の Me miserum! (Ovid, Heroides, V. 149) と一致する.
引用最後のラテン語 me miserum と関連して,Blake の格に関する理論解説書より "ungoverned case" と題する1節も引用しておこう (9) .
In case languages one sometimes encounters phrases in an oblique case used as interjections, i.e. apart from sentence constructions. Mel'cuk (1986: 46) gives a Russian example Aristokratov na fonar! 'Aristocrats on the street-lamps!' where Aristokratov is accusative. One would guess that some expressions of this type have developed from governed expressions, but that the governor has been lost. A standard Latin example is mē miserum (1SG.ACC miserable.ACC) 'Oh, unhappy me!' As the translation illustrates, English uses the oblique form of pronouns in exclamations, and outside constructions generally.
さらに議論を挨拶のような決り文句にも引っかけていきたい.「#4284. 決り文句はほとんど無冠詞」 ([2021-01-18-1]) でみたように,挨拶の多くは,歴史的には主語と動詞が省略され,対格の名詞句からなっているのだ.
語用的機能の観点で関連するとおぼしき呼びかけ,感嘆,挨拶という類似グループが一方であり,歴史形態的に区別される呼格,主格,対格という相対するグループが他方である.この辺りの関係が複雑にして,おもしろい.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
・ Blake, Barry J. Case. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2001.
methinks --- 『スターウォーズ』のファン,とりわけジェダイ・マスターであるヨーダ (Yoda) のファンであれば,嬉しくてたまらない表現だろう.これは,かつての非人称動詞 (impersonal_verb) の生きた化石である.現代では,ジェダイ・マスター以外の口から発せられることはないかといえばそうでもなく BNCweb では,過去形 methought も合わせて,実に72例がヒットした.いくつか挙げてみよう.
・ 'Nay, on the contrary --- it is but the beginning methinks.'
・ 'Heaven alone knows --- but --- the lady doth protest too much, methinks.'
・ Methinks the lady doth protest, as old Bill put it.'
・ 'Methought you knew all about it,' pointed out Joan.
・ I was given the news last midnight and methought I would drown in the sorrow of my tears!'
もっとも,文脈を眺めればいずれも擬古的あるいは戯言的な用法と分かるので,あくまで文体的には有標の表現といってよいだろう.
methinks は,現代の普通の表現でいえば I think (that) や It seems to me (that) に相当する.歴史的には,第1音節の me は1人称単数代名詞の与格であり,thinks は "it seems" を意味する古英語の人称動詞 þynċan にさかのぼる.形態的にも意味的にも現代英語の think (思う,考える)(古英語 þenċan)と酷似しており,古くから深い関係にはあることは間違いないが,OED などの歴史的な辞書では両動詞はたいてい別扱いとなっているので,区別してとらえておくのがよい.
非人称動詞・構文とその歴史については,「#204. 非人称構文」 ([2009-11-17-1]) 辺りの記事を読んでいただきたいが,簡単にいえば主語を要求しない動詞・構文のことである.現代英語では,たとえ形式的であれ,とにかく主語を立てなければ文が成り立たないが,古英語や中英語では,主語を立てる必要のない(というよりも,立てることのない)構文がいくらでも存在した.主語が省略されているのではなく,最初から主語の立つことが前提とされていない構文である.そのような構文では,現代英語であれば主語として立つような参与者が与格で表現される(例えば I ではなく me)のが典型的である.なお,主語がないにもかかわらず,動詞は3人称単数主語に対応した屈折形を取る.
methinks はそのような非人称構文の典型例であり,頻度が高いために,与格 me と動詞 thinks が癒着して methinks と綴られるようになったものである.どこまでいっても論理的主語が現われないので,現代英語の発想から統語分析しようとすると何とも落ち着かないのだが,実際には分析されることもなく,固定したフレーズとして記憶されているにすぎない.
最近,この非人称動詞の歴史について調べる必要が生じ,まずは Helsinki Corpus にて歴史的な例を集めてみることにした.試行錯誤して "\bm[ie]+c? ?(th|@t|@d)([eiy]ng?[ck]+|[ou]+([gh]|@g)*t)" なる正規表現を組み,XML Helsinki Corpus Browser で case-insensitive で検索した.これにより,ひとまず authentic な例が111件(ゴミもあるかもしれないが)を集めることができた.関心のある方は,ぜひお試しを.
正式な I wish you a merry Christmas! という挨拶を省略すると Merry Christmas! となり,I wish you a good morning. を省略すると Good morning! となる.身近すぎて気に留めることもないかもしれないが,挨拶のような決り文句 (formula) を名詞句へ省略する場合には,冠詞を切り落とすことが多い.前置詞句などを伴うケースで A merry Christmas to you! のように冠詞が残ることもあり,水を漏らさぬルールではないものの,決り文句性が高ければ高いほど冠詞まで含めて省略されるようだ.感嘆句的な Charming couple!, Dirty place!, Excellent meal!, Poor thing!, Good idea!, Lovely evening! とも通じ合うし,その他 Cigarette?, Good flight?, Next slide? などの疑問句にも通じる冠詞の省略といえる.代表的な決り文句を,Quirk et al (§11.54) より一覧しよう.
GREETINGS: Good morning, Good afternoon, Good evening <all formal>; Hello; Hi <familiar>
FAREWELLS: Goodbye, Good night, All the best <informal>, Cheers, Cheerio <BrE, familiar>, See you <familiar>, Bye(-bye) <familiar>, So long <familiar>
INTRODUCTIONS: How do you do? <formal>, How are you?, Glad to meet you, Hi <familiar>
REACTION SIGNALS:
(a) assent, agreement: Yes, Yeah /je/; All right, OK <informal>, Certainly, Absolutely, Right, Exactly, Quite <BrE>, Sure <esp AmE>
(b) denial, disagreement: No, Certainly not, Definitely not, Not at all, Not likely
THANKS: Thank you (very much), Thanks (very much), Many thanks, Ta <BrE slang>, Thanks a lot, Cheers <familiar BrE>
TOASTS: Good health <formal>, Your good health <formal>, Cheers <familiar>, Here's to you, Here's to the future, Here's to your new job
SEASONAL GREETINGS: Merry Christmas, Happy New Year, Happy Birthday, Many happy returns (of your birthday), Happy Anniversary
ALARM CALLS: Help! Fire!
WARNINGS: Mind, (Be) careful!, Watch out!, Watch it! <familiar>
APOLOGIES: (I'm) sorry, (I beg your) pardon <formal>, My mistake
RESPONSES TO APOLOGIES: That's OK <informal>, Don't mention it, Not matter <formal>, Never mind, No hard feelings <informal>
CONGRATULATIONS: Congratulations, Well done, Right on <AmE slang>
EXPRESSIONS OF ANGER OR DISMISSAL (familiar; graded in order from expressions of dismissal to taboo curses): Beat it <esp AmE>, Get lost, Blast you <BrE>, Damn you, Go to hell, Bugger off <BrE>, Fuck off, Fuck you
EXPLETIVES (familiar; likewise graded in order of increasing strength): My Gosh, (By) Golly, (Good) Heavens, Doggone (it) <AmE>, Darn (it), Heck, Blast (it) <BrE>, Good Lord, (Good) God, Christ Almighty, Oh hell, Damn (it), Bugger (it) <esp BrE>, Shit, Fuck (it)
MISCELLANEOUS EXCLAMATIONS: Shame <familiar>, Encore, Hear, hear, Over my dead body <familiar>, Nothing doing <informal>, Big deal <familiar, ironic>, Oh dear, Goal, Checkmate
決り文句の多くは何らかの統語的省略を経たものであり,それだけでも不規則と言い得るが,加えて様々な統語的制約が課されるという特徴もある.例えば,過去形にすることはできない,主語を別の人称に変えることはできない,間接疑問に埋め込むことができない等々の性質をもつものが多い.ただし,決り文句性というのも程度問題で,(A) happy new year! のように,不定冠詞の有無などに関して variation を残すものもあるだろうと考えている.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事 ([2020-12-28-1]) に引き続き続き,入門書などのタイトルに用いられる標記の表現について.昨今の本では定番文句となっているが,その走りがいつだったのか気になってきた.いくつかの歴史コーパスでざっと調べてみたが,そのうち2つを紹介.
まず現代にほど近い時期から.後期近代英語のコーパス CLMET3.0 で検索してみると,第3期 (1850--1929) から "Atheism made easy" が挙がってきた.さらにさかのぼって第1期 (1710--1780) からも Farriery made Easy なる例が得られた.
となれば,もっと早い時期の例を求めて初期近代英語期の EEBO corpus に当たってみたくなる.そこで探し出したのが,Thomas Edwards (1599--1647) なる著者が1644年に出した "Antapologia, or, A full answer to the Apologeticall narration of Mr. Goodwin, Mr. Nye, Mr. Sympson, Mr. Burroughs, Mr. Bridge, members of the Assembly of Divines wherein is handled many of the controversies of these times, viz. ... : humbly also submitted to the honourable Houses of Parliament" という本だ.(当時の本は,タイトルというよりは説明書きというべき,このように長いものが多い).その一部を引用する.
dialling made easy: or, tables calculated [.] # for the latitude of oxford, (but will serve without sensible difference for most parts of england:) by the help of which, and a line of chords, the hour-lines may quickly and exactly be described upon most sorts of useful dials: [.] # with some brief directions for making two sorts of spot-dials:
EEBO から取り出したこの文脈は完全なものではなく,明確には分からないところもあるのだが,dialling は日時計・羅針盤による時間測量の技術のことのようだ.すでに当時より XXX Made Easy が現代のような定番文句になっていたかどうかは怪しいにせよ,その走りの1例とみることはできるのかもしれない.
さらに中英語までさかのぼってみようと思ったが,ここで時間切れ.ここまででも十分にさかのぼった感あり.
数週間前にゼミ生の間で盛り上がった話題を紹介したい.Time 誌 の The Best Inventions of 2020 に,圧力釜調理器 Chef iQ Smart Cooker という商品が取り上げられていたという.こちらのページでフィーチャーされているが,問題はそのタイトル "Meals Made Easy" である.これはどのような構文であり,どのような意味なのだろうか.
数日間,学生のあいだで様々に議論がなされ,大変おもしろかった.小さなことではあれ,日々の生活のなかで抱いた疑問を披露し,皆で議論するというのは,とても贅沢で大事な体験.素晴らしい!
では,改めて本題に.話し合いの結果,出された意見は様々だった.「簡単に作られた食事」という意味で easy は実は単純副詞 (flat_adverb) なのでないかという見解が出された一方,使役の make の受け身構文であり easy はあくまで形容詞として用いられており「簡単にされた食事」ほどであるという見方もあった.全体として「楽ちんご飯」ほどのニュアンスだろうということは皆わかっているけれども,文法的に納得のいく説明は難しい,といったところで議論が打ち止めとなった.
結論からいえば,これは使役の make の受け身構文である.伝統文法でいえば第5文型 SVOC がベースとなっている.(This cooker) makes meals easy. ほどを念頭におくとよい.これを受け身にすると "Meals are made easy (by this cooker)." となる.タイトルとして全体を名詞句にすべく,meals を主要部として "Meals Made Easy" というわけだ.
しかし,これではちょっと意味が分からないといえば確かにそうだ.make は「?を作る」の語義ではなく,あくまで使役の「?を…にさせる」の語義で用いられていることになるからだ.make meals 「食事を作る」ならば話しは分かりやすい(ただし,この collocation もあまりないようだ).だが,そうではなく make meals easy = cause meals to be easy という関係,つまり「食事を簡単にさせる」ということなのである.別の言い方をすれば meals = easy という関係になる.「食事」=「簡単」というのはどういうことだろうか.「食事の用意」=「簡単」というのであれば,とてもよく分かる.この点は引っかからないだろうか.
実は XXX Made Easy という表現は,入門書や宣伝・広告などのタイトルに常用される一種の定型句である.日本語でいえば『○○入門』『誰でもわかる○○』『単純明快○○』といったところだ.XXX や○○には,スキル,趣味,科目,注目の話題など様々な語句が入る.BNCweb にて "made easy" を単純検索するだけでも,冗談めいたものから不穏なものまで,いろいろと挙がってくる.
・ Harvesting and storing made easy
・ MIDDLE EAST DISTRIBUTION MADE EASY
・ Suicide made easy
・ FLOOR TILING MADE EASY
・ COSMETICS MADE EASY
・ Sheep counting made easy
・ Financial Analysis Made Easy
・ Mechanics Made Easy
実際に出版されている本のタイトルでいえば,ボキャビルのための Word Power Made Easy もあれば,Math Made Easy などの学科ものも定番だし,Japanese cookbook for beginners: 100 Classic and Modern Recipes Made Easy のような料理ものも多い.AUSTRALIAN COOKBOOK: BOOK1, FOR BEGINNERS MADE EASY STEP BY STEP 辺りは構文が取りやすいのではないか.XXX Made Simple や XXX Simplified も探せば見つかる.
上記より XXX や○○は「作る」 (make) 対象である必要はまったくない.むしろ何らかの意味で習得・克服すべき対象であれば何でもよい.ということで,"Meals Made Easy" も「お食事入門」≒「楽ちんご飯」ほどとなるわけである.
我が国の学校文法における Jespersen の文法の影響力は,現在に至るまで続いている.20--21世紀の新しい言語学の興隆により,Jespersen の影も徐々に薄くなっているようにも感じられるが,実際の支持はまだ根強いのではないだろうか.
Jespersen の貢献は数多あるが,統語論に関していえば標題の "nexus" と "junction" の区別はとりわけ重要である.この用語を知らずとも,多くの人が英語の構文の解釈においてこの区別を重視しているはずである.まずは Jespersen 自身の説明を引用しよう.
1.41. C. Nexus, i. e. a combination implying predication and as a rule containing a subject and either a verb or a predicative or both. Besides these a nexus may contain one or more objects, often a direct and an indirect object.
1.31. B. Junction, i. e. a combination of words which does not denote predication, but which serves to make what we are speaking about more precise. Here we meet with the distinction of ranks. A very poor widow contains a tertiary (very), a secondary (poor) and a primary (widow); corresponding examples are extremely cold weather, a furiously barking dog. In other combinations we may have quaternaries or quinaries, e. g. a not (5) particularly (4) well (3) constructed (2) plot (1).
具体的に示せば,I found a dog barking. において a dog barking は "nexus" を体現している.およそ I found that a dog was barking. とパラフレーズできるように,主語と述語に相当する要素をもった構造とみることができる.一方,I found a barking dog. では a barking dog は "junction" を体現している.I found it. とまとめ上げられることから分かるように,そこに主述の関係は含意されているとはいえ that a dog was barking という節に展開され得る統語関係ではない.
理論的にも実践的にも,この2つの関係を峻別しておくことの意義は大きい.以下の例文において斜体部分は,一見すると "junction" にみえるかもしれないが,実際には "nexus" と理解すべきものである.
・ The difficulties overcome makes the rest easy. (こうした困難が克服されたので後は容易である.)
・ That's a great load off my mind. (それでほっとした.)
・ I sat with all the windows and the door wide open. (窓も戸も開け放して坐っていた.)
・ He being rich and I poor, everybody took his side against me. (彼が金持ちで私が貧しいため,みんな彼の肩を持って私に反対した.)
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
「#4205. 國分功一郎(著)『中動態の世界 意志と責任の考古学』」 ([2020-10-31-1]) で紹介した著書に,印欧祖語以前の段階では,まず名詞的構文があり,後から動詞的構文が生じたという仮説を紹介している部分がある (165--66) .
中動態や能動態といった態の概念は,言うまでもなく動詞に結びついている.動詞は今日われわれの知るインド=ヨーロッパ諸語において,文の中枢を担うものに見える.つまり,動詞がない言語を想像することは難しい.
しかし,実は動詞は言語のなかにずいぶんと遅れて生じてきた要素であることが分かっている.フランスの古典学者ジャン・コラールは,その著書『ラテン文法』のなかで次のように述べている.
「動詞はわれわれには文の中枢的要素であるようにみえるが,今日われわれが知っているような形でのそれは,実は文法範疇のなかで遅れて生じてきたものなのである.〈動詞的〉構文以前においては〈名詞的〉構文があったのであり,そのかなめは動詞ではなくて動作名詞であった」.
では,動詞が遅れて生じた要素であったとしたら,それはいつ頃生じたものなのだろうか?
もちろん正確な年代を確定することはできないが,同書の訳者,有田潤が指摘するように,インド=ヨーロッパ諸語の共通の起源として想定されている「共通基語」はすでに動詞をもっていたと考えられるので,ここでコラールが言及しているのはそれ以前の時代の言語ということになる.
このような観点に立つと,名詞的構文から派生したとおぼしき動詞(的構文)の残滓は,印欧諸語のなかに至るところに見つかる(←ここで能動態的に「見つけられる」としようかと思ったが,中動態的に「見つかる」としておいた).非人称動詞 (impersonal_verb) を用いた非人称構文がその代表格だろう.たとえば現代英語で It seems to me . . . や It rains. というとき,そこには動詞的な意味合いを多分に含みつつもあくまで名詞的構文であった時代の匂いが残っていると見ることができる.形式主語と呼ばれるダミーの It は,体裁を整えるために添えられたの文字通りのお飾りであり,この構文の要諦は seems や rains が内包する名詞的な「外観」や「降雨」にほかならない.
現代統語理論の句構造分析においては,動詞の存在が前提とされている.そして,その動詞を取り巻くように他の要素(項)が配置されるという洞察が一般的である.しかし,上記に照らせば,これは言語の統語論的前提として普遍的に受け入れられるものではないのかもしれない.
・ 國分 功一郎 『中動態の世界 意志と責任の考古学』 医学書院,2017年.
2週間ほど前に通常の hellog 記事「#4186. なぜ Are you a student? に対して *Yes, I'm. ではダメなのですか?」 ([2020-10-12-1]) で取り上げたばかりの素朴な疑問ですが,発音に関わる話題でもありますのでラジオ化し,説明もなるべく簡略化してみました.現役中学生からの質問でしたが,これを聴いて理解できるでしょうか.
ポイントは,単語のなかには弱形と強形という異なる発音をもつものがあるということです.問題の be 動詞をはじめ,冠詞,助動詞,前置詞,人称代名詞,接続詞,関係代名詞/副詞など文法的な役割を果たす語に多くみられます.これらの単語はデフォルトでは弱形で発音されますが,今回の Yes, I am. ように,後ろに何かが省略されていて,文末に来る等いくつかの特別な場合には強形が現われます(というよりも,現われなければなりません).頻出する文法的な語だからこその,ちょっと面倒な現象ではありますが,弱形と強形の2つがあるという点をぜひ覚えておいてください.
関連する話題については##4186,3713,3776の記事セットをご覧ください.
最近,大学院生の指摘にハッとさせられることが多く,たいへん感謝している.標記の話題も一種の定型文句とみなしており,とりたてて分析的に考えたこともなかったが,指摘を受けて「確かに」と感心した.dear は「親愛なる」を意味する一般の形容詞であるから,my dear friend ならよく分かる.しかし,手紙の冒頭の挨拶 (salutation) などでは,統語的に破格ともいえる Dear my friend が散見される.Dear Mr. Smith なども語順としてどうなのだろうか.
共時的な感覚としては,冒頭の挨拶 Dear は純然たる形容詞というよりは,挨拶のための間投詞 (interjection) に近いものであり,語用標識 (pragmatic_marker) といってよいものかもしれない.つまり,正規の my dear friend と,破格の Dear my friend を比べても仕方ないのではないか,ということかもしれない.CGEL (775) でも,以下のように挨拶を導入するマーカーとみなして済ませている.
It is conventional to place a salutation above the body of the letter. The salutation, which is on a line of its own, is generally introduced by Dear;
Dear Ruth Dear Dr Brown Dear Madam Dear Sir
しかし,通時的にみれば疑問がいろいろと湧いてくる.Dear my friend のような語順が初めて現われたのはいつなのだろうか? その語用標識化の過程はいかなるものだったのだろうか? 近代英語では Dear my lord や Dear my lady の例が多いようだが,これは milord, milady の語彙化とも関わりがあるに違いない,等々.
ただし,現代英語の状況について一言述べておけば,COCA で検索してみた限り,実は「dear my 名詞」の例は決して多くない.歴史的にもいろいろな観点から迫れる,おもしろいテーマである(←Kさん,ありがとう!).
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
中学生から寄せられた素朴な疑問です.標題のような yes/no 疑問文への回答で,No, I'm not. は許容されますが,*Yes, I'm. は許容されず,Yes, I am. と完全形で答えなければなりません.英語学習の最初に I am の省略形は I'm であると習うわけですが,省略形が使えない場合があるのです.これはなぜなのでしょうか.
その答えは「文末に省略形を置くことはできない」という文法規則があるからです.もう少し正確にいえば,強形・弱形をもつ語に関しては,節末では強形で実現されなければならない,ということです.強形・弱形をもつ語というのは,今回問題となっている be 動詞をはじめ,冠詞,助動詞,前置詞,人称代名詞,接続詞,関係代名詞/副詞などが含まれます(cf. 「#3713. 機能語の強音と弱音」 ([2019-06-27-1]),「#3776. 機能語の強音と弱音 (2)」 ([2019-08-29-1])).主として文法的な機能を果たす語のことです.
これらの語は,通常の文脈では弱く発音され,省略形で生起することが多いのですが,節末に生起する場合や単独で発音される場合には「強形」となります.am でいえば,標題の回答のように節末(文末)に来る場合には,通常の弱形 /əm, m/ ではなく,特別な強形 /æm/ として実現されなければなりません.
では,なぜ節末で強形とならなければならないのでしょうか.通常,be 動詞にせよ助動詞にせよ前置詞にせよ,補語,動詞,目的語など別の要素が後続するため,それ自体が節末に生起することはありません.しかし,統語的な省略 (ellipsis) や移動 (movement) が関わる場合には,節末に起こることもあります.
・ Are you a student? --- Yes, I am (a student).
・ I am taller than you are (tall).
・ She doesn't know who the man is.
・ Sam kicked the ball harder than Dennis did (kick the ball hard).
・ They ran home as fast as they could (run fast).
・ What are you looking at?
・ This is the very book I was looking for.
このような特殊な統語条件のもとでは,節末にあって問題の機能語は強形で実現されます.これは,通常の場合よりも統語や情報構造の観点から重要な役割を果たしているため,音形としても卓越した実現が求められるからだと考えられます.Yes, I am (a student). のケースでいえば,be 動詞には,後ろに a student が省略されているということを標示する役割が付されており,通常の I'm a student. の be 動詞よりも「重責」を担っているといえるのです.
なお,No, I'm not. が許容されるのは,be 動詞が節末に生起するわけではないからだと考えています.あるいは,「be 動詞 + not」が合わさって後続要素の省略を標示する機能を担っているのではないかとも考えられます (cf. No, it isn't.) .
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