昨日の記事「#4937. 仮定法過去は発話時点における反実仮想を表わす」 ([2022-11-02-1]) に引き続き,仮定法過去のもう1つの重要な用法を紹介する.語用論的軟化剤 (pragmatic softener) としての働きだ.Taylor (178) より引用する.
The other use of the past tense that I want to consider is also restricted to a small number of contexts. This is the use of the past tense as a pragmatic softener. By choosing the past tense, a speaker can as it were cushion the effect an utterance might have on the addressee. Thus (6b) is a more tactful way of intruding on a person's privacy than (6a):
(6) a. Excuse me, I want to ask you something.
b. Excuse me, I wanted to ask you something.
Tact can also be conveyed by the past tense in association with the progressive aspect:
(7) a. Was there anything else you were wanting?
b. I was wondering if you could help me.
The softening function of the past tense has been conventionalized in the meanings of the past tense modals in English. (8b) and (9b) are felt to be less direct than the (a) sentences; (10b) expresses greater uncertainty than (10a), especially with tonic stress on might; (11b) merely gives advice, while (11a) has the force of a command.
(8) a. Can you help me?
b. Could you help me?
(9) a. Will you help me?
b. Would you help me?
(10) a. John may know.
b. John might know.
(11) a. You shall speak to him.
b. You should speak to him.
ここで述べられていないのは,なぜ(仮定法)過去が語用論的軟化剤として機能するのかということだ.「敬して遠ざく」というように,社会心理的な敬意と物理的距離とは連動すると考えられる.一種のメタファーだ.現時点からの時間的隔たり,すなわち「遠さ」を表わす過去(形)が,社会心理的な敬意に転用されるというのは,それなりに理に適ったことではないかと私は考えている.
なぜ動詞の過去形を用いると,反実仮想 (counterfactual) となるのか.英語の「仮定法過去」にまつわる意味論上の問題は,古くから議論されてきた.時制 (tense) としての過去は理解しやすい.現在からみて時間的に先行する方向に隔たっている事象を記述する場合に,過去(形)を使うということだ.一方,法 (mood) の観点からは,過去(形)を用いることによって,現実と乖離している事象,いわゆる反実仮想を記述することができる,といわれる.心的態度の距離が物理的時間の距離に喩えられているわけだ.
時制としての過去ではなく反実仮想を表わす過去形について,Taylor (177--78) の主張に耳を傾けよう.
The counterfactual use of the past tense is restricted to a small number of environments---if-conditionals (1), expressions of wishes and desires (2), and suppositions and suggestions (3):
(1) If I had enough time, . . .
(2) a. I wish I knew the answer.
b. It would be nice if I knew the answer.
(3) a. Suppose we went to see him.
b. It's time we went to see him.
The past tense in these sentences denotes counterfactuality at the moment of speaking, and not at some previous point in time. (1) conveys that, at the moment of speaking, the speaker does not have enough time, the sentences in (2) convey that the speaker does not know the answer, while in (3), the proposition encoded in the past tense, if it is to become true at all, will do so after the moment of speaking, that is to say, the past tense refers to a suggested future action. There are also a number of verbs whose past tense forms, under certain circumstances and with the appropriate intonation, can convey the present-time counterfactuality of a state of affairs represented in a past tense subordinate clause . . . :
(4) a. I thought John was married (. . . but he apparently isn't).
b. I had the impression Mary knew (. . . but it seems she doesn't).
These sentences might occur in a situation in which the speaker has just received information which causes him to doubt the (present-time) factuality of the propositions "John is married", "Mary knows". That it is a present, rather than a past state of affairs, that is at issue is shown by the choice of tense in a tag question. Imagine (5) uttered in a situation in which both speaker and addressee are preparing to go to a concert:
(5) But I thought the concert began at 8, does't it?/?didn't it?
The tag doesn't it is preferential in the present tense. In (5), the speaker is questioning the apparent counterfactuality, at the time of speaking, of the proposition "The concert begins at 8".
結論としては,現代英語において仮定法過去は発話時点における反実仮想の命題を表わす,と解釈することができる.
・ Taylor, John R. Linguistic Categorization. 3rd ed. Oxford: OUP, 2003.
昨晩 YouTube の第69が公開されました.「時代とメディアで変わる社交的会話(Phatic communion,交話的コミュニケーション)」です.
今回は phatic_communion についてです.交話的(交感的,社交的,儀礼的)言語使用などと訳されますが,様々にある言語の機能 (function_of_language) の1つです.日々の挨拶からスモールトーク,井戸端会議から恋人同士の会話まで,情報交換そのものが主たる目的なのではなく,言葉を交わすことそれ自体が目的となるような言語使用というものがあります.そのような場面では,言葉の中身はさほど重要でなく,言葉を交わすという行為そのものが社会関係構築のために重要なわけです.
McArthur の英語学用語辞典より定義と説明を引用します.
PHATIC COMMUNION [1923: from Greek phatós spoken: coined by the Polish anthropologist Bronislaw Malinowski]. Language used more for the purpose of establishing an atmosphere or maintaining social contact than for exchanging information or ideas: in speech, informal comments on the weather (Nice day again, isn't it?) or an enquiry about health at the beginning of a conversation or when passing someone in the street (How's it going? Leg better?); in writing, the conventions for opening or closing a letter (All the best, Yours faithfully), some of which are formally taught in school. . .
言語の機能といえば情報伝達,と思い込んでいる多いと思いますが,それだけではありません.phatic communion のように,たとえ情報量がゼロに近くとも,それでも言葉を交わすというシーンは日常にあふれています.言語のこの機能に気づいておくことは,英語学習においてもとても大事です.なぜならば,大半の英語学習者は,世界の人々と情報交換するため「だけ」に英語を学んでいると信じ込んでしまっているからです.しかし,それでは言語(英語)の機能をあまりに狭く見てしまっていることになります.言葉の役割をもっと広くとらえてみませんか?
phatic communion に関連する話題は多様です.たとえば以下の記事をご覧ください.
・ 「#523. 言語の機能と言語の変化」 ([2010-10-02-1])
・ 「#1071. Jakobson による言語の6つの機能」 ([2012-04-02-1])
・ 「#1559. 出会いと別れの挨拶」 ([2013-08-03-1])
・ 「#1564. face」 ([2013-08-08-1])
・ 「#1771. 言語の本質的な機能の1つとしての phatic communion」 ([2014-03-03-1])
・ 「#2003. アボリジニーとウォロフのおしゃべりの慣習」 ([2014-10-21-1])
・ 「#2700. 暗号によるコミュニケーションの特性」 ([2016-09-17-1])
・ 「#2818. うわさの機能」 ([2017-01-13-1])
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
ある人が,果物屋でリンゴを1つ取り上げながら,I like this apple. という英文を発話している場面を想像してください.私たちはこの英文を「私はこのリンゴが好きです」と容易に和訳できますし,その意味を完全に理解できていると思い込んでいますが,本当にそうでしょうか? この文がきわめて多義的となり得ることに気づいたことがあるでしょうか? とりわけ this apple の部分が意外と難しいのです.
まず,this apple が unit の読みか type の読みかという多義性があります.「隣のリンゴではなく,今取り上げているこのリンゴ」というつもりであれば unit の読みとなりますが,「隣の箱の別品種のリンゴではなく,今取り上げているものが代表している品種のリンゴ(例えば「ふじ」)」であれば type の読みとなります.
しかし,本当は type の読みにも様々な可能性があります.上記ではたまたま「品種」という観点から type 分けをしたのですが,type 分けには他の観点もあり得ます.国内産か否かという観点からの区分もあり得ますし,収穫された農園ごとの区分もあり得ます.大きさ,色,成熟度,値段という観点もあり得ます.実際の文脈では,いずれの観点からの type か,聞き手が高い確率で推測できるケースがほとんどだろうとは思いますが,this apple という表現に少なくとも潜在的な多義性があることは分かってきたのではないでしょうか.
指示詞 this のもつ直示性に由来する意味論的・語用論的多義性,および名詞 apple の指示対象である「りんご」の意味論的・語用論的多義性が合わさって,一見すると何も難しいところのなさそうな this apple という表現の意味内容が,驚くほど複雑かつ多様であり得ることが分かったかと思います.
以上,Cruse (50) の議論を参照して執筆しました.
・ Cruse, D. A. Lexical Semantics. Cambridge: CUP, 1986.
名詞や動詞など大多数の語句は概念的情報を有している.一方,語句のなかには手続き的情報をもつものがある.吉村 (192) によれば,後者は次のような役割を果たす.
発話の聞き手が,どのような解釈の仕方をすればいいのかを指示する情報を持つ表現がある.このような指示が発話に含まれていると,聞き手は,余計な労力を使わず,発話の意味を正しく解釈することができる.処理労力を少なくすることによって発話の関連性達成に貢献するのである.このような表現を,手続き的情報を持つ表現という.
例として but の手続き的情報について考えてみよう.以下の2文は真理条件は同じだが,意味としては何らかの違いがあるように感じられる.
(1) She is a linguist, but she is quite intelligent.
(2) She is a linguist, and she is quite intelligent.
(1) は but が使われているために,前半と後半のコントラストが意図されているが,(2) にはそのような意図はない.(1) の聞き手は,but によるコントラストが成り立つように,話し手の想定 (assumption) が "All linguists are unintelligent." であることを割り出す.もしこの想定が正しければ she について導かれる帰結は "she is unintelligent" と想定されるはずだが,実際はむしろ逆に she is quite intelligent と明言されているのだ.つまり,当初の想定が打ち消されている.
聞き手にこのような解釈をするように指示しているのが,but の手続き的情報だと考えられる.吉村 (194) によれば「このような情報が聞き手に与えられると,余分な処理労力を使わずに話し手の意図した解釈にたどり着くことができる.手続き的情報を持つ表現は,聞き手の処理労力を減らすことによって,発話の関連性に貢献しているのである」.
他に手続き的情報をもつ語句としては,so, therefore, nevertheless, after all などの談話標識 (discourse_marker) や,oh, well などの間投詞 (interjection) が挙げられる.いずれに関しても,関連性理論 (relevance_theory) の立場から興味深い分析が示されている.
・ 吉村 あき子 「第4章 統語論 機能的構文論」『日英対照 英語学の基礎』(三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著)) くろしお出版,2013年.
語用論 (pragmatics) は,意味論 (semantics) とともに,言葉の意味を研究する領域ですが,言葉そのものの意味というよりも話者の意味・意図に注目します.辞書的な意味ではなく,話者が言葉を使っている現場において立ち現われてくる生の意味です.会話においては,話し手と聞き手は語用論的に高度な意味作用をライヴで取り交わしているのです.
語用論は英語学でも発展の著しい領域で話題は豊富ですが,Day 5 では「協調の原理」と「会話の含意」に絞って語用論の考え方の基本を概説します.
1. 協調の原理 (cooperative_principle)
1.1 「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1])
1.2 「#1133. 協調の原理の合理性」 ([2012-06-03-1])
1.3 「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1])
1.4 「#4851. tautology」 ([2022-08-08-1])
2. 会話の含意 (conversational implicature)
2.1 「#1976. 会話的含意とその他の様々な含意」 ([2014-09-24-1])
2.2 「#3402. presupposition trigger のタイプ」 ([2018-08-20-1])
2.3 「#3403. presupposition の3つの特性」 ([2018-08-21-1])
6. 本日の復習は heldio 「#452. 協調の原理」,およびこちらの記事セットより
tautology (類語反復,トートロジー)は,まずもって修辞学 (rhetoric) の用語として発展してきた.ギリシア語の tautó (the same) + lógos (word) に起源をもち,ラテン語を経て,16世紀半ばに英語に借用された.以下『新英語学辞典』の tautology の項目に従って概説を与える.
修辞学では冗語法 (pleonasm) や重言と同義に用いられる (cf. 「#2191. レトリックのまとめ」 ([2015-04-27-1])).例えば a philatelist who collects stamps, These words come out successively one after another., Will you repeat that again? の類いの表現だ.「#3907. 英語の重言」 ([2020-01-07-1]) に類例がたくさん挙げられているが,それほど日常的で慣用的な語法ということでもある.
tautology の構文の典型は "A is A." という形式である.意味論にいえば,主語概念のなかにすでに述語概念が含まれてしまっているために,新情報が付されないことになり,その限りにおいて文は「無意味」となる.別の角度からいえば,この構文は意味論的に常に真となる."A is A." のほかに Philatelists collect stamps., The man who won won., Lynda loves the boy she loves. のような構文もある.これらは分析文 (analytic sentence) と呼ばれることがある.
tautology は意味論的にいえば上記の通り「無意味」だが,語用論的には必ずしも無意味ではなく,むしろ豊かな含意が生み出されるといわれる.Philatelists collect stamps. の場合,philatelist (切手収集家)は比較的難しい単語であり,その単語の意味を説明するために,この文が発せられている可能性がある.また,The man who won won. については,相手をはぐらかす意図で発せられているのかもしれない.
語用論では,tautology は Grice の協調の原理 (cooperative_principle) のもとで論じられることが多い.tautology の発話者が協調の原理をあえて違反しようとしているわけではないと判断されるのであれば,聞き手はその tautology に隠された意味や意図を見出そうとするだろう.こうして何らかの含意が生み出されるのである.
tautology は意味論的には無意味であっても語用論的にはしばしば有意味となる.この不思議さこそが,tautology が語用論や認知言語学で注目される所以だろう.
関連して「#1122. 協調の原理」 ([2012-05-23-1]),「#1133. 協調の原理の合理性」 ([2012-06-03-1]),「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) を参照.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
khelf(慶應英語史フォーラム)内で,以下のちぐはぐ案件が発生しました.
英語学習者用の文法参考書『Vintage 英文法・語法』(第2版,p. 295)には,something of a+名詞「ちょっとした〈名詞〉/かなりの〈名詞〉」と出ています.新英和中辞典にも同様なことが書いてあります.「ちょっとした」と「かなりの」は日本語的に異なりますが.なぜこのような違いがあるのでしょう.そもそも something の意味が分かっていないから違いが理解できないのでしょうか???
日本語としては確かに「ちょっとした」と「かなりの」は意味が異なるように思われます.原義で考えれば,前者は程度が低く,後者は程度が高いものと理解されており,むしろ対義の感があります.しかし「(意外なことにも)彼はちょっとした/かなりの音楽家なんですよ」という文を考えると,その語用論的意味は近似しているようにも思われます.英語の something of a(n) も日本語の「ちょっとした」も,意味論と語用論のキワに関わる微妙な問題のようです.
関連して quite が「完全に」「そこそこ」の両義をもつことが思い起こされます.「#4247. quite の「完全に」から「そこそこ」への意味変化」 ([2020-12-12-1]),「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]),「#4235. quite a few は,下げて和らげ最後に皮肉で逆転?」 ([2020-11-30-1]) をご参照ください.広く強意語 (intensifier) の語用論に関する話題ですので,「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1]) も参考になるかと思います.
さて,something of a について『ジーニアス英和大辞典』では次のように記載されています.
▼ *sómething of a ...
((略式))[通例肯定文で] ちょっとした…;かなりの…?She is ~ of a musician. 彼女の音楽の才はかなりのものです《◆音楽家ではない人に用いる》/I found it ~ of a disappointment. それにはかなりがっかりしました(=I found it rather disappointing.)/Life has always been ~ of a puzzle. 人生はこれまで常に謎めいたところがあった.
「《◆音楽家ではない人に用いる》」という指摘は,きわめて重要で示唆に富んだ注だと思います.参照した他の辞書には,このような注はありませんでした.
次に学習者用英英辞書からいくつか例文を拾ってみましょう.
・ She found herself something of a (= to some degree a) celebrity.
・ Charlie's always been something of an expert on architecture.
・ The news came as something of a surprise.
・ The city proved to be something of a disappointment. . .
・ He has a reputation as something of a troublemaker.
ここで改めて something of a(n) は「ちょっとした」なのか「かなりの」なのかという問題に戻って考えてみましょう.この表現には anything of a(n) と nothing of a(n) という関連表現があります.some, any, no の3者の関係については「#679. assertion and nonassertion (1)」 ([2011-03-07-1]),「#680. assertion and nonassertion (2)」 ([2011-03-08-1]) で考察しました.
私は no(thing) の基本義が「無」であるのに対して some(thing) の基本義は「有」であると考えています.「無」の場合にはゼロですから無いものは無いと言っておしまいですが,「有」である場合には「ちょっとした」なのか「かなりの」なのかなど程度の問題が生じます.しかし,あくまで「無」ではなく「有」なのだというのが some(thing of a(n)) の「意味論」的な原義なのではないでしょうか.その程度については「意味論」としては限定せず,あくまで「語用論」的な解釈に任せるといったところではないかと睨んでいます.
「無」が前提とされているところに,その前提をひっくり返して「有」であることを主張するのが some(thing of a(n)) の基本的な働きだろうと考えます.結果として,程度の低い/高い意味になるのかは,文脈に依存する語用論的な判断に委ねられるのではないかと.とはいえ,一般的傾向としては,「無」に対して「有」であることをあえて主張する目的で用いられるわけですから,高めの程度が意図されているケースが多いのではないかと思われます.ただし,最終的な判断はやはり都度の文脈次第なのではないかと.
なかなか難しそうですね.
本日は直近の YouTube と Voicy で取り上げた話題をそれぞれ紹介します.
(1) 昨日,YouTube の「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第29弾が公開されました.「英語と日本語とでは同音異義語ができるカラクリがちがう!」です.
英語にも日本語にも同音異義語 (homonymy) は多いですが,同音異義語が歴史的に生じてしまう経緯はおおよそ3パターンに分類される,という話題です.1つは,異なっていた語が音変化により発音上合一してしまったというパターン.もう1つは,同一語が意味変化により異なる語とみなされるようになったというパターン.さらにもう1つは,他言語から入ってきた借用語が既存の語と同形だったというパターンです.
英語の同音異義語の例をもっと知りたいという方は「#2945. 間違えやすい同音異綴語のペア」 ([2017-05-20-1]),「#4533. OALD10 が注意を促している同音異綴語の一覧」 ([2021-09-24-1]) の記事がお薦めです.第2パターンの例として挙げた flower と flour については Voicy 「#2. flower (花)と flour (小麦粉)は同語源!」をお聴きください.
また,対談内でも出てきた,故鈴木孝夫先生による「テレビ型言語」か「ラジオ型言語」かという著名な区別については「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]),「#2919. 日本語の同音語の問題」 ([2017-04-24-1]),「#3023. ニホンかニッポンか」 ([2017-08-06-1]) でも触れています.
今回の話題に関心をもたれた方は,本チャンネルへのチャンネル登録もよろしくお願いします.
(2) 今朝,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 にて,リスナーさんからいただいた付加疑問 (tag_question) に関する質問に回答してみました.「#371. なぜ付加疑問では肯定・否定がひっくり返るのですか? --- リスナーさんからの質問」です.なかなかの難問で,当面の不完全な回答しかできていませんが,ぜひお聴きください.
どうやら主文の表わす命題の肯定・否定を巡る単純な論理の問題ではなく,話し手の命題に関する前提と,話し手が予想する聞き手の反応との組み合わせからなる複雑な語用論の問題となっているようです.あくまで前者がベースとなっていると考えられますが,歴史的にはそこから後者が派生してきたのではないかとみています.未解決ですので,今後も考え続けていきたいと思います.なお,放送で述べていませんでしたが,今回参考にしたのは主に Quirk et al. です.
上記の Voicy 放送はウェブ上でも聴取できますが,以下からダウンロードできるアプリ(無料)を使うとより快適に聴取できます.Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」のフォローも合わせてよろしくお願いいたします! また,放送へのコメントや質問もお寄せください.
新しい一週間の始まりです.今週も楽しい英語史ライフを!
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
井上逸兵さんとの YouTube の第8弾が公開されました.英語の大人な謝り方---でも,日本人から見るとなんだかなー【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #8 】です.前回からの続きものとなります.
謝罪「ごめんなさい」→誓い・意志「二度としません」→意志を問う Will you . . . ? について→Will you . . . ? は本当に丁寧か,のようにアチコチに話しが飛んでいきました.まさに雑談という感じですので.肩の力を抜いて気軽にご視聴ください.
過去数回の動画で,発話行為 (speech_act) が話題の中心となっています.発話行為とは何なのでしょうか.
専門的な語用論 (pragmatics) の立場からいえば「話し手と聞き手のコミュニケーション上の振る舞いとの関連からみた発話の役割」ほどです.しかし,これではよく分かりませんね.
一般には,発話行為には3種類あるとされています.1つは,話し手による発話そのもの (locutionary act;狭い意味での「発話行為」) .2つめは,話し手の意図,あるいは話し手が発話によって行なっていること (illocutionary act;「発話内行為」) .3つめは,話し手が発話を通じて聞き手に及ぼす効果 (perlocutionary act;「発話媒介行為」) です.
いくつかの用語辞典で "speech act (theory)" を調べてみました.比較的わかりやすくて短めだった2点を引用しましょう.
speech act theory A theory associated with the work of the British philosopher J. L. Austen, in his 1962 book How to do things with words, which distinguishes between three facets of a speech act: the locutionary act, which has to do with the simple act of a speaker saying something; the illocutionary act, which has to do with the intention behind a speaker's saying something; and the perlocutionary act, which has to do with the actual effect produced by a speaker saying something. The illocutionary force of a speech act is the effect which a speech act is intended to have by the speaker. (Trudgill 125)
speech act A term derived from the work of the philosopher J. L. Austin (1911--60), and now used widely in linguistics, to refer to a theory which analyses the role of utterances in relation to the behaviour of speaker and hearer in interpersonal communication. It is not an 'act of speech' (in the sense of parole), but a communicative activity (a locutionary act), defined with reference to the intentions of speakers while speaking (the illocutionary force of their utterances) and the effects they achieve on listeners (the perlocutionary effect of their utterances). Several categories of speech act have been proposed, viz. directives (speakers try to get their listeners to do something, e.g. begging, commanding, requesting), commissives (speakers commit themselves to a future course of action, e.g. promising, guaranteeing), expressives (speakers express their feelings, e.g. apologizing, welcoming, sympathizing), declarations (the speaker's utterance brings about a new external situation, e.g. christening, marrying, resigning) and representatives (speakers convey their belief about the truth of a proposition, e.g. asserting, hypothesizing). The verbs which are used to indicate the speech act intended by the speaker are sometimes known as performative verbs. The criteria which have to be satisfied in order for a speech act to be a successful are known as felicity conditions. (Crystal 446)
関連して本ブログより以下の記事もご参照ください.
・ 「#2665. 発話行為の適切性条件」 ([2016-08-13-1])
・ 「#2674. 明示的遂行文の3つの特徴」 ([2016-08-22-1])
・ 「#2831. performative hypothesis」 ([2017-01-26-1])
・ 「#1646. 発話行為の比較文化」 ([2013-10-29-1])
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
昨晩18:00に YouTube の第6弾が公開されました.Would you...?などの間接的な依頼の仕方は英語特有--しかもわりと最近の英語の特徴【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #6 】です.今回は話題が英語のポライトネスから英語史へとダイナミックに切り替わっていきますので,知的興奮を覚える方もいらっしゃるのではないかと.
井上逸兵(著)『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』(筑摩書房〈ちくま新書〉,2021年)では,英語の思考法の根幹には「独立」「つながり」「対等」の3本柱があると主張されています(「#4526. 井上逸兵(著)『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』」 ([2021-09-17-1]) を参照).
その1つの現われとして,英語では,相手に何かを依頼・勧誘する際に,相手のプライバシーになるべく踏み込まないよう,法助動詞を用いた疑問文の形でポライトに表現するという傾向があります.動画でも取り上げられた Would you . . . ? が典型ですが,他にも Will you . . . ?, Could you . . . ?, Can you . . . ? などがありますし,Won't you . . . ? などの否定バージョンもあります.それぞれの丁寧度は異なりますし,イントネーションや文脈によっては,むしろ失礼となる場合もあるので,実はなかなか使いにくいところもあります.しかし,背景にある基本的な考え方は,相手に直接命令するのではなく,相手の意向・能力を問う疑問文の体裁をとっているということです.相手にイエスかノーかを答える自由を委ねている,相手の独立を尊重してあげている,という点に英語流のポライトネスがあるのだ,ということです.
ただし,英語史的にみると,このような英語的なポライトネス表現がどれだけ古くからあったのかを見極めることは,必ずしも簡単ではありません.近代以降の意外と新しい表現である可能性もあるのです.
今回は Will you . . . ? に対象を絞ってみます.それらしき例文は後期古英語から挙がってきますし,中英語でもチラホラとみられます.OED の will, v.1 の語義8bより抜粋しましょう.
b. Expressing a request in the second person, in the interrogative or in a subordinate clause after a verb such as beg.
Such a request is usually courteous, but when given emphasis, it is impatient.
This construction implies a first person response: 'I beg that you will excuse this' implies 'I will excuse it'.
. . . .
lOE St. Margaret (Corpus Cambr.) (1994) 166 Wilt þu me get geheran and to minum gode þe gebiddan?
?a1300 Fox & Wolf l. 186 in G. H. McKnight Middle Eng. Humorous Tales (1913) 33 Þou hauest ben ofte min I-fere, Woltou nou mi srift I-here?
c1390 Pistel of Swete Susan (Vernon) l. 135 Wolt þou, ladi, for loue, on vre lay lerne?
1485 Malory's Morte Darthur (Caxton) i. vi. sig. aiiiiv Sir said Ector vnto Arthur woll ye be my good & gracious lord when ye are kyng.
. . . .
MED の willen v.(1)の語義18aのもとにも,いくつかの例が挙げられています.
このように見てくると,依頼・勧誘の Will you . . . ? は古英語や中英語のような古い時期からあったと考えられそうですが,これらの例が現代と同等の依頼・勧誘の発話行為を表わしていたかどうかは,一つひとつ文脈に戻って慎重に確かめる必要があります.純粋に相手の意志を問う疑問文ではなく,話者による依頼・勧誘の発話行為を表わす文であることを,文脈を精査して認定する必要があるのです.そして,疑問か依頼・勧誘かは語用論的にグラデーションをなしているので,一方ではなく他方だと断言することは,イントネーションなどが復元できない文献資料ベースの研究にあっては,なかなか困難なことなのです.
このように慎重な姿勢を取るならば,現代的な依頼・勧誘の Will you . . . ? は,その種こそ中英語(あるいはさらに遡って古英語)に求められそうですが,本格的に用いられ出したのはもっと後のことであるという可能性が残ります.この問題については,すでに「#3632. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例」 ([2019-04-07-1]),「#3637. 依頼を表わす Will you . . . ? の初例 (2)」 ([2019-04-12-1]) でも論じてきましたので,そちらも参照ください.
昨日,井上逸兵さんとの YouTube の第4弾が公開されました.pleaseの使いすぎはキケン!?ーコミュニケーションの社会言語学【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #4 】と題するおしゃべりですが社会言語学 (sociolinguistics) という分野について概観してみました.
社会言語学は井上氏と私が関心を共有する分野です.そもそも英語史研究は伝統的に,扱う時代の社会的・文化的な背景を考慮するのが一般的です.言語と社会の関係を考察する社会言語学とは本質的に相性がよいのです.20世紀後半より社会言語学が理論的に成熟してくると,英語史研究もその成果を取り込み,新たな可能性が開かれてきました.とりわけ言語項の社会的な変異の存在を前提とする "variationist" な言語観は,社会言語学から生み出されたもので,昨今の英語史研究でも一般的に採用されています.
社会言語学の取り上げる話題は多岐にわたります.「#2545. Wardhaugh の社会言語学概説書の目次」 ([2016-04-15-1]) などを概観すると,カバーする範囲の広さが分かると思います.言語と方言,標準化,地域方言,社会方言,レジスター,リンガ・フランカ,ピジン語,クレオール語,ダイグロシア,2言語使用,多言語使用,コードスイッチング,アコモデーション,言語変化,サピア=ウォーフの仮説,プロトタイプ,タブー,婉曲表現,おしゃべり,呼称,ポライトネス,発話行為,協調の原理,ジェンダー,言語差別,言語権,言語計画など,キーワードを挙げ始めると止まりません.英語史でも,これらの各々を念頭において研究することが可能です.
今回の YouTube では,ミクロとマクロの社会言語学に触れました.ミクロな社会言語学では,例えば典型的に2人の間の相互行為 (interaction) に注目するようなアプローチが取られます.語用論にも接近することが多いです.一方,マクロな社会言語学では,2人にとどまらず言語共同体というより大きな単位で言語と社会の関係をとらえようとします.しかし,井上氏も私も,両者は地続きだという考え方をしています.
社会言語学のミクロとマクロについては,以下の記事も参照してください.
・ 「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1])
・ 「#1623. セネガルの多言語市場 --- マクロとミクロの社会言語学」 ([2013-10-06-1])
・ 「#2005. 話者不在の言語(変化)論への警鐘」 ([2014-10-23-1])
・ 「#3204. 歴史社会言語学と歴史語用論の合流」 ([2018-02-03-1])
社会言語学に関心をもった方は,ぜひ「#1480. (英語)社会言語学概説書の書誌」 ([2013-05-16-1]) よりいずれかの概説書を手に取ってみてください.
昨日,井上逸兵さんとの YouTube の第3弾が公開されました.今回は井上編です.いかにして若き井上青年は言語に関心をもったのか? 必殺営業トークは言語学のネタになるのか?!・「英語学への入り口(井上編)」をご覧ください.
今回のおしゃべりのキーワードは「意味の復権」だと思っています.言語やコミュニケーションの要諦は,意味を伝え合うことのはずです.ところが,近代言語学においては意味の研究は避けられきたのです.発音や文字は耳に聞こえ目に見えるので調べようがあります.ところが,意味はどうにも捉えどころがないので,研究したいとしても方法がなく,後回しになってしまうのです.
言語学の歴史をひもとくと,やはり意味の扱いは常に弱かったことが分かります.しかし,言語にとって本質的である「意味」の議論がなくなったら,言語学もおしまいのはずです.ですので,低調ではあれ,やはり意味の議論は続いていました.「#1686. 言語学的意味論の略史」 ([2013-12-08-1]) を読んでいただきたいのですが,低調ながらも,形に対する意味の側からの主張は抵抗は,確かに存在し続けました.
その我慢の結果といってよいのでしょうか,アンチの台頭といってよいのでしょうか,ついに1970年代くらいから,形ではなく意味を本拠とする言語理論が次々と現われてきました.認知意味論 (cognitive_linguistics) や語用論 (pragmatics) といった,新しいタイプの意味論 (semantics) です.こうして,意味研究が復権してきました.
「意味論」は英語で semantics と言います.複数形の -s が語尾についています.私は常々思うのですが,19世紀以来,低調ながらも様々な「意味論s」が生まれてきたわけですが,古い意味論の上に新しい意味論が乗っかって累積してきたという形での発展というよりは,古い意味論と新しい意味論が横並びになって発展してきたように思うのです.文字通りの複数形の「意味論s」です.
こうして意味研究が言語学に(よくぞ)戻ってきたわけですが,私の趣味としては,様々な「意味論s」が併存していることが非常におもしろいなぁと思って眺めています.
分野別に整理された書誌を専門家が定期的にアップデートしつつ紹介してくれる Oxford Bibliographies より,"Semantic-Pragmatic Change" の項目を参照した(すべてを読むにはサブスクライブが必要).この分野の重鎮といえる Elizabeth Closs Traugott による選で,最新の更新は2020年12月8日となっている.副題に "Your Best Research Starts Here" とあり入門的書誌を予想するかもしれないが,実際には専門的な図書や論文も多く含まれている. *
今回はそのイントロを引用し,この分野の研究のあらましを紹介するにとどめる.
Semantic change is the subfield of historical linguistics that investigates changes in sense. In 1892, the German philosopher Gottlob Frege argued that, although they refer to the same person, Jocasta and Oedipus's mother, are not equivalent because they cannot be substituted for each other in some contexts; they have different "senses" or "values." In contemporary linguistics, most researchers agree that words do not "have" meanings. Rather, words are assigned meanings by speakers and hearers in the context of use. These contexts of use are pragmatic. Therefore, semantic change cannot be understood without reference to pragmatics. It is usually assumed that language-internal pragmatic processes are universal and do not themselves change. What changes is the extent to which the processes are activated at different times, in different contexts, in different communities, and to which they shape semantic and grammatical change. Many linguists distinguish semantic change from change in "lexis" (vocabulary development, often in cultural contexts), although there is inevitably some overlap between the two. Semantic changes occur when speakers attribute new meanings to extant expressions. Changes in lexis occur when speakers add new words to the inventory, e.g., by coinage ("affluenza," a blend of affluent and influenza), or borrowing ("sushi"). Linguists also distinguish organizing principles in research. Starting with the form of a word or phrase and charting changes in the meanings of that the word or phrase is known as ???semasiology???; this is the organizing principle for most historical dictionaries. Starting with a concept and investigating which different expressions can express it is known as "onomasiology"; this is the organizing principle for thesauruses.
意味・語用変化の私家版の書誌としては,3ヶ月ほど前に「#4544. 英単語の意味変化と意味論を研究しようと思った際の取っ掛かり書誌(改訂版)」 ([2021-10-05-1]) を挙げたので,そちらも参照されたい.
皆様,今年も「hellog?英語史ブログ」のお付き合い,ありがとうございました.よいお年をお迎えください.
ローマン・アルファベットを用いる言語では,引用箇所や強調部分など,ある部分を特別に際立たせるためにしばしばイタリック体 (italics) が用いられる.通常のローマン体で書かれた文字列のなかで細身のイタリック体はよく目立つからである.書体の語用論的使用法といってよいだろう(cf. 「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1])).
イタリック体は,1501年に当時の写本書体に基づく新書体としてベネチアで現われた.紙が高価だった当時,細身で経済的な書体として生み出されたのである.しかし,イタリック体は当初から際立ちを与えるために用いられたわけではない.際立ちのために使用は,16世紀後半のフランスでの新機軸という.それがイングランドにも伝わり,1611年の欽定訳聖書 (Authorised Version) において挿入文の書体として用いられるに及び,広く受け入れられるに至った.後期近代にはイタリック体の使いすぎに不満を漏らす者も現われたようで,それほどまでに使用が一般化していたということになる.
上記は Daniels (68--69) を読んで初めて知ったことである.欽定訳聖書が英語書記におけるイタリック体使用の慣習確立に一役買っていたいう事実には,特に驚かされた.同聖書の英語史上の意義の大きさを改めて確認した次第である.
・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
ローマン・アルファベットを用いる言語では,引用箇所や強調部分など,ある部分を特別に際立たせるためにしばしばイタリック体 (italics) が用いられる.通常のローマン体で書かれた文字列のなかで細身のイタリック体はよく目立つからである.書体の語用論的使用法といってよいだろう(cf. 「#574. punctuation の4つの機能」 ([2010-11-22-1])).
イタリック体は,1501年に当時の写本書体に基づく新書体としてベネチアで現われた.紙が高価だった当時,細身で経済的な書体として生み出されたのである.しかし,イタリック体は当初から際立ちを与えるために用いられたわけではない.際立ちのために使用は,16世紀後半のフランスでの新機軸という.それがイングランドにも伝わり,1611年の欽定訳聖書 (Authorised Version) において挿入文の書体として用いられるに及び,広く受け入れられるに至った.後期近代にはイタリック体の使いすぎに不満を漏らす者も現われたようで,それほどまでに使用が一般化していたということになる.
上記は Daniels (68--69) を読んで初めて知ったことである.欽定訳聖書が英語書記におけるイタリック体使用の慣習確立に一役買っていたいう事実には,特に驚かされた.同聖書の英語史上の意義の大きさを改めて確認した次第である.
・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
if you like/choose/prefer/want/wish/will という表現は,if you wish it to be so called 「こう言ってよければ」ほどの意味で,挿入句として口語でよく用いられる.形式的には if を用いた条件節だが,論理的に帰結節の内容と結びつくわけではなく,あくまでメタ言語的に用いられる.3つほど例文を挙げてみよう.
・ It was, if you like, an error of judgment.
・ He, or She, if you prefer, could do better than that.
・ Music, if you will, is medicine.
このような語用論的な使い方の「if you + 選択動詞」構文を,Brinton (273) は "if-EC" (= if-elliptical clause) と呼んでいる.この構文の発生は比較的新しく,後期近代英語のことらしい.その原型として Call it cruelty if you like, not mercy. のような "call it X" 構文があったのではないかと提案している.構文化 (constructionalisation) を念頭に置いた議論だが,Brinton (290) の論考の結論部を引用しよう.
In conclusion, elliptical if-ECs --- if you choose/like/prefer/want/wish --- all serve metalinguistic and politeness functions in PDE; like and prefer are particularly common in these functions. The clauses make their appearance in the LModE period. Semantically the metalinguistic meanings of if-ECs can be seen as developing from the concrete propositional meaning 'if you choose to do X'. The syntactic derivation of these clauses is problematic, however, because it is impossible to trace their origin back to bipartite (protasis-apodosis) structures where the valency of the verbs is complete. Reconstruction of the complement of the verb in the if-clause proves difficult because of the varied complement structures found historically and the rarity of such structures with metalinguistic meaning. While if-ECs in their propositional meaning typically occur with an explicit apodosis (if you want, open the window), apodoses never occur when the if-ECs function metalinguistically (it's large, even gargantuan, if you wish [*you may say so]). Despite its rather late attestation, a more plausible source for the if-EC is the 'call it X' pattern, which is inherently metalinguistic. Metalinguistic if-ECs may result from constructionalisation of the 'call it X' pattern in conjunction with explicitly metalinguistic if you V- clauses.
語用論と統語論の接点に関する問題の好例というべき話題である.
・ Brinton, Laurel. "If you choose/like/prefer/want/wish: The Origin of Metalinguistic and Politeness Functions." Late Modern English Syntax. Ed. Marianne Hundt. Cambridge: CUP, 2014. 271--90.
「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) と「#4575. and が表わす3種の意味」 ([2021-11-05-1]) に引き続き,接続詞 (conjunction) の意外な多義性 (polysemy) に関する第3弾.or という基本的な接続詞にも「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種の用法が確認される (Sweetser (93--95)) .
(1) Every Sunday, John eats pancakes or fried eggs.
(2) John will be home for Christmas, or I'm much mistaken in his character.
(3) Have an apple turnover, or would you like a strawberry tart?
上記 (1) は「現実世界の読み」の例である.or の基本義といってよい論理的な二者択一の例となる.毎日曜日にジョンがパンケーキ,あるいは目玉焼きを食べるという命題だが,現実にはたまたまある日曜日にパンケーキと目玉焼きをともに食べたとしても,特に矛盾しているとは感じられないだろう.ただし,毎日曜日に必ず両者を食べるという場合には,or の使用は不適切である.
(2) は「認識世界の読み」となる.話者はジョンがクリスマスに帰ってくることを確実であると「認識」している.もしそうでなかったら,話者はジョンの性格を大きく誤解していることになるだろう.文の主旨は,ジョンの帰宅それ自体というよりも,それに関する話者の確信の表明にある.
(3) は「発話行為世界の読み」の例となる.話者はアップルパイかイチゴタルトを勧めるという発話行為を行なっている.いずれかを選ぶように迫っている点で,一見すると論理的な二者択一のようにもみえるかもしれないが,そもそも or で結ばれた2つの節は何らかの命題を述べているわけではない.形式としては命令文,疑問文で表現されていることから分かるとおり,勧誘という発話行為(=勧誘)が行なわれているのである.
or の多義性について上記のような観点から考えたことはなかったので,とても興味深い.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
「#4569. because が表わす3種の理由」 ([2021-10-30-1]) でみたように,because という1つの接続詞に「現実世界の読み」「認識世界の読み」「発話行為世界の読み」の3種があり,英語話者はそれらを半ば無意識に使い分けていることをみた.3つの世界の間を自由自在に行き来しながら,同一の接続詞を使いこなしているのである.
まったく同じことが,さらに基本的な接続詞である and についてもいえるという.Sweetser (87--89) より,3つの世界の読みを表わす例文を引用しよう.
(1a) John eats apples and pears.
(1b) John took off his shoes and jumped in the pool.
(2) Why don't you want me to take basketweaving again this quarter?
Answer: Well, Mary got an MA in basketweaving, and she joined a religious cult. (...so you might go the same way if you take basketweaving).
(3) Thank you, Mr Lloyd, and please just close the door as you go out.
(1a) と (1b) は,and の最も普通の解釈である「現実世界の読み」となる例文である.(1a) と (1b) の違いは,前者はリンゴと梨を単純に接続しており,通常の読みでは順序を反転させても現実の命題に影響を与えないのに対して,後者は and で結ばれている2つの節の順序が重要となる点だ.(1b) においては,ジョンは靴を脱いだ後にプールに飛び込んだのであり,プールに飛び込んだ後に靴を脱いだのではない.この and は,時間・順序の観点から現実と言語の間の図像性 (iconicity) を体言しているといえる.だが,現実世界における何らかの接続が and によって示されている点は,両例文に共通している.
(2) では,答えの文においてコンマに続く and が現われている.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,(私が考えるところでは,それが原因となって)カルト宗教団体に入団した,という読みとなる.メアリーは楽ちん分野の修士号を取り,その後でカルト宗教団体に入団した,という時間的順序は,確かに (1b) と同様に含意されるが,ここでは時間的順序に焦点が当てられているわけではない.むしろ,話者が2つの節の間に因果関係をみていることが焦点化されている.話者は(コンマ付き) and により認識上のロジックを表現しているのだ.
(3) では,感謝と依頼という2つの発話行為 (speech_act) が and (やはりコンマ付き)で結びつけられている.ここでは現実世界や認識世界における何らかの接続が言語化されているわけではなく,あくまで発話行為の接続が表わされている.
前回の because のケースに比べると,and の「3つの世界の読み」の区別は少々分かりにくいところがあるように思われるが,それぞれ and の「意味」が異なっていることは感じられるのではないか.Sweetser の狙いは,1つの接続詞で「3つの世界の読み」をまかなえることを because だけではなく and でも例証することによって,この分析の有効性を高めたいというところにあるのだろう.
・ Sweetser, E. From Etymology to Pragmatics. Cambridge: CUP, 1990.
英語史研究において,古英語の The Anglo-Saxon Chronicle の伝統を引くテキストの中でも The Peterborough Chronicle (pchron) というヴァージョンの存在意義は大きい.古英語の最も遅い時代(実際,後半部分は中英語にさしかかっている)のテキストであるということ,そして後半部分に書かれている英文は必ずしも後期ウェストサクソン標準語に縛られておらず,同時代の英語を表わしているという点で,言語変化の著しかった当時の言語を反映しているとされる希少なテキストであるということが,その理由である.詳しくは「#721. The Peterborough Chronicle の英語史研究上の価値」 ([2011-04-18-1]),「#722. The Peterborough Chronicle の統語論の革新性と保守性」 ([2011-04-19-1]) を参照されたい.
実際に Peterborough Chronicle を読んでいると,いわゆる "The First Continuation" と "The Second Continuation" と呼ばれる全体の後半部分については,前半部分である "The Copied Annals" と比べて,英語のモードがガラッと変わったという印象を強く受ける.写本上の筆跡,文体,英語の体系が目に見えて変わるのだが,それだけではない.記述されている内容や,書き手のテキストに対する関心や態度という根幹部分までもが大きく変化している.
このギャップと違和感の原因について,Watt が丁寧に議論している.Watt (80) は,Peterborough Chronicle の "The First Continuation" と "The Second Continuation" をとりわけ念頭に置きつつ,中英語への過渡期にあって,古英語期から続く The Anglo-Saxon Chronicle の伝統が変容したことを,テキストに観察される次の事実に基づいて指摘している.
- longer and less easily memorised annals
- a move towards more narrative structure with the increasing use of metapragmatic linguistic expressions to effect narrative evaluation: that is, an increase in inscribed orality ending, as we have seen, in the narrator-centred history of the Second Continuation
- an increase, particularly in the Peterborough Chronicle, in the focus on local rather than national topics
- an empathetic, critical narrative persona, particularly in the First and Second Continuations of the Peterborough Chronicle
- an overt sympathy for common people, especially in the Second Continuation
原文を読んだことのある者にとって,たいへん納得できる指摘ではないだろうか.ここで述べられているのは,2つの "The Continuations" が,その前に置かれている "The Copied Annals" とは異なり,国の公式な記録であることをやめ,地域の個人的な記録へと変容しているということだ.これ以降の中英語期には,国としての歴史は原則として大陸諸国と同様にラテン語で書かれることになり,英語では書かれなくなるのだが,公式言語としての英語の衰退が,このテキスト後半部分から匂い立つ私的な性格に予見されているように思われる."The Continuations" は形式的には前時代からの惰性として英語で書かれており,一見すると継続性を認めることができそうだが,その内容も文体も言語も本質的に私的な方向へ変容しており,むしろそこに見られるのは断絶であると Watts は主張する.
上で「私的」という言い方をしたが,正確にいえば Watts (58) が持ち出しているのは,「#230. 話しことばと書きことばの対立は絶対的か?」 ([2009-12-13-1]) で紹介した Koch and Oesterreicher の理論でいうところの「近いことば」 (Sprache der Nähe; immediacy) である.「遠いことば」で書かれていた古英語の The Anglo-Saxon Chronicle が,The Peterborough Chronicle の後半分にあっては「近いことば」に変容している,というのが Watts の主張である.
・ Watts, Richard J. Language Myths and the History of English. Oxford: OUP, 2011.
・ Koch, Peter and Wulf Oesterreicher. "Sprache der Nähe -- Sprache der Distanz: Mündlichkeit und Schriftlichkeit im Spannungsfeld von Sprachtheorie und Sprachgeschichte." Romanistisches Jahrbuch 36 (1985): 15--43.
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