[2012-05-23-1]の記事で紹介した「#1122. 協調の原理」 (the Cooperative Principle) は,語用論における重要な原理として広く認められており,直感や会話の実際にも沿うものである.しかし,それを遵守することが話し手と聞き手のあいだで暗黙のうちに前提とされているのはなぜだろうか.協調の原理には,合理的な根拠があるのだろうか.
経験から導かれる答えは以下のようなものだろう.人々は協調の原理にもとづいて行動している.子供の頃からそのように行動しているし,大人になってからもその習慣を捨てていない.むしろ,この習慣から大きく逸脱するには多大な労力が必要だろう.例えば,質の公理に従って真実を述べ続けることのほうが,嘘をつき続けるよりも楽なはずである.しかし,この回答は,惰性により習慣を守り続ける説明にはなっていても,協調の原理がなぜ最初に存在するのかの合理的な説明にはなっていない.
Grice は,協調の原理を最初に提起した1975年の論文(1989年の論文集で再掲された)で,合理性の問題を論じている.Grice は,当初,談話における協調の原理を,他の人間活動にもみられるような契約の一種としてとらえた.談話の参加者は,ある目的を共有し,その目的を達成するために互いに貢献し合い,しばしば暗黙のうちにそのやりとりを打ち切る合意ができるまで継続する.
目的達成のための暗黙の契約であるとするこの見方は,確かに合理的ではあるが,これが当てはまらないやりとりは数多く存在する.例えば,口喧嘩や手紙を書くという行為は,共通の目的を達成するための契約という考え方とどのように関わり合うのか不明である.そこで,Grice は次のように考え直した.
So I would like to be able to show that observance of the Cooperative Principle and maxims is reasonable (rational) along the following lines: that anyone who cares about the goals that are central to conversation/communication (such as giving and receiving information, influencing and being influenced by others) must be expected to have an interest, given suitable circumstances, in participation in talk exchanges that will be profitable only on the assumption that they are conducted in general accordance with the Cooperative Principle and the maxims. (29--30)
先の契約論では参加者の共通の目的が強調されていたが,新しい説では必ずしも共通で同一の目的は仮定されておらず,極端な場合には参加者によって具体的な目的の異なっていることもありうるだろう.より一般的な "the goals that are central to conversation/communication" が共有されていさえすればよい.これは,より自己中心主義の説ということができるかもしれない.なお,Grice も,この説はいまだ仮説の段階であるとしている.
Grice の協調の原理は言語学というよりも哲学の議論から生じてきたものであり,原理の見かけは単純だが,原文に戻るとなかなか難解である.
・ Grice, Paul. "Logic and Conversation." Studies in the Way of Words. Cambridge, Mass.: Harvard UP, 1989. 22--40.
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