flat_adverb に関連して,強意副詞として用いられる real bad や mighty hungry や pretty cold などの表現について調べながら,ずっと考えていたことだが,この real と日本語の「すごい」の強意副詞的な用法とがすごいよく似ている.類似点を列挙すると,以下の通り.
(1) 程度のはなはだしいことを示す強意の副詞として用いられる
(2) 形容詞が,語幹のままの形態(終止・連体形)で副詞(連用修飾)として用いられる
(3) 口語,俗語として広く行なわれており,規範の立場からは非標準とされる
日本語の口語において「すごい楽しい」がすでに市民権を獲得していることは改めて指摘するまでもない.書き言葉には使えないという規範意識はあるものの,話し言葉での使用について強く非難すべき時代は過ぎているように思う.
上の3点は,近年の「すごい」のみに当てはまる特徴ではない.増井 (78) を引用しよう.
このように「すごい」は「規則に反して新しく使われ始めた表現と考えられるわけであるが,「すごく」の代わりに「すごい」を用いるのは最近ではあっても,それによく似た例は近世や近代にも見られるものであった。
この「形容詞終止連体形の副詞的用法」は,「程度のはなはだしさ」を表わす形容詞の中に見られる用法である。
現代語において「程度のはなはだしさ」を表わし,連用形の形で形容詞・形容動詞などを修飾する形容詞として「えらい」,「おそろしい」,「すごい」,「すさまじい」,「すばらしい」,「ひどい」,「ものすごい」といった語が挙げられる。このうちほぼ無条件で形容し・形容動詞などを修飾可能なものとなると「えらい」,「おそろしい」,「すごい」,「ものすごい」に限られる。
増井は,近世,近代における上方での「えらい」と「おそろしい」の連用修飾用法を実証的に調査した.それによると (82) ,寛政期に「ゑらう」に代わって用言を修飾する「ゑらい」が現われ,後者は幕末には前者と肩を並べるほどに成長した.特に「ゑらい美(うま)い」のように,形容詞終止連体形を修飾する場合には語調の都合でか,「ゑらい」のみが用いられた.しかし,昭和の初め頃には,「えろう」の勢力は完全に後退した.一方,「おそろしい」については,明治・大正期に「おそろしく」の代わりに用いられた例がみられるが,現代にはつながらずに終わった.「おそろしい」の衰退については,この形容詞には本来の「恐い」という語義が強く残っていたために,程度のはなはだしさを表わす用法は副次的にとどまらざるを得なかったのではないかと,増井は論じている.
「ゑらい」と「おそろしい」の発達の差は,[2012-01-14-1]の記事「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」で取り上げた,意味の漂白化 (bleaching) と関連しているようにみえる.「ゑらい」では意味が漂白して純粋な強意語となったが,「おそろしい」では原義が色濃く残っており,強意語へと漂白しきれなかったということではないか.意味特性のほかには,漂白化に成功した「えらい」は「おそろしい」の5音節に比べて3音節と短いことが関与しているかもしれない.「すごい」も3音節である.語呂のよさや口語らしさということでいえば,短いほうが調子が出そうだ.
「えらい」「おそろしい」の発達についての結論として,増井 (84--85) はこう述べている.
言語変化は,より安易で単純な方向に進むとされるが,その言語変化の一環として形容詞の無活用化がみられ,その流れの中で右のような用法が出てきたとする考え方もあろう。しかし,右の終止連体形の副詞的用法は形容詞一般にみられるものではなく,「程度のはなはだしさ」を強調する場合にのみ現われることを考えると,単に,「安易で単純な方向に流れて無活用化したもの」ということで片付づけるにはためらいがある。むしろ,強調効果を高めるために意図的に終止連体形を用いたものと考えたい。「えらう」「おそろしく」と活用変化させた形より,原形である「えらい」「おそろしい」の形の方が強い印象が与えられるという意識が働いた結果ではないかと私は考える。
副詞(連用形)に対して形容詞(終止・連体形)のもつ力強さについては,昨日の記事「#996. flat adverb のきびきびした性格」 ([2012-01-18-1]) をはじめ ##983,993,995 で議論済みである.上でみた (1), (2), (3) の特徴,すなわち強い意味,形態の単純さ,口語らしさは,いずれも「きびきびした性格」としてまとめられる.real bad と「すごいヤバい」における flat adverb の精神は,ここにありだ.
最後に,「すごい」の語法問題に対する,井上ひさし氏の回答を参照しよう (238) .鋭い意見だと思う.
なぜ,「すごい楽しい」という言い方が流行しているのかを考えてみると,まず,「程度が並々でない」のを表わす形容詞であることが大きい。並々でないことを強調しようとして,つい,すこしばかり破格の表現をとってしまったと考えられます。また,わたしたちは,いつも新しい言い方を求めていますから,その好みにあっているのかもしれません。そして,なによりも,わたしたちは,「正しい言い方」の味気なさを知っています。これは,その味気ない正しさへの,ちょっとした悪戯なのかもしれない。
・ 増井 典夫 「形容詞終始連体形の副詞的用法 ---「えらい」「おそろしい」を中心に ---」 『国語学研究』第27号 東北大学「国語学研究」刊行会,1987年.77--86頁.
・ 井上 ひさし 『井上ひさしの日本語相談』 新潮社,2011年.
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