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adverb - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-04-19 09:34

2012-01-13 Fri

#991. 副詞としての very の起源と発達 (2) [etymology][semantic_change][conversion][adverb][adjective][flat_adverb][intensifier][metanalysis]

 昨日の記事[2012-01-12-1]に引き続き,強意の副詞 very の歴史について付言.昨日は,very が統語的に形容詞とも副詞ともとれる環境こそが,副詞用法の誕生につながったのではないかという Mustanoja の説を紹介した.MED も同様に考えているようで,"verrei (adj.)" の語源欄にて,解釈の難しいケースがあることに触れている.

When verrei adj. precedes another modifier, it is difficult if not impossible to distinguish (a) the situation in which both function as adjectives modifying the noun, from (b) that in which the modifier nearest the noun forms a syntactic compound with it (which compound is modified by verrei) and from (c) that in which verrei functions as an adverb modifying the adjective immediately following; some exx. of (a) and (b) now in this word may = (c) and belong to verrei adv.


 例えば,a verrai gentil man という句で考えれば,(a) の読みでは "a true gentle man",(b) では "a true gentleman",(c) では "a truly gentle man" という現代英語の表現に示される統語構造の解釈となる.この種の境目のあいまいな構造から,異分析 (metanalysis) の結果,副詞としての very が発達したと考えられる.
 しかし,ここで起こったのは形容詞から副詞への品詞転換 (conversion) にすぎず,「真実,本当」という原義はいまだ保持していた.とはいえ,「真実に,本当に」の原義から「とても,非常に」の強意の語義への道のりは,きわめて近い.語義間の差の僅少であることは,MED "verrei (adv.)" の 2 の (a) から (d) に与えられている語義のグラデーションからもうかがい知れる.各語義を表わす例と文脈を見比べても,互いに意味がどう異なるのか,にわかには判断できない.
 「真実に」か「とても」かの僅差を実感するには,今日でも用いられる手紙の "sign-off" の文句の例が適当だろう.very の副詞としての用法が発達した初期の例として,Paston Letters の締めの文句 Vere hartely your, Molyns がある.ここでは hartely は "sincerely, affectionately" ほどの意で,vere は「真実に」の原義と,単純に強意を示す「とても」の語義とが共存している例と解釈したい (Room 278) .
 以上のように,very は,フランス語形容詞の借用→形容詞「真実の」→副詞「真実に」→副詞「とても」へ,用法と語義を発展させてきた.しかし,現在,発展の最終段階ともいうべきもう1つの変化が進行中である.それは強意語の宿命ともいえる意味変化なのだが,肝心の強意がその勢いを弱めてきているというものである.以下は,シップリーの mere の項で触れられているコメント.

very (非常に)はほとんど力のない言葉になってしまった。I'm very glad to meet you. (お会いできてとてもうれしい)は,I'm glad to meet you. (お会いできてうれしい)よりも,しばしば誠意に欠ける表現となることがある。


 very の意味変化には,語の一生のドラマが埋め込まれている.いや,一生というには時期尚早だろう.なんといっても,very は,今,最盛期にあるのだから.

 ・ ジョーゼフ T. シップリー 著,梅田 修・眞方 忠道・穴吹 章子 訳 『シップリー英語語源辞典』 大修館,2009年.
 ・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.

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2012-01-12 Thu

#990. 副詞としての very の起源と発達 (1) [etymology][semantic_change][conversion][adverb][adjective][flat_adverb][intensifier][metanalysis]

 [2012-01-04-1]の記事「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb」で,本来,形容詞である goodreal が,主として米口語で副詞として用いられるようになってきていることに触れた.形容詞から副詞へ品詞転換 (conversion) した最も有名な例としては,強意語 very を挙げないわけにいかない.
 very は,現代英語で最頻の強意語といってよいだろう.Frequency Sorter によれば,BNC における very の総合頻度は86位である.しかし,この語が強意の副詞として本格的に用いられ出したのは15世紀以降であり,中英語へ遡れば主たる用法は「真の,まことの,本当の」を意味する形容詞だった.それもそのはずで,この語は古フランス語の同義の形容詞 ve(r)rai を借用したものだからである(現代フランス語では vrai).英語での初例は,c1275.この語義は,in very truth, Very God of very God などの慣用句中に残っている.14世紀末には,定冠詞や所有格代名詞を伴って「まさにその,全くの」を意味する強意語としても用いられ始め,この用法は現代英語の the very hat she wanted to get, at the very bottom of the lake, do one's very best などにみられる.
 一方,早くも14世紀前半には,上記の形容詞に対応する副詞として「真に,本当に」の語義で very の使用が確認されている.なぜ形容詞から副詞への転換が生じたかという問題を解く鍵は,that is a verrai gentil man (Gower CA iv 2275), he was a verray parfit gentil knyght (Ch. CT A Prol. 72), this benigne verray feithful mayde (Ch. CT E Cl. 343) などの例に見いだすことができる.ここでの very の用法は,続く形容詞と同格の形容詞である.しかし,意味的にも統語的にも,第2の形容詞を強調する副詞と解釈できないこともない.つまり,異分析 (metanalysis) が生じたと疑われる.このような句が慣習的に行なわれるようになると,修飾されるべき名詞がない統語環境ですら very が形容詞に先行し,完全な副詞として機能するに至ったのではないか.また,verray penitentverray repentaunt などのように,very が,名詞的に機能しているとも解釈しうる形容詞を修飾するような例も,この品詞転換の流れを後押ししたと考えられる.そして,15世紀には強意の副詞として普通になり,16世紀後半までにはそれまで典型的な強意の副詞であった full, right, much を追い落とすかのように頻度が高まった.
 以上,Mustanoja, pp. 326--27 を参考に記述した.1つの説得力のある議論といえるだろう.中英語で用いられた他の多くの強意副詞も,その前後のページで細かく記述されているので参考までに.
 考えてみれば,[2012-01-04-1]でみた現代米口語の副詞的 real もかつての ve(r)rai と同様,フランス借用語であり,かつ「真の,まことの,本当の」を意味する形容詞である.a real good soundtrack などの表現をみるとき,上述の Mustanoja の very に関する議論がそのまま当てはまるようにも思える.歴史が繰り返されているかのようだ.

 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2012-01-06 Fri

#984. flat adverb はラテン系の形容詞が道を開いたか? [adverb][adjective][flat_adverb][latin][loan_word][suffix][-ly]

 flat adverb の起源については,[2009-06-07-1]の記事「#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か?」や[2012-01-03-1]の記事「#981. 副詞と形容詞の近似」で簡単に触れてきた.古英語では,形容詞の基体に語尾 -e が付加されて副詞として機能したが,その -e 語尾自体が音消失にさらされて結果的に無に帰したために,形容詞と同形の副詞が生まれることになった.これが,flat adverb の形態的な起源である.中英語以降,明示的な副詞語尾としての -ly の生産性も高まってきたが,flat adverb も決して廃れることなく,現在にまで存続している.
 以上が flat adverb の概略的な歴史だが,ここに興味深い問題がある.flat adverb は現在ではたいてい日常語・口語・俗語の響きを伴うが,このような register 上の特徴は歴史上いかにして生じてきたのだろうか.flat adverb の発達史を詳しく調べれば解決できる問題かもしれない.
 この問題と関連するかもしれないが,細江 (127--28) は,-e 語尾の消失により,副詞と形容詞が同形となったことに言及した後で,次のように述べている.

こういうふうに土着の語で,形容詞と副詞とが形態上の別を失った後,〔中略〕外国語の勢力も加わって,ラテン系の形容詞が副詞代用となる例を開いた.次のごときは実にその例である.
  Thou didst it excellent.---Shakespeare.
  Grow not instant cold.---ibid.
今日でも俗語ではこの例が非常に多い.たとえば,
  She talks awful.---Mark Twain.
  You must ha' been an uncommon nice boy.---Dickens.
  The mountains proved exceeding high.---H. R. Haggard.
ばかりでなく,今日りっぱに文語中に入っているものも少なくはない.たとえば,
  Quick as thought I switched on the light.--Kaye-Smith.
  And doubtless there was more in him than met the eye, as is the way with great men.---Chesterton.


 引用の「ラテン形の形容詞が副詞代用となる例を開いた」とは,比喩的な謂いだろうか,あるいは歴史的事実を表現したものだろうか.特にこの箇所で参考文献が与えられているわけではなく,真偽は定かではないが,気になる言及である.いずれ追究してみたい.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

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2012-01-05 Thu

#983. flat adverb の種類 [adverb][adjective][loan_word][flat_adverb][binomial]

 過去2日の記事 (##981,982) で flat adverb の問題に言及してきたが,flat adverb と一口に言っても様々な種類がある.昨日挙げた例のなかだけでも,He ran goodreal bad news とでは副詞としての用法が異なる.今回は『新英語学辞典』に従って,主として -ly adverb と比較しながら,flat adverb の種類を分類してみよう.

 (1) flat adverb と -ly adverb の両方が用いられる場合に,意味を違えていることが多い.dear vs dearly, fast vs fastly, free vs freely, hard vs hardly, late vs lately, near vs nearly, pretty vs prettily などの例がある.
 (2) 日常語・口語・俗語として,特にアメリカ英語で好まれる.次例のごとく,ひきしまった力強い感じを与えることが多い.

  Alice's elbow was pressed hard against it.
  But she did not venture to say it out loud.
  Then they both bowed low.
  I lighted the torch high.
  Sure you won't change your mind and come and look for lions in Rhodesia?
  I shall doubtless see you tomorrow.

 (3) 主に強調語として他の語を修飾する.mighty cold, burning hot, real good ([2012-01-04-1]), terrible strong, dead tired.
 (4) 比較の表現や直喩 (simile) においては,flat adverb の容認度が高くなる.

  Come as quick as you can.
  I can't stay longer.
  He stared at me now as expressionless as a stone.
  Silver leant back against the wall as calm as though he had been in church.
  Helpless as a sheep, I moved along under his expert direction.

 (5) binomial として,副詞が連続する場合.speak loud and clear, lose fair and square, be brought up short and sharp, etc. (Quirk et al. 406)
 (6) 詩において.One road leads to the river, As it goes singing slow. (Masefield)
 (7) flat adverb は -ly adverb と異なり,動詞の(あるいは目的語があればその)後位置に限られる.He drove slow.; We got the house cheap.
 (8) be, appear, look, sound, feel, taste, smell, turn, run, grow, prove, remain などの第1文型も第2文型も取り得る動詞に後続する場合には,flat adverb か -ly adverb かによって文型が分かれる.The train appeared slow/slowly.; The boys looked eager/eagerly.

 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
 ・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.

Referrer (Inside): [2016-08-19-1] [2012-07-14-1]

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2012-01-04 Wed

#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb [adverb][adjective][register][corpus][ame_bre][americanisation][colloquialisation][grammar][flat_adverb]

 昨日の記事「#981. 副詞と形容詞の近似」 ([2012-01-03-1]) の最後に触れた単純形副詞 (flat adverb) を取り上げる.対応する -ly 形が並存している場合,flat adverb は一般に略式的あるいは口語的であることが多いといわれる.規範的な観点からは,-ly を伴う語形が標準形であり,flat adverb は非難の対象とされるので使用を控えるべしとされるが,LGSWE (Section 7.12.2) によれば,以下のような例は会話コーパスでは普通に見られるという.

 The big one went so slow. (CONV)
 Well it was hot but it didn't come out quick. (CONV)
 They want to make sure it runs smooth first. (CONV†)


 特に goodreal を副詞として用いる語法は,AmE の口語で広く聞かれる.LGSWE (Section 7.12.2.1) の記述によれば,goodwell の意味に用いる例は,AmE の会話で圧倒的によく見られ,一方で書き言葉や BrE では稀である.really の代用としての real については,AmE の会話では really の半分ほどの頻度で使用されているというから,相当な普及度だ.コーパス中の絶対頻度でいえば,これは BrE の会話における really の頻度に匹敵するという.なお,BrE では real のこの用法は皆無ではないが,稀である.両者の例を LGSWE からいくつか挙げよう.

 It just worked out good, didn't it? (AmE CONV)
 Bruce Jackson, In Excess' trainer said, "He ran good, but he runs good all the time. It was easy." (AmE NEWS)
 It would have been real [bad] news. (AmE CONV)
 I have a really [good] video with a real [good] soundtrack. (AmE CONV)


 例のように,good は動詞と構造をなして述部を作る用法,real は形容詞を強調する用法が普通である.
 以上のように,現代英語において flat adverb はアメリカ英語の口語で用いられる傾向が強いことがコーパスから明らかとなっているが,この傾向と関連して[2011-01-12-1]の記事「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」で触れたアメリカ英語化 (Americanisation) と口語化 (colloquialisation) の潮流を想起せずにいられない.今後,good あるいは real に限らず,英語全体として flat adverb の使用が拡大してゆくという可能性があるということだろうか.合わせて,[2010-03-05-1]の記事「#312. 文法の英米差」の (5) も参照されたい.

 ・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.

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2012-01-03 Tue

#981. 副詞と形容詞の近似 [adverb][adjective][indo-european][inflection][flat_adverb]

 副詞と形容詞の機能的な区別はしばしば曖昧であり,それは形態上の不分明にもつながっている.例えば,The sun shines bright. という英文において,bright は動詞 shine を修飾する副詞と取ることもできれば,主格補語として機能する形容詞と取ることもできる.ただし,この brightbrightly としても同義であることを考えれば,副詞としての解釈が理に適っているように思われる.また,歴史的にみれば,この bright は副詞語尾 -e のついた beorhte のような語形が起源であり,そこから -e が音声変化の結果失われたために形容詞と同形になってしまったものと説明され,やはり副詞としての解釈に分がある(副詞を作る歴史的な -e 語尾と関連して,[2009-06-07-1]の記事「接尾辞 -ly は副詞語尾か?」を参照).
 しかし,shine [glow, burn] bright は慣用的な表現であり,必ずしも明確な統語分析になじむわけではない.さらに,冒頭に述べたように,元来,副詞と形容詞は機能的にも形態的にも近似していることが多いのだから,峻別すること自体に意味があるのかどうか疑わしいケースもあるはずだ.
 事実,印欧語の多くでは,形容詞が(しばしば中性形をとることで)そのまま副詞的機能を果たすことはよく知られている(細江,p. 127).上記の古英語の -e 語尾(与格語尾)による副詞化をはじめとして,ラテン語の nimium felix "exceedingly happy",フランス語の une fille nouveau-née "a new-born girl",イタリア語 Egli lo guardò fisso "He looked at him fixedly",ロシア語 horasho gavareet "to speak well" など,例は多い.以上から,副詞と形容詞の機能的および形態的な差がはなはだ僅少であることがわかるだろう.
 英語では,特に中英語以降,屈折が全体的に衰退するにつれて,-e などの屈折語尾による副詞と形容詞の形態的な区別は失われた.そして,その代わりに,-ly などの明示的な副詞語尾が台頭してきた.現代英語でしばしば問題とされる "go slow" に見られるような,-ly 副詞ではない単純形副詞 (flat adverb) の用法も,上記のような類型論的および通時的文脈のなかで論じる必要がある.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

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2011-12-10 Sat

#957. many more people [adverb][comparison][numeral]

 現代英語で,可算名詞の数が「より多い」場合で,比較基準との差分が大きいときには,many more people などと,比較級の強調に much ではなく many を用いるのが規則である.この many は,more を修飾しているので機能としては副詞的であり,統語上 people と直接関係しているわけではないが,当然,意味上は関連しているために much では不適切との意識が働くのだろう.用例はいくらでもある.

 ・ Many more questions were buzzing around in my head.
 ・ Many have already died, and in the nature of things many more will die.
 ・ They provided a far better news service and pulled in many more viewers.
 ・ How many more can she possibly make?
 ・ Thousands were saved yesterday, but many more remained trapped.


 many の副詞としての用法を理解していれば,多いのか少ないのか混乱するような many fewer なる表現にも驚かないだろう.

 ・ The squid has many fewer tentacles than the nautilus --- only ten --- and the octopus, as its name makes obvious, has only eight.
 ・ How many fewer places are there today than there were two years ago?
 ・ Making love burns up more calories than playing golf and not that many fewer than throwing a frisbee.

 
 では,この many の品詞は何か.統語的には副詞的なので,『ジーニアス英和大辞典』では素直に副詞として扱っている.比較級を強める muchfar と同列に考えても,副詞としての品詞付与は納得されるかもしれない.
 しかし,many には多数を表わす不定数詞としての用法があり,その副詞的用法と解釈することもできる.one more people, two more people, a few more people, some more people, several more people などの表現を参照すれば,many more people はその延長線上に位置づけるのが自然だろう.more の差分を表わすのに,数詞や不定数詞が前置されている構文ととらえるのが理にかなっている.
 OED "more" 4.a. に,関連する記述があった.

4. a. Additional to the quantity or number specified or implied; an additional amount or number of; further. Now rare exc. as preceded by an indefinite or numeral adj., e.g. any more, no more, some more; many more, two more, twenty more; and in archaic phrases like without more ado.
This use appears to have been developed from the advb. use as in anything, nothing more (see C. 4b).


 比較と関連する文脈で不定代名詞がその程度を表わすのに用いられる例としては,[2011-07-12-1]の記事「what with A and what with B」で触れた something like this があろうか.much the same なども関連してくるかもしれない.
 なお,歴史的に見ると,many more 相当表現は少なくとも中英語にはすでに行なわれていたことが,MED "mō (adj.)" に挙げられている例文から確認される.

 ・ By bethleem be many mo placys of goode pasture..þan in oþer placys.
 ・ Thai bith mony mo than we haue shewid yet.

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2011-07-16 Sat

#810. -ly 副詞の連続は cacophonous か [adverb][suffix][euphony][-ly]

 昨日の記事「euphony and cacophony」([2011-07-15-1]) に関連して,cacophony の話題を1つ.規範的な見解によると,extremely carefully のような -ly 副詞の連続は避けるべきとされる.この場合には,with extreme care などの代替表現を用いるのが適切とされる.Fowler's Modern English Usage の "-ly" の項 (p. 473) にも,-ly 副詞の連続が規範的には好まれないという旨,解説がある.

Considerations of euphony and meaning make it desirable to avoid placing two -ly adverbs in succession when their function in the sentence is different. Thus We are utterly, hopelessly, irretrievably, ruined is acceptable because each of the -ly adverbs has the same relation to ruined. But the following show slightly uneuphonious contiguities: Many of the manuscripts were until comparatively recently in the keeping of Owen's family---English, 1987; he reverts to it (apparently disbelievingly) on several occasions---Encounter, 1987; Appearing relatively recently, Kyra represented change---New Yorker, 1987. The cruder type Soviet industry is at present practically completely crippled is avoidable by substituting almost for practically.


 ここでは,部分的に euphony の観点から(つまり cacophony として) -ly の連続の非が論じられているが,この問題に euphony あるいは cacophony の観点を持ち込むことはできないのではないか.引用内で明示されているとおり,複数の -ly 副詞が等位接続されて全体としてある形容詞や副詞にかかる場合には,問題なく容認される.むしろ,この場合には脚韻により強意の効果が増幅されており,euphonious であるとすら解釈されうる.
 ところが,統語的に等位の関係ではなく従属の関係を示す comparatively recently のような例では,規範的には容認度が落ちると述べられている.その理由は,引用内に明示はされていないが,議論の流れからすると cacophonous だからということになろう.euphony や cacophony は音(連続)に関する評価を表わす用語であり,統語論・意味論に言及するものではないことを前提とすれば,同じような -ly 副詞の連続が,かたや euphony でかたや cacophony であると評価されるのは妙である.-ly 副詞の連続が忌避されるのは,もっぱら統語意味論的な基準によるのではないだろうか.
 しかし,cacophony の観点を完全に無視するわけにいかないのかもしれない.等位関係と従属関係とでは抑揚と強勢のパターンが異なるが,この微妙な差異が euphony と cacophony とを分けている可能性がある.あるいは,原則として cacophonous ではあるが,等位接続された -ly は強意を増幅させる文体的効果ゆえに容認度が上がると考えることができるかもしれない.
 接尾辞 -ly については,[2009-06-07-1]の記事「接尾辞 -ly は副詞語尾か?」を参照.

 ・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.

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2011-07-12 Tue

#806. what with A and what with B [interrogative_pronoun][adverb][idiom]

 what with A and (what with) B という構文がある.文頭や文末で「AやらBやら(の理由)で」と(通常よくない)理由を列挙するのに用いられる.いくつかの辞書では "spoken" や "informal" とレーベルが与えられている.以下に例文を挙げるが,最後の例のように,and で列挙されないケースもあるようだ.

- What with the wind and the rain, the game was spoiled.
- What with drink and (what with) fright he did not know much about the facts.
- What with storms and all, his return was put off.
- What with one thing and another, I never get any work done.
- What with the cold weather and my bad leg, I haven't been out for weeks.
- She couldn't get to sleep, what with all the shooting and shouting.
- They've been under a lot of stress, what with Joe losing his job and all.
- I'm very tired, what with travelling all day yesterday and having a disturbed night.
- The police are having a difficult time, what with all the drugs and violence on our streets.
- What with the freezing temperatures, they nearly died.


 『ランダムハウス英和辞典』ではこの what は副詞として「《with を伴って》いくぶんは,ひとつには,…やら(…やら)で.」と解説がつけられている.要するにこの what は "partly" 「いくぶん,部分的に」ほどの意味を表わしていると考えてよい.では,この副詞用法の what の起源は何か.
 それは不定代名詞としての用法に遡る.疑問代名詞の what は,古くから「何か」 "something" の意の不定代名詞としても用いられていた.この不定代名詞用法の名残は「あることを教えてあげるよ」を意味する現代の慣用表現 I'll tell you what.You know what? に見られる.この "something" に相当する語法が副詞として転用され,「いくぶん,多少なりとも」の意味を生じさせた.現代の不定代名詞 something 自体も,以下の例文に見られるように副詞的な用法を発達させてきているので,比較できるだろう.

- The song sounded something like this.
- The sermon lasted something over an hour.
- He was snoring something terrible last night


 OED の "what" D. II. 2. (b) によると,with だけでなくかつては for とも構文をなしたようだが,現在では後者は行なわれていない.細江 (114--15) の例文と注も参照.

 ・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.

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2011-06-19 Sun

#783. 副詞 home は名詞の副詞的対格から [adverbial_accusative][case][adverb]

 現代英語の名詞には副詞的目的格という用法がある.目的格は歴史的な対格を指すので,この用法は副詞的対格 (adverbial accusative) とも呼ばれる.名詞(句)が副詞(句)として用いられる副詞的目的格の使用例は枚挙にいとまがないが,典型的な例を少数挙げると以下のようなものがある(赤字が副詞的目的格におかれている名詞(句)).

- It's fine today.
- Come this way.
- They walked ten miles.
- We are united to each other heart and soul.
- What the hell is all this?


 現代英語で当たり前のように副詞的に使われている go home も起源をたどれば名詞 home の目的格にすぎない.古英語 hām は男性強変化名詞であり,単数主格と単数対格が同形のために形態上は区別がつけられないが,And hiȝ cyrdon ealle ham "And they all returned home" などにおいて,明らかに方向を示す対格として用いられている.
 このような home が副詞として解釈され,近代期には「家へ(帰る)」という方向の意味から「家に(いる)」という位置の意味へと拡大していった.さらに,「本拠地へ,納まるべき所へ」から「ねらった所へ,まともに」の意味が生じ,drive a nail homeThe spear struck home to the lion's heart. などの表現が生み出された.現代の成句 bring sth home to sbcome home to sb における「痛切に」の含意もこの延長線上にある.

- It suddenly came home to him that he was never going to see Julie again.
- The sight of his pale face brought home to me how ill he really was.


 上に挙げた一つ目の成句 came home to him を統語分析すると,一方では home が副詞として,他方では to him が前置詞句としてそれぞれ came を修飾するとして解されるかもしれない.しかし,成句の意味と home の歴史的な意味と用法を考慮すると,むしろ to himhome という名詞に与格として「彼(にとって)の(理解の)核心」ほどの意でかかってゆき,home が方向を表わす副詞的対格として came にかかってゆくと解釈するほうが,成句の表わす意味を理解しやすい.

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2010-07-27 Tue

#456. 比較の -er, -est は屈折か否か [adjective][adverb][comparison][inflection]

 現代英語で形容詞や副詞の比較級,最上級を作るのに,(1) -er, -est を接尾辞として付加する方法と,(2) more, most という語を前置する方法の,大きく分けて二通りがありうる.
 一般に (1) を屈折 ( inflection ),(2) を迂言 ( periphrasis ) と呼ぶが,Kytö は (1) は実際には屈折は関わっていないという (123).そこでは議論は省略されているが,-er, -est を屈折でないとする根拠は,おそらく (a) すべての形容詞・副詞が比較を作るわけではなく,(b) ある種の形容詞・副詞は迂言的にしか比較級,最上級を作れず,(c) さらにある種の形容詞・副詞は迂言でも接尾辞付加でも作れる,などと分布がばらけているので,-er, -est の付加を,「文法的に必須である」ことを要諦とする「屈折」とみなすのはふさわしくないということなのではないか.
 一方で,Carstairs-McCarthy によると -er, -est は屈折と呼ぶべきだという.

The justification for saying that comparative and superlative forms of adjectives belong to inflectional rather than to derivational morphology is that there are some grammatical contexts in which comparative or superlative adjectives are unavoidable, anything else (even if semantically appropriate) being ill-formed: (41)


 問題は,屈折と呼び得るためには,すべての関連する語において文法的に必須でなければいけないのか,あるいはその部分集合において文法的に必須であればよいのかという点である.例えば,次の文で pretty を用いようとするならば文法的に prettier にしなければならない.

This girl is prettier/*pretty than that girl.


 この文脈では,-er は文法的に必須であるから屈折と呼んで差し支えないように思われる.しかし,beautiful を用いるのであれば,more による迂言法でなければならない.

This girl is more beautiful/*beautifuler/*beautiful than that girl.


 ここでは -er は文法的に必須でないどころか文法的に容認されないわけで,このように pretty か beautiful かなど語を選ぶようでは屈折といえないのではないかというのが Kytö の理屈だろう.
 ある語が -er をとるのか more をとるのかの区別が明確につけられるのであれば,その限りにおいて,ある語群においては -er 付加が文法的に必須ということになり,屈折と呼びうることになるのかもしれない.しかし,明確な区別がないのは[2010-06-04-1]でも述べたとおりである.屈折と呼べるかどうかは,理論的に難しい問題のようだ.

 ・ Kytö, Merja. " 'The best and most excellentest way': The Rivalling Forms of Adjective Comparison in Late Middle and Early Modern English." Words: Proceedings of an International Symposium, Lund, 25--26 August 1995, Organized under the Auspices of the Royal Academy of Letters, History and Antiquities and Sponsored by the Foundation Natur och Kultur, Publishers. Ed. Jan Svartvik. Stockholm: Kungl. Vitterhets Historie och Antikvitets Akademien, 1996. 123--44.
 ・ Carstairs-McCarthy, Andrew. An Introduction to English Morphology. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002. 134.

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2009-06-07 Sun

#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か? [suffix][adverb][adjective][old_norse][-ly]

 現代英語では, -ly が形容詞から副詞を作る典型的な接尾辞であることはよく知られている.nice - nicelyquick - quicklyterrible - terribly の類である.非常に生産的であり,原則としてどの形容詞にも付きうる.
 ところが,-ly は実際には名詞から形容詞を作る接尾辞として機能することもある.例えば,beastlycowardlyfatherlyfriendlyknightlyrascallyscholarlywomanly など.時間を表す,dailyhourlyweeklyyearly も同様である.副詞接辞にも形容詞接辞にもなりうるこの -ly とはいったい何なのだろうか.語源を探ってみよう.
 古英語の対応する接尾辞は -līċ である.līċ は単体としては「形,体」を意味する名詞である.これは現代英語の like 「?のような,?に似た」の語源でもある.-līċ が接尾辞として他の名詞に付くと,「(名詞)の形態をした,(名詞)のような」という形容詞的意味が生じた.現代英語では,-like の付く形容詞も存在するが,成り立ちとしては -ly とまったく同じだということがわかるだろう(例:businesslikechildlikelifelike).実際,形容詞語尾としての -like は -ly 以上に生産的であり,事実上どんな名詞にも付き得て,形容詞を作ることができる(例:doglikejerry-likesphinxlike).
 以上で,-ly ( < OE -līċ ) がまず最初に形容詞語尾であることが分かっただろう.それでは,副詞語尾としての -ly はどこから来たのか.古英語では,形容詞は与格に屈折させると副詞機能を果たすことができた(see [2009-06-06-1]).-līċ の付く形容詞の与格形は,語尾に <e> を付加するだけの -līċe であった.ところが,中英語期にかけて起こった語尾音の消失により,与格語尾の <e> が落ち,結果的に形容詞語尾の -līċ と同形になってしまった.さらに,恐らく古ノルド語の対応する形態 -lig- の影響により,中英語後期までに -līċ の最後の子音が弱化・消失し,現在のような -ly の形に落ち着いた.
 以上みてきたように,現代英語の -ly という接尾辞は,語源的には古英語の形容詞接辞 -līċ と副詞接辞 -līċe の両方に対応する形態である.中英語期にこの形態が確立してからは,形容詞接辞としてよりも副詞接辞としての役割のほうが大きくなり,大量の -ly 副詞が生まれた.そのような事情で 現代英語の -ly は典型的な副詞語尾とみなされることが多いわけだが,順序としては,まず形容詞語尾としての役割が先にあったことを押さえておく必要があるだろう.

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