昨日の話題の続編.トランプ大統領が carnage という強烈な言葉を使ったことについて,やはりメディアは湧いているようである.
20日の就任演説について,22日の朝日新聞朝刊で,原文と訳と解説が付されていた.問題の "This American carnage stops right here and stops right now." のくだりの解説に,こうあった.
「carnage」は「殺戮の後の惨状」といった意味で,「死屍累々」に近い.線状などの表現に使われる極めて強い言葉.トランプ氏は直前に都市部の貧困や,犯罪・麻薬の蔓延に触れ,「悲惨な状況にある米国」を描いた.今回の演説を象徴する言葉として,米メディアも注目している.
この「死屍累々」という訳語と解釈は,優れていると思う.英和辞典にある並一通りの「殺戮」という訳語ではなく「死屍累々」に近いと解釈したセンスが素晴らしい.
昨日の記事で引いた OED での語義 3a とは別の語義 2a に,次のような定義がある."Carcases collectively: a heap of dead bodies, esp. of men slain in battle. ? Obs.".「殺戮」というよりは,その結果としての「死屍累々」である.同じように,Johnson の辞書でもこの語義は "Heaps of flesh" として定義されている.carnage が,昨日の記事で指摘したようにラテン語で「肉」を意味する carn-, carō からの派生語であることを考えれば,直接的な意味発達としては,行為としての「殺戮」ではなく,「死体(の集合)」を指すとするのが妥当である.英語での初出年代こそ,「殺戮」の語義では1600年,「死体(の集合)」の語義では1667年 ("Milton Paradise Lost x. 268 Such a sent I [sc. Death] draw Of carnage, prey innumerable.") と,前者のほうが早いが,意味発達の自然の順序を考えると,因果関係を「果」→「因」とたどったメトニミー (metonymy) として「死体(の集合)」→「殺戮」のように変化したのではないかと想像される.喩えていうならば,トランプ大統領の carnage は,「殺す」という動詞が現在完了として用いられたかのような「完了・結果」の意味,すなわち「殺戮後の状態」=「死屍累々」を意味するものと捉えるのが適切となる.少なくとも,トランプ大統領(あるいは,その意を汲んだとされる31歳の若きスピーチライター Stephen Miller)は,過去の「殺戮」だけでなく,その結果としての「死屍累々」の現状を指示し,強調したかったはずである.
なお,「戮」という漢字についていえば,これは「ころす.ばらばらに切ってころす.敵を残酷なやり方でころす.また,罪人を残酷なやり方で死刑にする.」を意味する.一方,この漢字は,同じ「リク」という読みの「勠」に当てて「力をあわせる」の意味ももっており,「一致団結」と同義の「戮力協心」なる四字熟語もある.こちらの「戮」であればよいのだが,と淡い期待を抱く.
「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) の記事で tomorrow の話題に触れたことを受け,9月16日付けの掲示板で,morrow という語についての質問が寄せられた.互いに関連する,morn, morning などとともに,これらの語源を追ってみたい.
古英語で「朝」を表わす語は,morgen である.ゲルマン祖語の *murȝanaz に由来し,ドイツ語 Morgen, オランダ語 morgen と同根である.現代英語の morn は,この古英語 morgen の斜格形 morne や mornes などの短縮形,あるいは中英語で発展した morwen, morun, moren などの短縮形に由来すると考えられる.morn は現在では《詩》で「朝,暁」を表わすほか,スコットランド方言で「明日」も表わす.
一方,現代英語で最も普通の morning は,上の morn に -ing 語尾がついたもので,初期中英語に「朝」の意味で初出する.この -ing 語尾は,対になる evening からの類推により付加されたとされる.evening の場合には,単独で「晩」を表わす古英語名詞 ēfen, æfen から派生した動詞形 æfnian (晩になる)が,さらに -ing 語尾により名詞化したという複雑な経緯を辿っているが,morning はそのような途中の経緯をスキップして,とにかく表面的に -ing を付してみた,ということになる.
さて,古英語 morgen のその後の音韻形態的発展も様々だったが,とりわけ第2音節の母音や子音 n が変化にさらされた.n の脱落した morwe などの形から,「#2031. follow, shadow, sorrow の <ow> 語尾」 ([2014-11-18-1]) に述べた変化を経て,morrow が生じた.現在,morrow も使用域は限定されているが,《詩》で「朝;翌日」を意味する.なお,語尾の n の脱落は,対語 even にも生じており,ここから eve (晩;前夜;前日)も初期中英語期に生じている.
さて,本来「朝」を表わしたこれらの語は,同時に「明日」という意味を合わせもっていることが多い.前の晩の眠りに就いた頃の時間帯を基準として考えると,「朝」といえば通常「翌朝」を指す.そこから,指示対象がメトニミー (metonymy) の原理で「翌日の午前中」や「翌日全体」へと広がっていったと考えられる.tomorrow も,「前置詞 to +名詞 morrow」という語形成であり,「(翌)朝にかけて」ほどが原義だったが,これも同様に転じて「翌日に」を意味するようになった.なお,日本語でも,古くは「あした」(漢字表記としては <朝>)で「翌朝」を意味したが,英語の場合と同様の意味拡張を経て「翌日」を意味するようになったことはよく知られている.
なお,上で触れた eve (晩)は,今度は朝起きた頃の時間帯を基準とすると,「昨晩」を指すことが多いだろう.そこから指示対象が「昨日全体」へと広がり,結局「前日」を意味するようにもなった.
昨日の記事「#2677. Beowulf にみられる「王」を表わす数々の類義語」 ([2016-08-25-1]) で,古英詩の文体的技巧としての kenning に触れた.kenning の具体例は「#472. kenning」 ([2010-08-12-1]) で挙げたが,今回は Beowulf と少なくとももう1つの詩に現われる kenning の例をいくつか追加したい (Baker 136) .伏せ字をクリックすると意味が現われる.
kenning | literal sense | meaning |
---|---|---|
bāncofa, masc. | "bone-chamber" | body |
bānfæt, neut. | "bone-container" | body |
bānhūs, neut. | "bone-house" | body |
bānloca, neut. | "locked bone-enclosure" | body |
brēosthord, neut. | "breast-hoard" | feeling, thought, character |
frumgār, masc. | "first spear" | chieftain |
hronrād, fem. | "whale-road" | sea |
merestrǣt, fem. | "sea-street" | the way over the sea |
nihthelm, masc. | "night-helmet" | cover of night |
sāwoldrēor, masc. or neut. | "soul-blood" | life-blood |
sundwudu, masc. | "sea-wood" | ship |
wordhord, neut. | "word-hoard" | capacity for speech |
古英語は複合 (compounding) による語形成が非常に得意な言語だった.これは「#1148. 古英語の豊かな語形成力」 ([2012-06-18-1]) でも確認済みだが,複合語はとりわけ韻文において最大限に活用された.実際 Beowulf に代表される古英詩においては「王」「勇士」「戦い」「海」などの頻出する概念に対して,様々な類義語 (synonym) が用いられた.これは,単調さを避けるためでもあったし,昨日の記事「#2676. 古英詩の頭韻」 ([2016-08-24-1]) で取り上げた頭韻の規則に沿うために種々の表現が必要だったからでもあった.
以下,Baker (137) より,Beowulf (及びその他の詩)に現われる「王,主君」を表わす類義語を列挙しよう(複合語が多いが,単形態素の語も含まれている).
bēagġyfa, masc. ring-giver.
bealdor, masc. lord.
brego, masc. lord.
folcāgend, masc. possessor of the people.
folccyning, masc. king of the people.
folctoga, masc. leader of the people.
frēa, masc. lord.
frēadrihten, masc. lord-lord.
frumgār, masc. first spear.
godlgġyfa, masc. gold-giver.
goldwine, masc. gold-friend.
gūðcyning, masc. war-king.
herewīsa, masc. leader of an army.
hildfruma, masc. battle-first.
hlēo, masc. cover, shelter.
lēodfruma, masc. first of a people.
lēodġebyrġea, masc. protector of a people.
mondryhten, masc. lord of men.
rǣswa, masc. counsellor.
siġedryhten, masc. lord of victory.
sincġifa, masc. treasure giver.
sinfrēa, masc. great lord.
þenġel, masc. prince.
þēodcyning, masc. people-king.
þēoden, masc. chief, lord.
wilġeofa, masc. joy-giver.
wine, masc. friend.
winedryhten, masc. friend-lord.
wīsa, masc. guide.
woroldcyning, masc. worldly king.
ここには詩にしか現われない複合語も多く含まれており,詩的複合語 (poetic compound) と呼ばれている.第1要素が第2要素を修飾する folccyning (people-king) のような例もあれば,両要素がほぼ同義で冗長な frēadrihten (lord-lord) のような例もある.さらに,メトニミーを用いた謎かけ・言葉遊び風の bēagġyfa (ring-giver) もある.最後に挙げた類いの比喩的複合語は kenning と呼ばれ,古英詩における大きな特徴となっている(「#472. kenning」 ([2010-08-12-1]) を参照).
・ Baker, Peter S. Introduction to Old English. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2012.
「#924. 複合語の分類」 ([2011-11-07-1]) で複合語 (compound) の分類を示したが,複合名詞に限り,かつ意味の観点から分類すると,(1) endocentric, (2) exocentric, (3) appositional, (4) dvandva の4種類に分けられる.Bauer (30--31) に依拠し,各々を概説しよう.
(1) endocentric compound nouns: beehive, armchair のように,複合名詞がその文法的な主要部 (hive, chair) の下位語 (hyponym) となっている例.beehive は hive の一種であり,armchair は chair の一種である.
(2) exocentric compound nouns: redskin, highbrow のような例.(1) ように複合名詞がその文法的な主要部の下位語になっているわけではない.redskin は skin の一種ではないし,highbrow は brow の一種ではない.むしろ,表現されていない意味的な主要部(この例では "person" ほど)の下位語となっているのが特徴である.したがって,metaphor や metonymy が関与するのが普通である.このタイプは,Sanskrit の文法用語をとって,bahuvrihi compound とも呼ばれる.
(3) appositional compound nouns: maidservant の類い.複合名詞は,第1要素の下位語でもあり,第2要素の下位語でもある.maidservant は maid の一種であり,servant の一種でもある.
(4) dvandva: Alsace-Lorraine, Rank-Hovis の類い.いずれが文法的な主要語が判然とせず,2つが合わさった全体を指示するもの.複合名詞は,いずれの要素の下位語であるともいえない.dvandva という名称は Sanskrit の文法用語から来ているが,英語では 'copulative compound と呼ばれることもある.
・ Bauer, Laurie. English Word-Formation. Cambridge: CUP, 1983.
「#2496. metaphor と metonymy」 ([2016-02-26-1]),「#2632. metaphor と metonymy (2)」 ([2016-07-11-1]) で2つの過程の異同について考えた.「#2196. マグリットの絵画における metaphor と metonymy の同居」 ([2015-05-02-1]) では両手段が効果的に用いられている芸術作品を解釈したが,今回は同じく両手段が同居しているイメージの例として西洋の「死神」 (Grim Reaper) を挙げよう.いわずとしれた,マントを羽織り,大鎌を手にした骸骨のイメージである.
Lakoff and Johnson (251) は,「死神」を,メタファーとメトニミーが複雑に埋め込まれた合成物 (composition) の例として挙げている.
In the classic figure of the Grim Reaper, there is such a composition. The term "reaper" is based on the metaphor of People as Plants: just as a reaper cuts down wheat with a scythe before it has gone through its life cycle, so the Grim Reaper comes with his scythe indicating a premature death. The metaphor of Death as Departure is also part of the myth of the Grim Reaper. In the myth, the Reaper comes to the door and the deceased departs with him.
The figure of the Reaper is also based on two conceptual metonymies. The Reaper takes the form of a skeleton---the form of the body after it has decayed, a form which metonymically symbolizes death. The Reaper also wears a cowl, the clothing of monks who presided over funerals at the time the figure of the Reaper became popular. Further, in the myth the Reaper is in control, presiding over the departure of the deceased from this life. Thus, the myth of the Grim Reaper is the result of two metaphors and two metonymies having been put together with precision.
複数の概念メタファーと概念メトニミーが精密に合致して,1つの複雑な要素からなる合成物としての「死神」が成立しているという.ことば以前の認識というレベルにおいて,あの典型的なイメージの根底には,精巧に絡み合ったレトリックが存在していたのである.
・ Lakoff, George, and Mark Johnson. Metaphors We Live By. Chicago and London: U of Chicago P, 1980.
metaphor と metonymy について,「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1]),「#2406. metonymy」 ([2015-11-28-1]),「#2196. マグリットの絵画における metaphor と metonymy の同居」 ([2015-05-02-1]),「#2496. metaphor と metonymy」 ([2016-02-26-1]) で話題にしてきた.今回も,両者の関係について考えてみたい.
次の2つの文を考えよう.
(1) Metonymy: San Francisco is a half hour from Berkeley.
(2) Metaphor: Chanukah is close to Christmas.
(1) の a half hour は,時間的な隔たりを意味していながら,同時にその時間に相当する空間上の距離を表わしている.30分間の旅で進むことのできる距離を表わしているという点で,因果関係の隣接性を利用したメトニミーといえるだろう.一見すると時間と空間の2つのドメインが関わっているようにみえるが,旅という1つのドメインのなかに包摂されると考えられる.この文の主題は,時間と空間の関係そのものである.
一方,(2) の close to は,時間的に間近であることが,空間的な近さに喩えられている.ここでは時間と空間という異なる2つのドメインが関与しており,メタファーが利用されている.この文の主題は,あくまで時間である.空間は,主題である時間について語る手段にすぎない.
Lakoff and Johnson (266--67) は,この2つの文について考察し,メタファーとメトニミーの特徴の差を的確に説明している.
When distinguishing metaphor and metonymy, one must not look only at the meanings of a single linguistic expression and whether there are two domains involved. Instead, one must determine how the expression is used. Do the two domains from a single, complex subject matter in use with a single mapping? If so, you have metonymy. Or, can the domains be separate in use, with a number of mappings and with one of the domains forming the subject matter (the target domain), while the other domain (the source) is the basis of significant inference and a number of linguistic expressions? If this is the case, then you have metaphor.
・ Lakoff, George, and Mark Johnson. Metaphors We Live By. Chicago and London: U of Chicago P, 1980.
昨日の記事 ([2016-04-22-1]) の続き.構造的メタファーはあるドメインの構造を類似的に別のドメインに移すものと理解してよいが,方向的メタファーは単純に類似性 (similarity) に基づいたドメインからドメインへの移転として捉えてよいだろうか.例えば,
・ MORE IS UP
・ HEALTH IS UP
・ CONTROL or POWER IS UP
という一連の方向的メタファーは,互いに「上(下)」に関する類似性に基づいて成り立っているというよりは,「多いこと」「健康であること」「支配・権力をもっていること」が物理的・身体的な「上」と共起することにより成り立っていると考えることもできないだろうか.共起性とは隣接性 (contiguity) とも言い換えられるから,結局のところ方向的メタファーは「メタファー」 (metaphor) といいながらも,実は「メトニミー」 (metonymy) なのではないかという疑問がわく.この2つの修辞法は,「#2496. metaphor と metonymy」 ([2016-02-26-1]) や 「#2406. metonymy」 ([2015-11-28-1]) で解説した通り,しばしば対置されてきたが,「#2196. マグリットの絵画における metaphor と metonymy の同居」 ([2015-05-02-1]) でも見たように,対立ではなく融和することがある.この観点から概念「メタファー」 (conceptual_metaphor) を,谷口 (79) を参照して改めて定義づけると,以下のようになる.
・ 概念メタファーは,2つの異なる概念 A, B の間を,「類似性」または「共起性」によって "A is B" と結びつけ,
・ 具体的な概念で抽象的な概念を特徴づけ理解するはたらきをもつ
概念メタファーとは,共起性や隣接性に基づくメトニミーをも含み込んでいるものとも解釈できるのだ.概念「メタファー」の議論として始まったにもかかわらず「メトニミー」が関与してくるあたり,両者の関係は一般に言われるほど相対するものではなく,相補うものととらえたほうがよいのかもしれない.
なお,このように2つの概念を類似性や共起性によって結びつけることをメタファー写像 (metaphorical mapping) と呼ぶ.共感覚表現 (synaesthesia) などは,共起性を利用したメタファー写像の適用である.
・ 谷口 一美 『学びのエクササイズ 認知言語学』 ひつじ書房,2006年.
英語における大文字使用については,いくつかの観点から以下の記事で扱ってきた.
・ 「#583. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった」 ([2010-12-01-1])
・ 「#1309. 大文字と小文字」 ([2012-11-26-1])
・ 「#1310. 現代英語の大文字使用の慣例」 ([2012-11-27-1])
・ 「#1844. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった (2)」 ([2014-05-15-1])
語頭の大文字使用の問題について,塩田の論文を読んだ.現代英語の語頭の大文字使用には,「視覚の大文字化」と「意味の大文字化」とがあるという.視覚の大文字化とは,文頭や引用符の行頭に置かれる語の最初の文字を大文字にするものであり,該当する単語の品詞や語類は問わない.「大文字と大文字化される単語の機能の間に直接的なつながりがな」く,「文頭とか,行頭を示す座標としての意味しかもたない」 (47) .外的視覚映像の強調という役割である.
もう1つの意味の大文字化とは,語の内的意味構造に関わるものである.典型例は固有名詞の語頭大文字化であり,塩田はその特徴を「名詞の通念性」と表現している.意味論的には,この「通念性」をどうみるかが重要である.塩田 (48--49) の解釈と説明がすぐれているので,関係する箇所を引こう.
大文字化された名詞は自己の意味構造の一つである通念性を触発されて通念化する.名詞の意味構造の一つである通念性が大文字という形式を選んで具視化したと考えられる.ここが視覚の大文字化とは違う点である.名詞以外の品詞には大文字化を要求する内部からの意味的及び心理的要求が欠けている.
名詞は潜在的に様々な可能性を持っている.様々ある可能性の内,特に「通念」という可能性を現実化し,これをひき立てて,読者の眼前に強調してみせるのが大文字化の役割である.
しからばこの通念とはいかなる概念であるのであろうか.
通念は知的操作が加わる以前の名詞像である.耳からある言葉を聴いてすぐに心に浮ぶイメージが通念である.聴覚映像とも言えよう.したがって,知的,論理的に定義や規定を行う以前の原初的,前概念が通念である.
通念には二つの派生的性質がある.
第一に通念は名詞に何の操作も加えない極めて普遍的なイメージである.ラングとしての名詞の聴覚映像と呼ぶことが出来る.名詞の聴覚映像のうち万人に共通した部分を通念と呼ぶわけである.したがって名詞は,この通念の領域に属する限り,一言で,背景や状況を以心伝心の如く伝達することが出来る.名詞のうちによく人口に膾炙し,大衆伝達のゆきとどいているものほど一言で背景や状況を伝達する力は大きい.そこで,特に名詞の内広い通念性を獲得したものを Mass Communicated Sign MCS と呼ぶことにする.
MCS は一言で全てを伝達する.一言でわかるのだから,その「すべて」は必ずしも細やかで概念的に正確な内容ではなく,単純で直線的なインフォメーションに違いない.
第二に通念は MCS のように共通で同一のイメージを背景とした面を持っている.巾広い共通の含みが通念の命である.したがって通念の持つ含みは,個人的個別的であってはならない.個人にしかないなにかを伝達するには色々の説明や断わりが必要である.個人差や地方差が少なくなればなる程,通念としての適用範囲を増すし,純度も高くなる.したがって通念は常に個別差をなくす方向に動く.類と個の区別を意識的に排除し,類で個を表わしたり,部分で全体を代表させたりする.通念は個をこえて 類へ一般化する傾向がある.
通念の一般化や普遍化がすすむと,個有化絶対化にいたる.この傾向は人間心理に強い影響を及ぼす通念であるほど,強い.万人に影響を与えられたイメージは一本化され,集団の固有物となる.
以上をまとめると,通念には,大衆伝達性と,固有性という二つの幅があることになる.
通念の固有性という側面は,典型的には唯一無二の固有名詞がもつ特徴だが,個と類の混同により固有性が獲得される場合がある.例えば,Bible, Fortune, Heaven, Sea, World の類いである.これらは,英語文化圏の内部において,あたかも唯一無二の固有名詞そのものであるかのようにとらえられてきた語である.特定の文化や文脈において疑似固有名詞化した例といってもいい.曜日,月,季節,方位の名前なども,個と類の混同に基づき大文字化されるのである.同じく,th River, th Far East, the City などの地名や First Lady, President などの人を表す語句も同様である.ここには metonymy が作用している.
通念の大衆伝達性という側面を体現するのは,マスコミが流布する政治や社会現象に関する語句である.Communism, Parliament, the Constitution, Remember Pearl Harbor, Sex without Babies 等々.その時代を生きる者にとっては,これらの一言(そして大文字化を認識すること)だけで,その背景や文脈がただちに直接的に理解されるのである.
なお,一人称段数代名詞 I を常に大書する慣習は,「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1]) で明らかにしたように,意味の大文字化というよりは,むしろ視覚の大文字化の問題と考えるべきだろう.I の意味云々ではなく,単に視覚的に際立たせるための大文字化と考えるのが妥当だからだ.一般には縦棒 (minim) 1本では周囲の縦棒群に埋没して見分けが付きにくいということがいわれるが,縦棒1本で書かれるという側面よりも,ただ1文字で書かれる語であるという側面のほうが重要かもしれない.というのは,塩田の言うように「15世紀のマヌスクリプトを見るとやはり一文字しかない不定冠詞の a を大書している例があるからである」 (49) .
大文字化の話題と関連して,固有名詞化について「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]),「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照されたい.
・ 塩田 勉 「Capitalization について」『時事英語学研究』第6巻第1号,1967年.47--53頁.
標題の2つの修辞的技巧は,近年の認知言語学の進展とともに,2つの認知の方法として扱われるようになってきた.2つはしばしば対比されるが,metaphor は2項の類似性 (similarity) に基づき,metonymy は2項の隣接性 (contiguity) に基づくというのが一般的になされる説明である.しかし,Lakoff and Johnson (36) は,両者の機能的な差異にも注目している.
Metaphor and metonymy are different kinds of processes. Metaphor is principally a way of conceiving of one thing in terms of another, and its primary function is understanding. Metonymy, on the other hand, has primarily a referential function, that is, it allows us to use one entity to stand for another.
なるほど,metaphor にも metonymy にも,理解の仕方にひねりを加えるという機能と,指示対象の仕方を一風変わったものにするという機能の両方があるには違いないが,それぞれのレトリックの主たる機能といえば,metaphor は理解に関係するほうで,metonymy は指示に関係するほうだろう.
metonymy の指示機能について顕著な点は,metonymy を用いない通常の表現による指示と異なり,指示対象のどの側面にとりわけ注目しつつ指示するかという「焦点」の情報が含まれていることである.Lakoff and Johnson (36) が挙げている例を引けば,"The Times hasn't arrived at the press conference yet." において,"The Times" の指示対象は,同名の新聞のことでもなければ,新聞社そのもののことでもなく,新聞社を代表する報道記者である.主語にその報道記者の名前を挙げても,指示対象は変わらず,この文の知的意味は変わらない.しかし,あえて metonymy を用いて "The Times" と表現することによって,指示対象たる報道記者が同新聞社の代表者であり責任者であるということを焦点化しているのである.直接名前を用いてしまえば,この焦点化は得られない.Lakoff and Johnson (37) 曰く,
[Metonymy] allows us to focus more specifically on certain aspects of what is being referred to.
metaphor と metonymy については,「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1]),「#2406. metonymy」 ([2015-11-28-1]),「#2196. マグリットの絵画における metaphor と metonymy の同居」 ([2015-05-02-1]) も参照されたい.
・ Lakoff, George, and Mark Johnson. Metaphors We Live By. Chicago and London: U of Chicago P, 1980.
「#2187. あらゆる語の意味がメタファーである」 ([2015-04-23-1]) でメタファー (metaphor) について解説した.対するメトニミー (metonymy) については,各所で触れながらも,解説する機会がなかったので,Luján (291--92) などに拠りながらここで紹介したい.
伝統的な修辞学の世界では「換喩」として知られてきたが,近年の認知言語学や意味論では横文字のまま「メトニミー」と呼ばれることが多い.この用語は,ギリシア語の metōnimía (change of name) に遡る.教科書的な説明を施せば,メタファーが2項の類似性 (similarity) に基づくのに対して,メトニミーは2項の隣接性 (contiguity) に基づくとされる.メタファーでは,2項はそれぞれ異なるドメイン (domain) に属しているが,何らかの類似性によって両者が結ばれる.メトニミーでは,2項は同一のドメインに属しており,その内部で何らかの隣接性によって両者が結ばれる.類似性と隣接性が厳密に区別できるものかという根本的な疑問もあるものの,当面はこの理解でよい (cf. 「#2196. マグリットの絵画における metaphor と metonymy の同居」 ([2015-05-02-1])) .
メトニミーの本質をなす隣接性には,様々な種類がある.部分と全体(特に 提喩 (synecdoche) と呼ばれる),容器と内容,材料と物品,時間と出来事,場所とそこにある事物,原因と結果など,何らかの有機的な関係があれば,すべてメトニミーの種となる.したがって,意味の変異や変化において,きわめて卑近な過程である.「やかんが沸いている」というときの「やかん」は本来は容器だが,その容器の中に含まれる「水」を意味する.glass は本来「ガラス」という材料を指すが,その材料でできた製品である「グラス」をも意味する.ラテン語 sexta (sixth (hour)) はある時間を表わしていたが,そのスペイン語の発展形 siesta はその時間にとる午睡を意味するようになった.「永田町」や Capitol Hill は本来は場所の名前だが,それぞれ「首相官邸」と「米国議会」を意味する.「袖を濡らす」という事態は泣くという行為の結果であることから,「泣く」を意味するようになった.count one's beads という句において,元来 beads は「祈り」を意味したが,祈りの回数を数えるのにロザリオの数珠玉をもってしたことから,beads が「数珠玉」そのものを意味するようになった.隣接性は,物理法則に基づく因果関係から文化・歴史に強く依存する故事来歴に至るまで,何らかの有機的な関係があれば成立しうるという点で,応用範囲が広い.
Saeed (365--66) より,英語からの典型的な例を種類別に挙げよう.
・ PART FOR WHOLE (synecdoche): All hands on deck.
・ WHOLE FOR PART (synecdoche): Brazil won the world cup.
・ CONTAINER FOR CONTENT: I don't drink more than two bottles.
・ MATERIAL FOR OBJECT: She needs a glass.
・ PRODUCER FOR PRODUCT: I'll buy you that Rembrandt.
・ PLACE FOR INSTITUTION: Downing Street has made no comment.
・ INSTITUTION FOR PEOPLE: The Senate isn't happy with this bill.
・ PLACE FOR EVENT: Hiroshima changed our view of war.
・ CONTROLLED FOR CONTROLLER: All the hospitals are on strike.
・ CAUSE FOR EFFECT: His native tongue is Hausa.
・ Luján, Eugenio R. "Semantic Change." Chapter 16 of Continuum Companion to Historical Linguistics. Ed. Silvia Luraghi and Vit Bubenik. London: Continuum International, 2010. 286--310.
・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.
標題は「姓+名」の語順を当然視している日本語母語話者にとって,しごく素朴な疑問である.日本語では「鈴木一郎」,英語では John Smith となるのはなぜだろうか.
端的にいえば,両言語における修飾語句と被修飾語句の語順配列の差異が,その理由である.最も単純な「形容詞+名詞」という語順に関しては日英語で共通しているが,修飾する部分が句や節など長いものになると,日本語では「修飾語句+被修飾語句」となるのに対して,英語では前置詞句や関係詞句の例を思い浮かべればわかるように「被修飾語句+修飾語句」の語順となる.「鈴木家の一郎」は日本語では「鈴木(の)一郎」と約められるが,「スミス家のジョン」を英語で約めようとすると John (of) Smith となる.だが,「の」であれば,*Smith's John のように所有格(古くは属格)を用いれば,日本語風に「修飾語句+被修飾語句」とする手段もあったのではないかという疑問が生じる.なぜ,この手段は避けられたのだろうか.
昨日の記事「#2365. ノルマン征服後の英語人名の姓の採用」 ([2015-10-18-1]) でみたように,姓 (surname) を採用するようになった理由の1つは,名 (first name) のみでは人物を特定できない可能性が高まったからである.政府当局としては税金管理のうえでも人民統治のためにも人物の特定は重要だし,ローカルなレベルでもどこの John なのかを区別する必要はあったろう.そこで,メトニミーの原理で地名や職業名などを適当な識別詞として用いて,「○○のジョン」などと呼ぶようになった.この際の英語での語順は,特に地名などを用いる場合には,X's John ではなく John of X が普通だった.通常 England's king とは言わず the king of England と言う通りである.原型たる「鈴木の一郎」から助詞「の」が省略されて「鈴木一郎」となったと想定されるのと同様に,原型たる John of Smith から前置詞 of が省略されて John Smith となったと考えることができる.(関連して,屈折属格と迂言属格の通時的分布については,「#1214. 属格名詞の位置の固定化の歴史」 ([2012-08-23-1]),「#1215. 属格名詞の衰退と of 迂言形の発達」 ([2012-08-24-1]) を参照.)
原型にあったと想定される前置詞が脱落したという説を支持する根拠としては,of ではないとしても,Uppiby (up in the village), Atwell, Bysouth, atten Oak などの前置詞込みの姓が早い時期から観察されることが挙げられる.「#2364. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ」 ([2015-10-17-1]) に照らしても,イングランドにおけるフランス語の姓 de Lacy などの例はきわめて普通であった.このパターンによる姓が納税者たる土地所有階級の人名に多かったことは多言を要しないだろう.しかし,後の時代に,これらの前置詞はおよそ消失していくことになる.
英語の外を見渡すと,フランス語の de や,対応するドイツ語 von, オランダ語 van などは,しばしば人名に残っている.問題の「つなぎ」の前置詞の振る舞いは,言語ごとに異なるようだ.
先日,国立新美術館で開催されているマグリット展に足を運んだ.13年ぶりの大回顧展という.
René Magritte (1898--1967)はベルギーの国民的画家で,後のアートやデザインにも大きな影響を与えたシュルレアリスムの巨匠である.言葉とイメージの問題,あるいは記号論の問題にこだわり続けたという点で,マグリットの絵画は「言語学的に」鑑賞することが可能である.
マグリットは metaphor と metonymy を意識的に多用した.多用したというよりは,それを生涯のテーマとして掲げていた.metaphor や metonymy という言葉のあやを絵画の世界に持ち込み,目に見える形で描いた.つまり,目に見える詩の芸術家である.
意味論において metaphor は類似性 (similarity) に基づき,metonymy は隣接性 (contiguity) に基づくとされ,2つは対置されることが多い.しかし,対置される関係ではないという議論もしばしば聞かれる.マグリットも,絵画のなかで metaphor と metonymy を対立させるというよりは,しばしば同居させ,融合させることによって,この議論に参加しているかのようである.
例えば,マグリットの絵には,一本の木が,立てられた一枚の葉の輪郭として描かれているものが何点もある.木と葉の関係は全体と部分の関係であり,典型的な metonymy の例だが,同時に両者の輪郭が類似しているという点において,その絵は metaphor ともなっている.絵を眺めていると,metonymy でもあり metaphor でもあるという不思議な感覚が生じてくるのだ.もう1つ例を挙げると,Le Viol (陵辱)という作品では,女性の胸像がそのまま女性の顔とも見えるように描かれている.体と顔とは上下に互いに隣接しており metonymy の関係をなすが,その絵においてはいずれとも見ることができるという点で metaphor でもある.Dubnick (417) によれば,マグリットは,この絵のなかで視覚的に metaphor と metonymy を表現したのみならず,同時に背後で言葉遊びもしているという.
Le Viol (The Rape, 1934) which substitutes a woman's torso for her face, is predominantly metonymic though relationships of similarity are also important. The breasts are substituted for eyes, the navel for the nose, and perhaps a risqué pun on the word labia is intended. This monstrous image is both funny and grotesque. But even though this image may convey a metaphorical and moral message about the sexual basis of a woman's identity, especially in the eyes of the rapist, the core of the painting is really the vulgar synecdoche which replaces the word "woman" with a slang term for a female's genitals. Thus, this is both a verbal and a visual pun.
Dubnick (418) は,言語学者 Roman Jakobson を引き合いに出しながら,マグリットを次のように評価して評論を締めくくっている.
Jakobson's linguistic theories about metaphor and metonymy suggest that the phrase "visible poetry" was not an empty metaphor for Magritte, who created figures of speech with paint.
・ Dubnick, Randa. "Visible Poetry: Metaphor and Metonymy in the Paintings of René Magritte." Contemporary Literature 21.3 (1980): 407--19.
様々な種類の意味変化を分類する試みは数多くなされてきた.本ブログでもすでに「#1953. Stern による意味変化の7分類 (2)」 ([2014-09-01-1]),「#1873. Stern による意味変化の7分類」 ([2014-06-13-1]),「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1]) などで整理してきたが,今回は意味論のグロッサリーの semantic change という項目に挙げられている分類を要約しながら紹介する.具体的には Cruse の用語集からである.
(1) 語義の獲得と消失 (gain and loss of meaning) .コンピュータの出現により,mouse は従来の動物のネズミの意に加えて,コンピュータ・マウスの意を加えた.また,Jane Austen の時代には direction は宛名 (address) の意味で用いられていたが,現在はその意味は失われている.語義の獲得と消失には metaphor や metonymy が作用していることが多い.
(2) デフォルト語義の変化 (change of default meaning) .主たる語義が副次的な語義となったり,副次的な語義が主たる語義になるケース.100年前の expire の主たる意味は「死ぬ」だったが,現在は「死ぬ」は副次的な語義へと降格し,代わりに「満期になる」が主たる意味へと昇格した.intercourse の「交流」の意味も同様に主たる語義の地位から降格し,「性交」に取って代わられている.
(3) 意味的漂流 (semantic drift) .カテゴリーのプロトタイプ的な成員が時代とともに変わっていくのに連動し,プロトタイプ的な語義が変わっていくこと.weapon や vehicle は,時代によってその典型的な指示対象となるものを変えてきた.Stern の意味変化の分類でいう代用 (substitution) に相当する.
(4) 特殊化と一般化 (specialisation and generalisation) .かつては doctor は広く「教師;学者」を意味したが,現在では主として特殊化した「医者」の語義で用いられる.actor は従来は「男優」のみを意味したが,「(性別にかかわらず)俳優」として用いられるようになってきている.特殊化と一般化は,[2010-08-13-1]の分類でも取り上げた.
(5) 悪化と良化 (pejoration and amelioration) .interfere は古くは「介在する」 (intervene) の意味で評価については中立的に用いられていたが,現在では負の評価を帯びた「邪魔する」の意味で用いられている.typical も負の評価を帯びた「よくあるように悪い」の意味で用いられるようになっている.女性を表わす語が悪化を経やすいことについては,「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1]) と「#1909. 女性を表わす語の意味の悪化 (2)」 ([2014-07-19-1]) で取り上げたので参照されたい.良化の例は比較的少ないが,「ぶっきらぼうな,乱暴な」の意味だったものが「たくましい,屈強な」の意味へと変化した例などがある.悪化と良化は,[2010-08-13-1]の分類でも取り上げた.
(6) 漂白 (bleaching) .to make a phone call において,make は本来の「作る」の意味を漂白させ,「する,おこなう」というほどの一般的な意味へと薄まっている.awful, terrible, fantastic などの強意語が強意を失っていく過程も漂白の例である (cf. 「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]),「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1])) .
これは意味変化の要因,過程,方向,結果など複数の基準にもとづいた分類であり,分類というよりは箇条書きに近い.意味変化のタイポロジーというのは,つくづく難しい.
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
「#1976. 会話的含意とその他の様々な含意」 ([2014-09-24-1]) で,異なる種類の含意 (implicature) を整理した.このなかでも特に相互の区別が問題となるのは,Grice の particularized conversational implicature, generalized conversational implicature, conventional implicature の3種である.これらの含意は,この順序で形態との結びつきが強くなり,慣習化あるいはコード化の度合いが高くなる.
ところで,これらの語用論的な含意と意味変化や多義化とは密接に結びついている.意味変化や多義化は,ある形態(ここでは語を例にとる)と結びつけられている既存の語義に,新しい語義が付け加わったり,古い語義が消失していく過程である.意味変化を構成する基本的な過程には2つある (Kearns 123) .
(1) Fa > Fab: Form F with sense a acquires an additional sense b
(2) Fab > Fb: Form F with senses a and b loses sense a
(1) はある形態 F に結びつけられた語義 a に,新語義 b が加えられる過程,(2) はある形態 F に結びつけられた語義 a と b から語義 a が失われる過程だ.(1) と (2) が継起すれば,結果として Fa から Fb へと語義が推移したことになる.特に重要なのは,新らしい語義が加わる (1) の過程である.いかにして,F と関連づけられた a の上に b が加わるのだろうか.
ここで上記の種々の含意に参加してもらおう.particularized conversational implicature では,文字通りの意味 a をもとに,推論・計算によって含意,すなわち a とは異なる意味 b が導き出される.しかし,それは会話における単発の含意にすぎず,形態との結びつきは弱いため,定式化すれば F を伴わない「a > ab」という過程だろう.一方,conventional implicature は,形態と強く結びついた含意,もっといえば語にコード化された意味であるから,意味変化の観点からは,変化が完了した後の安定した状態,ここでは Fab という状態に対応する.では,この2つの間を取り持ち,意味変化の動的な過程,すなわち (1) で定式化された「Fa > Fab」の過程に対応するものは何だろうか.それは generalized conversational implicature である.generalized conversational implicature は,意味変化の過程の第1段階に関わる重要な種類の含意ということになる.
会話的含意と意味変化の接点はほかにもある.例えば,意味変化の典型的なパターンである一般化 (generalisation) と特殊化 (specialisation) (cf. 「#473. 意味変化の典型的なパターン」 ([2010-08-13-1])) は,協調の原則 (cooperative principle) に基づく含意という観点から論じることができる.Grice を受けて協調の原則を発展させた新 Grice 派 (neo-Gricean) の Horn は,一般化は例外なく,そして特殊化も主として R[elation]-principle ("Make your contribution necessary.") によって説明されるという (Kearns 129--31) .
Kearns は,implicature と metonymy や metaphor との関係についても論じている.そして,意味変化における implicature の役割の普遍性について,次のように締めくくっている.
. . . if implicature is construed broadly to subsume all the inferential processes available in language use, then most, perhaps all of the major types of semantic change can be attributed to implicature. Differentiating more finely, metaphor and metonymy (which are themselves not always readily distinguishable) produce the ambiguity or polysemy pattern of added meaning, in contrast to the merger pattern, which is commonly attributed to information-strengthening generalized conversational implicature . . . . On an alternative view, implicature (narrowly construed) and metonymy are grouped together in contrast to metaphor, on the grounds that the two former mechanisms are based on sense contiguity, while metaphor is based on sense comparison or analogy. (139)
・ Kearns, Kate. "Implicature and Language Change" Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 123--40.
標記の日本語表現と英語表現は,それぞれ天皇と国王を指示する呼称であり至高の敬意を表わす.いずれの表現にも politeness や euphemism の戦略が複数埋め込まれており,よくぞここまで工夫したと思わせる語句となっている.
「陛下」は元来宮殿に上る階段の下を指した.そこには取次の近臣がおり,その近臣を経由して,伝達事項が天皇の上聞に達することになっていた.本来は場所を表わす語句によりそこにいる取次を間接的に指示し,さらにその取次を指示することにより上にいる天皇を間接的に指示するのだから,2重の換喩 (metonymy) であり,ポライトネスを著しく意識した婉曲表現でもある.「敬して遠ざく」の極致だろう.また,「下」は反意語「上」を否応なしに想起させ,天皇の至上性を暗示する点で,緩叙法 (litotes) の効果をも併せもつ.表現としては中国で天子の敬称として用いていたものが日本にも伝わったものであり,古くは天皇にはむしろ類義語「殿下」の称号が付された.明治以降,皇室典範の規程により,天皇と三后には「陛下」,三后以外の皇族には「殿下」と使い分けが定められ,今に至っている.
英語の Your Majesty も,ポライトネス戦略の点からは「陛下」に負けていない.まず,「#440. 現代に残る敬称の you」 ([2010-07-11-1]) でみたように,Your そのものが敬意を含んでいる (cf. t/v_distinction) .次に,Majesty はそれ自身の意味として至高の美徳を表わしている.加えて,その至高の美徳という抽象的な性質によって,具体的な王を間接的に指示している.ここには,換喩による間接性と婉曲性が感じられる.なお,抽象的な性質によって具体的な人や物を指す例は,She is our last hope., His latest novel is a complete failure., Our daughter is a great pride and joy to us. のような表現にも見ることができ,換喩として一般的なものである (cf. Stern 319--20) .
なお,Majesty のこの用法の初出は,OED によると,14世紀後半である.
a1387. J. Trevisa tr. R. Higden Polychron. (St. John's Cambr.) (1872) IV. 9 (MED), Whanne Alisaundre..wente toward his owne contray, þe messangers..of Affrica, of Spayne, and of Italy come in to Babilon to ȝilde hem to his lordschipe and mageste [L. ejus ditioni].
しかし,君主の敬称として定着したのは17世紀のことであり,それ以前には Henry III や Queen Elizabeth I が Your Grace や Your Highness と呼ばれるなど,諸形が交替した.James I に捧げられた The Authorised Version (The King James Version [KJV]) では,Your Highness と Your Majesty がともに用いられている.
「陛下」,Your Majesty,そして関連するいくつかの表現は,それぞれ異なるポライトネス・ストラテジーによってではあるが,最高度の敬意を表わすために作り出された感心するほど巧みな造語である.敬礼!
・ Stern, Gustaf. Meaning and Change of Meaning. Bloomington: Indiana UP, 1931.
Fischer が英語の季節語に関する興味深い論文を書いている.要約すると次のようになる.
ゲルマン文化において,1年は夏と冬の2季に区分されていた.しかし,四季を区分する南欧文化との接触により,早くから春と秋の概念も入ってきてはいた.古英語では,sumer と winter の伝統的な2季区分に加えて,狭義に春の特定の1期間を表わす lencten が 広義に「春」として用いられ,狭義に秋の特定の1期間を表わす hærfest が広義に「秋」として用いられる例があり,現代のように四季の概念も語も揃っていた.ただし,lencten と hærfest のそれぞれの語には相変わらず狭義も併存していたため,専ら広義に季節を表わす現代英語の spring や autumn, fall と比べると,季節名称としての存在感はやや希薄だった.
中英語になると,古英語 lencten に対応する語は狭義へと退行する.14--15世紀には広義の「春」を失い,「春」の意味の場を巡る語彙の競合が始まる.「春」の意味の場は不安定となり,かつてのゲルマン的2季区分の記憶ゆえか,sumer が「春」をも含む超広義を発達させる.こうして,13世紀後半には,春の到来を告げる表現 Sumer is icumen in が現われた.
近代英語に入ると,「春」を巡る競合を制して,spring が台頭してくる.これは,植物が芽吹くイメージに重ね合わせた比喩として,生き生きとした表現に感じられたためかもしれない.spring of the leaf のような metonymy 表現もあれば,spring of the year のような metaphor もあった.同様に,古英語以降長らく「秋」を担当していた hervest も,18世紀の終わりまでには,やはり植物に比喩を取った fall や,フランス借用語の autumn などの類義語に徐々に地位を明け渡した.最終的に,同じように植物に比喩をとった spring と fall が生き残ったのは偶然ではないだろう.
Fischer は,以上の結論を得るために,古英語から近代英語にかけての「春」「秋」語彙を詳細に調査し,季節語の多義の消長を示す semasiological diagram と,季節に対応する類義語の消長を示す onomasiological diagram を描いた.結論の一環として,spring の存在は drag-chain によって,harvest の消失は push-chain によって説明されるとしている点も興味深い (86) .
・ Fischer, Andreas. "'Sumer is icumen in': The Seasons of the Year in Middle English and Early Modern English". Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 79--95.
metonymy を含む比喩 (trope) の研究は,意味論で盛んに行なわれてきた.そこでは,しばしば,固有名詞が一般名詞化した事例が取り上げられる.atlas, bloody mary, cardigan, dobermann (pinscher), hoover, jacuzzi, jersey, juggernaut, madeira, mercury, oscar, post-it, sandwich, tom (cat), turkey, wellington (boot) など枚挙にいとまがない.総称部の省略,固有名を記念しての命名,ヒット商品などにより,普通名詞化してゆく例が見られる.
しかし,逆の過程,一般名詞が固有名詞化する過程については,あまり研究対象とされてこなかった.この過程は,固有名詞学 (onomastics) では "onymisation" と呼ぶべきものである.Coates は,古英語の一般的な統語表現 sēo fūle flōde "the foul channel" が Fulflood という固有の河川名へ発展して行く過程を例に取りながら,onymisation を理論的に考察している.以下,Coates (30--33) を要約しよう.
まず,onymisation は,必ずしも形態的な変化を含意しない.確かに Fulflood の場合には,母音の変化を伴っているが,the White House などは,元となる "the white house" と比べて特に形態的な変化は生じていない(ここでは強勢の差異は考慮しないこととする).onymisation の本質は,語の形態にあるのではなく,常に固有名として使われるようになっているか,という点にある.後に見るように,実際には onymisation は形態変化を伴うことも多いが,それは過程の本質ではないということである.
次に,固有名詞になるということは,元となる表現のもっていた意味を失うということである.sēo fūle flōde は,「その」「きたない」「水路」という,生きた個別的な意味の和として理解されるが,Fulflood は通常分析されずに,直接に問題の河川を指示する記号として理解される.前者の意味作用を "semantic" と呼ぶのであれば,後者の意味作用は "onymic" と呼ぶことができるだろう.
現在,日常的には flood にかつての「水路」の意味はない.一般名詞としての flood は,古英語以来,意味を変化させてきたからだ.しかし,古い意味は固有名詞 Fulflood のなかに(敢えて分析すれば)化石的に残存しているといえる.この残存は,固有名詞 Fulflood が形態分析も意味分析もなされなかったからこそ可能になったのであり,onymisation の結果の典型的な現われといえる,意味を失うことによって残存し得たというのが,逆説的で興味深い.
さらに,Coates は,意味作用,進化論,言語獲得の知見から,"Onymic Reference Default Principle" (ORDP) を提唱している.これは,"the default interpretation of any linguistic string is a proper name" という仮説である.前提には,原初の言語使用においては,具体的で直接な指示作用 (onymic reference) が有利だったに違いないという進化論的な発想がある.
最後に,onymisation はしばしば形態的な変化を伴う.これは音韻的な摩耗や,一般語には見られない例外的な音韻変化というかたちを取ることが多い.固有名詞語彙は一般語彙のように音韻領域密度が高いわけではないので,発音に多少の不正確さや不規則さがあっても,固有名詞間の識別は損なわれないからだという.
Using an expression to refer onymically licenses the kind of attrition, or early and/or irregular sound change . . . because the phonological space of proper names is less densely populated than that of lexical words, and successful reference may be achieved despite less phonological precision. (33)
固有名詞あるいは固有名詞化という話題について,記号論的な立場から,ここまで詳しく考えたことはなかったので,Coates の論文をおもしろく読んだ.
・ Coates, Richard. "to þære fulan flóde . óf þære fulan flode: On Becoming a Name in Easton and Winchester, Hampshire." Analysing Older English. Ed. David Denison, Ricardo Bermúdez-Otero, Chris McCully, and Emma Moore. Cambridge: CUP, 2012. 28--34.
名詞 smoke には主要な語義として「煙」と「喫煙」の2つがある.The air was thick with cigarette smoke. では前者の語義が,Are you coming outside for a smoke? では後者の語義が用いられている.両語義は密接であり,その関係は換喩 (metonymy) によって容易に説明できる.したがって,これは単純に名詞 smoke の意味の拡大の例だと片付けてしまいがちである.
ところが,Bradley は,これは歴史的には2重の品詞転換 (conversion) の例であると断言している.なるほどと納得させられる議論だ.
Occasionally it happens that a noun in this way gives rise to a verb, which in its turn gives rise to another noun, all three words being exactly alike in sound and spelling. Thus, in the following examples: (1) 'The smoke of a pipe,' (2) 'To smoke a pipe,' (3) 'To have a smoke,' the noun of (1) is not, strictly speaking, the same word as the noun of (3). It is true that in cases like this our dictionaries usually treat the secondary noun as merely a special sense of the primary noun; and, indeed, very often, this treatment is unavoidable, because the difference of meaning between the two is so slight that in some contexts it disappears altogether. Still, it ought not to be forgotten that from the historical point of view the two nouns are really distinct: if English had retained its original grammatical system this would probably have been shown by a difference of termination, gender, or declension. (93--94)
英語史における品詞転換については[2009-11-03-1]ほか conversion の各記事で扱ってきたが,その起源は古英語後期に始まった屈折語尾や派生語尾の水平化現象に遡る.古英語には名詞語尾や動詞語尾などカテゴリーごとに異なる語尾を付与する形態論があったが,語尾の水平化によりカテゴリー間の形態的区別が失われると,同一形態がカテゴリーをまたいで自由に往来できる素地が整った.Bradley は,smoke の名詞としての両語義は,その往来により生まれたものだとしている.興味深いのは,引用の最後にあるように,古英語の形態論が健在であると仮定すれば,「煙」と「喫煙」は異なる形態論的特徴(形態そのもの,性,屈折タイプなど)をもつ異なる名詞として存在していただろうということである.
smoke についてはあくまで仮定の話しだが,実際に古英語の形態論的特徴を保ったまま現代に生きている例がある.例えば,bath は,(1) 'take a bath,' (2) 'bathe in the sea,' (3) 'take a bathe in the sea' のように発展してきており,(1) と (3) は smoke の場合と違い,異なる形態を示している.これは,古英語で <th> に相当する語幹末の音素が,音声環境に応じて無声音 [θ] か有声音 [ð] として現われる音素だったことに由来する差異で,[2011-03-30-1]の記事「-ths の発音」で触れたように breathe, clothe にも共通する.
このように bath と bathe による明らかな例を示されると,smoke の例を2重の品詞転換と考える議論が説得力をもつように思われる.
・ Bradley, Henry. The Making of English. New York: Dover, 2006. New York: Macmillan, 1904.
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