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linguistics - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-12 07:24

2022-02-28 Mon

#4690. 深く考えたことのなかった「英語学とは何か?」 [sobokunagimon][youtube][terminology][linguistics][philology][inoueippei]

 昨日の記事「#4689. YouTube で「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開設しました」 ([2022-02-27-1]) で,井上逸兵先生と共同で YouTube チャンネルを開設した旨をアナウンスしました.初回の「英語学」ってなに?--むずかしい「英語」を「学」ぶわけではありません!!では,対談という形で「英語学」そのものに迫ってみました.



 ところが,この質問は私にとってはそこそこ不意打ちの質問でして,ちょっと考えてしまいました.私の専門は「英語史」ですが広い意味で「英語学」の1分野ですし,これまでも「英語学」の講義を担当してきた経緯があります.その割には「英語学とは何か」を考えてきていなかったということに気づきました.もやもやとは答えをもっていましたが,自明すぎて本気で問うことをしてこなかったようです.
 私の答えを端的にいえば「英語という言語を対象とする言語学である」ということでした.ここには私の専門の英語史や英語文献学も含まれます.英語のスキルを磨くための「規範」に基づく語学学習とは一線を画し,英語のありのままを「記述」するのが英語学であると.つまり,とりわけ英語という個別言語をターゲットに絞って研究する言語学が英語学であるという認識です.
 一方,井上氏の認識は,端的にいって「英語学とは英米流の言語学である」ということでした.ターゲットというよりもアプローチを指す用語だというわけです.例えば,日本語を対象としていても英語学は成り立つという立場です.確かに,英語学のアプローチを用いながら実際のところは日本語を研究しているという事例は,日本の関連学会でも英文科の大学院でもしばしば見受けられることです.その観からいえば,井上流の「英語学」の解釈もうなずけます.
 どうやら「英語学」の理解にもいろいろとありそうだということに,今更ながら気づきました.では,英語学辞典などでは「英語学」はどのように定義されているのだろうと何冊か引いてみると,なんと載っていないのです! 自明すぎて載せないという建前なのでしょうが,実は自明ではないというのが今回の私の発見です.
 では英語学の教科書ではどうだろうかと,まず手元にあった『日英対照 英語学の基礎』を開いてみました.「まえがき」の p. ii に次のようにありました.

みなさんは,「英語学」と聞くと,これまで勉強している「英語」と何が違うのだろうと思うことでしょう.「英語学」というのは,英語という言葉がどのような仕組みになっているかを考える言語学の一領域です.つまり,英語の音や単語,文や会話などがどのような仕組みになっており,そこにどのような規則が潜んでいるかを明らかにしようとする研究分野です.


 これは,だいたいのところ私が理解している「英語学」に近いと思います.ただ,英語史贔屓の私にとっては,これだけではちょっと物足りないという感じがしています.
 英語学って何なのでしょうかね.捉え方は十人十色なのだろうと思います.この事実は意外とびっくりでした.皆さんの考えははいかがでしょうか?
 なお,「英語史」も負けず劣らず難しいです.とりあえず「#225. 「英語史研究」とは?」 ([2009-12-08-1]) 辺りをご覧ください.

 ・ 三原 健一・高見 健一(編著),窪薗 晴夫・竝木 崇康・小野 尚久・杉本 孝司・吉村 あき子(著) 『日英対照 英語学の基礎』 くろしお出版,2013年.

Referrer (Inside): [2022-03-04-1]

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2022-02-27 Sun

#4689. YouTube で「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開設しました [youtube][notice][linguistics][philology][inoueippei]

 昨日,標記の通り井上逸兵先生と共同で YouTube にて「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開設しました.
 初回動画「英語学」ってなに?--むずかしい「英語」を「学」ぶわけではありません!!のなかでも触れていますが「英語学・言語学って何なの?」という辺りから始めて,それぞれの専門分野(井上氏は社会言語学・認知言語学・語用論,堀田は英語史)の観点から,英語や言語一般に関する様々な話題を,定期的にお届けしていきます.初回は自己紹介的な雰囲気ですが,今後はどんどん濃くなっていくと思います.ぜひ視聴してみてください.チャンネル登録もよろしくどうぞ.



 共演者である井上逸兵氏を紹介したいと思います.慶應義塾大学文学部英米文学専攻の教授で,社会言語学,認知言語学,語用論などの分野を専門とされています(←同僚としても日々お世話になっています).NPO法人地球ことば村・世界言語博物館の理事長でもあります.2018--19年度には,NHK教育テレビ「おもてなしの基礎英語」の講師を務められました.著書も多数ありますが,とりわけ昨年話題となったのが『英語の思考法 ー 話すための文法・文化レッスン』(筑摩書房〈ちくま新書〉,2021年)です.詳しい業績その他の詳細は,井上逸兵のページをご覧ください.人気の Twitter はこちらです.
 井上氏には,すでに私の Voicy の「英語の語源が身につくラジオ」でも,2度ほど対談・出演していただいています.普段の私一人のしゃべりによる放送に比べて,ずっと多く聴かれているようです,さすがですね.

 ・ 「『英語の思考法』(ちくま新書)の著者,井上逸兵先生との対談」(2021年9月17日放送)
 ・ 「対談 井上逸兵先生と「英語新書ブーム」を語る」(2021年10月22日放送)

 今回開設した YouTube チャンネルの趣旨は,2人の英語学研究者による肩のこらない緩いおしゃべり,といったところです.高校生から大学生にかけての視聴者を念頭に「英語学・言語学って何?」というところから始めますが,広く英語や言語一般に関心のある方々にも視聴してもらえるような内容を織り込んでいきたいと思っています.
 同じお題でおしゃべりしても,異なる分野を専門とする2人が話せば,これだけ違う意見が出るのだなというところが見所かと思います.作り手もそれを楽しんでいるところがあります.
 今後は本ブログ,Voicy の「英語の語源が身につくラジオ」と合わせて,「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」もよろしくお願いいたします.

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2022-01-28 Fri

#4659. ソシュールによる言語学の3つの目標 [linguistics][history_of_linguistics][saussure]

 壮大なタイトルの記事を掲げてしまったが,これはあくまで壮大な言語学者である Saussure (1857--1913) の言葉 (6) .昨日も引用した The Routledge Linguistics Encyclopedia (3rd ed.) からの孫引き,しかも英訳で失礼するが,次の通り (xxxvii) .

1. to describe all known languages and record their history (this involves tracing the history of language families and, as far as possible, reconstructing the parent languages of each family);
2. to determine the forces operating permanently and universally in all languages, and to formulate general laws which account for all particular linguistic phenomena historically attested;
3. to delimit and define linguistic itself.


 要するに,共時態も通時態も含め言語のあらゆる側面について「記述」「理論」「メタ」の3点から攻めよ,ということと理解した.
 3つめの点などは本当に鋭い.どこからどこまでが言語学の範疇なのか,という問いである.言語学の自立性という問題にも通じるが,約1世紀後の議論を先取りするようなことを指摘している(というよりも最重要課題の1つとして挙げているのだから驚く).ソシュールが記号論的な視野をもって言語を眺めていたことがよく分かる.

 ・ Saussure, F. de. Course in General Linguistics. Trans. W. Baskin. London: Fontana/Collins, 1983. (First edition published 1916).
 ・ Malmkjær, Kirsten, ed. The Routledge Linguistics Encyclopedia. 3rd ed. London and New York: Routledge, 2010.

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2022-01-27 Thu

#4658. 20世紀の言語学の3段階 [linguistics][history_of_linguistics]

 The Routledge Linguistics Encyclopedia の序章 (xxv) に,20世紀以降,この約100年間の欧米における言語学の発展の図式が記されていた.3つの段階に分けられている.その区分を示そう.

Phase 1: The emergence of modern linguistics (1911--33)
1911 Saussure's third (final) lecture series in Geneva
       Boas's 'Introduction' to Handbook of American Indian Languages
1912 Daniel Jones becomes Head of Department of Phonetics, University of London
1913 Death of Saussure (1857--1913)
1914 Bloomfield's Introduction to the Study of Language
1916 Saussure's Cours de linguistique géenerale
1921 Sapir's Language
1924 Linguistic Society of America founded
1925 First volume of the journal, Language
1928 First International Congress of Linguists (The Hague)
1932 First International Congress of Phonetic Sciences (Amsterdam)
1933 Bloomfield's Language

Phrase 2: A time of transition (c. 19025--60)
1923 Malinowski's 'The problem of meaning in primitive languages'
1926 Linguistic Circle of Prague founded
1938 Death of Trubezkoy (1890--1938)
1939 Trubetzkoy's Grndzüge der Phonologie
       Death of Sapir (1884--1939)
1941 Death of Whorf (1897--1941)
1942 Death of Boas (1858--1942)
1944 J.R. Firth becomes Professor of General Linguistics, University of London
1949 Death of Bloomfield (1887--1949)
1951 Harris's Methods in Structural Linguistics
1953 Weinreich's Languages in Contact
1956 Jacobson and Halle's Fundamentals of Language
1957 Chomsky's Syntactic Structures

Phrase 3: The expansion and diversification of linguistics (since 1960)
1961 Halliday's 'Categories of the theory of grammar'
1963 Greenberg's Universals of Language
1964 Chomsky's Aspects of the Theory of syntax
1966 Labov's The Social Stratification of English in New York City
1973 Halliday's Explorations in the Functions of Language
1981 Chomsky's Lectures on Government and Binding
1985 Halliday's Introduction to functional Grammar
1986 Chomsky's Knowledge of Language
1995 Chomsky's The Minimalist Program


 第1期は,ソシュールの影響力のもとに,欧米が曲がりなりにも歩調を揃えながら共時的・構造主義的言語学を確立させた時代.第2期は,欧米の間で異なる方向に言語学が発展していった時代.第3期は,言語学の観点が多様化を遂げた時代と要約できるだろう.

 ・ Malmkjær, Kirsten, ed. The Routledge Linguistics Encyclopedia. 3rd ed. London and New York: Routledge, 2010.

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2021-12-26 Sun

#4626. 現代の手話研究の成果 [sign_language][evolution][history_of_linguistics][linguistics][history_of_linguistics]

 手話 (sign_language) がれっきとした言語の1形態であることについて「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1]),「#1663. 手話は言語である (2)」 ([2013-11-15-1]) などで取り上げてきた.

 Woll (96) によれば,手話の研究史は17世紀にさかのぼるが,現代の本格的な手話研究が始まったのは,つい最近ともいえる1950--60年代のことである.Tervoort (1953) と Stokoe (1960) の研究が画期的とされている.その後1970年代以降は,主流派言語学も手話研究から刺激を受け,この領域への関心を強めてきた.言語進化論の分野へのインパクトも大きかったようだ.Woll (104) 曰く,

. . . sign languages are the creation of humans with 'language-ready' brains. Thus it is inappropriate to view sign languages as comparable to the communication of pre-linguistic humans. Perhaps the most important contribution of sign linguistics to language evolution theory is the recognition that human communication is essentially multi-channel.


 現代の手話言語学は70年ほどの歴史をもつことになるが,この経験を通じて手話の3つの特徴が浮き彫りになってきたと Woll (92) は述べている.

 ・ Sign languages are complex natural human languages.
 ・ Sign languages are not related to the spoken languages of the surrounding hearing communities.
 ・ Sign languages can be compared and contrasted in terms of typology and modality with spoken language.


 手話言語は音声言語からの派生物ではなく,れっきとした言語の1形態であり,音声言語と比較できる側面とそうでない側面をもつ,ということだ.
 ちなみに世界に手話言語はいくつあるのか.Ethnologue (2009年版)では170の手話言語が挙げられているそうだが,別のデータベースによると数千ものエントリーが確認できるという (Woll 93) .幾多の理由で,音声言語と同様に,否それ以上に,正確に数え上げるのは困難なようだ.

 ・ Woll, Bencie. "The History of Sign Language Linguistics." Chapter 4 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 91--104.
 ・ Tervoort, Bernard T. Structurele analyse van visueel taalgebruik binnen een groep dove kinderen. Amsterdam: Noord-Hollandsche Uitgevers Maatschappij, 1953.
 ・ Stokoe, William C. "Sign Language Structure: An Outline of the Visual Communication Systems of the American deaf." Studies in Linguistics Occasional Papers 8 (1060): 1--78. University of Buffalo.

Referrer (Inside): [2021-12-27-1]

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2021-12-25 Sat

#4625. 戦後のジェスチャー研究の復活 [gesture][paralinguistics][kinesics][history_of_linguistics][linguistics][origin_of_language][sign_language][semiotics][generative_grammar]

 「#4623. ジェスチャーとは何か?」 ([2021-12-23-1]) で触れたように,近年,言語学とも関わりの深い分野としてジェスチャー研究が盛んになってきている.ジェスチャー研究の学史を振り返ると,19世紀までは主に言語起源論や普遍言語との関連でジェスチャーへの関心は概ね健在だったが,20世紀前半に構造主義の時代が始まると,注目されることが少なくなった.
 構造主義の時代には,言語学は共時的な関心に閉じこもったため,言語起源論と結びつきの強いジェスチャーの研究も下火になったのである.また,言語学の自律性がことさらに主張されたために,心理学とのコラボレーションを前提とするジェスチャー研究は,やはり振るわなくなった.
 しかし,戦後,ジェスチャー研究は復活を遂げる.背景には,言語学および関連学界における関心の移行があった.Kendon (81) が,この事情を次のように解説している.

In the first years following the Second World War, certain changes eventually produced a climate in which gesture again became relevant for theoretical issues related to language and thought. First, information theory and cybernetics, developed as solutions to problems in communication engineering, were applied in the study of communication within and between living systems, with the result that much thought and investigation came to be devoted to social communication. Not unrelated was the emergence of semiotics which, especially in North America, greatly broadened attention to sign processes, enhancing an interest in visible modes of signification, including gesture. Further, the question of language origins once again began to be taken seriously. When experiments with chimpanzees suggested that they might use gesture symbolically, as in a sign language, the idea of gesture as a first form of language was discussed once again . . . .
   At the same time, in psychology, complex mental processes once again became legitimate objects of investigation. Psychologists took an interest in language and the field of psycholinguistics was established. Noam Chomsky's work was especially important. He showed the inadequacy of a behaviourist approach to language and argued that linguistics should focus on 'competence', the mental apparatus making the acquisition and use of any language possible, rather than on descriptions of specific languages. Although neither Chomsky himself nor his followers showed interest in gesture, their mentalistic orientation was influential. When, later, psycholinguists looked at gesture, they did so for what it might reveal about the mental operations of utterance production.


 この引用文から,ジェスチャーへの関心を取り戻すのに貢献した,新時代の言語学と関連分野の潮流を表わすキーワードを並べれば,"information theory", "cybernetics", "semiotics", "origin_of_language", "sign_language", "Chomsky" 辺りだろうか.とりわけ,ソシュールの創始した構造主義言語学に代わってチョムスキーが装いを新たに心理主義言語学を復活させたことの意義は大きい.これにより言語と心理を結びつけてよいという前提が回復されたからである.
 関連分野の学史どうしは緊密に連携しているのだと実感した.合わせて「#252. 生成文法と言語起源論の復活」 ([2010-01-04-1]),「#519. 言語の起源と進化を探る研究分野」 ([2010-09-28-1]) なども参照.

 ・ Kendon, Adam. "History of the Study of Gesture." Chapter 3 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 71--89.

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2021-09-29 Wed

#4538. 固有名の地位 [onomastics][toponymy][personal_name][semantics][noun][category][linguistics][semiotics][sign]

 あまりにおもしろそうで,手を出してしまったら身を滅ぼすことになるかもしれないという分野がありますね.私にとって,それは固有名詞学 (onomastics) です.端的にいえば人名や地名の話題です.泥沼にはまり込むことが必至なので必死で避けているのですが,数年に一度,必ずゼミ生がテーマに選ぶのです.たいへん困ります.困ってしまうほど,私にとって磁力が強いのです.
 固有名詞の問題,要するに「名前」の問題ほど,言語学において周辺的な素振りをしていながら,実は本質的な問題はありません.言葉は名前に始まり名前に終わる可能性があるからです (cf. 「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]) で触れた "Onymic Reference Default Principle" (ORDP)).
 そもそも固有名詞というのは,言語の一部なのかそうでないのか,というところからして問題になるのが悩ましいですね.タモリさんではありませんが,私が「パリ,リヨン,マルセーユ,ブルゴーニュ」と上手なフランス語の発音で言えたとしても,フランス語がよく話せるということになりません.そもそも地名はフランス語なのかどうなのかという問題があるからです (cf. 「#2979. Chibanian はラテン語?」 ([2017-06-23-1])).
 英語史のハンドブックに,Coates による固有名詞学に関する章がありました.その冒頭の「固有名の地位」と題する1節より,最初の段落を引用します (312) .

The status of proper names
   Names is a technical term for a subset of the nominal expressions of a language which are used for referring ('identifying or selecting in context') and, in some cases, for addressing a partner in communication. Nominal expressions are in general headed by nouns. According to one of the most ancient distinctions in linguistics, nouns may be common or proper, which has something to do with whether they denote a class or an individual (e.g. queen vs Victoria), where individual means a single-member set of any sort, not just a person. Much discussion has taken place about how this distinction should be refined to be both accurate and useful, for instance by addressing the obvious difficulty that a typical proper noun denoting persons may denote many separate individuals who bear it, and that common nouns may refer to individuals by being constructed into phrases (the queen). I will leave the concept [賊proper], applied to nouns, for intuitive or educated recognition before returning to discussion of the inclusive concept of proper names directly. Proper nouns have no inherent semantic content, even when they are homonymous with lexical words (Daisy, Wells), and many, perhaps all, cultures recognise nouns whose sole function is to be proper (Sarah, Ipswich). Typically they have a unique intended referent in a context of utterance. Proper names are the class of such proper nouns included in the class of all expressions which have the properties of being devoid of sense and being used with the intention of achieving unique reference in context. Onomastics is the study of proper names, and concentrates on proper nouns; I shall confine the main subject-matter of this chapter to the institutionalised proper nouns associated with English and, in accordance with ordinary usage, I shall call them proper names or just names. Readers should note that strictly speaking these are a subset of proper names, and from time to time other members of the larger set will be discussed. There is some evidence from aphasiology and cognitive neuropsychology that institutionalised proper nouns --- especially personal names --- form a psychologically real class . . . .


 これだけでおもしろそうと感じた方は,仲間かもしれません.ぜひ章全体を読んでみてください.

 ・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.

Referrer (Inside): [2023-12-09-1] [2022-03-22-1]

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2021-09-10 Fri

#4519. "ecolinguistics" という分野 [ecolinguistics][linguistics][biology][world_languages][language_death]

 最近よく見かけるようになった ecolinguistics という用語.ある種の流行語なのか,何となくトレンドで私も言ったり言わなかったりするが,本当はよく分かっていない.エコロジーと言語学の掛け合わせということは分かるが,何を意味しているのだろうか.
 Phillipson and Skutnabb-Kangas (318) によると,"ecolinguistics", "language ecology", "linguistic ecology" はおよそ同義であり,このようなケースでの "ecology" は緩く "context" や "language environment" を指すのだという.まさに「環境」だ.では「環境」とは何なのかというと,ミクロ・マクロの社会言語学的,教育学的,経済学的,政治学的背景のことだという.そしてその直後に,流行語でありメタファーなので,そのところはヨロシクという感じで締めている.結局のところ,よく分からない.
 しかし,言語との関連での "ecology" をもっと厳密に考えている論者も少なくない.Phillipson and Skutnabb-Kangas も実はそのような考え方のようで,「物理的,生物学的,および社会学的環境」のことと捉えているようだ (319) .言語との関連で「社会学的」というのは分かるような気がするのだが「生物学的」というのはどういうことだろうか.どうやら Phillipson and Skutnabb-Kangas は,これを本気で言っている.
 Phillipson and Skutnabb-Kangas の主張を一言で要約するのは難しいが,「#601. 言語多様性と生物多様性」 ([2010-12-19-1]) で紹介したことを前提としていることは確かである.要するに,世界における言語多様性と生物多様性の分布が相関関係にあるという事実に基づいた着想のようだ.その上で,生物多様性を保持するための知識は人間の言語のなかに蓄積されており,後者を尊重することによって前者も保たれる,という立場をとっている.言語多様性の消失(保全)は生物多様性の消失(保全)に直結する,という議論だ.
 この議論についてどう考えればよいのか私は分からないままなので,まず Phillipson and Skutnabb-Kangas (323--24) の議論をそのまま引用しておきたい.

Most of the world's megabiodiversity is in areas under the management or guardianship of Indigenous peoples. Most of the world's linguistic diversity resides in the small languages of Indigenous peoples. Much of the detailed knowledge of how to maintain biodiversity, including TEK [= traditional ecological knowledge], is encoded in the language of Indigenous peoples. If we continue as now, most of the world's Indigenous languages will be gone by 2100. ICSU [= International Council for Science] states (2002) that "actions are urgently needed to enhance the intergenerational transmission of local and Indigenous knowledge...Traditional knowledge conservation, therefore, must pass through the pathways of conserving language (as language is an essential tool for culturally-appropriate encoding of knowledge)." Since TEK is necessarily encoded into the local languages of the peoples whose knowledge it is, this means that if these local languages disappear (without the knowledge being transferred to other, bigger languages, which it isn't) the knowledge is lost. By killing the languages we kill the prerequisites for maintaining biodiversity. Ecolinguistic diversity is essential because it enhances creativity and adaptability and thus stability.


 物理的・生物的なエコロジーと社会的・言語的エコロジーはリンクしているのだ,という叫びと理解した.皆さんはどう考えますか.

 ・ Phillipson, Robert and Tove Skutnabb-Kangas. "English, Language Dominance, and Ecolinguistic Diversity Maintenance." Chapter 16 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 313--32.

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2021-01-30 Sat

#4296. 音素とは何か? --- Crystal の用語辞典より [sobokunagimon][phoneme][phonetics][phonology][terminology][history_of_linguistics][linguistics]

 音素 (phoneme) は,言語学の入門書でも必ず取り上げられる言語の基本的単位であるといわれながら,実は定義が様々にあり,言語学上もっとも問題含みの概念・用語の1つである.学史上も論争が絶えず,軽々に立ち入ることのできないタームである.言語学では,往々にしてこのような問題含みの議論がある.例えば,語 (word) という基本的な単位すら,言語学ではいまだ盤石な定義が与えられていない (cf. 「語の定義がなぜ難しいか」の記事セット) .
 音素の定義というのっぴきならない問題にいきなり迫るわけにもいかないので,まずは用語辞典の記述に頼ってみよう.ただ,いくつか当たってみたのだが,問題のややこしさを反映してか,どれも記述がストレートでない.そのなかでも分かりやすい方だったのが Crystal の用語辞典だったので,取っ掛かりとして長々と引用したい.ただし,これとて絶対的に分かりやすいかといえば疑問.それくらい,初心者には(実は専門家にも)取っつきにくい用語・概念.

phoneme (n.) The minimal unit in the sound SYSTEM of a LANGUAGE, according to traditional PHONOLOGICAL theories. The original motivation for the concept stemmed from the concern to establish patterns of organization within the indefinitely large range of sounds heard in languages. The PHONETIC specifications of the sounds (or PHONES) heard in speech, it was realized, contain far more detail than is needed to identify the way languages make CONTRASTS in MEANINGS. The notion of the phoneme allowed linguists to group together sets of phonetically similar phones as VARIANTS, or 'members', of the same underlying unit. The phones were said to be REALIZATIONS of the phonemes, and the variants were referred to as allophones of the phonemes . . . . Each language can be shown to operate with a relatively small number of phonemes; some languages have as few as fifteen phonemes; othes as many as eighty. An analysis in these terms will display a language's phonemic inventory/structure/system. No two languages have the same phonemic system.
   Sounds are considered to be members of the same phoneme if they are phonetically similar, and do not occur in the same ENVIRONMENT (i.e. they are in COMPLEMENTARY DISTRIBUTION) --- or, if they do, the substitution of one sound for the other does not cause a change in meaning (i.e. they are in FREE VARIATION). A sound is considered 'phonemic', on the other hand, if its substitution in a word does cause a change in meaning. In a phonemic transcription, only the phonemes are given symbols (compared with phonetic TRANSCRIPTIONS, where different degrees of allophonic detail are introduced, depending on one's purpose). Phonemic symbols are written between oblique brackets, compared with square brackets used for phonetic transcriptions; e.g. the phoneme /d/ has the allophones [d] (i.e. an ALVEOLAR VOICED variant), [d̥] (i.e. an alveolar devoiced variant), [d̪] (i.e. a DENTAL variant) in various complementary positions in English words. Putting this another way, it is not possible to find a pair of words in English which contrast in meaning solely on account of the difference between these features (though such contrasts may exist in other languages). The emphasis on transcription found in early phonemic studies is summarized in the subtitle of one book on the subject: 'a technique for reducing languages to writing'. The extent to which the relationship between the phonemes and the GRAPHEMES of a language is regular is called the 'phoneme-grapheme correspondence'.
   On this general basis, several approaches to phonemic analysis, or phonemics, have developed. The PRAGUE SCHOOL defined the phoneme as a BUNDLE of abstract DISTINCTIVE FEATURES, or OPPOSITIONS between sounds (such as VOICING, NASALITY), and approach which was developed later by Jakobson and Halle . . . , and GENERATIVE phonology. The approach of the British phonetician Daniel Jones (1881--1967) viewed the phoneme as a 'family' of related sounds, and not as oppositions. American linguists in the 1940s also emphasized the phonetic reality of phonemes, in their concern to devise PROCEDURES of analysis, paying particular attention to the DISTRIBUTION of sounds in an UTTERANCE. Apart from the question of definition, if the view is taken that all aspects of the sound system of a language can be analysed in terms of phonemes --- that is, the SUPRASEGMENTAL as well as the SEGMENTAL features --- then phonemics becomes equivalent to phonology (= phonemic phonology). This view was particularly common in later developments of the American STRUCTURALIST tradition of linguistic analysis, where linguists adopting this 'phonemic principle' were called phonemicists. Many phonologists, however (particularly in the British tradition), prefer not to analyse suprasegmental features in terms of phonemes, and have developed approaches which do without the phoneme altogether ('non-phonemic phonology', as in PROSODIC and DISTINCTIVE FEATURE theories).


 最後の段落に諸派の見解が略述されているが,いや,実に厄介.
 音声 (phone) と音素 (phoneme) との違いについて,これまでに次のような記事を書いてきたので,そちらも参照.

 ・ 「#669. 発音表記と英語史」 ([2011-02-25-1])
 ・ 「#3717. 音声学と音韻論はどう違うのですか?」 ([2019-07-01-1])
 ・ 「#4232. 音声学と音韻論は,車の構造とスタイル」 ([2020-11-27-1])

 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.

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2021-01-26 Tue

#4292. 貨幣と言語 (4) [linguistics][semiotics][sign][metaphor]

 「#2743. 貨幣と言語」 ([2016-10-30-1]),「#2746. 貨幣と言語 (2)」 ([2016-11-02-1]),「#2755. 貨幣と言語 (3)」 ([2016-11-11-1]) に続き,5年振りに取り上げる話題.立川・山田の『現代言語論』より,フランスの哲学者 Jean-Joseph Goux の「言語と貨幣の生成プロセス」に関する解説 (68--73) を再読した.
 貨幣は経済において「交換のシステム」の主役となる.交換が成立するためには何らかの「等価性」「同一性」が必要であり,貨幣がそのための「一般等価物」の役割を果たしていると考えられる.Goux は「一般等価物」創出のメカニズムは,貨幣経済のみならず人間が作り出す象徴秩序を構成するすべての交換システムにみられるものとみなす.これを人間側の能力に引きつけて言い換えれば,人間には「象徴化能力」という特異な能力がある,ということになる.それは「現実に存在するありとあらゆる差異・変化のなかから『不変のもの』,『同一のもの』を取り出す能力」 (71) のことである.経済的にはそれは貨幣として現われるが,性的には男根中心主義として,政治的には君主制として,宗教的には一神教として現われるという.いずれも抑圧的なシステムであるという共通点がある.
 ここまでくれば,同じことが言語にも当てはまるだろうと予想することは難しくない.Goux は,言語をもう1つの人間の「交換のシステム」の主役とみなしている.具体的にいえば,ロゴス中心主義のシステムを媒介していると考えている.Goux にとって,言語記号とは現実を代行=再現するためのシステムを構成する抑圧的な要素なのである.
 確かに,貨幣も言語も,社会生活において実用的には便利だが,同時に何かしら抑圧をも感じさせる厄介な代物である.本質として,差異と多様性を押しつぶす方向性をもっているからだろう.一方で,差異と多様性だけを追い求めていったら共用具としては役に立たなくなることも,すぐに分かる.貨幣と言語は,この二面性においても類似している.
 上の議論は,言語に相矛盾する2つの方向性があることを思い出させてくれる.話者集団間での mutual intelligibility を目指す方向性と,個々の話者の identity marker として機能する方向性である.

 ・ 立川 健二・山田 広昭 『現代言語論』 新曜社,1990年.

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2020-12-18 Fri

#4253. 「対照言語学」と「比較言語学」は似て非なる分野 [contrastive_linguistics][comparative_linguistics][linguistics]

 標記の2つの分野はよく間違えられるが,まったく異なる分野であることを指摘しておきたい.英語では対照言語学contrastive linguistics と呼ばれ,比較言語学は comparative linguistics と呼ばれる.いずれも2つ以上の言語を比較・対照する言語学の下位分野であるには違いなく,ややこしい名称であることは確かである.
 分かりやすさを重視して,ざっくりと区別するならば,対照言語学は系統的に無関係の言語どうし(例えば日本語と英語)を比べて,言語現象の異同を明らかにする分野である.基本的には共時的な観点に立ち,語学教育,翻訳論,言語普遍性,言語タイポロジーなどと近しい関係にある.
 一方,比較言語学は系統的に関係がある言語や方言どうし(例えば英語とドイツ語)を比べて,その歴史的な類縁関係を明らかにしようとする分野である.原則として通時的な視点をもっており,言語変化論と相性がよい.
 このように,2つの分野は,ある意味で立場が180度異なる分野といってよい.英語史は本質的に通時的な分野なので,本ブログも相当程度に比較言語学寄りのスタンスを取っているといえる.
 上記の説明ではあまりに大雑把なので,McArthur の用語辞典からしっかりした解説を引用しておこう.まずは対照言語学から.

CONTRASTIVE LINGUISTICS, ALSO contrastive analysis [Mid-20c]. A branch of linguistics that describes similarities and difference among two or more languages at such levels as phonology, grammar, and semantics, especially in order to improve language teaching and translation. The study began in Central Europe before the Second World War and developed afterwards in North America. In the US in the later 1950s, Robert Lado proposed contrastive analysis as a means of identifying areas of difficulty for language learners that could then be managed with suitable exercises. Critics have pointed out that such areas of difficulty are already widely known and discussed by experienced professionals, and that, while headway has been made in analysing English, few other languages have been sufficiently studied to allow balanced comparison. Teachers, however, generally agree that mother tongue and target language merit comparison, many courses incorporate the results of contrastive study, and linguists involved in the area consider that the study is still in its infancy and continued research is likely to bear fruit.


 次に比較言語学について.見出しでは "comparative philology" となっており,こちらの用語ほうが誤解を招かないようにも思うが,昨今は上記の通り "comparative linguistics" のほうが普通である.

COMPARATIVE PHILOLOGY. The branch of philology that deals with the relations between languages descended from a common original, now generally known as comparative linguistics.


 ということで,間違いなきよう.

 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: Oxford University Press, 1992.

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2020-05-29 Fri

#4050. 言語における記述主義と規範主義 [terminology][prescriptivism][linguistics][hellog_entry_set][prescriptive_grammar][link]

 先日,Merriam-Webster のサイトで "A Word on 'Descriptive' and 'Prescriptive' Defining" と題する記事を読んだ.言語に関する記述主義 (descriptivism) と規範主義 (prescriptivism) の定義が,対比的に分かりやすく示されていた.日本語にせよ英語にせよ,このように的確に要点を押さえ,易しく,レトリカルな言葉使いを心がけたいものだと思わせる,すぐれた定義だと思う.原文に少しだけ手を加え,かつ対比点を目立たせると,次の通りである.

 ・ Descriptivism reflects how words are actually used.
 ・ Prescriptivism dictates how words ought to be used.


 大学生などに言語学や英語学の分野を導入する際に,いつも難しく感じるのだが,その難しさは,まさにこの記述主義と規範主義の区別をいかに伝えるかという点に存する.何年間も英文法を学んできて,国語でも現代文や古文の文法を学んできた学生(のみならず一般の人々)にとって,言語を規範主義の視点からみるということは自然であり,慣れ親しんでもいる.もっといえば,入試の英語でも資格試験の英語でも,言葉使いには,数学の答えと同様に,明確な正誤があるのだと信じ込んでいる.ある文法なり発音なりに出会うと,どうしてもそれが正しいか誤りかという目線で見てしまうのだ.このように規範主義的な見方にどっぷり浸かってしまっているために,それが邪魔となって,記述主義の視点から言葉をみるという,現代言語学が原則として採っている立場をすんなりと理解することが難しいのかもしれない.現代言語学は規範主義ではなく記述主義の立場に立っている.まずは,これをしっかり理解することが重要である.
 一方,近年の英語史のように,歴史社会言語学的な発想を積極的に取り込む言語学の分野においては,言葉に対する規範主義の発達や意義そのものを考察対象にするという傾向も目立ってきている.いわば規範主義そのものを記述していこうという試みだ.また,記述主義と規範主義とは実は連続体であり,程度の問題にすぎないという洞察も出されるようになってきた.
 記述主義と規範主義を巡る問題は,以下の記事でも考えてきた.以下の各々,あるいはこちらの記事セット経由で,改めて考察してもらいたい.

 ・ 「#747. 記述と規範」 ([2011-05-14-1])
 ・ 「#1684. 規範文法と記述文法」 ([2013-12-06-1])
 ・ 「#1929. 言語学の立場から規範主義的言語観をどう見るべきか」 ([2014-08-08-1])
 ・ 「#2630. 規範主義を英語史(記述)に統合することについて」 ([2016-07-09-1])
 ・ 「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1])
 ・ 「#3047. 言語学者と規範主義者の対話が必要」 ([2017-08-30-1])
 ・ 「#3323. 「ことばの規範意識は,変動相場制です」」 ([2018-06-02-1])

Referrer (Inside): [2021-01-01-1]

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2020-05-28 Thu

#4049. 科学誌 Nature に掲載された The Canterbury Tales の系統学 [chaucer][reconstruction][manuscript][textual_transmission][family_tree][linguistics][philology]

 言語学や文献学には,生物の系統図を思わせる樹 (tree) が様々なところに生えている.統語論の句構造樹,比較言語学の系統樹,写本の系統樹などである.3つめに挙げた写本の系統樹 (stemma) は,現存する写本間の世代,伝達,改変などに関する詳細な分析に基づいて,それらの関係を視覚化したものである(cf. 「#730. 写本文化の textual transmission」 ([2011-04-27-1]) ).主として特定のテキストの源泉を突き止めることを目的に stemma を作り上げていく写本系統学 (stemmatology) は,かつての英語文献学研究の花形だったといってよい.
 写本系統学は現在ではさほど盛んではないが,新しい科学技術に支えられた革新的な取り組みもないわけではない.新しいといっても1998年の論文だが,科学誌 Nature に,進化生物学に用いられる技術を用いた,Chaucer のThe Canterbury Tales の写本に関する研究が掲載された.中世英語の記念碑的作品といってよい The Canterbury Tales は約80ほどの写本で現存している.そのうちの15世紀に書かれた58写本について,"The Wife of Bath's Prologue" のテキスト(850行)のデータをもとに計算処理を行ない,写本の系統関係を明らかにしようという試みだ.作業の過程で,複数の写本からのコピーである可能性があるなどの判断で14写本が外され,最終的には44写本に関する系統図の作成が試みられた.コンピュータによりはじき出された系統図に基づき,次のような結論が導き出されたという.

From this analysis and other evidence, we deduce that the ancestor of the whole tradition, Chaucer's own copy, was not a finished or fair copy, but a working draft containing (for example) Chaucer's own notes of passages to be deleted or added, and alternative drafts of sections. In time, this may lead editors to produce a radically different text of The Canterbury Tales. (Barbrook et. al 839)


 まさか Chaucer も自分の作品(の批評)が科学誌に掲載されるとは夢にも思わなかったろう,と想像すると愉快である.

 ・ Barbrook, Adrian C., Chirstopher J. Howe, Norman Blake, and Peter Robinson. "The Phylogeny of The Canterbury Tales." Nature 394 (1998): 839.

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2020-03-10 Tue

#3970. 言語学理論の2つの学派 --- 言語運用と言語能力のいずれを軸におくか [generative_grammar][cognitive_linguistics][grammaticalisation][construction_grammar][linguistics][language_change]

 現代の言語学理論を大きく2つに分けるとすれば,言語運用 (linguistic performance) を重視する学派と言語能力 (linguistic competence) を重視する学派の2つとなろう.言語運用と言語能力の対立は,パロール (parole) とラング (langue) の対立といってもよいし,E-Language と I-Language の対立といってもよい.学派に応じて用語使いが異なるが,およそ似たようなものである.
 言語運用を重視する学派は,文法化理論 (grammaticalisation theory) や構文文法 (construction_grammar) に代表される認知言語学 (cognitive_linguistics) である.一方,言語能力に重きをおく側の代表は生成文法 (generative_grammar) である.両学派の言語観は様々な側面で180度異なり,鋭く対立しているといってよい.Fischer et al. (32) の表を引用し,対立項を浮かび上がらせてみよう.

 EMPHASIS ON PERFORMANCE/LANGUAGE OUTPUTEMPHASIS ON COMPETENCE/LANGUAGE SYSTEM
(a)product-orientedprocess-oriented
(b)emphasis on function (in CxG also form)emphasis on form
(c)locus of change: language uselocus of change: language acquisition
(d)equality of levelscentrality (autonomy) of syntax
(e)gradual changeradical change
(f)heuristic tendenciesfixed principles
(g)fuzzy categories/schemasdiscrete categories/rules
(h)contiguity with cognitioninnateness of grammar


 言語変化 (language_change) に直接的に関わる側面 (c), (e) のみに注目しても,両学派の間に明確な対立があることがわかる.
 印象的にいえば言語運用学派は動的,言語能力学派は静的ということになり,言語変化という動態を扱うには前者のほうが相性がよさそうにはみえる.

 ・ Fischer, Olga, Hendrik De Smet, and Wim van der Wurff. A Brief History of English Syntax. Cambridge: CUP, 2017.

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2019-08-26 Mon

#3773. Wittgenstein の「言語ゲーム」 (3) [language-game][family_resemblance][linguistics][philosophy_of_language][prescriptivism]

 2日間の記事 ([2019-08-24-1], [2019-08-25-1]) に引き続き,Wittgenstein の言語観について.Wittgenstein は言語ゲーム (Sprachspiel, language-game) というとらえ方を示すことによって,言語の体系的研究が不可能であることを示していたと考えられる.言語ゲームと言語研究の不可能性はどのように結びつくのだろうか.服部 (206--08) の考察を引用しよう.

 ウィトゲンシュタインはなぜこのように考えたのだろうか.この疑問に対する答は明らかではないが,いくつかの理由(と思われるもの)を推察することはできる.
 ウィトゲンシュタインは言語使用をゲームになぞらえて考え,それ故「言語ゲーム」という表現を多用する.例えば「言語ゲームにおける「これ」という語…はいったい何を名指しているのか」,「名指すことはそれだけでは言語ゲームにおける動きではまったくない」,等々.ところが,言語ゲームと言われるものすべてに共通する何かある一つのもの,そなわち言語ゲームの本質などというものは,彼によれば,ないのである.たしかに,様々な言語ゲームは互いに似通ってはいるが,それらに共通するものは存在しない.それらは家族的類似性を示しているだけなのである.「私はこの類似性を家族的類似性という語による以外,より良く特徴づける術を知らない」(六七節).もし科学的探究が,何であれ研究対象の本質の存在を前提し,それを探究するものだとするならば,言語には本質などそもそもないのであるから,それについて科学的探究をするということはありえないことになろう.
 また,次のようなことも考えられる.科学は世界の中で何が生起しているか,ということを探究する.ところが,たとえばある語が何を指示するのか,ある文が何を意味するのか,というような問いは言語と世界の間の関係を問うている.したがって,それはウィトゲンシュタインによれば科学的問いではない.これは『論考』以来彼が採用している見解である.とすれば,ここからも,言語についての科学的探究への否定的態度が出て来るであろう.
 あるいはまた,次のような発想もあるのかもしれない.言語には規則性ないし法則性があるとしばしば言われる.いわく,音声に関する法則性,統語論の規則,意味論の規則,等々.そして,実際,言語学者や哲学者(の一部)はこれらの法則性や規則性を見出そう,発見しようと努力しているのである.しかしながら,仮にそのような規則性があるとしても,それは科学的探究の対象となるような種類のものなのだろうか.ウィトゲンシュタインによれば,言語使用に関すかぎり,「すべてはむき出しにそこにあるのであるから,説明されるべきものは何もない」(一二六節)のである.これに対して,惑星の運行の法則性や原子の振舞いについての法則性などは「むき出しに」されてはいないし,したがって「説明」を要求されることが当然起こってくるだろう.
 自然科学の法則性と言語現象に見られる規則性---そのようなものがあるとしての話であるが---の間にはさらに顕著な相違があるように思われる.というのは,後者の規則性が規範としての役割をもっているからである.たとえば,物理学の法則に従って運動している物体はそのように「運動すべき」だからそのように運動しているわけではない.単にその物体の運動にはそのような規則性が見出されるにすぎない.これに対して,「豚の豚足」というような表現は通常用いられないという場合には,単にそのような規則性があるというだけではなく,誰かが「私は豚の豚足を食べたことがある」と述べたならば,「それはおかしい」,「変な表現だ」,「そのような言い方はすべきではない」,と指摘されることになるのである.同じ論点を次のように説明することもできる.すなわち,自然科学の法則性の場合,その法則性を破るような事例---反証事例と言われる---が見出されたならば,その法則性がそもそも怪しい,それは法則ではなかったと,されるのに対して,言語現象に見られる規則性の場合---だけではなく,多くの社会現象に見られる規則性の場合---には,反証事例と見えるものが見出されたときには,その事例に関与した人,例えば「私は豚の豚足を食べたことがある」と言った人は「規則を破った」として批判され,「正しい言い方」をするよう助言されるのである(言語現象でない社会事象で同様のことが起こった場合には,「合理的でない」「非合理的」として批判されるかもしれない.仮に,同じ品質の商品が二つの会社から販売されているときには消費者は値段が安い方を買うという規則性が主張されたとしよう.このとき,ある人が高い方を買ったならば,この規則が正しくなかったとされるのではなく,むしろその人が合理的でなかったとされるわけである.)


 ウィトゲンシュタインの言語思想によれば,言語には本質がなく,したがって科学の対象とはなり得ないということになる.言語は学究的対象にはなり得ず,あくまでゲームの現場にのみ存在する付帯現象にすぎないということになる.

 ・ 服部 裕幸 『言語哲学入門』 勁草書房,2003年.

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2019-08-23 Fri

#3770. 人間の言語の特徴,8点 [linguistics][double_articulation][arbitrariness][saussure]

 「#1281. 口笛言語」 ([2012-10-29-1]),「#1327. ヒトの言語に共通する7つの性質」 ([2012-12-14-1]) などで人間の言語の特徴を何点か挙げてきた.それらと多く重複するが,安藤・澤田 (10--16) が解説しながら挙げている8点の特徴を,私自身のコメントを加えながら示す.

 (1) 言語は媒体として音声を用いる
   もちろん書き言葉では文字が媒体となるし,身体言語 (body language) や身振り言語 (gesture language) もあれば,手話 (sing language) などもあるのは事実である.しかし,それらはより一般的な記号学 (semiotics) で扱われる対象というべきである.人間の諸言語にみられる最大公約数的な特徴としては,音声を媒体としていることが挙げられる.「#1063. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (1)」 ([2012-03-25-1]),「#1064. 人間の言語はなぜ音声に依存しているのか (2)」 ([2012-03-26-1]),「#2535. 記号 (sign) の種類 --- 伝える手段による分類」 ([2016-04-05-1]) を参照.

 (2) 言語は恣意的な記号である
   きわめて重要な言語の特徴である.「#1108. 言語記号の恣意性,有縁性,無縁性」 ([2012-05-09-1]),「#2224. ソシュールによる言語の恣意性と線状性」 ([2015-05-30-1]),「#2445. ボアズによる言語の無意識性と恣意性」 ([2016-01-06-1]) ほか arbitrariness の各記事を参照.

 (3) 言語は構造をもつ体系 (system) である
   言語においては,要素がデタラメに並んでいるわけではなく,一定の決まりにしたがって並べられている.これについては,「#2245. Meillet の "tout se tient" --- 体系としての言語」 ([2015-06-20-1]),「#2246. Meillet の "tout se tient" --- 社会における言語」 ([2015-06-21-1]) を参照.

 (4) 言語は社会制度である
  言語は,ある言語共同体の中で一種の社会契約として作られた記号の体系である.個人が勝手に変えられるものではなく,社会的に築きあげられた体系である.

 (5) 言語は形相 (form) であって,実質 (substance) ではない.
   ソシュールは,言語記号を考える上で形相と実質を区別すべきことを主張した.チェスにおいては,コマが木製だろうが象牙製だろうが,ゲームにとっては無関係である.ゲームにとって大事なのは,チェスのルールで定められているコマの機能,あるいは価値である.この場合,コマの機能・価値が形相に当たり,コマの材質が実質に当たる.関連して「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) を参照.

 (6) 転移言語 (displaced speech)
   今ここに関与するもの以外のこと(昨日のことや,別の場所で起こっていることなど)を話題とすることができる性質のことである.動物の鳴き声などは,その時その場に限られており,時間的・空間的に離れたものを指し示すことができない.人間の言語は,時間的・空間的に離れたものを話題にできるばかりか,現実にないこと(うそ・皮肉・冗談)を表わすこともできる.

 (7) 創造性 (creativity)
   言語要素を自由かつ生産的に組み合わせて,無限に新しい語や文を生み出すことができる.

 (8) 二重分節 (double articulation)
   「#767. 言語の二重分節」 ([2011-06-03-1]),「#1062. 言語の二重分節は本当にあるか」 ([2012-03-24-1]) を参照.

 動物のコミュニケーションには,(1) 以外の特徴がみられないことに注意したい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

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2019-08-22 Thu

#3769. 言語学とフィロロジー [linguistics][philology][terminology][history_of_linguistics]

 言語学 (linguistics) とフィロロジー (philology) は,ともに言語を研究する分野でありながら,対置されて捉えられることが多い.後者は「文献学」と訳されてきた経緯があるが,誤解を招くきらいがあることから,しばしばそのまま「フィロロジー」と横文字で称される.
 言語研究は伝統的にフィロロジーと呼ばれてきたが,19--20世紀以降に一般化・理論化の方向を示す近代言語学が発展してくると,それを前者から区別し,言語学と呼ぶようになった.両者の間には以下のような相違がある.

 フィロロジー言語学
研究対象文化や文学を担うものとしての言語(したがって,民族の精神文化に迫ろうとする)言語自体(したがって,文字や文学をもたない言語も対象となる)
指向性テキスト指向的,データ中心的非テキスト指向的,事実中心的
目的個別性を目指し,たとえば「英語性」を明らかにしようとする一般化と理論体系の構築を目指す
スタンス歴史的記述的


 このように言語学とフィロロジーには言語に対するまなざしの違いがあるが,いずれも等しく追究するに値する言語研究の方法である.したがって,たとえば英語学といった場合にも,フィロロジー的英語学 (English philology) と言語学的英語学 (English linguistics) が区別されることになる.理想をいえば,いずれの英語学をも視野に収めて研究していくことが望まれる.
 以上,安藤・澤田, p. 2--3 に依拠した.関連して「#542. 文学,言語学,文献学」 ([2010-10-21-1]) も参照されたい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

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2019-02-24 Sun

#3590. 「ことば遊び」と言語学 [linguistics][communication][history_of_linguistics][word_play]

 ことば遊び(言語遊戯)は,言語学の研究対象としては常にマイナーな地位を占めてきた.分野名も定まっていないし,そもそも「ことば遊び」の総称的な名称も定まっているのかどうか怪しい.英語でも word play, verbal play, speech play, play of language などと様々な言い方が存在する.
 しかし,まったく研究されてこなかったわけではなく,修辞学や文体論との関連で扱われてきた経緯はあるし,近年ではコミュニケーション論や語用論的観点からも考察され,分野としての発展可能性が開かれてきた.人工知能研究との関連でも注目されてきているようだ.
 中島(編)の『言語の事典』のなかに,滝浦真人による「ことば遊び」と題する1章があり,興味深く読んだ.そのイントロ (396) によると,ことば遊びの基本的特徴として逸脱性と規約性の2面性が挙げられるという.

 ことば遊びとは,常にコミュニケーションの規範をすり抜けていく“逸脱的”な営みである.ことば遊びが話の文脈を脱線させ,あるいはメッセージを二重化して隠し,時にあからさまに相手に謎をかけるとき,言語の情報伝達性という大前提は多かれ少なかれ裏切られている.
 しかし同時に,ことば遊びは,単に統御を欠いた破壊的な営みであるわけではない.ことば遊びを人が“ともに遊ぶ”ことができるのは,それが常に一定の規約性を基盤とするからである.そして,その基盤が規約=慣習 (convention) であるがゆえに,ことば遊びは個々の言語文化に固有の形態を育む.
 ことば遊びが,言語の“型”の問題であることを超えて,広くコミュニケーション一般の問題となるのは,こうした二面性においてである.


 ことば遊びは,情報伝達性を前提としたごく普通の言語コミュニケーションとは異なっているが,では何がどの程度どのように異なっているのかが問題となる.形式的な観点はもとより機能的な観点からも迫る必要があるだろう.
 英語のことば遊びに関しては,Crystal の英語学入門書が具体例を豊富に挙げつつ解説しており,有用である.

 ・ 滝浦 真人 「ことば遊び」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.396--415頁.
 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.

Referrer (Inside): [2019-03-01-1]

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2018-12-20 Thu

#3524. 構文文法の3つの特徴 [construction_grammar][semantics][pragmatics][linguistics]

 昨日の記事「#3523. 構文文法における構文とは?」 ([2018-12-19-1]) で,構文文法の特徴を1つ挙げた.構文文法は,語彙と文法を明確に異なるものとしてとらえないという言語観に立つ.語の構造と統語の構造では確かに内部の複雑さは異なるものの,形式と機能をペアリングさせた単位である点で違いはない,と考えるのである.
 構文文法の言語観として,ほかにも特徴的なことがある.1つは,意味論と語用論のあいだに明確な区分を設けないということだ.意味論的な情報は,焦点,話題,使用域といった語用論的な情報とともに表現されているという立場をとる.
 構文文法の今ひとつの特徴は,一見すると意外なことに,生成文法風に「生成的」 (generative) な立場をとっていることだ.「生成的」とは,文法的に許容される無限の表現を説明しようとする一方で,許容されない無限の表現を排除しようとしていることを指す.ただし,生成文法のように「変形的」 (transformational) ではないことに注意が必要である.基底の統語・意味的な形式から,何らかの変形を経て表層の形式が生み出されるという過程は想定していない.
 明らかに,構文文法は生成文法寄りではなく認知文法寄りの立場のように見えるが,「#3511. 20世紀からの各言語学派を軸上にプロットする」 ([2018-12-07-1]) の図でみたように,形式にも十分なこだわりを示している点では中間的な文法ともいえそうだ.昨今注目されている文法だが,バランサー的な位置取りにいることが魅力的なのかもしれない.

 ・ Goldberg, Adele E. Constructions: A Construction Grammar Approach to Argument Structure. Chicago: U of Chicago P, 1995.

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2018-12-07 Fri

#3511. 20世紀からの各言語学派を軸上にプロットする [linguistics][history_of_linguistics][generative_grammar][saussure]

 ソシュールに始まる20世紀の言語学は,その後数十年で様々な展開を示してきた.展開の仕方はヨーロッパとアメリカとでかなり異なるものの,体系・形式重視の学派と用法重視の学派の対立の歴史とらえるとわかりやすい.当然ながらその中間に位置づけられる折衷的な学派も現われてきて,20世紀から21世紀にかけて多彩な言語学が花咲くことになった.以下,高橋・西原 (pp. 4--5) にしたがって示そう.

 まず20世紀のヨーロッパの各言語学派について,体系重視(左側)と用法重視(右側)を両極とする軸の上に位置づけた図を掲げよう.

  体系重視                                    用法重視

               ソシュール   カザン学派
    ←――――――――――――――――――――――――――――――――――――――→
    コペンハーゲン     フランス・      プラーグ学派     ロンドン学派
      学派       ジュネーヴ学派     中間的機能論

 続いて現代のアメリカの各言語学派について,形式重視(左側)と用法重視(右側)を両極とする軸の上に位置づけた図.

  形式重視                                    用法重視

    ←――――――――――――――――――――――――――――――――――――――→
    生成文法     構造重視機能論   構文文法   認知文法   談話重視機能論

 21世紀の今後の言語学の方向性について,高橋・西原 (6) は次のように予想している.

このように,20世紀のヨーロッパの言語学も,今日のアメリカを中心とする言語学も,心理学・認知科学や社会学・文化人類学など隣接分野と相互に影響し合いながら,構造や形式を重視するか機能や用法を重視するかによって,言語観・文法観が大きく異なり,今後も,1方向のみならず,多方向に振れる振り子のように変化・発展していくものと思われる.


 ・ 高橋 潔・西原 哲雄 「序章 言語学とは何か」西原 哲雄(編)『言語学入門』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2012年.1--8頁.

Referrer (Inside): [2018-12-20-1]

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