「#5230. 「宗教の言葉」 --- 『宗教学事典』より」 ([2023-08-22-1]) で引用した『宗教学事典』の次の部分に,2項を逆転させた「言葉の宗教」という小見出しを掲げている文章がある (347--38) .
●言葉の宗教 他方,神の啓示を絶対的真理として受容しそれに聴従する啓示宗教---宣言型の宗教にほぼ重なる---では,神が啓示した言葉が信仰者に受容され,やがて「聖典・経典」が編纂される.それは何よりも絶対的真理が記された書であり,一切の価値判断の基準が神の絶対性に求められる以上,そこに誤謬はありえない.これが啓典の民が抱く信仰の根本にある.ユダヤ教・キリスト教・イスラームなどの一神教において,こうした聖典無謬性の主張は比較的顕著に窺えるが,ヒンドゥー教などの多神教でも,聖典の聖句に対する神聖視は容易に観察できる.聖典に対する呪物崇拝や解釈上の聖典原理主義が生まれる土壌は,言葉の宗教に本質的に内蔵されているのである.
また,超越的霊威の言葉(神の言,仏説など)が記された聖典・聖書が絶対的真理を含むのみならず,そこに書かれた聖句や聖音が絶対的価値を帯びているとみなされることもある.そのような聖音が母源となって,他の一切の音韻が派生・分岐したとみなされる場合,言葉それ自体が神格化されて,最終的には言葉が宇宙の万物を生み出す想像原理であると主張されることになる.すなわち,言葉を宇宙万物の構成要素と見る「言語宇宙論」である.一見すると,原始心性の中で培養された,理性が未発達ゆえの素朴で稚拙な言語観と受け取られる可能性が高いものである.
最後に出てくる「言語宇宙論」という壮大な言語観について,少し間をおいて次のように文章が続く (348) .
「意思伝達」に焦点を絞る限り,日常言語の働きは,①表出・②訴え・③指示・④述定にある.それは,「①誰かが,②誰かに,③何ものかについて,④何ごとかを語る」という四肢構造の枠組みで考察することができるだろう.実は,こうした「意思伝達」を暗黙の前提にした言語観の認識枠組みには収まり切らない異質な言語理解の観点が,先述の言語宇宙論には含まれている.つまり,そこには言語の主要機能を「意思伝達」ではなく,「宇宙創造」と捉えるような言語観が示されていると理解できるのである.
「言語宇宙論」は,現代言語学では取り扱われることのない言語観ではあるが,1つの言語観ではある.
・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.
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