文字の種類と類型について,「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]) や「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]) などで考えてきた.文字論の入門的な文献でも,標題に掲げた表意文字 (ideogram) と表語文字 (logogram) は必ず触れられるものの,両者の違いの説明となると,たいてい歯切れが悪い.しばしば両者が混同され同一視されることもあるように,両者のあいだにいかなる違いがあるのかを明確に理解している人は必ずしも多くない.誤解がはびこっていることは,Bloomfield (285) の次の指摘からも知られる.本来の表語文字のことを「表意文字」と理解している向きが多いようだ.
Systems of writing which use a symbol for each word of the spoken utterance, are known by the misleading name of ideographic writing. The important thing about writing is precisely this, that the characters represent not features of the practical world ("ideas"), but features of the writers' language; a better name, accordingly, would be word-writing or logographic writing.
しかし,正真正銘の表意文字というものもあることは事実である.実際,独立した純粋な表意文字というものは珍しいが,少なくとも表意的な文字の使用はある.
表語文字とは,音声言語における1語(それより小さい形態素の場合もあるが)に対応した文字である.語は典型的な言語記号の1つであるから,能記 (signifiant) と所記 (signifié) が結びついた単位である.この単位に対して1文字が対応しているとき,それを表語文字と考える.<木> という漢字を例にとると,これは日本語の文脈では,幹を持つ植物を表わす「木」という1語にきれいに対応しているので,表語文字といってよい.語には能記と所記の両方が含まれているので,それを表わす <木> の文字にも,/ki/ という読みと「木」の意味の両方が含まれている.同じことは,形字的により複雑な構造をもつ <松> の漢字についてもいえる.
<松> の漢字は全体としては <木> と同じ表語文字といえるが,では,構成要素としての木偏の部分だけに注目すれば,その部分は <木> という独立した漢字の場合と同様に表語的といってよいだろうか.木偏は,それ自体は能記をもたず,既存の語にも(形態素にも)対応しないのだから,表語的というのはふさわしくない.しかし,「木に関すること,木の種類」というほどの情報は緩くもっており,その限りにおいて表意的であるといえる.木偏は独立した文字ではないので,表意文字と言い切ることはできないが,表意的な機能をもっているということはいえる (cf. 「#1197. 英語の送り仮名」 ([2012-08-06-1])).
文字の表語性と表意性は,理論的にはこのように区別して理解しておく必要がある.だが,境目が微妙なケースも確かにある.英語におけるアラビア数字を考えてみよう.<2> という文字(数字)は,英語では two という語に対応し,典型的な表語文字と考えてよいだろう.しかし,<2nd> と表記した場合はどうだろうか.3文字からなる <2nd> という綴字全体としては,英単語 second に対応しており,表語文字と理解してよいが,1文字目の <2> だけを取り出して,これを論じる場合には何といえばよいか.この場合の <2> は,既存の何らかの英単語には対応しておらず,意味としての「2」を表わしているにとどまる.したがって,この <2> は表意文字的に用いられているというべきだろう.これは,<松> における木偏の役割ににている.ちなみに,後続の <nd> は表音文字として機能している.単体としての <2> は表語文字だが,偏のように使われている <2nd> の <2> は表意文字といえる.ここから,「<2> は表語文字である」と一般的に言い切ることはできず,<2> はその用法に応じて,表語的にも表意的にも機能するのである.この辺りが難しい.
Edgerton (150) が,英語の文脈での <2> について,さらに興味深い分析を加えている.<222> は "two hundred twenty-two" などと読まれるが,例えば "hundred" の読みはどこから発するのだろうか,と.最初の <2> は two hundred という語(厳密には2語の組み合わせ)に対応し,2つめの <2> は twenty という語に対応し,最後の <2> は two という語に対応するというように,各々が表語文字として機能しているのだろうか.だが,この解釈には無理があるように思われる.よりすぐれた考え方は,各文字が緩く「2」に関連する意味(それぞれ2の100倍,10倍,1倍)を表わしている表意文字であるという解釈だ.そして,実際の使用に際しては,慣例として10進法と桁の概念を適用し,全体としてある数字を表わす表語文字となる.
文字の類型を論じる際には,表語文字であるとか表意文字であるなどとカテゴリカルに論じるよりは,ある文字が使用に応じて表語的になる,あるいは表意的になるというように論じることが必要な場合も多いのではないだろうか.
・ Edgerton, William F. "Ideograms in English Writing." Journal of the Linguistic Society of America 17 (1941): 148--50.
・ Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984.
19世紀は歴史言語学が著しく発展した時代だったが,そのなかにあって必ずしも歴史言語学に拘泥せず,通時態と共時態を超越した一般言語学理論へと近づこうとしていた孤高の才能があった.Wilhelm von Humboldt (1767--1835) である.Humboldt の言語観は独特であり,sapir-whorf_hypothesis の前触れともなる 「世界観」理論 (Weltanschauung) を提唱したり,形態論的根拠に基づく古典的類型論 (cf. 「#522. 形態論による言語類型」 ([2010-10-01-1])) を提案するなどした.
Humboldt の言語思想を特徴づけるものの1つに,言語は ergon (Werk; 作られたもの) ではなく energeia (Tätigkeit; (作る)働き) であるとする考え方がある.言語の静的な面は見かけにすぎず,実際には動的な現象であるという謂いである.では,言語がどのような動的な活動かといえば,「調音作用が思想を表現しうるために永久に繰り返される精神の活動である」(松浪ほか,p. 37).Humboldt は,調音作用と思想の連合をとりわけ強調しており,前者の有限の媒体がいかにして後者の無限の対象を表現しうるかという問題を考え続けた.
有限から無限が生じる機構ときけば,私たちは Chomsky の生成文法を思い浮かべるだろう.実際のところ Humboldt の言語思想は,生成文法的な発想の先駆けといってよい.生成文法でいう言語能力 (competence) やソシュールのラング (langue) に相当するものを,Humboldt は内部言語形式 (innere Sprachform) と呼んだ.内部言語形式にはすべての言語にみられる普遍的な部分と言語ごとに個別にみられる部分があるとされ,この点でも Chomsky の普遍文法やパラメータの考え方と近似する.そして,この内部言語形式に具体的な音を材料として流し込むと,外化された表現形式が得られる.
Humboldt's innere Sprachform is the semantic and grammatical structure of a language, embodying elements, patterns and rules imposed on the raw material of speech. (Robins 165)
Humboldt にとって,言語とは,文法や意味という形式に音という材料を流し込むこの一連の活動,すなわちエネルゲイアにほかならない.
Humboldt の言語思想は同時代の言語学者にさほど影響を与えることはなかったが,後世の言語学へ大きなうねりとなって戻ってきた.普遍文法,言語相対論,類型論,言語心理学といった大きな話題の種を,19世紀初頭にすでに蒔いていたことになる.
Humboldt の言語思想についてはイヴィッチ (31--33) も参照.
・ 松浪 有,池上 嘉彦,今井 邦彦(編) 『大修館英語学事典』 大修館書店,1983年.
・ Robins, R. H. A Short History of Linguistics. 4th ed. Longman: London and New York, 1997.
・ ミルカ・イヴィッチ 著,早田 輝洋・井上 史雄 訳 『言語学の流れ』 みすず書房,1974年.
ここ数年のあいだに歴史語用論のなかで育ってきた概念の1つに,「周辺部」 (periphery) がある.この周辺部は概ね統語的に理解してよいが,正確には発話の両端の部分ととらえておきたい.発話の左端は LP (left periphery),右端は RP (right periphery) と呼ばれ,語用論的にとりわけ重要な機能を果たすポジションとされる.その機能とは,具体的には,会話運営上の意図を伝える,相手へのポライトネスを含めた配慮を示す,話題転換や会話開始などの行為を示す,等々が含まれる(小野寺, p. 16).
歴史語用論研究の主たる関心事である談話標識 (discourse_marker) は,確かに周辺部に現われることが多い.談話標識は理論的には「発話をくくる」 (bracket an utterance) 機能を有するといわれるが,周辺部に現われることは,その目的に適っていると考えられる.ただし,LP と RP の両側から挟み込むようにして「くくる」というよりは,いずれかのみが利用されることが実際には多いようである.
では,LP ではどのような談話標識や他の表現が用いられる傾向があるのか,あるいはどのような語用論的機能が果たされることが多いのか.また,RP ではどうなのか.また,通言語的にみた場合,"form-function-periphery mapping" (小野寺,p. 17)の関係について何らかの類型論が得られるだろうか.これらの問題はまだ詳しく解明されていないが,これまでの研究で分かってきたことはいくつかある.小野寺 (17--20) より,3点を紹介しよう.
(1) LP には,後続する主たる部分を理解させるための認知的枠組を与える形式が置かれやすい.その形式とは,談話標識,英語の if 条件説,ドイツ語の wenn 条件説,隣接応答ペアの第一ペア部分,トピック--コメント構造のトピック部分などである.話し手が,言いたいことの前に何らかの枠組を伝えておくための場所ととらえられる.
(2) LP と RP の両方が話順取り (turn-taking) に関わっている.会話のやりとりにおいて,発話のバトンを受けた話し手は,LP において話順を取ったことを示す傾向があり,バトンを相手に渡すときには RP において話順を譲ることを示す傾向がある.
(3) LP には,これから行われる話者の行為が何であるかを知らせる機能がある.換言すれば,LP に置かれる談話標識等の形式は,談話の行為構造 (action structure) を司る役割を果たす.ドイツ語で話者がこれから述べようとする反対意見を知らせる obwohl や,日本語で話者が会話の開始を伝える「でも」などが,ここに属する.
(1), (2), (3) はそれぞれ趣は異なるが,いずれも「発話をくくる」という語用論的機能を果たしている.一方で,(1), (2), (3) は別個の語用論的機能というよりは,それぞれが互いに乗り入れる連続体のようにも思われる.例えば,英語の Excuse me, but . . . や日本語の「すみませんが・・・」は LP に現われ,(1) と (3) (さらに (2) も?)の機能を同時に果たしていると考えられないだろうか.「周辺部」とは,おもしろい概念が現われてきた.
・ 小野寺 典子 「談話標識の文法化をめぐる議論と「周辺部」という考え方」『歴史語用論の世界 文法化・待遇表現・発話行為』(金水 敏・高田 博行・椎名 美智(編)),ひつじ書房,2014年.3--27頁.
「#2061. 発話における干渉と言語における干渉」 ([2014-12-18-1]) で念を押したように,語の借用 (borrowing) は過程であり,借用語 (loanword) は結果である.Weinreich は明示的にこの区別をつける論者は少なかったと述べているが,Roberts という研究者がより早くこの区別について論じている.Roberts (31--32) は,言語接触の過程を "fusion" と呼び,結果としての状態を "mixture" と呼び分けた.また,Roberts は "fusion" と "mixture" をそれぞれ細分化するとともに,そのような過程や結果の前段階にある2言語使用状況のタイプを2つに分け,全体として言語接触の類型論というべきものを提起している.以下,Roberts (32) の図式を再現しよう.
だが,正直いうと論文を読みながら非常に理解しにくい図式だと感じた.多くの用語が立ち並んでいるが,それぞれの歴史的な事例とそれらの間の相互の関係がとらえにくいのだ.BILINGUALISM → FUSION → MIXTURE という時間的な相の提示と後者2過程の峻別は評価できるとしても,それ以外については用語が先走っている印象であり,内容どうしの関係が不明瞭だ.Roberts (31--32) にそのまま語ってもらおう.
When a bilingual situation ends, the surviving language (that is, the language whose grammar prevails) is colored in greater or less degree by the perishing language (that is, the language whose grammar succumbs). The extent of this coloring depends upon the relationship of the two languages during the antecedent bilingualism. Subordinative bilingualism results in admixture; a portion of the weaker language is added to the stronger, which still retains both its grammatical and its lexical integrity. Co-ordinative bilingualism results in intermixture; virtually the entire vocabulary of the weaker language is swallowed up by the stronger, which thereby loses its lexical, though not its grammatical, integrity.
The words admixture and intermixture, as here used, denote accomplished situations, the results of processes. To designate the generative processes, the terms affusion and interfusion, corresponding respectively to admixture and intermixture, are proposed. Affusion has three modalities: infusion, suffusion, and superfusion. Interfusion has three stages or temporalities: diffusion, circumfusion, and retrofusion.
Affusion から見ていくと,Infusion は通常の語の借用に相当する.Suffusion は,基層言語影響説 (substratum_theory) の唱える基層言語からの言語的影響に相当する.Superfusion は翻訳借用 (loan_translation) に相当する.importation と substitution という対立軸と,意識的な干渉と無意識的な干渉という対立軸がごたまぜになったような分類だ.
次に Interfusion に目を向けると,Diffusion は本来語彙と借用語彙が使用域に関して分化する過程を指している.英語語彙における語種別の三層構造などの生成にみられる過程を想像すればよいだろう.その Interfusion の段階からさらに進むと,Circumfusion の段階となる.ここでは例えば内容語はすべてフランス・ラテン借用語であっても,それらを取り巻く機能語は本来語となるような状況が生み出される.次に,Retrofusion はソース言語からの一種の「復讐」の過程であり,フランス語の語法の影響を受けて house beautiful, knights templars, sufficient likelihood, nocturnal darkness などの表現を生み出す過程に相当する.
Roberts は2言語使用 (bilingualism) の基礎理論を打ち立てようという目的でこの論文を書いたようだが,残念ながらうまくいっているようには思えない.より説得力のある言語接触の類型論としては,「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) と「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]) で紹介した Thomason and Kaufman によるモデルが近年ではよく知られている.
借用に関する過程と結果の区別については「#900. 借用の定義」 ([2011-10-14-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]),「#904. 借用語を共時的に同定することはできるか」 ([2011-10-18-1]),「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]),「#2009. 言語学における接触,干渉,2言語使用,借用」 ([2014-10-27-1]) も参照.また,関連して「#2067. Weinreich による言語干渉の決定要因」 ([2014-12-24-1]) の記事とそこに張ったリンクも参照されたい.
・ Weinreich, Uriel. Languages in Contact: Findings and Problems. New York: Publications of the Linguistic Circle of New York, 1953. The Hague: Mouton, 1968.
・ Roberts, Murat H. "The Problem of the Hybrid Language". Journal of English and Germanic Philology 38 (1939): 23--41.
「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1]),「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1]) に続いて,古英語のラテン借用語の話題.古英語におけるラテン借用語の数は,数え方にもよるが,数百個あるといわれる.諸研究を参照した Miller (53) は,その数を600--700個ほどと見積もっている.
Old English had some 600--700 loanwords from Latin, about 500 of which are common to Northwest Germanic . . ., and 287 of which are ultimately from Greek, seventy-nine via Christianity . . . .
個数とともに確定しがたいのはそれぞれの借用語の借用年代である.[2013-04-03-1]の記事では,Serjeantson に従って借用年代を (i) 大陸時代,(ii) c. 450--c. 650, (iii) c. 650--c. 1100 と3分して示した.これは多くの論者によって採用されている伝統的な時代別分類である.これとほぼ重なるが,第4の借用の波を加えた以下の4分類も提案されている.
(1) continental borrowings
(2) insular borrowings during the settlement phase [c. 450--600]
(3) borrowings [600+] from christianization
(4) learned borrowings that accompanied and followed the Benedictine Reform [c10e]
この4分類をさらに細かくした Dennis H. Green (Language and History in the Early Germanic World. Cambridge: CUP, 1998.) による区分もあり,Miller (54) が紹介している.それぞれの特徴について Miller より引用し,さらに簡単に注を付す.
(1a) an early continental phase, when the Angles and Saxons were in Schleswig-Holstein (contact with merchants) and on the North Sea littoral as far as the mouth of the Ems (direct contact with the Romans)
数は少なく,主として商業語が多い.ローマからの商品,器,道具など.wine が典型例.
(1b) a later continental period, when the Angles and Saxons had penetrated to the litus Saxonicum (Flanders and Normandy)
ライン川河口以西でローマ人との直接接触して借用されたと思われる street, tile が典型例.
(2a) an early phase, featuring possible borrowing via Celtic
この時期に属すると思われる例は,ガリアで話されていた俗ラテン語と音声的に一致しており,ブリテン島での借用かどうかは疑わしいともいわれる.
(2b) a later phase, with loans from the continental Franks as part of their influence across the Channel, especially on Kent
(3) begins "with the coming of Augustine and his 40 companions in 597, and possibly even at an earlier date, with the arrival of Bishop Liudhard in the retinue of Queen Bertha of Kent in the 560s"
この時期の借用語は古英語期以前の音韻変化をほとんど示さない点で,他の時期のものと異なっている.多くは教会ラテン借用語である.
(4) of a learned nature, culled from classical Latin texts, and differ little from the classical written form
実際には,ここまで細かく枠を設定しても,ある借用語をいずれの枠にはめるべきかを確信をもって決することは難しい.continental か insular かという大雑把な分類ですら難しく,さらに曖昧に early か later くらいが精一杯ということも少なくない.
・ Miller, D. Gary. External Influences on English: From its Beginnings to the Renaissance. Oxford: OUP, 2012.
初期近代英語期を中心としたラテン語に基づく語源的綴字 (etymological_respelling) の例は,「#192. etymological respelling (2)」 ([2009-11-05-1]) に挙げたものにとどまらず,少なからずある.それらの語源的綴字の分類法はいくつか考えられるが,新綴字が導入された後,特に発音との関係がどうなったかという観点からは,3つの種類に分類することができる.以下,渡部 (241--43) に拠って示す.
(1) 新綴字に合わせて発音も変わったもの(いわゆる綴字発音 (spelling_pronunciation) ;昨日の記事「#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者」 ([2014-08-22-1]) でいう Holofernes 的なもの)
ME | Mod. E | Latin |
---|---|---|
savacioun | salvation | salvātiō |
faute | fault | *fallitus |
saume | psalm | psalmus |
faucon | falcon | falcōn |
caudroun | cauldron | caldārium |
auter | alter | altāria |
distrait | distracted | distractus |
parfit | perfect | perfectus |
descryve | describe | descrībere |
suget, sugiet | subject | subjectus |
egal | equal | aequālis |
ME | ModE | Latin |
---|---|---|
det, dette | debt | debitum |
dote, dute | doubt | dubitāre |
sutil, satil | subtle | subtilis |
receipt | receipt | recepta |
キリスト教の伝来とラテン単語の借用の関係について,「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1]) や「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1]) などの記事で取り上げてきた.一方,借用の類型論に関わる話題として,「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]),「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]),「#903. 借用の多い言語と少ない言語」 ([2011-10-17-1]),「#1619. なぜ deus が借用されず God が保たれたのか」 ([2013-10-02-1]),「#1778. 借用語研究の to-do list」 ([2014-03-10-1]) などの記事を書いてきた.今回は,古英語のラテン借用語の綴字という話題を介して,借用の類型論を考察してみたい.
古英語期には,キリスト教の伝来とともに,多くの宗教用語や学問用語がラテン語から英語の書き言葉へともたらされた.apostol (L apostulus), abbod (L abbadem), fenix (L phoenix), biscop (L episcopus) などである.ここで注意すべきは,借用の際に,発音にせよ綴字にせよ,ラテン語の形態をそのまま借用したのではなく,多分に英語化して取り込んでいることである.ところが,後の10世紀にラテン語借用のもう1つの波があったときには,ラテン単語は英語化されず,ほぼそのままの形態で借用されている.つまり,古英語のラテン語借用の2つの波の間には,質的な差があったことになる.この差を,Horobin (64--65) は次のように指摘している.
What is striking about these loanwords is that their pronunciation and spelling has been assimilated to Old English practices, so that the spelling-sound correspondences were not disturbed. Note, for instance, the spelling mynster, which shows the Old English front rounded vowel /y/, the <æ> in Old English mæsse, indicating the Old English front vowel. The Old English spelling of fenix with initial <f> shows that the word was pronounced the same way as in Latin, but that the spelling was changed to reflect Old English practices. While the spelling of Old English biscop appears similar to that of Latin episcopus, the pronunciation was altered to the /ʃ/ sound, still heard today in bishop, and so the <sc> spelling retained its Old English usage. This process of assimilation can be contrasted with the fate of the later loanword, episcopal, borrowed from the same Latin root in the fifteenth century but which has retained its Latin spelling and pronunciation. However, during the third state of Latin borrowing in the tenth century, a number of words from Classical Latin were borrowed which were not integrated into the native language in the same way. The foreign status of these technical words was emphasized by the preservation of their Latinate spellings and structure, as we can see from a comparison of the tenth-century Old English word magister (Latin magister), with the earlier loan mægester, derived from the same Latin word. Where the earlier borrowing has been respelled according to Old English practices, the later adoption has retained its classical Latin spelling.
借用の種類としては,いずれもラテン語の形態に基づいているという点で substitution ではなく importation である.しかし,同じ importation といっても,前期はモデルから逸脱した綴字による借入,後期はモデルに忠実な綴字による借入であり,importation というスケール内部での程度差がある.いずれも substitution ではないのだが,前者は後者よりも substitution に一歩近い importation である,と表現することはできるかもしれない.話し言葉でたとえれば,前者はラテン単語を英語的発音で取り入れることに,後者は原語であるラテン語の発音で取り入れることに相当する.あらっぽくたとえれば,英単語を日本語へ借用するときにカタカナ書きするか,英語と同じようにアルファベットで綴るか,という問題と同じことだが,古英語の例では,いずれの方法を取るかが時期によって異なっていたというのが興味深い.
借用語のモデルへの近接度という問題に迫る際に,そしてより一般的に借用の類型論を考察する際に,綴字習慣の差というパラメータも関与しうるというのは,新たな発見だった.関連して,語が借用されるときの importation 内部での程度と,借用された後に徐々に示される同化の程度との区別も明確にする必要があるかもしれない.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
「#46. 借用はなぜ起こるか」 ([2009-06-13-1]) の記事で,語彙が他言語から借用される理由を考えた.しかし,この「なぜ」は究極の問いであり,本格的に追究するのであれば,先に他の4W1Hの問いから潰していかなければならない.why の前に,what, who, when, where, how を問う必要があるということだ.そこで borrowing の記事を中心に,本ブログでも様々なアプローチを採ってきた.
借用語の「なぜ」に迫る論考としては,Hans Käsmann (Studien zum kirchlichen Wortschatz des Mittelenglischen 1100--1350. Eng Beitrag zum Problem der Sprachmischung. Tübingen, 1961.) に拠った Görlach (149--50) のものがあるので紹介しよう."causes and situations favouring the transfer" として,次のような分類表を掲げている(語例の前の "A11" などは.Görlach のテキスト参照記号).
(A) Gaps in the indigenous lexis
1. The word is taken over together with the new content and the new object: A11 myrre, D31 senep, F21 sabat, synagoge.
2. A well-known content has no word to designate it: D32 plant
3. Existing expressions are insufficient to render specific nuances ('misericordia', see blow).
(B) Previous weakening of the indigenous lexis
4. The content had been experimentally rendered by a number of unsatisfactory expressions: E15 leorningcniht||disciple.
5. The content had been rendered by a word weakened by homonymy, polysemy, or being part of an obsolescent type of word-formation: C24 hilid||covered; C25 hǣlan = heal, save; H11 hǣlend||sauyoure.
6. An expression which is connotationally loaded needs to be replaced by a neutral expression.
(C) Associative relations
7. A word is borrowed after a word of the same family has been adopted: D49 iust (after justice; cf. judge n., v., judgement).
8. The borrowing is supported by a native word of similar form: læccan × catchen; the process was particularly important with adoptions from Scandinavian.
9. 'Corrections': an earlier loanword is adapted in form/replaced by a new loanword: F2 engel||aungel.
(D) Special extralinguistic conditions
10. Borrowing of words needed for rhymes and metre.
11. Adoptions not motivated by necessity but by fashion and prestige.
12. Words left untranslated because the translator was incompetent, lazy or anxious to stay close to his source: H10 euangelise EV.
There remain a large number of uncertain classifications, most of these somehow connected with 11), a category which is very difficult to define.
(A), (B), (C) はまとめて,既存の語彙体系から生じる借用への圧力ということができるだろうか.「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) でみたタイポロジーとも交差する.(D) はおよそ言語外的な要因というべきものである.通常,語の借用を話題にする場合には,言語外的な要因が注目されることも多いが,この分類は相対的にその扱いが弱いのが特徴だ.結局のところ,最後に但し書きで逃げ口上を打っているように,このような分類を立てることに限界があるのだろう.Fischer (105) は,この分類に不満を表明している.
Like all attempts to "explain" language change, this one suffers from the fact that explanations can only be guessed at and that actual, verifiable proof is hard to come by. Any such typology, therefore, will remain tentative.
冒頭で述べたように,まずは借用の4W1Hを着実に理解してゆくところから始める必要がある.
・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
・ Fischer, Andreas. "Lexical Borrowing and the History of English: A Typology of Typologies." Language Contact in the History of English. 2nd rev. ed. Ed. Dieter Kastovsky and Arthur Mettingers. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2003. 97--115.
一昨日の記事「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]) と昨日の記事「#1780. 言語接触と借用の尺度」 ([2014-03-12-1]) で,Thomason and Kaufman に拠って,言語接触についての異なる観点からの類型を示した.その著者の一人 Thomason が後に単独で著した Language Contact においても,およそ同じ議論が繰り返されているが,そこにはより網羅的な言語接触に関するタイポロジーが提示されているので示しておこう.Thomason は言語接触により引き起こされる言語変化の型を "contact-induced language change" と呼んでいるが,(1) それを予測する指標 (predictors) ,(2) それが後に及ぼす構造的な影響 (effects),(3) そのメカニズム (mechanisms) を整理している (60) ."contact-induced language change" 以外の言語接触の2つの型 "extreme language mixture" と "language death" のタイポロジーとともに,以下に示そう.
LANGUAGE CONTACT TYPOLOGIES: LINGUISTIC RESULTS AND PROCESSES
1. Contact-induced language change
A typology of predictors of kinds and degrees of change
Social factors
Intensity of contact
Presence vs absence of imperfect learning
Speakers' attitudes
Linguistic factors
Universal markedness
Degree to which features are integrated into the linguistic system
Typological distance between source and recipient languages
A typology of effects on the recipient-language structure
Loss of features
Addition of features
Replacement of features
A typology of mechanisms of contact-induced change
Code-switching
Code alternation
Passive familiarity
'Negotiation'
Second-language acquisition strategies
First-language acquisition effects
Deliberate decision
2. Extreme language mixture: a typology of contact languages
Pidgins
Creoles
Bilingual mixed languages
3. A typology of routes to language death
Attrition, the loss of linguistic material
Grammatical replacement
No loss of structure, not much borrowing
predictors は,「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]) で挙げたものをもとに拡張したものである.effects の各項は,言語項が被ると考えられる論理的な可能性が列挙されていると考えればよい.mechanisms とは,言語変化が生じている現場において,話者(集団)に起こっていること,広い意味での心理的な反応を列挙したものである.
現実にはこれほどきれいな類型に収まらないだろうが,言語接触に関わる大きな見取り図としては参考になるだろう.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
・ Thomason, Sarah Grey. Language Contact. Edinburgh: Edinburgh UP, 2001.
2言語間の言語接触においては,一方向あるいは双方向に言語項の借用が生じる.その言語接触と借用の強度は,少数の語彙が借用される程度の小さいなものから,文法範疇などの構造的な要素が借用される程度の大きいものまで様々ありうるが,古今東西の言語接触の事例から,その尺度を類型化することは可能だろうか.
この問題については,「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]),「#903. 借用の多い言語と少ない言語」 ([2011-10-17-1]),「#934. 借用の多い言語と少ない言語 (2)」 ([2011-11-17-1]) ほかで部分的に言及してきたが,昨日の記事「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]) で引用した Thomason and Kaufman (74--76) による借用尺度 ("BORROWING SCALE") が,現在のところ最も本格的なものだろう.著者たちは言語接触を大きく borrowing と shift-induced interference に分けているが,ここでの尺度はあくまで前者に関するものである.5段階に区別されたレベルの説明を引用する.
(1) Casual contact: lexical borrowing only
Lexicon:
Content words. For cultural and functional (rather than typological) reasons, non-basic vocabulary will be borrowed before basic vocabulary.
(2) Slightly more intense contact: slight structural borrowing
Lexicon:
Function words: conjunctions and various adverbial particles.
Structure:
Minor phonological, syntactic, and lexical semantic features. Phonological borrowing here is likely to be confined to the appearance of new phonemes with new phones, but only in loanwords. Syntactic features borrowed at this stage will probably be restricted to new functions (or functional restrictions) and new orderings that cause little or no typological disruption.
(3) More intense contact: slightly more structural borrowing
Lexicon:
Function words: adpositions (prepositions and postpositions). At this stage derivational affixes may be abstracted from borrowed words and added to native vocabulary; inflectional affixes may enter the borrowing language attached to, and will remain confined to, borrowed vocabulary items. Personal and demonstrative pronouns and low numerals, which belong to the basic vocabulary, are more likely to be borrowed at this stage than in more casual contact situations.
Structure:
Slightly less minor structural features than in category (2). In phonology, borrowing will probably include the phonemicization, even in native vocabulary, of previously allophonic alternations. This is especially true of those that exploit distinctive features already present in the borrowing language, and also easily borrowed prosodic and syllable-structure features, such as stress rules and the addition of syllable-final consonants (in loanwords only). In syntax, a complete change from, say, SOV to SVO syntax will not occur here, but a few aspects of such a switch may be found, as, for example, borrowed postpositions in an otherwise prepositional language (or vice versa).
(4) Strong cultural pressure: moderate structural borrowing
Structure:
Major structural features that cause relatively little typological change. Phonological borrowing at this stage includes introduction of new distinctive features in contrastive sets that are represented in native vocabulary, and perhaps loss of some contrasts; new syllable structure constraints, also in native vocabulary; and a few natural allophonic and automatic morphophonemic rules, such as palatalization or final obstruent devoicing. Fairly extensive word order changes will occur at this stage, as will other syntactic changes that cause little categorial alteration. In morphology, borrowed inflectional affixes and categories (e.g., new cases) will be added to native words, especially if there is a good typological fit in both category and ordering.
(5) Very strong cultural pressure: heavy structural borrowing
Structure:
Major structural features that cause significant typological disruption: added morphophonemic rules; phonetic changes (i.e., subphonemic changes in habits of articulation, including allophonic alternations); loss of phonemic contrasts and of morphophonemic rules; changes in word structure rules (e.g., adding prefixes in a language that was exclusively suf-fixing or a change from flexional toward agglutinative morphology); categorial as well as more extensive ordering changes in morphosyntax (e.g., development of ergative morphosyntax); and added concord rules, including bound pronominal elements.
英語史上の主要な言語接触の事例に当てはめると,古英語以前におけるケルト語,古英語以降のラテン語との接触はレベル1程度,中英語以降のフランス語との接触はレベル2程度,古英語末期からの古ノルド語との接触はせいぜいレベル3程度である.英語は歴史的に言語接触が多く,借用された言語項にあふれているという一般的な英語(史)観は,それ自体として誤っているわけではないが,Thomason and Kaufman のスケールでいえば,たいしたことはない,世界にはもっと激しい接触を経てきた言語が多く存在するのだ,ということになる.通言語的な類型論が,個別言語をみる見方をがらんと変えてみせてくれる好例ではないだろうか.
日本語についても,歴史時代に限定すれば中国語(漢字)からの重要な影響があったものの,BORROWING SCALE でいえば,やはり軽度だろう.しかし,先史時代を含めれば諸言語からの重度の接触があったかもしれないし,場合によっては borrowing とは別次元の言語接触であり,上記のスケールの管轄外にあるとみなされる shift-induced interference が関与していた可能性もある.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
昨日の記事「#1778. 借用語研究の to-do list」 ([2014-03-10-1]) で,Thomason and Kaufman の名前に触れた.彼らの Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics (1988) は,近年の接触言語学 (contact linguistics) に大きな影響を及ぼした研究書である.世界の言語からの多くの事例に基づいた言語接触の類型論を提示し,その後の研究の重要なレファレンスとなっている.英語史との関連では,特に英語と古ノルド語との接触 (Norsification) について相当の紙幅を割きつつ,従来の定説であった古ノルド語の英語への甚大な影響という見解を劇的に覆した.古ノルド語の英語への影響はしばしば言われているほど濃厚ではなく,言語接触による借用の強度を表わす5段階のレベルのうちのレベル2?3に過ぎないと結論づけたのだ.私も初めてその議論を読んだときに,常識を覆されて,目から鱗が落ちる思いをしたことを記憶している.この点に関しての Thomason and Kaufman の具体的な所見は,「#1182. 古ノルド語との言語接触はたいした事件ではない?」 ([2012-07-22-1]) で引用した通りである.(とはいえ,Thomason and Kaufman への批判も少なくないことは付け加えておきたい.)
Thomason and Kaufman は,言語接触の程度と種類を予測する指標として,以下のような社会言語学的な項目と言語学的な項目を認めている.
(1) (sociolinguistic) intensity of contact (46)
a) "long-term contact with widespread bilingualism among borrowing-language speakers" (67);
b) "A high level of bilingualism" (67);
c) consideration of population (72);
d) "sociopolitical dominance" and/or "other social settings" (72)
(2) (linguistic) markedness (49, 212--13)
(3) (linguistic) typological distance (49, 212--13)
Thomason and Kaufman は,基本的には (1) の社会言語学的な指標が圧倒的に重要であると力説する.言語学的指標である (2), (3) が関与するのは,言語干渉の程度が比較的低い場合 ("light to moderate structural interference" (54)) であり,相対的には影が薄い,と.
. . . it is the sociolinguistic history of the speakers, and not the structure of their language, that is the primary determinant of the linguistic outcome of language contact. Purely linguistic considerations are relevant but strictly secondary overall. (35)
その前提の上で,Thomason and Kaufman は,(3) の2言語間の類型的な距離について次のような常識的な見解を示している.
The more internal structure a grammatical subsystem has, the more intricately interconnected its categories will be . . . ; therefore, the less likely its elements will be to match closely, in the typological sense, the categories and combinations of a functionally analogous subsystem in another language. Conversely, less highly structured subsystems will have relatively independent elements, and the likelihood of a close typological fit with corresponding elements in another language will be greater. (72--73)
Thomason and Kaufman は,他の指標として話者(集団)の社会心理学的な "attitudinal factors" にもたびたび言い及んでいるが,前もって予測するのが難しい指標であることから,主たる議論には組み込んでいない.だが,実際には,この "attitudinal factors" こそが言語接触には最も関与的なのだろう.著者たちもよくよく気づいていることには違いない.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
ゼミの学生の卒業論文研究をみている過程で,Fischer による借用語研究のタイポロジーについての論文を読んだ.英語史を含めた諸言語における借用語彙の研究は,3つの観点からなされてきたという.(1) morpho-etymological (or morphological), (2) lexico-semantic (or semantic), (3) socio-historical (or sociolinguistic) である.
(1) は,「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) で論じたように,model と loan とが形態的にいかなる関係にあるかという観点である.形態的な関係が目に見えるものが importation,見えないもの(すなわち意味のみの借用)が importation である.(2) は,借用の衝撃により,借用側言語の意味体系と語彙体系が再編されたか否かを論じる観点である.(3) は,語の借用がどのような社会言語学的な状況のもとに行われたか,両者の相関関係を明らかにしようとする観点である.この3分類は互いに交わるところもあるし,事実その交わり方の組み合わせこそが追究されなければならないのだが,おおむね明解な分け方だと思う.
Fischer は,このなかで (3) の社会言語学的な観点は最も興味をそそるが,目に見える研究成果は期待できないだろうと悲観的である.この観点を重視した Thomason and Kaufman を参照し,高く評価しながらも,借用語研究には貢献しないだろうと述べている.
Of the three types of typologies discussed here, the third, although the most attractive because of its sociolinguistic orientation, is possibly the least useful for a study of lexical borrowing: lexis is an unreliable indicator of the precise nature of a contact situation, and the socio-historical evidence necessary to reconstruct the latter is often not available. Morphological and semantic typologies on the other hand, though seemingly more traditional, can yield a great deal of new information if an attempt is made to study a whole semantic domain and if such studies are truly comparative, comparing different text types, different source languages or different periods. (110)
Fischer は (1) と (2) の観点こそが,借用語研究において希望のもてる方向であると指南する.一見すると,英語史に限定した場合,この2つの観点,とりわけ (1) の観点からは,相当に研究がなされているのではないかと思われるが,案外とそうでもない.例えば,意味借用 (semantic loan) に代表される substitution 型の借用語については,研究の蓄積がそれほどない.これには,importation に対して substitution は意味を扱うので見えにくいこと,頻度として比較的少ないことが理由として挙げられる.
それにしても,語を借用するときに,ある場合には importation 型で,別の場合には substitution 型で取り込むのはなぜだろうか.背後にどのような選択原理が働いているのだろうか.借用側言語の話者(集団)の心理や,公的・私的な言語政策といった社会言語学的な要因については言及されることがあるが,上記 (1) や (2) の言語学的な観点からのアプローチはほとんどないといってよい.Fischer (100) の問題意識,"why certain types of borrowing seem to be more frequent than others, depending on period, source language, text type, speech community or language policy, to name only the most obvious factors." は的を射ている.私自身も,同様の問題意識を,「#902. 借用されやすい言語項目」 ([2011-10-16-1]),「#903. 借用の多い言語と少ない言語」 ([2011-10-17-1]),「#934. 借用の多い言語と少ない言語 (2)」 ([2011-11-17-1]),「#1619. なぜ deus が借用されず God が保たれたのか」 ([2013-10-02-1]) などで示唆してきた.
英語史におけるラテン借用語を考えてみれば,古英語では importation と並んで substitution も多かった(むしろ後者のほうが多かったとも議論しうる)が,中英語以降は importation が主流である.Fischer (101) で触れられているように,Standard High German と Swiss High German におけるロマンス系借用語では,前者が substitution 寄り,後者は importation 寄りの傾向を示すし,アメリカ英語での substitution 型の fall に対してイギリス英語での importation 型の autumn という興味深い例もある.日本語への西洋語の借用も,明治期には漢語による substitution が主流だったが,後には importation が圧倒的となった.言語によって,時代によって,importation と substitution の比率が変動するが,ここには社会言語学的な要因とは別に何らかの言語学的な要因も働いている可能性があるのだろうか.
Fischer (105) は,このような新しい設問を多数思いつくことができるとし,英語史における設問例として3つを挙げている.
・ How many of all Scandinavian borrowings have replaced native terms, how many have led to semantic differentiation?
・ How does French compare with Scandinavian in this respect?
・ How many borrowings from language x are importations, how many are substitutions, and what semantic domains do they belong to?
HTOED (Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary) が出版された現在,意味の借用である substitution に関する研究も断然しやすくなってきた.英語借用語研究の未来はこれからも明るそうだ.
・ Fischer, Andreas. "Lexical Borrowing and the History of English: A Typology of Typologies." Language Contact in the History of English. 2nd rev. ed. Ed. Dieter Kastovsky and Arthur Mettingers. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2003. 97--115.
・ Thomason, Sarah Grey and Terrence Kaufman. Language Contact, Creolization, and Genetic Linguistics. Berkeley: U of California P, 1988.
昨日の記事「#1518. 言語政策」 ([2013-06-23-1]) に引き続き,再びカルヴェによる言語政策に関する話題.ある国や地域において用いられている諸言語の社会言語学的な属性を記述する一般的な方法はありうるだろうか.各国,各地域,各言語について形式に則った記述を作り上げ,それをタイプ別に分類することで,社会言語学的な言語の類型論なるものを構想することはできるのだろうか.
この疑問に答えるべく,Ferguson, Steward は文字通りの公式化を目指した.例えば,パラグアイの多言語使用状況は,"3L = 2L maj (So, Vg) + 0L min + 1L spec (Cr)" などと表現される.この式が意味するところは,次の通りである.パラグアイには3言語がある.2つは多数言語で,標準化された公用語のカスティーリャ語と民衆の話す媒介言語であるグアラニー語からなる.少数言語はないが,特定のステータスにある古典語,宗教言語としてラテン語が用いられている(カルヴェ, p. 33).
一方,Fasold は言語の機能と獲得された属性という観点からモデル化を試み, Chaudenson はコーパスとステータスを軸に取った2次元プロットの図示化を提案した.例えば,Fasold による機能と属性の関係を著わす一覧表は次の通り(カルヴェ,p. 40).
機能 | 社会言語学的に獲得されている属性 |
---|---|
公的 | 1. 標準化 |
2. 教育を受けた一定数の市民に正しく使用されている | |
民族的 | 1. かなりの人口にとっての民族アイデンティティの象徴 |
2. 日常のコミュニケーションで広く用いられている | |
3. 国内で広く一般に話されている | |
4. 国内に同じ機能を持つ重要な代替語がない | |
5. 真正さの象徴として受け入れられている | |
6. 輝かしい過去と関係がある | |
集団的 | 1. 日常会話で使用されている |
2. 他者との統一を図ると同時に,他者と区別されるものと話者に考えられている | |
媒介的 | 1. 少なくとも国内の少数派にとって「学習しうる」と見なされている |
国際的 | 1. 「潜在的国際語」のリストに載っている |
修学的 | 1. 生徒の言語と同等ないしそれ以上に標準化が行なわれている |
宗教的 | 1. 古典的 |
① 数量的データ --- 言語はいくつあるのか,その言語にどのくらいの話者がいるのか.
② 法的データ --- 現存する言語のステータスは,憲法で認められているか否か.メディアや教育などで使用されているか否か.
③ 機能的データ --- 媒介語と媒介率,多くの隣接国で話されている超国家語か,群生語か,宗教言語か.
④ 通時的データ --- 言語の拡大や世代間の伝達率など.
⑤ 象徴的データ --- 国内に存在する言語の威光,言語への感情,コミュニケーション戦略など.
⑥ 対立データ --- 言語観の関係,機能の補完性か,競合性かなど.
⑤⑥については,適当な計量の仕方がないのが難点である.カルヴェ (51) は,とりわけ④の通時的データを組み込む必要性を訴えている.
言語状況は話者人口や伝達率など統計や象徴的データに関しても絶えず変化しているのである.ところで,ある言語政策の決定に先立つ評価には,現在のさまざまな変化を考慮に入れる必要がある.だから,より完璧で効率的な多くの新しいモデルが現われるとすれば,それは別のアプローチによってであろう.たとえば,コンピュータ化されたモデルを想像してみよう.それは新しいデータが絶えず定期的に入力され,言語状況の動態的な評価を「直接なまま」提供するものだ.
ある言語が時間とともにその社会言語学的な位置づけを変化させるということは当然のことである.英語だけとっても,その社会言語学的なステータスの歴史的変動は甚だしい.有効な社会言語学的類型論が確立すれば,英語史を見る視点に新たな方法が追加されることになるだろう.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.
言語学では,言語の過去の姿を復元する営みを続けてきた.かつての言語がどのような姿だったのか,諸言語はどのように関係していたか.過去の言語資料が残っている場合には,直接その段階にまで遡ることができるが,そうでない場合には理論的な方法で推測するよりほかない.
これまでに3つの理論的な手法が提案されてきた.(1) 19世紀に発展した比較言語学 (comparative_linguistics) による再建 (reconstruction),(2) 言語圏 (linguistic area) における言語的類似性の同定,(3) 一般的な類似性に基づく推測,である.(1), (2), (3) の順に,遡ることができるとされる時間の幅は大きくなってゆくが,理論的な基盤は弱い.Aitchison (166) より,関連する言及を引用しよう.
Comparing relatives --- comparing languages which are descended from a common 'parent' --- is the oldest and most reliable method, but it cannot go back very far: 10,000 years is usually considered its maximum useful range. Comparing areas --- comparing similar constructions across geographical space --- is a newer method which may potentially lead back 30,000 years or more. Comparing resemblances --- comparing words which resemble one another --- is a highly controversial new method: according to its advocates, it leads back to the origin of language.
比較言語学の系統樹モデルでたどり着き得る極限はせいぜい1万年だというが,これすら過大評価かもしれない.印欧語族でいえば,仮により古くまで遡らせる Renfrew の説([2012-05-18-1]の記事「#1117. 印欧祖語の故地は Anatolia か?」を参照)を採るとしても,8500年程度だ(Nostratic 大語族という構想はあるが疑問視する向きも多い;nostratic の記事を参照).再建の手法は,理論的に研ぎすまされてきた2世紀近くの歴史があり,信頼をおける.
2つ目,言語圏の考え方は地理的に言語間の類似性をとらえる観点であり,言語項目の借用の分布を利用する方法である.例えば,インドの諸言語では,語族をまたいでそり舌音 (retroflex) が行なわれている.比較的借用されにくい特徴や珍しい特徴が地理的に偏在している場合には,言語圏を想定することは理に適っている.系統樹モデルに対抗する波状モデル (wave_theory) に基づく観点といってよいだろう.
最近,Johanna Nicholas が "population typology" という名のもとに,新しい言語圏の理論を提起している.人類の歴史的な人口移動はアフリカを基点として主に西から東への移動だったが,それと呼応するかのように一群の言語項目が西から東にかけて特徴的な分布を示すことがわかってきた.例えば,inclusive we と exclusive we の対立,名詞複数標識の中和,所有物の譲渡の可否による所有表現の差異などは,東へ行けば行くほど,それらを示す言語の割合は高まるという.もし Nicholas の理論が示唆するように,人類の移動と特定の言語項目の分布とが本当に関連づけられるのだとすれば,人類の移動の歴史に匹敵する古さまで言語を遡ることができることになる.そうすれば,数万年という幅が視野に入ってくる.予想されるとおり,この理論は広く受け入れられているわけではないが,大きく言語の歴史を遡るための1つの新機軸ではある.この理論に関する興味深い案内としては,Aitchison (169--72) を参照.
3つ目は,まったく異なる諸言語間に偶然の一致を多く見いだすという手法(というよりは幸運)である.例えば,原義として「指」を意味していたと想定される tik という形態素が,一見すると関連のない多くの言語に現われるという事実が指摘されている.そして,この起源は10万年前に遡り得るというのである.しかし,これは単なる偶然として片付けるべきもので,歴史言語学の理論としてはほとんど受け入れられていない.
比較言語学で最もよく研究されている印欧語族においてすら,正確な再建の作業は困難を伴う.population typology も,うまくいったとしても,特定の言語項目の大まかな再建にとどまらざるをえないだろう.現時点の持ち駒では,遡れる時間の幅は,大目に見て1万年弱というところではないか.
・ Aitchison, Jean. The Seeds of Speech: Language Origin and Evolution. Cambridge: CUP, 1996.
なぜ言語は変化するか.英語史,歴史言語学を研究している私の抱いている究極の問いの1つである.これまでも,主として理論的な観点から,causation の各記事で取り上げてきた問題である.Coseriu, E. (Sincronía, Diacronía e Historia. Investigaciones y estudios. Seri Filología y lingüística 2. Montevideo: Revista de la Facultad de Humanidades y Ciencias, 1958. p. 37.) によれば,言語変化の原因を問う際には,異なる3種類の原因を区別すべきであるという.Coseriu の原書をもたないので,Weinreich et al. (99--100fn) より趣旨を要約する.
1つ目は "the rational problem of why languages changes of necessity" である.言語はなぜ変わらなければならないのか,変わる必要があるのか,という哲学的な問いだ.この観点からの言語変化論者としては,Keller が思い浮かぶ.言語変化には「見えざる手」 (invisible_hand) が関与しているという説である.言語変化はある種の方向をもって進行すると考える「駆流」 (drift も,ここに含まれるだろうか.
2つ目は "the general problem of conditions under which particular changes usually appear in languages" である.言語変化には,異なる言語,異なる時代において共通して見られるものがある.これは偶然とは考えにくく,背景に一般的な原因,あるいはより控えめな表現でいえば conditioning factors が作用していると考えるのが妥当である.生理的,心理的,社会的な要因を含めた広い意味での言語学的な諸条件が,ある特定の変化を引き起こす傾向があるということは受け入れられている.言語類型論や言語普遍性の議論,uniformitarian_principle (斉一論の原則),grammaticalisation などが,ここに属するだろうか.
3つ目は "the historical problem of accounting for concrete changes that have taken place" である.これは,一般的に言語変化を論じるのとは別に,実際に生じた(生じている)言語変化の個々の事例を説明しようとする試みのことである.英語史の研究では,通常,具体的な言語変化の事例を扱う.古英語では名詞複数形を形成するのに数種類の方法があったが,なぜ中英語以降には事実上 -s のみとなったのか.なぜ名前動後という強勢パターンが16世紀後半に現われ始めたのか.なぜ大母音推移が生じたのか,等々.具体的な言語変化の歴史性,単発性,個別性を強調する視点といってよいだろう.
Coseriu は,言語学は,この3種類の問題を混同してはならないと注意を喚起している.
・ Weinreich, Uriel, William Labov, and Marvin I. Herzog. "Empirical Foundations for a Theory of Language Change." Directions for Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Yakov Malkiel. U of Texas P, 1968. 95--188.
昨日の記事「#1246. 英語の標準化と規範主義の関係」 ([2012-09-24-1]) で,英語の標準化は無意識の自然な過程であるとする Hope の見解を紹介した.しかし,Hope はあえてその見解と矛盾する,英語の標準化にまつわる不自然さをも同時に指摘している.標準化の過程そのものは人々の「自然」で「言語内的」な営みなのだが,その結果としての標準英語は言語類型論的には最もありそうにない「不自然な」変種であるという.Hope (52--53) は,例として4点を挙げている.
(1) 3単現の -s の保持.類型的には最も保持されにくいスロットに屈折語尾が残っている.フィンランド語など,高度に総合的な言語でもこのスロットでは無標形式が用いられる.
(2) 不均衡な人称代名詞体系(下表参照).中英語 ([2009-10-25-1]),初期近代英語,現代の諸方言では,よりきれいな体系がみられる.(cf. thou / you, you / youse, you / you-all; [2010-10-08-1]の記事「#529. 現代非標準変種の2人称複数代名詞」を参照.)
singular | I | she / he / it |
singular / plural | you | |
plural | we | they |
Thus, in each case, Standard English arrives at a typologically unusual structure, while non-standard English dialects follow the path of linguistic naturalness. One explanation for this might be that as speakers make the choices that will result in standardisation, they unconsciously tend towards more complex structures, because of their sense of the prestige and difference of formal written language. Standard English would then become a 'deliberately' difficult language, constructed, albeit unconsciously, from elements that go against linguistic naturalness, and which would not survive in a 'natural' linguistic environment.
人々は標準化を目指す無意識の過程のなかで,類型論的にはあり得なさそうな,より不自然な言語的選択をなすのだという.結果として,学ぶのに難しく,それだけ教える側にとっては教え甲斐のある(教えるのに都合のよい)言語体系ができあがり,そこから,努力して学んだ者は偉いという風潮,すなわち規範主義が生まれのだという.
確かに,上に挙げられた文法項目は,類型論的にありそうにないもののように思われる.しかし,反論するとすれば,どの言語も類型的にありやすい文法項目ばかりで構成されているわけではなく,個々の項目をみれば平均からの逸脱はいくらでもあるだろう.むしろ,そのような逸脱があってはじめて類型論という考え方も生まれるはずだ.そうだとしても,Hope の「集団的無意識の選択によるひねくれ」論は含蓄がある.昨日の記事[2012-09-24-1]では標準化と規範主義の峻別を強調したが,実際のところ,両者の関係は入り組んでいるだろう.
・ Hope, Jonathan. "Rats, Bats, Sparrows and Dogs: Biology, Linguistics and the Nature of Standard English." The Development of Standard English, 1300--1800. Ed. Laura Wright. Cambridge: CUP, 2000. 49--56.
世界の言語における敬語(ここでは,狭い意味での,専門言語要素を用いた敬譲・丁寧表現を指す)の分類は様々になされているが,ネウストプニー氏による,相手敬語(対者敬語)と登場人物敬語(素材敬語)の2種類の分布による分類がある(南,pp. 34--36 参照.出典は,ネウストプニー,J. V. 「世界の敬語---敬語は日本語だけのものではない---」 『敬語講座8 世界の敬語』 林 四郎・南 不二男 編,明治書院,1974年.) .これは,一方で日本語のよく発達した敬語体系を,他方で中英語,現代フランス語,現代ドイツ語などにみられる T/V distinction などの比較的単純な敬語体系(実際の使い分けは精妙だが)を区別するのにも,ある程度は役に立つ分類である.
日本語は「○○がいらっしゃった」 (A),「○○がいらっしゃいました」 (B),「○○が来ました」 (C) ,さらにはそのいずれからも外れた「○○が来た」も含めて,素材敬語と対者敬語のありとあらゆる組み合わせが可能である.
一方,例えば現代フランス語では,Tu es vené venu (おまえは来た)と Vous êtes vené venu (あなたはいらっしゃった)といった対立が見られるものの,この T/V の対立は,聞き手に対して(対者),聞き手自身を指す2人称単数代名詞(素材)を用いる場合にしか生じない.Vous が素材敬語 (A) なのか対者敬語 (C) なのか,あるいは両者を兼ねているのか (B) は判然としないが,たとえ B だとしても,2人称単数代名詞に限られるという条件つきの敬語表現にすぎない.
英語では「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1]) や「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) で見たように,近代英語期以降,T/V distinction すら失っており,現在ではこの図に関与すらしない.しかし,[2010-07-11-1]の記事「#440. 現代に残る敬称の you」で挙げたように Your Majesty のような称号は敬語表現として残っている.3人称単数として Her Majesty などとも言えるので,これは A や B に属する素材敬語の一種といえるだろう.
なお,世界の言語を見渡すと,A か C のいずれかの敬語タイプしかもたない言語はほとんどないという.
ネウストプニー氏の分類に代えて,南 (37) は「敬語的表現のための,多くの専用の言語要素を持ち,しかもそれがはっきりした組織をもっている」日本語型の言語と「敬語的表現のための専用言語要素を持たないか,持っていても数がすくなく,むしろ一般的な言語要素の用法に依存するか,あるいは非言語表現を用いる」非日本語型の言語とを区別することを提案している.
通言語的な敬語モデルに照らすと,日本語と英語が対蹠的であることは確かだ.
・ 南 不二男 『敬語』 岩波書店,1987年.
一般に th-sound ([θ], [ð]) は言語音としてはまれであり,多くの非母語話者にとって習得しにくいと言われている.実際に [θ] を [t] や [s] で代用する非母語話者が多く,その点を考慮して国際的な航空管制英語 Airspeak では three を tree として発音することになっているほどだ.th-sound はこのように世界で悪名高い発音としてみなされており,英語の liability の1つとして言及されることもある.
しかし,実際のところ,問題の歯摩擦音は,英語のほかにもスペイン語やギリシア語など比較的よく知られた言語にも音素として現われる.同僚の音声学者と,この音は本当にまれな音なのだろうかという話しをしていたときに,UPSID (The UCLA Phonological Segment Inventory Database) なるサイトの存在を教えてもらった.451言語の音韻体系のデータベースへアクセスできるサイトで,Simple UPSID interface のインターフェースを通じて,言語ごとの音韻目録を閲覧したり,分節音ごとの類型論的な統計情報を得ることができる.
早速,歯摩擦音について調べてみた.UPSID Segment Frequency によると,0D と表記される [θ] と,6D と表記される [ð] を音韻目録に含む言語はそれぞれ以下のとおりである.
・ [θ] or "0d" (voiceless dental fricative) occurs in 18 languages (3.99% of the 451 languages): Albanian, Amahuaca, Araucanian, Bashkir, Berta, Burmese, Chipewyan, Greek, Huasteco, Iai, Karen, Lakkia, Mursi, Rukai, Spanish, Tabi, Wintu, Yay.
・ [ð] or "6D" (voiced dental fricative) occurs in 22 languages (4.88% of the 451 languages): Albanian, Aleut, Burmese, Chipewyan, Cubeo, Dahalo, Fijian, Greek, Guarani, Iai, Koiari, Mari, Mazatec, Mixtec, Moro, Nenets, Nganasan, Quechua, Rukai, Spanish, Tabi, Tacana.
調査対象の451言語から収集された異なる分節音は全部で919個あるが,頻度順位としては [θ] が126位,[ð] が113位である.順位で考えれば言われるほどまれな音ではないのかもしれないが,451言語のうちの4--5%ほどにしか現われない音であると示されれば,確かにまれと言えるのかもしれない.ただし,収集された異なる919の分節音の8割以上に当たる748の分節音が10を超える言語には現われないことを考えると,[θ], [ð] は,世界の言語にみられる数多くのまれな分節音の2つにすぎない.
ちなみに,通言語的に頻度の高い分節音トップ10は,[m, k, i, a, j, p, u, w, b, h] の順という.
[2009-11-04-1]の記事「古英語,中英語,近代英語は互いにどれくらい異なるか」で,ゲルマン諸語の「ゲルマン度」の比較を見た.比較の基準は,主として形態的な観点から Lass が選び出した10個の項目による.この10項目がゲルマン度の指標としてどのくらい客観的で妥当なのか,どのように選び出されたのかなどの問題点はあるが,類似した比較研究を行なう際のたたき台としては非常に参考になる.Lass (26) より,10項目を挙げておく.
(1) root-initial accent
(2) at least three distinct vowel qualities in weak inflectional syllables
(3) a dual
(4) grammatical gender
(5) four vowel-grades in (certain) strong verbs
(6) distinct dative in at least some nouns
(7) inflected definite article (or proto-article)
(8) adjective inflection
(9) infinitive suffix
(10) person and number marking on the verb
この基準は,ゲルマン諸語どうしの比較に限らず,例えば中英語の方言どうしの比較,さらには中英語の個々のテキストの言語の比較にも応用できる.実際のところ,多くの中英語テキストの刊本のイントロ部にあるような言語学的記述は,上記10項目のすべてでなくとも数項目を取り上げるのが普通である.
中英語テキストの比較に限るのであれば,個人的には "nominal plural formation" を加えたいところである.
・Lass, Roger. "Language Periodization and the Concept of 'middle'." Placing Middle English in Context. Eds. Irma Taavitsainen, Terttu Nevalainen, Päivi Pahta and Matti Rissanen. Berlin and New York: Mouton de Gruyter, 2000. 7--41.
世界の諸言語を語族へと系統的に分類する方法が最も古典的な言語類型論であるとすれば,2番目に古典的な言語類型論は語の形態論による分類である.語が単一形態素から成っているか複数形態素から成っているか,後者であれば形態素どうしが独立しているか融合しているかによって下位区分されてゆく.
このように,形態論による言語類型には密接に関連する2つの視点がある.1つは融合 ( fusion ) の度合,もう1つは総合 ( synthesis ) の度合である.後者は,1語に含まれる形態素の数と考えてよい.
(1) 融合 ( fusion ) の度合に基づく分類
・ 孤立言語 ( isolating language ) :1語が1形態素から成る.文法関係を表わすのに接辞などを用いず,語順に頼る傾向が強い.事実上,(2) の分析的言語 ( analytic language ) と同値.典型的な言語はベトナム語や中国語.
・ 膠着言語 ( agglutinating language ) :1語が複数形態素から成る.文法関係を表わすのに接辞を多用する.典型的な言語はトルコ語や日本語.
・ 融合言語 ( fusional language ) :1語が複数形態素から成る.文法関係を表わすのに融合した形態素を用いる.典型的な言語はラテン語,ギリシア語,サンスクリット語.
(2) 総合 ( synthesis ) の度合(あるいは1語中の形態素の数)に基づく分類
・ 分析的言語 ( analytic language ) :1語が1形態素から成る.事実上,(1) の孤立言語 ( isolating language ) と同値.ベトナム語では,平均して1語につき1.06個の形態素があるとされる.
・ 総合的言語 ( synthetic language ) :1語が複数形態素から成る.サンスクリット語では,平均して1語につき2.59個の形態素があるとされる.
・屈折的言語 ( inflectional language ) : 総合的言語の一種で,接尾辞付加や母音変異などによって文法関係を表わすタイプの言語.典型的な言語はラテン語,ギリシア語,サンスクリット語.
・ 多総合的(抱合的)言語 ( polysynthetic language ) :1語が非常に多くの形態素から成る.ときに1語が1文に相当する場合もある.典型的な言語は Inuit で ( see [2010-04-27-1] ) ,平均して1語につき3.72個の形態素があるとされる.
(1) と (2) の視点は互いに密接であり,そのために論者の間で用語や用語の守備範囲について若干の混乱もあるようだ.形態論による言語類型は19世紀以来の長い伝統があり,指標としては確かに便利だが,注意したいのはある言語を完全に1つのカテゴリーに当てはめることは不可能だという点である.カテゴリーは連続体をなしており「A言語はどちらかといえば fusional だが agglutinating あるいは isolating な性質もある程度は見られる」あるいは「B言語はおおむね analytic といってよいが synthetic な語形成を示す語も少なくない」などというように程度問題であることが普通である.
例えば,英語史では「英語は総合的言語から分析的言語へと変化した」と言われるが,分析的言語として想定されている現代英語でも人称代名詞の屈折,不規則変化動詞の活用,3単現の -s などに見られるように総合的な特徴は残っている.現代英語では平均して1語につき1.68個の形態素があるとされ,分析的と総合的の中間ともいえる.ただし,古英語と比べれば明らかに分析的といえるので,上の表現が不適切なわけではない.
現代英語の単語の具体例でみても,dog や asparagus は孤立的だが,ungentlemanly や unfriendliness は膠着語的である.sang や were は総合的(あるいは屈折的)であり,out-ranked や fox-hunting は多総合的ですらある.
英語史における「総合から分析」の話題を含む hellog 内の記事は「総合 分析」からどうぞ.
・McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992. 610--11.
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