英語や諸言語の T/V distinction について,「#167. 世界の言語の T/V distinction」 ([2009-10-11-1]) , 「#185. 英語史とドイツ語史における T/V distinction」 ([2009-10-29-1]) , 「#1033. 日本語の敬語とヨーロッパ諸語の T/V distinction」 ([2012-02-24-1]) などで扱ってきたが,社会歴史言語学的な立場から,T/V distinction の傾向を見事に整理した研究を紹介したい.Brown and Gilman の研究だが,トラッドギル (118--21) で要約されているものを参照する.以下は,トラッドギル (120) より抜き出した,T/V distinction の通時的変化の図式である.
| 第1段階 | 第2段階 | 第3段階 | 第4段階 |
S | NS | S | NS | S | NS | S | NS |
+P → +P | T | T | V | V | T | V | T | V |
-P → -P | T | T | T | T | T | V | T | V |
+P → -P | T | T | T | T | T | T | T | V |
-P → +P | T | T | V | V | V | V | T | V |
ここで P は power (権力)を,S は solidarity (仲間意識)を,NS は no solidarity (仲間意識なし)を,それぞれ表わす.第1段階では,T/Vのあいだに語用論的な使い分けはなく,相手が単数ならT,複数ならVという単純な構図であった.そこに権力の要因が介入したのが第2段階である.この段階では,権力が絶対的に上か下かでT/Vの使い分けが決定される.自分の権力の有無はどうであれ,相手に権力があればV,なければTという基準である.権力に差のある2人のあいだでは,一方がTを,他方がVを用いるという非相互換用的 (nonreciprocal) な構図となる.
第3段階では,権力の要因に加えて仲間意識の要因が介入する.2人のあいだに仲間意識があるかないかという基準でT/Vが選ばれるということは,どんな場合でも両者が同じ代名詞で呼び合う相互換用的 (reciprocal) の構図となるはずだが,第2段階の権力という要因も完全には廃れていないので,斜体赤字で示した2カ所において power と solidarity の2つの要因がバッティングすることになる.ここでは古い権力の要因が根強く残る.最後の第4段階では,権力の要因が清算され,ひとえに仲間意識の要因が重視される構図となる.
具体例で考えると,将校と兵士はかつては権力の差を反映してそれぞれ相手をTとVで呼び合った (nonreciprocal) が,今や仲間意識の観点から(異なる位だから仲間意識なしとして)それぞれ相手をVで呼び合う (reciprocal) ようになっている.子と親もかつては社会的な上下関係を反映してそれぞれ相手をVとTで呼び合った (nonreciprocal) が,今や家族としての仲間意識からそれぞれ相手をTで呼び合う (reciprocal) .敬意の軸が,絶対的な社会的権力という垂直軸ではなく,相対的な社会的仲間意識という水平軸へとシフトしてきたのである.
トラッドギル (120) は,「ほとんどのヨーロッパの言語では今や権力よりも仲間意識の要因の方が優先されるようにな」っており,「今日,仲間意識がこのような人間関係を決定する際の有力な要因となったのは,おそらく民主的平等主義というイデオロギーが次第に成長して来たためであろう」としている.
南 (111--14, 207--08) は,この power から solidarity への重点シフトは,日本語の敬語の通時的変化にも見られる傾向であると指摘している.
・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity."
Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
・ P. トラッドギル 著,土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波書店,1975年.
・ 南 不二男 『敬語』 岩波書店,1987年.
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