先週末の10月14日(土)の午後,船橋の某所で開催された千葉慶友会の講演会にて「英語学習に役立つ英語史 --- 英語はこんなにおもしろい」をお話ししました.事前の準備から当日のハイブリッド開催の運営,そして講演会後の懇親会のアレンジまで,スタッフの皆さんにはたいへんお世話になり,感謝しております.ありがとうございました.とりわけ懇親会では千葉慶友会内外からの参加者の皆さんと直接お話しすることができ,実に楽しい時間でした.
90分ほどの講演の後,その場で続けて Voicy heldio の生放送をお送りしました.前もって運営スタッフの方々と打ち合わせしていた企画なのですが,事前に参加予定者より「英語に関する素朴な疑問」を寄せていただき,当日の投げ込み質問も合わせて,私が英語史の観点から回答していくのを heldio でライヴ配信しようというものです.
そちらの様子は,昨日 heldio のアーカイヴにて「#868. 千葉慶友会での「素朴な疑問」コーナー --- 2023年10月14日の生放送」として配信していますので,お時間のあるときにお聴きください(1時間弱の長尺となっています).
6件ほどの素朴な疑問にお答えしました.以下に分秒を挙げておきますので,聴く際にご利用ください.
(1) 02:25 --- 外国語からカタカナに音訳するときに何かルールはありますか.この質問をする理由は,例えば本によって「フロベール」だったり「フローベール」だったりすることがあるからです.また,カタカナを英語らしく発音するコツはありますか.
(2) 14:43 --- 英語の「パラフレーズ」の歴史的遷移について,なにか参考資料をご存知でしたら教えていただければ嬉しいです.Academic Writing を勉強している途中で興味を持ちました.
(3) 21:34 --- 英単語には island など読まない文字があるのはなぜですか?
(4) 30:43 --- 世界における言語の多様性の問題,および諸言語は今後どのように展開(分岐か収束か)していくのかという問題
(5) 39:05 --- 動詞によって目的語に -ing をとるか to 不定詞をとるかが決まっているのはなぜですか?
(6) 44:05 --- なぜ英語には無生物主語構文があるのですか?
時間内に取り上げられたのは6件のみですが,他にも多くの疑問をいただいていましたので,いずれ hellog/heldio で取り上げたいと思います.
実は慶友会の講演と絡めての Voicy heldio ライブの千本ノックは初めてではありません.同様の雰囲気をさらに味わいたい方は,3ヶ月半ほど前の「#5179. アメリカ文学慶友会での千本ノック収録を公開しました」 ([2023-07-02-1]) もご訪問ください.
10月5日(木)の午前11時過ぎより,事前に大学生より寄せられた英語に関する素朴な疑問に英語史の観点から回答する「千本ノック」 (senbonknock) のイベントを開催しました.その様子は Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送でお届けしましたが,収録した音源をアーカイヴにも残してあります.「#859. 10月5日の「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」生放送」です.60分ほどの長さですので,お時間のあるときにお聴きください.
いずれもすぐれた「素朴な疑問」でした.疑問の抱き方が大事ですね.今回は10件の質問に回答しました.以下に本編(第2チャプター)の分秒を挙げておきます.
(1) 01:00 --- なぜ疑問文の最後に ? をつけるのか.
(2) 06:08 --- 人称代名詞について単数形と複数形では I → we,he/she/it → they と変わるのに,you は複数形になっても変わらないのはなぜか.また,なぜ3人称の複数形では同じ they になるのか.
(3) 15:54 --- なぜイギリス英語とアメリカ英語で綴字が違うものがあるのか.同じ綴字を使ったほうが便利ではなかったのか.
(4) 21:50 --- なぜ Good morning. というのか.
(5) 25:44 --- なぜ英語ではアルファベットしか用いられないのか.
(6) 35:17 --- なぜ be 動詞は主語によって使い分けるのか.
(7) 39:45 --- なぜ Wednesday の d はなぜ発音しないのか.
(8) 44:10 --- なぜ不定冠詞 a は「エイ」と発音することがあるのか.
(9) 47:53 --- なぜ形容詞は名詞の後ではなく前につくのか.
(10) 52:29 --- doctor はなぜ or で終わるのか.
ここ数日間で,知識共有サービス Mond に寄せられてきた言語系の質問に5件ほど回答しました.こちらでもリンクを共有します.
(1) 敬語の表現が少ない英語の話者には,日本人よりも敬意を示す機会が少ないのでしょうか?
(2) 歴史的に見て「言語の変化=簡略化」なのでしょうか?
(3) ブログ,ラジオ,YouTubeなど,様々なメディアを通じて英語の歴史や語源に関する情報を発信していらっしゃいますが,これらのメディアごとにアプローチやコンセプトを変えて情報を提供していますか?
(4) なぜ人々は(もちろん個人差はあれど)イギリスやフランスなどのアクセントを“魅力的”とし,アジアやインドのアクセントを“魅力がない”とするのでしょうか?
(5) 言語の変化は,どの程度の速度で起こりますか? 例えば,新しい言葉や表現は,どのくらいの頻度で生まれるものなのでしょうか?
Mond に寄せられる言語系の質問は多様ですが,日本語と諸外国語との比較というジャンルの質問が目立ちます.今回も (1) や (4) がそのジャンルに属するかと思います.母語は万人にとって特別な存在であり,あまりに思い入れが強いために,他の言語と比べてきわめて特異な性質をもっているものと錯覚してしまうことがしばしば起こります.とりわけ語学を通じて理解の深まった他言語と比較するときに,母語の際立った言語特徴が目に付くことが多く,母語の特別視に拍車がかかります.
長年言語学に触れてきた経験から感じることは,母語の特別視は往々にして行き過ぎる傾向があるということです.確かに各々の言語には固有の特徴があるもので,その点では日本語も例外ではないのですが,日本語のみに観察される言語特徴というのは,さほど多くあるわけではなく,広く古今東西の諸言語を見渡せば類例はおおよそ見つかるものです.言語の素朴な疑問に関する直感は,当たることもありますが,割と外れることも多いのです.
今回の5件の質問のうちの3つ,(1), (2), (4) は,振り返ってみれば,言語にまつわる神話 (language_myth) に関わる質問だったように思います.言語学的な考察を通じて,言語の化けの皮を一枚一枚剥いでいくのが,何ともエキサイティングですね.
「#5112. 江利川春雄(著)『英語と日本人 --- 挫折と希望の二〇〇年』(筑摩書房〈ちくま選書〉,2023年)」 ([2023-04-26-1]) で紹介した著書に「島崎藤村の英語的文体」と小見出しの立てられた一節がある.言文一致の確立に貢献した藤村の近代的文体について,英語らインスピレーションを受けた表現形式について,次のように述べている (57) .
藤村は作品の文体を斬新で豊かなものにするために,英語の表現を意識的に移植した.たとえば,『家』(一九一〇)では英語の find oneself にあたる「宿へ戻って,またお種は自分一人を部屋の内に見出した」といった表現を使っている.この作品を英訳した William Naff は,この部分を Returning to the inn, Otane found herself all alone again. と訳している.藤村の原文は,そのまま英文に直訳できたのである.
日本語にはない「無生物主語構文」も多用されている.たとえば『春』(一九〇八)には「追想は岸本を楽しい高輪の学生時代へ連れて行った」,「絶望は彼を不思議な決心に導いた」といった英語的な文体が登場する.
無生物主語の使用は藤村にとどまらない.たとえば国木田独歩は『武蔵野』(一八九八)で「その路が君を妙なところへ導く」などの表現を使っている.こうした清新な文体が日本語表現を豊かにし,日本人の間に浸透する.昭和に入ると,藤森成吉の戯曲「何が彼女をそうさせたか」(一九二七)が大評判となり,一九三〇年には映画化されて『キネマ旬報』の優秀映画第一位に輝いた.英訳タイトルは "What made her do it?" で,英語に直訳できた.
無生物主語構文は,現在の日本語でも英語からの直訳調できざっぽい響きは感じられるものの,英語教育のおかげか,英語普及のたまものか,許容できる表現形式とはなっているといってよいだろう.
英語史側からの問題は,ここで英語的とされている無生物主語構文は,はたして英語でも古くから普通の表現だったかどうかということである.この観点から英語史を眺めてきたことはなかったため判然としないが,少なくとも印象としては現代英語のようには頻繁に使われていなかったのではないか.本当に「英語的」な表現なのかどうか,この辺りは調べてみたい.
・ 江利川 春雄 『英語と日本人 --- 挫折と希望の二〇〇年』 筑摩書房〈ちくま選書〉,2023年.
先日,知識共有サービス Mond でいただいた質問に回答しました.
結論としては,t の弾音化 (flapping or tapping) は遅くとも中英語以降に生じていた,ということになります.イングランドで異音として行なわれていたものが,17世紀以降にアメリカを含む世界各地に移植・継承されたものと思われます.t の弾音化はアメリカ英語に典型的な特徴であるという印象が強いですが,その他の多くのアメリカ英語の特徴とともに,実際の起源は中世イングランドに求められそうです.
回答記事では今回の調査に際して当たった典拠を記していませんでしたが,主に Dobson (Vol. 2, p. 956) と Minkova (147--48) に拠りました.Dobson の記述をメモとして残しておきます.
(4) Intervocalic [t] becomes [r]
385. From early in the sixteenth century there appear the forms porridge, porringer, &c. for earlier pottage, potager (see OED, s.vv.), though the older forms also survived (thus Salesbury has potanger and Bullokar potage). Coles gives porridg and porringer as 'phonetic' spellings of pottage and pottinger, from which it appears that written forms with t may sometimes conceal spoken forms with [r].
関連して「#61. porridge は愛情をこめて煮込むべし」 ([2009-06-28-1]),および r と rhotic の記事群も参照.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. 2 vols. Oxford: OUP, 1968.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
『宗教学事典』をめくりながら言語に関係する事項をつまみ読みしていたところ,「祈り」の項目に行き当たった.祈りについては「#3908. 「祈り」とは何だろうか?」 ([2020-01-08-1]) で一度考えたことがあった.今回はこの項目の記述を頼りに,祈りを理解するための手がかりを得たい (260--61) .
近代における宗教学の黎明期には,宗教の起源をめぐる問いが大きな関心を集め,宗教と呪術の区別に関する問題が盛んに議論された.この問題意識が,祈りと呪文・呪言の区別をめぐる問いへと通じている.祈りに関する包括的な研究の古典である『祈り』 (Das Gebet, 1918) を著した F. ハイラーによれば,高次の人格的な超越的存在へと向けられる祈りは呪術的な諸形式から区別され,称名(神仏など超自然的存在の名を唱えること),祝福,呪い,誓願,あるいは単に人間の願望の実現を求める祈願などにおいては,祈りと呪術的形式の融合が生じているという.また,祈りを人格的な超越的存在との交わりと考える立場からは,瞑想が祈りと区別されることもある.しかし,祈りとその周辺に置かれる宗教的な諸形式との間の境界線は流動的である.例えば,称名には言葉の力に頼る呪術的な契機だけでなく祈願や感謝・賛美などの性格もみられるし,占いや予言が超越的存在からの知らせという形をとる場合にも祈りと類似する構造が現れる.自らの健康維持を祈るような場合は,祈りがむしろ誓願に近づいているとも考えられる.
「祈り」を意味する言葉の語源からは,祈りという現象の文化k的なコンテキストを垣間見ることができる.英語の "prayer" やドイツ語の "Gebet" など「祈り」を意味する西欧の言語はいずれも「頼む,願う」などの言葉に起源を持つのに対して,日本語の「いのり」は,「い」すなわち神聖なもの,ないし斎,忌などを表す語と「のる」すなわち告げる,ないし宣べるといった意味の語との組み合わせからできており,古くは「神“に”祈る」ではなく「神“を”祈る」という用法もみられたという.すなわち,頼み願う対象としての人格的な存在を前提とする西欧的な考え方とは異なり,日本語の「いのり」では,祈りの言葉自体に生命力や神聖なものが宿ると考えられていたことがわかるのである.
祈りと他の関連する宗教形式との厳密な区別は難しそうである.とすれば,祈りの言葉と,他の関連する宗教形式の言葉との厳密な区別も難しいということになるだろう.
宗教(学)と言語(学)の掛け算は,いずれの立場にとってもエキサイティングであり,沃野といってよい.本ブログからは「#1546. 言語の分布と宗教の分布」 ([2013-07-21-1]),「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1]) を含め religion の各記事を参照.
・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.
Calude and Bauer による Mysteries of English Grammar: A Guide to Complexities of the English Language という本の序章に,"Why are there grammatical mysteries?" という1節がある.言語学者の観点からみて「文法の謎」には4種類のあり方が認められるという.
(7--8)
・ We don't know what is going on; perhaps we are unable to determine any regular pattern --- things are messy; perhaps we can see some regularities, but do not understand what drives the patterns we find; perhaps we just do not yet know what the relevant patterns are. If there are genuinely no patterns, the system is presumably unknowable, so this is a situation we do not expect to f ind, and do not want to find. In such cases, we must try to find something that makes it in principle possible to learn the grammar. There is a big difference between the unknown and the unknowable.
・ We know what is going on, but it does not seem to be predictable. This might be because speakers can manipulate the patterns in subtle ways that we cannot fully discern.
・ We know what is going on, but we do not know how the mind determines what will actually be said.
・ We know more or less what is going on, but we do not know how to successfully capture the patterns we see within a neat theoretical framework (a grammatical model).
それぞれにタイトルをつけるとすれば,(1) まったく手をつけられない謎,(2) 予測不可能という意味での謎,(3) 心の働きに関する謎,(4) 理論的にうまく説明できないという意味での謎,となろうか.
6月17日(土)の午後,アメリカ文学慶友会にてオンライン講演をさせていただきました.「文字と文学の英語史 --- letter(s) の系譜」と題して2時間ほどお話しした後,活発な質疑応答の時間を経て,講演会が終了しました.事前の準備から当日の運営まで労を執っていただいたスタッフの方々,そして参加いただいた皆様にお礼申し上げます.
本セッションの終了後,続けてオンライン懇親会の場を設けていただきました.その懇親会のなかで,アメリカ文学慶友会のメンバーの皆さんのご協力を得まして,事前に打ち合わせしていたとおり,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」のために千本ノックを実施・収録いたしました.本日 heldio にて公開しましたので,お知らせします.「#762. アメリカ文学慶友会の懇親会での千本ノック」です.50分ほどの長さとなっていますので,お時間のあるときにお聴き下さい.
9本ほどのノックを受けた形になります.以下に分秒を挙げておきますので,聴く際にご利用いただければ.
(1) 00:19 --- 人称代名詞とジェンダーの問題
(2) 12:24 --- 同族目的語風の表現
(3) 15:34 --- 話し言葉と書き言葉における変化の量・速度
(4) 21:50 --- 数万年前の言語の姿は?
(5) 26:05 --- イタリック語派に属するフランス語には意外なことにゲルマン語的要素がある!
(6) 29:17 --- 英語の主語省略
(7) 33:28 --- 船や国を受ける she
(8) 38:00 --- 名前隠し
(9) 42:45 --- 単複同形の名詞
1ヶ月半ほど前の5月6日(土)に,YouTube チャンネル「ゆる言語学ラジオ」に初めて出演させていただきました.「歴史言語学者が語源について語ったら,喜怒哀楽が爆発した【喜怒哀楽単語1】#227」というお題で,水野さんと私が日英語の語源の話題で盛り上がるという回でした(cf. 「#5122. 本日公開の「ゆる言語学ラジオ」に初ゲスト出演しています」 ([2023-05-06-1])).
日英語に限らず言語には一般に母音交替がよくある,という話をしていたところ,動画の19分40秒付近で,堀元さんが,なぜそもそも母音を替えるというパターンがあるものなのか,という素朴な疑問を投げかけてきました.あまりに本質的で鋭い問いなので,水野さんも私もしばらく固まってしまいました.私もしどろもどろになりつつ,背後にある原理の1つとして音象徴 (sound_symbolism) がありそうだ,というところまでは述べたのですが,まったく納得できる回答にはなっていなかったと思います.
先日,Comrie による論文を読んでいて,この究極の問いに関連する言及を見つけました.ゲルマン語派に生じたウムラウト (i-mutation or umlaut) の再建について論じた後で,印欧祖語の母音交替 (gradation or ablaut) の起源と再建を考察している箇所です (252) .
. . . if we go back to an earlier stage of the Indo-European ablaut --- for instance, some instances of the so-called zero grade, with complete loss of the vowel, can plausibly be attributed to shift of the accent away from that vowel --- there is no general explanation, so that ablaut remains a morphophonemic alternation for which we cannot reconstruct a plausible origin.
なぜ印欧祖語(そして後代の印欧諸語の多く)に母音交替があるのかについて,やはり一般的な説明はないということです.この問いは「母音を替えることによって機能を替えるという言語上の工夫ががいかにして芽生えたか」と換言することができますが,これは確かに究極の問いのように思われます.調音・聴覚・音響音声学の観点からも,母音の変異が人類言語において利用しやすいデバイスだからなのではないかと想像していますが,はたしてどうなのでしょうか.
・ Comrie, Barnard. "Reconstruction, Typology and Reality." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 243--57.
言語類型論で知られる Comrie (248) が,言語の起源と発展をめぐる考察において,人類言語は最初から複雑だったか否かという問題について議論している.ちなみに,ここでいう複雑さとは,主に形態(音韻)論的な複雑さを指している.
One question that then arises is how some languages come to have such complexities as complex morphologies and morphophonemics.
One possible answer is that they have always had these complexities, i.e. that some languages, from the beginnings of human language, just started out being complex. After all, if languages with complex morphologies, like, say, the Eskimo languages, can be acquired with relatively little difficulty by children, then they are clearly within whatever limits exist on the acquisition and use of language by human beings in general, and as soon as humans attained the level necessary for dealing with such complexity they would have been able to deal with such a language. But although such a scenario cannot be excluded a priori, the nagging question keeps coming back of where such complexity could have come from, almost as if it were improbable to accept the complexity as always having been there and at least more tempting to try to explain its origin.
引用の最後に示唆されているように,Comrie 自身は,人類言語が最初から複雑だったという説には否定的のようだ.当初は単純だったものが徐々に複雑化してきた,という正反対の説を声高に表明しているわけでもないが,何らかの複雑化説を念頭に置いていると考えられる.
そもそも言語における複雑さという問題は難しい.上記では形態(音韻)論における複雑さのみが考慮されているにすぎないが,その他の部門の複雑さも含めて総合的に評価する必要があるからだ.そして,その評価の基準について研究者間での合意はない.この問題と関連して,以下の記事を参照.
・ 「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1])
・ 「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1])
・ 「#2820. 言語の難しさについて」 ([2017-01-15-1])
・ 「#4165. 言語の複雑さについて再考」 ([2020-09-21-1])
・ Comrie, Barnard. "Reconstruction, Typology and Reality." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 243--57.
「#3082. "spelling bee" の起源と発達」 ([2017-10-04-1]) で,アメリカでは "spelling bee" というスペリング競技会が国民的人気を誇っている.正式には Scripps National Spelling Bee と呼ばれる.イギリスなどその他の英語国でも対応する競技会はあるが,アメリカの熱狂的な人気には及ばないようだ.Horobin (199--200) より,spelling_bee の沿革を説明する箇所を引用する.
The spelling bee began in the 1700s, forming a key part of a child's education. By 1800 spelling bees came to be viewed more as social entertainment; such frivolous pleasures were frowned upon by the Puritans who rebranded them as spelling 'schools' in an attempt to re-assert their educational focus. Spelling bees gradually fell out of favour in New England society, but were preserved within a frontier culture for whom correct spelling was still considered an index of education and social status. The publication of The Hoosier Schoolmaster (1871) led to a craze in spelling contests, following which the term spelling bee was introduced. The use of the word bee to refer to a social gathering of this kind, often with a specific purpose in mind, such as apple-bee, husking bee, or the more sinister lynching-bee, is based upon an allusion to the social character of bees themselves. But while these gatherings were social, they were also highly competitive, as the alternative name 'spelling fight' makes clear. The first national spelling bee was introduced in 1925, subsequently rebranded the Scripps bee in 1941, and is still going strong today. . . . The popularity of the spelling bee is far greater in America than it is in Britain. The British equivalent, the BBC's Hard Spell, was a short-lived innovation, while British schools rarely engage in the spelling bees that are such an integral part of American society.
では,なぜアメリカで spelling bee がここまで人気なのか.イギリス綴字と一線を画するアメリカ独自の綴字が,綴字改革者であり愛国者でもある Noah Webster (1758--1843) によって導入され推進されたことは,英語史ではよく知られている.独立前後から独自の綴字を作り上げてきたという国民的記憶と自負が,アメリカでのスペリング競技会人気の背景にあるのではないかと私は睨んでいる.さらにいえば,合衆国憲法がまさにそうであるように,spelling bee は多民族国家アメリカにとって,いわば「国民統合の象徴」に近いものなのではないか.アメリカは,Webster から spelling bee に至るまで,綴字という目に見えるものを国民の遵守すべき規範として掲げることによって,国民どうしの結束を固め,保とうとしているのではないか.イギリスで spelling bee への熱狂が見られないことと対比して,このように考えてみた次第である.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.
昨日の記事「#5166. 秋元実治(編)『近代英語における文法的・構文的変化』(開拓社,2023年)」 ([2023-06-19-1]) で,先日発売された本をご紹介しました.同書については,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の最新回でも取り上げています.「#137. 辞書も規範文法も18世紀の産業革命富豪が背景に---故山本史歩子さん(英語・英語史研究者)に捧ぐ---」です.どうぞご覧ください.
YouTube では,同書の第4章「18世紀の文法的・構文的変化」(山本史歩子さんが執筆された章)の後半の記述にインスピレーションを得て,なぜ規範文法 (prescriptive_grammar) ,ひいては規範主義 (prescriptivism)が,18世紀というタイミングで盛り上がったのかについてお話しています.実際には様々な要因があるのですが,同章に基づき,とりわけ産業革命 (industrial_revolution) とそれに伴う社会変化に注目しています.詳しくは,ぜひ本書を読んでいただければと思います.
第4章の執筆者である山本史歩子さん(青山学院大学)は,本書の出版を見る前にご逝去されました.英語史活動(hel活)の実践者にして,強力な理解者かつ応援者でもありました.昨年の春,2022年4月6日には,私の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にご出演いただきました.ぜひ「#310. 山本史歩子先生との対談 英語教員を目指す大学生への英語史のすすめ」をお聴きください.山本史歩子さんの英語史研究へのご貢献に深く感謝しつつ,心よりご冥福をお祈りいたします.
・ 秋元 実治(編),片見 彰夫・福元 広二・田辺 春美・山本 史歩子・中山 匡美・川端 朋広・秋元 実治(著) 『近代英語における文法的・構文的変化』 開拓社,2023年.
英語史において時制カテゴリーの成因や対応する表現はしばしば変化してきた.例えば,未来のことを指示するのにどのような表現が用いられてきたかを歴史に沿ってたどってみると,古英語から中英語にかけては現在時制を用いていたが,中英語から現代英語にかけては shall/will などを用いた迂言的な表現を用いるようになった等々.
Görlach (100) は,時制カテゴリーをめぐる英語史上の変化の概略を表にまとめている.以下に引用する.
ざっくりとした見取り図として参考にされたい.
・ Görlach, Manfred. The Linguistic History of English. Basingstoke: Macmillan, 1997.
形容詞 high と名詞 height は,それぞれ /haɪ/, /haɪt/ と発音されます.綴字と発音の関係について,前者は規則通りと考えられますが,後者は例外的です.これはなぜでしょうか.
まず high の綴字と発音の発達を振り返ってみましょう.古英語 hēah は中英語にかけて hēh > hēih > heih/hīh と発達しました.最後の段階で異形が2つ現われますが,後者の hīh が大母音推移を経て現代英語の high /haɪ/ に至ります.前者の heih は中英語ではむしろ有力でしたが,後に high に首席を明け渡しました.
ちなみに,古英語 nēah "near" もまったく同じ発達を遂げています.中英語にかけて nēh > nēih > neih/nīh と変化しました.最終段階の異形のうち前者は neighbour の第1要素に現われており,後者は nigh に連なります.
さて,名詞 height の古英語の形態は hēhþu でした.これは形容詞 hēah と歩調を揃えて中英語にかけて語形を発達させていき,hēhþ > hēihþ > heiht に帰着しました.ただし,形容詞と異なり,最後の段階に予想される異形 *hīht はありませんでした.名詞接尾辞に含まれる þ が後続する環境では,形容詞には生じた音変化が抑止されたからです.
こうして,名詞の綴字については,その後に綴字の若干の変化を経つつも height に落ち着きました.ところが,発音のほうは形容詞に引きつけられるようにして /haɪt/ で定着しました.こうして発音と綴字の複雑な発達過程と類推作用の結果, height ≡ /haɪt/ というちぐはぐな関係になってしまったのです.
以上,Prins (97) を参照して執筆しました.関連して,heldio より「#595. heah/hih/high --- 「ゆる言語学ラジオ」から飛び出した通時的パラダイム」をご参照ください.
・ Prins, A. A. A History of English Phonemes. 2nd ed. Leiden: Leiden UP, 1974.
標題は多くの英語学習者が抱いたことのある疑問ではないでしょうか?
目下 khelf(慶應英語史フォーラム)では「英語史コンテンツ50」企画が開催されています.4月13日より始めて,休日を除く毎日,khelf メンバーによる英語史コンテンツが1つずつ公開されてきています.コンテンツ公開情報は日々 khelf の公式ツイッターアカウント @khelf_keio からもお知らせしていますので,ぜひフォローいただき,リマインダーとしてご利用ください.
さて,標題の疑問について4月22日に公開されたコンテンツ「#9. なぜ be going to は未来を意味するの?」を紹介します.
さらに,先日このコンテンツの heldio 版を作りました.コンテンツ作成者との対談という形で,この素朴な疑問に迫っています.「#711. なぜ be going to は未来を意味するの?」として配信しています.ぜひお聴きください.
コンテンツでも放送でも触れているように,キーワードは文法化 (grammaticalisation) です.英語史研究でも非常に重要な概念・用語ですので,ぜひ注目してください.本ブログでも多くの記事で取り上げてきたので,いくつか挙げてみます.
・ 「#417. 文法化とは?」 ([2010-06-18-1])
・ 「#1972. Meillet の文法化」([2014-09-20-1])
・ 「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1])
・ 「#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2)」 ([2014-09-23-1])
・ 「#3281. Hopper and Traugott による文法化の定義と本質」 ([2018-04-21-1])
・ 「#5124 Oxford Bibliographies による文法化研究の概要」 ([2023-05-08-1])
とりわけ be going to に関する文法化の議論と関連して,以下を参照.
・ 「#2317. 英語における未来時制の発達」 ([2015-08-31-1])
・ 「#3272. 文法化の2つのメカニズム」 ([2018-04-12-1])
・ 「#4844. 未来表現の発生パターン」 ([2022-08-01-1])
・ 「#3273. Lehman による文法化の尺度,6点」 ([2018-04-13-1])
文法化に関する入門書としては「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) で紹介した保坂道雄著『文法化する英語』(開拓社,2014年)がお薦めです.
・ 保坂 道雄 『文法化する英語』 開拓社,2014年.
一昨日の4月28日の午後3時過ぎより約60分間,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送で「英語に関する素朴な疑問千本ノック(矢冨&堀田&まさにゃん)」を khelf 協賛でお届けしました.今回も多くの方にライヴで聴いていただき,さらに投げ込み質問も多数いただきました.難問・珍問が続出し,うまく回答できないものもありましたが,出演者とギャラリー一同,たいへん勉強になりました.聴いていただいたリスナーの皆さんにも,英語史の面白さと難しさを感じていただけたのではないでしょうか.
生放送を収録したものを,今朝レギュラー放送として公開しました.「#699. 4月28日に「英語に関する素朴な疑問千本ノック(矢冨&堀田&まさにゃん)」を生放送でお届けしました」です.
全体で17の質問に回答し,ときにギャラリーにも加わってもらい議論となりましたが,楽しかったです.適度な緊張と興奮がやめられませんね.各質問の分秒を一覧しておきます.ちなみに,いまや heldio 名物となった「まさにゃん暴走」は12:41辺りから始まる第5問目「kid と child が同じ意味なのはなぜ?」の回答中でお聴きになれます.
(1) 01:13 --- なぜ am は I の後ろにしか来ないのですか?
(2) 04:33 --- なぜ I am Japanese. となり I am a Japanese. とは言わないのですか?
(3) 07:46 --- なぜ未来の確定したことは現在形で表現できるのですか?
(4) 10:28 --- 現在と過去は動詞の語尾で示せますが未来は語尾で示せないのはなぜ?
(5) 12:41 --- kid と child が同じ意味なのはなぜ?(cf. この問いでは,いまや heldio 名物となった「まさにゃん暴走」を聴けます)
(6) 18:56 --- honest や hour の h を発音しないのはなぜ?(cf. 先日の「#5108. 4月20日の heldio 生放送「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」のまとめ」の (3) で回答を試みています)
(7) 20:54 --- an historical というつながりを見たことがありますが a ではないのですか?
(8) 22:34 --- leaf の複数形は leaves ですが,belief の複数形は beliefs です.なぜですか?
(9) 25:48 --- so は短いのに意味が多すぎます.なぜですか?
(10) 30:49 --- 英文法は誰が定めたのですか,あるいはどのように成立したのですか?
(11) 33:30 --- is も am も過去形ではともに was になるのはなぜですか?
(12) 38:21 --- なぜ不定詞には for ではなく to がつくのですか? 他の前置詞ではダメだったのですか?
(13) 41:08 --- なぜ使役では能動態だと原形不定詞を,受動態では to 不定詞を用いるのですか?
(14) 44:29 --- なぜ自動詞と他動詞は分かれたのですか?
(15) 49:45 --- It is fine today. ではなく Today is fine. というと不自然なのはなぜですか?
(16) 52:42 --- baggage と luggage の綴字が似ているのは歴史的に関係があるからですか?
(17) 53:57 --- 英語史上の最大の学説対立があれば教えてください.
過去の「千本ノック」回については「#5005. 過去17回の heldio 「千本ノック」の一覧」 ([2023-01-09-1]) あるいは senbonknock をご覧ください.
昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,4月20日に質問者の学生が居合わせるなかで生放送収録した「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」をアーカイヴとして配信しました.「#691. 4月20日に「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」を heldio 生放送でお届けしました」をお聴きください(60分ほどの長さですので,お時間のあるときにとうぞ).
英語学習者その他から英語に関する素朴な疑問を事前あるいは即興で寄せてもらい,それに対して私が英語史研究者の立場から回答するという試みは,様々な形でたびたび行なってきました.大学の授業や一般の講座でも行なってきましたし,本ブログでも sobokunagimon のタグのついた多くの記事で素朴な疑問に回答しています.また,知識共有サービス「Mond」でも,一般から寄せられた問いに専門的に答えてきました.ちょうど今朝も Mond にて than usually ならぬ than usual という表現についての疑問に回答したところです.
そして,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でも,1年ほど前に「#341. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック」を配信したのを皮切りに,ときに他の英語史研究者を回答者としてお招きする形で19回ほど千本ノック企画を公開してきました.19回の履歴は「#5005. 過去17回の heldio 「千本ノック」の一覧」 ([2023-01-09-1]) をご覧ください.
とりわけ居合わせた学生などから直接に素朴な疑問を出してもらい,その場で回答するという,Voicy heldio 生放送でのスタイルは,新鮮で緊張感もあり私自身は好きなのですが,何よりも貴重なのは,その後に寄せられてくる反響のコメントです.今回の千本ノックが終わった後,学生たちに感想を書いてもらいました.いくつか紹介します(ただし,軽微な修正を含め文章に最小限の編集を施していることを断わっておきます).
質問によって多くのことに目を向けられるようになる気がした.他の人の疑問や,視点を知れたことで確かにと思うことや,そこから発展して疑問に思うことなどなど自分1人では思いつかないようなことをたくさん知れ,それこそがみんなで学習する意味なのだと改めて感じた.
今まで積んできた英語学習の中で,恐らくたくさんの疑問を抱えてきたはずだが,いざそれらの素朴な疑問を挙げるとなると,なかなか思い出すことができなかった.しかし,他の受講生の方の疑問を聞いていると,自身もかつて疑問に思ったな,と感じるものであったり,逆になるほど,そのような疑問もあったか,などというようなものもあり,とても新鮮に感じながら聞くことができた.
みんなが出してくれた疑問を聞いてみると,「確かに不思議だな」「そういえばなんでなんだろう」と感じるものばかりで,私もその回答を聞くことが楽しく,ワクワクしながら聞いていた.
同じ立場の人たちが英語に関する「素朴な疑問」をとても広い分野にわたって抱いていることが印象的だった.自分は質問を出すのに悩み,悩んだゆえに英語の学習過程で出会ったもののみのかなり範囲の狭い質問になってしまったが,今回の千本ノックで扱った質問は英語の学習という範囲のみに限らず日本で生活し英語と接する中で出てくるような質問ばかりだった.そうした小さな疑問を持ち追及することは意味のないことだと日常の中で無意識に思ってしまい出てこなかったのかもしれないと思い,改めてそのような質問が許される場と出会えたことはとても貴重だと感じた.
千本ノックのラジオでは,私が思いもつかなかった質問が次から次へと飛んでいて持っていなかった視点が沢山得られて驚きました.
千本ノックを聞いて,まず寄せられた質問の質の高さに驚きました.私は英語の素朴な疑問,と聞いて出すのに苦労したのですが,寄せられた質問を見るとすべて確かに疑問に思うことばかりでした.自分の中で当たり前になっていたり,「これはそういうものだから」と教えられたような事ばかりだったので新鮮だったと共に,私のような人間にこそ英語史の勉強が必要なのだろうと感じました.
千本ノックでは他の人たちがどんな疑問を抱いているのかを知ることができ自分もかつては抱いていたはずなのに忘れかけていたような疑問に再び出会うことができていい刺激になりました.疑問を他者と共有することは大切だと改めて認識させられました.
自分の中には無かった鋭い着眼点を含んだ質問が多く,文字通り素朴であることが凝り固まった自分の視点をほぐしてくれたような気がしました.
千本ノックは,自分一人では思いつかなかった疑問について考える貴重な機会になりました.また,自分が考えもしなかった疑問を他の学生が上げてくれていたので,新たな観点から英語の文構造を見ることができました.
いつもは目もくれない様々な「言葉」にもっと興味を持って,まるで地球を訪れてきたエーリアンのように常に好奇心を持って生きていきたいなと思いました.
今回の千本ノック後,友達と駅に向かって歩いていてマクドナルドの前を通り過ぎた時,同じタイミングで「あ!スコットランド!」と言って笑っていました(Mc の由来はスコットランドで,ケルト言語で息子という意味だと授業で聞いたので).
さらに,Voicy のコメント欄でもリスナーさんより「本当によくこんないい質問が浮かぶなあと,聴いていて対抗心が湧きました」など類似のメッセージが複数届いています.
これでお分かりかと思います.つまり,一見するとトリビアルに思われるような素朴な疑問を,皆で持ち寄り互いに鑑賞すること自体に価値があるということです.公開企画にすれば,それを広く皆で共有できるというメリットがあります.それに対する回答はそれとして重要ですが,二の次であるといってよいでしょう.
千本ノック公開企画を始めた当初は,この効用に気づいていませんでしたが,最近になってようやく分かってきました.疑問を共有することは,さらなる知的刺激を生み出すのだと.
千本ノック企画,これからも続けていきます(実際,次回は4月28日(金)の午後3時から生放送の予定です).
一昨日の4月20日の午前11:10より約60分間,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送で「千本ノック」をお届けしました.ライヴで聴いてくださったリスナーの皆さん,ありがとうございました
生放送を収録したものを,今朝レギュラー放送として公開しました.「#691. 4月20日に「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」を heldio 生放送でお届けしました」をお聴きください.
新学期に大学生より多くの「英語に関する素朴な疑問」を寄せてもらいました.今回はその中から14の質問を取り上げましたが,良問・難問が続いてエキサイティングでした.参考までに各疑問と分秒を一覧しておきます,
(1) 02:01 --- McDONALD'S の Mc とは?
(2) 08:16 --- なぜ -tion は「ション」と読むの?
(3) 11:56 --- hour や honor で h を発音しないのはフランス語の影響?
(4) 15:53 --- なぜアルファベットには濁点・半濁点がないの?
(5) 21:10 --- 過去の習慣を表わす used to とは?
(6) 25:54 --- なぜ that には多様な用法があるのに this にはないの?
(7) 29:13 --- doctor はなぜ -er ではなく -or で終わるの?
(8) 34:05 --- なぜ do の3単現が does になるの?
(9) 39:00 --- なぜ英語は縦書きしないの?
(10) 42:25 --- なぜ new をもじった「オニュー」があるのに,old をもじった「オオールド」はないの?
(11) 48:31 --- whom の -m は何?
(12) 49:51 --- なぜ小文字と大文字で字形の違うものがあるの?
(13) 53:58 --- なぜ read - read - read は同じスペリングなの?
(14) 57:12 --- なぜ定冠詞 the は母音の前では「ズィ」になるの?
過去の「千本ノック」回については「#5005. 過去17回の heldio 「千本ノック」の一覧」 ([2023-01-09-1]) あるいは senbonknock をご覧ください.
一昨日の4月7日の午後11:20より約50分間,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送で#678. 4月7日に「英語に関する素朴な疑問 千本ノック」を heldio 生放送でお届けしましたをお届けしました.ライヴでお聴きくださったリスナーの皆さん,ありがとうございました.
数十名のフレッシュな大学1年生を前にしての対面公開収録&生放送でした.その場で学生たちに英語に関する素朴な疑問を投げてもらい,私が回答するという「千本ノック」企画でしたが,今回も良問が多く出されました.私は常々「難しい問題ではなく素朴な疑問こそが重要」と言っていますが,今回もそのことが伝わるとよいなと期待しつつ回答したつもりです.どうだったでしょうか?
50分の長丁場ですので,時間のあるときにゆっくりお聴きください.
以下に,今回の「千本ノック」で取り上げた各疑問の分秒を一覧しておきます.
(1) 02:34 --- 英語になぜ敬語が存在しないの?
(2) 05:51 --- am, are, is という3つの be 動詞の由来が知りたいです
(3) 09:19 --- 日本語では一音で意味を持つものがあるにもかかわらず(例えば「絵」や「胃」)英語では一音で意味を持つことがほとんどないのはなぜですか?
(4) 13:14 --- -ed がつく過去形と不規則に変化する過去形がある理由
(5) 18:04 --- 3単現に -s がつく理由
(6) 21:52 --- 動詞 play が使えるスポーツと使えないスポーツの違いはなんですか?
(7) 24:02 --- なぜ英語には女性名詞や男性名詞がないのか?
(8) 27:11 --- 3単現の -s がないと,ネイティブスピーカーはどんな感覚なのか?
(9) 28:33 --- 英語と日本語はどうして順序が逆になるのですか?(住所とか)
(10) 31:03 --- <gh> などの発音しない子音があるのはなぜですか?
(11) 33:49 --- Pokémon (ポケモン)の e の上にある点は何?
(12) 36:09 --- 世界には英語が書かれたグッズが多く出回っているが(GAPなど),英語圏の人はどう感じているのか?
(13) 38:20 --- なぜ fine には「罰する」「罰金」という意味があるの?
(14) 41:35 --- 同じ単語にいくつも意味があるのはなんで?
(15) 44:00 --- どうしてアメリカ英語とイギリス英語があるんですか?
(16) 45:50 --- 日本語には句読点があるけれど,なぜ英語では空白で区切るの?
過去の「千本ノック」回については「#5005. 過去17回の heldio 「千本ノック」の一覧」 ([2023-01-09-1]) あるいは senbonknock をご覧ください.
不定人称代名詞 (indefinite_pronoun) の none は「誰も~ない」を意味するが,動詞とは単数にも複数にも一致し得る.None but the brave deserve(s) the fair. 「勇者以外は美人を得るに値せず」の諺では,動詞は3単現の -s を取ることもできるし,ゼロでも可である.規範的には単数扱いすべしと言われることが多いが,実際にはむしろ複数として扱われることが多い (cf. 「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1])) .
none は語源的には no one の約まった形であり one を内包するが,数としてはゼロである.分かち書きされた no one は同義で常に単数扱いだから,none も数の一致に関して同様に振る舞うかと思いきや,そうでもないのが不思議である.
しかし,American Heritage の注によると,none の複数一致は9世紀からみられ,King James Bible, Shakespeare, Dryden, Burke などに連綿と文証されてきた.現代では,どちらの数に一致するかは文法的な問題というよりは文体的な問題といってよさそうだ.
Visser (I, § 86; pp. 75--76) には,古英語から近代英語に至るまでの複数一致と単数一致の各々の例が多く挙げられている.最古のものから Shakespeare 辺りまででいくつか拾い出してみよう.
86---None Plural.
Ælfred, Boeth. xxvii §1, þæt þær nane oðre an ne sæton buton þa weorðestan. | c1200 Trin. Coll. Hom. 31, Ne doð hit none swa ofte se þe hodede. | a1300 Curs. M. 11396, bi-yond þam ar wonnand nan. | 1534 St. Th. More (Wks) 1279 F10, none of them go to hell. | 1557 North, Gueuaia's Diall. Pr. 4, None of these two were as yet feftene yeares olde (OED). | 1588 Shakesp., L.L.L. IV, iii, 126, none offend where all alike do dote. | Idem V, ii, 69, none are so surely caught . . ., as wit turn'd fool. . . .
Singular.
Ælfric, Hom. i, 284, i, Ne nan heora an nis na læsse ðonne eall seo þrynnys. | Ælfred, Boeth. 33. 4, Nan mihtigra ðe nis ne nan ðin gelica. | Charter 41, in: O. E. Texts 448, ȝif þæt ȝesele . . . ðæt ðer ðeara nan ne sie ðe londes weorðe sie. | a1122 O. E. Chron. (Laud Ms) an. 1066, He dyde swa mycel to gode . . . swa nefre nan oðre ne dyde toforen him. | a1175 Cott. Hom. 217, ȝif non of him ne spece, non hine ne lufede (OED). | c1250 Gen. & Ex. 223, Ne was ðor non lik adam. | c1450 St. Cuthbert (Surtees) 4981, Nane of þair bodys . . . Was neuir after sene. | c1489 Caxton, Blanchardyn xxxix, 148, Noon was there, . . . that myghte recomforte her. | 1588 A. King, tr. Canisius' Catch., App., To defende the pure mans cause, quhen thair is nan to take it in hadn by him (OED). | 1592 Shakesp., Venus 970, That every present sorrow seemeth chief, But none is best.
none の音韻,形態,語源,意味などについては以下の記事も参照.
・ 「#1297. does, done の母音」 ([2012-11-14-1])
・ 「#1904. 形容詞の no と副詞の no は異なる語源」 ([2014-07-14-1])
・ 「#2723. 前置詞 on における n の脱落」 ([2016-10-10-1])
・ 「#2697. few と a few の意味の差」 ([2016-09-14-1])
・ 「#3536. one, once, none, nothing の第1音節母音の問題」 ([2019-01-01-1])
・ 「#4227. なぜ否定を表わす語には n- で始まるものが多いのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-11-22-1])
また,数の不一致についても,これまで何度か取り上げてきた.英語史的には singular_they の問題も関与してくる.
・ 「#1144. 現代英語における数の不一致の例」 ([2012-06-14-1])
・ 「#1334. 中英語における名詞と動詞の数の不一致」 ([2012-12-21-1])
・ 「#1355. 20世紀イギリス英語で集合名詞の単数一致は増加したか?」 ([2013-01-11-1])
・ 「#1356. 20世紀イギリス英語での government の数の一致」 ([2013-01-12-1])
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
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