1月5日発売の朝日出版社の英語学習誌『CNN English Express』2月号に,「歴史を知れば納得! 英語の「あるある大疑問」」と題する拙論が掲載されています.英語史の観点から素朴な疑問を解くという趣向の特集記事で,英語史の記事としては珍しく,8頁ほどの分量を割いていただきました(編集の一柳沙織さんにはお世話になりました).
英語学習者に英語史の世界を紹介するために,なるべく分かりやすく文章をまとめました.既刊の拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)や『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』(研究社,2016年)の趣旨も汲んだ,入門的な記事となっています.本ブログを講読されている多くの方にも響く内容となっていると思いますので,どうぞご一読ください.
リード文は次の通りです.
「英語史」などといういかめしい表現を聞くと,多くの人が身構えてしまうかもしれません.しかしちょっとのぞいてみれば,この分野は,皆さんが英語に対して抱く素朴な疑問をスルスルと氷解してくれる,英語学習者の心強い味方だとわかるはずです.読者の皆さんが,納得しながら,肩の力を抜きつつ学習を進められるよう,英語の歴史という観点から,英語にまつわるさざざまな疑問や固定観念を解きほぐしていきましょう.
以下のような見出しで書いています.ほかに豆知識コラムもあります! ぜひご一読ください.
はじめに
英語の歴史の概略
日本人学習者が有利なこと?
なぜ英語は語順が決まっているの?
なぜ a apple じゃダメなの?
なぜ3単現の -s を付けるの?
なぜ doubt には発音しない b があるの?
なぜイギリス英語とアメリカ英語は違うの?
おわりに
・ 堀田 隆一 「歴史を知れば納得! 英語の「あるある大疑問」」『CNN English Express』2019年2月号,朝日出版社,2019年.41--49頁.
なぜ address では <dd> と重子音字が用いられているのかというナゾについての回答が,数日前のYahoo!知恵袋でバズっていた(住所という英単語adressとaddressどちらが正しいスペルでしょうか?).真の答えは,大名氏のツイートに端的に示されている通りだろう.初期近代英語期にバズった語源的綴字 (etymological_respelling) である.
この発問の問題意識はわかる.フランス語や中英語では adresser, adressen などと <d> は1つであり,それでも良さそうなのに,現代英語ではなぜ <d> を重ねるのか.さらに語源的には同じラテン語の接頭辞 ad- を付したものでも,adapt, admire, adnominal, adopt, adverb などでは <d> が重なっていないという事情もある.
Upward and Davidson (101) に,ラテン語の接頭辞 ad- の付加と関連して次の記述がみられる.
・ Lat AD- attached to a stem beginning with D results in Lat and ModE -DD-: add (< Lat addere), addiction, address, adduce. (OFr and ME often wrote such words with single D.)
・ D has been doubled in developments from Fr where there has been a stress shift to the first syllable in ModE: boudin > podyng > pudding, sodein > sodayn > sudden.
・ Some words with single medial D (e.g. hideous, medal, model, study) were occasionally written with DD in EModE.
2点目と3点目の記述からわかることは,強勢位置に応じて,現代的な「綴字規則」どおりに子音字を重ねたり重ねなかったりする例が近代英語期に見られたということだ.一方,目下の話題に直接触れている1点目では,中英語や古フランス語では強勢位置の考慮がなされていたようだが,近代英語以降にはなされておらず,むしろラテン語の綴字に引きずられた結果であることが示されている.結果として成立した address, addict, adduce などの綴字は,強勢位置や母音の長さなどを反映する表音的な綴字というよりは,ad- までが接頭辞であり,それ以降の部分が語根であることを示す表形態素的な綴字というべきだろう.そして,それは語源的な綴字でもあった.
英語史の教科書などでは,接頭辞 ad- を参照して d を復元した語源的綴字の典型例として admonish, advance, advantage, adventure, advise などがしばしば挙げられる(最後の語については「#1153. 名詞 advice,動詞 advise」 ([2012-06-23-1]) を参照).しかし,語根がすでに d で始まる今回のような語において,接頭辞にまで d を復元し,結果として <dd> となる事例にはこれまで気づかなかった.むしろ,これこそラテン語の模倣欲が炸裂した語源的綴字の好例ということができるかもしれない.とまれ,一般的に ad- 語において語源的綴字として d が挿入された事例は,これまで私が思っていたよりもかなり多いようである.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
人称 (person) について,先日「#3463. 人称とは何か?」 ([2018-10-20-1]) で私見を述べた.より客観的に言語における人称を考えていくに当たって,まずは言語学用語辞典で person を引いてみよう.以下,Crystal (358--59) の記述より.
person (n.) (per, PER) A category used in grammatical description to indicate the number and nature of the participants in a situation. The contrasts are deictic, i.e. refer directly to features of the situation of utterance. Distinctions of person are usually marked in the verb and/or in the associated pronouns (personal pronouns). Usually a three-way contrast is found: first person, in which speakers refer to themselves, or to a group usually including themselves (e.g. I, we); second person, in which speakers typically refer to the person they are addressing (e.g. you); and third person, in which other people, animals, things, etc are referred to (e.g. he, she, it, they). Other formal distinctions may be made in languages, such as 'inclusive' v. 'exclusive' we (e.g. speaker, hearer and others v. speaker and others, but no hearer); formal (or 'honorific') v. informal (or 'intimate'), e.g. French vous v. tu; male v. female; definite v. indefinite (cf. one in English); and so on. There are also several stylistically restricted uses, as in the 'royal' and authorial uses of we. Other word-classes than personal pronouns may show person distinction, as with the reflexive and possessive pronouns in English (myself, etc., my, etc.). Verb constructions which lack person contrast, usually appearing in the third person, are called impersonal. An obviative contrast may also be recognized.
なるほど,一口に人称といっても考慮すべき点はいろいろあるようだ.意味論・語用論的な観点からの人称の捉え方もあれば,文体的な問題としての人称もある.
最後に触れられている obviative という3人称と区別される弁別的な人称の発想はおもしろい.いわば「4人称」である.Crystal (338) の同じ用語辞典より,説明を聞いてみよう.
obviative (adj./n.) A term used in linguistics to refer to a fourth-person form used in some languages (e.g. some North American Indian languages). The obviative form ('the obviative') of a pronoun, verb, etc. usually contrasts with the third person, in that it is used to refer to an entity distinct from that already referred to by the third-person form --- the general sense of 'someone/something else'.
「オレ」「オマエ」「それ以外」という3区分に従えば obviative も3人称であるには違いなく,「4人称」とは不適切な呼称かもしれない.しかし,「4人称」という発想は,人称というフェチな世界観が(いくつかの言語においては)すでに言及されているか否かという談話の観点までも考慮しつつ,どこまでもフェチになりうる文法範疇であることを教えてくれる.
・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.
英語を学習していると「人称」 (person) という用語に出会う.代名詞でいえば,1人称は I, we,2人称は you,3人称は he, she, it, they ということになっている.私たちは,人称の区別の原理は何なのかも教わらずに,まず上記のような区別をたたきこまれる.
「人称」とは何なのか.これは,印欧語が典型的にもっている1つの世界観を名付けたものにすぎない.一種のモノの見方のフェチである.「人称」とは1つの文法カテゴリーであり,文法カテゴリーとはその言語共同体の共有する1つのフェティシズムにすぎない (cf. 「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1]),「#2853. 言語における性と人間の分類フェチ」 ([2017-02-17-1])) .人称はすべての言語に関与的なわけではなく,たまたま英語を含む諸言語において重視されるカテゴリーであるにすぎない.
そもそも「人称」などという仰々しい術語がよくない.英語では単に person といっているだけなのだから,「ひと」としておいてよいのかもしれない.しかし,「人称」とは「ひと」というほどの思わせぶりな概念ですらない.思い切って単純化すれば,単に森羅万象を「オレ」「オマエ」「それ以外」の3者に分けるという世界観にほかならないのだ.つまり,そこに必要以上に深い意味を読み込んではいけない.所詮,言葉を操る人間にとって最も重要なのは,「話しをするジブン」と「話し相手であるアナタ」と「それ以外の一切合切の存在」との3分であるという考え方は,ある意味で納得できる区分である.おそらく,最もプリミティブな区分は「オレ」か「その他の一切合切」かの2区分になるのだろうが,動物とは異なり高度なコミュニケーション能力を発展させた人間社会にとってのプリミティブとは,印欧語風の「オレ」「オマエ」「その他の一切合切」の3区分であるといわれれば,そうなのかもしれないとも思う (cf. 「#1070. Jakobson による言語行動に不可欠な6つの構成要素」 ([2012-04-01-1]),「#2309. 動詞の人称語尾の起源」 ([2015-08-23-1])) .
日本語では,形容詞の人称制限と呼ばれる現象もあるにはあるが,人称のカテゴリーの存在感は薄いといってよい.しかし,印欧語などにおいていったんこの3区分が確立してしまえば,それが1つの世界観として影響力をもつだろうということは想像できる.「オレ」「オマエ」「その他の一切合切」とは,コミュニケーションの参与者の視点からすればそのまま重要度のランキングとなっており,この区分に基づいて言語体系が成り立っているとすれば,確かに理に適っている.それぞれの人称が主語として立つときに,述語の語尾も連動して変化するというのは,くだんの世界観を再確認する言語的手段なのだと考えれば,なるほどと納得できる.
このように議論してくると,いかにも「オレ」「オマエ」「その他の一切合切」の3区分が自然にも思えてくるが,これは人間にとって必須の区分ではない.この3区分の重要性は,「人称」カテゴリーを明確にもたない日本語話者にとっても説明されれば分かる類いのものではあるが,なければないで言語として成り立つ程度のものであり,絶対視する理由はない.印欧語族ではそれがたまたま言語上に顕在化するという,ただそれだけのことなのだろう.それぞれの言語は,あるカテゴリーを明示的に表現したり,逆に表現しなかったりするものであり,その点では自由な存在なのである.
一昨日10月6日(土)の午後に,巣鴨学園にて高大連携プロジェクトの一環として英語史の話題について講演する機会をいただきました.校長先生をはじめ関係の先生方,とりわけ今回の講演のきっかけを作ってくれた,かつて私の学部・院ゼミに属し,英語史を専攻していた英語科の山﨑隆博先生に,心より感謝致します.ありがとうございました.しかし,何よりも予定の1時間を超過しての講演に熱心に耳を傾け,さらに質疑応答タイムを大幅に超過しながら飽くなき好奇心を示してくれた巣鴨学園の生徒のみなさんに感銘を受けました.最も楽しんで学ばせてもらったのは,私自身だったと思います. *
「英語史 --- 英語の見方を180度変える『開眼』体験」とやや大袈裟なタイトルを掲げて話したのですが,質疑応答タイムでは様々な「素朴な疑問」が飛び出しました.いくつか挙げつつ,関連する記事へのリンクを張っておきます.
・ なぜアルファベットは26文字なの? (cf. 「#3049. 近代英語期でもアルファベットはまだ26文字ではなかった?」 ([2017-09-01-1]))
・ アルファベットの各文字の名前はどうやって決まっているの? (cf. 「#1831. アルファベットの子音文字の名称」 ([2014-05-02-1]))
・ なぜ A は「アー」ではなく「エイ」と発音するの? (cf. 「#205. 大母音推移」 ([2009-11-18-1]))
・ なぜ name, take などのスペリングには読まない e があるの? (cf. 「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]))
・ なぜ母音の後の r はアメリカ英語では響くのにイギリス英語では発音しないの? (cf. 「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1],「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]))
・ なぜ s とは別に th の発音があるの? (cf. 「#842. th-sound はまれな発音か」 ([2011-08-17-1]))
・ 今英語に起こっている発音の変化は? (cf. 「#860. 現代英語の変化と変異の一覧」 ([2011-09-04-1]))
・ なぜ昔の発音がわかるの? (cf. 「#437. いかにして古音を推定するか」 ([2010-07-08-1]))
・ なぜ go は,go -- went -- gone という活用なの? (cf. 「#43. なぜ go の過去形が went になるか」 ([2009-06-10-1]),「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1]))
・ なぜ bad は,bad -- worse -- worst という比較変化なの? (cf. 「#1580. 補充法研究の限界と可能性」 ([2013-08-24-1])
・ 副詞語尾の -ly とはいったい何? (cf. 「#40. 接尾辞 -ly は副詞語尾か?」 ([2009-06-07-1]))
・ なぜ -ing には現在分詞と動名詞の2つの用法があるの? (cf. 「#2421. 現在分詞と動名詞の協働的発達」 ([2015-12-13-1]))
英語学習者のみなさん,是非このような「素朴な疑問」を大切にしてください!
大修館の雑誌『英語教育』9月号に,拙稿「素朴な疑問に答えるための英語史のツボ」を寄稿しました.9月号の第1特集「授業に活かせる『英語の世界』」の1記事として掲載されていますが,特集全体の趣旨とラインナップは以下の通りです.
授業に活かせる「英語の世界」
知っているようで意外と知らない「英語の世界」.英語史・語源から,新たに登場した新出表現など,授業の中で活かせる豆知識をご紹介し,指導の引出を増やしていきます.
「英語」は誰が使っている? (小林めぐみ)
素朴な疑問に答えるための英語史のツボ (堀田隆一)
覚えておきたい英語の諺・名言 (岩田純一)
語彙力増強に役立つ「語源的学習法 (Etymological Learning)」 (長瀬浩平)
国際英語の視点から:非英語圏からの新英語表現 (藤原康弘)
「娯楽」と「教養」を授ける 映画の英語学習への活用 (鎌倉義士)
魅力ある教材 マザーグース:リズムとライムで英語に親しむ (鳥山淳子)
やさしい言葉と深い意味:授業に活かせるシェイクスピア (由井哲哉)
多言語の視点から「英語」を眺める (森住 衛)
[コラム]
英語圏の祝祭日について (塩澤 正)
小学校でのジェスチャーの活用と注意したいこと (相田眞喜子)
文字と書き方の話 (朝尾幸次郎)
拙稿では,(1) 「不規則」動詞と呼ばれているものが,かつては「規則」そのものだったという,あっと言わせる(?)ネタを提示し,(2) 「秋」を表わす fall (米) vs autumn (英)のような方言差の事例は,英語史的には実はよだれが垂れそうなほど面白い第一級の話題であることを紹介しました.両者とも「授業の中で活かせる豆知識」ではありますが,それ以上の意義があると信じています.文章の最後で次のように述べました.
今回紹介した英語史のツポは,授業にスパイスを加えてくれるネタとして役立つだけでなく,英語の新しい見方そのものだということが分かっていただけたかと思います.これをきっかけに,ぜひ英語史の世界に足を踏み入れてみてください!
ご関心のある方は,是非ご一覧を.
・ 堀田 隆一 「素朴な疑問に答えるための英語史のツボ」 『英語教育』(大修館) 第67巻第6号,2018年.12--13頁.
語源的綴字 (etymological_respelling) については,本ブログでも広く深く論じてきたが,その最たる代表例といってもよい b を含む doubt (うたがう)を取り上げよう.
doubt の語源をひもとくと,ラテン語 dubitāre に遡る.このラテン単語は,印欧祖語で「2」を表わす *dwo- の語根(英語の two と同根)を含んでいる.「2つの選択肢の間で選ばなければならない」状態が,「ためらう」「おそれる」「うたがう」などの語義を派生させた.
その後,このラテン単語は,古フランス語へ douter 「おそれる」「うたがう」として継承された.母音に挟まれたもともとの b が,古フランス語の段階までに音声上摩耗し,消失していることに注意されたい.したがって,古フランス語では発音においても綴字においても b は現われなくなっていた.
この古フランス語形が,1200年頃にほぼそのまま中英語へ借用され,英単語としての doute(n) が生まれた(フランス語の不定詞語尾の -er を,対応する英語の語尾の -en に替えて取り込んだ).正確にいえば,13世紀の第2四半世紀に書かれた Ancrene Wisse に直接ラテン語綴字を参照したとおぼしき doubt の例がみつかるのだが,これは稀な例外と考えてよい.
その後,15世紀になると,英語でも直接ラテン語綴字を参照して b を補う語源的綴字 (etymological_respelling) の使用例が現われる.16世紀に始まる英国ルネサンスは,ラテン語を中心とする古典語への傾倒が深まり,一般に語源的綴字も急増した時代だが,実際にはそれに先駆けて15世紀中,場合によっては14世紀以前からラテン語への傾斜は見られ,語源的綴字も散発的に現われてきていた.しかし,b を新たに挿入した doubt の綴字が本格的に展開してくるのは,確かに16世紀以降のことといってよい.
このようにして初期近代にdoubt の綴字が一般化し,後に標準化するに至ったが,発音については従来の b なしの発音が現在にまで継続している.b の発音(の有無)に関する同時代の示唆的なコメントは,「#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者」 ([2014-08-22-1]) で紹介した通りである.
もう1つ触れておくべきは,実はフランス語側でも,13世紀末という早い段階で,すでに語源的綴字を入れた doubter が例証されていることだ.中英語期に英仏(語)の関係が密だったことを考えれば,英語については,直接ラテン語綴字を参照したルートのほかに,ラテン語綴字を参照したフランス語綴字に倣ったというルートも想定できることになる.これについては,「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1]) や Hotta (51ff) を参照されたい.
・ Hotta, Ryuichi. "Etymological Respellings on the Eve of Spelling Standardisation." Studies in Medieval English Language and Literature 30 (2015): 41--58.
経験的な事実として,英語でも日本語でも現代は一般に省略(語)の形成および使用が多い.現代のこの潮流については,「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」 ([2011-01-12-1]),「#631. blending の拡大」 ([2011-01-18-1]),「#876. 現代英語におけるかばん語の生産性は本当に高いか?」 ([2011-09-20-1]),「#878. Algeo と Bauer の新語ソース調査の比較」 ([2011-09-22-1]),「#879. Algeo の新語ソース調査から示唆される通時的傾向」([2011-09-23-1]),「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]),「#2982. 現代日本語に溢れるアルファベット頭字語」 ([2017-06-26-1]) などの記事で触れてきた.現代英語の新語形成として,各種の省略 (abbreviation) を含む短縮 (shortening) は破竹の勢いを示している.
では,なぜ現代は省略(語)がこのように多用されるのだろうか.これについて大学の授業でブレストしてみたら,いろいろと興味深い意見が集まった.まとめると,以下の3点ほどに絞られる.
・ 時間短縮,エネルギー短縮の欲求の高まり.情報の高密度化 (densification) の傾向.
・ 省略表現を使っている人は,元の表現やその指示対象について精通しているという感覚,すなわち「使いこなしている感」がある.そのモノや名前を知らない人に対して優越感のようなものがあるのではないか.元の表現を短く崩すという操作は,その表現を熟知しているという前提の上に成り立つため,玄人感を漂わせることができる.
・ 省略(語)を用いる動機はいつの時代にもあったはずだが,かつては言語使用における「堕落」という負のレッテルを貼られがちで,使用が抑制される傾向があった.しかし,現代は社会的な縛りが緩んできており,そのような「堕落」がかつてよりも許容される風潮があるため,潜在的な省略欲求が顕在化してきたということではないか.
2点目の「使いこなしている感」の指摘が鋭いと思う.これは,「#1946. 機能的な観点からみる短化」 ([2014-08-25-1]) で触れた「感情的な効果」 ("emotive effects") の発展版と考えられるし,「#3075. 略語と暗号」 ([2017-09-27-1]) で言及した「秘匿の目的」にも通じる.すなわち,この見解は,あるモノや表現を知っているか否かによって話者(集団)を区別化するという,すぐれて社会言語学的な機能の存在を示唆している.これを社会学的に分析すれば,「時代の流れが速すぎるために,世代差による社会の分断も激しくなってきており,その程度を表わす指標として省略(語)の多用が認められる」ということではないだろうか.
接頭辞 in- は,原則として後続する基体がどのような音で始まるかによって,デフォルトの in- だけでなく, im (b, m, p の前), il- (l の前), ir- (r の前), i- (g の前)などの異形態をとる.意味としては,接頭辞 in- には「否定」と「中に」の2つが区別されるが,異形態の選択については両方とも同様に振る舞う.それぞれ例を挙げれば,inactive, inconclusive, inspirit; imbalance, immature, immoral, imperil, implode, impossible; illegal, illicit, illogical; irreducible, irregular, irruptive; ignoble, ignominy, ignorant などである.
in- の末尾の子音が接続する音によって調音点や調音様式を若干変異させる現象は,子音の同化 (assimilation) として説明されるが,子音の同化という過程が生じたのは,ほとんどの場合,借用元のラテン語(やフランス語)においてであり,英語に入ってくる際には,すでにそのような異形態をとっていたというのが事実である.むしろ,英語側の立場からは,それらの借用語を後から分析して,接頭辞 in- を切り出したとみるのが妥当である.ただし,いったんそのような分析がなされて定着すると,以降 in- はあたかも英語固有の接頭辞であるかのように振る舞い出し,異形態の取り方もオリジナルのラテン語などと同様に規則的なものととらえられるようになった.
ラテン語由来の「否定」と「中に」を意味する接頭辞 in- は上記のように振る舞うが,注意すべきは英語本来語にも「中に」を意味する同形態の in が存在することだ.前置詞・副詞としての英語の in が接頭辞として用いられる場合には,上記のラテン語の接頭辞 in- のように異形態をとることはない.つまり,in- は不変化である.標題の単語 input の in- は,反対語の output の out- と比べれば分かるとおり,あくまで本来語の接頭辞 in- である.したがって,*imput とはならない(ちなみにラテン語で out- に対応するのは ex- である).この観点から in-between, in-place, inmate なども同様に説明できる.
ただし,発音上は実際のところ子音の同化を起こしていることも多く,input と綴られていても,/ˈɪnpʊt/ に加えて /ˈɪmpʊt/ も行なわれている.
現在分詞 (present participle) と過去分詞 (past participle) は,英語の動詞が取り得る形態のうちの2種類に与えられた名前である.しかし,「分詞」 participle というネーミングは何なのだろうか.何が「分」かれているというのか,何の part だというのか.今回は,この文法用語の問題に迫ってみたい.
この語は直接にはフランス語からの借用語であり,英語では a1398 の Trevisa において,ラテン語 participii (主格単数形は participium)に対応するフランス語化した語形 participles として初出している.最初から文法用語として用いられている.
では,ラテン語の participium とはどのような語源・語形成なのか.この単語は pars "part" + capere "to take" という2つの語根から構成されており,「分け前を取る」が原義である.動詞 participate は同根であり,「参加する」の意味は,「分け前を取る」=「分け合う」=「その集団に加わっている」という発想からの発展だろう.partake や take part も,participate のなぞりである.さらにいえば,ラテン語 participium 自体も,同義のギリシア語 metokhḗ からのなぞりだったのである.
さて,問題の文法用語において「分け前を取る」「分け合う」「参加する」とは何のことを指すのかといえば,動詞と形容詞の機能を「分け合う」ということらしい.1つの単語でありながら,片足を動詞に,片足を形容詞に突っ込んでいることを participle 「分詞」と表現したわけだ.なお,現在では廃義だが,participle には「二つ以上の異なった性質を合わせもつ人[動物,もの]」という語義もあった.2つの品詞に同時に参加し,2つの性質を合わせもつ語,それが「分詞」だったのである.
なお,上記の説明は,古英語でラテン文法書を著わした Ælfric にすでに現われている.OED の participle, n. and adj. に載せられている引用を再掲しよう.なお,ラテン語の場合には名詞と形容詞は同類なので,Ælfric の解説では,合わせもつものは動詞と名詞となっていることに注意.
OE Ælfric Gram. (St. John's Oxf.) 9 [sic]PARTICIPIVM ys dæl nimend. He nymð anne dæl of naman and oðerne of worde. Of naman he nymð CASVS, þæt is, declinunge, and of worde he nymð tide and getacnunge. Of him bam he nymð getel and hiw. Amans lufiende cymð of ðam worde amo ic lufige.
他の文法用語の問題については,「#1258. なぜ「他動詞」が "transitive verb" なのか」 ([2012-10-06-1]),「#1520. なぜ受動態の「態」が voice なのか」 ([2013-06-25-1]) も参照.
標題の疑問が寄せられた.実際には,助動詞 can の否定形としては標題の cannot のほか,can't と can not の3種類がある.一般には1語であるかのように綴られる can't と cannot が圧倒的に多いが,分かち書きされた can not もあるにはある.ただし,後者が用いられるのは,形式的な文章か,あるいは強調・対照・修辞が意図されている場合のみである.
まず,主に Fowler's を参照し,can't と cannot について現代英語での事実を確認しておこう.can't の発音は,イギリス英語で /kɑːnt/, アメリカ英語で /kænt/ となるが,特に子音の前ではしばしば語末の t が落ちて,/kɑːn/, /kæn/ のようになる.肯定形の can とは異なり,否定形では弱形は存在しない.一方,cannot は英米音でそれぞれ /ˈkæn ɒt/, /ˈkæn ɑːt/ となるが,実際には can't として発音される場合もある.
can't と cannot の使い分けは特になく,いずれかを用いるかは個人の習慣によるところが大きいとされる.ただし,原則として cannot が使われるケースとして,「?せざるを得ない」を意味する cannot but do や cannot help doing の構文がある.逆に,口語で「努力してはみたが?することができないようだ」を意味する can't seem to do では,もっぱら can't が用いられる.
歴史的には cannot のほうが古く,後期中英語から使用例がある(OED では a1425 が初出).can't も後期中英語で使われていた可能性は残るが,まともに出現してくるのは17世紀からのようだ.can't は Shakespeare でも使われていない.
さて,標題の疑問に戻ろう.実際のところよく分からないのだが,1つ考えられそうなところを述べておく.can't は子音の前で t が落ちる傾向があると上述したが,とりわけ後続音が t, d, n のような歯茎音の場合には,その傾向が強いと推測される.すると,肯定形と否定形が同形となってしまい,アクセントによる弁別こそまだ利用可能かもしれないが,誤解を招きやすい.その点では,cannot の2音節発音は,少なくとも2音節目の母音の存在が否定形であることを保証しているために,有利である.また,完全形 can not とは形式的にも機能的にも区別されるべき省略形には違いないため,綴字上も省略形にふさわしく1語であるかのように書かれる,ということではないか.他の助動詞の否定形の音韻・形態とその歴史も比較してみる必要がありそうだ.
・ Burchfield, Robert, ed. Fowler's Modern English Usage. Rev. 3rd ed. Oxford: OUP, 1998.
3日間にわたり標題の話題を発展させてきた ([2018-05-08-1], [2018-05-09-1], [2018-05-10-1]) .今回は第4弾(最終回)として,この問題にもう一ひねりを加えたい.
wolves (および間接的に wives)の背景には,古英語の男性強変化名詞の屈折パターンにおいて,複数主格(・対格)形として -as が付加されるという事情があった.これにより古英語 wulf が wulfas となり,f は有声音に挟まれるために有声化するのだと説明してきた.wīf についても,本来は中性強変化という別のグループに属しており,自然には wives へと発達しえないが,後に wulf/wulfas タイプに影響され,類推作用 (analogy) により wives へと帰着したと説明すれば,それなりに納得がいく.
このように,-ves の複数形については説得力のある歴史的な説明が可能だが,今回は視点を変えて単数属格形に注目してみたい.機能的には現代英語の所有格の -'s に連なる屈折である.以下,単数属格形を強調しながら,古英語 wulf と wīf の屈折表をあらためて掲げよう.
|
|
2日間の記事 ([2018-05-08-1], [2018-05-09-1]) で,標記の素朴な疑問を題材に,英語史の奥深さに迫ってきた.今回は第3弾.
古英語の wulf (nom.acc.sg.)/wulfas (nom.acc.pl) を原型とする wolf (sg.)/wolves (pl.) という単複ペアのモデルが,類推作用 (analogy) によって,歴史的には wulf と異なる屈折クラスに属する,語尾に -f をもつ他の名詞にも拡がったことを見た.leaf/leaves や life/lives はそれにより説明される.
しかし,現代英語の現実を眺めると,語尾に -f をもつ名詞のすべてが複数形において -ves を示すわけではない.例えば,roof/roofs, belief/beliefs などが思い浮かぶが,これらは完全に「規則的」な複数形を作っている.とりわけ roof などは,古英語では hrōf という形態で,まさに wulf と同じ男性強変化グループに属していたのであり,正統には古英語で実際に用いられていた hrōfas が継承され,現在は *rooves となっていて然るべきなのである.ところが,そうなっていない(しかし,rooves については以下の表も参照).
ここで起こったことは,先に挙げたのとは別種の類推作用である.wife などの場合には,類推のモデルとなったのは wolf/wolves のタイプだったのだが,今回の roof を巻き込んだ類推のモデルは,もっと一般的な,例えば stone/stones, king/kings といったタイプであり,語尾に -s をつければ済むというという至極単純なタイプだったのである.同様にフランス借用語の grief, proof なども,もともとのフランス語での複数形の形成法が単純な -s 付加だったこともあり,後者のモデルを後押し,かつ後押しされたことにより,現在その複数形は griefs, proofs となっていると理解できる.
語尾に -f をもつ名詞群が,類推モデルとして wolf/wolves タイプを採用したか,あるいは stone/stones タイプを採用したかを決める絶対的な基準はない.個々の名詞によって,振る舞いはまちまちである.歴史的に両タイプの間で揺れを示してきた名詞も少なくないし,現在でも -fs と -ves の両複数形がありうるという例もある.類推作用とは,それくらいに個々別々に作用するものであり,その意味でとらえどころのないものである.
一昨日の記事 ([2018-05-08-1]) では,wolf の複数形が wolves となる理由を聞いてスッキリしたかもしれないが,ここにきて,さほど単純な問題ではなさそうだという感覚が生じてきたのではないだろうか.現代英語の現象を英語史的に考えていくと,往々にして問題がこのように深まっていく.
以下,主として Jespersen (Modern, §§16.21--16.25 (pp. 258--621)) に基づき,語尾に -f を示すいくつかの語の,近現代における複数形を挙げ,必要に応じてコメントしよう(さらに多くの例,そしてより詳しくは,Jespersen (Linguistic, 374--75) を参照).明日は,懲りずに第4弾.
単数形 | 複数形 | コメント |
---|---|---|
beef | beefs/beeves | |
belief | beliefs | 古くは believe (sg.)/believes (pl.) .この名詞は,OE ġelēafa と関連するが,語尾の母音が脱落して,f が無声化した.16世紀頃には believe (v.) と belief (n.) が形態上区別されるようになり,名詞 -f が確立したが,これは grieve (v.)/grief (n.), prove (v.)/proof (n.) などの類推もあったかもしれない. |
bluff | bluffs | |
brief | briefs | |
calf | calves | |
chief | chiefs | |
cliff | cliffs | 古くは cleves (pl.) も. |
cuff | cuffs | |
delf | delves | 方言として delfs (pl.) も.また,標準英語で delve (sg.) も. |
elf | elves | まれに elfs (pl.) や elve (sg.) も. |
fief | fiefs | |
fife | fifes | |
gulf | gulfs | |
half | halves | 「半期(学期)」の意味では halfs (pl.) も. |
hoof | hoofs | 古くは hooves (pl.) . |
knife | knives | |
leaf | leaves | ただし,ash-leafs (pl.) "ash-leaf potatoes". |
life | lives | 古くは lyffes (pl.) など. |
loaf | loaves | |
loof | looves/loofs | loove (sg.) も. |
mastiff | mastiffs | 古くは mastives (pl.) も. |
mischief | mischiefs | 古くは mischieves (pl.) も. |
oaf | oaves/oafs | |
rebuff | rebuffs | |
reef | reefs | |
roof | roofs | イングランドやアメリカで rooves (pl.) も. |
safe | safes | |
scarf | scarfs | 18世紀始めからは scarves (pl.) も. |
self | selves | 哲学用語「自己」の意味では selfs (pl.) も. |
sheaf | sheaves | |
shelf | shelves | |
sheriff | sheriffs | 古くは sherives (pl.) も. |
staff | staves/staffs | 「棒きれ」の意味では staves (pl.) .「人々」の意味では staffs (pl.) .stave (sg.) も. |
strife | strifes | |
thief | thieves | |
turf | turfs | 古くは turves (pl.) も. |
waif | waifs | 古くは waives (pl.) も. |
wharf | warfs | 古くは wharves (pl.) も |
wife | wives | 古くは wyffes (pl.) など.housewife "hussy" でも housewifes (pl.) だが,Austen ではこの意味で huswifes も. |
wolf | wolves |
昨日の記事 ([2018-05-08-1]) で,wolf (sg.) に対して wolves (pl.) となる理由を古英語の音韻規則に照らして説明した.これにより,関連する他の -f (sg.)/ -ves (pl.) の例,すなわち calf/calves, elf/elves, half/halves, leaf/leaves, life/lives, loaf/loaves, knife/knives, self/selves, sheaf/sheaves, shelf/shelves, thief/thieves, wife/wives などもきれいに説明できると思うかもしれない.しかし,英語史はそれほどストレートで美しいものではない.言語という複雑なシステムがたどる歴史は,一癖も二癖もあるのが常である.
例えば,wife (sg.)/wives (pl.) の事例を取り上げよう.この名詞は,古英語では wīf という単数主格(見出し語)形を取っていた(当時の語義は「妻」というよりも「女性」だった).f は,左側に有声母音こそあれ右側には何もないので,「有声音に挟まれている」わけではなく,デフォルトの /f/ で発音される.そして,次に来る説明として予想されるのは,「ところが,複数主格(・対格)形では wīf に -as の屈折語尾が付くはずであり,f は有声音に挟まれることになるから,/v/ と有声音化するのだろう」ということだ.
しかし,そうは簡単にいかない.というのは,wulf の場合はたまたま男性強変化というグループに属しており,昨日の記事で掲げた屈折表に従うことになっているのだが,wīf は中性強変化というグループに属する名詞であり,古英語では異なる屈折パターンを示していたからだ.以下に,その屈折表を掲げよう.
(中性強変化名詞) | 単数 | 複数 |
---|---|---|
主格 | wīf | wīf |
対格 | wīf | wīf |
属格 | wīfes | wīfa |
与格 | wīfe | wīfum |
標題は,「#1365. 古英語における自鳴音にはさまれた無声摩擦音の有声化」 ([2013-01-21-1]) で取り上げ,「#1080. なぜ five の序数詞は fifth なのか?」 ([2012-04-11-1]) や「#2948. 連載第5回「alive の歴史言語学」」 ([2017-05-23-1]) でも具体的な例を挙げて説明した問題の,もう1つの応用例である.wolf の複数形が wolves となるなど,単数形 /-f/ が複数形 /-vz/ へと一見不規則に変化する例が,いくつかの名詞に見られる.例えば,calf/calves, elf/elves, half/halves, leaf/leaves, life/lives, loaf/loaves, knife/knives, self/selves, sheaf/sheaves, shelf/shelves, thief/thieves, wife/wives などである.これはどういった理由だろうか.
古英語では,無声摩擦音 /f, θ, s/ は,両側を有声音に挟まれると自らも有声化して [v, ð, z] となる音韻規則が確立していた.この規則は,適用される音環境の条件が変化することもあれば,方言によってもまちまちだが,中英語以降でもしばしばお目にかかるルールである.必ずしも一貫性を保って適用されてきたわけではないものの,ある意味で英語史を通じて現役活動を続けてきた根強い規則といえる.摩擦音の有声化 (fricative_voicing) などという名前も与えられている.
今回の標題に照らし,以下では /f/ の場合に説明を絞ろう.wolf (狼)は古英語では wulf という形態だった.この名詞は男性強変化というグループに属する名詞で,格と数に応じて以下のように屈折した.
(男性強変化名詞) | 単数 | 複数 |
---|---|---|
主格 | wulf | wulfas |
対格 | wulf | wulfas |
属格 | wulfes | wulfa |
与格 | wulfe | wulfum |
be 動詞が特殊な動詞であることは,改めて言うまでもないように思われる.他の動詞にないような複雑な屈折を示す,共時的には実にへんてこな動詞だ.実際に,「#3279. 年度初めの「素朴な疑問」を3点」 ([2018-04-19-1]) の3点目にも挙げたように,be 動詞は多くの英語学習者に激しい「なぜ?」を引き起こす.
be 動詞に執拗にこだわった Crystal の著書 The Story of Be の序章 (p. xi--xii) では,be 動詞の特殊性が列挙されている.
(1) be 動詞は,英語の他のあらゆる動詞よりも多様な変化形をもつ.walk ならば walk, walks, walked, walked と4種類の異なる形を示し,go ならば go, goes, going, gone, went の5種類の異なる形を示すが,be では be, am, is, are, was, were, being, been の8種類が区別される.さらに歴史的にいえば,be 語形の多様性は目のくらむほどである.
(2) すべての他の動詞では,現在形において有標の形態をもつのは3人称単数の -s のみだが,be 動詞では上記のように1,2,3人称のそれぞれにおいて異なる形態を示す.
(3) be では,強勢のある発音 (be, been) と強勢のない発音 (bi, bin, bn) が区別される.
(4) (接語的)代名詞と接続して,twas (< it was), wast (< was it) のように融合する.また,you're, I'm, aren't, weren't などの縮約形を示す.同様の縮約を示すのは,ほかに have と do のみである (ex. hasn't, don't) .
(5) be 動詞は3つの非常に異なる文法機能をもつ.1つ目に「存在する」を意味する一般動詞として,2つ目に進行形や受動態を作る助動詞として,3つ目に連結詞 (copula) としてである.他の動詞でここまで多彩な機能を有するものはない.
Crystal の締めくくりは,次の如く.
It is thus hardly surprising to find that, over the past 1,500 years, be has developed a wide range of meanings and uses, and a wider range of variant forms than any other English verb. It is the second most frequent word in English, after the. If any verb deserves its own story, it is this one.
・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.
本年度も大学で英語史概説の講義が始まった.いつも初回には英語の「素朴な疑問」を学生より収集しているが,しばしば多くの学生から重複した疑問が寄せられる.およそ本ブログのどこかで回答したり解説を加えたりしているので,今回とりわけ目に付いた3つの「素朴な疑問」について,簡単なコメントを付し,関連するブログ記事へのリンクを張っておきたい.
[ 素朴な疑問1 ] 英語のアルファベットはなぜ A, B, C . . . Z という並び順になっているのか?
一言でいえば,英語がラテン語からアルファベットを借りたときに,およそその並び順だったから.そして,そのラテン語はギリシア語からアルファベットを借りたときに,およそその並び順だったから.さらに,そのギリシア語は・・・と続けていくと,最終的には紀元前1700年頃に北セム諸語を表記した原初のアルファベットがおよそその並び順だったから,ということになる.では,その原初のアルファベットにおける並び順の論理はといえば,なかなか一意に定めがたい.以下の記事を参照.
・ 「#2105. 英語アルファベットの配列」 ([2015-01-31-1])
・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
・ 「#1832. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (1)」 ([2014-05-03-1])
・ 「#1833. ギリシア・アルファベットの文字の名称 (2)」 ([2014-05-04-1])
[ 素朴な疑問2 ] なぜ eleven, twelve は,*oneteen, *twoteen などではないのか?
これも難しい問題だが,英語の属するゲルマン語派において12進法の伝統があったことが関与する.12進法の体系と,後にキリスト教とともにもたらされたと考えられる10進法の体系が衝突し,混合型の数詞体系ができあがったとのだろう.これに関していずれも間接的な視点からではあるが,以下の記事を参照.
・ 「#2286. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc.」 ([2015-07-31-1])
・ 「#2304. 古英語の hundseofontig (seventy), hundeahtatig (eighty), etc. (2)」 ([2015-08-18-1])
・ 「#2473. フランス語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-03-1])
・ 「#2477. 英語にみられる20進法の残滓」 ([2016-02-07-1])
・ 「#2491. フランス語にみられる20進法の起源説」 ([2016-02-21-1])
・ 「#2474. 数字における「底の原理」」 ([2016-02-04-1])
[ 素朴な疑問3 ] なぜ be 動詞は is, am, are ほか様々な形があり使い分けなければならないのか?
古英語では be 動詞に限らず,一般の動詞が主語の文法的・意味的な特性に応じて異なる形に活用しなければならなかったが,後の歴史においてそのような活用が大幅に失われ,現在に至る.しかし,超高頻度語である be 動詞に限っては,古い活用がかなりよく保たれている.したがって,この素朴な疑問を英語史的な観点からパラフレーズすると,「なぜ be 動詞以外では様々な形が消失してしまったのか?」となる.以下を参照.
・ 「#2600. 古英語の be 動詞の屈折」 ([2016-06-09-1])
・ 「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1])
・ あわせて,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の「4.2節 なぜ If I were a bird となるのか?」も参照
「#2869. 古ノルド語からの借用は古英語期であっても,その文証は中英語期」 ([2017-03-05-1]) でも取り上げた話題だが,改めてこの問題について考えてみたい.
現代英語の語彙には古ノルド語からの借用語が多数含まれている.その歴史的背景としては,9世紀後半以降に古ノルド語を母語とするヴァイキングがイングランド北部・東部に定住し,そこで英語話者と混じり合ったという経緯がある.しかし,そこで借用されたはずの多くの古ノルド語からの単語が文献上に初めて現われるのは,ヴァイキングの定住が進んだ古英語後期においてではなく,少なからぬ時間を空けた初期中英語期以降,とりわけ13世紀以降のことなのである.歴史的状況から予想される借用年代と実際に文証される年代との間にギャップがあるというこの問題は,英語史でもしばしば取り上げられるが,その理由は一般的に次のように考えられている(Blake, p. 92 より).
It is a feature of the history of the English language that there are a considerable number of Old Norse loans in the language, but the appearance of these loans in writing occurs mainly from the thirteenth century onwards and not from the pre-Conquest period which is when the Viking invasions and settlements occurred. The usual explanation for this is as follows. Most Old English literature which has survived is written in the West Saxon dialect, and the dialect represents those areas of England which were least affected by the Scandinavian invasions and settlements. Hence Scandinavian influence in these areas cannot have been very significant. Even in those areas where the Danes had settled, they continued to live in their own communities and would only gradually have become absorbed among the Anglo-Saxon population. This implies that the new settlers were for a long time regarded as foreigners and no attempt was made to assimilate them. Consequently the introduction of Old Norse words into English was delayed in the Anglian dialects, and their southward drift would be even later than that. It is hardly surprising in this view that words of Scandinavian origin are not found in English in any numbers until the thirteenth century.
つまり,ヴァイキングは確かにイングランド北部・東部にしたが,必ずしもすぐには先住のアングロサクソン人と混じり合ったわけではなく,語彙借用を含めた言語的な融合は案外遅かったというわけだ.また,後期古英語の文献として残っているものの多くはイングランド南西部 West Saxon の方言で書かれているため,ヴァイキングの言語的影響は古英語期中には文証されにくいのだという.
しかし,Blake (93--94) はこの一般的な見解が本当に正しいかどうかは非常に怪しいとみている.
The continuity of West Saxon as Standard Old English would have discouraged the adoption of new words from other varieties and even from other languages. The tenth-century reforms were a continuation of the policies introduced by Alfred, and it is not surprising that the attitude towards standardisation and conservatism should have become more rigid as the standard grew in importance.
Blake の考え方はこうだ.話し言葉のレベルでは,歴史的経緯から自然に予想されるとおり,古ノルド語からの借用語の多くがすでに後期古英語期に入っていた.しかし,標準的で保守的な West Saxon 方言の書き言葉においては,口語的で略式的な響きをもつ当時の新語ともいうべき古ノルド語借用語を使用することはふさわしくないと考えられ,排除されたのではないか.つまり,人々の口からは発せられていたが,文章には反映されなかったということではないか.
書き言葉の保守性はよく知られた事実だが,さらに標準的な書き言葉ともなればますます保守的になるということは,確かに考えられる.
・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
イタリアの辛口赤ワイン CHIANTI (キャンティ)を飲みつつ,イタリア語の <chi> = /ki/ に思いを馳せた.<ch> という2重字 (digraph) に関して,ヨーロッパの諸言語を見渡しても,典型的に対応する音価はまちまちである.前舌母音字 <i> を付して <chi> について考えてみよう.主要な言語で代表させれば,英語では chill, chin のように /ʧi/,フランス語では Chine, chique のように /ʃi/,イタリア語では chianti, chimera のように /ki/,ドイツ語では China, Chinin のように /çi/ である.同じ <ch> という2重字を使っていながら,対応する音価がバラバラなのはいったいなぜだろうか.
この謎を解くには,文字記号の恣意性 (arbitrariness) と,各言語の音韻体系とその歴史の独立性について理解する必要がある.まず,文字記号の恣意性から.アルファベットを例にとると,<a> という文字が /a/ という音と結びつくはずと考えるのは,長い伝統と習慣によるものにすぎず,実際には両者の間に必然的な関係はない.この対応関係がアルファベットを使用する多くの言語で見られるのは,当該のアルファベット体系を借用するにあたって,借用元言語に見られたその結び付きの関係を引き継いだからにすぎない.特別な事情がないかぎりいちいち関係を改変するのも面倒ということもあろうが,確かに文字と音との関係は代々引き継がれることは多い.しかし,何らかの特別な事情があれば――たとえば,対応する音が自分の言語には存在しないのでその文字が使われずに余ってしまう場合――,<a> を廃用にすることもできるし,まったく異なる他の音にあてがうことだってできる.たとえば,言語共同体が <a> = /t/ と決定し,同意しさえすれば,その言語においてはそれでよいのである.文字記号は元来恣意的なものであるから,自分たちが合意しさえすれば,他人に干渉される筋合いはないのである.<ch> は単字ではなく2重字であるという特殊事情はあるが,この2文字の結合を1つの文字記号とみなせば,この文字記号を各言語は事情に応じて好きなように利用してよい.その言語に存在するどんな子音に割り当ててもよいし,極端なことをいえば母音に割り当てても,無音に割り当ててもよい.つまり,<ch(i)> の読みは,まずもって絶対的,必然的に決まっているわけではないと理解することが肝心である.
次に,各言語の音韻体系とその歴史の独立性について.言うまでもないことだが,同系統の言語であろうがなかろうが,それぞれ独自の音韻体系をもっている.英語には /f, l, θ, ð, v/ などの音素があるが,日本語にはないといったように,言語ごとに特有の音素セットがあるのは当然である.各言語の音韻体系の発展の歴史も,原則として独立的である.音韻の借用などがあった場合でも,その影響は限定的だ.したがって,異なる言語には異なる音素セットがあり,音素セット間で互いに対応させようとしても数も種類も違っているのだから,きれいに揃うということは望めないはずである.表音文字たるアルファベットは原則として音素を写すものだから,音素セット間でうまく対応しないものを文字セット間において対応させようとしたところで,やはり必ずしもきれいには揃わないはずである.
上で挙げた西ヨーロッパの主要な言語は,歴史の経緯からともにローマン・アルファベットを受容したし,範となるラテン語において <ch> という2重字が活用されていることも知っていた.また,原則としての恣意性や独立性は前提としつつも,互いの言語を横目で見てきたのも事実である.そこで,2重字 <ch> を活用しようというアイディア自体は,いずれの言語も自然に抱いていたのだろう.ただし,<ch> をどの音にあてがうかについては,各言語に委ねられていた.そこで,各言語では <c> で典型的に表わされる音と共時的・通時的に関係の深い別の音に対応する文字として <ch> をあてがうことにした,というわけだ.つまり,英語では /ʧi/,フランス語では /ʃi/,イタリア語では /ki/,ドイツ語では /çi/ である.たいていの場合,各言語の歴史において,もともとの /k/ が歯擦音化した音を表わすのに <ch> が用いられている.
まとめれば,いずれの言語も,歴史的に <ch> という2重字を使い続けることについては共通していた.しかし,各言語で歴史的に異なる音変化が生じてきたために,<ch> で表わされる音は,互いに異なっているのである.
英語における <ch> = /ʧ/ に関する話題については,以下の記事も参照.
・ 「#1893. ヘボン式ローマ字の <sh>, <ch>, <j> はどのくらい英語風か」 ([2014-07-03-1])
・ 「#2367. 古英語の <c> から中英語の <k> へ」 ([2015-10-20-1])
・ 「#2393. <Crist> → <Christ>」 ([2015-11-15-1])
・ 「#2423. digraph の問題 (1)」 ([2015-12-15-1])
昨日12月20日付けで,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第12回の記事「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」が公開されました.
前編の最後では,標題の疑問を「なぜ英語は屈折重視型から語順重視型の言語へと切り替わり,その際になぜ基本語順はSVOとされたのか?」という疑問へとパラフレーズしました.後半ではいよいよこの問いに本格的に迫りますが,楽しく読めるように5W1Hのミステリー仕立てで話しを展開しました.
言語変化にかかわらずあらゆる歴史現象の究極の問いは Why です.その究極の答えに近づくためには,先にそれ以外の4W1Hをしっかり押さえ,証拠を積み上げておく必要があります.その上で,総合的に Why への解答を提案するという順序が自然です.今回は,この英文法史上最も劇的な変化を1つの事件と見立て,その5W1Hにミステリー仕立てで迫りたいと思います.
連載記事で展開した説明は仮説です.有力な仮説ではありますが,歴史上の事柄ですから絶対的な説明を提示することはほぼ不可能と言わざるを得ません.それは今回の疑問に限りません.しかし,言語変化を論じる際に,事実をよく調べ,その事実に反しない形で因果関係のストーリーを組み立てることは可能です.今回の説明も,その試みの1つとして理解していただければと思います.以下,連載記事からの引用です.
言語変化は決して偶然生じるわけではないことがわかったかと思います.言語変化の背後には言語内的・外的な諸要因が複合的に作用しており,確かにその一つひとつを突き止めることは難しいのですが,What, When, Where, Who, How の答えを着実に追い求めていけば,最後には究極の問い Why にも接近することができるのです.
今回で連載記事としては最終回となります.これからも本ブログやその他の媒体で,英語の素朴な疑問にこだわっていきたいと思いますので.今後ともよろしくお願い申し上げます.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow