古い英語における接続法 (subjunctive) の祈願用法 (optative) について印欧比較言語学の脈絡で考えようとする際に気をつけなければならないのは,印欧祖語とゲルマン語派の間にちょっとした用語の乗り入れ(と混乱)があることだ.
印欧祖語では,命令の機能を担当した "imperative", おそらく未来時制の機能を担当した "subjunctive", 祈願の機能を担当した "optative" の間で形態が区別されていた.その後,ゲルマン語派へ枝分かれしていくなかで,印欧祖語の "optative" の形態が,娘言語における接続法 (subjunctive) として受け継がれた.つまり,形態に関する限り,印欧祖語の "subjunctive" と英語を含むゲルマン諸語の "subjunctive" とは,同名を与えられているにもかかわらず無関係であるということだ.ゲルマン祖語(とそれ以下の諸言語)で "subjunctive" と呼ばれるカテゴリーは,形態的にいえば印欧祖語の "optative" を受け継いだものなのである(ややこしい!).したがって,古い英語の接続法の形式が祈願の機能を有するのは,印欧祖語からの伝統として不思議でも何でもないということになる.
ただし別の語派では事情は異なる.例えばバルト・スラヴ語派においては,印欧祖語の "optative" は「命令法」や「許可法」として継承されているようで,ますます混乱する.
では,印欧祖語のもともとの "subjunctive" はどうなってしまったかというと,ゲルマン語には継承されていないようだ.インド・イラン語派,ギリシア語,そして部分的にケルト語派では,「未来」として継承されているという.形式と機能を分けて各用語を理解しておかないと混乱は必至である.
さらに厄介なのは,何せ印欧語比較言語学のこと,Hittite などの証拠に基づき,そもそも印欧祖語には "optative" も "subjunctive" も存在しなかったのではないかという説も唱えられている (Szemerényi 337) .いやはや.
・ Fortson IV, Benjamin W. "An Approach to Semantic Change." Chapter 21 of The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Blackwell, 2003. 648--66.
・ Szemerényi, Oswald J. L. Introduction to Indo-European Linguistics. Trans. from Einführung in die vergleichende Sprachwissenschaft. 4th ed. 1990. Oxford: OUP, 1996.
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