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silent_letter - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-23 11:02

2019-11-18 Mon

#3857. 『英語教育』の連載第9回「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」 [rensai][notice][silent_letter][consonant][spelling][spelling_pronunciation_gap][sound_change][phonetics][etymological_respelling][latin][standardisation][sobokunagimon][link]

 11月14日に,『英語教育』(大修館書店)の12月号が発売されました.英語史連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」の第9回となる今回の話題は「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」です.

『英語教育』2019年12月号



 黙字 (silent_letter) というのは,climb, night, doubt, listen, psychology, autumn などのように,スペリング上は書かれているのに,対応する発音がないものをいいます.英単語のスペリングをくまなく探すと,実に a から z までのすべての文字について黙字として用いられている例が挙げられるともいわれ,英語学習者にとっては実に身近な問題なのです.
 今回の記事では,黙字というものが最初から存在したわけではなく,あくまで歴史のなかで生じてきた現象であること,しかも個々の黙字の事例は異なる時代に異なる要因で生じてきたものであることを易しく紹介しました.
 連載記事を読んで黙字の歴史的背景の概観をつかんでおくと,本ブログで書いてきた次のような話題を,英語史のなかに正確に位置づけながら理解することができるはずです.

 ・ 「#2518. 子音字の黙字」 ([2016-03-19-1])
 ・ 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1])
 ・ 「#34. thumb の綴りと発音」 ([2009-06-01-1])
 ・ 「#724. thumb の綴りと発音 (2)」 ([2011-04-21-1])
 ・ 「#1902. 綴字の標準化における時間上,空間上の皮肉」 ([2014-07-12-1])
 ・ 「#1195. <gh> = /f/ の対応」 ([2012-08-04-1])
 ・ 「#2590. <gh> を含む単語についての統計」 ([2016-05-30-1])
 ・ 「#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか?」 ([2018-06-12-1])
 ・ 「#116. 語源かぶれの綴り字 --- etymological respelling」 ([2009-08-21-1])
 ・ 「#1187. etymological respelling の具体例」 ([2012-07-27-1])
 ・ 「#579. aisle --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-27-1])
 ・ 「#580. island --- なぜこの綴字と発音か」 ([2010-11-28-1])
 ・ 「#1156. admiral の <d>」 ([2012-06-26-1])
 ・ 「#3492. address の <dd> について (1)」 ([2018-11-18-1])
 ・ 「#3493. address の <dd> について (2)」 ([2018-11-19-1])

 ・ 堀田 隆一 「なぜ英語のスペリングには黙字が多いのか」『英語教育』2019年12月号,大修館書店,2019年11月14日.62--63頁.

Referrer (Inside): [2019-12-10-1]

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2018-06-12 Tue

#3333. なぜ doubt の綴字には発音しない b があるのか? [indo-european][etymological_respelling][latin][french][renaissance][spelling_pronunciation_gap][silent_letter][sobokunagimon]

 語源的綴字 (etymological_respelling) については,本ブログでも広く深く論じてきたが,その最たる代表例といってもよい b を含む doubt (うたがう)を取り上げよう.
 doubt の語源をひもとくと,ラテン語 dubitāre に遡る.このラテン単語は,印欧祖語で「2」を表わす *dwo- の語根(英語の two と同根)を含んでいる.「2つの選択肢の間で選ばなければならない」状態が,「ためらう」「おそれる」「うたがう」などの語義を派生させた.
 その後,このラテン単語は,古フランス語へ douter 「おそれる」「うたがう」として継承された.母音に挟まれたもともとの b が,古フランス語の段階までに音声上摩耗し,消失していることに注意されたい.したがって,古フランス語では発音においても綴字においても b は現われなくなっていた.
 この古フランス語形が,1200年頃にほぼそのまま中英語へ借用され,英単語としての doute(n) が生まれた(フランス語の不定詞語尾の -er を,対応する英語の語尾の -en に替えて取り込んだ).正確にいえば,13世紀の第2四半世紀に書かれた Ancrene Wisse に直接ラテン語綴字を参照したとおぼしき doubt の例がみつかるのだが,これは稀な例外と考えてよい.
 その後,15世紀になると,英語でも直接ラテン語綴字を参照して b を補う語源的綴字 (etymological_respelling) の使用例が現われる.16世紀に始まる英国ルネサンスは,ラテン語を中心とする古典語への傾倒が深まり,一般に語源的綴字も急増した時代だが,実際にはそれに先駆けて15世紀中,場合によっては14世紀以前からラテン語への傾斜は見られ,語源的綴字も散発的に現われてきていた.しかし,b を新たに挿入した doubt の綴字が本格的に展開してくるのは,確かに16世紀以降のことといってよい.
 このようにして初期近代にdoubt の綴字が一般化し,後に標準化するに至ったが,発音については従来の b なしの発音が現在にまで継続している.b の発音(の有無)に関する同時代の示唆的なコメントは,「#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者」 ([2014-08-22-1]) で紹介した通りである.
 もう1つ触れておくべきは,実はフランス語側でも,13世紀末という早い段階で,すでに語源的綴字を入れた doubter が例証されていることだ.中英語期に英仏(語)の関係が密だったことを考えれば,英語については,直接ラテン語綴字を参照したルートのほかに,ラテン語綴字を参照したフランス語綴字に倣ったというルートも想定できることになる.これについては,「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1]) や Hotta (51ff) を参照されたい.

 ・ Hotta, Ryuichi. "Etymological Respellings on the Eve of Spelling Standardisation." Studies in Medieval English Language and Literature 30 (2015): 41--58.

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2018-06-04 Mon

#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも? [etymological_respelling][japanese][silent_letter]

 英語史における語源的綴字について,本ブログでは etymological_respelling の各記事で取り上げてきた(ほかに,「圧倒的腹落ち感!英語の発音と綴りが一致しない理由を専門家に聞きに行ったら,犯人は中世から近代にかけての「見栄」と「惰性」だった.」もどうぞ).
 先日ふと思いついたのだが,日本語の「ヴァイオリン」「ヴィジュアル」「ヴードゥー」「ヴェテラン」「ヴォーカル」などに用いられようになってきた「ヴ」の表記は,1種の「語源的綴字」といえないだろうか.一昔前までは「バイオリン」「ビジュアル」「ブードゥー」「ボーカル」と表記するのが普通だったが,近年は「ヴ」も増えてきた.しかし,「ヴ」で表記されているのを音読する場合に,必ずしも [v] では発音しておらず [b] の場合も多いのではないか.この場合,表記上は外来語(英語)気取りで「ヴ」を用いているが,発音は従来通り [b] を続けていることになる.英単語の doubt, receipt, indict などにおいて,ラテン語の語源形を参照して,表記上は <b>, <p>, <c> を挿入したものの,その挿入は発音には反映されず,従来の発音がその後も続いたという状況に似ている.
 英語の例の場合には,doubt のように,ある文字が挿入された結果,黙字 (silent_letter) が生じるに至ったケースが多く,日本語においてバ行表記がヴァ行表記に書き換えられ,発音はバ行で据え置かれたケースとは事情は異なっているようにみえるかもしれない.しかし英語にも,黙字の発生する doubt のような典型的な例ばかりではなく,amatistamethyst, autoriteauthority, tronethrone のように <t> が <th> に書き換えられ,発音がそれに応じて変わったケースはもとより,timethyme のように発音が [t] に据え置かれたケースもある (cf. AntonieAnthony) .この thyme のケースなどは,「ヴァイオリン」と表記して「バイオリン」と発音するケースに事情が酷似している.
 「ヴァイオリン」の問題と関連して,[v] と [b] が関与する例は,なんと英語にもある.現代英語の describe は,中英語ではフランス語形 descrivre にならって descriven と <v> で綴られるのが普通だったが,中英語後期以降に,ラテン語の語源形 dēscrībere を参照した <b> を含む形が一般化してきた.これなども,<b> で綴られるようになってからも,しばらくは従来の /v/ で発音されていたのではないだろうか.

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2018-03-01 Thu

#3230. indict の語源的綴字 [etymological_respelling][spelling][pronunciation][silent_letter][spelling_pronunciation_gap][doublet]

 語源的綴字 (etymological_respelling) の代表例の1つとして名高いこの単語の発音は /ɪnˈdaɪt/ である.綴字としては <c> があるのに発音しない,いわゆる黙字 (silent_letter) を含む例である.最近,この話題が Merriam-Webster サイトの単語コーナーで Why Do We Skip The "C" in "Indict"? として取りあげられた.以下に,引用しておこう.

Why do we pronounce indict /in-DYTE/? Other legal terms in English that share the Latin root dicere ("to say") are pronounced as they are spelled: edict, interdict, verdict.

Indict means "to formally decide that someone should be put on trial for a crime." It comes from the Latin word that means "to proclaim."

We pronounce this word /in-DYTE/ because its original spelling in English was endite, a spelling that was used for 300 years before scholars decided to make it look more like its Latin root word, indictare. Our pronunciation still reflects the original English spelling.

The other words ending in -dict were either borrowed directly from Latin or the English pronunciation shifted when they were respelled to reflect a closer relationship to Latin.


 ラテン語形を模して <c> が挿入されたものの発音が追随しなかった indict に対し,綴字と発音が結果的に一致した -dict 語の例として edict, interdict, verdict が挙げられている.しかし,実際には -dict に限らず,より広く ct を示す語について語源的綴字としての <c> の挿入が確認され,その綴字にしたがって発音は /kt/ に対応する結果となっている.例として,conduct (ME conduit), distracted (ME distrait), perfect (ME parfit), subject (ME suget), victual (ME citaile) などを挙げておこう.<t> → <ct> は,語源的綴字の典型的なパターンの1つだったといえる(cf. 「#1944. 語源的綴字の類型」 ([2014-08-23-1])).
 ただ1つ注意しておきたいのは,《古風》ではあるが「(詩・文)を作る;書く」という意味で indite/endite という姉妹語も存在することである.indictindite は,したがって2重語 (doublet) ということになる.

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2018-01-11 Thu

#3181. Spelling/Pronunciation Search [spelling][pronunciation][orthography][web_service][cgi][dictionary][spelling_pronunciation_gap][silent_letter]

 「#1191. Pronunciation Search」 ([2012-07-31-1]) で,The Carnegie Mellon Pronouncing Dictionary に基づくアメリカ英語発音検索ツールを作成した.そのデータベース (3MB+) の実体は,110935対の綴字と発音の組み合わせである.前回のツールは,Carnegie Mellon Pronouncing Dictionary の発音表記を正規表現で指定して,それを含む単語の綴字を返すものだったが,今回は綴字と発音のそれぞれに正規表現で条件を指定し,いずれにもマッチする単語を返すという仕様のツールを作ってみた.
 正規表現は Perl 用のもので,大文字・小文字の別は最初から無視する仕様.発音表記の凡例は,本記事の末尾に掲げておいた.どちらか一方の検索欄を空にすれば,純粋な綴字検索あるいは発音検索になる.

Spelling in Regex:
Pronunciation in Regex:
 


 工夫次第で,綴字と発音の関係についていろいろと調べたり遊んだりできる.例えば,Spelling に "l" を指定し,Pronunciation に "^[^l]+$" を指定すると(検索の際にはそれぞれ引用符は外して),綴字には <l> があるのに,発音には /l/ が現われない語を拾い出せる.これを他の子音字などにも応用していけば,黙字 (silent_letter) を含む単語を集められるだろう.また,Spelling に "gh$" を,Pronunciation に "f$" を指定すると,語末の <gh> を /f/ と発音する単語リストが得られる,等々.
 以下,Carnegie Mellon Pronouncing Dictionary の発音表記の凡例を示す.音素間は半角スペースで区切られており,強勢は母音表記に続く 0 (no stress), 1 (primary stress), 2 (secondary stress) で示される.例えば,international の発音表記は,"IH2 N T ER0 N AE1 SH AH0 N AH0 L" となる.

PhonemeExampleTranslation
AAoddAA D
AEatAE T
AHhutHH AH T
AOoughtAO T
AWcowK AW
AYhideHH AY D
BbeB IY
CHcheeseCH IY Z
DdeeD IY
DHtheeDH IY
EHEdEH D
ERhurtHH ER T
EYateEY T
FfeeF IY
GgreenG R IY N
HHheHH IY
IHitIH T
IYeatIY T
JHgeeJH IY
KkeyK IY
LleeL IY
MmeM IY
NkneeN IY
NGpingP IY NG
OWoatOW T
OYtoyT OY
PpeeP IY
RreadR IY D
SseaS IY
SHsheSH IY
TteaT IY
THthetaTH EY T AH
UHhoodHH UH D
UWtwoT UW
VveeV IY
WweW IY
YyieldY IY L D
ZzeeZ IY
ZHseizureS IY ZH ER

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2017-07-30 Sun

#3016. colonel の綴字と発音 [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][dissimilation][silent_letter][folk_etymology][l][r]

 (陸軍)大佐を意味する colonel は,この綴字で /ˈkəːnəl/ と発音される.別の単語 kernel (核心)と同じ発音である.l が黙字 (silent_letter) であるばかりか,その前後の母音字も,発音との対応があるのかないのかわからないほどに不規則である.これはなぜだろうか.
 この単語の英語での初出は1548年のことであり,そのときの綴字は coronell だった.l ではなく r が現われていたのである.これは対応するフランス語からの借用語で,そちらで coronnel, coronel, couronnel などと綴られていたものが,およそそのまま英語に入ってきたことになる.このフランス単語自体はイタリア語からの借用で,イタリア語では colonnello, colonello のように綴られていた.つまり,イタリア語からフランス語へ渡ったときに,最初の流音が元来の l から r へすり替えられたのである.これはロマンス諸語ではよくある異化 (dissimilation) の作用の結果である (cf. Sp. coronel) .語中に l 音が2度現われることを嫌っての音変化だ(英語に関する類例は「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1]),「#1597. starstella」 ([2013-09-10-1]),「#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか?」 ([2013-09-27-1]) を参照).
 さらに語源を遡ればラテン語 columnam (円柱)に行き着き,「兵士たちの柱(リーダー)」ほどの意味で用いられるようになった.フランス語で変化した coronnel の綴字についていえば,民間語源 (folk_etymology) により corona, couronne "crown" と関係づけられて保たれた.しかし,フランス語でも16世紀後半には l が綴字に戻され,colonnel として現在に至る.
 英語では,当初の綴字に基づき l ではなく r をもつ発音がその後も用いられ続けたが,綴字に関しては早くも16世紀後半に元来の綴字を参照して l が戻されることになった.フランス語における l の復活も同時に参照したものと思われる.18世紀前半までは古い coronel も存続していたが,徐々に消えていき現在の colonel が唯一の綴字となった.発音は古いものに据えおかれ,綴字だけが変化したがゆえに,現在にまで続く綴字と発音のギャップが生じてしまったというわけだ.
 しかし,実際の経緯は,上の段落で述べたほど単純ではなかったようだ.綴字に l が戻されたのに呼応して発音でも l が戻されたと確認される例はあり,/ˌkɔləˈnɛl/ などの発音が19世紀初めまで用いられていたという.発音される音節数についても通時的に変化がみられ,本来は3音節語だったが17世紀半ばより2音節語として発音される例が現われ,19世紀の入り口までにはそれが一般化しつつあった.
 <colonel> = /ˈkəːnəl/ は,綴字と発音の関係が複雑な歴史を経て,結果的に不規則に固まってきた数々の事例の1つである.

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2016-03-19 Sat

#2518. 子音字の黙字 [silent_letter][phoneme][grapheme][spelling_pronunciation_gap][spelling][consonant][phonology][orthography][digraph][statistics][haplology][spelling_pronunciation]

 磯部 (118) の調べによると,現代英語の正書法において子音字が黙字 (silent_letter) を含む語形は,派生語や屈折形を含めて420語あるという.子音字別に内訳を示すと以下の通り.<b> (24 words), <c> (11), <ch> (4), <d> (17), <f> (2), <g> (41), <gh> (41), <h> (57), <k> (11), <l> (67), <m> (1), <n> (14), <s> (22), <p> (31), <ph> (2), <r> (1), <t> (37), <th> (2), <w> (33), <x> (2) .磯部論文では,これらの具体例がひたすら挙げられており,壮観である.以下,読んでいておもしろかった点,意外だった例などを独断と偏見で抜き出し,紹介したい.

 (1) 語末の <mb> で <b> が黙字となる例は「#34. thumb の綴りと発音」 ([2009-06-01-1]), 「#724. thumb の綴りと発音 (2)」 ([2011-04-21-1]), 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1]),「#1917. numb」 ([2014-07-27-1]) などで挙げてきたが,もう少し例を追加できる.古英語や中英語で <b> (= /b/) はなかったが,後に <b> が挿入されたものとして limb, crumb, numb, thumb がある.一方,かつては実現されていた <b> = /b/ が後に無音化した例として,climb, bomb, lamb, comb, dumb, plumb, succumb がある.<mb> の組み合わせでも,rhomb (菱形), zimb (アブの一種), iamb (弱強格)などの専門用語では <b> が発音されることもある.
 (2) 「#2362. haplology」 ([2015-10-15-1]) の他の例として,mineralogy < mineralology, pacifism < pacificism, stipend < stipi-pendium, tragicomedy < tragic comedy がある.
 (3) perhaps はくだけた発音では /præps/ となり,<h> は黙字となる.
 (4) iron において,アメリカ英語では <r> は発音されるが,イギリス英語では <r> が無音の /ˈaɪən/ となる.
 (5) kiln
 
は綴字発音 (spelling_pronunciation) の /kɪln/ が普通だが,中英語期に <n> が無音となった歴史的な発音 /kɪl/ もある.同様に Milne も /mɪln/ が普通だが,Jones の発音辞典 (1967) では /mɪl/ のみが認められていたというから,綴字発音はつい最近のことのようだ.
 (6) Christmas は注意深い発音では /ˈkrɪstməs/ となり <t> は黙字とならない.このような子音に挟まれた環境では,歴史的に <t> は無音となるのが通常だった (see 「#379. oftenspelling pronunciation」 ([2010-05-11-1])) .
 (7) 航海用語としての southeast, northeast では <th> は無音となる./saʊ ˈiːst/, /nɔːr ˈiːst/ .

 この論文を熟読すると,君も黙字のプロになれる!

 ・ 磯部 薫 「Silent Consonant Letter の分析―特に英語史の観点から見た場合を中心として―」『福岡大学人文論叢』第5巻第1号, 1973年.117--45頁.

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2015-08-21 Fri

#2307. 綴字の余剰性 (2) [spelling][redundancy][statistics][information_theory][alphabet][final_e][silent_letter]

 「#2249. 綴字の余剰性」 ([2015-06-24-1]) で取り上げた話題.別の観点から英語綴字の余剰性を考えてみよう.
 Roman alphabet のような単音文字体系にあっては,1文字と1音素が対応するのが原理的に望ましい.しかし,言語的,歴史的,その他の事情で,この理想はまず実現されないといってよい.現実は理想の1対1から逸脱しているのだが,では,具体的にはどの程度逸脱しているのだろうか.
 ここで,「#1159. MRC Psycholinguistic Database Search」 ([2012-06-29-1]) を利用して,文字と音素の対応の度合いをおよそ計測してみることができる.もし理想通りの単音文字体系であれば,単語の綴字を構成する文字数と,その発音を構成する音素数は一致するだろう.英語語彙を構成する各単語について,文字数と音素数の比を求め,その全体の平均値などの統計値を出せば,具体的な指標が得られるはずだ.綴字が余剰的 (redundancy) であるということはこれまでの議論からも予想されるところではあるが,具体的に,文字数対音素数の比は,2:1 程度なのか 3:1 程度なのか,どうなのだろうか.
 まずは,MRC Psycholinguistic Database Search を以下のように検索して,単語ごとの,文字数,音素数,両者の比(=余剰性の指標)の一覧を得る(SQL文の where 以下は,雑音を排除するための条件指定).

select WORD, NLET, NPHON, NLET/NPHON as REDUNDANCY, PHON from mrc2 where NPHON != "00" and WORD != "" and PHON != "";



 この一覧をもとに,各種の統計値を計算すればよい.文字数と音素数の比の平均値は,1.192025 だった.比を0.2刻みにとった度数分布図を示そう.

Letter-Phoneme Ratio in Words

 文字数別に比の平均値をとってみると,興味深いことに3文字以下の単語では余剰性は 1.166174 にとどまり,全体の平均値より小さくなる.一方,4文字から7文字までの単語では平均より高い 1.231737 という値を示す.8文字以上になると再び余剰性は小さくなり,1.157689 となる.文字数で数えて中間程度の長さの単語で余剰性が高く,短い単語と長い単語ではむしろ相対的に余剰性が低いようだ.この理由については詳しく分析していないが,「#1160. MRC Psychological Database より各種統計を視覚化」 ([2012-06-30-1]) でみたように,英単語で最も多い構成が8文字,6音素であるということや,final_e をはじめとする黙字 (silent_letter) の分布と何らかの関係があるかもしれない.
 さて,全体の平均値 1.192025 で示される余剰性の程度がどれくらいのものなのか,ほかに比較対象がないので評価にしにくいが,主観的にいえば理想の値 1.0 から案外と隔たっていないなという印象である.英単語における文字と音素の関係は,「#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート」 ([2015-08-06-1]) の比喩でいえば,そこそこよく張られた短めのロープで結ばれた関係ともいえるのではないか.
 ただし,今回の数値について注意すべきは,英単語における文字と音素の対応を一つひとつ照らし合わせてはじき出したものではなく,本来はもっと複雑に対応するはずの両者の関係を,それぞれの長さという数値に落とし込んで比を取ったものにすぎないということだ.最終的に求めたい綴字の余剰性そのものではなく,それをある観点から示唆する指標といったほうがよいだろう.それでも,目安となるには違いない.

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2015-06-02 Tue

#2227. なぜ <u> で終わる単語がないのか [spelling][final_e][orthography][silent_letter][grapheme][sobokunagimon]

 現代英語には,原則として <u> の文字で終わる単語がない.実際には借用語など周辺的な単語ではありうるが,通常用いられる語彙にはみられない.これはなぜだろうか.
 重要な背景の1つとして,英語史において長らく <u> と <v> が同一の文字として扱われてきた事実がある.この2つの文字は中英語以降用いられてきたし,単語内での位置によって使い分けがあったことは事実である.しかし,「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]) でみてきたように,分化した異なる文字としてとらえられるようになったのは近代英語期であり,辞書などでは19世紀に入ってまでも同じ文字素として扱われていたほどだった.<u> と <v> は,長い間ともに母音も子音も表わし得たのである.
 この状況においては,例えば中英語で <lou> という綴字をみたときに,現代の low に相当するのか,あるいは love のことなのか曖昧となる.このような問題に対して,中英語での解決法は2種類あったと思われる.1つは,「#1827. magic <e> とは無関係の <-ve>」 ([2014-04-28-1]) で触れたように,<u> 単独ではなく <ue> と綴ることによって /v/ を明示的に表わすという方法である.<e> を発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1])) 的に用いるという処方箋だ.これにより,love は <loue> と綴られることになり,low と区別しやすくなる.この -<ue> の綴字習慣は,後に最初の文字が <v> に置き換えられ,-<ve> として現在に至る.
 上の方法が明示的に子音 /v/ を表わそうとする努力だとすれば,もう1つの方法は明示的に母音 /u/ を表わそうとする努力である.それは,特に語末において母音字としての <u> を避け,曖昧性を排除する <w> を採用することだったのではないか.かくして <ou> に限らず <au>, <eu> などの二重母音字は語末において <ow>, <aw>, <ew> と綴られるようになった.<u> と <v> が分化していたならば,上の問題は生じず,素直に <lov> "love" と <lou> "low" という対になっていたかもしれないが,分化してなかったために,それぞれについて独自の解決法が模索され,結果として <loue> と <low> という綴字対が生じることになったのだろう.このようにして,語末に <u> の生じる機会が減ることになった.
 今ひとつ考えられるのは,語末における <i> の一般的な不使用との平行性だ.通常,語末には <i> は生じず,代わりに <y> や <ie> が用いられる.これは,語末に <u> が生じず,代わりに <w> や <ue> が用いられるのと比較される.<i> と <u> の文字に共通するのは,中世の書体ではいずれも縦棒 (minim) で構成されることだ.先行する文字にも縦棒が含まれる場合には,縦棒が連続して現われることになり判別しにくい.そこで,<y> や <w> とすれば判別しやすくなるし,語末では装飾的ともなり,都合がよい(cf. 「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」 ([2009-07-27-1]),「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1]),「#1094. <o> の綴字で /u/ の母音を表わす例」 ([2012-04-25-1])).また,別の母音に続けて用いると,<ay>, <ey>, <oy>, <aw>, <ew>, <ow> などのように2重母音字であることを一貫して標示することもでき,メリットがある.
 以上のような状況が相まって,結果として <u> が語末に現われにくくなったものと推測される.ただし,重要な例外が1つあるので,大名 (45) から取り上げておきたい.

外来語などは別として,英語本来の語は基本的に u で終わることはありません.語末では代わりに w を使うか (au, ou, eu → aw, ow,ew), blue, sue のように,e を付けて,u で終わらないようにします.you は英語を勉強し始めてすぐに学ぶ単語ですが,実は u で終わる珍しい綴りの単語ということになります.


 ・ 大名 力 『英語の文字・綴り・発音のしくみ』 研究社,2014年.

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2014-10-20 Mon

#2002. Richard Hodges の綴字改革ならぬ綴字教育 [spelling_reform][spelling][orthography][alphabet][emode][final_e][silent_letter][mulcaster][diacritical_mark]

 「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) や「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]) でみたように,16世紀には様々な綴字改革案が出て,綴字の固定化を巡る議論は活況を呈した.しかし,Mulcaster を代表とする伝統主義路線が最終的に受け入れられるようになると,16世紀末から17世紀にかけて,綴字改革の熱気は冷めていった.人々は,決してほころびの少なくない伝統的な綴字体系を半ば諦めの境地で受け入れることを選び,むしろそれをいかに効率よく教育していくかという実際的な問題へと関心を移していったのである.そのような教育者のなかに,Edmund Coote (fl. 1597; see Edmund Coote's English School-maister (1596)) や Richard Hodges (fl. 1643--49) という顔ぶれがあった.
 Hodges については「#1856. 動詞の直説法現在形語尾 -eth は17世紀前半には -s と発音されていた」 ([2014-05-27-1]) でも触れたように,綴字史への関与のほかにも,当時の発音に関する貴重な資料を提供してくれているという功績がある.例えば Hodges のリストには,cox, cocks, cocketh; clause, claweth, claws; Mr Knox, he knocketh, many knocks などとあり,-eth が -s と同様に発音されていたことが示唆される (Horobin 129) .また,様々な発音区別符(号) (diacritical mark) を綴字に付加したことにより,Hodges は事実上の発音表記を示してくれたのである.例えば,gäte, grëat のように母音にウムラウト記号を付すことにより長母音を表わす方式や,garde, knôwn のように黙字であることを示す下線を導入した (The English Primrose (1644)) .このように,Hodges は当時のすぐれた音声学者といってもよく,Shakespeare 死語の時代の発音を伝える第1級の資料を提供してくれた.
 しかし,Hodges の狙いは,当然ながら後世に当時の発音を知らしめることではなかった.それは,あくまで綴字教育にあった.体系としては必ずしも合理的とはいえない伝統的な綴字を子供たちに効果的に教育するために,その橋渡しとして,上述のような発音区別符の付加を提案したのである.興味深いのは,その提案の中身は,1世代前の表音主義の綴字改革者 William Bullokar (fl. 1586) の提案したものとほぼ同じ趣旨だったことである.Bullokar も旧アルファベットに数々の記号を付加することにより,表音を目指したのだった.しかし,Hodges の提案のほうがより簡易で一貫しており,何よりも目的が綴字改革ではなく綴字教育にあった点で,似て非なる試みだった.時代はすでに綴字改革から綴字教育へと移り変わっており,さらに次に来たるべき綴字規則化論者 ("Spelling Regularizers") の出現を予期させる段階へと進んでいたのである.
 この時代の移り変わりについて,渡部 (96) は「Bullokar と同じ工夫が,違った目的のためになされているところに,つまり17世紀中葉の綴字問題が一種の「ルビ振り」に似た努力になっている所に,時代思潮の変化を認めざるをえない」と述べている.Hodges の発音区別符をルビ振りになぞらえたのは卓見である.ルビは文字の一部ではなく,教育的配慮を含む補助記号である.したがって,形としてはほぼ同じものであったとしても,文字の一部を構成する不可欠の要素として Bullokar が提案した記号は,決してルビとは呼べない.ルビ振りの比喩により,Bullokar の堅さと Hodges の柔らかさが感覚的に理解できるような気がしてくる.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.

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2014-08-22 Fri

#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者 [shakespeare][etymological_respelling][mulcaster][spelling_pronunciation][silent_letter][orthography][popular_passage]

 16世紀は,ラテン語に基づく語源的綴字 (etymological_respelling) が流行した時代である.その衒学的な風潮を皮肉って,Shakespeare は Love's Labour's Lost (1594--95) のなかで Holofernes なる学者を登場させている.Holofernes は,語源的綴字の礼賛者であり,綴字をラテン語風に改めるばかりか,その通りに発音すべしとすら吹聴する綴字発音 (spelling_pronunciation) の礼賛者でもある.Holofernes は助手 Nathanial との会話において,Don Armado の無学を非難しながら次のように述べる.

He draweth out the thred of his verbositie, finer then the staple of his argument. I abhore such phanaticall phantasims, such insociable and poynt deuise companions, such rackers of ortagriphie, as to speake dout sine b, when he should say doubt; det, when he shold pronounce debt; d e b t, not d e t: he clepeth a Calfe, Caufe: halfe, haufe: neighbour vocatur nebour; neigh abreuiated ne: this is abhominable, which he would call abbominable, it insinuateth me of infamie: ne intelligis domine, to make frantick lunatick? (Love's Labour's Lost, V.i.17--23 qtd. in Horobin, p. 113--14)


 Shakespeare は当時の衒学者を皮肉るために Holofernes を登場させたが,実際に Holofernes の綴字発音擁護論は歴史的な皮肉ともなった.というのは,ここで触れられている doubt, debt, calf, half, neighbour, neigh, abhominable (PDE abbominable) のいずれにおいても,現代英語では問題の子音は発音されないからだ.しかし,これらの子音字は綴字としてはその後定着したのであり,Holofernes の望みの半分はかなえられた結果になる.
 さて,Holofernes は綴字に合わせて発音を変える「綴字発音」を唱えたが,むしろ発音に合わせて綴字を変える「発音綴字」の方向もなかったわけではない.例えば,フランス語から借用した中英語の <delite> は,すでに綴字の定着していた <light>, <night> と同じ母音をもつために,類推により <delight> と綴りなおされた.これは,発音を重視し,語源を無視した綴字へ変えるという Holofernes の精神とは正反対の事例である.
 冒頭で16世紀は語源的綴字の流行した時代と述べたが,実際には16世紀の綴字論者には,語源重視の Holofernes のような者もあれば,発音重視の者もあった.「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]) でみたように,当時の綴字論には様々な系譜がより合わさっていた.Shakespeare もこの問題に対する自らの立場を作品のなかで示唆しようとしたのではないか.
 なお,Holofernes は当時の教育界の重鎮 Richard Mulcaster (1530?--1611) に擬せられるとする解釈があるが,Mulcaster 自身は語源的綴字の礼賛者ではなかったことを付け加えておく.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2014-08-20 Wed

#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字? [etymological_respelling][code-switching][bilingualism][latin][silent_letter][etymology][borrowing][grapheme]

 中英語期には英仏羅の間で言語の切り替え code-switching が起こるテキストがあることを,「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1]),「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1]) の記事でみた.ジャンルとしては宗教的な韻文や散文,また書簡などの事例があるが,これらが著者によるランダムな切り替えなのか,あるいは切り替えに際して何らかの "social and discourse-pragmatic reasons" があったのかが問題となる(cf. 「#1627. code-switchingcode-mixing」 ([2013-10-10-1])).
 通常,上記の macaronic code-switching で問題とされるのは,語句,節,文といった比較的大きな言語単位で一方の言語から他方の言語へ切り替わる場合だが,より小さな単位,例えば形態素や音素(文字素)という単位での macaronic code-switching はありうるのだろうか.もしあるとすれば,そこにも何らかの "social and discourse-pragmatic reasons" が関わっていると考えられるのだろうか.
 Miller (211) は,<doubt> (cf. ME <doute>) に見られるような語源的綴字 (etymological_respelling) はもしかすると macaronic code-switching により生じたものかもしれないと推測している.

Some changes may be due to the macaronic codeswitching between Medieval Latin and Late Middle English in certain poetic texts and especially London accounting records . . . .


 しかし,この推測が妥当かどうかを決めることは難しい.<doubt> や <receipt> のように <b> や <p> を挿入する行為は,実に細微な点をついたラテン語かぶれの行為である.より大きな言語単位での英羅間の切り替えが頻繁に起こっていない限り,この細微さが物語るのは,著者が流ちょうな2言語使用者ではなくラテン語を外国語として(不十分に)学んだ英語話者だということだろう.ラテン語の語源形を参照した文字の挿入を macaronic code-switching と呼ぶべきかどうかは,畢竟,その定義にかかってくる.しかし,code-switching とは何かを考え始めれば,bilingualism とは何かという頭の痛い問題にも至らざるを得ない.また,「#1661. 借用と code-switching の狭間」 ([2013-11-13-1]) の問題も関わってこよう.<b> や <p> が初めて挿入されたとき,それははたして macaronic code-switching の現われなのか,あるいはラテン語形の借用なのか.そして,いずれにせよ,そこに社会的・語用論的な意図はあったのか.
 この挿入がある程度慣習化してくると,語源主義,綴字論,衒学的風潮に裏打ちされて「社会的・語用論的な意義」が付加されることにはなったろう.しかし,初めて挿入されたときに,そのような意義や意図があったかどうかは,推測の域を出ない.
 以上を考察した上で,次のような感想をもった.(1) code-switching が文字という小さな単位で起こり得るかどうか疑わしい.(2) 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1]) でみたフランス語における類例が示唆するように,中途半端なラテン語の知識に基づく混用とみなすことで十分ではないか.(3) 結果として後に,<b> や <p> の挿入に社会的・語用論的な意義が付された点こそが重要なのであって,その過程が code-switching か借用かなどの問題は各々の定義の問題であり,それほど重要ではない.ただし,挿入の過程に macaronic text の存在を考えてみる視点はなかったので,新鮮な推測ではある.

 ・ Miller, D. Gary. External Influences on English: From its Beginnings to the Renaissance. Oxford: OUP, 2012.

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2014-07-27 Sun

#1917. numb [etymology][participle][silent_letter][verb][old_norse][loan_word][spelling_pronunciation_gap]

 古ノルド語によって置き換えられた幾多の古英語の単語のうち,とりわけ重要なものの1つに動詞 niman (to take) がある.古英語から中英語にかけて最も卑近な動詞の1つだったが,古英語後期に古ノルド語から入った同義語 taka (後の take)に置き換えられることになった.現代英語では「#308. 現代英語の最頻英単語リスト」 ([2010-03-01-1]) の各種の語彙頻度表で見る限り,take は上位60位以内に入る超高頻度語である.このように日常的な意味を担当する語において本来語から借用語への移行が生じるほどの言語接触とはいかなる状況だったかについては様々な考察がなされてきたが,有力な見解によれば,古英語と古ノルド語が社会言語学的な上下関係にはなく,横並びの adstrata (傍層)をなしていたからだろうとされている.実際,中英語でも nimentāken は互いに長い競合・併存関係を経験しており,決して短期間で前者が後者に置換されたわけではない.niman は16世紀に一時衰退したが,1600年以降再び復活するなどの振る舞いを示し,17世紀を通じて一般的に用いられた.しかし,結果としては niman 系統は現在までに,方言を除いて事実上廃用となり,takeniman のほぼすべての用法を置換して,現在に至っている.両語の競合関係については,Rynell に詳しく記述されている.
 古英語 niman は,ゲルマン祖語の *neman に遡り,同根語としてはオランダ語 nemen, ドイツ語 nehmen, ゴート語 niman のほか,古ノルド語そのものにも nema がある.さらに遡れば,印欧祖語 *nem- (to distribute) にたどりつき,ここからギリシア語 némein (to distribute) を経た nemesis (ネメシス;ギリシア神話の応報天罰の女神)が英語に入っている.
 古英語 niman は強変化4類の動詞で,niman -- nam -- nōmon -- numen のように活用した.方言によって,またパラダイム内の類推により,各スロットに異なる母音が現われたが,いずれも初期近代英語期までには弱変化化した.
 このように,niman は現代標準英語では痕跡をほぼ残していないといってよいが,1つだけ重要な生きた化石がある.過去分詞 numen に由来する形容詞 numb (かじかんだ;無感覚になった;しびれた) /nʌm/ である."taken, seized, overcome" ほどの意味から「感覚を失った」の語義を獲得したものと考えられる.初出は,a1400の Cursor Mundi (Frf 14) の13821行に nomin の異形として現われる ("xxviij 3ere in bande I lay nomme baþ fote & hande.") .非語源的な語末の <b> の挿入は16世紀からで,crumb, limb, thumb などと比較される.無音の <b> の挿入については,「#34. thumb の綴りと発音」 ([2009-06-01-1]), 「#724. thumb の綴りと発音 (2)」 ([2011-04-21-1]), 「#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧」 ([2012-11-07-1]) を参照されたい.

 ・ Rynell, Alarik. The Rivalry of Scandinavian and Native Synonyms in Middle English Especially taken and nimen. Lund: Håkan Ohlssons, 1948.

Referrer (Inside): [2016-06-07-1] [2016-03-19-1]

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2014-04-28 Mon

#1827. magic <e> とは無関係の <-ve> [final_e][orthography][pronunciation][phonetics][silent_letter][spelling][grapheme][spelling_reform][webster][v]

 昨日の記事「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1]) で言及したが,現代英語の正書法についてよく知られた規則の1つに「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) がある.take, mete, side, rose, cube など多くの <-VCe> をもつ英単語において,母音 V が長母音あるいは二重母音で読まれることを間接的に示す <e> の役割を呼んだものである.個々の例外はあるとしても,およそ規則と称して差し支えないだろう.
 しかし,<-ve> で終わる単語に関して,dove, glove, shove, 形容詞接尾辞 -ive をもつ語群など,例外の多さが気になる.しかも,above, give, have, live (v.), love など高頻度語に多い.これらの語では, <ve> に先行する母音は短母音として読まれる.gave, eve, drive, grove など規則的なものも多いことは認めつつも,この目立つ不規則性はどのように説明されるだろうか.
 実は,<-ve> 語において magic <e> の規則があてはまらないケースが多いのは,この <e> がそもそも magic <e> ではないからである.この <e> は,magic <e> とは無関係の別の歴史的経緯により発展してきたものだ.背景には,英語史において /v/ の音素化が遅かった事実,及び <v> の文字素としての独立が遅かった事実がある(この音素と文字素の発展の詳細については,「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]),「#1222. フランス語が英語の音素に与えた小さな影響」 ([2012-08-31-1]),「#1230. overoffer は最小対ではない?」 ([2012-09-08-1]) を参照されたい).結論を先取りしていえば,<v> は単独で語尾にくることができず,<e> のサポートを受けた <-ve> としてしか語尾にくることができない.したがって,この <e> はサポートの <e> にすぎず,先行する母音の量を標示する機能を担っているわけではない.以下に,2点の歴史的説明を与える(田中,pp. 166--70 も参照).

 (1) 古英語では,[v] はいまだ独立した音素ではなく,音素 /f/ の異音にすぎなかった.典型的には ofer (over) など前後を母音に挟まれた環境で [v] が現れたが,直後に来る母音は弱化する傾向が強かったこともあり,中英語にかけては <e> で綴られることが多くなった.このようにして,[v] の音と <ve> の綴字が密接に関連づけられるようになった.<e> そのものは無音であり,あくまで寄生字母である.

 (2) 先述のように,中英語期と初期近代英語期を通じて,<u> と <v> の文字としての分化は明瞭ではなかった.だが,母音字としての <u>,子音字としての <v> という役割分担が明確にできていなかった時代でも,不便はあったようである.例えば,完全に未分化の状況であれば,lovelow はともに <lou> という綴字に合一してしまうだろう.そこで,とりあえずの便法として,子音 [v] を示すのに,無音の <e> を添えて <-ue> とした.3つの母音が続くことは少ないため,<loue> と綴られれば,中間の <u> は子音を表わすはずだという理屈になる.ここでも <e> そのものは無音であり,直前の <u> が子音字であることを示す役割を担っているにすぎない.やがて,子音字としての <v> が一般化すると,この位置の <u> そのまま <v> へと転字された.<v> が子音字として確立したのであれば <e> のサポートとしての役割は不要となるが,この <e> は惰性により現在まで残っている.

 かくして,語尾の [v] は <-ve> として綴られる習慣が確立した.<-v> 単体で終わる語は,Asimov, eruv, guv, lav, Slav など,俗語・略語,スラヴ語などからの借用語に限定され,一般的な英語正書法においては浮いている.
 Noah Webster や,Cut Speling の主唱者 Christopher Upward などは,give を <giv> として綴ることを提案したが,これは共時的には合理的だろう.一方で,上記のように歴史的な背景に目を向けることも重要である.

 ・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.

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2012-12-31 Mon

#1344. final -e の歴史 [final_e][mulcaster][spelling][graphemics][alphabet][orthography][pronunciation][phonetics][silent_letter][ilame]

 英語史における最重要の問題の1つとして,final -e が挙げられる.本ブログでも,「#979. 現代英語の綴字 <e> の役割」 ([2012-01-01-1]) や「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) などで扱ってきた話題だ.個人的な関心ゆえにひいき目に「最重要」と呼んでいる節もないではないが,「総合から分析へ」 (synthesis_to_analysis) という英語史の潮流,ひいては印欧語史の潮流を体現する問題として final -e のもつ意義は大きい.final -e は,発音の問題でもあり綴字の問題でもある.final -e は,古英語・中英語の問題でもあり,近代英語・現代英語の問題でもある.今回は,本年の最後の日の話題としてもふさわしいと思われる final -e の歴史を概観してみよう.概観といっても本来は一言では済ませられないところだが,Caon の論文に従って,無理矢理,要約する.
 後期古英語までは,語尾に現われる様々な母音は互いに音価も綴字も区別されていた.ところが,後期古英語になると,強勢の落ちない語尾の環境では -a, -o, -u は -e へと融合してゆく.母音(字)の水平化 (levelling) と呼ばれる現象である.歴史的には明確に区別されていたこれらの母音は,まず schwa /ə/ へと曖昧化し,次に消失した (e.g., sune > sunə > sun) .しかし,この -e は,綴字上はずっと遅くまで保たれた.
 final -e の脱落は次のような条件に左右された (Caon 297) .

- from North to South in all dialects in turn;
- first from written disyllabic forms with short stem vowel and then from those with a long stem vowel. In the latter forms, -e was generally retained to indicate that the previous vowel was long e.g. name;
- first from nouns and verbs and then from adjectives . . . .


 一方,final -e の残存は次のような条件に左右された (Caon 297) .

- the kind of text: the ending occurred more frequently in poetry than in prose, in that it provided the poet with an extra syllable whenever he needed it;
- the presence of the ending in the dialect: if the writer spoke a southern dialect he probably still pronounced --- and therefore wrote --- all his final -e's;
- the author of the text: conservative writers like Chaucer and Gower preserved final -e in their spelling.


 15世紀までには,発音としての final -e はほぼ消えていたと考えられる.16, 17世紀には,言語学者や綴字改革者が,正書法上,final -e の定式化を図った.この点で最も影響力があったとされるのが Richard Mulcaster (1530?--1611; see [2010-07-12-1]) である.Mulcaster は,著書 The First Part of the Elementarie (1582) において,-ld, -nd, -st, -ss, -ff の後位置,有声の cg の後位置,長い語幹母音をもつ語において final -e の使用を定式化した(ただし,16世紀の印刷家 John Rastell (c. 1475--1536) が Mulcaster よりも先に先行母音の長さを標示する final -e の機能を発達させていたともいわれる).これは18世紀に再分析され,最後に挙げた機能のみが標準化した.

 ・ Caon, Louisella. "Final -e and Spelling Habits in the Fifteenth-Century Versions of the Wife of Bath's Prologue." English Studies (2002): 296--310.

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2012-11-07 Wed

#1290. 黙字と黙字をもたらした音韻消失等の一覧 [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][orthography][silent_letter][etymological_respelling]

 昨日の記事「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) に引き続き,綴字と発音の話題.現代英語の綴字と発音の乖離のなかでも,特に黙字 (silent_letter) と呼ばれる種類のものがある.綴字が無音に対応するケースだ.debt の <b> や island の <s> は,語源(後者は誤った語源)を参照して挿入された黙字の例 (etymological_respelling) だが,多くの黙字は,標準的な綴字が定まりかけていた時期,あるいは定まった後に,対応する音韻が消失したことにより生じたものである.Schmitt and Marsden (137) に,主として音韻消失により生じた黙字が便利に一覧されているので,以下にまとめたい.

Silent letterExamplesReason
k before nknight, kneek ceased to be pronounced during C17 (17th century); see [2009-08-27-1], [2012-04-26-1].
g before ngnat, gnawg ceased to be pronounced during C16
m before nmnemonicGreek spelling; m never pronounced in English
p before npneumoniaGreek spelling; p never pronounced in English
p before spsyche, psychologyGreek spelling; p pronounced by learned people probably until C18
w before rwrist, wrongw probably no longer pronounced after C16m (mid-16th century)
w after sswordw probably no longer pronounced after C17m
l after a and before f or vcalf, halfl probably not pronounced after ME
l after a and before ktalk, chalkl probably not pronounced after ME
l after a and before mcalm, palml probably not pronounced after ME
l in modal verbsshould, couldl ceased to be pronounced soon after ME in should; never pronounced in could (added to spelling by analogy with should)
g after a vowel and before m or nsign, paradigmg reflects French/Latin original spellings but was probably never pronounced in English
word-final b after mbomb, thumbb in some words never pronounced (crumb), in others it ceased to be pronounced quite early (thumb), in still others in EModE (dumb); see [2009-06-01-1], [2011-04-21-1].
word-final n after mautumn, columnn reflects original French spelling but never pronounced in English
t after s or f and before -enlisten, softent ceased to be pronounced in EModE; see [2010-05-11-1].
word-initial hhonest, hourThe loanwords are French, where h not pronounced; English usually follows this, but sometimes not (e.g., host)


 ・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.

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2012-11-06 Tue

#1289. magic <e> [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][phonetics][orthography][meosl][gvs][silent_letter][final_e][diacritical_mark]

 英語史の授業などで大母音推移 (Great Vowel Shift) の話題を扱うと,次のような質問が寄せられることがある.namelake などの <a> が大母音推移により /eɪ/ となったことは分かったが,語末の <e> を発音しないのはなぜか.
 これは,いわゆる "magic <e>" と呼ばれる正書法の問題に直結する."magic <e>" については「#979. 現代英語の綴字 <e> の役割」 ([2012-01-01-1]) の (4) で取り上げたが,最も典型的には <母音字+子音字+e> の綴字連続において最初の母音字が「長い母音」で発音され,<e> そのものは無音となるという規則である.例えば,take, mete, side, rose, cube においてそれぞれの第1母音字は,/æ/, /ɛ/, /ɪ/, /ɔ/, /ʌ/ のような「短い母音」ではなく,/eɪ/, /iː/, /aɪ/, /oʊ/, /juː/ のような「長い母音」で発音される.
 上記の "magic <e>" の特徴は,ある母音の音価や長さの違いを標示するのに,次の子音字を越えたところにある <e> の有無(しかも <e> 自体は無音)という一見すると不自然な手段を用いている点にある.通常の発想であれば,当該母音字そのものを変化させたり,そこに発音区別符(号) (diacritical mark) を付したりするのが自然だろう(フランス語のアクサンやドイツ語のウムラウトなどがそれに当たる).なぜ英語では「黙字 <e> による遠隔操作」という間接的な,回りくどい方式で先行母音を示すようになっているのだろうか.
 実は,この綴字規則は,最初からこのように回りくどかったわけではない.もともとはひねりなどなかったのであり,<e> も黙字ではなく,主として曖昧母音 /ə/ ではあったが母音としての音価を保持していたのである.この問いに歴史的に答えるには,少なくとも古英語にまで遡らなければならない.「#1284. 短母音+子音の場合には子音字を重ねた上で -ing を付加するという綴字規則」 ([2012-11-01-1]) と同様に,説明は簡単ではないが,以下で略説を試みよう.
 古英語では語末に現われる種々の母音はそれぞれ完全な音価を保っており,対応する母音字で表記されていた.しかし,初期中英語にかけて,語末母音は次第に曖昧母音 /ə/ へと水平化していった.この水平化した母音に対応する文字としては,概ね <e> が使用されていた.だが,この水平化に引き続き,水平化した語末母音の脱落という音韻変化が生じ,語末の /ə/ が徐々に消えていった.一方,綴字としては語末の <e> は保たれることになった.
 さて,語末の /ə/ の有無は音韻的には些細なことのように思われるが,音節構造の観点からは大問題である.例として,"name" を表わす古英語 nama /nama/ と "take" を表わす動詞 niman の第1過去形 nam /nam/ を考えよう.両者の違いは語尾母音の有無のみではあるが,後の音韻発達を考えると,これが天と地ほどの違いを生み出す.nama は語尾母音を水平化させた段階までは,2音節語に留まっており,語幹を表わす第1音節 na は母音で終わる開音節である.ところが,語末母音が脱落すると,この語は1音節語となり,子音 m で終わる閉音節となる.一方,nam はこの期間中ずっと閉音節の1音節語のままである.このままでは,両語は音韻的に融合してしまうかのようだが,実際にはそうならなかった.というのも,別途,初期中英語には Middle English Open Syllable Lengthening (MEOSL) という音韻変化が生じていたからである.方言によっても進行の具合が異なっていたが,一般的にいって,この音韻変化により開音節の母音が長化した.
 上記の初期中英語以降の一連の音韻変化により,古英語 nama /nama/ は次のような発達を遂げた.まず語尾母音の水平化により /namə/ へと変化した.次に,MEOSL により /naːmə/ へ,そして語尾母音の脱落により /naːm/ へと変化した(相互の関連については諸説ある).そして,これが数世紀の後に開始される大母音推移の入力となり,近代英語の /nɛːm/ ,そして現代英語の /neɪm/ が出力されることとなった.
 以上をまとめれば,現代英語の <e> に相当する語末母音が古英語において存在したからこそ,中英語で MEOSL が作用しえて語幹母音が長化したのであり,長化したからこそ大母音推移へと突入できたのである.別の見方をすれば,現代英語の綴字で語末に <e> があるということは,子音をまたいで戻ったところにある母音が大母音推移を経たという証拠なのである."magic <e>" は,少々の回りくどさはあるが,長い歴史の間に複雑化してきた綴字と発音の関係を共時的な正書法として公式化した便法といえるだろう.

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2011-04-21 Thu

#724. thumb の綴りと発音 (2) [spelling_pronunciation_gap][reverse_spelling][silent_letter][plural]

 [2009-06-01-1]の記事で,現代英語 thumb の綴字に含まれる非語源的な reverse spelling の <b> についてOED の記述を参照して「13世紀末の添加」と記した.OED によると,1290年頃の The South English Legendary からの Strongue is þe þoumbe I-cleoped が初例となっている.他の辞書や語源辞典もこの OED の記述を踏襲しているようだが,MED, "thoume" によると,<b> を含む例は,12世紀半ばの The Peterborough Chronicle の1137年の記録に見いだすことができる.Clark 版から該当箇所を引く(赤字は引用者).

Me henged bi the þumbes other bi the hefed 7 hengen bryniges on ˈherˈ fet. (1137, l. 22)


 Clark の注 (p. 94) によると,PChron よりも早い土地台帳 the Doomsday Book に,Oxfordshire の地名 Thomley を表わす語形として Tvmbeleia が用いられているという.<b> の挿入は,OED の記述よりもずっと早く,中英語の最初期にすでに見られたということである.
 [2009-06-01-1]では,crumb, limb, numb と合わせて thumb の <b> は歴史上 /b/ として発音されたためしがないと述べたが,thumb についてはこの発言は訂正すべきかもしれない.11世紀や12世紀の早い時期にこの種の reverse spelling や黙字 ( silent letter ) が導入されたとは考えにくいし,上記の Tvmbeleia の例のように,/m/ に他の音が後続する環境で,わたり音 ( glide ) として破裂音 /b/ が挿入されるのは調音的に自然である.他の語についても,<b> の挿入は近代英語期にかけてのことだが,綴り字発音 ( spelling pronunciation ) が一切なかったかというと,それは確かめようがない.「歴史上 /b/ として発音されたためしがない」というのは主張としては強すぎたかもしれない.せいぜい主張できるのは,「 /b/ を含む発音が散発的にありえたとしても,主要な変種において /b/ を含まない発音に比して優勢な交替形であったことはなさそうだ」くらいのものだろう.ここに訂正したい.
 なお,thumb の古英語形は þūma (男性弱変化名詞)だったので,初期中英語での予想される複数形(主格および対格)は -n 語尾をもつ形態だが,PChron の例ではすでに -s 複数化した þumbes である.私が調べた範囲では,初期中英語コーパスでこの語が複数形に -s をとる例はこれが唯一のものである.

 ・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.

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2009-11-05 Thu

#192. etymological respelling (2) [spelling_pronunciation_gap][etymological_respelling][doublet][emode][spelling_pronunciation][silent_letter]

 [2009-08-21-1]で取りあげた etymological respelling の続編.英国におけるルネッサンス時代はおよそ初期中英語期に相当する.ルネッサンスは古典復興運動であり,その媒体となったのが古典語,とりわけラテン語とギリシャ語だった.したがって,この時期に両古典語からの借用が多かったのはごく自然のことだった([2009-08-19-1]).しかし,ラテン語重視の時代の風潮は,なにも語の借用にとどまっていたわけではない.例えば,英文法書はラテン語文法をお手本に書かれた.そして,もう一つのラテン語重視の現れは,綴字に見られた.
 [2009-08-25-1], [2009-05-30-1]で見たように,近代英語期以前にもラテン語からの借用語はたくさんあった.そのなかでも特に中英語期にフランス語を経由して英語に入ってきたラテン語は,形態が崩れていることが多かった.伝言ゲームではないが,英語に入ってくる過程でフランス語などを経ると,どうしても原形が崩れてしまうのである.
 ルネッサンス期の学者たちはこれを嘆かわしいと思った.かれらは,権威のある古典ラテン語の「原形」を知っているので,英語で根付いていた「崩れた形」に我慢がならなかったのである.そこで,「原形」(=語源)を参照して,すでに英語に定着していた綴りを一方的に直した.この学者たちの営みを etymological respelling と呼ぶ.
 [2009-08-21-1]では debt 「債務」という語を例に etymological respelling のプロセスを解説したので,今回はいろいろと他の例を挙げることにする.以下の現代英単語はすべて etymological respelling の産物だが,各語についてどの文字が学者によって挿入・置換されたかわかるだろうか.

altar, Anthony, assault, author, comptroller, debt, delight, doubt, falcon, fault, indict, island, language, perfect, phantom, psalm, realm, receipt, salmon, salvation, scholar, school, scissors, soldier, subject, subtle, throne, victual


 学者たちは,ラテン借用語の綴字こそ改革したが,庶民の発音までをも改革し得たわけではない.多くの場合,庶民は相変わらず中世以来の「崩れた形」の発音を使い続けたのである.学者がいくら騒ごうが民衆にとって関心がないのは,いつの時代でも同じである.だが,せっかく綴字を改革したのだからそれにあわせて発音も変えようという殊勝な態度も一部にはあったようで,いくつかの単語では,挿入された文字に対応する発音もおこなわれるようになった.綴字にあわせて発音しようというこの考え方は,spelling pronunciation と呼ばれる.
 現代英語において綴字と発音の乖離は大きな問題であり,etymological spelling はこの問題に一役買っている([2009-06-28-2]).また,それを是正しようとする spelling pronunciation の作用も中途半端であり,かえって混乱を招いているともいえる.この問題の根が深いのは,上述のとおり深い歴史があるからである.「ルネッサンス期の学者の知識のひけらかし」といえば確かにそうだろう.しかし,当時の学者に罪を着せるという考え方よりは,当時の時代精神の産物と捉える方が,英語史をポジティブに味わえるように思われる.ときにはラテン語由来の英単語のかもすハイレベルな文体を味わうもよし,ときには island の <s> の不合理を嘆くもよし.人間と同じで,言語も一癖も二癖もあるからこそおもしろいのではないか.
 上記の語群でどの文字が挿入・置換されたか,その答えは以下をクリック.

altar, Anthony, assault, author, comptroller, debt, delight, doubt, falcon, fault, indict, island, language, perfect, phantom, psalm, realm, receipt, salmon, salvation, scholar, school, scissors, soldier, subject, subtle, throne, victual

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2009-08-27 Thu

#122. /kn/ で始まる単語 [phonotactics][phonetics][silent_letter][spelling_pronunciation_gap]

 現代英語では,<kn> の綴り字で始まる単語の最初の /k/ 音は発音されないことになっている.

knack, knag, knap, knave, knead, knee, knell, knife, knight, knit, knob, knock, knoll, knot, know


 発音されないのにわざわざ綴り字に <k> が入っているのは,かつては発音されたからである.英語史のある段階から /kn/ という連鎖における /k/ は発音されなくなったが,綴り字は変化しなかったがゆえにこのような状況になった.(綴り字の保守性については[2009-05-13-1]を参照.)
 いつ /k/ が失われたかというと,17世紀末から18世紀にかけてである./kn/ -> /xn/ -> /hn/ -> /n/ という段階を経て消えていった.ただ,この /k/ の削除は, /kn/ のつながりが語頭に来たときにのみ,もっと正確にいうと形態素の頭に来たときにのみ,起こった.したがって,acknowledge ( ac- + knowledge ) では形態素をまたぐために /kn/ が保持されているし,spokentaken などでは語中であるためにやはり /kn/ が残っている.
 では,それ以外に例外はないのかというと,先日たまたま gastrocnemius 「腓腹筋」という語に出くわした.ここでは /kn/ が発音されるという.関連語を拾い出すと以下のような語があった.

cnemial, eucnemic, eucnemidal, gastrocnemial, gastrocnemian, gastrocnemius, metacneme , metacnemic , platycnemia , platycnemic , procnemial, protocneme


 cneme の部分はギリシャ語で「脛骨」を意味し,上記の語はいずれもその複合語である.例えば cnemial は /ˈkni:mɪəl/ という発音で,しっかりと /kn/ が残っている.これらの語で /k/ の削除がおこらなかったのは,借用されたのが19世紀,すなわち削除の過程が終了したずっと後だったからと考えてよさそうだが,たまたま出くわしたという gastrocnemius の初出を OED で調べてみたら,例外的に早く1676年とあった./k/ の削除が17世紀末からとすると,なんとも微妙なタイミングである.
 高度に専門的な借用語ということで例外的に扱われたという可能性も考えられるが,いったんは /k/ が脱落しかけたものの,後から入ってきた cneme の複合語のすべてにおいて /kn/ が発音されるならば,gastrocnemius でのみ /k/ が脱落するというのも妙なので,類推 ( analogy ) が働いたと考えるのも一案である.
 いずれにしても,形態素の始まりで /kn/ という音素配列 ( phontactics ) の存在が確認されるのは,英語語彙広しといえど,他にないのではないか.

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