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spelling_reform - hellog〜英語史ブログ

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2015-10-30 Fri

#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1) [final_e][grapheme][spelling][orthography][emode][mulcaster][spelling_reform][meosl][diacritical_mark]

 英語史において,音声上の final /e/ の問題と,綴字上の final <e> の問題は分けて考える必要がある.15世紀に入ると,語尾に綴られる <e> は,対応する母音を完全に失っていたと考えられているが,綴字上はその後も連綿と書き続けられた.現代英語の正書法における発音区別符(号) (diacritical mark; cf. 「#870. diacritical mark」 ([2011-09-14-1])) としての <e> の機能については「#979. 現代英語の綴字 <e> の役割」 ([2012-01-01-1]), 「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) で論じ,関係する正書法上の発達については 「#1344. final -e の歴史」 ([2012-12-31-1]), 「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) で触れてきた.今回は,英語正書法において長母音を表わす <e> がいかに発達してきたか,とりわけその最初期の様子に触れたい.
 Scragg (79--80) は,中英語の開音節長化 (meosl) に言い及びながら,問題の <e> の機能の規則化は,16世紀後半の穏健派綴字改革論者 Richard Mulcaster (1530?--1611) に帰せられるという趣旨で議論を展開している(Mulcaster については,「#441. Richard Mulcaster」 ([2010-07-12-1]) 及び mulcaster の各記事を参照されたい).

One of the most far-reaching changes Mulcaster suggested was for the use of final unpronounced <e> as a marker of vowel length. Of the many orthographic indications of a long vowel in English, the one with the longest history is doubling of the vowel symbol, but this has never been regularly practised. . . . Use of final <e> as a device for denoting vowel length (especially in monosyllabic words such as mate, mete, mite, mote, mute, the stem vowels of which have now usually been diphthongised in Received Pronunciation) has its roots in an eleventh-century sound-change involving the lengthening of short vowels in open syllables of disyllabic words (e.g. /nɑmə/ became /nɑːmə/). When final unstressed /ə/ ceased to be pronounced after the fourteenth century, /nɑːmə/, spelt name, became /nɑːm/, and paved the way for the association of mute final <e> in spelling with a preceding long vowel. After the loss of final /ə/ in speech, writers used final <e> in a quite haphazard way; in printed books of the sixteenth century <e> was added to almost every word which would otherwise end in a single consonant, though the fact that it was then apparently felt necessary to indicate a short stem vowel by doubling the consonant (e.g. bedde, cumme, fludde 'bed, come, flood') shows that writers already felt that final <e> otherwise indicated a long stem vowel. Mulcaster's proposal was for regularisation of this final <e>, and in the seventeenth century its use was gradually restricted to the words in which it still survives.


 Brengelman (347) も同様の趣旨で議論しているが,<e> の規則化を Mulcaster のみに帰せずに,Levins や Coote など同時代の正書法に関心をもつ人々の集合的な貢献としてとらえているようだ.

It was already urged in the last quarter of the sixteenth century that final e should be used as a vowel diacritic. Levins, Mulcaster, Coote, and others had urged that final e should be used only to "draw the syllable long." A corollary of the rule, of course, was that e should not be used after short vowels, as it commonly was in words such as egge and hadde. Mulcaster believed it should also be used after consonant groups such as ld, nd, and st, a reasonable suggestion that was followed only in the case of -ast. . . . By the time Blount's dictionary had appeared (1656), the modern rule regarding the use of final e as a vowel diacritic had been generally adopted.


 いずれにせよ,16世紀中には(おそらくは15世紀中にも),すでに現実的な綴字使用のなかで <e> のこの役割は知られていたが,意識的に使用し規則化しようとしたのが,Mulcaster を中心とする1600年前後の改革者たちだったということになろう.実際,この改革案は17世紀中に根付いていくことになり,現在の "magic <e>" の規則が完成したのである.

 ・ Scragg, D. G. A History of English Spelling. Manchester: Manchester UP, 1974.
 ・ Brengelman, F. H. "Orthoepists, Printers, and the Rationalization of English Spelling." JEGP 79 (1980): 332--54.

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2015-09-23 Wed

#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2) [writing][medium][history_of_linguistics][phonetics][spelling][sign][semiotics][spelling_reform]

 昨日の記事 ([2015-09-22-1]) に引き続き,Vachek の論文を参照して,書き言葉の自立性について考える.Vachek は,思いも寄らないところから,書き言葉と話し言葉の対等な関係を主張する.音声表記 (phonetic transcription) と綴字読み上げ (spelling out) である.
 音声表記,特に精密な音声表記 (narrow phonetic transcription) は,実用目的にはあまりに読みにくい.音声学の専門書でこそ有用だが,それで日常的に読み書きの用を足すことになったら不便きわまりない.なんとか我慢して読もうとするならば,音声表記をたどりながら,いったん声に出すか頭の中で音声化することによって,事後的にあの単語のことか,と認識して理解することになるだろう.書かれた音声表記を見てから内容を理解するまでに,いくつかの行程を経なければならない.音声表記ではなく,いわゆる通常の文字と綴字であれば,見てから内容を理解するまでの行程は,もっとずっと直接的である.
 綴字読み上げとは,1文字ずつ声に出してスペルアウトするもので,例えば apple であれば,1文字ずつ [eɪ piː piː ɛl iː] (= A P P L E) と読み上げる,あのやり方である.耳で [ðɪs ɪz ən æpl] (= This is an apple.) と聞けば,そのまま内容が理解されるところを,[tiː eɪʧ aɪ ɛs aɪ ɛs eɪ ɛn eɪ piː piː ɛl iː] (= T H I S I S A N A P P L E) と1文字ずつ読み上げられたらどうだろう.聞きながら1文字ずつ追っていき,頭の中で綴字を組み立てて,This is an apple. のことかと思い至る,なんとも回りくどい経験をすることになる.1文字ずつの読み上げを聞きながら内容を理解するまでに,いくつもの行程を経なければならない.音声表記と綴字読み上げは,その開始と終了の媒介こそ互いに異なっているが,理解までの行程がひどく回りくどい点で共通している.もちろん,まさにその理由により,いずれも日常的には用いられないのである.
 音声表記と綴字読み上げの共通項を,Vachek のことばで表現すれば,いずれも "a sign of the second order",つまり記号の記号であるということだ.それに対して,話し言葉における言語音や書き言葉における文字・綴字は,"a sign of the first order",つまり直接的な記号である.これらの関係を以下の図で示してみた.

+---------------+----------------+--------------------------+
|               |                |                          |
|               |     Speech     |         Writing          |
|               |       |        |            |             |
+---------------+-------+--------+------------+-------------+
|               |       |        |            |             |
|               |       |        |            |             |
|               |     phones     |         letters          |
| First order   |    phonemes    |        graphemes         |
|               |                |        spellings         |
|               |           \   |  /                      |
|               |             \ |/                        |
+---------------+---------------×--------------------------+
|               |             / |\                        |
|               |           /   |  \                      |
|               |                |                          |
| Second order  |  spelling out  |  phonetic transcription  |
|               |                |                          |
|               |                |                          |
|               |                |                          |
+---------------+----------------+--------------------------+

 綴字読み上げ (spelling out) は出力こそ話し言葉 (speech) の世界に属しているが,間接的に再現しているのは,実は,書き言葉の文字・綴字 (letters / graphemes / spellings) である.音声表記 (phonetic transcription) は出力こそ書き言葉 (writing) の世界に属しているが,間接的に再現しているのは,実は,話し言葉の音・音素 (phones / phonemes) である.このような関係であるから,回りくどいにきまっている.私たちは,日常的にはこのような回りくどい second order の記号を用いず,first order の記号で用を足している.話し言葉であれば直接に音を,書き言葉であれば直接に文字・綴字を利用する.
 このような話し言葉と書き言葉の対照的かつ対称的な関係を示されると,それぞれが対等かつ独立した言語の媒介であるという謂いにも納得がいく.それぞれが,独自の目的をもって,言語的実現の媒介となっているのだ.
 この見方は,音声表記を目指す綴字改革にとっても重要な教訓となるだろう.そのような改革は,first order の記号を,わざわざ回りくどい second order の記号へと格下げしようとしていると解釈できることになるからだ.この問題については,「#2312. 音素的表記を目指す綴字改革は正しいか?」 ([2015-08-26-1]) も参照.

 ・ Vachek, Josef. "Some Remarks on Writing and Phonemic Transcription." Acta Linguistica 5 (1945--49): 86--93.

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2015-08-26 Wed

#2312. 音素的表記を目指す綴字改革は正しいか? [spelling_reform][spelling_pronunciation_gap][spelling][grapheme][grammatology][alphabet][writing][medium]

 Roman alphabet という表音文字を用いる英語にあって,連綿と続いてきた綴字改革の歴史は,時間とともに乖離してきた綴字と発音の関係を,より緊密な関係へと回復しようとする試みだったと言い換えることができる.標題のように,より厳密な音素的表記への接近,と表現してもよい.
 綴字改革は英語で "spelling_reform" と呼ばれるが,reform とは定義によれば "change that is made to a social system, an organization, etc. in order to improve or correct it" (OALD8) であるから「誤ったものを正す」という含意が強い.つまり,綴字改革を話題にする時点で,すでに既存の綴字体系が「誤っている」ことが,少なくとも何ほどか含意されていることになる.では,いかなる点で誤っているのか.ほとんど常に槍玉にあげられるのは,綴字に表音性が確保されていないという点だろう.実際のところ,現代英語の綴字は,以下の記事でも見てきたとおり,表語的(表形態素的)な性格が強いと議論することができるのであり,相対的に表音的な性格は弱い.

 ・ 「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1])
 ・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
 ・ 「#2043. 英語綴字の表「形態素」性」 ([2014-11-30-1])
 ・ 「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1])
 ・ 「#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2)」 ([2014-12-16-1])
 ・ 「#2097. 表語文字,同音異綴,綴字発音」 ([2015-01-23-1])

 しかし,表音素的表記がより正しいという前提は,そもそも妥当なのだろうか.(漢字がその典型とされる)表形態素的表記は,それほど悪なのだろうか.この点について,安井・久保田 (92) の指摘は的確である.

つづり字改良という仕事は,要するに,「もっと音素的表記への改良」ということに,ほかならない.が,最も純粋に音素的である書記法が,あらゆる点で最良のものであるかというと,この場合も,それが一概によいともいえないのである.特に,書記言語を音声言語と対等な一次的言語の一つと考える立場からすれば,書記言語は言語音声をよく表していなければならなないということさえいえなくなってくる〔中略〕.英語にせよ,日本語にせよ,音素的表記でさえあれば,ただちに最良の表記法であるという考えは修正されるべきである.


 引用で触れられているように,書記言語の独立性というより一般的な問題も,合わせて考慮されるべきだろう.writing という medium の独立性については,「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) などの記事を参照されたい.

 ・ 安井 稔・久保田 正人 『知っておきたい英語の歴史』 開拓社,2014年.

Referrer (Inside): [2019-12-04-1] [2015-09-23-1]

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2015-08-06 Thu

#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート [spelling][pronunciation][spelling_pronunciation_gap][medium][writing][spelling_reform][spelling_pronunciation]

 英語の綴字と発音の関係,ひいては言語における書き言葉と話し言葉の関係について長らく考察しているうちに,頭のなかで標題のイメージが固まったきた.

Two-Boat Model of Spelling and Pronunciation


 まず,大前提として発音(話し言葉)と綴字(書き言葉)が,原則としてそれぞれ独立した媒体であり,体系であるということだ.これについては,「#1928. Smith による言語レベルの階層モデルと動的モデル」 ([2014-08-07-1]) における Transmission や,「#1665. 話しことばと書きことば (4)」 ([2013-11-17-1]) も参照されたい.それぞれの媒体を,時間という川を流れる独立したボートに喩えよう.
 さて,発音と綴字は確かに原則として独立してはいるが,一方で互いに依存し合う部分も少なくないのは事実である.この緩い関係を,2艘のボートをつなぐロープで表現する.かなりの程度に伸縮自在な,ゴムでできたロープに喩えるのがよいのではないかと思っている.
 両媒体が互いに依存し合うとはいえ,圧倒的に多いのは,発音が綴字を先導するという関係である.発音は放っておいても,時間とともに変化していくのが常である.発音のボートは,常に早瀬側にあるものと理解することができる.一方,綴字は流れの緩やかな淵にあって,止まったり揺れ動いたりする程度の,比較的おとなしいボートである.したがって,時間が経てば経つほど,両ボートの距離は開いていく可能性が高い.しかし,2艘はロープでつながっている以上,完全に離れきってしまうわけではない.つかず離れずという距離感で,同じ川を流れていく.
 稀な機会に,綴字のボートが発音のボートと横並びになる,あるいは追い越すことすらあるかもしれない.そのような事態は自然の川ではほとんどありえないが,言葉の世界では,人間が意図的にロープを短くしてやったり,綴字のボートを曳航してやるなどすれば可能である.これは,綴字改革 (spelling_reform) や綴字発音 (spelling_pronunciation) のようなケースに相当する.
 この "Two-Boat Model" は,表音文字体系をもつ言語においてはおそらく一般的に当てはまるだろう.話し言葉と書き言葉の媒体は,半ば独立しながらも半ば依存し合っており,互いに干渉しすぎることなく,つかず離れずで共存しているのである.

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2015-01-20 Tue

#2094. 「綴字改革への心理的抵抗」の比較体験 [spelling_reform][orthography]

 「#2087. 綴字改革への心理的抵抗」 ([2015-01-13-1]) でみたように,綴字改革に際しての大きな障害となりうるものに,既存の見慣れた綴字体系と新提案とのギャップがある.このギャップが大きければ大きいほど,人々は「生理的に」受け入れを拒むだろう.これを読者に実感させるために,ブルシェ (188) は,The Simplified Spelling Society による「ニュースペリング」 (Nue Speling) とヴァイクによる「規則化英語」 (Regularized Spelling) の2案に基づく綴字で書かれた文章を並べて示した(この2案の歴史的位置づけについては,「#602. 19世紀以降の英語の綴字改革の類型」 ([2010-12-20-1]) を参照).それぞれ1行目に挙げたものが Nue Speling で,2行目が Regularized Spelling である.

Think ov dhe meny wurds dhat wood hav
Think ov the meny wurds that wood hav

to be chaenjd if eny real impruuvment wer to rezult.
to be chainged if eny real improovement wer to rezult.

At dhe furst glaans a pasej in eny reformd speling
At the first glaance a passage in eny reformd speling

looks 'kweer' or 'ugly'. Dhis objekshon iz aulwaez
looks 'queer' or 'ugly'. This objection iz aulwayz

dhe furst to be maed ; it iz purfektly natueral ;
the first to be made : it iz perfectly natural ;

it iz dhe hardest to remuuv.
it iz the hardest to remoove.


 この併記の効果は抜群のように思われる.前者 Nue Speling は既存の伝統的な綴字体系から大きく逸脱しており心理的抵抗が大きいが,後者 Regularized Spelling からの心理的抵抗は相対的にもう少し許せる程度だ.伝統的綴字が維持されている語の割合は,前者が10%,後者が90%であるという.
 心理的な抵抗の大きい Nue Speling を考案したのは,1908年にイギリスで創設された The Simplified Spelling Society だが,この協会のもとで Nue Speling (1910, 1948) に続いて1960年代に Initial Teaching Alphabet が,1992年に Cut Spelling (1992) が発表されるなど,各種の改革案が提示されてきた.B. Brown (1993) からの孫引きではあるが,Crystal (277) に Nue Speling の旧版と新版および Cut Spelling の3種の綴字で書かれた比較できる文章があり,それぞれの特徴と綴字改革案の発展を見て取ることができる.以下に再掲しよう.

Wel, straet in at the deep end!
   Menshond abuv wos the revyzed orthografi kauld Nue Speling (NS), wich wos sed to be 'moderatly strikt' in uezing egzisting leters, combined with the so-kauld dygrafic prinsipl, to repreezent the sounds of the langwej. Inishali developt by the Sosyeti in 1910, the sistem is shoen in this paragraf in its moest reesent vershun as publisht in New Spelling 90.
   Dhis paragraf and dhe nekst uez dhe preevyus vurshon ov NS, publisht in 1948. Dhis vurshon iz much strikter in traking dhe soundz ov dhe langgwej, and its ues ov 'dh' for dhe voist 'th' (az in 'then' in tradishonal speling) iz a noetabl feetuer.
   U wil aulsoe hav noetist bei nou dhat NS results in a hie degree ov chaenj in dhe look ov wurdz, wich moest peepl fiend disturbing --- or eeven regugnant --- on furst akwaentans.
   By way of contrast, we have now swiched to Cut Speling, a wel thot-out exampl of a posibl partial revision. It is based mainly on th principl of cutng redundnt --- and thus usuly misleadng --- leters, plus limitd letr substitutions. Th resulting chanje in th apearance of words is not nearly so intrusive as with NS.
   Wethr or not CS or NS as demonstrated here ar found acceptbl, som action is seriusly needd to make english esir to use.


 各綴字改革案の背後にある原理は重要だが,それよりも即物的に見栄えが大きく関わっていることが実感としてわかるだろう.いずれの綴字も多少の時間眺めて慣れてしまえば同様に有効であるだろうとは思われるが,問題はその慣れてしまうまでの時間なり努力なりが,たとえどれだけ少ないものであろうと,費やす価値があるのかという点にある.

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.

Referrer (Inside): [2016-05-05-1]

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2015-01-13 Tue

#2087. 綴字改革への心理的抵抗 [spelling_reform][language_planning][orthography][orthoepy]

 英語史では,とりわけ初期近代英語期より数多くの綴字改革が旗揚げされてきた.16世紀後半に限っても,「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]) でみたように様々な個性が表音主義あるいは伝統主義の名のもとで正書法 (orthography) と正音法 (orthoepy) を論じ,綴字改革案を提起した.そこでは Hart や Bullokar などの急進派は最終的に破れ,いかほどかでも構成に影響があったと評価されうるのは Mulcaster などの穏健派だった.同様に,後期近代英語期でも「#602. 19世紀以降の英語の綴字改革の類型」 ([2010-12-20-1]),「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」 ([2011-01-21-1]),「#635. 近年の綴字改革論争 (2)」 ([2011-01-22-1]),「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]) でみたように数々の改革が立ち上がったなかで,部分的に成功したといえるものは穏健な改革である.
 一般に綴字改革が成功しにくい理由は「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」 ([2010-12-24-1]) で考察した通りだが,とりわけ急進的な改革がほとんどいつも失敗に終わる理由を改めて考えてみると,すでに伝統的な綴字体系と正書法を身につけている者にとって,それと表面的にあまりに異なる綴字は,心理的に受け入れがたいものだからではないか.この際,綴字改革の理論や大義が問題になるというよりは,見栄えが異なっていることに対するある種の本能的な抵抗感が問題となるのではないか.例えば,従来の <the> を <dhe> と綴りなおす改革にあっては,紙面の見栄えは大きく変わる.慣れれしまえば問題ないというのは確かにそうだろうが,綴字改革にとっても最も重要な問題は,慣れてしまうまでの時間,つまり普及の過程にあるのである.
 ブルシェも,あらゆる綴字改革にとって最大の障壁となるのは,現行の正書法に慣れた人々が抱く心理的抵抗,「人々が異質なものを前にした時の本質的な反応」 (213)であると示唆する.では,その本能的ともいえる抵抗感はどこから生じるのだろうか.ブルシェ (203--04) 曰く,

疑いもなく、一つの正書法は一つの慣習を意味している。しかし、それだけではない。正書法は何世紀にも渡って徐々に形成されてきた多数の書記法の蓄積を要約するものであり、一つの言語共同体に固有のものである。正書法は話者にとって文化と伝統そのものである。〔こ〕こで「規則化英語」がスウェーデン人の考案したものであることを思い出してもらいたい。彼は今日国際語とみなされている英語のために、自分の提唱する書記体系の利点を余すところなく書き出した。しかし、その見方、感性、反応の仕方は生粋の英語圏の人間のものとは異なっていたのだ。/そのため、計画に関わる方式の性格が「良識的」だからといって、話者の賛同が確実に得られ〔た〕わけではなかった。ヴァイクは現実に即したやり方で慎重に事を運んだにも関わらず、独り(もしくはほぼ独り)で一方的に、新しい約束ごと (contrat) を創っているような印象を多少なりともあたえている。何百万人もの人間の運命を問題にしているだけに、その影響は大きい。彼は、自分の改革の様々な面が人々に受け入れられるかどうかを前もって測ろうとはしなかった。


 近代以後の改革者の多くもこの障壁の大きさに気づいていないわけではなかった.しかし,それもやはり程度の問題であって,自らの推し進める綴字改革の理論と大義――それはしばしば表音主義や語源主義と呼ばれるものだが――に比してこの障壁の重要性を低く見積もっていたには違いない.綴字改革を適用し普及させる段になれば必ずついて回る人々の心理的抵抗を,結局のところ,改革者の多くは見くびっていたということだろう.過去にも未来にも,綴字改革には,果てしなく厳しい条件が課せられている.
 もう1節,ブルシェ (183) から引用して終えよう.

従って、一種の融通のきかない記号変換、つまりは簡略すぎる記号変換に展望を限定しないことが肝要である。それがこの分野(制度的側面)で影響力を持った人々の同意を得られるような方式を創る道であり、伝播に貢献でき、またある書記体系を受け入れさせることに貢献できる道である。これらの修正は中庸を維持すべきであり、大衆や特に教育者の気持ちを損ねたり落胆させたりするものであってはならない。さらに、その修正は効果も大きく、一貫性がなくてはならない。というのも、もしそれが局部的な改善で支配的な原則も全体の方針もなければ、研究者はもちろんのこと、一般人にも拒絶されてしまうであろうから。


 ・ ジョルジュ・ブルシェ(著),米倉 綽・内田 茂・高岡 優希(訳) 『英語の正書法――その歴史と現状』 荒竹出版,1999年.

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2014-10-20 Mon

#2002. Richard Hodges の綴字改革ならぬ綴字教育 [spelling_reform][spelling][orthography][alphabet][emode][final_e][silent_letter][mulcaster][diacritical_mark]

 「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) や「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]) でみたように,16世紀には様々な綴字改革案が出て,綴字の固定化を巡る議論は活況を呈した.しかし,Mulcaster を代表とする伝統主義路線が最終的に受け入れられるようになると,16世紀末から17世紀にかけて,綴字改革の熱気は冷めていった.人々は,決してほころびの少なくない伝統的な綴字体系を半ば諦めの境地で受け入れることを選び,むしろそれをいかに効率よく教育していくかという実際的な問題へと関心を移していったのである.そのような教育者のなかに,Edmund Coote (fl. 1597; see Edmund Coote's English School-maister (1596)) や Richard Hodges (fl. 1643--49) という顔ぶれがあった.
 Hodges については「#1856. 動詞の直説法現在形語尾 -eth は17世紀前半には -s と発音されていた」 ([2014-05-27-1]) でも触れたように,綴字史への関与のほかにも,当時の発音に関する貴重な資料を提供してくれているという功績がある.例えば Hodges のリストには,cox, cocks, cocketh; clause, claweth, claws; Mr Knox, he knocketh, many knocks などとあり,-eth が -s と同様に発音されていたことが示唆される (Horobin 129) .また,様々な発音区別符(号) (diacritical mark) を綴字に付加したことにより,Hodges は事実上の発音表記を示してくれたのである.例えば,gäte, grëat のように母音にウムラウト記号を付すことにより長母音を表わす方式や,garde, knôwn のように黙字であることを示す下線を導入した (The English Primrose (1644)) .このように,Hodges は当時のすぐれた音声学者といってもよく,Shakespeare 死語の時代の発音を伝える第1級の資料を提供してくれた.
 しかし,Hodges の狙いは,当然ながら後世に当時の発音を知らしめることではなかった.それは,あくまで綴字教育にあった.体系としては必ずしも合理的とはいえない伝統的な綴字を子供たちに効果的に教育するために,その橋渡しとして,上述のような発音区別符の付加を提案したのである.興味深いのは,その提案の中身は,1世代前の表音主義の綴字改革者 William Bullokar (fl. 1586) の提案したものとほぼ同じ趣旨だったことである.Bullokar も旧アルファベットに数々の記号を付加することにより,表音を目指したのだった.しかし,Hodges の提案のほうがより簡易で一貫しており,何よりも目的が綴字改革ではなく綴字教育にあった点で,似て非なる試みだった.時代はすでに綴字改革から綴字教育へと移り変わっており,さらに次に来たるべき綴字規則化論者 ("Spelling Regularizers") の出現を予期させる段階へと進んでいたのである.
 この時代の移り変わりについて,渡部 (96) は「Bullokar と同じ工夫が,違った目的のためになされているところに,つまり17世紀中葉の綴字問題が一種の「ルビ振り」に似た努力になっている所に,時代思潮の変化を認めざるをえない」と述べている.Hodges の発音区別符をルビ振りになぞらえたのは卓見である.ルビは文字の一部ではなく,教育的配慮を含む補助記号である.したがって,形としてはほぼ同じものであったとしても,文字の一部を構成する不可欠の要素として Bullokar が提案した記号は,決してルビとは呼べない.ルビ振りの比喩により,Bullokar の堅さと Hodges の柔らかさが感覚的に理解できるような気がしてくる.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.

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2014-10-13 Mon

#1995. Mulcaster の語彙リスト "generall table" における語源的綴字 [mulcaster][lexicography][lexicology][cawdrey][emode][dictionary][spelling_reform][etymological_respelling][final_e]

 昨日の記事「#1994. John Hart による語源的綴字への批判」 ([2014-10-12-1]) や「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]),「#1943. Holofernes --- 語源的綴字の礼賛者」 ([2014-08-22-1]) で Richard Mulcaster の名前を挙げた.「#441. Richard Mulcaster」 ([2010-07-12-1]) ほか mulcaster の各記事でも話題にしてきたこの初期近代英語期の重要人物は,辞書編纂史の観点からも,特筆に値する.
 英語史上最初の英英辞書は,「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1]),「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1]),「#726. 現代でも使えるかもしれない教育的な Cawdrey の辞書」 ([2011-04-23-1]),「#1609. Cawdrey の辞書をデータベース化」 ([2013-09-22-1]) で取り上げたように,Robert Cawdrey (1537/38--1604) の A Table Alphabeticall (1604) と言われている.しかし,それに先だって Mulcaster が The First Part of the Elementarie (1582) において約8000語の語彙リスト "generall table" を掲げていたことは銘記しておく必要がある.Mulcaster は,教育的な見地から英語辞書の編纂の必要性を訴え,いわば試作としてとしてこの "generall table" を世に出した.Cawdrey は Mulcaster に刺激を受けたものと思われ,その多くの語彙を自らの辞書に採録している.Mulcaster の英英辞書の出版を希求する切実な思いは,次の一節に示されている.

It were a thing verie praiseworthie in my opinion, and no lesse profitable then praise worthie, if som one well learned and as laborious a man, wold gather all the words which we vse in our English tung, whether naturall or incorporate, out of all professions, as well learned as not, into one dictionarie, and besides the right writing, which is incident to the Alphabete, wold open vnto vs therein, both their naturall force, and their proper vse . . . .


 上の引用の最後の方にあるように,辞書編纂史上重要なこの "generall table" は,語彙リストである以上に,「正しい」綴字の指南書となることも目指していた.当時の綴字改革ブームのなかにあって Mulcaster は伝統主義の穏健派を代表していたが,穏健派ながらも final e 等のいくつかの規則は提示しており,その効果を具体的な単語の綴字の列挙によって示そうとしたのである.

For the words, which concern the substance thereof: I haue gathered togither so manie of them both enfranchised and naturall, as maie easilie direct our generall writing, either bycause theie be the verie most of those words which we commonlie vse, or bycause all other, whether not here expressed or not yet inuented, will conform themselues, to the presidencie of these.


 「#1387. 語源的綴字の採用は17世紀」 ([2013-02-12-1]) で,Mulcaster は <doubt> のような語源的綴字には否定的だったと述べたが,それを "generall table" を参照して確認してみよう.EEBO (Early English Books Online) のデジタル版 The first part of the elementarie により,いくつかの典型的な語源的綴字を表わす語を参照したところ,auance., auantage., auentur., autentik., autor., autoritie., colerak., delite, det, dout, imprenable, indite, perfit, receit, rime, soueranitie, verdit, vitail など多数の語において,「余分な」文字は挿入されていない.確かに Mulcaster は語源的綴字を受け入れていないように見える.しかし,他の語例を参照すると,「余分な」文字の挿入されている aduise., language, psalm, realm, salmon, saluation, scholer, school, soldyer, throne なども確認される.
 語によって扱いが異なるというのはある意味で折衷派の Mulcaster らしい振る舞いともいえるが,Mulcaster の扱い方の問題というよりも,当時の各語各綴字の定着度に依存する問題である可能性がある.つまり,すでに語源的綴字がある程度定着していればそれがそのまま採用となったということかもしれないし,まだ定着していなければ採用されなかったということかもしれない.Mulcaster の選択を正確に評価するためには,各語における語源的綴字の挿入の時期や,その拡散と定着の時期を調査する必要があるだろう.
 "generall table" のサンプル画像が British Library の Mulcaster's Elementarie より閲覧できるので,要参照.  *

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2014-10-12 Sun

#1994. John Hart による語源的綴字への批判 [etymological_respelling][spelling][emode][hart][spelling_reform]

 初期近代英語期の語源的綴字 (etymological_respelling) について,本ブログでいろいろと議論してきた.そのなかの1つ「#1942. 語源的綴字の初例をめぐって」 ([2014-08-21-1]) で,語源的綴字に批判的だった論客の1人として John Hart (c. 1501--74) の名前を挙げた.Hart は表音主義の綴字改革者の1人で An Orthographie (1569) を出版したことで知られるが,あまりに急進的な改革案のために受け入れられず,後世の綴字に影響を及ぼすことはほとんどなかった.実際,Hart は語源的綴字の問題に関しても批判を加えたものの,最終的にはその批判は響かず,Mulcaster など伝統主義の穏健派に主導権を明け渡すことになった.
 Hart の語源的綴字に対する批判は,当時の英語の綴字が全般的に抱える諸問題の指摘のなかに見いだされる.Hart は,英語の綴字は "the divers vices and corruptions which use (or better abuse) mainteneth in our writing" に犯されているとし,問題点として diminution, superfluite, usurpation of power, misplacing の4種を挙げている.diminution はあるべきところに文字が欠けていることを指すが,実例はないと述べており,あくまで理論上の欠陥という扱いである.残りの3つは実際的なもので,まず superfluite はあるべきではないところに文字があるという例である.<doubt> の <b> がその典型例であり,いわゆる語源的綴字の問題は,Hart に言わせれば superfluite の問題の1種ということになる.usurpation は,<g> が /g/ にも /ʤ/ にも対応するように,1つの文字に複数の音価が割り当てられている問題.最後に misplacing は,例えば /feɪbəl/ に対応する綴字としては *<fabel> となるべきところが <fable> であるという文字の配列の問題を指す.
 上記のように,語源的綴字が関わってくるのは,あるべきでないところに文字が挿入されている superfluite においてである.Hart (121--22) の原文より,関連箇所を引用しよう.

Then secondli a writing is corrupted, when yt hath more letters than the pronunciation neadeth of voices: for by souch a disordre a writing can not be but fals: and cause that voice to be pronunced in reading therof, which is not in the word in commune speaking. This abuse is great, partly without profit or necessite, and but oneli to fill up the paper, or make the word thorow furnysshed with letters, to satisfie our fantasies . . . . As breifli for example of our superfluite, first for derivations, as the b in doubt, the g in eight, h in authorite, l in souldiours, o in people, p in condempned, s in baptisme, and divers lyke.


 Hart は superfluite の例として eightpeople なども挙げているが,通常これらは英語史において初期近代英語期に典型的ないわゆる語源的綴字の例として言及されるものではない.したがって,「語源的綴字 < superfluite 」という関係と理解しておくのが適切だろう.

 ・Hart, John. MS British Museum Royal 17. C. VII. The Opening of the Unreasonable Writing of Our Inglish Toung. 1551. In John Hart's Works on English Orthography and Pronunciation [1551, 1569, 1570]: Part I. Ed. Bror Danielsson. Stockholm: Almqvist & Wiksell, 1955. 109--64.

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2014-08-19 Tue

#1940. 16世紀の綴字論者の系譜 [spelling][orthography][emode][spelling_reform][mulcaster][alphabet][grammatology][hart]

 昨日の記事「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) で,数名の綴字論者の名前を挙げた.彼らは大きく表音主義の急進派と伝統主義の穏健派に分けられる.16世紀半ばから次世紀へと連なるその系譜を,渡部 (64) にしたがって示そう.

Genealogy of C16 Spelling Reformers

 昨日の記事で出てきていない名前もある.Cheke と Smith は宮廷と関係が深かったことから,宮廷関係者である Waad と Laneham にも表音主義への関心が移ったようで,彼らは Cheke の新綴字法を実行した.Hart は Bullokar や Waad に影響を与えた.伝統主義路線としては,Mulcaster と Edmund Coote (fl. 1597; see Edmund Coote's English School-maister (1596)) が16世紀末に影響力をもち,17世紀には Francis Bacon (1561--1626) や Ben Jonson (c. 1573--1637) を経て,18世紀の Dr. Johnson (1709--84) まで連なった.そして,この路線は,結局のところ現代にまで至る正統派を形成してきたのである.
 結果としてみれば,厳格な表音主義は敗北した.表音文字を標榜する ローマン・アルファベット (Roman alphabet) を用いる英語の歴史において,厳格な表音主義が敗退したということは,文字論の観点からは重要な意味をもつように思われる.文字にとって最も重要な目的とは,表語,あるいは語といわずとも何らかの言語単位を表わすことであり,アルファベットに典型的に備わっている表音機能はその目的を達成するための手段にすぎないのではないか.もちろん表音機能それ自体は有用であり,捨て去る必要はないが,表語という最終目的のために必要とあらば多少は犠牲にできるほどの機能なのではないか.
 このように考察した上で,「#1332. 中英語と近代英語の綴字体系の本質的な差」 ([2012-12-19-1]),「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1]),「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1]) の議論を改めて吟味したい.

 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.

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2014-08-18 Mon

#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論 [punctuation][alphabet][standardisation][spelling][orthography][emode][spelling_reform][mulcaster][spelling_pronunciation_gap][final_e][hart]

 16世紀には正書法 (orthography) の問題,Mulcaster がいうところの "right writing" の問題が盛んに論じられた(cf. 「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1])).英語の綴字は,現代におけると同様にすでに混乱していた.折しも生じていた数々の音韻変化により発音と綴字の乖離が広がり,ますます表音的でなくなった.個人レベルではある種の綴字体系が意識されていたが,個人を超えたレベルではいまだ固定化されていなかった.仰ぎ見るはラテン語の正書法だったが,その完成された域に達するには,もう1世紀ほどの時間をみる必要があった.以下,主として Baugh and Cable (208--14) の記述に依拠し,16世紀の正書法をめぐる議論を概説する.
 個人レベルでは一貫した綴字体系が目指されたと述べたが,そのなかには私的にとどまるものもあれば,出版されて公にされるものもあった.私的な例としては,古典語学者であった John Cheke (1514--57) は,長母音を母音字2つで綴る習慣 (ex. taak, haat, maad, mijn, thijn) ,語末の <e> を削除する習慣 (ex. giv, belev) ,<y> の代わりに <i> を用いる習慣 (ex. mighti, dai) を実践した.また,Richard Stanyhurst は Virgil (1582) の翻訳に際して,音節の長さを正確に表わすための綴字体系を作り出し,例えば thee, too, mee, neere, coonning, woorde, yeet などと綴った.
 公的にされたものの嚆矢は,1558年以前に出版された匿名の An A. B. C. for Children である.そこでは母音の長さを示す <e> の役割 (ex. made, ride, hope) などが触れられているが,ほんの数頁のみの不十分な扱いだった.より野心的な試みとして最初に挙げられるのは,古典語学者 Thomas Smith (1513--77) による1568年の Dialogue concerning the Correct and Emended Writing of the English Language だろう.Smith はアルファベットを34文字に増やし,長母音に符号を付けるなどした.しかし,この著作はラテン語で書かれたため,普及することはなかった.
 翌年1569年,そして続く1570年,John Hart (c. 1501--74) が An OrthographieA Method or Comfortable Beginning for All Unlearned, Whereby They May Bee Taught to Read English を出版した.Hart は,<ch>, <sh>, <th> などの二重字 ((digraph)) に対して特殊文字をあてがうなどしたが,Smith の試みと同様,急進的にすぎたために,まともに受け入れられることはなかった.
 1580年,William Bullokar (fl. 1586) が Booke at large, for the Amendment of Orthographie for English Speech を世に出す.Smith と Hart の新文字導入が失敗に終わったことを反面教師とし,従来のアルファベットのみで綴字改革を目指したが,代わりにアクセント記号,アポストロフィ,鉤などを惜しみなく文字に付加したため,結果として Smith や Hart と同じかそれ以上に読みにくい恐るべき正書法ができあがってしまった.
 Smith, Hart, Bullokar の路線は,17世紀にも続いた.1634年,Charles Butler (c. 1560--1647) は The English Grammar, or The Institution of Letters, Syllables, and Woords in the English Tung を出版し,語末の <e> の代わりに逆さのアポストロフィを採用したり,<th> の代わりに <t> を逆さにした文字を使ったりした.以上,Smith から Butler までの急進的な表音主義の綴字改革はいずれも失敗に終わった.
 上記の急進派に対して,保守派,穏健派,あるいは伝統・慣習を重んじ,綴字固定化の基準を見つけ出そうとする現実即応派とでも呼ぶべき路線の第一人者は,Richard Mulcaster (1530?--1611) である(この英語史上の重要人物については「#441. Richard Mulcaster」 ([2010-07-12-1]) や mulcaster の各記事で扱ってきた).彼の綴字に対する姿勢は「綴字は発音を正確には表わし得ない」だった.本質的な解決法はないのだから,従来の慣習的な綴字を基にしてもう少しよいものを作りだそう,いずれにせよ最終的な規範は人々が決めることだ,という穏健な態度である.彼は The First Part of the Elementarie (1582) において,いくつかの提案を出している.<fetch> や <scratch> の <t> の保存を支持し,<glasse> や <confesse> の語末の <e> の保存を支持した.語末の <e> については,「#1344. final -e の歴史」 ([2012-12-31-1]) でみたような規則を提案した.
 「#1387. 語源的綴字の採用は17世紀」 ([2013-02-12-1]) でみたように,Mulcaster の提案は必ずしも後世の標準化された綴字に反映されておらず(半数以上は反映されている),その分だけ彼の歴史的評価は目減りするかもしれないが,それでも綴字改革の路線を急進派から穏健派へシフトさせた功績は認めてよいだろう.この穏健派路線は English Schoole-Master (1596) を著した Edmund Coote (fl. 1597) や The English Grammar (1640) を著した Ben Jonson (c. 1573--1637) に引き継がれ,Edward Phillips による The New World of English Words (1658) が世に出た17世紀半ばまでには,綴字の固定化がほぼ完了することになる.
 この問題に関しては渡部 (40--64) が詳しく,たいへん有用である.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
 ・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.

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2014-04-28 Mon

#1827. magic <e> とは無関係の <-ve> [final_e][orthography][pronunciation][phonetics][silent_letter][spelling][grapheme][spelling_reform][webster][v]

 昨日の記事「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1]) で言及したが,現代英語の正書法についてよく知られた規則の1つに「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) がある.take, mete, side, rose, cube など多くの <-VCe> をもつ英単語において,母音 V が長母音あるいは二重母音で読まれることを間接的に示す <e> の役割を呼んだものである.個々の例外はあるとしても,およそ規則と称して差し支えないだろう.
 しかし,<-ve> で終わる単語に関して,dove, glove, shove, 形容詞接尾辞 -ive をもつ語群など,例外の多さが気になる.しかも,above, give, have, live (v.), love など高頻度語に多い.これらの語では, <ve> に先行する母音は短母音として読まれる.gave, eve, drive, grove など規則的なものも多いことは認めつつも,この目立つ不規則性はどのように説明されるだろうか.
 実は,<-ve> 語において magic <e> の規則があてはまらないケースが多いのは,この <e> がそもそも magic <e> ではないからである.この <e> は,magic <e> とは無関係の別の歴史的経緯により発展してきたものだ.背景には,英語史において /v/ の音素化が遅かった事実,及び <v> の文字素としての独立が遅かった事実がある(この音素と文字素の発展の詳細については,「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]),「#1222. フランス語が英語の音素に与えた小さな影響」 ([2012-08-31-1]),「#1230. overoffer は最小対ではない?」 ([2012-09-08-1]) を参照されたい).結論を先取りしていえば,<v> は単独で語尾にくることができず,<e> のサポートを受けた <-ve> としてしか語尾にくることができない.したがって,この <e> はサポートの <e> にすぎず,先行する母音の量を標示する機能を担っているわけではない.以下に,2点の歴史的説明を与える(田中,pp. 166--70 も参照).

 (1) 古英語では,[v] はいまだ独立した音素ではなく,音素 /f/ の異音にすぎなかった.典型的には ofer (over) など前後を母音に挟まれた環境で [v] が現れたが,直後に来る母音は弱化する傾向が強かったこともあり,中英語にかけては <e> で綴られることが多くなった.このようにして,[v] の音と <ve> の綴字が密接に関連づけられるようになった.<e> そのものは無音であり,あくまで寄生字母である.

 (2) 先述のように,中英語期と初期近代英語期を通じて,<u> と <v> の文字としての分化は明瞭ではなかった.だが,母音字としての <u>,子音字としての <v> という役割分担が明確にできていなかった時代でも,不便はあったようである.例えば,完全に未分化の状況であれば,lovelow はともに <lou> という綴字に合一してしまうだろう.そこで,とりあえずの便法として,子音 [v] を示すのに,無音の <e> を添えて <-ue> とした.3つの母音が続くことは少ないため,<loue> と綴られれば,中間の <u> は子音を表わすはずだという理屈になる.ここでも <e> そのものは無音であり,直前の <u> が子音字であることを示す役割を担っているにすぎない.やがて,子音字としての <v> が一般化すると,この位置の <u> そのまま <v> へと転字された.<v> が子音字として確立したのであれば <e> のサポートとしての役割は不要となるが,この <e> は惰性により現在まで残っている.

 かくして,語尾の [v] は <-ve> として綴られる習慣が確立した.<-v> 単体で終わる語は,Asimov, eruv, guv, lav, Slav など,俗語・略語,スラヴ語などからの借用語に限定され,一般的な英語正書法においては浮いている.
 Noah Webster や,Cut Speling の主唱者 Christopher Upward などは,give を <giv> として綴ることを提案したが,これは共時的には合理的だろう.一方で,上記のように歴史的な背景に目を向けることも重要である.

 ・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.

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2014-02-20 Thu

#1760. 時間とともに深まってきた英語の正書法 [spelling][orthography][alphabet][spelling_pronunciation_gap][spelling_reform][pde_characteristic]

 表音的な文字体系の正書法や綴字が,時間とともに理想的な音との対応関係を崩していかざるをえない事情について,「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]) で話題にした.原則的に表音的であるアルファベットのような文字体系において,文字と音とがいかに密接に対応しているかを示すのに,正書法の「浅さ」や「深さ」という表現が使われることがある.この用語使いを英語の正書法に適用すれば,「英語の正書法は時間とともに深くなってきた」と言い換えられる.これに関して,Horobin (34) は次のように述べている.

The degree to which a spelling system mirrors pronunciation is known as the principle of 'alphabetic depth'; a shallow orthography is one with a close relationship between spelling and pronunciation, whereas in a deep orthography the relationship is more indirect. It is a feature of all orthographies that they become increasingly deep over time, that is, as pronunciation changes, so the relationship between speech and writing shifts.


 現代英語の正書法の不規則性については,「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1]) や「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1]) ほか多くの記事で取り上げてきた話題だが,その不規則性を適切に評価するのは案外むずかしい.[2010-09-12-1]の記事でも示唆したように,英単語の type 数でみれば不規則な綴字を示す語は意外と少ないのだが,token 数でいえば,日常的で高頻度の語に不規則なものが多いために,英語の正書法が全体として不規則に見えてしまうという事情がある.英語の正書法は一般には「深い」とみなされているが,Crystal (72) は,この深さは見かけ上のものであるとして,現状を擁護する立場だ.

There are only about 400 everyday words in English whose spelling is wholly irregular --- that is, there are relatively few irregular word types . . . . The trouble is that many of these words are among the most frequently used words in the language; they are thus constantly before our eyes as word tokens. As a result, English spelling gives the impression of being more irregular than it really is. (Crystal 72)


 確かに日常的な高頻度語が不規則であるというのは "trouble" ではあるが,一方,この少数の不規則な綴字さえ早期に習得してしまえば,問題の大半を克服することにもなるわけであり,ポジティヴに考えることもできる.どんな正書法も時間とともに深まってゆくのが宿命であるとすれば,綴字改革の議論も,少なくともこの宿命を前提の上でなされるべきだろう.

 ・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.

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2013-03-18 Mon

#1421. Johnson の言語観 [johnson][standardisation][spelling][spelling_reform][language_change][prescriptive_grammar][popular_passage]

 昨日の記事で「#1420. Johnson's Dictionary の特徴と概要」 ([2013-03-17-1]) を紹介した.Samuel Johnson (1709--84) は,英語辞書史上のみならず英語史上でも重要な人物である.理性の時代 (the Age of Reason) の18世紀,規範主義の嵐の吹きすさぶ18世紀をひた走りながらも,穏健な慣用主義の伝統に立ち,英語の書き言葉,とりわけ綴字にある種の標準化をもたらすことに成功した.時代が時代だったので,Johnson も多分に独断的な規範観や理性主義をのぞかせるところはあったが,歴史的にみれば穏健,寛容,常識,バランスといった美徳を持ち合わせた文人だった.
 以下では,The Plan of a Dictionary of the English Language (1747) 及び "The Preface to A Dictionary of the English Language" (1755) からの引用により,Dr Johnson の言語観の一端をのぞいてみたい.引用のページ数は,Crystal の選集による.
 Johnson は,2世紀半にわたる英語の綴字標準化の流れに事実上の終止符を打った人物とみてよいが,ここで彼が採用した方針は現実主義的な慣用重視の路線だった([2013-03-04-1]の記事「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」の (2) を参照).次の一節がその態度を雄弁に物語っている.

When a question of orthography is dubious, that practice has, in my opinion, a claim to preference, which preserves the greatest number of radical letters, or seems most to comply with the general custom of our language. But the chief rule which I propose to follow, is to make no innovation, without a reason sufficient to balance the inconvenience of change; and such reasons I do not expect often to find. All change is of itself an evil, which ought not to be hazarded but for evidence advantage; and as inconstancy is in every case a mark of weakness, it will add nothing to the reputation of our tongue. ("Plan" 7)


 急進的な綴字改革の不可能を悟っており,すでに達観しているかのようだ.Johnson は,本質的に言語は自然の理性に従うものというよりは,人間の慣用の産物であると考えている.次の引用では,Quintilian を引き合いに出して,anomalist の立場を明らかにしている([2012-12-03-1]の記事「#1316. analogist and anomalist controversy (2)」を参照).

To our language may be with great justness applied the observation of Quintilian, that speech was not formed by an analogy sent from heaven. It did not descend to us in a state of uniformity and perfection, but was produced by necessity and enlarged by accident, and is therefore composed of dissimilar parts, thrown together by negligence, by affectation, by learning, or by ignorance. ("Plan" 11)


 Johnson が,"Plan" (1747) と "Preface" (1755) までの間に,言語を固定することの不可能を悟ったことはよく知られている.辞書の作業を通じて,より穏健な慣用主義へ傾斜していったのである.次の文章は,Johnson の言語変化観をよく示す箇所として,しばしば文献に引用されている.

Those who have been persuaded to think well of my design, require that it should fix our language, and put a stop to those alterations which time and chance have hitherto been suffered to make in it without oppositions. With this consequence I will confess that I flattered myself for a while; but now begin to fear that I have indulged expectation which neither reason nor experience can justify. When we see men grow old and die at a certain time one after another, from century to century, we laugh at the elixir that promises to prolong life to a thousand years; and with equal justice may the lexicographer be derided, who being able to produce no example of a nation that has preserved their words and phrases from mutability, shall imagine that his dictionary can embalm his language, and secure it from corruption and decay, that it is in his power to change sublunary nature, and clear the world at once from folly, vanity, and affectation. ("Preface" 37--38)


 穏健な慣用主義というよりは,言語の固定化という時代の理想に対する悲壮な諦念に近いところがある.

If the changes that we fear be thus irresistible, what remains but to acquiesce with silence, as in the other insurmountable distresses of humanity? it remains that we retard what we cannot repel, that we palliate what we cannot cure. Life may be lengthened by care, though death cannot be ultimately defeated: tongues, like governments, have a natural tendency to degeneration; we have long preserved our constitution, let us make some struggles for our language. ("Preface" 40)


 ルネサンス期の人文主義者たちの言語に純粋性を見いだし,そこに理性を加えることによって,移ろいやすい英語を固定化したいという希望は,きわめて18世紀的である.Johnson にも現われているこの言語観あるいは言語変化観は,19世紀に比較言語学が興るとともに,また異なった視点で置き換えられてゆくようになる.
 Johnson は,英語史のみならず言語学史上の1点をも占める人物だった.

 ・ Johnson, Samuel. A Dictionary of the English Language: An Anthology. Selected, Edited and with an Introduction by David Crystal. London: Penguin, 2005.

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2013-03-04 Mon

#1407. 初期近代英語期の3つの問題 [emode][renaissance][popular_passage][orthoepy][orthography][spelling_reform][standardisation][mulcaster][loan_word][latin][inkhorn_term][lexicology][hart]

 初期近代英語期,特に16世紀には英語を巡る大きな問題が3つあった.Baugh and Cable (203) の表現を借りれば,"(1) recognition in the fields where Latin had for centuries been supreme, (2) the establishment of a more uniform orthography, and (3) the enrichment of the vocabulary so that it would be adequate to meet the demands that would be made upon it in its wiser use" である.
 (1) 16世紀は,vernacular である英語が,従来ラテン語の占めていた領分へと,その機能と価値を広げていった過程である.世紀半ばまでは,Sir Thomas Elyot (c1490--1546), Roger Ascham (1515?--68), Thomas Wilson (1525?--81) , George Puttenham (1530?--90) に代表される英語の書き手たちは,英語で書くことについてやや "apologetic" だったが,世紀後半になるとそのような詫びも目立たなくなってくる.英語への信頼は,特に Richard Mulcaster (1530?--1611) の "I love Rome, but London better, I favor Italie, but England more, I honor the Latin, but I worship the English." に要約されている.
 (2) 綴字標準化の動きは,Sir John Cheke (1514--57), Sir Thomas Smith (1513--77; De Recta et Emendata Linguae Anglicae Scriptione Dialogus [1568]), John Hart (d. 1574; An Orthographie [1569]), William Bullokar (fl. 1586; Book at Large [1582], Bref Grammar for English [1586]) などによる急進的な表音主義的な諸提案を経由して,Richard Mulcaster (The First Part of the Elementarie [1582]), E. Coot (English Schoole-master [1596]), P. Gr. (Paulo Graves?; Grammatica Anglicana [1594]) などによる穏健な慣用路線へと向かい,これが主として次の世紀に印刷家の支持を受けて定着した.
 (3) 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1]),「#576. inkhorn term と英語辞書」 ([2010-11-24-1]),「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1]) などの記事で繰り返し述べてきたように,16世紀は主としてラテン語からおびただしい数の借用語が流入した.ルネサンス期の文人たちの多くが,Sir Thomas Elyot のいうように "augment our Englysshe tongue" を目指したのである.
 vernacular としての初期近代英語の抱えた上記3つの問題の背景には,中世から近代への急激な社会変化があった.再び Baugh and Cable (200) を参照すれば,その要因は5つあった.

 1. the printing press
 2. the rapid spread of popular education
 3. the increased communication and means of communication
 4. the growth of specialized knowledge
 5. the emergence of various forms of self-consciousness about language

 まさに,文明開化の音がするようだ.[2012-03-29-1]の記事「#1067. 初期近代英語と現代日本語の語彙借用」も参照.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.

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2013-02-12 Tue

#1387. 語源的綴字の採用は17世紀 [orthoepy][orthography][spelling_reform][standardisation][mulcaster][etymological_respelling][spelling_pronunciation][hart]

 16世紀後半から17世紀半ばにかけて,正音学者や教師による英語綴字改革の運動が起こった.この辺りの事情は「#441. Richard Mulcaster」 ([2010-07-12-1]) で略述したが,かいつまんでいえば John Cheke (1514--57),Thomas Smith (1513--77), John Hart (d. 1574), William Bullokar (1530?--1590?) などの理論家たちが表音主義の名のもとに急進的な改革を目指したのに対し,教育者 Richard Mulcaster (1530?--1611) は既存の綴字体系を最大限に利用する穏健な改革を目指した.
 結果的に,その後の綴字標準化の路線は,Mulcaster のような穏健な改革に沿ったものとなったことが知られている.しかし,Mulcaster がどの程度直接的にその後の路線に影響を与えたのか,その歴史的評価は明確には下されていない.その後 Francis Bacon (1561--1626) や Dr Johnson (1709--84) によって継承されることになる穏健路線の雰囲気作りに貢献したということは言えるだろうが,現在私たちの用いている標準綴字との関係はどこまで直接的なのか.
 この評価の問題について指摘しておくべきことは,Mulcaster は,ラテン語やギリシア語に基づく etymological respelling の文字挿入などを行なっていないことである.Brengelman (351--52) から引用する.

Mulcaster omits d in advance, advantage, adventure, the c in victual, indict, and verdict, the g in impregnable and sovereignty, the n in convent, b in doubt and debt, h in hemorrhoids, l in realm, h in rhyme; he does not use th, ph, and ch in Greek words such as authentic, blaspheme, and choleric. Base-final t becomes c before certain suffixes---impacient, practiocioner, substanciall---and in general Mulcaster's spelling reflects the current pronunciation of words of Latin origin and in part their French spelling.


 引用最後にある同時代フランス語の慣習的綴字に準拠するという傾向は,約1世紀前の Caxton と比べても大きな違いはないことになる.Caxton から当時のフランス語的な綴字を数例挙げれば,actour; adjoust, adourer; adresse, emense; admiracion, commocyon, conionccion; publique, poloticque などがある (Brengelman 352) .
 現代標準綴字にみられる etymological respelling に関していえば,それは主として Mulcaster の後の時代,17世紀の正書法学者の手によって確立されたと考えてよい.Brengelman (352) は,17世紀の etymological respelling 採用の様子を,Eberhard Buchmann の博士論文 (Der Einfluß des Schriftbildes auf die Aussprache im Neuenglischen. Univ. of Berlin diss., 1940) を参照して要約している.

From the list of words Eberhard Buchmann assembled to show the influence of the written language on modern spoken English we can see some of the general rules seventeenth-century scholars followed in restoring Latin spellings: c is restored in arctic, -dict (indict), -duct (conduct), -fect (perfect); a is replaced by ad- (administer, advance, adventure); h is restored in habit, harmony, heir, heresy, hymn, hermit); l is restored in alms, adultery. Other letters lost in French are restored: p (-rupt) (corpse), r (endorse), s (baptism), n (convent), g (cognizance). Greek spellings (following Latin conventions) are also restored: ph in diphthong, naphtha; ch in schedule, schism; th in amethyst, anthem, author, lethargy, Bartholomew, Thomas, Theobald, to cite a few. Buchmann's investigation shows that most of these changes had been generally adopted by the beginning of the eighteenth century; modern pronunciation has adjusted itself to the spelling, not the reverse.


 ・ Brengelman, F. H. "Orthoepists, Printers, and the Rationalization of English Spelling." JEGP 79 (1980): 332--54.

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2012-11-28 Wed

#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か [spelling][standardisation][me_dialect][writing][medium][spelling_reform][academy][johnson]

 中英語の綴字の奔放さとその後世への負の影響については,##53,219,193,562を始めとする記事でいろいろと扱ってきた.現代英語学習者にとって,[2009-06-20-1]の記事「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」でみた異綴りは,嫌気という以上に,狂気を思わせ,同時に驚嘆の念をも催すだろう.綴字というものも,現代のように管理下に置かれていないかぎり,際限なく方言化してゆくのだということを示す好例である.だが,実際に中英語のテキストを読んでいると,異綴りというものに少しずつ慣れてゆくのも事実で,標準がなくとも書き言葉は何とかなるものだという感覚にもなってくる.方言を聞いているうちに耳が慣れてくるのと同じで,異綴りはいわば目で見る方言であるから,目が慣れればそれはそれで案外と機能するのだ.
 とはいっても,不便は大きい.例えば,中英語のテキストを読む現代人は,辞書である語を引くのに,登録されている綴字の当たりをつけてから引かなければならない.テキストに現われる綴字のままで辞書に登録されている保証はないからである.何度も試行錯誤し,結局,登録されていないのだと諦めることもしばしばである.ここには,辞書使用者は標準綴字を求めているにもかかわらず,実際の綴字には標準形がないという涙ぐましい問題がある.
 綴字の標準化が望ましい理由,必要とされる理由は,現代人の都合以外にもある.Schmitt and Marsden (156--57) は3点を挙げている.

 (1) 書き言葉は,時間と空間を越えて無数の相手に情報を伝えるための手段である.この手段を最大限に用いようとすれば,高度な一貫性と普遍性が要求されるはずである.
 (2) 書き言葉には,話し言葉に備わっている身振りや抑揚などの情報伝達に関わる多くの手段が欠けている.したがって,書き言葉において明晰さを確保するためには,語,文法,綴字などの正確さが要求される.
 (3) 書き言葉は,話し言葉とは異なり,意図的な教育により獲得されるものである.教育のために,一貫した綴字体系を定めることは重要である.

 (1) と (2) については writing medium の各記事を参照.興味深いのは,(1) と (3) は綴字の標準化が必要である理由であると同時に,綴字改革が試みられる理由でもあり,またそれがほぼ常に失敗する理由ともなっていることだ(spelling_reform) の各記事を参照).ある程度の体系がすでにある場合,それを変えようとすることは一貫性や普遍性に抵触する恐れがあるからだ.
 実際に,綴字の標準化は近代国家の重要な事業であった.例えば,国家が直接に事業に参与するか否かは別として,西欧諸国は例外なくこの事業に精を出した.イタリア,フランス,スペインはそれぞれ1582年,1634年,1713年にアカデミーを作り,標準的な綴字を統制した.ドイツでは1901年に,オランダ語圏では1883年と1947年に,それぞれ政府による統制があった.イギリスでは,Jonathan Swift (1667--1745) が1712年に提案したアカデミー設立こそ実現しなかったが,Johnson の辞書の出版 (1755) を頂点とする辞書編纂活動の努力により,綴字の標準化が完成した.いずれの近代国家も,上記の理由で,綴字の標準化を強く求めたのである.加えて,国家の威信を求めたことも理由の1つだったろう.

 ・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.

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2011-12-14 Wed

#961. 人工言語の抱える問題 [artificial_language][esperanto][spelling_reform]

 国際共通語としての使用を念頭に提案された人工言語の抱える最大の課題は,当然のことながら,国際的に広く認知され,受容されるということだが,19世紀後半以降の状況を眺めてみると,その課題はまったく克服されていないといってよい.その背景には,人工言語にまつわる言語的,社会的,政治的な問題がある.Crystal (357) より,そのいくつかを箇条書きしよう.

 (1) 動機づけ.駆け出しの人工言語であれば,当初の話者数はほぼゼロである.ここから話者数を増やしてゆくにはどうすればよいのか.これは,あらゆる社会改革が直面する問題だろう.エスペラント語の発案者 Zamenhof もこの問題に悩まされ,入門書の最後に "I, the undersigned, promise to learn the international language proposed by Dr Esperanto, if it appears that 10 million people have publicly given the same promise." という約束の宣言を読者に要求するという案を打ち出した.結果としては奏功しなかったようだ.
 (2) アイデンティティ問題.コミュニケーションと並んで,言語の重要な役割の1つに,話者のアイデンティティを標示するという機能がある.話者は,地域方言,社会方言,使用域の差異を利用して常に自己表現をしているのであり,言語のこの機能はことのほか重要だというのが,社会言語学の知見である.一方,人工言語は,[2011-12-12-1]の記事の (4) で示した通り,方言差がなく標準的であることを理想として掲げる.自然言語の果たす重要な機能の1つが,人工言語では奪われてしまうことになる.民族主義の勃興と人工言語熱の冷却が,歴史上18世紀後半と20世紀半ばの2回にわたって,同じタイミングで観察されたことは,注目すべきである.
 (3) 言語的偏狭.提案されてきた人工言語は軒並みヨーロッパの言語を基盤としている.言語的,政治的中立を目指すには,バイアスがかかりすぎているのではないか.人工言語は,世界の言語の多様性を軽視する傾向がある.
 (4) 意味の相違.人工言語の評価としては,音韻,形態,統語の基盤がどの自然言語に置かれているかなど,形に注目が集まりがちだが,意味の相違への関心は少ない.諸言語間で,形態は対応するが意味は異なるために注意を要する false friends ( F "faux amis" ) というものがあるが,人工言語と自然言語の間でも同様の問題が起こりうる.ここでいう意味とは,denotation だけでなく connotation をも含む.例えば,英語の "capitalism" に相当する人工言語の単語について理解される意味は,アメリカ人の場合と,中国人の場合では異なっている可能性がある.
 (5) 反感.多くの人が国際的共通語としての人工言語の趣旨には賛同するものの,人工言語の熱狂的な支持者が抱いている政治的,宗教的信条にある種の危険を感じている.支持団体によっては宗教的な色彩を帯びており,国家当局の弾圧の対象になる場合すらある.1930年代,ドイツやソ連で,エスペラント語話者の弾圧が行なわれた例がある.

 人工言語に限らず国際共通語の議論においては,これまで (4) の意味的な観点は特に軽視されてきたように思う.語の意味は当該言語の文化や歴史と密接に結びついていることを考えると,(2) とも関連してくるだろう.
 人工言語の普及の難しさを論じるに当たっては,綴字改革の難しさの議論を想起せずにいられない.2つの改革運動は性質が異なってはいるが,言語改革として類似した側面も多々ある.[2010-12-24-1]の記事「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」,[2011-01-21-1]の記事「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」を合わせて参照されたい.

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.

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2011-01-22 Sat

#635. 近年の綴字改革論争 (2) [spelling_reform]

 昨日の記事[2011-01-21-1]の続編.綴字改革に対する Crystal の否定的な見解を示す1998年の論文を受けて,自らが Cut Speling ( see [2010-12-20-1] ) なる綴字改革案を提出している Christopher Upward が翌年,同じ English Today 誌上にて反論を繰り広げた.Upward は,1908年創立の The Simplified Spelling Society (現在は The English Spelling Society )の協会誌編集長も務めたことのある人物である.
 綴字改革者当人である Upward にとって,Crystal の「綴字改革は向こう100年は進展しない」との見解は受け入れがたいだろう.Upward は昨日示した Crystal の5点の議論のそれぞれに反論を加えている.昨日の5点に対応させて,反論を要約しよう.

 (1) 教育機関が綴字改革に意欲を示した事例は過去にあるし,公的機関は綴字改革よりも大きな社会制度改革(度量衡や通貨の切り替え)をこれまでにしてきた.
 (2) 改革というものは常に最初は抵抗を伴うものである.しかし,綴字改革の効果は学習者はもとより各業界においても現われるはずであり,結果として得られるメリットを重視すべきである.
 (3) 20世紀後半の綴字改革は,新文字を導入するなどの急進的な改革ではなく,不規則性を減じるという方向での穏健な改革が主流となってきており,その点で緩やかな合意ができてきた.綴字改革者のあいだで意見の一致を形成することは確かに難しいが,時間の問題であると考える.
 (4) 不規則な綴字は大多数の人々を現実に "put off" してきた.英語の綴字を学び損なった人々は "functionally illiterate" とレッテルを貼られているのが現実である (31) .不規則な綴字にもかかわらず世界語になったという議論は,だからといって綴字改革が必要でないという議論にはつながらないはずだ (32) .
 (5) 世界英語の時代において綴字改革が世界に益するということ,"an international opportunity" (33) であることを実際的で積極的な精神でもって説いてゆけば,綴字改革は国際的にも達成しうる目標である.

 Crystal を「冷ややかな」と表現すれば,Upward は「熱い」.綴字改革の歴史を眺めると,常にその背後に潜んでいるのは,理屈というよりはこの温度差,情熱の差であるような気がしてならない.
 余談だが,英語学のレファレンスとして著名なものに The Cambridge Encyclopedia of the English LanguageThe Oxford Companion to the English Language がある.前者は Crystal が著わしたものであり,後者には Upward が共同編集者の1人として参与しているのがおもしろい.

 ・ Upward, Christopher. "In Defence of Spelling Reform." English Today 57 (1999): 31--34.
 ・ Crystal, David. "Isaac Pitman: The Linguistic Legacy." English Today 55 (1998): 12--19.
 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003.
 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

Referrer (Inside): [2022-04-14-1] [2015-01-13-1]

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2011-01-21 Fri

#634. 近年の綴字改革論争 (1) [spelling_reform][standardisation]

 [2010-12-24-1]の記事で「英語の綴字改革が失敗する理由」を考えた.授業でブレストもして様々な原因が提示されたのを見たが,その上で前世紀末に English Today 誌上で繰り広げられた綴字改革論争を読んでみた.論争の発端を作ったのは Crystal の1998年の論文である.前年1997年に,速記法 Phonography を生み出し,綴字改革運動へも並々ならぬ精力をつぎ込んだ Isaac Pitman (1813--97) の没後100年祭が開かれたのを受けて,Crystal が Pitman の業績を評した論文だった.
 論文中で,Crystal は Pitman の綴字改革という言語的大義に対する熱意と精力こそ称賛しているが,綴字改革の運動そのものについては冷ややかな態度を示している.[2010-12-24-1]にも記したが,Crystal は綴字改革失敗の理由として以下の点を挙げている.

 (a) すでに伝統的な正書法を身につけている人は新しい正書法に順応しにくい
 (b) 表音式綴字を推し進める場合,どの英語変種の発音を規範として採用するかという選択の問題が生じる
 (c) 新旧綴字の差によって過去との "communication barrier" が生じる ( see [2009-05-13-1] )
 (d) 各改革者は自らの改革案を至上のものと考えるため,改革者間に妥協や一致が見られない

 一方,問題の論文中では5点が挙げられており,そのうち上記の箇条書きと2点は重複するが,3点は異なっている.その5点を以下に引用する.

 (1) "the lack of any official body capable of acting as a clearing-house for linguistic ideas" (14)
 (2) ≒ (a) "the 'immense dead weight of vested interest opposition' from those who have already mastered the traditional system, and who publish in it" (14)
 (3) ≒ (d) "'the great diversity of projects for improving our spelling which are put forward by reformers, who have never agreed on any single scheme'" (14)
 (4) "this remarkable growth [of English in the past century] has taken place despite the existence of the irregular spelling system. . . . It has not put people off. . . . but the learners learn on regardless." (17)
 (5) "the growth of the language in fact militates against any spelling reform becoming successful. The more international any language becomes, the more difficult it is to achieve agreement about matters of usage . . . [T]he language has become so international that any attempt to control its use would require unprecedented levels of cooperation." (17)

 (1)--(3) は,実際には Pitman の伝記 The Life of Sir Isaac Pitman を著わした Baker が pp. 210--11 で触れている理由ということだが,(4)--(5) は Crystal 自身のものである.
 Crystal の英語観は時に現状容認主義と批判されることがあるが,批判者は例えば (4) のような点を取り上げてそのように評するのだろう.(4) は,不規則な綴字にもかかわらず英語は現に世界語になったではないか,という議論である.
 興味深いのは,Crystal が英語の標準化の歴史のなかに綴字改革を位置づけているくだりである.英語の語彙は18世紀半ばに Dr Johnson の辞書をもってある程度の秩序がもたらされた.次に規範英文法が Robert Lowth や Lindley Murray によっておよそ同時期に確立された.発音についても,ほぼ同時期に John Walker の発音辞書が著わされ,ある程度の標準化が達成された.では,次は正書法 ( orthography ) ,と来るのが自然である.これが Pitman の生きた19世紀の綴字改革が置かれた歴史的文脈だったと,Crystal はいう (15) .しかし,19世紀末には英語の世界語への路線はすでに見えていた.綴字改革をよそに,英語は着実に世界へと拡大していたのである.結果として,世界語としてより学びやすくするために綴字改革を進めようという19世紀後半から現われた大義は,現実によって裏をかかれたともいえる.
 しかし,この Crystal の綴字改革への冷ややかな視線は,自ら Cut Speling なる綴字改革案を提出している Upward による反論を誘うことになった.その趣旨は明日の記事で.

 ・ Crystal, David. "Isaac Pitman: The Linguistic Legacy." English Today 55 (1998): 12--19.
 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003. 276--77.
 ・ Upward, Christopher. "In Defence of Spelling Reform." English Today 57 (1999): 31--34.

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