hellog〜英語史ブログ

#2087. 綴字改革への心理的抵抗[spelling_reform][language_planning][orthography][orthoepy]

2015-01-13

 英語史では,とりわけ初期近代英語期より数多くの綴字改革が旗揚げされてきた.16世紀後半に限っても,「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]) でみたように様々な個性が表音主義あるいは伝統主義の名のもとで正書法 (orthography) と正音法 (orthoepy) を論じ,綴字改革案を提起した.そこでは Hart や Bullokar などの急進派は最終的に破れ,いかほどかでも構成に影響があったと評価されうるのは Mulcaster などの穏健派だった.同様に,後期近代英語期でも「#602. 19世紀以降の英語の綴字改革の類型」 ([2010-12-20-1]),「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」 ([2011-01-21-1]),「#635. 近年の綴字改革論争 (2)」 ([2011-01-22-1]),「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]) でみたように数々の改革が立ち上がったなかで,部分的に成功したといえるものは穏健な改革である.
 一般に綴字改革が成功しにくい理由は「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」 ([2010-12-24-1]) で考察した通りだが,とりわけ急進的な改革がほとんどいつも失敗に終わる理由を改めて考えてみると,すでに伝統的な綴字体系と正書法を身につけている者にとって,それと表面的にあまりに異なる綴字は,心理的に受け入れがたいものだからではないか.この際,綴字改革の理論や大義が問題になるというよりは,見栄えが異なっていることに対するある種の本能的な抵抗感が問題となるのではないか.例えば,従来の <the> を <dhe> と綴りなおす改革にあっては,紙面の見栄えは大きく変わる.慣れれしまえば問題ないというのは確かにそうだろうが,綴字改革にとっても最も重要な問題は,慣れてしまうまでの時間,つまり普及の過程にあるのである.
 ブルシェも,あらゆる綴字改革にとって最大の障壁となるのは,現行の正書法に慣れた人々が抱く心理的抵抗,「人々が異質なものを前にした時の本質的な反応」 (213)であると示唆する.では,その本能的ともいえる抵抗感はどこから生じるのだろうか.ブルシェ (203--04) 曰く,

疑いもなく、一つの正書法は一つの慣習を意味している。しかし、それだけではない。正書法は何世紀にも渡って徐々に形成されてきた多数の書記法の蓄積を要約するものであり、一つの言語共同体に固有のものである。正書法は話者にとって文化と伝統そのものである。〔こ〕こで「規則化英語」がスウェーデン人の考案したものであることを思い出してもらいたい。彼は今日国際語とみなされている英語のために、自分の提唱する書記体系の利点を余すところなく書き出した。しかし、その見方、感性、反応の仕方は生粋の英語圏の人間のものとは異なっていたのだ。/そのため、計画に関わる方式の性格が「良識的」だからといって、話者の賛同が確実に得られ〔た〕わけではなかった。ヴァイクは現実に即したやり方で慎重に事を運んだにも関わらず、独り(もしくはほぼ独り)で一方的に、新しい約束ごと (contrat) を創っているような印象を多少なりともあたえている。何百万人もの人間の運命を問題にしているだけに、その影響は大きい。彼は、自分の改革の様々な面が人々に受け入れられるかどうかを前もって測ろうとはしなかった。


 近代以後の改革者の多くもこの障壁の大きさに気づいていないわけではなかった.しかし,それもやはり程度の問題であって,自らの推し進める綴字改革の理論と大義――それはしばしば表音主義や語源主義と呼ばれるものだが――に比してこの障壁の重要性を低く見積もっていたには違いない.綴字改革を適用し普及させる段になれば必ずついて回る人々の心理的抵抗を,結局のところ,改革者の多くは見くびっていたということだろう.過去にも未来にも,綴字改革には,果てしなく厳しい条件が課せられている.
 もう1節,ブルシェ (183) から引用して終えよう.

従って、一種の融通のきかない記号変換、つまりは簡略すぎる記号変換に展望を限定しないことが肝要である。それがこの分野(制度的側面)で影響力を持った人々の同意を得られるような方式を創る道であり、伝播に貢献でき、またある書記体系を受け入れさせることに貢献できる道である。これらの修正は中庸を維持すべきであり、大衆や特に教育者の気持ちを損ねたり落胆させたりするものであってはならない。さらに、その修正は効果も大きく、一貫性がなくてはならない。というのも、もしそれが局部的な改善で支配的な原則も全体の方針もなければ、研究者はもちろんのこと、一般人にも拒絶されてしまうであろうから。


 ・ ジョルジュ・ブルシェ(著),米倉 綽・内田 茂・高岡 優希(訳) 『英語の正書法――その歴史と現状』 荒竹出版,1999年.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow