hellog〜英語史ブログ

#961. 人工言語の抱える問題[artificial_language][esperanto][spelling_reform]

2011-12-14

 国際共通語としての使用を念頭に提案された人工言語の抱える最大の課題は,当然のことながら,国際的に広く認知され,受容されるということだが,19世紀後半以降の状況を眺めてみると,その課題はまったく克服されていないといってよい.その背景には,人工言語にまつわる言語的,社会的,政治的な問題がある.Crystal (357) より,そのいくつかを箇条書きしよう.

 (1) 動機づけ.駆け出しの人工言語であれば,当初の話者数はほぼゼロである.ここから話者数を増やしてゆくにはどうすればよいのか.これは,あらゆる社会改革が直面する問題だろう.エスペラント語の発案者 Zamenhof もこの問題に悩まされ,入門書の最後に "I, the undersigned, promise to learn the international language proposed by Dr Esperanto, if it appears that 10 million people have publicly given the same promise." という約束の宣言を読者に要求するという案を打ち出した.結果としては奏功しなかったようだ.
 (2) アイデンティティ問題.コミュニケーションと並んで,言語の重要な役割の1つに,話者のアイデンティティを標示するという機能がある.話者は,地域方言,社会方言,使用域の差異を利用して常に自己表現をしているのであり,言語のこの機能はことのほか重要だというのが,社会言語学の知見である.一方,人工言語は,[2011-12-12-1]の記事の (4) で示した通り,方言差がなく標準的であることを理想として掲げる.自然言語の果たす重要な機能の1つが,人工言語では奪われてしまうことになる.民族主義の勃興と人工言語熱の冷却が,歴史上18世紀後半と20世紀半ばの2回にわたって,同じタイミングで観察されたことは,注目すべきである.
 (3) 言語的偏狭.提案されてきた人工言語は軒並みヨーロッパの言語を基盤としている.言語的,政治的中立を目指すには,バイアスがかかりすぎているのではないか.人工言語は,世界の言語の多様性を軽視する傾向がある.
 (4) 意味の相違.人工言語の評価としては,音韻,形態,統語の基盤がどの自然言語に置かれているかなど,形に注目が集まりがちだが,意味の相違への関心は少ない.諸言語間で,形態は対応するが意味は異なるために注意を要する false friends ( F "faux amis" ) というものがあるが,人工言語と自然言語の間でも同様の問題が起こりうる.ここでいう意味とは,denotation だけでなく connotation をも含む.例えば,英語の "capitalism" に相当する人工言語の単語について理解される意味は,アメリカ人の場合と,中国人の場合では異なっている可能性がある.
 (5) 反感.多くの人が国際的共通語としての人工言語の趣旨には賛同するものの,人工言語の熱狂的な支持者が抱いている政治的,宗教的信条にある種の危険を感じている.支持団体によっては宗教的な色彩を帯びており,国家当局の弾圧の対象になる場合すらある.1930年代,ドイツやソ連で,エスペラント語話者の弾圧が行なわれた例がある.

 人工言語に限らず国際共通語の議論においては,これまで (4) の意味的な観点は特に軽視されてきたように思う.語の意味は当該言語の文化や歴史と密接に結びついていることを考えると,(2) とも関連してくるだろう.
 人工言語の普及の難しさを論じるに当たっては,綴字改革の難しさの議論を想起せずにいられない.2つの改革運動は性質が異なってはいるが,言語改革として類似した側面も多々ある.[2010-12-24-1]の記事「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」,[2011-01-21-1]の記事「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」を合わせて参照されたい.

 ・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1997. 199--205.

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