(後記 2021/04/29(Thu):本記事は「素朴な疑問」を扱った記事のなかでもとりわけ多く参照されているようです.これ自体はとても嬉しいことです.ただ,本記事の説明は「教科書的な回答」ではあるものの,筆者としては不十分な回答にとどまると考えています.むしろ,この回答の問題点を指摘し,続編で本格的に議論してゆくつもりで本記事を書いたという経緯があります.ですので,ぜひ続編の3記事も合わせて読んでいただければと思います.誤解を恐れずに言えば,本記事の「教科書的な回答」では不十分です.)
取り上げる例が「新橋」かどうかは別にしても,「ん」がローマ字で m と綴られる問題はよく話題にのぼります.
JR山手線の新橋駅の駅名表記は確かに Shimbashi となっています.日本語の表記としては「しんばし」のように「ん」であっても,英語表記(正確にいえば,JRが採用しているとおぼしきヘボン式ローマ字表記に近い表記)においては n ではなく m となります.これはいったいなぜでしょうか.この問題は,実は英語史の観点からも迫ることのできる非常にディープな話題なのですが,今回は教科書的な回答を施しておきましょう.
まず,基本的な点ですが,ヘボン式ローマ字表記では「ん」の発音(撥音と呼ばれる音)は,b, m, p の前位置においては n ではなく m と表記することになっています.したがって,「難波」(なんば)は Namba,「本間」(ほんま)は Homma,「三瓶」(さんぺい)は Sampei となり,それと同様に新橋(しんばし)も Shimbashi となるわけです.もちろん,問題はなぜそうなのかということです.
b, m, p の前位置において m と表記される理由を理解するためには,音声学の知識が必要です.日本語の撥音「ん」は特殊音素と呼ばれ,日本語音韻論では /ɴ/ と表記されます.理論上1つの音であり,日本語母語話者にとって紛れもなく1つの音として認識されていますが,実際上は数種類の異なる発音で実現されます.「ん」はどのような音声環境に現われるかによって,異なる発音として実現されるのです.
「難波」「本間」「三瓶」の3単語を発音してみると,「ん」の部分はいずれも両唇を閉じた発音となっていることが分かるかと思います.これはマ行子音 m の口構えにほかなりません.日本語母語話者にとっては「ん」として n を発音しているつもりでも,上の場合には実は m を発音しているのです.これは後続する m, b, p 音がいずれも同じ両唇音であるために,その直前に来る「ん」も歯茎音 n ではなく両唇音 m に近づけておくほうが,全体としてスムーズに発音できるからです.発音しやすいように前もって口構えを準備した結果,デフォルトの n から,発音上よりスムーズな m へと調整されているというわけです.
微妙な変化といえば確かにそうですので,日本語表記では,特に発音の調整と連動させずに「ん」の表記のままでやりすごしています(連動させるならば,候補としては「む」辺りの表記となるでしょうか).しかし,このような発音の違いに無頓着ではいられない英語の表記(および,それに近いヘボン式ローマ字表記)にあっては,上記の音声環境においては,n に代えて,より厳密な音声表記である m を用いるわけです.
日本語母語話者にとっては「新宿」(しんじゅく)も「新橋」(しんばし)も同じ「ん」音を含むのだから,同じ「ん」 = n の表記を用いればよいではないかという理屈ですが,英語(やヘボン式ローマ字)では2つの「ん」が実は同じ発音でないという事実を重視して,前者には n の文字を,後者には m の文字を当て,区別して表記するならわしだということです.
ローマ字で書くとはいえ,読者として日本語母語話者を念頭におくのであれば n と表記するほうが分かりやすいのはいうまでもありません.これを実現しているのが訓令式ローマ字です.それによると「新橋」は Sinbasi となります.おそらくJR(を含む鉄道各社)は,想定読者として非日本母語話者(おそらく英語表記であれば理解できるだろうと思われる多くの外国人)を設定し,訓令式ではなくヘボン式(に類似した)ローマ字表記を採用しているのではないかと考えられます.Shimbashi 問題は,日本語と英語にまつわる音声学・音韻論・綴字の問題にとどまらず,国際化を視野に入れた日本の言語政策とも関わりのある問題なのです.
the British Empire は伝統的に「大英帝国」と訳されてきた.同様に the British Museum や the British Library も各々「大英博物館」「大英図書館」と訳されてきた.英語表現には「大」に相当するものはないし,「英」についても本来は English の語頭母音の音訳に由来するものであり,British とは関係しないので,訳語が全体的にずれている感じがする(「#1145. English と England の名称」 ([2012-06-15-1]),「#1436. English と England の名称 (2)」 ([2013-04-02-1]),「#2250. English の語頭母音(字)」 ([2015-06-25-1]),「#3761. ブリテンとブルターニュ」 ([2019-08-14-1]) を参照).
日本語で「イギリス」「英国」と呼びならわしているあの国を指し示す表現が,日本語においても英語においても,歴史にまみれて複雑化していることはよく知られているが,こと日本語の「大」「英」という訳語は,それ自体が特殊な価値観を帯びている.近藤 (6--7) に次のような論評がある.
連合王国について,慣用で「イギリス」「英国」という名が普及している.この起源は一六―一七世紀の東アジア海域で用いられたポルトガル語・オランダ語なまりの「アンゲリア」「エンゲルス」あるいは「エゲレス」であった.アンゲリアには「諳厄利亜」,エゲレスには「英吉利」「英倫」といった漢字が当てられた.一九世紀後半,すなわち幕末・明治になると諳厄利亜や諳国・諳語は用いられなくなり,英吉利・英国・英語が定着した.「諳」や「厄」と対照的に,「英」という漢字は,花,精華,すぐれ者を意味し,英国といった場合,その優秀さが含意されていた.これはたかが漢字表記の問題にすぎないが,しかしまた,一つの価値観の受容でもある.〔中略〕
なお大英帝国,大英博物館といった日本語表記も普及しているが,もとの British Empire, British Museum のどこにも「大」という意味はない.にもかかわらず日本語として定着したのは,イギリス帝国を偉大と考え,「大日本帝国」の模範,あるいは文明の表象として寄り添おうとした,明治・大正・昭和の羨望と事大主義のゆえだろうか.こうしたバイアスのあらわな語は引用する場合にしか使わず,本書では英吉利帝国,英国博物館としよう.
現在,多くの日本人は「大英語」という呼称こそ用いていないが,心理的には英語を「大英語」としてとらえているいるのではないか.味気ないが中立的な日本語の呼称として「イングリッシュ」があってもよいかもしれない.
・ 近藤 和彦 『イギリス史10講』 岩波書店〈岩波新書〉,2013年.
標題の誤解を招きやすい用語群について,[2018-08-29-1]の記事に引き続き,注意喚起を繰り返したい.
前の記事でも参照した野村が,新著『日本語「標準形」の歴史』で改めて丁寧に用語の解説を与えている (14--15) .そこから重要な部分を引用しよう.
一つの言語であっても,書き言葉は話し言葉とは違ったところがあるから,再構にはその辺に注意が必要である.最も重要な注意点は,書き言葉には口語文と文語文があることである.ややこしいが,口語とは話し言葉のことである.文語とは文語体の書き言葉のことである.書き言葉には口頭語に近い口語体の書き言葉もある.これを口語文と言っている.分類すると次のようになる.
┌─ 話し言葉(口語) │ │ ┌─→ 口語体(口語文) └─ 書き言葉 ──┤ └─→ 文語体(文語文)
世の中の言語学書には,重要なところで「口語,文語」という言葉を気楽に対立させて使用しているものがあるが,そのような用語は後で必ず混乱を招く.右の図式で分かるとおり,「口語」と「文語」とは直接には対立しない.また「言と文」という言い方も止めた方がよいだろう.この場合「言」は大体「話し言葉」を指しているようだが,他方の「文」が書き言葉全般を指しているのか,文語(文語体)を指しているのか分からなくなる.「言文一致」という言い方が混乱を招きやすい用語だということは,以上から理解されると思う.もっとも「言文一致」は実際には,「書き言葉口語体」が無いところで「口語体」を創出することと解釈されるから,その意味で用語を使っているなら問題は無い.
図から分かるように,話し言葉は1種類に尽きるが,書き言葉には2種類が区別されるということを理解するのが,この問題のややこしさを解消するためのツボである.これは,書き言葉が話し言葉に従属する媒体 (medium) であることをも強く示唆する点で,重要なツボといえよう.
・ 野村 剛史 『日本語「標準形」の歴史』 講談社,2019年.
和製英語の話題については「#1624. 和製英語の一覧」 ([2013-10-07-1]) を始めとして (waseieigo) の各記事で取り上げてきた.英語史上も「英製羅語」「英製仏語」「英製希語」などが確認されており,「和製英語」は決して日本語のみのローカルな話しではない.ひとかたならぬ語彙借用の歴史をたどってきた言語には,しばしば見られる現象である.
すでに先の記事で和製英語の一覧を示したが,小学館の『英語便利辞典』に別途「注意すべきカタカナ語・和製英語」 (pp. 450--53) と題する該当語一覧があったので,それを再現しておこう.日本語としてもやや古いもの(というよりも死語?)が少なくないような・・・.
アース | (米)ground; (英)earth |
アットマーク | at sign |
アドバルイン | advertising balloon |
アニメ | animation |
アパート | (米)apartment house; (英)block of flats |
アフターサービス | after-sales service |
アルミホイル | tinfoil; aluminum foil |
アンカー | anchor(man/woman) |
アンプ | amplifier |
イージーオーダー | semi-tailored |
イエスマン | yes-man |
イメチェン(イメージチェンジ) | makeover |
イラスト | illustration |
インクエットプリンター | ink-jet printer |
インターホン | intercom |
インフォマーシャル(情報コマーシャル) | info(r)mercial |
インフラ | infrastructure |
ウィンカー | (米)turn signal; (英)indicator |
ウーマンリブ | women's liberation |
エアコン | air conditioner |
エキス | extract |
エネルギッシュな | energetic |
エンゲージリング | engagement ring |
エンジンキー | ignition key |
エンスト | engine stall; engine failure |
エンタメ | entertainment |
オーダーメード | custom-made; tailor-made; made to order |
オートバイ | motorcycle |
オープンカー | convertible |
オールラウンドの(網羅的) | (米)all-around; (英)all-round |
オキシフル | hydrogen peroxide |
送りバント | sacrifice bunt |
ガーター | (米)suspender; (英)garter |
ガードマン | (security) guard |
カーナビ | car navigation system |
(カー)レーサー | racing driver |
ガソリンスタンド | (米)gas station; (英)petrol station |
カタログ | (米)catalog; (英)catalogue |
ガッツボーズ | victory pose |
カメラマン(写真家) | photographer |
カメラマン(映画などの) | cameraman |
カンニング | cheating |
缶ビール | canned beer |
キータッチ | keyboarding |
キーホルダー | key chain; key ring |
キスマーク | hickey; kiss mark |
ギフトカード(ギフト券) | gift certificate |
キャスター(総合司会者) | newscaster |
キャッチボールをする | play catch |
キャッチホン | telephone with call waiting |
クーラー(冷房装置) | air conditioner |
クラクション | (car) horn |
クリスマス (X'mas) | Xmas; Christmas |
ゲームセンター | (米)(penny) arcade; amusement arcade |
コインロッカー | coin-operated locker |
ゴーカート | go-kart |
コークハイ | coke highball |
ゴーグル | goggle |
ゴーサイン | all-clear; green light |
ゴーストップ | traffic signal |
コーヒーsたんど | coffee bar |
コーポラス | condominium |
ゴールデンアワー | prime time |
コールドマーマ | cold wave |
ゴムバンド | rubber band; (英)elastic band |
ゴロ(野球) | grounder |
コンセント | (米)(electrical) outlet; (英)(wall) socket |
コンパ | party; get-together |
コンパニオン(案内係) | escort; guide |
コンビ | combination |
コンビニ | convenience store |
サイダー | soda |
サイドビジネス(アルバイト) | sideline |
サイドミラー | (米)side(view) mirror; (英)wing mirror, door mirror |
サイン(署名) | signature |
サイン(有名人などの) | autograph |
サントラ | sound track |
シーズンオフ | off season |
ジーバン | jeans |
ジェットコースター | roller coaster |
シスアド | system administrator |
システムキッチン | built-in kitchen unit |
シャー(プ)ペン | (米)mechanical pencil; (英)propelling pencil |
ジャージ | jersey |
シュークリーム | cream puff |
シルバー(お年寄り) | senior citizen |
シルバーシート | priority seat |
シンパ(支持者) | sympathizer |
スカッシュ | squash |
スキンシップ | physical contact |
スタンドプレー | grandstand play |
ステッキ | (walking) stick |
ステン(レス) | stainless steel |
ストーブ | heater |
スパイクタイヤ | (米)studded tire; (英)studded tyre |
スピードダウン | slowdown |
スピードメーター | speedometer |
スペルミス | spelling error; misspelling |
スマートな | stylish; dashing |
スリッパ | mules; scuffs |
セーフティーバント | drag bunt |
セクハラ | sexual harassment |
セレブ | celeb(rity) |
セロテープ | adhesive tape; Scotch tape |
ソフト(コンピュータ) | software |
タイプミス | typo; typographical error |
タイムリミット | deadline |
タイムレコーダー | time clock |
タキシード | (米)dinner suit; (英)tuxedo |
タレント | personality; star |
ダンプカー | (米)dump truck; (英)dumper truck |
?????c????? | fastener; 鐚?膠鰹??zipper; 鐚???縁??zip (fastener) |
チョーク(車の) | choke |
テーブルスピーチ | after-dinner speech |
テールランプ | (米)tail light; (英)tail lamp |
デジカメ | digital camera |
デモ(示威運動) | demonstration |
テレホンサービス | telephone information service |
電子レンジ | microwave oven |
ドアボーイ | doorman |
ドクターヘリ | medi-copter |
ドットプリンター | dot matrix printer |
トップバッター | lead-off batter; lead-off man |
トランク(車の) | (米)trunk; (英)boot |
トランプ | (playing) card |
??????????? | 鐚?膠鰹??sweat pants; 鐚???縁??track-suit trousers |
ナイター | night game |
ナンバープレート | (米)license plate; (英)number plate |
ニュースキャスター | anchor(man/woman) |
ニューフェース | newcomer |
ネームBリュー | recognition value |
?????? | negative |
ノースリーブ(の) | sleeveless |
ノート(帳面) | notebook |
ノルマ | quota |
ノンステップバス | kneeling bus |
バイキング | buffet; buffet-style dinner; smorgasbord |
バイク | motorcycle; motorbike |
ハイティーン | late teens |
?????ゃ????? | high tech(nology) |
ハイビジョン | high-definition TV system |
ハウスマヌカン | sales clerk |
バスローブ | (米)bathrobe; (英)dressing gown |
パソコン | personal computer |
バックアップ(支援) | backing; support |
バックネット | backstop |
バックマージン | kickback |
バックミュージック | background music |
バックミラー | rear-view mirror |
バックライト | (米)backup light; (英)reversing light |
バッターボックス | batter's box |
ハッピーエンド | happy ending |
パネラー | panelist |
バリカン | hair clippers |
ハローワーク | (米)employment agency; employment bureau |
パンク | (米)flat tire; (英)puncture |
ハンスト | hunger strike |
パンスト | (米)pantyhose; (英)tights |
ハンドマイク | (米)bullhorn; (英)loudhailer |
ハンドル(車の) | steering wheel |
?????若????? | green pepper |
ピッチ(速度) | pace |
ビニール袋 | plastic bag |
?????? | flyer; flier |
ビル(建物) | building |
フォアボール | base on balls |
プッシュホン | push-button phone; touch-tone phone |
ブラインドタッチ | touch typing |
プラモデル | plastic model |
ブランド物 | brand-name goods |
フリーサイズ | one size fits all |
フリーター | job-hopping part-timer worker |
フリーダイヤル | (米)toll-free; (英)freephone; freefone |
プリン | pudding |
プレイガイド | ticket agency |
ブレーキランプ | brake light |
ブレスレット | bracelet |
プレゼン | presentation |
フレックスタイム | flexible working hours; flextime; flexible time |
??????????? | prefabricated house |
ブロックサイン(野球) | block signal |
プロレス | professional wrestling |
フロント | (米)front desk; (英)reception |
フロントガラス | (米)windsheeld; (英)windscreen |
ペイオフ | deposit insurance cap; deposit payoff |
ベースアップ | (米)(pay) raise; (英)(pay) rise |
ペーパーテスト | written test |
ペーパードライバー | driver in name only; driver on paper only |
ベッドシーン | bedroom scene |
ベッドタウン | bedroom suburb |
ペットボトル | plastic bottle; PET(ピーイーティー)bottle |
ヘッドライト | (米)headlight; (英)headlamp |
ベテラン | expert |
ベビーカー | (米)stroller; (英)pushchair |
ベビーベッド | baby crib |
ヘルスメーター | bathroom scales |
ペンション | resort inn |
ホイールキャップ | hub cap |
ボーイ(ホテルなどの) | page; bellboy; bellhop |
ホーム(駅の) | platform |
ホームドクター | family doctor |
ホームヘルパー | (米)caregiver; (英)carer |
ボールペン | (米)ball-point pen; (英)biro |
?????? | positive |
ホッチキス | stapler |
ボディーチェック | body search |
ホテルマン | hotel employee |
ボンネット | (米)hood; (英)bonnet |
マークシート | computerized answer sheet |
マイカー | owned car; private car |
マグカップ | mug |
マザコン | mother complex |
マジックインキ | marker, marking pen, felt-tip (pen) |
マスコミ | mass communication(s), (mass) media, |
マルチ商法(ねずみ講式) | pyramid selling |
マンション | condominium |
ミシン | sewing machine |
ミスタイプ | type; typographical error |
ミルクティー | tea with milk |
メーター(機器) | (米)(英)とも meter |
メートル(距離) | (米)meter; (英)metre |
メロドラマ | soap opera |
モーニングコール | wake-up call |
モーニングサービス | breakfast special |
ユビキタス | ubiquitous |
ラケット(ピンポンの) | (米)paddle; (英)bat |
ラフな(スタイル) | casual; informal |
リハビリ | rehabilitation |
リビングキッチン | living room with a kitchenette |
リフォームする(家など) | remodel |
リムジンバス | limousine |
リモコン | remote control |
レトルト | retort |
レモンティー | tea with lemon |
ローティーン | early teens |
ワープロ | word processor |
ワイシャツ | (dress) shirt |
ワイドショー | variety program |
ワンボックスカー | van |
ワンマン | autocrat |
ワンルームマンション | studio apartment; one-room apartment |
なぜ英語では兄と弟の区別をせず,ひっくるめて brother というのか.よく問われる素朴な疑問である.文化的な観点から答えれば,日本語社会では年齢の上下は顕点として重要な意義をもっており,人間関係を表わす語彙においてはしばしば形式の異なる語彙素が用意されているが,英語社会においては年齢の上下は相対的にさほど重要とされないために,1語にひっくるめているのだ,と説明できる.日本語でも上下が特に重要でない文脈では「兄弟」といって済ませることができるし,逆に英語でも上下の区別が必要とあらば elder brother や younger brother ということができる.しかし,デフォルトとしては,英語では brother,日本語では兄・弟という語彙素をそれぞれ用いる.
よく考えてみると,brother 問題にかぎらず,大多数の日英語の単語について,きれいな1対1の関係はみられない.一見対応するようにみえる互いの単語の意味を詳しく比べてみると,たいてい何らかのズレがあるものである.そうでなければ,英和辞典も和英辞典も不要なはずだ.単なる単語の対応リストがあれば十分ということになるからだ.
安藤・澤田 (237--38) が,以下のような例を引いている.
上段の brother, rice, give のように,英語のほうが粗い区分で,日本語のほうが細かい例もあれば,逆に下段のように英語のほうが細かく,日本語のほうが粗い例もある.その点ではお互い様である.日英語の比較にかぎらず,どの2言語を比べてみても似たようなものだろう.多くの場合,意味上の精粗に文化的な要因が関わっているという可能性はあるにしても,それ以前に,言語とはそのようなものであると理解しておくのが妥当である.この種の比較対照の議論にいちいち過剰に反応していては身が持たないというくらい,日常茶飯の現象である.
関連する日英語の興味深い事例として「#1868. 英語の様々な「群れ」」 ([2014-06-08-1]),「#1894. 英語の様々な「群れ」,日本語の様々な「雨」」 ([2014-07-04-1]) や,諸言語より「#2711. 文化と言語の関係に関するおもしろい例をいくつか」 ([2016-09-28-1]) の事例も参照.一方,このような事例は,しばしばサピア=ウォーフの仮説 (sapir-whorf_hypothesis) を巡る議論のなかで持ち出されるが,「#1337. 「一単語文化論に要注意」」 ([2012-12-24-1]) という警鐘があることも忘れないでおきたい.
・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.
昨日の記事「#3767. 日本の帝国主義,アイヌ,拓殖博覧会」 ([2019-08-20-1]) に引き続き,金田一京助の言語観について.金田一は,日本語表記のローマ字化の運動には与していなかった.ヘボン式か日本式かという論争にも首を突っ込まなかったようだ.同郷の歌人で『ローマ字日記』を書いた石川啄木が関心を寄せた社会主義にはぞっとしなかったと回想しているが(安田,p. 176--77),ローマ字化と社会主義化を関連づけて考えていた節がある.アイヌ語をローマ字やカタカナで書き取っていた金田一にとって,日本語をそれと同一にしたくないという思いがあったのかもしれない.
安田 (177) は,金田一のローマ字観や仮名観,およびその裏返しとしての漢字観について,次のように引用し,説明している.
「方言は保存すべきか」(一九四八)で,「今後世の中が表音式仮名遣となつて行き,またローマ字書きとなつて行つて,方言がそのまゝ書き出されたら,日本の言語がどういふことになるであらうか」とも述べている.発音をそのままに書くようにすると,そこにもたらされるのは混乱と分裂でしかない,という認識をとりだすことができる.社会主義のイメージとも連動しているのではないだろうか.漢字は金田一にとっては「圧制」というよりも多様な音をみえなくさせる,「抑制」の手段だったのかもしれない」
古今東西の言語の歴史において,いかなる権力をもってしても,人々の話し言葉の多様性を完全に抑え込むことができたためしはない.しかし,書き言葉において,そのような話し言葉の多様性を形式上みえなくさせることはできる.実際,文字をもつ近代社会の多くでは,書き言葉の標準化の名のもとに,まさにそのことを行なってきたのである.その際に,表語文字を用いたほうが,発音上の多様性をみえなくさせやすいことはいうまでもない.表音文字は,その定義通り発音をストレートに表わしてしまうために,発音上の多様性を覆い隠すことが難しい.一般的にいえば,表語文字と表音文字とでは,前者のほうが標準化に向いているということかもしれない.多様性を抑制する手段としての表語文字,というとらえ方は的を射ていると思う.
上に述べられている「発音をそのままに書くようにすると,そこにもたらされるのは混乱と分裂でしかない,という認識」は,私たちにも共感しやすいのではないだろうか.しかし,英語史をみれば,中英語期がまさにそのような混乱と分裂の時代だったのである.ただ,その後期にかけては標準的な綴字が発達していくことになる.「#929. 中英語後期,イングランド中部方言が標準語の基盤となった理由」 ([2011-11-12-1]),「#1311. 綴字の標準化はなぜ必要か」 ([2012-11-28-1]),「#1450. 中英語の綴字の多様性はやはり不便である」 ([2013-04-16-1]) をはじめ me_dialect の各記事を参照.
・ 安田 敏朗 『金田一京助と日本語の近代』 平凡社〈平凡社新書〉,2008年.
沖森(編著)『日本語史概説』の4章「語彙史」に,日本語のルーツの問題に踏み込んだ「日本語語彙の層」に関する話題が提供されている.安本美典と大野晋の各々による「基礎語彙四階層」の説が紹介されており,表の形式でまとめられているので,そちらを掲げよう.
┌───┬────────────────┬──────┐ │ │ 安本美典 │ 大野 晋 │ ├───┼────────────────┼──────┤ │第一層│古極東アジア語の層 │タミル語 │ │ │ │ │ │ │(朝鮮語・アイヌ語・日本語) │(南まわり)│ │ │ │ │ │ │文法的・音韻的骨格 │縄文時代 │ ├───┼────────────────┼──────┤ │第二層│インドネシア・カンボジア語の層 │タミル語 │ │ │ │ │ │ │(基礎語彙) │(北回り) │ ├───┼────────────────┼──────┤ │第三層│ビルマ系江南語の層 │ │ │ │ │ │ │ │(身体語・数詞・代名詞・植物名)│漢語の層 │ │ │ │ │ │ │列島語の統一 │ │ ├───┼────────────────┤ │ │第四層│中国語の層 │ │ │ │ ├………………┤ │ │(文化的語彙) │印欧語の層 │ └───┴────────────────┴──────┘
昨日の記事「#3719. 日本語は開音節言語,英語は閉音節言語」 ([2019-07-03-1]) でみたように,音節タイプという観点からみると,日本語と英語は対照的な言語です.英語は子音で終わる閉音節 (closed syllable) を示す語が多数ありますが,日本語では稀です.そのため,閉音節をもつ英単語を日本語に受容するに当たって,閉音節に何らかの調整を加えて開音節 (open syllable) へと変換するのが好都合です.とりわけ語末音節は開音節に変換したいところです.そのような調整のうち最も簡単な方法の1つは,音節末子音に母音を加えることです.これで原語の閉音節は,たいてい日本語の自然な音節タイプに組み入れることができるようになります.
標題の例で考えてみましょう.英語の make /meɪk/ は子音 /k/ で終わる閉音節の語です.これを日本語に組み入れるには,この /k/ のあとに母音を1つ添えてあげればよいのです.具体的には /u/ を加えて「メイク」 /meiku/ とします.結果として /mei.ku/ と2音節(3モーラ)となりますが,語末音節は無事に開音節となりました.
問題は,なぜ挿入される母音が /u/ であるかという点です.map (マップ), lobe (ローブ), dog (ドッグ), tough (タフ), love (ラブ), rice (ライス), rose (ローズ), dish (ディッシュ), cool (クール), game (ゲーム), sing (シング) などでも,対応するカタカナ語を考えてみると,すべて語末に /u/ が付加されています.
しかし,比較的古い時代の借用語では cake (ケーキ)や brush (ブラシ)のように /i/ を付加する例もみられますし,watch (ウォッチ), badge (バッジ),garage (ガレージ)なども同様です.調音音声学的には,原語の発音に含まれている硬口蓋歯擦音の /ʃ, ʒ, ʧ, ʤ/ と前舌高母音 /i/ とは親和性が高い,と説明することはできるだろうとは思います.
/u/ か /i/ かという選択の問題は残りますが,なぜ他の母音ではなくこの2つが採られているのでしょうか.それは,両者とも高母音として聞こえ度 (sonority) が最も低く,かつ短い母音だからと考えられています(川越,pp. 55--56).原語にはない母音を挿入するのですから,受容に当たって変形を加えるとはいえ,なるべく目立たない変更にとどめておきたいところです.そこで音声学的に影の薄い /u/ か /i/ が選択されるということのようです.
ただし,重要な例外があります.英単語の音節末に現われる /t/ や /d/ については,日本語化に当たり /i/, /u/ ではなく /o/ を加えるのが一般的です.cat (キャット),bed (ベッド)の類いです.これは,もし /u/ や /i/ を付加すると,日本語の音として許容されない [tu, ti, du, di] が生じてしまうため,/u/ の次に高い /o/ を用いるものとして説明されます.音節を日本語化して [tsu, tʃi, dzu, dʒi] とする道も理屈としてはあり得たかもしれませんが,その方法は採られませんでした.
「メイク」も「ケーキ」も「キャット」も,日本語音韻論に引きつけた結果の音形ということだったわけです.
・ 川越 いつえ 「第2章 音節とモーラ」菅原 真理子(編)『音韻論』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2014年.30--57頁.
母音で終わる音節を開音節 (open syllable),子音で終わる音節を閉音節 (closed syllable) と呼ぶ.開音節をもたない言語はないが,閉音節をもたない言語はありうるので,音節のタイプとしては前者が無標,後者が有標ということになる.
日本語では撥音や促音という形をとって閉音節もあるにはあるが,音節の圧倒的多数(90%ほど)は開音節である(川越,p. 55).タイプとしては,典型的な開音節言語 (open syllable language) と呼んでよいだろう.他の開音節言語としては,イタリア語,スペイン語,フィジー語,ヨルバ語などが挙げられる.
一方,英語は閉音節が非常に多いので,タイプとしては閉音節言語 (closed syllable language) とみなしてよい.川越 (55) によると,基礎語彙850語でみると,85%が閉音節だという.他の開音節言語としては,中国語や朝鮮語が挙げられる.
無標の特徴をもつ言語を母語とする者が,有標の特徴をもつ言語を第2言語として学習しようとする際には,しばしば困難が伴う.たとえば,日本語母語話者は閉音節に不慣れなため,閉音節言語である英語を習得する際に難しさを感じるだろう.
なお,英語は閉音節言語とはいっても,「#1440. 音節頻度ランキング」 ([2013-04-06-1]) で示されるように,音節のトークン頻度でいえば開音節の占める割合は決して少なくないことを付言しておきたい.
・ 川越 いつえ 「第2章 音節とモーラ」菅原 真理子(編)『音韻論』朝倉日英対照言語学シリーズ 3 朝倉書店,2014年.30--57頁.
私の名前は「堀田隆一」だが,英語を習い始めたときからローマ字書きでは Ryuichi Hotta と書き続けてきた.英語の教科書でも日本人名はそのような書き方だったし,英語圏では「名→姓」という順序が原則だとなれば,特に疑問を抱くこともなかった.だが,後年になってよく考えてみると,私の名前は「隆一堀田」ではなくあくまで「堀田隆一」である.ローマ字で書くにせよ,並び順も含めた Hotta Ryuichi という全体が自らの名前なのではないかという,しごく当たり前のことに気づいた.もちろん人名には正式な名前を崩したニックネームなどの別名があってもよいし,その点でいえば姓・名の順序を入れ替えたヴァリアントがあってもよい.しかし,正式な名前となれば,やはり Hotta Ryuichi なのだろうなと,今では思っている.
先週,文化庁が日本人名のローマ字表記を姓→名の順で書くようにと官公庁や報道機関などに通知を出したという新聞記事をいくつか読んだ.実は,かつても似たようなお触れが出されたことがあった.2000年に当時の文部省・国語審議会が,人類の言語の多様性を意識し生かしていくべきだという方針のもとに,姓→名のローマ字表記が望ましいと答申したのである.しかし,2000年に示されたこの方向性は定着しなかった.この問題の最近の再燃は,河野太郎外相の持論に端を発するようだ.中国の習近平 (Xi Jinping) や韓国の文在寅 (Moon Jae-in) などは英語でも姓→名と表記しているのに,日本人だけ欧米式に合わせているのは妙ではないか,というわけだ.外相自身は,名刺などでは持論通りの姓→名にしているが,一人で頑張っていても無意味だとして,検討を進めることにしたという.
日本人名のローマ字表記の名→姓の慣行は,予想通り,明治時代の欧化主義の一環だったらしい.幕末の日米和親条約 (1854) では姓→名でサインされていたが,明治に入ると岩倉具視宛ての英語の手紙に Tomomi Iwakura が確認されるなど,名→姓も現われるようになった.それでも1870年代まではまだ姓→名が多かったようで,名→姓が増えてきたのは,続く80年代,90年代になってからという.
近年の動向としては,2001年度以前の中学英語教科書では名→姓で自己紹介するような英文が普通だったが,2002年度以後は先の2000年の答申を受けて姓→名となっているという.また,団体によっても慣行は異なるようだ.たとえば日本サッカー協会では2012年に姓→名にすることを発表したが,クレジットカードなどでは名→姓がいまだ一般的である.楽天やトヨタ自動車のような国際企業も名→姓だという.
2000年の答申では定着しなかったが,今回の文化庁の再挑戦は奏功するのだろうか.ちなみに,私自身は姓であることを示すために大文字書きして HOTTA Ryuichi などとすることが多いが,正直なところをいえば中学時代に刷り込まれた慣習からは脱しがたく,ついつい Ryuichi Hotta と書いていることもしばしばである.
そもそも英語と日本語とでなぜ姓と名の順序が異なるのかという問題は,ある意味で統語論の話題といえる.これについては「#2366. なぜ英語人名の順序は「名+姓」なのか」 ([2015-10-19-1]) をどうぞ.
「ヴ」表記については「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]),「#3667. 消えゆく「ヴ」」 ([2019-05-12-1]),「#3628. 外国名表記「ヴ」消える」 ([2019-04-03-1]) で取り上げてきたが,先日5月23日の朝日新聞朝刊に,専門家による「ヴ」の表記の略史が記述されており興味深く読んだ.要約すると次の通りである.
早い例では,江戸時代の儒学者・新井白石が,語源研究書「東雅」 (1717) で「呉」の中国語音を表わすのに用いたものがあるという (cf. 「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]),「#2550. 宣教師シドッチの墓が発見された?」 ([2016-04-20-1])) .しかし,英語の /v/ に対応する文字として「ヴ」が用いられ始めたのは,幕末からである.明治後期,旧文部省は人名・地名などで「ブ」表記の指針を示したが,新聞などでは「ヴ」の使用が続いた.戦後,同省は「ヴ」も容認する方向へ転じたが,59年には方針を元に戻す.さらに91年の内閣告示では一般的には「ブ」表記としながらも「ヴ」も容認する方向へとシフトした.明治以降,原音尊重の原理と使用実態に即した慣用保持の原理の間で,日本語社会のなかで「ヴ」表記が揺れ続けてきたということだろう.近年は国際化も進み,若年層ほど「ヴ」を用いる傾向が強いとされる.
書籍のデータベースで「ヴ」表記を調査した立正大学の真田治子教授(日本語学)によると,1980年代後半から「ヴ」の使用が急増しているという.考えられる理由として「オシャレで本格的な雰囲気を出し,特別な感じを演出する効果を狙い,見るためだけの視覚的表現として使われている.今はカタカナ表現があふれるからこそ,より際立たせる狙いで『ヴ』が活用されているのでは」とのこと.
「ヴ」を「見るためだけの視覚的表現」と評価している点がおもしろい.これについては「#2432. Bolinger の視覚的形態素」 ([2015-12-24-1]) も参照されたい.
日本語母語話者は英語その他の言語で区別される音素 /l/ と /r/ の区別が苦手である.日本語では異なる音素ではなく,あくまでラ行子音音素 /r/ の2つの異音という位置づけであるから,無理もない.英語を学ぶ以上,発音し分け,聴解し分ける一定の必要があることは認めるが,区別の苦手そのものを無条件に咎められるとすれば,それは心外である.生得的な苦手とはいわずとも準生得的な苦手だからである.どうしようもない.日本語母語話者が両音の区別が苦手なのは,音声学的な英語耳ができていないからというよりも,あくまで音韻論的な英語耳ができていないからというべきであり,能力の問題というよりは構造の問題として理解する必要がある.
しかし,一方で音声学的な観点からいっても,l と r は,やはり近い音であることは事実である.このことはもっと強調されるべきだろう.ともに流音 (liquid) と称され,聴覚的には母音に近い,流れるような子音と位置づけられる.調音的にいえば l と r が異なるのは確かだが,特に r でくくられる音素の実際的な調音は実に様々である(「#2198. ヨーロッパ諸語の様々な r」 ([2015-05-04-1]) を参照).そのなかには [l] と紙一重というべき r の調音もあるだろう.実際,日本語母語話者でも,ラ行子音を伝統的な歯茎弾き音 [ɾ] としてでなく,歯茎側音 [l] として発音する話者もいる.l と r は,調音的にも聴覚的にもやはり類似した音なのである.
実は,/l/ と /r/ を区別すべき異なる音素と標榜してきた英語においても,歴史的には両音が交替しているような現象,あるいは両者がパラレルに発達しているような現象がみられる.よく知られている例としては,同根に遡る pilgrim (巡礼者)と peregrine (外国の)の l と r の対立である.語源的には後者の r が正統であり,前者の l は,単語内に2つ r があることを嫌っての異化 (dissimilation) とされる.同様に,フランス語 marbre を英語が借用して marble としたのも異化の作用とされる.異化とは,簡単にいえば「同じ」発音の連続を嫌って「類似した」発音に切り替えるということである.
したがって,上記のようなペアから,英語でも l と r は確かに「同じ」音ではないが,少なくとも「類似した」音であることが例証される.英語の文脈ですら,l と r は歴史的にやはり近かったし,今でも近い.
関連して,以下の記事も参照.
・ 「#72. /r/ と /l/ は間違えて当然!?」 ([2009-07-09-1])
・ 「#1618. 英語の /l/ と /r/」 ([2013-10-01-1])
・ 「#1817. 英語の /l/ と /r/ (2)」 ([2014-04-18-1])
・ 「#1818. 日本語の /r/」 ([2014-04-19-1])
・ 「#1597. star と stella」 ([2013-09-10-1])
・ 「#1614. 英語 title に対してフランス語 titre であるのはなぜか?」 ([2013-09-27-1])
昨日(5月11日)の朝日新聞朝刊の「ことばサプリ」欄に「消えゆく『ヴ』 発音 バ行とほぼ区別なく」と題する記事が掲載されていた.今年の3月末に,外務省が使う国名に関する「在外公館名称位置給与法」が改正され,「ヴ」の表記がなくなったことを受けての記事である.これについては,本ブログでも4月3日に「#3628. 外国名表記「ヴ」消える」 ([2019-04-03-1]) で取り上げた.今回の「ことばサプリ」の記事から,議論するとおもしろそうな点をいくつか拾っておこう.
「ベートーベン」を「ベートーヴェン」と表記しても,通常は「ヴェ」の発音を1拍目の「ベ」とことさらに区別しないはずです.これは,日本語の「音韻」に v がなく,b で置き換えられるためです.
論点1:日本語の文脈で「ヴ」を [v] で発音している人はいるか,あるいは発音する場合があるか.関連して,「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]) も参照.
逆の例から見てみましょう.「新聞」は,ヘボン式ローマ字で「shimbun」とつづります.2拍目の「ん」を「m」,4拍目の「ん」を「n」と表記するのは,英語などでは両者を別々の音韻と捉えるため.しかし日本語話者は「ん」という一つの音韻と考えるので,日本語では「しんぶん」と書きます.
論点2:ヘボン式では <shimbun>,訓令式では <sinbun> となるが,それぞれの立場が拠ってたつ基盤は何か.「#3427. 訓令式・日本式・ヘボン式のローマ字つづり対照表」 ([2018-09-14-1]),「#1892. 「ローマ字のつづり方」」 ([2014-07-02-1]),「#1879. 日本語におけるローマ字の歴史」 ([2014-06-19-1]) も参照.
朝日新聞社は,国名表記に限らず基本的に「ヴ」を使いません.〔中略〕どう発音するかということと併せて,独自に決めているケースも多いのです.人名や地名の表記もメディア各者で様々.読み比べてみると面白いかもしれません.
論点3:みなさん個人は「ヴ」に関連して,どのような表記習慣をもっているか.新聞に限らず,辞書,教科書,雑誌などで調査してもおもしろそうな話題.
日本文学史の概説を学ぶのであれば,『原色シグマ新日本文学史』の目次 (4--9) がよくできている.帯に「わずか630円(税込み)」と書いてあるとおり,これだけ安価にオールカラーのビジュアル解説で,しかもよく整理された文学史が読めるというのは,すごいことだと思う.目次シリーズで是非とも取りあげておきたい好著.日本語史との突き合わせには「#3389. 沖森卓也『日本語史大全』の目次」 ([2018-08-07-1]) を参照.さらに,イギリス文学史ともクロスさせようと思ったら「#3556. 『コンプトン 英国史・英文学史』の「英文学史」の目次」 ([2019-01-21-1]),「#3567. 『イギリス文学史入門』の目次」 ([2019-02-01-1]) もご覧ください.
4月9日のことになるが,読売新聞の朝刊11面に「日本語 平成時代の変化」と題する解説文が掲載されていた.解説者は,日本語方言学の大家で,東京外国語大学名誉教授の井上史雄先生である.私も学生時代に先生の社会言語学の講義を受け,大いに学ばせていただいたが,的確な分類や名付けにより現象を分かりやすく解説してくださるのが,当時より先生の魅力だった.今回の解説記事では「方言の社会的価値の分類」が紹介されていたが,これも先生が当時から「我ながらなかなかうまい分類ができた」とおっしゃっていた,お気に入りの持ちネタの披露というわけだ(←その授業を今でもはっきりと覚えています).日本語方言の社会的価値の変遷を実にきれいに表現した分類である.
類型 | 時代 | 方言への評価 | 使われ方 | |
---|---|---|---|---|
第1類型 | 撲滅の対象 | 明治?戦前 | マイナス | 方言優位 |
第2類型 | 記述の対象 | 戦後 | 中立 | 方言・共通語両立 |
第3類型 | 娯楽の対象 | 戦後?平成 | プラス | 共通語優位 |
3月30日の読売新聞朝刊に標題の記事が掲載されていた.29日に,政府による外国名表記を定めた改正在外公館名称位置給与法が成立したという.これにより従来「セントクリストファー・ネーヴィス」 (Saint Christopher and Nevis) と表記されていたカリブ海の島国の名前が「セントクリストファー・ネービス」となる.同様に,西アフリカの群島国「カーポヴェルデ」 (Cape Verde) は「カーポベルデ」となる.これにより,外務省の文書から国名に「ヴ」を使った表記がなくなることになる.河野外相によれば「わかりやすさと発音のしやすさを優先する」ということのようだ.日本語としての表記であるから,それが自然といえば自然だろう.
外来語の「ヴ」の表記を巡っては慣用の揺れも観察され,標準化したり一般化することがなかなか難しい.その歴史的背景は,沖森 (388) が次のようにまとめている.
外来語を片仮名で書くという用法はすでに江戸時代から習慣的に行われていて,v の発音を「ヴ」と表記するのは福沢諭吉が『増訂華英通語』(一八六〇年刊)において最初に試みたものである.その後,外来語は,原音の発音に即した表記で書かれたり,日本語の音韻に同化した発音に基づく表記がなされたりするなど,識者の間でも意見の一致をみなかった.
一九九一年に「外来語の表記」が内閣告示として出されて,表記の基準が示されたが,これは原則と許容の二本立てとなっている.すなわち,日本語の音韻に同化した発音に基づく書き方(第1表)と,原音や原つづりになるべく近く書き表す書き方(第2表)からなり,第1表によることを原則とするが,必要に応じて第2表を許容するというものである.そこでは,第2表で v を「ヴ」で書き表すことが許容として盛り込まれている.
内閣告示「外来語の表記」を見てみると,「留意事項その2(細則的な事項)」の「第2表に示す仮名に関するもの」において「第2表に示す仮名は,原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名で,これらの仮名を用いる必要がない場合は,一般的に,第1表に示す仮名の範囲で書き表すことができる」とある.また,その項目7と10に「ヴ」表記に関する記述が見える.ここに,「ブ」系を原則としながらも目的に応じて「ヴ」系も許容するという穏当な態度を確かに読み取ることができる.
7 「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」は,外来音ヴァ,ヴィ,ヴ,ヴェ,ヴォに対応する仮名である.
〔例〕 ヴァイオリン ヴィーナス ヴェール
ヴィクトリア(地) ヴェルサイユ(地) ヴォルガ(地)
ヴィヴァルディ(人) ヴラマンク(人) ヴォルテール(人)
注 一般的には,「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書くことができる.
〔例〕 バイオリン ビーナス ベール
ビクトリア(地) ベルサイユ(地) ボルガ(地)
ビバルディ(人) ブラマンク(人) ボルテール(人)
. . . .
〔中略〕
. . . .
10 「ヴュ」は,外来音ヴュに対応する仮名である.
〔例〕 インタヴュー レヴュー ヴュイヤール(人・画家)
注 一般的には,「ビュ」と書くことができる.
〔例〕 インタビュー レビュー ビュイヤール(人)
「ヴ」表記と関連して「#3325. 「ヴ」は日本語版の語源的綴字といえるかも?」 ([2018-06-04-1]),「#901. 借用の分類」 ([2011-10-15-1]) も参照.なお,「ヴ」の問題ではないが,上記の改正法では「#3289. Swaziland が eSwatini に国名変更」 ([2018-04-29-1]) で紹介したように「スワジランド」が「エスワティニ」へ変更となったことも付け加えておきたい.
・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本の文字』 三省堂,2011年.
昨日の記事「#3609. 『英語教育』の連載「英語指導の引き出しを増やす 英語史のツボ」が始まりました」 ([2019-03-15-1]) で新連載について紹介した.連載タイトルに英語史の「ツボ」と入れたが,この「急所,要点,要領」の語義では片仮名で「ツボ」と表記するのが普通であり,あまり「壺」とはしない.これはなぜだろうか.
沖森ほか (83) に,現代日本語における片仮名の用途が9点挙げられている.それぞれ簡単に要約すると以下の通り.
(1) 漢語を除く外来語:ライオン,マーガリン,スーツ,テレビなど(ただし近代漢語は外来語とみなされるので,ラーメン,ウーロン茶などもある)
(2) 擬音語・擬態語:ワンワン,コケコッコー,ニャーなど
(3) 自然科学の用語:ヨウ素,アザラシ,バラ科など
(4) 漢文訓読の送り仮名
(5) 画数の多い語:会ギ(議),ヒンシュク(顰蹙),ビタ(鐚)一文,ヒビ(罅)が入る,ブランコ(鞦韆),ボロ(襤褸)が出るなど
(6) 流行語,俗語:ヤバイ(ネット上などで,ヤバい,ヤばい,やバイもある)
(7) 表意性の消去:コツ(骨)をつかむ,ババ(婆)を引く,ヤケ(自棄)になる
(8) 対話的な宣伝:「ココロとカラダの悩み」「アナタの疑問に答えます」など新鮮な宣伝効果を狙ったもの
(9) 外国人の話す日本語,ロボットや宇宙人などのことば:「ワタシ,日本人トトモダチニナリタイデス」「地球人ヨ,ヨク聞ケ.ワレワレハ,バルタン星人ダ」など,情緒のない機械性を表わす
「ツボ」は,「コツ」「ババ」「ヤケ」などが挙げられている (7) の表意性の消去の例に当たるだろうか.これについて,沖森ほか (83) からもう少し詳しい説明を引用すると,次のようになる.
国語辞典を引くと,それぞれ漢字表記があがっているが,実際に目にする表記は片仮名が一般的なものである.これは,「コツをつかむ」の意で「骨」を当てると《人骨》の意味が表に出すぎて差し支えが生じるためであろう.派生義で用いる場合に,その漢字本来の表意性が面に出るとそぐわない場合に片仮名が選ばれたものと思われる.広島を「ヒロシマ」と書くのも,地名の意を消去して,被爆地としての新たな意味を込める用法かと見られる.
「ツボ」の場合,「壺」と表記することによって容器の意味が表に出すぎて差し支えが生じるとは特に思われないが,少なくとも容器の意味と急所の意味が離れすぎているために違和感が漂うということなのだろう.語義の発展・派生としては,「くぼみ」(滝壺など)から始まり,形状の類似から「(容器としての)壺」や「鍼を打ったり灸をすえる場所」(足ツボなど)が派生し,後者から「狙い所,要点」が発展したと思われる.このように原義と派生義の距離が開いてしまっている語はごまんとあるが,そのなかには表記上の区別をするものがあるということだろう.共時的感覚としては「ツボ」と「壺」は異なる語彙素といってよい.「表意性の消去」とは,この感覚の反映をある観点から表現したものだろう.
英語からの類例としては「#183. flower と flour」 ([2009-10-27-1]),「#2440. flower と flour (2)」 ([2016-01-01-1]) がある.両語は同一語源に遡るが,語義がかなり離れてしまったために,別々の語彙素ととらえられ,異なる表記が用いられるようになった.この問題は,2重語 (doublet) や同音異義 (homophony) の問題とも関わってくるだろう.
・ 沖森 卓也・笹原 宏之・常盤 智子・山本 真吾 『図解 日本の文字』 三省堂,2011年.
『新日本文学史』に「文学の誕生」 (12) という文章がある.日本文学がいかにして誕生するに至ったかを説明する文脈ではあるが,おそらく日本文学に限らず一般に通用する説だろう.先にエッセンスを示しておくと,次のような流れで文学が誕生するという.
┌───────────────┐ │ 自然への畏怖 │ │ ↓ │ │ 神を祭る │ │ ↓ │ │ 神聖な詞章の発達 │ │ ↓ │ │ 詞章の自立・洗練 │ │ ↓ │ │ 歌謡・神話などの文学の誕生 │ └───────────────┘
日本列島にも,一万年以上前には先土器文化の時代があった.それから数千年を経て縄文時代に入ると,石器や土器などの生産用具を用いた採集生活が営まれるようになった.紀元前三から二世紀ころになると,弥生時代が始まり,水稲耕作の技術が伝来して,採集生活の時代に比べて生産力は一段と高められた.水稲耕作は,組織的な作業を必要とするので,定住化した集団生活がそこに営まれるようになった.共同体的社会が形成され,血縁関係によって結ばれる氏族集団がまとめ上げられていくのである.こうした氏族共同体は,独自の文化を生み出していったが,一方,生産力の上昇に伴ってしだいに統合され,やがていくつかの小国へと進展していった.
採集生活の時代から,人々は,外界の自然に対する畏怖の念をもち続けていた.その脅威からのがれ,生産の豊穣を祈念するため,そこにあらわれる超人間的な力を神として祭った.これが<祭り>の起源であり,共同体の安定は,こうした祭りによって維持されることとなった.祭りの場で語られる神聖な詞章(呪言や呪詞と呼ばれる)が,文学の原型である.これらの詞章は,日常の言語とは異なる,韻律やくり返しをもつ律文としての表現をもっていた.それはまた,祭りの場の音楽や舞踏とも一体化した,きわめて混沌とした表現であったと思われる.
しかし,共同体が統合され,小国からやがて統一国家が形成される過程の中で,祭りも統合され,その神聖な詞章もしだいに言語表現として自立・洗練されていった.それが文学の誕生であり,そこに生み出されたのがさまざまな歌謡や神話であった.
・ 秋山 虔,三好 行雄(編著) 『原色シグマ新日本文学史』 文英堂,2000年.
安藤達朗(著)『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』を読んでいる.様々な点で示唆に富む日本史だ.pp. 30--31 に「文化の受容」と題するコラムがあり,その鋭い洞察に目がとまった.
異質の文化が受容されるには,一般に3つの条件がある.第一に,それが先進的なものであるならば,それを受容しうる能力がなければならない.例えば,江戸幕末に欧米近代文明を受容できたのは,日本人の中にすでに合理的思考法の素地もあり,技術に対する理解もかなり進んでいたからである.第二に,それを受容することが必要とされなければならない.例えば,元寇の際に日本軍は元軍の「てつはう」に悩まされながらも,それを取り入れる関心を示さず,戦国時代には鉄砲が伝わると数年後に国産されるようになったのは,鎌倉時代には集団戦が一般化していなかったからである.第三に,受容するに際して,受容する側の主体的条件によって選択がなされ,変更が加えられる.例えば仏教が受容されるとき,その教義よりは呪術的な側面に関心が向けられ,一方では鎮護国家の仏教となり,一方では土俗信仰と密着していったことはそれを示す.
文化の受容には,(1) 受容能力,(2) 受容の必要性,(3) 選択と変更,の3点が要求されるということだ.
言語史に関連する文化の受容の最たるものは,文字の受容だろう.英語や日本語の文字の歴史を振り返ると,いずれも進んだ文字文化をもっていた大陸からの影響で文字を使い出した.アングロサクソン人も日本人も,ローマ字や漢字との接触こそ紀元前後からあったが,必ずしもその段階でそれを「受容」はしなかった.そこまで文化が開けておらず受容の「能力」も「必要性」も足りなかったからだろう.要は当時はまだ準備ができていなかったのである.アングロサクソンでも日本でも,先進的な文字は5--6世紀になってようやく,国家成立の機運や大陸の宗教の流入という契機と結びつく形で,本格的に受容されるに至った.文字受容の能力と必要性を磨くのに,最初の接触以来,数世紀の時間を要したのである.
また,「選択と変更」という観点から,両社会の文字の受容を再考してみるのもおもしろい.アングロサクソン人はローマ字を受容する以前にすでにルーン文字をもっていたのであり,その意味では2つの選択肢のなかから外来の文字セットをあえて「選択」したともいえる.あるいは,後に常用するようになったローマ字セットのなかにルーン文字に由来する <þ> や <ƿ> を導入したのも,一種の「選択」とも「変更」ともいえる.日本の漢字の受容についても,数世紀の時間は要したが,漢字セットの部分集合を利用し,大幅な形態や機能の「変更」を経て仮名を作り出したのだった.
日英の文字の受容史については,これまでもいろいろと書いてきたが,とりわけ以下の記事を参考として挙げておきたい.
・ 「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1])
・ 「#850. 書き言葉の発生と論理的思考の関係」 ([2011-08-25-1])
・ 「#2386. 日本語の文字史(古代編)」 ([2015-11-08-1])
・ 「#2485. 文字と宗教」 ([2016-02-15-1])
・ 「#2505. 日本でも弥生時代に漢字が知られていた」 ([2016-03-06-1])
・ 「#2757. Ferguson による社会言語学的な「発展」の度合い」 ([2016-11-13-1])
・ 「#3138. 漢字の伝来と使用の年代」 ([2017-11-29-1])
・ 「#3486. 固有の文字を発明しなかったとしても……」 ([2018-11-12-1])
・ 安藤 達朗 『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 【教養編】』 東洋経済新報社,2016年.
昨日の記事「#3485. 「神代文字」を否定する根拠」 ([2018-11-11-1]) で,日本語固有の文字と主張されてきた「神代文字」を否定した直後に,沖森 (33--34) は次のようなフォローの文章を続けている.
自らが使用する言語に固有の文字があることを願う気持ちは,自然な心情としてそれなりに理解できます.しかし,ギリシア文字がフェニキア文字に由来すること,そのギリシア文字からラテン文字が作り出されたことなどからわかるように,ほかの言語の文字に工夫を加えて,自らの言語に適した文字を作り上げていくというのも自然の流れですし,むしろ世界の言語における文字成立の由来としてはその方が圧倒的に多いのです.ですから,固有の文字体系がないという劣等感を持つ必要はまったくありませんし,それよりも,工夫を凝らして自らの言語をしっかりと書き記せる文字を成立させたことを誇りに思ってよいのです.
この議論は,世界的な言語である英語の歴史で考えてみても通用する.英語には固有の文字はない.初期のアングロサクソンのルーン文字にせよ,6世紀末以降に借用されたローマン・アルファベットにせよ,前段階の文字からの派生物にすぎない.上の引用文中にあるように,いずれもギリシア文字へ,さらにフェニキア文字へ,究極には北西セム文字へと遡るのである.しかし,英語はローマン・アルファベットを発明こそしなかったけれども,英語独自の音を表記するために,その文字やスペリングに様々な工夫や改良を加え,長い時間をかけて実用的なものへと徐々に仕立て上げてきたのである.文字に関しては,古代日本語の母語話者も古代英語の母語話者もほぼ同じことをしてきたのである.
アルファベットや漢字を発明した初代の創業者は確かに偉い.しかし,のれんを継ぎ,工夫しながら世の中で繁栄し続けた二代目以降も,別の意味でまた偉い.「誇り」ということでいうならば,互いを認めつつ各々の立場で誇りをもつことが大事である.
・ 沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年.
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