「和製英語」の話題について,本ブログで waseieigo の各記事で取り上げてきた.関連して「和製漢語」,さらに「英製羅語」や「英製仏語」についても話題を提供してきた.以下の記事を参照.
・ 「#1624. 和製英語の一覧」 ([2013-10-07-1])
・ 「#3793. 注意すべきカタカナ語・和製英語の一覧」 ([2019-09-15-1])
・ 「#1629. 和製漢語」 ([2013-10-12-1])
・ 「#1493. 和製英語ならぬ英製羅語」 ([2013-05-29-1])
・ 「#1927. 英製仏語」 ([2014-08-06-1])
一般に現代の日本では「和製英語」はいくぶん胡散臭い響きをもって受け取られているが,日本語と英語の比較的長い言語接触の結果として,極めて自然な語形成上の現象だと私は考えている.同じ見方は,ずっと長い歴史のある「和製漢語」にも当てはまる.「和製漢語」のほとんどはすっかり日本語語彙に定着しているために違和感を感じさせないだけであり,語形成論や語彙論という観点からみれば「和製英語」も何ら異なるところがない.佐藤 (115--16) も,このことを示唆している.
漢語・外来語は,本来,借用語であるが,中には,借用した要素を日本語で組み合わせ,本来の漢語・外来語に似せて作ったものもある.これを,それぞれ,「和製漢語」「和製外来語」という.和製漢語は,古くから見られるが(「火事」「大根」「尾籠」「物騒」など),特に,江戸末期から明治にかけて西洋の近代的な事物や概念の訳語として多く作られた(「引力」「映画」「汽車」「酸素」「波動」「野球」など).「イメージ・アップ」「サラリー・マン」「ノー・カット」「ワンマン・バス」などの和製外来語は,本来の外来語が単語の要素として用いられているわけで,漢語の日本語化に共通するものがある.
英語史の観点からいえば,上と同じことが「英製羅語」「英製仏語」にも当てはまる.ある言語との接触がそれなりに長く濃く続けば,「◇製☆語」という新語は自然と現われるものである.そして,他種の新語と異ならず,それらが導入された当初こそ,多少なりとも白い目で見られたとしても,一般的に用いられるようになれば自言語に同化していくし,流行らなければ廃れていくのである.他の語形成による新語のたどるパターンと比べて,特に異なるところはない.
・ 佐藤 武義(編著) 『展望 現代の日本語』 白帝社,1996年.
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