昨日の記事「#2913. 漢字は Chinese character ではなく Chinese spelling と呼ぶべき?」 ([2017-04-18-1]) で取り上げた高島の漢字論,そして日本語論はぶっきらぼうな刺激に満ちている.おもしろい.日本語は,文字との付き合い方に注目すれば,すこぶる畸型の言語である,と高島 (243) は明言する.念頭にあるのは「高層」「構想」「抗争」「後送」「広壮」などの同音漢語のことである.
日本の言語学者はよく,日本語はなんら特殊な言語ではない,ごくありふれた言語である,日本語に似た言語は地球上にいくらもある,と言う.しかしそれは,名詞の単数複数の別をしめさないとか,賓語のあとに動詞が位置するとかいった,語法上のことがらである.かれらは西洋で生まれた言語学の方法で日本語を分析するから,当然文字には着目しない.言語学が着目するのは,音韻と語法と意味である.
しかし,音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない,という点に着目すれば,日本語は,世界でおそらくただ一つの,きわめて特殊な言語である.
音声が意味をにない得ない,というのは,もちろん,言語として健全な姿ではない.日本語は畸型的な言語である,と言わざるを得ない.
では,日本語のこの問題を解決することができるのか.高島は「否」と答える.畸型のまま成長してしまったので,健全な姿には戻れない,と.「日本語は,畸型のまま生きてゆくよりほか生存の方法はない」 (p. 236) と考えている.
この悲観論な日本語論について賛否両論,様々に議論することができそうだが,私がおもしろく感じたのは,西洋由来の音声ベースの言語学から見ると,日本語は何ら特別なところのない普通の言語だが,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学から見ると,日本語は畸型の言語である,という論法だ.高島は日本語の畸型性を力説しているわけだから,音声と文字との関係をかりそめにも考慮する言語学のほうに肩入れしていることになる.つまり,音声を最重要とみなす主流の近代言語学から逸脱しつつ,音声と比して劣らない文字の価値を信じている,とも読める.
文字は音声と強く結びついてはいるが,本質的に独立したメディアである.言語学は,そろそろ音声も文字も同じように重視する方向へ舵を切る必要があるのではないか.書き言葉の自立性については,以下の記事を参照.
・ 「#1829. 書き言葉テクストの3つの機能」 ([2014-04-30-1])
・ 「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1])
・ 「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1])
・ 「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1])
・ 「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1])
・ 「#2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学」 ([2017-01-14-1])
・ 高島 俊男 『漢字と日本人』 文藝春秋社,2001年.
昨日の記事[2017-03-19-1]に続いて,3月14日に参加した HiSoPra* の話題.大討論会「社会と場面のコンテクストから言語の歴史を見ると何が見えるか?―歴史社会言語学・歴史語用論の現在そして未来」で,10分程度の発言の機会をいただいた.僭越ながら私が掲げた「テーゼ」は,「21世紀の歴史社会言語学は,古くからある問題に新たな衝撃を与え,言語変化を含む歴史言語学の諸問題に活気をもたらすものである」というもの.特に資料もなしでの口頭発表だったので,以下に備忘録的に内容の概要を残しておきたい.
テーゼをさらに短く要約すると,「古い問題に対する新しいアプローチ」である.これはいろいろなところで聞くフレーズかもしれないが,歴史社会言語学・歴史語用論について,私が考えていることを端的に表現すると,これに行き着く.特に英語史の分野では,HiSoPra 的な研究は連綿と続いてきており,知見も蓄積されてきている.日本語史の立場から,もう1人の討論者である青木氏が「とっくにやってる」と述べた通り,英語史でも「とっくにやってる」のである.ただ,「歴史社会言語学」や「歴史語用論」というラベルが貼られていなかっただけである.しかし,ここで問題は,「たかがラベル」なのか「されどラベル」なのか,である.実際のところは「たかが」かつ「されど」の解釈が正解だと思っているが,討論会の題に「未来」が入っていることもあり,新しい分野としてのラベル貼りは重要だという方向で議論を運んだ.「とっくにやってる」こと,すなわち既存の研究に名前と場所を与えることによって,新たな見方や対し方が生まれ,今まで見えなかった周辺の問題との関連が見えるようになり,思いも寄らない化学反応が生じてくる可能性がある.
18世紀末からの近代言語学の歴史は,「歴史的視点 vs 非歴史視点」「中心領域 vs 周辺領域」の2つの対立軸でみると,きれいに整理できる.以下のマトリックスで表わされるように,19世紀から20世紀後半にかけて,言語学の主たる関心は I → II → III の順序で変化してきて,21世紀に残されたのは第IVステージしかない.このステージは,空白ではあるが,未知のものではない.既存の2つの項「歴史的視点」「周辺領域」を掛け合わせることによって,必然的に埋まるはずの空白である.しかし,意識的な2項の掛け合わせは,歴史上初のものであり,その意味において「新しい」とは言える(以下,伏せ字部分をクリック).
中心領域(音声,音韻,形態,統語,意味) | 周辺領域(社会,語用) | |
---|---|---|
非歴史的視点 | II. 共時的言語理論(構造主義,生成文法)(20世紀) | III. 社会言語学,語用論など(20世紀後半) |
歴史視点 | I. 比較言語学,文献学(19世紀) | IV. 歴史社会言語学,歴史語用論など (21世紀) |
スペインに関係する歴史で,1492年は輝かしい.まず,年初にイベリア半島の最後のイスラム王朝であるグラナダのナスル朝を滅亡させ,ついにイスラム勢力を半島から追い払った.レコンキスタ(国土回復運動)の完了である.さらに,それと関連して得た経済的余裕により,スペイン王室はコロンブスの航海を支援することが可能となり,結果的に新大陸「発見」(同年10月)の威光を獲得することができた.そして,スペインは,その間の同年8月に言語史上にも名を残すことになった.Elio Antonio de Nebrija (1441--1522) による『カスティリャ文法』の出版である.
イベリア半島では,8世紀半ばに北アフリカからイスラム教徒が北上して後ウマイヤ朝を建てた.11世紀以降,キリスト教徒は失地回復に乗り出し,それとともに分立していた諸王国が統合されていった.12世紀,アラゴンがナヴァラとカタロニヤを併合すると,カスティリャも版図を広げ,上述のように,イスラム教徒の勢力はグラナダに限られるまでになった.そして,カスティリャの女王イサベルとアラゴンの王子フェルディナンド2世が結婚して両王国が合併し,半島に強大な国家が出現することになった.このような状況下で,1492年8月,ネブリーハによる『カスティリャ文法』 (Gramática de la lengua castellana) が上梓された.カスティリャ語は,当時のイベリア半島で最も威信のある俗語であり,今日のスペイン語の書き言葉の基となった言語である.
近現代言語史においてこの俗語文法書が出版された意義は,果てしなく大きい.国家と国語の緊密な結びつきの歴史が,まさにここに始まったからである.田中 (59--60) の解説を引用しよう.
ネブリーハはこの「文法」の序文の冒頭のところで,国家の興亡と言語の興亡とがいかに深い関係にあるかを述べ,そのことを,「言語はつねに帝国の伴侶 (compañera del imperio) である」と表現した.この「伴侶」は「つれあい」「朋友」などさまざまに訳すことができるが,注意しておかねばならないのは,帝国(インペリオ)が男性の名詞であるのに対し,伴侶(コンパニェーラ)は女性の形にしてある.それは,ともであるところの言語(レングア)が女性名詞であるからだ.つまりネブリーハは,ここで国家と言語とのきりはなしがたいむすびつきを,一組の男と女の運命的な婚姻にたとえたのである.
ではいったいかれは,何を目的にしてこの俗語文法を書いたのか.
女王様が,さまざまな異なる言語を話す多数の野蛮の諸族や諸民族を支配下に置かれ,その征服によって,かれらが,征服者が被征服者に課する法律を,またそれにともなって我々のことばを受け入れる必要が起きたとき,その時かれらは,ちょう私どもが今日,ラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に,この私の術 (Arte) =文法によって,私たちのことばを理解するようになるでしょう.また,カスティリャ語 (lenguaje castellano) を知る必要のある私たちの信仰の敵のみならず,バスク人,ナヴァラ人,フランス人,イタリア人やそのほか,スペインにおいて,何か交渉や話をせねばならないとか,我々のことばを必要とするすべての人々が,子供のときから,習慣によってそれを学ぶほどにならないまでも,私のこの書物によってそれを知ることができるでありましょう.
この期においてもまたその後においても,俗語が文法を持つことの意味を,これほど明快に説明した例は他にない.「ちょうど私どもがラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に」と述べられているとおり,このカスティリャ文法は,カスティリャ語を母語にしない人たちのために編まれている.それは「女王様の支配下に入って」その法律を書くことばを理解するためであり,また,カスティリャ周辺のヨーロッパ諸民族に使わせることを予定している.そして事実その通り,コロンブスに発見されたアメリカ大陸の諸族と,イベリア半島のカスティリャ外の諸地域が,やがてこの文法の支配をうけることになるのである.
実際,この書を献じられたイサベル女王は,これが何の役に立つのかと問うたとき,ネブリーハの意を汲んでアビラの司教が「言語は帝国の武器です」という趣旨の回答をしたという(中丸,p. 140).
この文法書は俗語文法書としては初のものであり,それ以降の近代期における俗語の発展と台頭を予言するものであった.これ以降,中世の長きにわたって言語的王者として君臨したラテン語の権威は,すぐにではないにせよ徐々に衰えていく.そして,このあと初めてのポルトガル語文法が1536年に,英文法が1586年に著わされることになる.後者については「#2579. 最初の英文法書 William Bullokar, Pamphlet for Grammar (1586)」 ([2016-05-19-1]) を参照.
ちなみに,ネブリーハは改宗ユダヤ人だったという.コロンブスも改宗ユダヤ人だったのではないかという説があり,この辺りの話題は興味深い.
・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
・ 中丸 明 『海の世界史』 講談社,1999年.
セミル・バディル(著)『ソシュールの最大の後継者 イェルムスレウ』を読んで,難解とされる言理学 (glossematics) を概観した(「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) も参照).
イェルムスレウの記号学的認識論の中心に,外示記号,共示記号,メタ記号の区別がある.外示記号はいわば通常の記号を指す.共示記号は,表現部それ自体が記号であるような記号を指す.そして,メタ記号は,内容部それ自体が記号であるような記号を指す.この基本的な対立に,範列的 (paradigmatic) と連辞的 (syntagmatic) というソシュール以来よく知られた対立が組み込まれ,1つの認識論が構成される.
このイェルムスレウの認識論に立って,既存の言語学諸分野の位置づけを整理すると,以下の表のようになるだろう(バディル,p. 205).
留意すべきは,既存の分野名のもとで研究されてきた内容が,そのままイェルムスレウ的な認識論における同名の分野のもとで扱われるとは限らないことだ.例えば,外示記号の表現の連辞を扱う「形態論」は,およそ伝統的な「形態論」で扱されてきた分野を覆うと考えてよいが,音素の統語的変異などを扱う問題も含むという点で少し守備安易が異なる.
この表の個別部分について見ると,特に興味深いのは,「通時」あるいは「歴史」が共示記号の範列の変異に関わる次元の1つとしてとらえられている点である.それと同列に別の次元を構成しているのは「地理」「社会」「心理」「象徴」などである.ここでは,「通時」がとりたてて「共時」に対立するものとして立てられているわけではなく,むしろ「地理」「社会」「心理」「象徴」などとの並列性が強調されている.
バディル (207--08) では,この共時・通時の再解釈について,次のように述べられている.
このように提示された言語分析は,共時的な分析だと見なされる必要はない.通時的分析をも「包含する」からである.この包含関係は,共時態と通時態の対立を定式化し直す必要性を意味する.つまり,通時態とは,共時態の「層」が重なり合って作られるものではない.形式的理論において関与的なのは,むしろその逆である.外示記号の「考古学的」な分析を実行することが可能なのである.したがって,歴史的特徴は,他の個別化をもたらす観点の中で,外示記号の作る一つの次元だということになる.
共時的言語学が圧倒的に優勢な現在,言語学のなかに通時態を復活させようとすることは簡単な試みではないが,イェルムスレウの認識論は1つのヒントになりそうだ.
言語学の諸部門の整理という話題については,「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]),「#1110. Guiraud による言語学の構成部門」 ([2012-05-11-1]),「#1726. 「形態」の紛らわしさと Ullmann による言語学の構成部門」 ([2014-01-17-1]) も参照.
・ セミル・バディル(著),町田 健(訳) 『ソシュールの最大の後継者 イェルムスレウ』 大修館,2007年.
20世紀の近代英語学の主流を形成したのは,構造主義言語学 (structural linguistics),生成文法 (generative_grammar),認知言語学 (cognitive_linguistics) の3本柱である.言語史上,この順序で現われ,台頭してきた.それぞれを支えている土台には互いに共通部分もあるが,著しく対立する部分もある.全体としてみれば,互いに異なる言語観をもっていると理解しておいてよい.
井上 (60) は「20世紀の言語学大三角形」と称して,3つの関係を分かりやすく図示している.およそ次のような構図だ.
┌────────────┐ │ 構造主義 │ │ 「恣意的」 = arbitrary │ ┌───→│ 「社会的 ラング」 │←───┐ │ │ 帰納 │ │ │ └────────────┘ │ │ │ │ │ ↓ ↓ ┌────────────┐ ┌────────────┐ │ 生成文法 │ │ 認知言語学 │ │「自律的」 = autonomous │←────────→│ │ │ 「生得的 言語能力」 │ │ 「有契的」 = motivated │ │ 演繹 │ │ │ └────────────┘ └────────────┘
標題の話題については,「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1]) や「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]) などで扱ってきたが,改めて取り上げてみたい.
言語学の伝統的な見解によれば,すべての言語は等しく複雑であり,難易度について有意な差はない,とされてきた.背景には20世紀の構造言語学の発展があり,それ以前に影響力のあった目的論的な言語の進化という考え方が影を潜めたという事情もあった.しかし,言語間に難易度の差がないという命題それ自体は,経験的に実証することが困難であり,はたして本当にそうなのかは分からない.その意味では,この命題はあくまで仮説であり,もっといえばある種の信念とも考えられる.
Baugh and Cable (400--01) は,英語史の名著の第6版の "The Relative Difficulty of Languages" と題する節で,この問題について次のように解説している.
A popular and intrinsically interesting question---"Which languages are the most difficult to learn?"---was generally ignored by linguistic studies of the twentieth century beyond the claims that as a first language, all languages are of equal difficulty; and, obviously, as a second language, the degree of difficulty depends on the language the learner already knows. Until recently, the empirical evidence for assessing "difficulty" in language spread has been lacking. What has been called the the ALEC statement (All Languages are Equally Complex) or "the linguistic equi-complexity dogma" has its source in both structural linguistics reaching back to Edward Sapir and in the "universals" of Noam Chomsky's generative grammar. In a popular textbook of 1958, Charles F. Hockett crystallized an impression of languages that had been stated more cautiously by Sapir thirty years earlier, and which became the standard view for the rest of the twentieth century:
Objective measurement is difficult, but impressionistically it would seem that the total grammatical complexity of any language, counting both morphology and syntax, is about the same as that of any other. This is not surprising, since all languages have about equally complex jobs to do, and what is not done morphologically has to be done syntactically. [The Native American language] Fox, with a more complex morphology than English, thus ought to have a somewhat simpler syntax; and this is the case.
なお,上で言及されている Hockett は Hockett, Charles F. A Course in Modern Linguistics New York: 1958. (p. 180--81) であり,Sapir は Sapir, Edward. Language: New York: 1921. (p. 219) である.
Baugh and Cable はこの引用の後で,今後,この問題を論じるに当たって有用となり得る研究分野として,第2言語習得のほか,第1言語習得と関連する情報理論や数学モデルや形式言語学を挙げている.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事「#2818. うわさの機能」 ([2017-01-13-1]) で取り上げた松田著『うわさとは何か』を読んでいて,言語学の流れについて考えさせられる機会があった.
松田によると,従来のうわさの研究はうわさの内容(情報)にこだわる傾向があった.例えば,古典的な「うわさの公式」によると,うわさの強さや流布量 (Rumor) は,当事者に対する問題の重要さ (importance) とその論題についての証拠の曖昧さ (ambiguity) との積に比例する,つまり R?i×a とされる (23) .だが,ほかにも考えるべき側面はある.例えば,何のメディアで発せられ広がるかというメディアの観点からの考察も必要だろう.松田はこのように,うわさの内容だけではなく形式をも考慮に入れることを説いている.そこで述べていることがおもしろい.「民俗学における口承研究が過去からの伝承や口頭性にこだわるあまり,そのうわさが語られる場や時代――メディアを含む――に対して寄せる関心が薄い」ことを指摘しているのである (154) .
社会に関する学問でも,19世紀に民俗学が興る以前には書き言葉の資料がむしろ重視されていただろうから,現在はぐるりと一回転して再び書き言葉を含めた各種メディアが注目される時代となってきたものと言えそうだ.
このような潮流は言語学の歴史にも見ることができる.20世紀の主流派言語学は,研究対象としてもっぱら話し言葉を重視し,その他のメディア,つまり書き言葉を軽視する方向で発展した.「口頭性にこだわるあまり」,ことばが「語られる場や時代に対して寄せる関心が薄」かったのである.ところが,20世紀後半から21世紀にかけては,社会言語学や語用論など,メディアやコンテクストを重視する傾向が強まってきた.近代言語学が興る以前には,むしろ文献学 (philology) と呼ばれる書き言葉偏重の言語研究の伝統が確立していたわけだから,現代はやはりぐるりと一回転して再び各種のメディアに関心が戻ってきた時代と言えそうだ.
もちろん,一回転して戻ってきたといっても,学問としては一皮むけた状態で戻ってきたということであり,単純な過去への回帰ではないはずである.21世紀の言語学は,話し言葉中心主義,あるいは「内容」中心主義から脱して,他のメディアにも目配りするといった意味での「形式」重視へと舵を切っていると言えるだろう.
関連して,書き言葉の自立性という話題について,本ブログでも「#2339. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (1)」 ([2015-09-22-1]),「#2340. 書き言葉の自立性に関する Vachek の議論 (2)」 ([2015-09-23-1]),「#2431. 書き言葉の自立性に関する Bolinger の議論」 ([2015-12-23-1]),「#2508. 書き言葉の自立性に関する Samuels の議論」 ([2016-03-09-1]) などで議論しているので,ぜひ参照を.
・ 松田 美佐 『うわさとは何か』 中央公論新社〈中公新書〉,2014年.
イングランドにおいて本格的な古英語研究が始まったのは,近代に入ってからである.中英語期には,古英語への関心はほとんどなかったといってよい.では,なぜ近代というタイミングで,具体的には16世紀になってから,古英語が突如として研究すべき対象となったのだろうか.
16世紀は宗教改革の時代である.Henry VIII がローマ教会と絶縁し,自ら英国国教会を設立したのが,1534年.このとき改革派は,英国国教会とその教義の独自性および歴史的継続性を主張する必要があった.そこで持ち出されたのが,言語的伝統,すなわち英語の歴史であった.イングランドという国家と分かち難く結びつけられた英語という言語の伝統が,長きにわたり独自のものであり続けたことを喧伝するのが,改革派にとっては得策と考えられた.また,英語の伝統を遡るという営為は,王権神授説に対抗し,実際的にイングランドの法律や政治的慣行の起源を探るという当時の欲求に適うものでもあった.
古英語文献が印刷に付された最初のものは,Ælfric による復活祭説教集で,1566--67年に A Testimonie of Antiquity として世に出た.それから1世紀の時間をおいて,1659年には William Somner による初の古英語辞書 Dictionarium Saxonico-Latino-Anglicum が出版される.最初の古英語文法も,George Hickes によって1689年に出版されている.そして,1755年にはオックスフォード大学で最初の "Anglo-Saxon" 学の教授職が Richard Rawlinson により設定された(英語史上の1段階としての変種を表わすのに "Old English" ではなく "Anglo-Saxon" という用語が用いられてきたことについては,「#234. 英語史の時代区分の歴史 (3)」 ([2009-12-17-1]),「#236. 英語史の時代区分の歴史 (5)」 ([2009-12-19-1]) を参照).
このように,16--18世紀にかけて古英語研究が勃興ししてきた背景には,純粋に学問的な好奇心というよりは,宗教改革に端を発するすぐれて政治的な思惑があったのである.この経緯について,簡潔には Baugh and Cable (280fn) を,詳しくは武内の「第8章 イングランドのアングロ・サクソン学事始」を参照.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
・ 武内 信一 『英語文化史を知るための15章』 研究社,2009年.
認知言語学 (cognitive_linguistics) は,主として1980年代より発達してきた言語構造と言語行動の研究法である.Cruse の用語集の cognitive linguistics の項によると,この研究法の背景には,いくつかの基本的な前提がある.
(1) 言語は意味を伝達する目的で発展してきたのであり,意味,統語,音韻の別にかかわらず,すべての言語構造はこの機能と関連しているはずである.
(2) 言語能力は,一般的な認知能力に埋め込まれており,それと分かつことはできない.したがって,言語に特化した脳の自律的部位なるものは存在しない.このことが意味論にとってもつ意義は,言語的意味と一般的知識のあいだに,規則的な区別を認めることができないということである.
(3) 意味は本来概念的なものであり,特定の方法で認知的・知覚的な原料を形成し,それに形態を付すことに関与する.
認知言語学者は,真理条件に基づく意味論の方法は意味を適切に説明することができないと主張する.認知言語学は,認知心理学と密接な関係をもっており,とりわけ概念の構造と性質に関する研究に依拠している.認知言語学の発展に特に影響力のある学者を2人挙げるとすれば,Lakoff と Langacker だろう.
認知言語学の前提については,「#1957. 伝統的意味論と認知意味論における概念」 ([2014-09-05-1]) も参照.
・ Cruse, Alan. A Glossary of Semantics and Pragmatics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2006.
glottochronology の方法論を批評した Hymes (11) は,もう1人の人類言語学者 Gleason による1950年代の論著を参照しながら,語彙変化確率に関する3つの前提について解説している.
(1) Every lexical item at every given time has a certain probability of change.
(2) This probability of change is variable, and is influenced by both linguistic and non-linguistic factors.
(3) There exist certain sets of largely independent vocabulary items in which the probability of change within the group is large relative to the variability of that probability of change.
glottochronology では,(1) と (2) は当初から前提とされてきた.Hymes が特に重要だと指摘するのは (3) の仮定である.これによれば,語彙にはある種の閉じた語群がいくつかあり,ある語群は比較的安定し,その安定の度合いの揺れも比較的小さいが,別の語群は比較的不安定であり,その不安定の度合いの揺れも比較的大きいという.具体的にはいわゆる "basic vocabulary" と "non-basic vocabulary" などの区別を念頭においていることは間違いないが,必ずしも定義の明らかでない "(non-)basic" という用語を使わずに,集合論的,統計学的な手法で,それらに相当する語彙の部分集合を取り出せる可能性を示している.実際の検証には,多くの言語の語彙について調査し,それぞれについて長期間にわたる通時的な語彙変化確率を求め,それらを比較するという地道な作業が必要であり,すぐに結論が出るというものではないだろう.しかし,検証可能性は確保されているという点が重要である.
言語一般,あるいは個別言語において,基本語彙 (basic vocabulary) とは何かという問題は,客観的に答えるのが案外難しい.母語話者にとっては直感的に分かるものではあるが,その範囲を客観的に定めるのは難しい.昨日の記事「#2659. glottochronology と lexicostatistics」 ([2016-08-07-1]) でも触れたように,基本語彙の同定に関与する属性として (1) 共時的な commonness (or frequency), (2) 通言語的な universality (of semantic reference), (3) 通時的な (historical) persistence の3種が提案されており,これらが互いにおよその相関関係にあることも知られている.しかし,この3つの属性の各々にどの程度の重みをつけ最終的に基本語彙を決定すべきかについて,特に合意はない.
glottochronology にとっては,基本語彙とはあくまで言語の年代を測定するための材料ではあるが,むしろその材料探しの過程で,基本語彙とは何かという肝心な問題に,実践と理論の両側面から迫ることになったのではないかとも思われる.glottochronology という分野の前提と成果については多くの批判がなされてきたが,その過程で繰り広げられてきた議論はしばしば本質的であり,(人類)言語学史的な貢献は大きいといえるだろう.
glottochronology と基本語彙を巡る問題については,Hymes (32--33) が詳しく議論しているので,そちらを参照.
・ Hymes, D. H. "Lexicostatistics So Far." Current Anthropology 1 (1960): 3--44.
昨日の記事「#2608. 19世紀以降の分野としての英語史の発展段階」 ([2016-06-17-1]) で取り上げたように,英語史記述の伝統は19世紀に始まる.通史はおよそヴィクトリア朝に著わされるようになり,1つの分野としての体裁を帯びてきた.Cable (11) によると,ヴィクトリア朝を中心とする時代に出版された初期の英語史書(部分的なものも含む)の主たるものとして,次のものが挙げられる.
・ Bosworth, J. The Origin of the Germanic ans Scandinavian Languages and Nations. 2nd ed. London: Longman, Rees, Orme, Brown, and Green. 1848 [1836].
・ Latham, R. G. The English Language. 5th ed. London: Taylor, Walton, and Maberly. 1862 [1841].
・ Marsh, G. P. Lectures on the English Language. Rev. ed. New York: Scribner's, 1885 [1862].
・ Mätzner, E. Englische Grammatik. 3 vols. 3rd ed. Berlin: Weidmann, 1880--85 [1860--65].
・ Koch, K. F. Historische Grammatik der englischen Sprache. 4 vols. Weimar: H. Böhlau, 1863--69.
・ Lounsbury, T. R. A History of the English language. 2nd ed. New York: Holt, 1894 [1879].
・ Emerson, O. F. The History of the English Language. New York: Macmillan, 1894.
・ Bradley, H. The Making of English. Rev. ed. Ed. B. Evans and S. Potter. New York: Walker, 1967 [1904].
・ Jespersen, O. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. London: Harcourt, 1982 [1905].
・ Wyld, H. C. The Historical Study of the Mother Tongue. London: Murray, 1906.
・ Jespersen, O. A Modern English Grammar on Historical Principles. 7 vols. London: Allen & Unwin, 1909
・ Smith, L. P. The English Language. London: Williams and Norgate, 1912.
・ Wyld, H. C. A Short History of English. 3rd ed. London: Murray, 1927 [1914].
・ Baugh, A. C. A History of the English Language. 2nd ed. New York: Appleton-Century Crofts, 1957 [1935]. (Co-authored with Thomas Cable (1978--2002). 3rd--5th eds. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall.)
Cable (11) によれば,現在の英語史記述の伝統に連なる最初期のとりわけ重要な著作は Latham と Lounsbury である.ことに後者は1879年に出版されてから,その後の Smith (1912) に至るまでの類書のモデルとなったといってよい.ただし注意すべきは,Lounsbury では,英語史記述の開始がいまだ現在でいうところの中英語期に設定されており,"Old English" あるいは "Anglo-Saxon" はむしろ大陸のゲルマン語の歴史の一部をなすと考えられていた点である.しかし,15年後の Emerson (1894) は,"Old English" を英語史記述の一部として位置づける姿勢を示している.
20世紀が進んでくると,上に挙げたもののほかにも多数の英語史書と呼ぶべき著作が出版されたし,21世紀に入ってもその勢いは衰えていないどころか,ますます活発化している.このことは,英語史という分野が展望の明るい活気のある学問領域であることを示すものである.Cable (15) 曰く,
A casual observer might imagine that 200 years of modern scholarship on 1,300 years of the recorded language would have covered the story adequately and that only incremental revisions remain. Yet the subject continues to expand in fructifying ways, and interacting developments contribute to the vitality of the field: the recognition that cultural biases often narrowed the scope of earlier inquiry; the incorporation of global varieties of English; the continuing changes in the language from year to year; and the use of computer technology in reinterpreting aspects of the English language from its origins to the present.
英語史はおおいに学習し,研究する価値のある分野である.関連して,以下の記事も参照.「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]),「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]),「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]),「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1]).
・ Cable, Thomas. "History of the History of the English Language: How Has the Subject Been Studied." Chapter 2 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 11--17.
今回は,英語史 (history of the English language) という分野が,19世紀以来,言語学やその周辺の学問領域の発展とともにどのように発展してきたか,そして今どのように発展し続けており,今後どのような方向へ向かって行くのかという,メタな問題について考えたい.参照したいのは,Momma and Matto により編まれた大部の英語史手引書の導入部である.
19世紀と20世紀初頭には言語学の関心は専ら音韻や形態の歴史的発達を厳密に探ることだった.比較言語学と呼ばれる専門的な領域が数々の優れた成果をあげ,近代言語学を強力に推し進めた時代である.英語史のような個別言語の歴史も必然的にその勢いに乗り,そこで記述されるべきは,英語の音韻や形態などが経てきた変化の跡であることが当然視されていた.現在いうところの英語の「内面史」 (internal history) である.Matto and Momma (7) によると,
. . . the study of language in the nineteenth and early twentieth centuries was almost exclusively philological. Sound shifts, developments in vocabulary, and syntactic changes were of primary interest, while historical events were at best secondary.
20世紀が進んでくると,比較言語学の伝統とは異なる構造主義的な言語の見方が現われ,言語の内的な体系への関心は相変わらず継続したものの,一方で言語の形式的な要素が社会やその歴史といった言語外の環境によっていかに条件付けられるのかといった問題意識も生じてきた.そして,英語史記述にも言語と社会環境の関係を意識した観点が反映され始めた."emphasis on the social function of language" (Matto and Momma 8) という視点である.ここで,英語史に「外面史」 (external history) という新次元が本格的に付け加わってきたのである.
英語史における内面史と外面史の相互関係を重視する記述の態度は当然の視点となってきたが,その傾向に乗る形で,20世紀後半から,英語史という分野の発展の第3段階ともいえる新たな時代が始まっている.それは,標準英語という主要な1変種の年代記という従来の英語史記述を脱して,非標準的な変種を含めた "Englishes" の歴史を総合しようと試みる段階である.一枚岩ではなく多種多様な英語変種の歴史の総合を目指す,新たな英語史への挑戦である.Matto and Momma (8) は,従来の現代標準英語への接続を意識した古英語,中英語,近代英語の3時代区分という発想は,新しい英語史記述にとっては,あまりに直線的すぎると感じている.
[The tripartite history of Old, Middle, and Modern English] is linear, tracing a straight-line trajectory for a well-defined, unitary language, thus denying a full history to the offshoots, the non-standard dialects, the conservative backwaters, or the avant-garde neologisms of a given historical period. But even if we grant that the "standard" language has until recently had enough momentum to pull along most variants in its wake, such a single straight-line trajectory is insufficient to capture the current global spread and multidimensional changes in the world's Englishes. It may be time to consider the "Old--Middle--Modern" triptych as complete, and to seek new models for representing English in the world today as well as for the processes that led to it.
そのような新しい総合的な英語史記述が容易に達成できるはずはないということは,編者たちもよく理解しているようだ.しかし,これは現在そして未来の英語史のあるべき姿であり,然るべき段階だろう.Matto and Momma (8--9) 曰く,
We cannot offer here a unified image that captures all aspects of the history of English; the result would of necessity be a schematic chimera of chronological lines, branching trees, holistic circles, interactive networks, and evolutionary processes. Such a chimera cannot be easily imagined . . . .
上記の「分野としての英語史の発展段階」について異論はない.しかし,各々の発展段階において共通しているが,触れられていないことが1つある.それは,英語史記述が,社会的な側面をもつ言語という現象の歴史記述である以上,(例えばイギリスという)国にとって英語とは何か,(現在英語を国際的に用いている)世界にとって英語とは何か,人類にとって言語とは何かという問題とは無縁ではあり得ないという事実である.英語史記述とは,常に,このような問いに対して記述者が持論を開陳する機会だと考えている.
・ Matto, Michael and Haruko Momma. "History, English, Language: Studying HEL Today." Chapter 1 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 3--10.
先日,1918世紀半ばの規範英文法書のベストセラー「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) を紹介した.今回は,1918世紀後半にそれを上回った驚異の英文法家とその著者を紹介する.
Lindley Murray (1745--1826) は,Pennsylvania のクエーカー教徒の旧家に生まれた.父親は成功した実業家であり,その跡を継ぐように言われていたが,法律の道に進み,New York で弁護士となった.示談を進める良心的で穏健な仕事ぶりから弁護士として大成功を収め,30代後半にはすでに一財をなしていた.健康上の理由もあり1784年にはイギリスの York に近い Holgate に転置して,人生の早い段階から隠遁生活を始めた.たまたま近所にクエーカーの女学校が作られ,その教師たちに英語修辞学などを教える機会をもったときに,よい英文法の教科書がないので書いてくれと懇願された.当初は受ける気はなかったが,断り切れずに,1年たらずで書き上げた.これが,18世紀中に競って出版されてきた数々の規範文法の総決算というべき English Grammar, adapted to the different classes of learners; With an Appendix, containing Rules and Observations for Promoting Perspicuity in Speaking and Writing (1795) である.したがって,この文法書は,規範主義の野心や商売気とは無関係に生まれた偶然の産物である.
Murray は,序文においても極めて謙虚であり,この文法書を著作 (work) とは呼ばず,先達による諸英文法書の編纂者 (compilation) と呼んだ.参照した著者として Harris, Johnson, Lowth, Priestley, Beattie, Sheridan, Walker, Coote を挙げているが,主として Lowth を下敷きにしていることは疑いない.例の挙げ方なども含めて,Lowth を半ば剽窃したといってもよいくらいである.何か新しいことを導入するということはなく,すこぶる保守的・伝統的だが,読者を意識した素材選びの眼は確かであり,結果として,理性と慣用のバランスの取れた総決算と呼ぶにふさわしい文法書に仕上がった.
English Grammar は出版と同時に爆発的な売れ行きを示し,1850年までに150万部が売れたという.イギリスよりもアメリカでのほうが売れ行きがよく,ヨーロッパや日本でも出版された.19世紀前半においては英文法書の代名詞として君臨し,その後の学校文法の原型ともなった.
以上,Crystal (53) および佐々木・木原(編)(248--49) を参照した.
(後記 2016/06/06(Mon):冒頭に2度「19世紀」と書きましたが,いずれも「18世紀」の誤りでした.ご指摘くださった石崎先生,ありがとうございます.)
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
規範主義が席巻した18世紀の前半における最も重要な文法家は,オックスフォードの詩学教授およびロンドンの主教も務めた聖職者 Robert Lowth (1710--87) である.1755年に Samuel Johnson が後に規範的とされる辞書を世に出した7年後の1762年に,今度は Lowth が一世を風靡することになる規範英文法書 Short Introduction to English Grammar: with Critical Notes を匿名で上梓した.この本は1800年までに45刷りを経るベストセラーとなり,後にこの記録を塗り替えることになる Lindley Murray の大英文法書 English Grammar (1795) の基礎となった本でもある.Lowth の文法書に現われる規範的な文法項目は,その後も長くイギリスの子供たちに教えられ,その影響は20世紀半ばまで感じられた.まさに規範文法の元祖のような著作である.
Lowth の規範主義的な立場は序文に記されている.Lowth は当時の最も教養ある層の国民ですら文法や語法の誤りを犯しており,それを正すことが自らの使命であると考えていたようだ.例えば,有名な規範文法事項として,前置詞残置 (preposition_stranding) の禁止がある.Lowth 曰く,
The Preposition is often separated from the Relative which it governs, and joined to the Verb at the end of the Sentence, or of some member of it: as, "Horace is an author, whom I am much delighted with." . . . . This is an Idiom which our language is strongly inclined to; it prevails in common conversation, and suits very well with the familiar style in writing; but the placing of the Preposition before the Relative is more graceful, as well as more perspicuous; and agrees much better with the solemn and elevated Style.
おもしろいことに,上の引用では Lowth 自身が "an Idiom which our language is strongly inclined to" と前置詞残置を用いているが,これは不用意というよりは,ある種の冗談かもしれない.いずれにせよ,この文法書ではこのような規範主義的な主張が繰り返し現われるのである.
Lowth がこの文法項目を禁止する口調はそれほど厳しいものではない.しかし,Lowth を下敷きにした後世の文法家はこの禁止を一般規則化して,より強く主張するようになった.いつしか文法家は "Never end a sentence with a preposition." と強い口調で言うようになったのである.
この規則に対しておおいに反感を抱いた有名人に Winston Churchill がいる.Churchill が皮肉交じりに "(this was a regulated English) 'up with which we will not put'" と述べたことは,よく知られている (Crystal 51) .
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
昨日の記事「#2579. 最初の英文法書 William Bullokar, Pamphlet for Grammar (1586)」 ([2016-05-19-1]) の話題と関連して,渡部 (68--69) が「近世初頭における国語に対する認識段階」を4つに整理している.その内容を要約しよう.
第1段階は国語に対する劣等感の時代であり,1561年まで続く.英語の語彙は貧弱で野蛮であり,英語でものを書くことはいまだ恥ずかしい所業であるとみなされていた.Gouernour (1531) を著わした Sir Thomas Elyot や Toxophilus (1545) の著者である Roger Ascham もこのグループに属する.
第2段階は1561--86年の四半世紀間であり,外来語の導入を含む様々な手段での語彙増強を通じて,英語が面目を一新した時期である.ここにきて英語に対する自信が見られるようになった.その典型は Sir Philip Sidney の An Apology for Poetrie (c. 1583) に見られ,そこでは英語が他の言語と比較してひけを取らないと述べられている.
第3段階は1585年頃から1650年までで,英語が語彙の点では「豊富」を得て,完全に自信を獲得したが,正書法と文法においてはまだ劣っていると考えられていた.Mulcaster や Bullokar がこのグループに属し,彼らは国語運動が一歩進んでいたイタリアやフランスを意識していた.目指していた英文法はラテン語文法に沿うものであり,ラテン語の権威を借りることによって英語をも高く見せようと企図していた.
第4段階は1650年以降で,英文法をラテン文法より独立させようという方向性が表われ出す.Wallis 以降,むしろラテン語離れを意識した独立した英文法書が目指されるようになる.
昨日取り上げた Bullokar による英語史上初の英文法書は,第3段階を代表するものだったといえるだろう.
初期近代英語期は,英語が国語としての自信を獲得し,ラテン語から自由になっていく過程であるが,それは近代の幕開けに繰り広げられた国家と言語の二人三脚の競技と言えるものだったのである.関連して,「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]) を参照.
・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
英語史上初の英文法書は,William Bullokar (c. 1530--1609) による Pamphlet for Grammar (1586) である.同じ著者による完全な文法は Grammar at large として世に出たようだが,現在は失われており,その簡略版ともいえる Pamphlet のみが残っている.この小冊子は,序文に書かれているように「英語を素早く解析し,より易しく他言語の文法の知識に至るべく」作られたものである.Bullokar は綴字改革案を提示した人物としても知られるが,実際にこの小冊子も改訂綴字で書かれている.Bullokar は,改革綴字の本や辞書など関連書の出版も企画していたようだが,残念ながら,それについては知られていない (Crystal 39) .
Pamphlet は,1509年に出版された William Lily のラテン語文法の英訳版 Short Introduction of Grammar (1548) に多く依拠している.ラテン語文法を土台とした英文法であるから,統語論については弱く,全体として中世的な文法書といえる.16世紀後半における英文法書の登場がラテン語に対する土着語の台頭を象徴するきわめて近代的な出来事であることを考えると,その内容が中世的,ラテン語的であるということは,一種の矛盾をはらんでいる.これについて,渡部 (68) は次のように論じている.
Bullokar にかぎらず,近世初期の文法一般について言えることであるが,序文と実際の内容の乖離が甚だしい,ということが先ず目につく.序文は当時の国語意識,愛国心などから書いているのできわめて新鮮にひびくけれども内容は中世のシステムにのっかることになっていた.これは逆説的にひびくけれども,英語が「文法」の枠に当てはまるほど立派な言語であることを証明するために,なるべくラテン文法に合わせて見せようとしたからである.文法といえば,学問語として権威のあるラテン語独特の属性と思われていたので,ラテン文法と同じ術語で英語を処理してみせることによって,英語がラテン語と同格になったとしてよろこんだのであった.だから,国民意識が新しければ新しいほど,内容は古くなるという逆説的な状況が起った.
このように,英語史上に名を残す最初の英文法書は,気持ちは近代,実質は中世を反映するという独特の歴史のタイミングで現われたのだった.
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
「#2555. ソシュールによる言語の共時態と通時態」 ([2016-04-25-1]) で,共時態と通時態の区別について話題にした.ところで,Saussure (116--17) は Cours で,通時態と共時態の峻別を説いた段落の直後に,標題の2つの言語学の呼称について次のように論じている.
Voilà pourquoi nous distinguons deux linguistiques. Comment les désignerons-nous? Les termes qui s'offrent ne sont pas tous également propres à marquer cette distinction. Ainsi histoire et «linguistique historique» ne sont pas utilisables, car ils appellent des idées trop vagues; comme l'histoire politique comprend la description des époques aussi bien que la narration des événements, on pourrait s'imaginer qu'en décrivant des états de la langue succesifs on étudie la langue selon l'axe du temps; pour cela, il faudrait envisager séparément les phénomènes qui font passer la langue d'un état à un autre. Les termes d'évolution et de linguistique évolutive sont plus précis, et nous les emploierons souvent; par opposition on peut parler de la science des états de langue ou linguistique statique.
Mais pour mieux marquer cette opposition et ce croisement de deux ordres de phénomènes relatifs au même objet, nous préfèrons parler de linguistique synchronique et de linguistique diachronique. Est synchronique tout ce qui se rapporte à l'aspect statique de notre science, diachronique tout ce qui a trait aux évolutions. De même synchronie et diachronie désigneront respectivement un état de langue et une phase d'évolution.
ここで Saussure は用語へのこだわりを見せている.Saussure が「歴史」言語学 (linguistique historique) では曖昧だというのは,時間軸上の異なる点における状態を次々と記述することも「歴史」であれば,ある共時的体系から別の共時的体系へと時間軸に沿って進ませている現象について語ることも「歴史」であるからだ.後者の意味を表わすためには「歴史」だけでは不正確であるということだろう.そこで後者に特化した用語として "linguistic historique" の代わりに "linguistique évolutive" (対して "linguistic statique")を用いることを選んだ.さらに,2つの軸の対立を用語上で目立たせるために,"linguistique diachronique" (対して "linguistic synchronique") を採用したのである.
このような経緯で通時態と共時態の用語上の対立が確立してきたわけが,進化言語学 ("linguistique évolutive") と静態言語学 ("linguistic statique") という呼称も,個人的にはすこぶる直感的で捨てがたい気がする.
・ Saussure, Ferdinand de. Cours de linguistique générale. Ed. Tullio de Mauro. Paris: Payot & Rivages, 2005.
過去3日間の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1], [2016-03-30-1]) で,言語変化を扱う分野において "evolution" という用語がいかにとらえられてきたかを考えた.とりわけ,近年の言語学における "evolution" は,一度その用語に手垢がつき,半ば地下に潜ったあとに再び浮上してきた概念であることを確認した.この沈潜は1世紀以上続いていたといってよく,ここから1つの疑問が生じる.言語学者がダーウィンの革命的な思想の影響を受けたのは19世紀後半だが,なぜそのときに言語学は生物学の大変革に見合う規模の変革を経なかったのだろうか.なぜその100年以上も後の20世紀後半になってようやく "linguistic evolution" が提起され,評価されるようになったのだろうか.この間に言語学(者)には何が起こっていたのだろうか.
この問題について,Nerlich の論文をみつけて読んでみた.Nerlich はこの空白の時間の理由を,(1) 19世紀後半に Schleicher が進化論を誤解したこと,(2) 20世紀前半に Saussure の分析的,経験主義的な方針に立った共時的言語学が言語学の主流となったこと,(3) 20世紀半ばにかけて Bloomfield や Chomsky を始めとするアメリカ言語学が意味,多様性,話者を軽視してきたこと,の3点に帰している.
(1) について Nerlich (104) は, Schleicher はダーウィンの進化論を,持論である「言語の進歩と堕落」の理論的サポートとして利用としたために,本来の進化論の主要概念である "variation, selection and adaptation" を言語に適用せずに終えてしまったことが問題だったとしている.ダーウィン主義を標榜しながら,その実,ダーウィン以前の考え方から離れられていなかったのである.例えば,ダーウィンにとって生物の種の分類はあくまで2次的なものであり,主たる関心は変形の過程だったが,Schleicher は言語の分類にこだわっていたのだ.ダーウィン以前の個体発生の考え方とダーウィンの種の進化論とが混同されていたといってよいだろう.Schleicher は,ダーウィンを真に理解していなかったといえる.
(2) の段階は Saussure に代表される共時的言語学者が活躍するが,その時代に至るまでにも,Schleicher の言語有機体説は青年文法学派 (neogrammarian) 等により,おおいに批判されていた.しかし,その批判は,言語変化の研究への関心のために建設的に利用されることはなく,皮肉なことに,言語変化を扱う通時態という観点自体を脇に置いておき,共時態に関心を集中させる結果となった.また,langue への関心がもてはやされるようになると,parole に属する言語使用や話者の話題は取り上げられることがなくなった.言語は一様であるとの過程のもとで,言語変化とその前提となる多様性や変異の問題も等閑視された.
このような共時態重視の勢いは,(3) に至って絶頂を迎えた.分布主義の言語学や生成文法は意味という不安定な部門の研究を脇に置き,言語の一様性を前提とすることで成果を上げていった.
この (3) の時代を抜け出して,ようやく言語学者たちは使用,話者,意味,多様性,変異,そして変化という世界が,従来の枠の外側に広がっていることに気づいた.この「気づき」について,Nerlich (106--07) は次の一節でやや熱く紹介している.
Thus meaning, language change and language use became problems and were mainly discarded from the science of language for reasons of theoretical tidiness: meaning and change are rather messy phenomena. Hence autonomy, synchrony and homogeneity finally enclosed language in a kind of magic triangle that defended it against any sort of indeterminacy, fluctuation or change. But outside the static triangle, that ideal domain of structural and generative linguistics, lies the terra incognita of linguistic dynamics, where one can discover the main sources of linguistic change, contextuality, history and heterogeneity, fields of study that are slowly being rediscovered by post-Chomskyan and post-Saussurean linguists. This terra incognita is populated by a curious species, also recently discovered: the language user! S/he acts linguistically and non-linguistically in a heterogenous and ever-changing world, constantly trying to adapt the available linguistic means to her/his ever changing ends and communicative needs. In acting and interacting the speakers are the real vectors of linguistic evolution, and their choices must be studied if we are to understand the nature of language. It is not enough to stop at a static analysis of language as a product, organism or system. The study of evolutionary processes and procedures should help to overcome the sterility of the old dichotomies, such as those between langue/parole, competence/performance and even synchrony/diachrony.
このようにして20世紀後半から通時態への関心が戻り,変化といえばダーウィンの進化論だ,というわけで,進化論の言語への応用が再開したのである.いや,最初の Schleicher の試みが失敗だったとすれば,今初めて応用が始まったところといえるかもしれない.
・ Nerlich, Brigitte. "The Evolution of the Concept of 'Linguistic Evolution' in the 19th and 20th Century." Lingua 77 (1989): 101--12.
2日間にわたる標題の記事 ([2016-03-28-1], [2016-03-29-1]) についての第3弾.今回は,evolution の第3の語義,現在の生物学で受け入れられている語義が,いかに言語変化論に応用されうるかについて考える.McMahon (334) より,改めて第3の語義を確認しておこう.
the development of a race, species or other group ...: the process by which through a series of changes or steps any living organism or group of organisms has acquired the morphological and physiological characters which distinguish it: the theory that the various types of animals and plants have their origin in other preexisting types, the distinguishable differences being due to modifications in successive generations.
現在盛んになってきている言語における evolution の議論の最先端は,まさにこの語義での evolution を前提としている.これまでの2回の記事で見てきたように,19世紀から20世紀の後半にかけて,言語学における evolution という用語には手垢がついてしまった.言語学において,この用語はダーウィン以来の科学的な装いを示しながらも,特殊な価値観を帯びていることから否定的なレッテルを貼られてきた.しかし,それは生物(学)と言語(学)を安易に比較してきたがゆえであり,丁寧に両者の平行性と非平行性を整理すれば,有用な比喩であり続ける可能性は残る.その比較の際に拠って立つべき evolution とは,上記の語義の evolution である.定義には含まれていないが,生物進化の分野で広く受け入れられている mutation, variation, natural selection, adaptation などの用語・概念を,いかに言語変化に応用できるかが鍵である.
McMahon (334--40) は,生物(学)と言語(学)の(非)平行性についての考察を要領よくまとめている.互いの異同をよく理解した上であれば,(歴史)言語学が(歴史)生物学から学ぶべきことは非常に多く,むしろ今後期待のもてる領域であると主張している.McMahon (340) の締めくくりは次の通りだ.
[T]he Darwinian theory of biological evolution, with its interplay of mutation, variation and natural selection, has clear parallels in historical linguistics, and may be used to provide enlightening accounts of linguistic change. Having borrowed the core elements of evolutionary theory, we may then also explore novel concepts from biology, such as exaptation, and assess their relevance for linguistic change. Indeed, the establishment of parallels with historical biology may provide one of the most profitable future directions for historical linguistics.
生物(学)と言語(学)の(非)平行性の問題については「#807. 言語系統図と生物系統図の類似点と相違点」 ([2011-07-13-1]) も参照されたい.
昨日の記事 ([2016-03-28-1]) に引き続き,言語変化論における evolution の解釈について.今回は evolution の目的論 (teleology) 的な含意をもつ第2の語義,"A series of related changes in a certain direction" に注目したい.昨日扱った語義 (1) と今回の語義 (2) は言語変化の方向性を前提とする点において共通しているが,(1) が人類史レベルの壮大にして長期的な価値観を伴った方向性に関係するのに対して,(2) は価値観は廃するものの,言語変化には中期的には運命づけられた方向づけがあると主張する.
端的にいえば,目的論とは "effects precede (in time) their final causes" という発想である (qtd. in McMahon 325 from p. 312 of Lass, Roger. "Linguistic Orthogenesis? Scots Vowel Length and the English Length Conspiracy." Historical Linguistics. Volume 1: Syntax, Morphology, Internal and Comparative Reconstruction. Ed. John M. Anderson and Charles Jones. Amsterdam: North Holland, 1974. 311--43.) .通常,時間的に先立つ X が生じたから続いて Y が生じた,という因果関係で物事の説明をするが,目的論においては,後に Y が生じることができるよう先に X が生じる,と論じる.この2種類の説明は向きこそ正反対だが,いずれも1つの言語変化に対する説明として使えてしまうという点が重要である.例えば,ある言語のある段階で [mb], [md], [mg], [nb], [nd], [ng], [ŋb], [ŋd], [ŋg] の子音連続が許容されていたものが,後の段階では [mb], [nd], [ŋg] の3種しか許容されなくなったとする.通常の音声学的説明によれば「同器官性同化 (homorganic assimilation) が生じた」となるが,目的論的な説明を採用すると,「調音しやすくするために同器官性の子音連続となった」となる.
言語学史においては,様々な論者が目的論をとってきたし,それに反駁する論者も同じくらい現われてきた.例えば Jakobson は目的論者だったし,生成音韻論の言語観も目的論の色が濃い.一方,Bloomfield や Lass は,目的論の立場に公然と反対している.McMahon (330--31) も,目的論を「目的の目的論」 (teleology of purpose) と「機能の目的論」 (teleology of function) に分け,いずれにも問題点があることを論じ,目的論的な説明が施されてきた各々のケースについて非目的論的な説明も同時に可能であると反論した.McMahon の結論を引用して,この第2の意味の evolution の妥当性を再考する材料としたい.
There is a useful verdict of Not Proven in the Scottish courts, and this seems the best judgement on teleology. We cannot prove teleological explanations wrong (although this in itself may be an indictment, in a discipline where many regard potentially falsifiable hypotheses as the only valid ones), but nor can we prove them right; they rest on faith in predestination and the omniscient guiding hand. More pragmatically, alleged cases of teleology tend to have equally plausible alternative explanations, and there are valid arguments against the teleological position. Even the weaker teleology of function is flawed because of the numerous cases where it simply does not seem to be applicable. However, this rejection does not make the concept of conspiracy, synchronic or diachronic, any less intriguing, or the perception of directionality . . . any less real.
・ McMahon, April M. S. Understanding Language Change. Cambridge: CUP, 1994.
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