昨日の記事「#3886. 英語史上の主要な子音変化」 ([2018-08-04-1]) で言及した別の記事「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]) と関連して,なぜ英語音韻史において母音変化は著しく,子音変化は目立たないのかという問題について考えてみたい.
Ritt (224) はこの傾向を "rhythmic isochrony" と "fixed lexical stress on major class lexical items" の2点に帰している.つまり,英語に内在するリズム構造,あるいは音律特性により,母音が強化し,子音が弱化するという方向付けがなされているという見解だ.
服部 (67) によれば,英語は各韻脚 (foot) がほぼ等しい時間で発音される韻脚拍リズム (foot-timed rhythm) の言語に属する(ちなみに日本語は音節泊 (syllable-timed rhythm) あるいはモーラ泊 (mora-timed rhythm) という相対するタイプの言語).一般に韻脚拍の言語は,母音推移,連鎖的推移,二重母音化,母音弱化など母音にまつわる推移が相対的にずっと多いことが知られている.各韻脚の等時性を保持するために,強勢音節はとりわけ強く,無強勢音節はとりわけ弱く発音されるという対照的な傾向が生じ,なかんずく母音が変化にさらされやすくなるという事情があるようだ.
より一般的な観点からいえば,言語のリズム構造は,その言語の音韻変化に思いのほか大きな影響を及ぼしており,ある程度まではその方向性を決定しているとすらいえるのかもしれない.服部 (48) は次のように論じている.
音変化の発端は実際の発話において生じる.もちろん,発話内で生じた音の変容がすべて音変化として確立するわけではないが,発端はあくまで実時間上の発話内で生じると考えられる.発話に際して,特定の形態・統語構造を持った語彙項目(の連鎖)が実際の発話において当該言語のリズム構造 (rhythmic structure) に写像される.リズム構造その他の音律 (prosody) 特性は幼児の言語獲得において分節音より早く獲得されることが知られており,部分的には胎児の段階から獲得が始まるとされている.この事実からも明らかなように,リズム(および,その他の音律)構造は,一般に考えられている以上に,分節音体系と深く結びついており,われわれが発話する際には,特定のリズム構造に合わせて分節音連鎖を配置していると想定される.その際,脚韻(foot,強勢音節から次の強勢音節の直前までを一まとめにした単位)や音節 (syllable) などのリズム上の単位の知覚しやすさや分節音連鎖の調音の容易さを高めるような形で各種音韻過程が働く.多くの規則的音変化の要因は言語音の調音と知覚の要請によって動機づけられているといってよい.
これは「堅牢なリズム構造と,それに従属する柔軟な分節音」という斬新な音韻観に基づく音韻論である.
・ Ritt, Nikolaus. "How to Weaken one's Consonants, Strengthen one's Vowels and Remain English at the Same Time." Analysing Older English. Ed. David Denison, Ricardo Bermúdez-Otero, Chris McCully, and Emma Moore. Cambridge: CUP, 2012. 213--31.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
昨日の記事 ([2018-07-28-1]) に引き続き,大母音推移 (gvs) の話題.Minkova and Stockwell は,GVS と称されている現象は1つの音韻過程ではなく,3つの部分からなる複合的なプロセスとみている.Minkova and Stockwell (34) による改訂版 GVS の図は以下の通り(服部,p. 60 の図を参照し,見やすくするために少々改変を加えた).
Minkova and Stockwell は,上二段 (Upper Half) の太い実線で示される過程のみが純粋な意味での連鎖推移 (Chain Shifts) であり,下二段の破線で示される部分は融合 (Mergers) の過程として区別している. また,内側の細い実線で示される過程 (Diaphones) は各変種における異音の変化を表わしており,GVS とは独立した Center Drift という別の変化としてとらえている.つまり,全体が Chain Shifts, Mergers, Center Drift という独立した3部分から構成されており,決して1つの音韻過程ではないと主張しているのである.
各々の過程が生じた年代もまちまちで,Chain Shifts が1550年頃までには終わっていたのに対して,Mergers は18世紀まで継起的に起こっており,Center Drift は現代でも各地域変種で続いているという.
英語音韻史上の最大の謎である大母音推移を巡っては,近年でもこのように新解釈が提案されている.比較的最近の他の提案としては,以下も参照.
・ 「#495. 一枚岩でない大母音推移」 ([2010-09-04-1])
・ 「#1404. Optimality Theory からみる大母音推移」 ([2013-03-01-1])
・ 「#1405. 北と南の大母音推移」 ([2013-03-02-1])
・ 「#1422. 大母音推移の入力は内わたり2重母音だった?」 ([2013-03-19-1])
・ 「#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析」 ([2015-01-07-1])
・ Minkova, Donka and Robert Stockwell. "Phonology: Segmental Histories." A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Chichester: Wiley-Blackwell, 2008. 29--42.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
大母音推移 (gvs) が英語音韻史上,最大の謎と称されるのは,連鎖的な推移であるとは想定されているものの,母音四辺形のどこから始まったかについて意見が分かれているためである.上昇や2重母音化の過程がどこから始まり,次にどこで生じたのかが分からなければ,push chain も drag chain も論じにくい.近年では「大母音推移」は1つの連鎖的な推移とみなすことはできず,複数の変化の集合体にすぎないという立場を取る論者も少なくない.服部 (58--59) は,大母音推移の開始点と開始時期を巡る問題について,学説史を踏まえて次のようにまとめている.
GVS を構成する各変化は同時に起こったわけではなく,上二段の変化 (eː → iː, oː → uː, iː → əɪ, uː → əʊ) は下二段の変化に比べかなり早く,1400年頃に始まり1550年頃までには完了していたと考えられる.一方,下二段の変化については,それから数十年遅れて開始され,1700年代中頃まで変化の過程が継続していたとされる.上二段のうち,狭母音の二重母音化と狭中母音の上昇化のいずれかが先に起こったかについては,意見が分かれ,Jespersen (1909) は,まず狭母音が二重母音化を開始し,次いでその結果生じた空白を埋めるべく,一段下の狭中母音が引き上げられたと主張した.これを引き上げ連鎖説 (drag-chain theory) という.他方,オーストリアの Karl Luick (1865--1935) はその著書 (1914--1940) において,Jespersen とは逆に,狭中母音の上昇化が先に起こり,/iː/, /uː/ の位置まで高められたため,/iː/, /uː/ は新しい狭母音との融合を回避するため,いわばそれに押し上げられる形で二重母音化したとする説を提唱した.これを押し上げ連鎖説 (push-chain theory) と称する.押し上げ連鎖説に関して,母音空間の最下段,すなわち広母音からの連鎖的押し上げを主張する論者が少なからずいるが,GVS に関する限りは,上述の上二段と下二段の時期的ずれからみて,最下段から連鎖推移が始まったと考えるのは無理である.また,GVS の開始時期についても意見が分かれており,近年では13世紀にまで遡らせることができ,しかも上二段の変化はほぼ同時に始まったとする論者もいる (Stenbrenden 2010, 2016 など).
いわゆる GVS は,上二段と下二段に関する少なくとも2つの異なる音韻変化からなっていると考えた方がよさそうである.先に上二段の過程が,後に下二段の過程が開始され,振り返ってみれば全体として音韻がシフトしたように見えるというわけだ.上二段について引き上げなのか押し上げなのかという論争にも決着がついていない.
明日の記事で,影響力のある Minkova and Stockwell が近年提示した GVS の解釈を覗いてみたい.
・ 服部 義弘 「第3章 音変化」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.47--70頁.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Copenhagen: Munksgaard, 1909.
・ Luick, Karl. Historische Grammatik der englischen Sprache. 2 vols. Oxford: Basil Blackwell, 1914--40.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. The Chronology and Regional Spread of Long-Vowel Changes in English, c. 1150--1500. Diss. U of Oslo, Oslo, 2010.
・ Stenbrenden, Gjertrud Flermoen. Long-Vowel Shifts in English, c. 1150--1700: Evidence from Spelling. Cambridge: CUP, 2016.
古生物学や地質学では,示準化石 (index fossil) と呼ばれるものがある.例えば三葉虫の化石が見つかれば,それを含む地層が古生代であることがわかるし,アンモナイトであれば中生代,哺乳類であれば新生代などと考えてよい.生存期間が短く,地理的な分布が広く,様々な種類の堆積岩から多く産出し,形態的特徴がわかりやすいものが選ばれる.
「#3162. 古因学」 ([2017-12-23-1]) の対象となるもの,歴史的な考察対象となるものであれば,示準○○や示相○○という考え方がおよそ通用するのではないかと思い,言語にも応用してみることにした.まず思いつくのは,語の時代推定に資する音韻変化・交替である.ある音韻特徴を反映しているか否かにより,その語が当該言語に現われたのが,特定の年代よりも前なのか後なのかが判明するケースが少なくない.
例えば,skill, skin, skirt など前舌母音の前位置で <sk> = /sk/ を示す現代英語の単語は,古英語後期以降に古ノルド語から借用された語である可能性が大きい.英語では前舌母音の前位置では,/sk/ は口蓋化して /ʃ/ = <sh> となるのが規則だったからである.つまり,shine, ship, shirt は,おそらく古英語本来語であると内的に推定される(cf. 「#1511. 古英語期の sc の口蓋化・歯擦化」 ([2013-06-16-1]),「#2944. ship, skiff, skip(per)」 ([2017-05-19-1])).
大母音推移 (gvs) の効果の有無も,同じような役割を果たす.design, divine, polite などは2重母音を示すことから推移前(おそらくは15世紀以前)に借用されたと考えられるが,同じフランス語からの借用語でも machine, police, unique などは長母音を示すことから推移後に英語に入ってきたと内的に推定できる(cf. 「#2523. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か (3)」 ([2016-03-24-1])).
化石の場合ほどの精度は期待できないものの,上記の語群は年代推定にヒントを与えてくれる「示準語彙」と呼ぶことができるのではないか.
英語音韻史では慣例として,古英語の West-Saxon 方言において <æ> で綴られる長母音は,その起源に応じて2種類に区別される.それぞれ伝統的に ǣ1 と ǣ2 として言及されることが多い(ただし,厄介なことに研究者によっては 1 と 2 の添え字を逆転させた言及もみられる).この2種類は,中英語以降の歴史においても方言によってしばしば区別されることから,方言同定に用いられるなど,英語史研究上,重要な役割を担っている.
中尾 (75--76) によれば,ゲルマン語比較言語学上,ǣ1 と ǣ2 の起源は異なっている.ǣ1 は西ゲルマン語の段階での *[aː]- が鼻音の前位置を除き West-Saxon 方言において前舌化したもので,non-West-Saxon 方言ではさらに上げを経て [eː] となった (ex. dǣd "deed", lǣtan "let", þǣr "there") .一方,ǣ2 は西ゲルマン語の *[aɪ] が古英語までに [ɑː] へ変化したものが,さらに i-mutation を経た出力である (ex. lǣran "teach", dǣlan "deal") .これは,West-Saxon のみならず Anglian でも保たれたが,Kentish では上げにより [eː] となった.したがって,ǣ1 と ǣ2 の音韻上の関係は,West-Saxon では [æː] : [æː],Anglian では [eː] : [æː],Kentish では [eː] : [eː] となる.まとめれば,以下の通り.
PGmc aː > OE WS æː NWS æː > eː WGmc aɪ > OE ɑː > (i-mutation) WS, Angl æː K æː > eː
・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.
「#2942. ゲルマン語時代の音変化」 ([2017-05-17-1]) に引き続き,Hamer (15) より,標題の時代に関係する2つの音変化を紹介する.
Sound change | Description | Examples |
---|---|---|
D | The diphthongs all developed as follows: ai > ā, au > ēa (ēa = ǣa), eu > ēo, iu > īo. (This development of eu and iu was in fact very much later, but it is placed here in the interests of simplification.) | |
E | a > æ unless it came before a nasal consonant. | dæg, glæd, but land/lond. |
The effects can be seen in comparing say OE dæg, OFr deg with Go dags, OIc dagr, OHG tag. (The original [æ] was later raised in Frisian.)
In outline, AFB turns low back */留/ to [æ], except before nasals (hence OE, OHG mann but dæg vs. tag. It is usually accepted that at some point before AFB (which probably dates from around the early fifth century), */留/ > [留̃] before nasals, and the nasalized vowel blocked AFB.
AFB は古英語の名詞屈折などにおける厄介な異形態を説明する音変化として重要なので,古英語学習者は気に留めておきたい.
・ Hamer, R. F. S. Old English Sound Changes for Beginners. Oxford: Blackwell, 1967.
・ Lass, Roger. Old English: A Historical Linguistic Companion. Cambridge: CUP, 1994.
3月21日付で,英語史連載企画「現代英語を英語史の視点から考える」の第3回の記事「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」が公開されました.今回は,拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』の第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」で取り上げた話題と関連して,特に「母音の表記の仕方」に注目し,掘り下げて考えています.現代英語の母音(音声)と母音字(綴字)の関係が複雑であることに関して,音韻論や文字史の観点から論じています.この問題の背景には,実に3千年を優に超える歴史物語があるという驚愕の事実を味わってもらえればと思います.
以下に,第3回の記事と関連する本ブログ内の話題へのリンクを張っておきます.合わせてご参照ください.
・ 「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」 ([2010-09-12-1])
・ 「#1024. 現代英語の綴字の不規則性あれこれ」 ([2012-02-15-1])
・ 「#2405. 綴字と発音の乖離 --- 英語綴字の不規則性の種類と歴史的要因の整理」 ([2015-11-27-1])
・ 「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1])
・ 「#2515. 母音音素と母音文字素の対応表」 ([2016-03-16-1])
・ 「#1826. ローマ字は母音の長短を直接示すことができない」 ([2014-04-27-1])
・ 「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1])
・ 「#1837. ローマ字とギリシア文字の字形の差異」 ([2014-05-08-1])
・ 「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1])
・ 「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1])
「#2714. 大母音推移の社会音韻論的考察」 ([2016-10-01-1]) に引き続き,大母音推移 (gvs) という音韻論上の過程を社会言語学的な観点から説明しようとする試みについて考える.前の記事では1つの見方を概論的に紹介した程度だったが,諸家によって想定される母音の分布や関係する英語変種は若干異なっている.今回は,Smith (101--06) に従って,もう1つの社会音韻論的な説明を覗いてみよう.
Smith は,Chaucer の時代までにロンドンでは2つの異なる母音体系が並存していたと仮定している(Smith (102) からの下図を参照).System I は,Chaucer に代表される上層階級に属する人々のもっていた体系であり,前舌系列が5段階と複雑だが,社会的な威信をもっていたと考えられる.* の付された長母音は,対応する短母音が中英語開音節長化 (Middle English Open Syllable Lengthening; meosl) を経て若干位置を下げながら長化した音である.一方,System II は,それ以外の多くのイングランド南部・中部方言の話者がもっていた体系であり,前舌系列が4段階だったと想定されている.
System I | System II | |||||||||||||||||
iː | > | ɪi | uː | > | ʊu | iː | > | əɪ | uː | > | əʊ | |||||||
eː | > | eː̝ | oː | > | oː̝ | eː | > | iː | oː | > | uː | |||||||
ɛː̝* | ɔː̝* | ɛː | > | eː | ɔː | > | oː | |||||||||||
ɛː | ɔː | aː* | > | ɛː, eː | ||||||||||||||
aː* | > | æː |
大母音推移 (gvs) がいかにして始まり,進行したかは,長らく熱い議論の対象となってきたが,近年は,社会言語学の立場から音韻変化を研究する社会音韻論を用いた説明がはやりのようである.説明自体は込み入っているが,Gramley (134) の英語史概説書に短めに要約されているので,引用しよう.
A second socially more plausible scenario attributes initiation of the shift to the fact that London English originally had four long front vowels . . . . The lower classes in London were merging meat /ɛː/ and meet /eː/ into the higher vowel /eː/. The socially higher standing may then have raised their /eː/ toward /iː/ and their /oː/ toward /uː/, possibly following the model of French, which was also raising these vowels. But in any case the effect was to set themselves off from the lower orders . . . . In addition, newcomers in London such as the East Anglian cloth-traders migrating to London in the fourteenth and fifteenth centuries had only three long front vowels: they did not distinguish /ɛː/ and /eː/. In their move to accommodate to London speech they would have raised and differentiated their mid-vowel, making London /ɛː/ into /eː/ and London /eː/ into /iː/ . . . .
後期中英語期から初期近代英語期にかけて,ロンドンの高層階級は4段階の母音体系をもっていたが,低層階級ではそれが3段階の母音体系に再編成されていた.高層階級は,おそらくフランス語の高めの調音を真似ることにより,低層階級の「野暮ったい」発音からなるべく異なる発音を求めようとした.一方,3段階の母音体系をもっていたイースト・アングリアからの移住者が大量にロンドンに流れ込むと,彼らは社会的な上昇志向から,高層階級の話し方を部分的に真似ようとして4段階での調音を試み,これが契機となって,ロンドン英語が全体的に1段階持ち上がるという結果となった.
異なる社会集団の話す異なる変種がロンドンという地で接触し,集団間の離反や近接という複雑な社会心理的動機づけにより,再編成された,というシナリオである.現代と異なり,過去の社会言語学的状況を復元するのは難しいため,歴史社会音韻論にはいかに説明力を確保するかという大きな課題がついて回る.しかし,近年,様々な論者がこの見解を支持するようになってきている.Fennell (160--61) や,さらに詳しくは Smith の2著の該当章も参照されたい.
・ Gramley, Stephan. The History of English: An Introduction. Abingdon: Routledge, 2012.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
・ Smith, Jeremy J. Sound Change and the History of English. Oxford: OUP, 2007.
・ Smith, Jeremy J. An Historical Study of English: Function, Form and Change. London: Routledge, 1996.
2重母音 (diphthong) は,単母音 (monophthong) やその他の「母音」と名のつく単位とともに,1つの母音体系をなし,子音体系と対立するものと考えられるが,一方で,単母音とも子音とも異なる第3の体系をなすという考え方もあり得るようだ.Samuels (32) 曰く,
. . . it is uncertain whether diphthongs should be regarded as constituting a third system, distinct from those of vowels or consonants. They evidently perform the same function as vowels in structure, and in some systems it would be misleading to separate them since they patently complete a vowel-pattern that would otherwise be incomplete. At the same time, the degree of phonetic distinctiveness from neighbouring vowels that is achieved by the gliding property of diphthongs is often greater than might be expected, and they are therefore better regarded as a partly autonomous section of the vowel system as a whole; they possess an extra feature that enables them to remain close to, yet distinct from, vowels in the total vocalic space available, and their function can be important. It is probably for this reason that where, by simplificatory change, diphthongs merge with monophthongs (e.g. OE ēo > ME /e:/, ēa > /ɛ:/) a new series of diphthongs arises, as seen in ME dai, sauȝ . . .; or, conversely, where extra diphthongs are created, other diphthongs are monophthongised . . . .
なるほど,限られた音韻空間 (phonological space) を最大限に活用するためには,単母音ではないが,それと同等の機能単位として2重母音なるものを作り出すことができれば有効だろう.このように考えると,単母音と2重母音は有限の音韻空間を使いこなすために協同しているかのように見えてくる.協同できるということは,互いに仲間ではあるが個としては独立しているということでもあり,言い換えれば半自律的ということにもなる.
上の引用の最後で触れられているが,英語の音韻史をひもとくと,2重母音を欠いている時期はないではないが,そのような時期は長くは続かず,やがて新しい2重母音が生み出されて,単母音との協同が再開している (「#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化」 ([2014-12-09-1]) の表における OE--ME および 12th c. の欄を参照) .2重母音の存在があたかも半ば義務であるかのように感じさせる音韻史である.
私は音韻理論にはあまり詳しくないが,このような2重母音の見方は現在の音韻理論に反映されているのだろうか (cf. 「#1404. Optimality Theory からみる大母音推移」 ([2013-03-01-1]),「#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析」 ([2015-01-07-1])) .関連して,長母音や3重母音などはどのように位置づけられているのだろうか.2重母音と同様に半自律的な体系なのか,あるいは単母音体系か2重母音体系の下位区分にすぎないのか.通時的な音韻変化の観点から理論的に迫ってみたい問題である.
・ Samuels, M. L. Linguistic Evolution with Special Reference to English. London: CUP, 1972.
「#775. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か」 ([2011-06-11-1]),「#2438. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か (2)」 ([2015-12-30-1]),「#2439. 大母音推移の英語音韻史上の意義」 ([2015-12-31-1]) で,大母音推移 (gvs) の評価について論じた.大母音推移は発音と綴字の乖離を生み出した諸要因のなかでも特に重大で広範な影響を及ぼした要因と信じられているが,果たしてその評価はどこまで妥当なのか.
Sato は,3巻からなる初級英語教科書 New Crown English Series より日常英単語924語を抜き出し,そこに含まれる母音について,綴字と発音の関係が大母音推移によってどの程度影響を受けているかを調べた.具体的には,発音と綴字の関係がより緊密だった古英語や中英語における発音と比較しながら,現代の両者の関係が,大母音推移によって説明され得る単語が何種類あるのかを数えた.
Sato は,中英語から大母音変化を経て近現代英語にまで続いた母音変化のタイプによって,以下のように9種類の語群を区別している.(i) /iː/ > /ai/; (ii) /uː/ > /au/; (iii) /eː/ > /iː/; (iv) /oː/ > /uː/; (v) /ɛː/ > /eː/ > /iː/; (vi) /ɔː/ > /ou/; (vii) /ɑː/ > /ei/; (viii) new /ɔː/; (ix) new /ɑː/ .(i) から (vii) までは,一般にいわれる大母音推移の入力と出力を表しているが,(viii) と (ix) については大母音推移が完了した後に別のソースから発現した新たな長母音であり,大母音推移との関係はあくまで間接的な意味においてであることに注意したい.では,Sato (20) の数値を示そう.
Members | (Exceptions) | Total | |
---|---|---|---|
Group (i) | 70 | (11) | 81 |
(ii) | 26 | (19) | 45 |
(iii) | 40 | (1) | 41 |
(iv) | 16 | (34) | 50 |
(v) | 28 | (25) | 53 |
(vi) | 40 | (30) | 70 |
(vii) | 39 | (6) | 45 |
(viii) | 71 | -- | 71 |
(ix) | 47 | -- | 47 |
Total | 377 | 126 | 503 |
安藤 (37--39) に従って,古英語の主要な母音がいかにして中英語へ継承されたかを概括しよう.変化を受けたもの,受けなかったもの,中英語で新たに生じたものなど様々である.実際には方言によって事情は異なるが,大雑把にいって南部方言をモデルとしている.
古英語 | 中英語 | 変化のタイプ | |
---|---|---|---|
1 | [i] biddan 'bid' | [i] bidde(n) | 無変化 |
2 | [u] sunu 'sun', cuman 'come' | [u] sone, come(n) | 無変化 |
3 | [o] hors 'horse' | [o] hors | 無変化 |
4 | [iː] wīf 'woman' | [iː] wīf | 無変化 |
5 | [eː] fēt 'feet' | [eː] fēt | 無変化 |
6 | [uː] hūs 'house' | [uː] hūs/hous | 無変化 |
7 | [oː] gōd 'good' | [oː] gōd | 無変化 |
8 | [y] pytt 'pit' | [i] pit | ???????????? |
9 | [ɑ] a. catt 'cat' | 閉音節 [a]ː cat | 前舌化 |
b. nama | 開音節 [aː]ː nāme | 前舌化+長音化 | |
10 | [æ] a. bæc 'back' | 閉音節 [a]ː bak | 後舌化 |
b. æcer 'acre' | 開音節 [aː]ː āker | 後舌化+長音化 | |
11 | [e] a. settan 'set' | 閉音節 [e]ː sette(n) | 無変化 |
b. mete 'meat' | 開音節 [ɛː]ː mēte | 上げ+長音化 | |
12 | [o] col 'coal' | 開音節 [oː]ː cōle | 長音化 |
13 | [yː] hȳdan 'hide' | [iː] hīde(n) | ???????????? |
14 | [æː] a. dǣd 'deed' | [eː] dēd | 筝???? |
b. sǣ 'sea', dǣl 'deal' | [ɛː] sē, dēl | 上げ(2段) | |
15 | [ɑː] stān 'stone', hām 'home' | [ɔː] stōn, hōm | 筝???? |
16 | [io] hiora 'their' | [i] hire | 単純母音化 |
17 | [iːo] līoht 'light' | [iː] līht | 長母音化 |
18 | [ie] giefan 'give', ieldra 'elder' | [i] yiven, ylder | 単純母音化 |
19 | [iːe] hīeran 'hear' | [iː] hīre/hūre | 長母音化 |
20 | [eo] heorte 'heart' | [e] herte | 単純母音化 |
21 | [eːo] dēop 'deep' | [eː] dēp | 長母音化 |
22 | [ɛɑ] hearm 'harm' | [a] harm | 単純母音化 |
23 | [ɛːɑ] drēam 'dream' | [ɛː] drēm | 長母音化 |
24 | [iː+w] tīwesdæg | [iu] tiwesday | 母音+子音からの2重母音化 |
25 | [æ+j] dæg | [ai] dai | 母音+子音からの2重母音化 |
26 | [eːo+w] cnēow | [eu] knew | 母音+子音からの2重母音化 |
27 | [ɑ+w] clawu | [au] clawe | 母音+子音からの2重母音化 |
28 | [aː+w] cnāwan | [ou] knowe(n) | 母音+子音からの2重母音化 |
29 | --- | [oi] vois (OF) | 古フランス語からの借用 |
昨日の記事「#2438. 大母音推移は,発音と綴字の乖離の最大の元凶か (2)」 ([2015-12-30-1]) で,大母音推移の英語綴字史における意義について考察し,その再評価を試みた.では,大母音推移の英語音韻史上の意義は何だろうか.大母音推移は,当然ながら第1義的に音韻変化であるから,その観点からの意義と評価が最重要である.
昨日も引用した Brinton and Arnovick (313) が,大母音推移の音韻史上の意義について詳しく正確に論じている.
[The Great Vowel Shift] eliminated the distinction between long and short vowels that had characterized both the Old and Middle English phonological systems. The long vowels were replaced by either diphthongs or tense vowels, which contrasted with the lax short vowels. Thus, the vowel system underwent a significant change from one based on distinctions of quantity (e.g. OE god 'deity' vs gōd ('good') to one based on distinctions of quality. While modern English does have long and short vowels (e.g. sea vs ceased), this distinction is now merely an allophonic difference, completely predictable by the voicing qualities or number of consonants that follow the vowel.
大母音推移を契機として,英語の母音体系が量に基づくものから質に基づくものへと変容を遂げたというの指摘は,大局的かつ重要な洞察である.大袈裟にいえば,社会の革命や人生の方向転換に相当するような変身ぶりではないだろうか.母音の量の区別を重視する日本語のような言語の母語話者にとって,現代英語の音声の学習は易しくないが,これも大母音推移に責任の一端があるということになる.日本語母語話者にとっては,大母音推移以前の母音体系のほうが馴染みやすかったに違いない.
ある音韻変化をその言語の音韻史上に位置づけ,大局的に評価するという試みは,これまでも行われてきた.例えば,母音変化に関しては「#1402. 英語が千年間,母音を強化し子音を弱化してきた理由」 ([2013-02-27-1]),「#2052. 英語史における母音の主要な質的・量的変化」 ([2014-12-09-1]),「#2063. 長母音に対する制限強化の歴史」 ([2014-12-20-1]),「#2081. 依存音韻論による大母音推移の分析」 ([2015-01-07-1]) で論じてきたとおりである.
しかし,このような大局的な評価それ自体は,いったい歴史言語学において何を意味するものなのだろうか.そのような評価の背景には,偏流 (drift) や目的論 (teleology) といった言語変化観の気味も見え隠れする.大母音推移を通じて,言語の歴史記述 (historiography) という営みについて再考させられる機会となった.
2015年も hellog 講読,ありがとうございました.2016年もよろしくお願いします.
・ Brinton, Laurel J. and Leslie K. Arnovick. The English Language: A Linguistic History. Oxford: OUP, 2006.
現代英語には <ai>, <ea>, <ie>, <oo>, <ou>, <ch>, <gh>, <ph>, <qu>, <sh>, <th>, <wh> 等々,2文字素で1単位となって特定の音素を表わす二重字 (digraph) が存在する.「#2049. <sh> とその異綴字の歴史」 ([2014-12-06-1]),「#2418. ギリシア・ラテン借用語における <oe>」 ([2015-12-10-1]),「#2419. ギリシア・ラテン借用語における <ae>」 ([2015-12-11-1]) ほかの記事で取り上げてきたが,今回はこのような digraph の問題について論じたい.beautiful における <eau> などの三重字 (trigraph) やそれ以上の組み合わせもあり得るが,ここで述べる digraph の議論は trigraph などにも当てはまるはずである.
そもそも,ラテン語のために,さらに遡ればギリシア語やセム系の言語のために発達してきた alphabet が,それらとは音韻的にも大きく異なる言語である英語に,そのままうまく適用されるということは,ありようもない.ローマン・アルファベットを初めて受け入れた古英語時代より,音素の数と文字の数は一致しなかったのである.音素のほうが多かったので,それを区別して文字で表記しようとすれば,どうしても複数文字を組み合わせて1つの音素に対応させるというような便法も必要となる.例えば /æːa/, /ʤ/, /ʃ/ は各々 <ea>, <cg>, <sc> と digraph で表記された (see 「#17. 注意すべき古英語の綴りと発音」 ([2009-05-15-1])) .つまり,英語がローマン・アルファベットで書き表されることになった最初の段階から,digraph のような文字の組み合わせが生じることは,半ば不可避だったと考えられる.英語アルファベットは,この当初からの問題を引き継ぎつつ,多様な改変を加えられながら中英語,近代英語,現代英語へと発展していった.
次に "digraph" という用語についてである.この呼称はどちらかといえば文字素が2つ組み合わさったという形式的な側面に焦点が当てられているが,2つで1つの音素に対応するという機能的な側面を強調する場合,"compound grapheme" (Robert 14) という用語が適切だろう.Robert (14) の説明に耳を傾けよう.
We term ai in French faire or th in English thither, compound graphemes, because they function as units in representing single phonemes, but are further divisible into units (a, i, t, h) which are significant within their respective graphemic systems.
compound grapheme (複合文字素)は連続した2文字である必要もなく,"[d]iscontinuous compound grapheme" (不連続複合文字素)もありうる.現代英語の「#1289. magic <e>」 ([2012-11-06-1]) がその例であり,<name> や <site> において,<a .. e> と <i .. e> の不連続な組み合わせにより2重母音音素 /eɪ/ と /aɪ/ が表わされている.
複合文字素の正書法上の問題は,次の点にある.Robert も上の引用で示唆しているように,<th> という複合文字素は,単一文字素 <t> と <h> の組み合わさった体裁をしていながら,単一文字素に相当する機能を果たしているという事実がある.<t> も <h> も単体で文字素として特定の1音素を表わす機能を有するが,それと同時に,合体した場合には,予想される2音素ではなく新しい別の1音素にも対応するのだ.この指摘は,複合文字素の問題というよりは,それの定義そのもののように聞こえるかもしれない.しかし,ここで強調したいのは,文字列が横一列にフラットに表記される現行の英語書記においては,<th> という文字列を見たときに,(1) 2つの単一文字素 <t>, <h> が個別の資格でこの順に並んだものなのか,あるいは (2) 1つの複合文字素 <th> が現われているのか,すぐに判断できないということだ.(1) と (2) は文字素論上のレベルが異なっており,何らかの書き分けがあってもよさそうなものだが,いずれもフラットに th と表記される.例えば,<catham> と <catholic> において,同じ見栄えの <th> でも前者は (1),後者は (2) として機能している.(*)<cat-ham>, *<ca(th)olic> などと,丁寧に区別する正書法があってもよさそうだが,一般的には行われていない.これを難なく読み分けられる読み手は,文字素論的な判断を下す前に,形態素の区切りがどこであるかという判断,あるいは語としての認知を先に済ませているのである.言い換えれば,英語式の複合文字素の使用は,部分的であれ,綴字に表形態素性が備わっていることの証左である.
この「複合文字素の問題」はそれほど頻繁に生じるわけでもなく,現実的にはたいして大きな問題ではないかもしれない.しかし,体裁は同じ <th> に見えながらも,2つの異なるレベルで機能している可能性があるということは,文字素論上留意すべき点であることは認めなければならない.機能的にレベルの異なるものが,形式上区別なしにフラットに並べられ得るという点が重要である.
・ Hall, Robert A., Jr. "A Theory of Graphemics." Acta Linguistica 8 (1960): 13--20.
昨日の記事「#2418. ギリシア・ラテン借用語における <oe>」 ([2015-12-10-1]) に引き続き,今回は <ae> の綴字について,Upward and Davidson (219--20) を参照しつつ取り上げる.
ギリシア語 <oi> が古典期ラテン語までに <oe> として取り入れられるようになっていたのと同様に,ギリシア語 <ai> はラテン語へは <ae> として取り入れられた (ex. G aigis > L aegis) .この二重字 (digraph) で表わされた2重母音は古典期以降のラテン語で滑化したため,綴字上も <ae> に代わり <e> 単体で表わされるようになった.したがって,英語では,古典期以降のラテン語やフランス語などから入った語においては <e> を示すが,古典ラテン語を直接参照しての借用語や綴り直しにおいては <ae> を示すようになった.だが,単語によっては,ギリシア語のオリジナルの <oi> と合わせて,3種の綴字の可能性が現代にも残っている例がある (ex. daimon, daemon, demon; cainozoic, caenozoic, cenozoic) .
近代英語では <ae> で綴られることもあったが,後に <e> へと単純化して定着した語も少なくない.(a)enigma, (a)ether, h(a)eresy, hy(a)ena, ph(a)enomenon, sph(a)ere などである.一方,いまだに根強く <ae> を保持しているのは,イギリス綴字における専門語彙である.aegis, aeon, aesthetic, aetiology, anaemia, archaeology, gynaecology, haemorrhage, orthopaedic, palaeography, paediatrics などがその例となるが,アメリカ綴字では <e> へ単純化することが多い.Michael という人名も,<ae> を保守している.
なお,20世紀までは,<oe> が合字 (ligature) <œ> として印刷されることが普通だったのと同様に,<ae> も通常 <æ> として印刷されていた.また,aerial が合字 <æ> や単字 <e> で綴られることがないのは,これがギリシア語の aerios に遡るものであり,2重字 <ai> に由来するものではなく,あくまで個別文字の組み合わせ <a> + <e> に由来するものだからである.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
現代英語の <amoeba>, <Oedipus>, <onomatopoeia> などの綴字に見られる二重字 () の傾向により従来の <e> の代わりに <oe> が採用されたり,後者が再び廃用となるなど,単語によっても揺れがあったようだ.例えば Phoebus, Phoenician, phoenix などは語源的綴字を反映しており,現代まで定着しているが,<comoedy>, <tragoedy> などは定着しなかった.
現代英語の綴字 <oe> の採用の動機づけが,近代以降に借用されたラテン・ギリシア語彙や語源的綴字の傾向にあるとすれば,なぜそれが特定の種類の語彙に偏って観察されるかが説明される.まず,<oe> は,古典語に由来する固有名詞に典型的に見いだされる.Oedipus, Euboea, Phoebe の類いだ.ギリシア・ローマの古典上の事物・概念を表わす語も,当然 <oe> を保持しやすい (ex. oecist, poecile) .科学用語などの専門語彙も,<oe> を例証する典型的な語類である (ex. amoeba, oenothera, oestrus dioecious, diarrhoea, homoeostasis, pharmacopoeia, onomatopoeic) .
なお,<oe> は16世紀以降の印刷において,合字 (ligature) <œ> として表記されることが普通だった.<oe> の発音については,イギリス英語では /iː/ に対応し,アメリカ英語では /i/ あるいは稀に /ɛ/ に対応することを指摘しておこう.また,数は少ないが,フランス借用語に由来する <oe> もあることを言い添えておきたい (ex. oeil-de-boeuf, oeillade, oeuvre) .
以上 OED の o の項からの記述と Upward and Davidson (221--22) を参照して執筆した.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
eye について,その複数形の歴史的多様性を「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1]) で示した.この語は,発音に関しても歴史的に複雑な過程を経てきている.今回は,eye の音変化の歴史を略述しよう.
古英語の後期ウェストサクソン方言では,この語は <eage> と綴られた.発音としては,[æːɑɣe] のように,長2重母音に [g] の摩擦音化した音が続き,語尾に短母音が続く音形だった.まず,古英語期中に語頭の2重母音が滑化して [æːɣe] となった.さらにこの母音は上げの過程を経て,中英語期にかけて [eːɣe] という音形へと発達した.
一方,有声軟口蓋摩擦音は前に寄り,摩擦も弱まり,さらに語尾母音は曖昧化して /eːjə/ が出力された.語中の子音は半母音化し,最終的には高母音 [ɪ] となった.次いで,先行する母音 [e] はこの [ɪ] と融合して,さらなる上げを経て,[iː] となるに至る.語末の曖昧母音も消失し,結果として後期中英語には語全体として [iː] として発音されるようになった.
ここからは,後期中英語の I [iː] などの語とともに残りの歴史を歩む.高い長母音 [iː] は,大母音推移 (gvs) を経て2重母音化し,まず [əɪ] へ,次いで [aɪ] へと発達した.標準変種以外では,途中段階で発達が止まったり,異なった発達を遂げたものもあるだろうが,標準変種では以上の長い過程を経てきた.以下に発達の歴史をまとめて示そう.
/æːɑɣe/ |
↓ |
/æːɣe/ |
↓ |
/eːɣe/ |
↓ |
/eːjə/ |
↓ |
/eɪə/ |
↓ |
/iːə/ |
↓ |
/iː/ |
↓ |
/əɪ/ |
↓ |
/aɪ/ |
昨日の記事「#2241. Dictionary of Canadianisms on Historical Principles」 ([2015-06-16-1]) に引き続き,UBC での SHEL-9/DSNA-20 Conference 参加の余勢を駆って,カナダ英語の話題.
カナダ英語は,「#313. Canadian English の二峰性」 ([2010-03-06-1]) でも指摘したように,歴史的に American English と British English の双方に規範を仰いできたが,近年は AmE への志向が強いようだ.いずれの磁石に引っ張られるかは,発音,文法,語彙,語法などの部門によっても異なるが,発音については,カナダ英語はアメリカ英語と区別するのが難しいほどに類似していると言われる.そのなかで,Brinton and Fee (426--30) は標準カナダ英語 (Standard Canadian English; 以下 SCE と表記) の音韻論的特徴として以下の8点に言及している.
(1) Canadian Raising: 無声子音の前で [aʊ] -> [ʌu], [aɪ] -> [ʌɪ] となる.したがって,out and about は,oat and a boat に近くなる.有声子音の前では上げは生じないため,次の各ペアでは異なる2重母音が聞かれる.lout/loud, bout/bowed, house/houses, mouth (n.)/mouth (v.), spouse/espouse; bite/bide, fife/five, site/side, tripe/tribe, knife/knives. スコットランド変種,イングランド北部変種,Martha's Vineyard 変種 (cf. [2015-02-22-1]) などにおいても,似たような上げは観察されるが,Canadian Raising はそれらとは関係なく,独立した音韻変化と考えられている.
(2) Merger of [ɑ] and [ɔ]: 85%のカナダ英語話者にみられる現象.19世紀半ばからの変化とされ,General American でも同じ現象が観察される.この音変化により以下のペアはいずれも同音となっている.offal/awful, Don/dawn, hock/hawk, cot/caught, lager/logger, Otto/auto, holly/Hawley, tot/taught. 一方,GA と異なり,[ɹ] の前では [ɔ] を保っているという特徴がある (ex. sorry, tomorrow, orange, porridge, Dorothy) .この融合については,「#484. 最新のアメリカ英語の母音融合を反映した MWALED の発音表記」 ([2010-08-24-1]) を参照.
(3) Voicing of intervocalic [t]: 母音に挟まれた [t] が,有声化し [d] あるいは [ɾ] となる現象.結果として,以下のペアはそれぞれ同音となる.metal/medal, latter/ladder, hearty/hardy, flutter/flooder, bitter/bidder, litre/leader, atom/Adam, waiting/wading. SCE では,この音韻過程が他の環境へも及んでおり,filter, shelter, after, sister, washed out, picture などでも生じることがある.
(4) Yod dropping: SCE では,子音の後のわたり音 [j] の削除 (glide deletion) が,GA と同様に s の後では生じるが,GA と異なり [t, d, n] の後では保持されるということが伝統的に主張されてきた.しかし,実際には,GA の影響下で,後者の環境においても yod-dropping が生じてきているという (cf. 「#841. yod-dropping」 ([2011-08-16-1]),「#1562. 韻律音韻論からみる yod-dropping」 ([2013-08-06-1])) .
(5) Retention of [r]: SCE は一般的に rhotic である.歴史的には New England からの王党派 (Loyalists) によってもたらされた non-rhotic な変種の影響も強かったはずだが,rhotic なイギリス諸方言が移民とともに直接もたらされた経緯もあり,後者が優勢となったものだろう.
(6) Marry/merry/Mary: 標準イギリス英語では3種の母音が区別されるが,カナダ英語とアメリカ英語のいくつかの変種では,Mary と merry が [ɛr] へ融合し,marry が [ær] として区別される2分法である.さらに,カナダ英語では英米諸変種と異なり,Barry, guarantee, caramel などで [æ] がより低く調音される.
(7) Secondary stress: -ory, -ary, -ery で終わる語 (ex. laboratory, secretary, monastery ) で,GA と同様に,第2強勢を保つ.
(8) [hw] versus [w]: GA の傾向と同様に,which/witch, where/wear, whale/wale, whet/wet の語頭子音が声の対立を失い,同音となる.
このように見てくると,SCE 固有の音韻的特徴というよりは,GA と共通するものも多いことがわかる.概ね共通しているという前提で,部分的に振るまいが違う点を取り上げて,カナダ英語の独自性を出そうというところか.Brinton and Fee (526) が Bailey (161)) を引いて言うように,"What is distinctly Canadian about Canadian English is not its unique linguistic features (of which there are a handful) but its combination of tendencies that are uniquely distributed" ということだろう.
アメリカ英語とイギリス英語の差違についても,ある程度これと同じことが言えるだろうと思っている.「#2186. 研究社Webマガジンの記事「コーパスで探る英語の英米差 ―― 基礎編 ――」」 ([2015-04-22-1]) で紹介した,研究社WEBマガジン Lingua リンガへ寄稿した拙論でも述べたように,「歴史的事情により,アメリカ英語とイギリス英語の差異は,単純に特定表現の使用・不使用として見るのではなく,その使用頻度の違いとして見るほうが往々にして妥当」である.使用の有無ではなく分布の違いこそが,ある変種を他の変種から区別する有効な指標なのだろうと思う.本来社会言語学的な概念である「変種」に,言語学的な観点を持ち込もうとするのであれば,このような微妙な差異に注意を払うことが必要だろう.
(後記 2015/06/19(Fri): Bailey (162) は,使用頻度の違いという見方をさらにカナダ英語内部の諸変種間の関係にも適用して,次のように述べている."The most useful perspective, then, is one in which Canadian English is viewed as a cluster of features that combine in varying proportions in differing communitites within Canada." (Bailey, Richard W. "The English Language in Canada." English as a World Language. Ed. Richard W. Bailey and Manfred Görlach. Ann Arbor: U of Michigan P, 1983. 134--76.))
・ Brinton, Laurel J. and Margery Fee. "Canadian English." The Cambridge History of the English Language. Vol. 6. Cambridge: CUP, 2001. 422--40 .
・ Bailey, Richard W. "The English Language in Canada." English as a World Language. Ed. Richard W. Bailey and Manfred Görlach. Ann Arbor: U of Michigan P, 1982. 134--76.
古英語の母音には,短母音 (short vowel),長母音 (long vowel),二重母音 (diphthong) の3種類が区別される.二重母音にも短いものと長いものがある.以下,左図が短・長母音を,右図が短・長の二重母音を表わす.
左図の短・長母音からみていくと,現代英語に比べれば,区別される母音分節音の種類(音素)は少ない (cf. 「#1601. 英語と日本語の母音の位置比較」 ([2013-09-14-1])).長母音は対応する短母音の量をそのまま増やしたものであり,音価の違いはないものと考えられている.前舌高母音には平唇の i(ː) と円唇の y(ː) が区別されるが,円唇 y(ː) は後期ウェストサクソン方言 (Late West-Saxon) では平唇化して i(ː) となった.
次に右図の二重母音をみると,音量を別にすれば,3種類の二重母音があることがわかる.i(ː)e, e(ː)o, æ(ː)a は,いずれも上から下あるいは前から後ろという方向をもっており,第1要素が第2要素よりも強い下降二重母音 (falling diphthong) と考えられる.ただし,i(ː)e については,二重母音ではなく i と e の中間的な母音を表わしていたとする見解もある.Mitchell and Robinson (15) の注によると,
The original pronunciation of ie and īe is not known with any certainty. It is simplest and most convenient for our purposes to assume that they represented diphthongs as explained above. But by King Alfred's time ie was pronounced as a simple vowel (monophthong), probably a vowel somewhere between i and e; ie is often replaced by i or y, and unstressed i is often replaced by ie, as in hiene for hine. Probably īe had a similar sound.
古英語期中の音変化も考慮するといくつかの但し書きは必要となるが,上の図に従えば,(7単音×短・長2系列)+(3二重母音×短・長2系列)ということで計20ほどの母音が区別されていたことになる.「#1021. 英語と日本語の音素の種類と数」 ([2012-02-12-1]) でみたように,現代英語の標準変種でも20の母音音素が区別されているから,数の点からいえば古英語の母音体系もおよそ同規模だったことになる.
・ Mitchell, Bruce and Fred C. Robinson. A Guide to Old English. 8th ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2012.
Massachusetts の東海岸沖に浮かぶ島 Martha's Vineyard は,Labov の社会言語学の調査で有名な島である.Labov は,島民のあいだで進行している2重母音 [aɪ], [aʊ] の [əɪ], [əʊ] への変化の実態と原因を探った.以下,1972年の Labov の著書で詳述されている調査研究の内容を解説した Aitchison (60--67) に従って要約する.
アメリカ本土から3マイルほどの沖合に浮かぶ Martha's Vineyard の美しい風景は,映画 Jaws の舞台となったこともあり,多くの人々の記憶に残っている.しかし,この人口6千人ほどの田舎の島は夏になると本土からの4万人を超える観光客を引きつけるようになり,リゾート地としての開発が進んだ.また,特に島の東側には本土からの定住者も多く住まうようになった.結果として,島の東部は新参者が占める人口密度の高い地域となり,西部は古くからの島民が伝統的な生活を送る地域となった.
Labov は,当時より30年前の調査の記録と比較して,島民の [aɪ], [aʊ] の発音が [əɪ], [əʊ] へ変化してきていることに着目し,その変化を調査することに決めた.種々の方法で島民から多くのデータを収集すると,Labov は性別,年齢,地域分布,民族分布,文体的変異などのパラメータにより分析を進めた.また,島民自身はこの変化が進行中であることに気づいていないということも判明した.
分析結果は次の通りだった.年齢のパラメータについて,75歳より上の年齢層ではこの変化は最も少なく,31--45歳の年齢層で最も多かった.しかし,30歳以下では31--45歳ほどは変化が観察されなかった.地理的には,当該変化は田舎風の西部で圧倒的によく進行していた.また,Martha's Vineyard はもともと漁業の盛んな島だったが,当時まで島内に残っていた少ない漁民のほとんどが西部の Chilmark に住んでおり,その漁民たちこそが当該変化の影響を最も顕著に示していることが判明した.全体をまとめると,この変化はおそらく西部の漁民の小集団から始まり,そこから島中の30--45歳の年齢層へ広がっていったらしいことが推測される.
だが,なぜそのようなことが起こったのだろうか.Labov は,鋭い観察と考察により,次のような筋書きを描いた.「新しい」発音である [əɪ], [əʊ] は,実際にはむしろ漁民の古くからの伝統的な変種に存在していた変異形だった.確かに18--19世紀のアメリカ本土でも [əɪ], [əʊ] が聞かれたのであり,その古い発音が島の片隅に残っていたとしても不思議はない.19世紀以降,アメリカ本土で [əɪ], [əʊ] が [aɪ], [aʊ] へと変化した動きに呼応して,Martha's Vineyard でも平行した変化が生じたと思われるが,島内では古い発音が完全には駆逐されずに,保守的な変異形として残存した.ところが,Labov の調査したとき,この保守的な変異形が島内では再び勢力を盛り返し,拡張し始めていたようである.
古い発音の復活と拡張については,次の仮説が立てられている.西部の伝統的な漁民は,東部に押し寄せる本土からの観光客と東部にはびこる観光ビジネスに嫌悪感を抱いていたのではないか.観光業とは独立して伝統的な島の生活を営んできた西部の漁民には,自分たちこそが Martha's Vineyard らしさを体現する島民の代表であるという自負があり,その自負により彼らは保守的な変異形,この場合 [əɪ], [əʊ] を用いることを無意識のうちに選んでいるのではないか.そして,そのような漁民の伝統的島民としてのアイデンティティに共感する次世代の島民(30--45歳)が増えてきており,彼らが象徴的に [əɪ], [əʊ] を採用するようになってきているのではないか.
Aitchison (65) のまとめを読んでみよう.
On Martha's Vineyard a small group of fishermen began to exaggerate a tendency already existing in their speech. They did this seemingly subconsciously, in order to establish themselves as an independent social group with superior status to the despised summer visitors. A number of other islanders regarded this group as one which epitomized old virtues and desirable values, and subconsciously imitated the way its members talked. For these people, the new pronunciation was an innovation. As more and more people came to speak in the same way, the innovation gradually became the norm for those living on the island.
Labov による Martha's Vineyard の調査は,「#406. Labov の New York City /r/」 ([2010-06-07-1]) の研究とともに,社会言語学史上,重要なケーススタディとして認識されている.
・ Aitchison, Jean. Language Change: Progress or Decay. 3rd ed. Cambridge: CUP, 2001.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow