hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 / page 3 (3)

language_planning - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2019-10-13 11:14

2013-09-26 Thu

#1613. 道路案内標識の英語表記化と「言語環境」 [bilingualism][language_planning][geolinguistics][linguistic_landscape][ecolinguistics]

 昨日の記事「#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ」 ([2013-09-25-1]) で話題にした道路案内標識の英語表記化の施策について,言語計画 (language_planning) という観点から議論を続けたい.カルヴェによると,このような問題は「言語環境」あるいは「地域の言語記号化」というキーワードのもとで議論される.少々長いが,カルヴェ (62--65) より「言語環境」と題された1節のほとんどを引用する.

 町で通りを散歩したり、空港に着いたり、ホテルの部屋でテレビのチャンネルをつけたりすると、ポスターや広告、テレビ番組、シャンソンなどに用いられている言語を通じて、言語状況に関する情報を直ちに入手できる。と同時に、社会言語学的状況を注意深く調査して、そこに存在する言語や言語変種をよく知るにつれて、その多くがメディアに登場していないことに気づく。
 日常生活のなかで、言語が口語や文語の形で存在したり、存在していないことを「言語環境」と呼ぶ。一例をあげるなら、ニューヨークでは店の看板に英語や中国語、イタリア語、アラビア語といった言語が見られることから、その地誌を作成することができるし、その環境における言語変種を通じて、現在の変化を見守ることもできる。あるいはまた、イギリスによる中国への香港返還の期日(一九九七年)が近づくにつれて、一九九〇年代の香港の言語環境には中国語の伸張と英語の後退が認められた。
 ニューヨークや香港、また他の首都の言語状況は多くの情報に満ちあふれ、生体のなかにあると言えるが、実験室のなかの言語計画もそのような状況に介入しうるのだ。ある言語話者の日常生活にアルファベットが現われないのに、その言語にアルファベットを与えても何の役にも立たないからだ。通りの名称を示すプレートや道路標識、車両のナンバープレート、宣伝ポスター、ラジオやテレビ番組は、言語振興の目的で介入するのには格好の場である。たとえば、二十年の間隔を経て、一九九〇年代にビルバオ〔スペインの北部バスク地方の港町〕やバルセロナの空港に降り立った旅行者は、ビルバオにはバスク語の表示があり、バルセロナにはカタルーニャ語の表示があることに驚くだろう。この表示は言語環境に計画的な介入が行なわれ、それまで排除されていた言語がその環境を征服した、あるいは挽回したということを示している。同様に、表記環境という観点からすると、一九七〇年から一九八〇年の間に、アルジェの街の通りは、完全に変わってしまった。先に述べたすべての機能の点において、アラビア語がフランス語に取って代わった。このような「地域の言語記号化」は、それが自然に生まれた実践の結果であれ、計画的な実践の結果であれ、社会を記号論的に読みとく道具を提供している。そこに現われる言語には、掲示されているものもあれば、なかなか目にすることのないものもあり、その言語の社会言語学的な重要度やその将来とも無関係ではないのだ。
 したがって、言語計画は環境に働きかけて、諸々の言語の重要性やその象徴的な威信に影響を及ぼすのだ。そしてさらに、互いに多少異なっているとはいえ、実験室のなかの活動は生体のなかの活動方法を用い、そこから着想を得る。たとえば、パリのマグレブ人の肉屋がアラビア語で屋号を掲示するといった自然な言語実践と、屋号はアラビア語の他にフランス語でも提示(つまり翻訳)されねばならないとする公権力による介入との間には、言語(ここでは文字表記)を通じたアイデンティティの表明について同様の意志が認められる。このアイデンティティを求めるアプローチはそれぞれ異なっている、一方は自然な行動から、他方は法の介入によって、アイデンティティを求めているのである。
 だが、この二つの場合でも、地域の言語記号化という機能は同じである。ニューヨークやパリの通りに見られるアラビア語、中国語、ヘブライ語の掲示は、二段階のメッセージを作っている。まず明示的レベルでは、この言語を読むことのできる者だけがメッセージを解読できるという点で、潜在的に受信者をかなり限定する。と同時に、共示的レベルでは、この掲示は別の種類のメッセージとなっている。アラビア語や中国語を読めなくても、その文字体系を識別することができるし、その存在は象徴的役割や証言の役割を果たしている。たとえば、レストランのドアの上にある「広東料理店」という中国語による掲示は二つのことを伝えている。まず、中国語を読める人に「ここは広東料理の店だ」と伝えていると同時に、中国語を読めない人には「これは中国語だ」と伝えている。さらに近くの店が何軒も互いに屋号を中国語で掲げていれば、このような掲示が共存していることから、「これは中国人の通りだ」ということや、「ここは中華街だ」ということがわかる。このような二段階の読解からも、文字環境の重要性がわかる。国家がこの分野への介入を決定すれば、大多数の人びとはしばらくのあいだ、新たに掲示される言語が読めないかもしれない。もちろん、これは住民の識字率による。それでも、これは文字表記として知覚され、その文字の存在は政治による選択を象徴する。


 カルヴェの主旨を今回の道路案内標識の英語表記化という文脈に当てはめると,次のように議論できるだろうか.言語的介入の格好の的である道路案内標識を英語化するという施策を通じて,日本政府は計画的に日本の言語環境を変化させようとしており,英語の伸張を後押ししているということになる.この施策が国民に受け入れられると仮定すると,道路案内標識の英語表記は,明示的レベルと共示的レベルの2つのメッセージを作ることになろう.例えば,"Kanda Sta. West" は,明示的レベルでは,英語表記を理解する者にそれが「神田駅西口」であることを伝える.一方,共示的レベルでは,英語表記を理解する者にもしない者にも,日本は道路案内標識に英語表記を用いることを選択した国であるというメッセージを,そして日本は英語の重要性やその象徴的な威信を政治的に認めているというメッセージを伝える.
 道路案内標識の英語表記化の議論は,この「地域の言語記号化」という視点からなされるべきではないか.
 「言語環境」というキーワードと関連して,「#278. ニュージーランドにおけるマオリ語の活性化」 ([2010-01-30-1]) や「#601. 言語多様性と生物多様性」 ([2010-12-19-1]) で触れた "ecology of language" や "ecolinguistics" という分野も関わりが深い.一方,「地域の言語記号化」は,「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) で扱われるべき問題の1つだろう.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

Referrer (Inside): [2015-03-05-1] [2014-02-06-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-09-25 Wed

#1612. 道路案内標識,ローマ字から英語表記へ [bilingualism][language_planning][romaji][linguistic_landscape]

 8月20日の朝日新聞朝刊34面に「国会周辺の標識 外国人のため英語表記へ」と題する記事があった.従来,日本の道路案内標識では,日本語をヘボン式ローマ字で表記したものが使用されてきた.例えば,横書き「国会前」の標識ではすぐ下にローマ字で "Kokkai" と記されていたが,ローマ字部分を "The National Diet" と英語になおす試みが年内に実施されるという.国や東京都は,外国人訪問客などから標識が読めないという苦情を受けて「外国人への分かりやすさを第一に考えた」上での対応だというしている.
 さらに,9月12日の朝日新聞朝刊5面に「標識,ローマ字やめます 英語表記に統一」と題する関連記事が掲載された.国土交通省は,英語表記化の動きを,国会周辺から始めて,全国へ広げようとしているとのことだ.これにより,例えば "Eki" → "Sta.", "Shogakko" → "Elem. School", "Yubinkyoku" → "Post Office", "Dori" → "Ave.", "Kencho" → "Pref. Office" と変更されることになる.
 この動きは,2020年の東京オリンピック開催をにらんでの戦略的な施策とも考えられる.国会や財務省からは「日本人が分かるか.運転手が混乱する」という慎重論もあったようだが,国際的な英語化の大きな潮流には逆らえないということだろう.このような話題にも,「世界語としての英語」の圧力,あるいは論者によっては「英語の脅威」の具体的な現れを垣間見ることができる.
 日本で公式に採用された道路案内標識の表記は,海外で出版される旅行ガイドブック,地図,住所録などにも反映されることになる.互いの表記が一致していないと,日本語を解さない訪問者には不便だからだ.タクシーの運転手などは,英語表記に用いられる英語語句の理解が欠かせなくなり,商売のために半ば英語学習を強いられることにもなる.
 国会周辺の道路案内標識をローマ字から英語表記へ変更するという施策は,物理的行為としては小さなものだが,そこから広がる波紋は決して小さくない.本来は,この辺りの問題を,観光業の政治経済という観点だけではなく,英語教育,英語支配,言語政策,多言語主義などの観点からも意識的に議論した上で政策決定がなされるべきなのだが. *  *

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-07-20 Sat

#1545. "lexical cleansing" [sociolinguistics][lexicology][purism][language_planning][inkhorn_term]

 標題は "ethnic cleansing" を想起させる不穏な用語である.ある言語から借用語を一掃しようとする純粋主義の運動であり,ときに政治性を帯び,言語政策として過激に遂行されることがある.日本語でも横文字の過剰な使用をいぶかる向きはあるし,英語でもかつてルネサンス期にインク壺語 (inkhorn_term や "oversea language" ([2013-03-08-1]の記事「#1411. 初期近代英語に入った "oversea language"」を参照)に対抗して本来語へ回帰しようとする純粋主義が現われた([2013-03-07-1]の記事「#1410. インク壺語批判と本来語回帰」を参照).しかし,日本語でも英語でも,体系的に借用語を一掃し,本来語へ置き換えるような社会運動へと発展したことはなかった.
 ところが,トルコでは lexical cleansing が起こった.そして,現在も進行中である.カルヴェ (96--100) に,トルコにおける「言語革命」が紹介されている.第1次世界大戦後のトルコの祖国解放運動の指導者にしてトルコ共和国の初代大統領となった Mustafa Kemal Atatürk (1881--1938) は,共和国の創設 (1923) に伴い,トルコ文語の改革を断行した.まず,Kemal は,オスマン帝国の痕跡を排除すべくアラビア文字からローマ字への切り替えを断行した.続けて,当時のトルコ文語がアラビア語やペルシア語の語彙要素を多分に含む学者語となっていたことから,語彙の体系的なトルコ語化を画策した.
 アラビア語やペルシア語の語彙要素を浄化すべくトルコ新体制が最初に行なったことは,トルコ語研究学会に,広い意味でのトルコ語の語彙集を作成させるということだった.広い意味でのトルコ語とは,チュルク諸語族に属する新旧のあらゆる言語を念頭においており,オルホン銘碑の言語,トルキスタン,コーカサス,ヴォルガ,シベリアで話される現代語,ウイグル語やチャガタイ語,アナトリア語やバルカン語諸方言を含んでいた.古語を掘り起こし,本来語要素を複合し,目的のためには時に語源を強引に解釈したりもした.おもしろいことに,ヨーロッパ語からの借用は,アラビア・ペルシア要素の排除という大義のもとに正当化されることがあった.トルコ新体制は,強い意志と強権の発動により,lexical cleansing を行ない,純正トルコ語を作り出そうとしたのである.
 トルコのほかに,類例として Serbo-Croatian における語彙浄化が挙げられる.1990年代前半の旧ユーゴ解体に伴い,それまで Serbo-Croatian と呼ばれていた言語が,民族・文化・宗教という分裂線により Serbian と Croatian という異なる言語へ分かれた.以降,互いの言語を想起させる語彙を公的な場から排除するという lexical cleansing の政策がとられている.なお,北朝鮮でも,中国語の語彙と文字を排除する純血運動が主導されている.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-06-24 Mon

#1519. 社会言語学的類型論への道 [sociolinguistics][typology][diachrony][language_planning]

 昨日の記事「#1518. 言語政策」 ([2013-06-23-1]) に引き続き,再びカルヴェによる言語政策に関する話題.ある国や地域において用いられている諸言語の社会言語学的な属性を記述する一般的な方法はありうるだろうか.各国,各地域,各言語について形式に則った記述を作り上げ,それをタイプ別に分類することで,社会言語学的な言語の類型論なるものを構想することはできるのだろうか.
 この疑問に答えるべく,Ferguson, Steward は文字通りの公式化を目指した.例えば,パラグアイの多言語使用状況は,"3L = 2L maj (So, Vg) + 0L min + 1L spec (Cr)" などと表現される.この式が意味するところは,次の通りである.パラグアイには3言語がある.2つは多数言語で,標準化された公用語のカスティーリャ語と民衆の話す媒介言語であるグアラニー語からなる.少数言語はないが,特定のステータスにある古典語,宗教言語としてラテン語が用いられている(カルヴェ, p. 33).
 一方,Fasold は言語の機能と獲得された属性という観点からモデル化を試み, Chaudenson はコーパスとステータスを軸に取った2次元プロットの図示化を提案した.例えば,Fasold による機能と属性の関係を著わす一覧表は次の通り(カルヴェ,p. 40).

機能社会言語学的に獲得されている属性
公的1. 標準化
 2. 教育を受けた一定数の市民に正しく使用されている
民族的1. かなりの人口にとっての民族アイデンティティの象徴
 2. 日常のコミュニケーションで広く用いられている
 3. 国内で広く一般に話されている
 4. 国内に同じ機能を持つ重要な代替語がない
 5. 真正さの象徴として受け入れられている
 6. 輝かしい過去と関係がある
集団的1. 日常会話で使用されている
 2. 他者との統一を図ると同時に、他者と区別されるものと話者に考えられている
媒介的1. 少なくとも国内の少数派にとって「学習しうる」と見なされている
国際的1. 「潜在的国際語」のリストに載っている
修学的1. 生徒の言語と同等ないしそれ以上に標準化が行なわれている
宗教的1. 古典的


 これらの提案はいずれも示唆に富んではいたが,社会言語学的な記述を与えるのに必要な諸項目に対する総括的な視点が欠けていた.とりわけ,社会言語学的な状況も言語そのものと同様に刻一刻と変化するという通時的な視点が欠けていた.
 カルヴェは,上記のような類型論を目指すには,少なくとも問題の国や地域について次のデータを考慮に入れなければならないだろうと述べている (50) .

 ① 数量的データ --- 言語はいくつあるのか、その言語にどのくらいの話者がいるのか。
 ② 法的データ --- 現存する言語のステータスは、憲法で認められているか否か。メディアや教育などで使用されているか否か。
 ③ 機能的データ --- 媒介語と媒介率、多くの隣接国で話されている超国家語か、群生語か、宗教言語か。
 ④ 通時的データ --- 言語の拡大や世代間の伝達率など。
 ⑤ 象徴的データ --- 国内に存在する言語の威光、言語への感情、コミュニケーション戦略など。
 ⑥ 対立データ --- 言語観の関係、機能の補完性か、競合性かなど。


 ⑤⑥については,適当な計量の仕方がないのが難点である.カルヴェ (51) は,とりわけ④の通時的データを組み込む必要性を訴えている.

言語状況は話者人口や伝達率など統計や象徴的データに関しても絶えず変化しているのである。ところで、ある言語政策の決定に先立つ評価には、現在のさまざまな変化を考慮に入れる必要がある。だから、より完璧で効率的な多くの新しいモデルが現われるとすれば、それは別のアプローチによってであろう。たとえば、コンピュータ化されたモデルを想像してみよう。それは新しいデータが絶えず定期的に入力され、言語状況の動態的な評価を「直接なまま」提供するものだ。


 ある言語が時間とともにその社会言語学的な位置づけを変化させるということは当然のことである.英語だけとっても,その社会言語学的なステータスの歴史的変動は甚だしい.有効な社会言語学的類型論が確立すれば,英語史を見る視点に新たな方法が追加されることになるだろう.

 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

Referrer (Inside): [2016-11-13-1] [2013-07-22-1]

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

2013-06-23 Sun

#1518. 言語政策 [sociolinguistics][standardisation][language_planning]

 20世紀後半に社会言語学が発展してくるなかで,言語政策という応用分野が育ってきた.「#1380. micro-sociolinguistics と macro-sociolinguistics」 ([2013-02-05-1]) で用語として区別した macro-sociolinguistics に含まれる1分野である.言語政策にも理論と実践が区別される.『言語政策とは何か』を著わしたカルヴェは,介入主義的な方針はとらず,できるだけ政治的中立を心がけ,理論を構築しようという姿勢を貫いている(介入主義については,[2013-02-06-1]の記事「#1381. "interventionist" sociolinguistics」を参照).
 カルヴェは権力による言語状態の管理への介入についても論じているが,あくまで理論的な類型を提示するにとどまっている.介入レベル,介入方法,介入内容の点から,以下のように分類・整理した (69) .

 ・ 介入レベル
   * 地理的レベル
     - 国際的
     - 国際的
     - 地域的
   * 法的レベル
     - 憲法
     - 法
     - 政令
     - 決議
     - 勧告など
 ・ 介入方法
   * 奨励的
   * 強制的
 ・ 介入内容
   * 言語形態
   * 言語の使用法
   * 言語の擁護

 介入内容の3点について略説すると,言語形態への介入には,表記法の策定や単語リストの制定などの例が含まれる.言語の使用法に関する介入は,ある状況や場所に応じて何語を話さなければならないと定めたり,諸機関の作業言語を設定する類のものである.言語の擁護という介入では,ある言語を国際語のような上位の地位に引き上げたり,少数派の言語を保護することなどを策定する (66) .
 言語政策という介入は,どのようなレベル,方法,内容であれ,それ自身が言語の本性あるいは話者の本性に反するとする見方もある.実際,言語学者のなかには否定的な意見をもつものも少なくないだろう.カルヴェはこの逆説について次のように述べる.

言語学によれば、言語は法令によって作られるのではなく、歴史と話者の実践の産物であり、歴史的、社会的な圧力を受けて変化する。ところが逆説的なことに、人間は誇りを持って言語の変化の過程に介入し、物事の流れを変えて、変化を生み、それに働きかけようとするのだ。(75)


 さらには,次のようにも述べ,介入に対する慎重な態度を示している.

言語政策の概念そのものが投げかける理論上の最大課題とは、人間はどの程度まで一つの言語のコーパスや複数の言語観の関係に介入できるのか、というものである。多くの例からこの介入が可能だということがわかるが、理論化をする必要があるのだ。確かに、われわれが検討してきたように、言語政策は操り人形のパントマイム方式で機能しており、言語の歴史という生体のなかで無数に生まれたものが言語学者や言語政策策定者の実験室のなかで再生産されようとしている。しかしまた、言語政策には失敗もあり、実際の難問にぶつかることもある。操り人形のパントマイムはその限界に達するのだ。したがって、言語政策はみずからの効力を失う段階へ向かうという変化の原則は、言語に外部からの変化を強制しようとする者〔政治権力〕に向けられた、言語による、ということは話者たちによる復讐の一種といえるかもしれない。(147)


 ・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow