日本語の漢字という文字体系がもつ,極めて特異な性質の1つに,音読みと訓読みの共存がある.多くの漢字が,音と訓というまったく異なる発音に対応しており,場合によっては音読みには呉音,漢音,唐宋音(例として,脚気,脚本,行脚)が区別され,訓読みにも熟字訓などを含め複数の読みが対応することがある.1つの文字に互いに関連しない複数の音形があてがわれているような文字体系は,世界広しといえども,現代では日本語の漢字くらいしかない.歴史を遡れば,シュメール語 (Sumerian) の楔形文字にも漢字の音と訓に相当する2種類の読みが認められたが,いずれにせよ非常に珍しい文字体系であることは間違いない.
しかし,この漢字の特異性は,音と訓が体系的に備わっているという点にあるのであって,散発的にであれば英語にも似たような綴字と発音の関係がみられる.それは,ラテン語の語句をそのままの綴字あるいは省略された綴字で借用した場合で,(1) ラテン語として発音するか頭字語 (acronym) として発音する(概ね音読みに相当),あるいは (2) 英語へ読み下して(翻訳して)発音するか(訓読みに相当)で揺れが認められることがある.具体例を見るのが早い.以下,鈴木 (146--48) に補足して例を挙げる.
表記(綴字) | ラテン語(音読み) | 英語読み下し(訓読み) |
cf. | confer, /siː ˈɛf/ | (compare) |
e.g. | exempli gratia, /iː ˈʤiː/ | for example |
etc. | et cetera, /ˌɛt ˈsɛtərə/ | and so on |
i.e. | id est, /ˌaɪ ˈiː/ | that is |
viz. | videlicet, /vɪz/ | namely |
vs. | versus, /ˈvɜːsəs/ | against |
表記(綴字) | ラテン語(音読み) | 仏語読み下し(訓読み) |
1o | primo /primo/ | premièrement |
2o | secundo /səgɔ̃do/ | deuxièmement |
3o | tertio /tɛrsjo/ | troisièmement |
id. | idem /idɛm/ | la même |
N.B. | nota bene /nɔta bene/ | note bien |
op. cit. | opere citato | à l'ouvrage cité |
綴字と発音の乖離は,しばしば現代英語の最大の特徴(現実的には弱点)の1つともいわれ([2009-09-25-1]の記事「#151. 現代英語の5特徴」を参照),これまでにも spelling_pronunciation_gap の多くの記事で取りあげてきた.大学の授業などでこの問題点を指摘すると,昔から不思議でいぶかしく思っていたという学生もいれば,言われてみればそうだなと呑気に構えて英語の綴字を吸収してきた学生もいる.そこで,綴字と発音の乖離の事実におもしろく気付くことができるように,以下に記事へのリンク集を作ってみた.個別には以下のリンクを,一括したものは ##1024,15,210,565,547,562,580,116,192,62,503 より.
・ 「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」: [2009-05-13-1]
・ 「#210. 綴字と発音の乖離をだしにした詩」: [2009-11-23-1]
・ 「#565. 弛緩前舌高母音に対応する英語の綴字」: [2010-11-13-1]
・ 「#547. <oo> の綴字に対応する3種類の発音」: [2010-10-26-1]
・ 「#562. busy の綴字と発音」: [2010-11-10-1]
・ 「#580. island --- なぜこの綴字と発音か」: [2010-11-28-1]
・ 「#116. 語源かぶれの綴り字 --- etymological respelling」: [2009-08-21-1]
・ 「#192. etymological respelling (2)」: [2009-11-05-1]
・ 「#62. なぜ綴りと発音は乖離してゆくのか」: [2009-06-28-2]
・ 「#503. 現代英語の綴字は規則的か不規則的か」: [2010-09-12-1]
最後に挙げた記事では,現代英語における規則性は75--84%で意外と高いこと,ただし頻度の高い日常語にとりわけ不規則性がみられることについて触れた.頻度の高い語で不規則な綴字のものが一覧になっていれば便利だと思い,Crystal (71) が "Some irregular English spellings" で挙げている60語を再掲したい.これまでの記事で取りあげてきたものも多く含まれているので,hellog 検索ボックスに単語を入力すれば当たる可能性もあります.
although, among, answer, are, aunt, autumn, blood, build, castle, clerk, climb, colour, comb, come, cough, could, course, debt, do, does, done, dough, eye, friend, gone, great, have, hour, island, journey, key, lamb, listen, move, none, of, once, one, only, own, people, pretty, quay, receive, rough, said, salt, says, shoe, shoulder, some, sugar, talk, two, was, water, were, where, who, you
関連して,拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』の第6章第2節「綴り字と発音の乖離」なども参考にどうぞ.
なお,日本語の仮名はおよそ拍の単位で表音的であり,規則正しい表音文字の模範の1つのように評価されることが多いが,「は」「へ」のように文字と発音の対応が1対2であるもの,「お」と「を」のように対応が2対1であるもの,「じ」「ず」「ぢ」「づ」の四つ仮名問題,「おとうさん」 /oto:san/ や「とけい」 /toke:/ にみられる表記の問題など,現代仮名遣いに引き継がれている過去の遺産もある.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
昨日の記事「#1005. 平仮名による最古の「いろは歌」が発見された」 ([2012-01-27-1]) の最後で触れた通り,今回はルーン文字 (the runic alphabet) の変種について.
古代ゲルマン民族によって使われたルーン文字 (the runic alphabet) の起源については定説がないが,[2010-06-24-1]の記事「#423. アルファベットの歴史」で触れた通り,エトルリア文字から派生したという説がある.一方で,ギリシア文字 (the Greek alphabet) やローマ字 (the Roman alphabet) から派生したとする説もある.確かにわかっていることは,ゲルマン語話者が,紀元一千年紀前半に,自らの言語に適応させる形でルーン文字体系を発展させていたことだ.
ルーン文字は,800年頃までに北欧で用いられた初期ゲルマン・ルーン (the Early Germanic runic script) ,5--12世紀にブリテン島で用いられたアングロサクソン・ルーン (the Anglo-Saxon runic script) ,8--13世紀にスカンジナビアとアイスランドで用いられたノルディック・ルーン (the Nordic runic script) に大別される.初期ゲルマン・ルーンは24字からなり,最初の6字 <f>, <u>, <þ>, <a>, <r>, <k> をとって "fuþark" と称される.(以下,ルーン文字の図は『新英語学辞典』より.)
一方,ブリテン島に導入されて改良されたアングロサクソン・ルーンは,古英語の音韻体系を反映して文字を追加し,Salzburg Codex 140 に記録されているような28字の体系へ,そして古英語後期にはさらに拡大した33字からなる体系へと変容していった.また,ここでは第4字母 <a> が <o> へ,第6字母 <k> が <c> へ置き換えられており,アングロサクソン版ルーン文字は "fuþorc" とも呼ばれる.
このように,音標文字である限り,音韻の変化や変異を反映して,字母一覧が多少なりとも変化を被るというのは自然のことのように思われる.ルーン文字における24字 fuþark と33字 fuþorc の対比は,昨日の記事で取り上げたように,仮名における48字「あめつちの詞」と47字「いろは歌」の対比に相当するといえる.
しかし,音標文字にあってすら,音韻と文字の関係が必ずしも厳密ではないこと,音韻変化に文字体系が追いついて行かないこともまた,往々にして真実である.ルーン文字の場合でいえば,ノルディック・ルーンが表わしている古代北欧諸語は,古英語にもまして豊富な音韻をもっていたが,むしろ文字数としては減っており,最終的には16字にまで縮小した.その理由は今もって謎だが,音素と文字の関係が絶対的なものではなく,あくまで緩いものであることを示す好例だろう.仮名の「お」と「を」,「は」と「わ」,「え」と「へ」の関係,現代英語の spelling_pronunciation_gap の無数の例も,両者の関係の緩さを証明している.関連して,[2009-06-28-2]の記事「#62. なぜ綴りと発音は乖離してゆくのか」や [2011-02-20-1]の記事「#664. littera, figura, potestas」の記事を参照.
(後記 2013/03/18(Mon):以下は,デンマーク国立美術館で購入した絵はがきよりスキャンした24文字ルーン)
・ Encyclopaedia Britannica. Encyclopaedia Britannica 2008 Ultimate Reference Suite. Chicago: Encyclopaedia Britannica, 2008.
・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
現代英語の発音と綴字の対応関係が理想的な1対1から大きく逸脱している事実については,spelling_pronunciation_gap の諸記事で話題にしてきた.この状況の歴史的な背景については[2009-06-28-2]の記事「なぜ綴りと発音は乖離してゆくのか」で述べたが,とりわけ大母音推移 ( Great Vowel Shift; see [2009-11-18-1] ) が綴字と発音の不一致をもたらした最大の元凶であと,多くの英語史概説書で主張されている.
しかし,この主張の真の意味を理解するには,もう少し深く少し考えなければならない.というのは,例えば name の発音が /nɑːm/ から /neɪm/ ( GVS の直接の出力は /nɛːm/ )へ変化したということ自体が発音と綴字の乖離を生み出したとは考えられないからだ.[2009-11-19-1], [2009-11-20-1], [2011-05-13-1]の記事などで見たように GVS には例外はあるものの,原則として強勢のある長母音に対して一律に働いた.であるとすれば,発音と綴字の関係の変化も一律だったはずである.<a> は /ɑː/ への対応を失ったが,新しく /eɪ/ への対応を得たわけであり,この得失は一貫していた.<a> = /eɪ/ の新しい関係が一貫して守られている以上,特に不一致はないとも議論できる.GVS を発音と綴字の乖離をもたらした最大の元凶とみなしてよいのだろうか.
だが,責任の程度が最大かどうかは別として,相当の責任があると考える理由はある.第一に,GVS は長母音のみに作用したという点を思い起こす必要がある.短母音を表わす <a> の綴字は /a/ (後には /æ/ )の音に対応したままだった.英語の書記体系は直接に母音の長短を標示するものではなく,その意味では古英語期より <a> の1文字が少なくとも長短の低母音2音に対応していたわけで,すでに理想の1対1の関係は崩れていた.だが,質的には類似した低母音の長短ほどの差だけであれば,「乖離」と呼ぶほどの深刻な問題とはならない.それが,長母音のみに作用した GVS により,現代英語では <a> が短母音としては /æ/ に,長母音としては /eɪ/ に対応することになってしまった.もはや単純な音の長短の問題ではなく,<a> という1文字が質の異なる2音に対応することになってしまったのである.この意味で,GVS は確かに「元凶」と呼べるだろう.
第二に,GVS により <a> が二重母音として /eɪ/ に対応するようになると,別の /eɪ/ に対応する綴字(の組み合わせ)との間に役割の重複が生じることになる.aim や say などの <ai> や <ay> は現代英語では典型的な /eɪ/ への対応綴字だが,ここに <a> も参入してくるとなると,理想の1対1どころではない.ここでも,GVS に責任の一端が認められる.
GVS が発音と綴字の乖離の元凶であるという主張は結果としては受け入れられるが,直接的な元凶というよりは,上で議論したようにやや間接的な元凶というべきだろう.
[2009-06-01-1]の記事で,現代英語 thumb の綴字に含まれる非語源的な reverse spelling の <b> についてOED の記述を参照して「13世紀末の添加」と記した.OED によると,1290年頃の The South English Legendary からの Strongue is þe þoumbe I-cleoped が初例となっている.他の辞書や語源辞典もこの OED の記述を踏襲しているようだが,MED, "thoume" によると,<b> を含む例は,12世紀半ばの The Peterborough Chronicle の1137年の記録に見いだすことができる.Clark 版から該当箇所を引く(赤字は引用者).
Me henged bi the þumbes other bi the hefed 7 hengen bryniges on ˈherˈ fet. (1137, l. 22)
Clark の注 (p. 94) によると,PChron よりも早い土地台帳 the Doomsday Book に,Oxfordshire の地名 Thomley を表わす語形として Tvmbeleia が用いられているという.<b> の挿入は,OED の記述よりもずっと早く,中英語の最初期にすでに見られたということである.
[2009-06-01-1]では,crumb, limb, numb と合わせて thumb の <b> は歴史上 /b/ として発音されたためしがないと述べたが,thumb についてはこの発言は訂正すべきかもしれない.11世紀や12世紀の早い時期にこの種の reverse spelling や黙字 ( silent letter ) が導入されたとは考えにくいし,上記の Tvmbeleia の例のように,/m/ に他の音が後続する環境で,わたり音 ( glide ) として破裂音 /b/ が挿入されるのは調音的に自然である.他の語についても,<b> の挿入は近代英語期にかけてのことだが,綴り字発音 ( spelling pronunciation ) が一切なかったかというと,それは確かめようがない.「歴史上 /b/ として発音されたためしがない」というのは主張としては強すぎたかもしれない.せいぜい主張できるのは,「 /b/ を含む発音が散発的にありえたとしても,主要な変種において /b/ を含まない発音に比して優勢な交替形であったことはなさそうだ」くらいのものだろう.ここに訂正したい.
なお,thumb の古英語形は þūma (男性弱変化名詞)だったので,初期中英語での予想される複数形(主格および対格)は -n 語尾をもつ形態だが,PChron の例ではすでに -s 複数化した þumbes である.私が調べた範囲では,初期中英語コーパスでこの語が複数形に -s をとる例はこれが唯一のものである.
・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.
昨日の記事[2011-02-19-1]と関連して,中英語の綴字と発音の関係について.LAEME 編集者とその周辺では,4世紀のローマの文法家 Aelius Donatus による用語 littera, figura, potestas が,理論的な意味を付された書記素論の術語としてしばしば用いられてきた.Lass and Laing, p. 9 に引用されている原文および英訳を掲げよう.
Littera est pars minima vocis articulatae ... littera est vox, quae scribi potest individua ... accidunt cuique littera tria, nomen figura potestas, quaeritur enim, quid vocatur littera, qua figura sit, qua possit.
Littera is the smallest unit of articulated sound ... littera is (a) sound which is capable of being written alone ... littera has three properties: name, shape, power [= sound value]. For one must ask what the littera is called, what its shape is, and what its power is.
littera は書記素 ( grapheme ) ,figura は字形(=具体的な文字の現われ),potestas は音価にそれぞれ相当すると考えられる(書記素については[2010-12-02-1]の記事を参照).例えば,「`e' という littera は <e> という figura として書かれ,その potestas は [e] である」などと表現することができる.
さて,中英語では littera と potestas の対応が理想的な1対1でなかったが,これは現代英語でも同じ状況なので驚くには当たらない.現代英語でも1対1どころか多対多の対応が常態であり,本ブログでも spelling_pronunciation_gap の各記事で取り上げてきた問題である.上記の中英語書記素論の概念と Litteral Substitution Set (LSS) や Potestatic Substitution Set (PSS) と呼ばれる記法を利用すると,次に示すように現代英語の綴字の問題にも言及できるようになる.
[2010-11-13-1]の記事で触れた「 [ɪ] に対応する綴字」を取り上げよう.him, hymn, English, busy, spinach, been, sieve, build といった語例により,[ɪ] の LSS は以下のようになる(他にもあるかもしれない).
LSS of [ɪ]: { `i', `y', `e', `u', `a', `ee', `ie', `ui' }
逆の方向で「`a' に対応する発音」を試してみると,apple, age, sofa, image, mirage, any などの語例から,`a' の PSS は以下のようになる(他にもあるかもしれない).
PSS of `a': { [æ], [eɪ], [ə], [ɪ], [ɑː], [ɛ] }
上に示した LSS や PSS は標準現代英語における規範的な綴字とRPなどの準規範的な発音との対応にすぎないことに注意したい.各種の地理的方言や非標準変種を考慮すれば異なった LSS や PSS が見られるだろう.ましてや中英語(特に初期)に遡れば,規範が不在であるからテキスト ( scribal text ) ごとに個別の書記体系があると考えなければならない.中英語の書記体系の問題は想像以上に複雑であり,だからこそ Lass and Laing が提案しているように理論化を計る必要があるのだろう.
・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction.'' Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .
初期中英語の方言地図 LAEME の機能が向上してきた.その先輩でもあり生みの親でもある後期中英語の方言地図 LALME は,綴字と発音の関係を考察する上で重要な知見をもたらしてきた.中英語における綴字の地理的分布が,発音の地理的分布と同様に方言学的な価値をもっていることを明らかにした.それまでは,綴字は発音に従属する二次的な体系であり,綴字の地理的分布が本質的に重要な価値をもっているとはみなされていなかったが,LALME は綴字を独立して観察されるべき体系として位置づけたのである.綴字を発音から解放したとでも言おうか.
中英語方言学は,1986年の LALME の登場によって意表を突かれながら,新たな段階に入ることになった.ここに一種の解放感ならぬ開放感があったことは確かである.文書でしか残されていない中英語の言語的実態,ことに発音の実態を蘇らせたいと思えば,綴字の問題に行き着いてしまう.綴字がどのくらい忠実に発音を表わしているのかは,まさに隔靴掻痒たる問題である.例えば,悪名高いものに現代英語の shall に対応する後期中英語 East Anglia 地方の綴字 xul, xal がある(この語の他の奇妙な綴字は MED を参照).この <x> の文字で表わされる音価は [ks] なのか [ʃ] なのか,あるいは別の音なのか.このような難問が立ちはだかるなかで,綴字と発音を一度切り離して考えてみよう,綴字の側だけでも独立して考察してみよう,という研究上の選択肢が与えられることとなった.
しかし,発音の呪縛からの解放感は永久に続くわけではない.LALME の出版後,(時代としてはより古いが)その続編として LAEME のプロジェクトが始まったが,プロジェクトの後半から本格的に参加した歴史形態音韻論の理論家 Lass は,綴字と発音の関係を再考して次のように述べている.
The statement in LALME (vol. 1, 6) that the maps constitute 'a dialect atlas of written Middle English', and that texts are 'treated as examples of a system of written language in its own right' is often misinterpreted. The emphasis on the independent value of written evidence was particularly apposite two decades ago, given the post-Bloomfieldian view that was current then (and to a large extent still is) that writing is of no independent linguistic interest, but merely 'parasitic on' speech. But this must not be misunderstood and taken to imply that phonological interpretation is per se unnecessary. The LALME editors take no such line. They were fully aware of the potential phonological implications of their data. LALME is rich in phonological commentary, while the series of Dot Maps (vol. 1) crucially depends on acknowledging the relationship between sound and symbol. (Lass and Laing 11--12)
これは,20年ほどの解放感の後で xul の音価は何かという悪夢のような問題に立ち返らなければならないという宣言だろうか.上の論文でなされている Lass and Laing の文字論,書記素論の考察は,初期中英語の綴字問題にとどまらず,現代英語の綴字と発音の関係にも光を与えるものであり,読み応えがある.
・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction." Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .
・ McIntosh, Angus, M. L. Samuels, and M. Benskin. A Linguistic Atlas of Late Mediaeval English. 4 vols. Aberdeen: Aberdeen UP, 1986.
現代英語の綴字と発音の関係が不規則であることはつとに有名であり,本ブログでも関連する数多くの記事を書いてきた ( see spelling_pronunciation_gap ) .英語のこの特徴は英語母語話者にとっても英語学習者にとっても長らく不平不満の対象となっており,特に近代英語期以来,この状況を是正すべく幾多の綴字改革の提案がなされてきた.しかし,これまで提案されてきた綴字改革は,ほぼすべてが失敗に終わっている.一見すると不思議に見えるが,これは紛れもない歴史的事実である.
19世紀から20世紀にかけての時期にもいくつかの綴字改革運動が起こった.この時期の綴字改革の試みについては京都府立大学の山口美知代先生の著書がたいへん詳しいが,その「英語綴り字改革論の考え方と代表的な綴り字改革案例」 (25) を一覧すると,改革案の類型がよく分かる.簡単に紹介しておきたい.
綴字改革案は大きく分けて2種類ある.表音原則の徹底を目指す方向と,現行正書法の不規則生を減じるという方向である.前者は体系的な根治治療,後者はその場しのぎの応急手当に比較できるかもしれない.さらに細分化すると,以下のようになる(山口先生の一覧 (25) を参考にまとめた).
[ 1. 表音原則を徹底するタイプ ]
(1A) 既存のアルファベットで表音規則を適用する(例:エリス「グロシック」,スウィート「簡易ローミック」,リップマン & アーチャー「簡略綴り字」,「ニュースペリング」)
(1B) 既存のアルファベットに新文字を追加する(例:I. ピットマン「フォノティピー」,国際音声学会「ワールド・オーソグラフィー」,J. ピットマン「初期指導用アルファベット」)
(1C) まったく新しいアルファベットを考案する(例:リード「ショー・アルファベット」; see [2009-05-13-1] )
[ 2. 現行正書法の不規則性を減じるタイプ ]
(2A) 頻度の高い綴字を採用し,低いものを変更する(例:ヴァイク「規則化英語」)
(2B) 特に顕著な不規則性を取り除く(例:言語学会「部分的修正案」,ウェブスター『アメリカ英語辞典』,全米教育教会の十二語の簡略綴り字採択決議)
(2C) 強勢のない母音を削除する(例:アップワード「カットスペリング」)
この類型は,19世紀より前の近代英語期の綴字改革にも適用できそうである.
素人目で見ても (1C) や (1B) はいかにも急進的であり運動として成功しなさそうであるが,比較的穏健な (1A) や (2A) ですらほとんど見向きもされなかった.(2B) に分類される Webster の改革 ( see [2010-08-08-1] ) は「例外的に」成功した例だが,たとえ穏健であっても綴字改革の成功率は低いということをかえって裏付けるものとも理解できる.改革の旗を掲げることは誰にでもできるが,それを一般に受け入れさせることがいかに難しいか,綴字改革運動の難しさを改めて考えさせる失敗例の一覧である.
・ 山口 美知代 『英語の改良を夢見たイギリス人たち 綴り字改革運動史一八三四?一九七五』 開拓社,2009年.
・ Crystal, David. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 2nd ed. Cambridge: CUP, 2003. 276--77.
綴字と発音の関係について,<ch> は通常 /tʃ/ に対応するが,/k/ に対応することもある./k/ への対応はギリシア語やラテン語からの借用語に典型的に見られ,さして珍しいことではない ( ex. chemistry, chorus, chronic, school ) .しかし,英語本来語で <ch> = /k/ の対応は相当に珍しい.ache /eɪk/ がその変わり者の例である.
この語は古英語の acan 「痛む」に遡るが,究極的には印欧祖語の *ak- 「鋭い」にまで遡りうる ( cf. acid, acrid, acute, vinegar ) .古英語の動詞 acan は強変化動詞第VI類に属し,その4主要形は acan -- ōc -- ōcon -- acen だったが,14世紀からは弱変化形も現われ,じきに完全に強弱移行を経た(←この現象を「強弱移行」と呼ぶようで,英語にはない実に簡便な日本語表現).
古英語動詞 acan からは子音を口蓋化させた名詞 æce 「痛み」が派生しており( see [2009-06-16-1] ) ,それ以降,初期近代英語期までは動詞と名詞の綴字・発音は区別されていたが,1700年辺りから混同が生じてくる.発音では名詞が動詞に吸収され /eɪk/ に統一されたが,綴字では動詞が名詞に吸収され <ache> に統一された.本来語としてはまれな <ch> = /k/ の対応は,動詞と名詞の混同に基づくものだったことになる.
この混同した対応を決定づけたのは,Dr Johnson である.1755年の辞書の中で,to ake の見出しに次のような説明が見られる.
Johnson はこの語の語源をギリシア語と誤解していたようで,それゆえに <ache> の綴字が正しいとした.この記述が後に影響力を及ぼし,現在の綴字と発音のねじれた関係が確定してしまった.
ちなみに,日本語の「痛いっ」と英語の ouch は発音が類似していなくもない.間投詞 ouch は,18世紀にドイツ語 ( Pennsylvania Dutch ) の間投詞 autsch からアメリカ英語に入ったとされるが,日本語の「いたい」にしろ,ドイツ語の autsch にしろ,英語の ouch にしろ,そして当然 ache も悲痛の擬音語に端を発したのではないかと疑われる.ouch について,日本語の「いたい」を参照している粋な Online Etymology Dictionary の記事も参照.
昨日の記事[2010-11-27-1]で aisle の綴字と発音について述べたが,その背景には一足先に妙な綴字と発音の関係を確立していた isle や island の存在があった.island は一種の誤解に基づいた etymological respelling の典型例であり,その類例を例説した[2009-11-05-1], [2009-08-21-1]でも詳しく触れていなかったので,遅ればせながら由来を紹介したい.
「島」を表わす語は古英語で īegland あるいは ēaland といった.この複合語の前半部分 īeg- や ēa は「水,川」を表わす語で,これに land が組み合わさって「島」を意味した.「水の土地」が「島」を意味するというのはごく自然の発想であり,ゲルマン諸語にも対応する複合語が広く見られる.ちなみに,īeg- の印欧語の再建形は *akwā で,これはラテン語 aqua 「水」と同根である.
さて,古英語の īegland は中英語では iland や yland として伝わった.一方で,1300年頃に「島」を表わす類義語としてフランス語から ile, yle が入ってきた.ここで iland は ile + land と再分析されることとなった.この分析の仕方ではフランス語形態素と英語形態素の組み合わさった混種語 ( hybrid ) となるが,この組み合わせは[2009-08-01-1]の記事で触れたように必ずしも珍しくはない.
さらにもう一ひねりが加えられる.15世紀にフランス語側で ile が isle と綴られるようになった.これは,ラテン語の語源 insula 「島」を参照した etymological spelling だった.この <s> を含んだ etymological spelling の影響がフランス語から英語へも及び,英語でも15世紀から isle が現われだした.複合語でも16世紀から isle-land が現われ,17世紀中に island の綴字が定着した.こうした綴字の経緯を尻目に,発音のほうは /s/ を挿入するわけでもなく,第1音節の長母音 /iː/ が大母音推移を経て /aɪ/ へと推移した.
ところで,古英語 īeg- 「水」に相当する語は,Frisian や Old Norse では -land を伴わずとも単独で「島」を表わすというからおもしろい.フリジア諸島やアイスランド島の住民が「おれたちゃ水のなかに住んでいるようなもんさ」といっているかのようである.「水」と「島」ではまるで反意語だが,島民にとっては We live on the water と We live on the island とはそれほど異ならないのかもしれない.
飛行機や列車で通路側の席のことを aisle seat という.特に長距離の飛行機では window seat よりもトイレに立ちやすい,飲み物を頼みやすいなどの理由で,私はもっぱら aisle seat 派である.なぜ aisle はこんな妙な綴字と発音なのだろうとふと思って調べてみると,なかなかの波瀾万丈な歴史を経てきたようだ.OED の記述を読んでいると,複雑すぎて混乱するほどだ.
発音から見てみよう.語源はラテン語の āla 「翼」で /aː/ の母音をもっていたが,古フランス語では e(e)le と1段上がった母音を示した.この形態が14世紀に英語へ入ってきた.15世紀からは,この語の「側廊」(教会堂の中心から分離されて翼状に配された側面廊下)の語義が ile 「島」と連想され,/iː/ の音をもつに至る.これが大母音推移の入力となり,現在の発音 /aɪl/ にたどりついた.ラテン語 /ā/ から現代英語の /aɪ/ まで舌が口腔内を広く移動してきたことになる.類例としては[2010-07-25-1]で触れた friar などがある.
一方,綴字はもっと複雑である.ラテン語 <ala>,古フランス語 <e(e)la>,中英語 <ele>, <ile> までは上で見た.18世紀に,一足先に(誤解に基づく) etymological respelling で <s> を挿入していた isle や island ( see [2009-11-05-1], [2009-08-21-1] ) にならい,この語も isle と綴られるようになる.続けてフランス語で発達していた綴字 <aile> にも影響され,現在の <aisle> が生じた.現在の綴字は,isle と aile の合の子ということになる.
Samuel Johnson は A Dictionary of the English Language (1755) で aile の綴字が正当だと主張しているが,すでに現在の妙な綴字は定着しつつあったようである.
Thus the word is written by Addison, but perhaps improperly; since it seems deducible only from either aile, a wing, or allie, a path; and is therefore to be written aile.
標題に /ɪ/ の発音記号を表示できない仕様なので,弛緩前舌高母音 ( lax front-high vowel ) などと調音音声学的に表現したが,要するに it に含まれる短母音のことである.
ゼミなどで現代英語の発音と綴字の乖離の問題を論じる際に,頭の体操として「○○という発音に対応する綴字を,単語の具体例を出しながら複数種類挙げよ」とか,逆に「○○という綴字に対応する発音を,単語の具体例を出しながら複数種類挙げよ」という演習問題を皆で解く機会がある.先日のゼミで「 /ɪ/ に対応する綴字を,単語の具体例を出しながら複数種類挙げよ」を試してみた.集合知の効果が見事に発揮され,一人ではなかなか思いつかない意外な例も挙げられたので,すかさずメモを取った.以下に具体例を追加しながら再現.
・ <i>: him, it, thick
・ <y>: hymn, sympathy, yclept
・ <e>: English, recognize, women ( see [2009-12-12-1] )
・ <u>: busy, business ( see [2010-11-10-1] )
・ <a>: acknowledge (AmE), spinach,
・ <ee>: been
・ <ie>: sieve
・ <ui>: build
意外性という意味での傑作は,学生の一人が挙げた forehead の <ea> である ( see [2010-01-12-1], [2009-11-24-1] ) .場合によっては <ehea> の部分を切り出し,これが /ɪ/ に対応すると主張することも可能かもしれない(ただしこの種のゲームの暗黙のルールとして,母音字が子音に対応する,あるいは子音字が母音に対応するという組み合わせは違反とされているように思われる).この手の 偽装合成語 ( disguised compound; see [2010-01-12-1] ) や,それに類する英語地名・人名などを漁れば,とんでもない解答が他にあるかもしれない.
現代英語の綴字と発音の乖離には種々の歴史的背景がある.その歴史的原因のいくつかについては[2009-06-28-2]の記事で話題にしたが,そこの (2) で示唆したが明確には説明していない中英語期の方言事情があった.spelling-pronunciation gap の問題として現代英語にまで残った例は必ずしも多くないが,ここにはきわめて英語的な事情があった.
busy (及びその名詞形 business )を例にとって考えてみよう.busy の第1母音は <u> の綴字をもちながら /ɪ/ の発音を示す点で,英語語彙のなかでも最高度に不規則な語といっていいだろう.
この原因を探るには,中英語の方言事情を考慮に入れなければならない.[2009-09-04-1]で見たように,中英語期のイングランドには明確な方言区分が存在した.もちろんそれ以前の古英語にも以降の近代英語にも方言は存在したし,程度の差はあれ方言を発達させない言語はないと考えてよい.それでも,中英語が「方言の時代」と呼ばれ,その方言の存在が注目されるのは,書き言葉の標準が不在という状況下で,各方言が書き言葉のうえにずばり表現されていたからである.写字生は自らの話し言葉の「訛り」を書き言葉の上に反映し,結果として1つの語に対して複数の綴字が濫立する状況となった(その最も極端な例が[2009-06-20-1]で紹介した through の綴字である).
14世紀以降,緩やかにロンドン発祥の書き言葉標準らしきものが現われてくる.しかし,後の英語史が標準語の産みの苦しみの歴史だとすれば,中英語後期はその序章を構成するにすぎない.ロンドンは地理的にも方言の交差点であり,また全国から流入する様々な方言のるつぼでもあった.ロンドン方言を基盤としながらも種々の方言が混ざり合う混沌のなかから,時間をかけて,部分的には人為的に,部分的には自然発生的に標準らしきものが醸成されきたのである.
上記の背景を理解した上で中英語期の母音の方言差に話しを移そう.古英語で <y> (綴字),/y/ (発音)で表わされていた綴字と発音は,中英語の各方言ではそれぞれ次のように表出してきた.
大雑把にいって,イングランド北部・東部では <i> /ɪ/,西部・南西部では <u> /y/,南東部では <e> /ɛ/ という分布を示した(西部・南西部の綴字 <u> はフランス語の綴字習慣の影響である).したがって,古英語で <y> をもっていた語は,中英語では方言によって様々に綴られ,発音されたことになる.以下の表で例を示そう(中尾を参考に作成).
Southwestern, West-Midland | North, East-Midland | Southeastern (Kentish) | |
---|---|---|---|
OE forms | /y/ | /ɪ/ | /ɛ/ |
byrgan "bury" | bury | biry | bery |
bysig "busy" | busy | bisy | besy |
cynn "kin" | kun | kin | ken |
lystan "lust" | luste(n) | liste(n) | leste(n) |
myrge "merry" | murie | myry | mery |
synn "sin" | sunne | synne | senne, zenne |
現代英語で <oo> の綴字で表わされる発音には,3種類があることが知られている.
・ /uː/: doom, food, pool, tooth, soot
・ /ʊ/: book, good, hood, look, stood
・ /ʌ/: blood, flood
綴字と発音が一対多である典型的な例だが,この3通りの発音が生じたのは,中英語後期から異なる複数の音声変化が順次 <oo> の表わす音に対して作用したためである.まずは,15世紀以降に生じた大母音推移 ( Great Vowel Shift ) である ( see [2009-11-18-1] ) .中英語期には <oo> は /oː/ という発音に対応したが,大母音推移により一律に上げ ( raising ) を経て /uː/ へ変化した.
次に,/uː/ となった <oo> の一部(歯音 /k, t, d/ が後続するものの一部)(← 後記:/k/ は歯音ではありませんでした.2010/10/26(Tue))が16?17世紀に短化 ( shortening ) を起こし /ʊ/ となった.こうして /ʊ/ へと変化した語群のさらに小さな部分集合が,今度は16世紀半ば以降に中舌化 ( centralisation ) を起こし /ʌ/ となった(以上をまとめた下図を参照).
このように,異なる音声変化が <oo> をもつ語の部分集合,さらにその部分集合に対して働いたために,現代英語の共時的な視点からみれば <oo> に対して3種類の発音が対応することになった.
<oo> と <oa> の関係については[2010-07-06-1]の記事を参照.
・中尾 俊夫,寺島 廸子 『図説英語史入門』 大修館書店,1988年,174頁.
授業で学生から,男性の名前 Ralph がなぜ /reɪf/ と発音されるのかという質問があった.なるほど,Ralph には綴字から予想される /rælf/ の発音もあるが,/reɪf/ という発音もある.後者は伝統的な発音で,特にイギリスで多く聞かれる人名である.例えば,アメリカ人作家 Ralph Waldo Emerson やアメリカ人ファッション・デザイナー Ralph Lauren では前者の発音が,イギリス人作曲家 Ralph Vaughan Williams では後者の発音が聞かれる.
この名前は,Old Norse の Raðulfr が Radulf として Old Norman French に入り,その短縮形 Raulf が英語に入ってきたものである.Old Norse の形態は古英語の Rǣdwulf ( rǣd "counsel" + wulf "wolf" ) に対応し「助言する狼」ほどの意である.現在の綴字は18世紀に一般化した.<ph> の綴字はラテン語あるいはギリシア語の綴字習慣を摸した一種の格好つけだろう.wulf はもともとこれら古典語に由来するわけではないので etymological respelling ( see [2009-08-21-1], [2009-11-05-1] ) とは呼べないが,効果としては同類と考えられる.
<ph> の綴字をもつようになった別の例としては,古英語の rand "shield" + wulf "wolf" に由来する Randolph がある.Bēowulf ( bēo "bee" + wulf "wolf" ) も現代に伝わっていたら,*Beewolph とか *Beelph のような名前になっていたかもしれない.
さて,/reɪf/ という発音についてはどうだろうか./rælf/ から /reɪf/ への発音変化の道筋については,調べてみたが詳細は分からなかった.しかし,次のような道筋が想定されるだろう./reɪf/ が大母音推移の出力結果だとすると,入力は /raːf/ である.後者の発音は,Raulf などの初期形態から子音 l の脱落あるいは先行母音との融合によって容易に到達しうる.実際に,Rauf, Rafe などの中間形態を表わす綴字が歴史的に例証される.発音と綴字がそれぞれつかず離れずに発展し,最終的にはちぐはぐな対応関係 <Ralph> = /reɪf/ に至ったというのが真相ではないか.人名や地名などの固有名詞,特にイギリスのものには,このような「ちぐはぐ」が多く見られる ( see [2010-07-18-1] ) .
現代英語の綴字と発音の関係は,母語話者にとっても非母語話者にとってもしばしば非難の対象になるが,[2010-02-05-1]の記事で少し触れたとおり,世間で酷評されるほどひどくないという主張がある.Crystal (72) によれば綴字が完全に不規則な日常英単語はわずか400語程度にすぎないという.また,以下のように綴字の規則性は75%?84%にも達するという推計もある.
English is much more regular in spelling than the traditional criticisms would have us believe. A major American study, published in the early 1970s, carried out a computer analysis of 17,000 words and showed that no less than 84 per cent of the words were spelled according to a regular pattern, and that only 3 per cent were so unpredictable that they would have to be learned by heart. Several other projects have reported comparable results of 75 per cent regularity or more. (Crystal, pp. 72--73)
この数値をみると,確かに巷で騒がれるほど英語の綴字はめちゃくちゃではないのだなと感じるかもしれない.しかし,こうした推計値は,解釈に際して2つの点で注意すべきである.1つは,推計値は調査対象とする語彙の範囲(例えば明らかに不規則性が多く観察される地名や人名などの固有名詞を含むかどうか)や規則性の計測の仕方(例えば meat, meet, mete の綴字はいずれもある意味で規則的と判断できるが,/mi:t/ を綴る可能性が3種類もあると考えれば予測不可能性は増し,その分不規則的ともいえる)などに大きく依存するという点である.何をどのように数えるかということが肝心である.
それでも,複数の推計で法外に大きく異なる値が出たわけではないので,ひとまず上の値を受け入れると仮定しよう.その場合でも,次の点を考慮する必要がある.数値が客観的であるとしても,その数値をどのように解釈すればよいかという基準が主観的あるいは相対的になることがありうるという点である.具体的に言えば,綴字の規則性を示す84%という上述の値は,本当に高いと評してよいのだろうか.綴字と発音の関係が例外なしの完璧な場合を100%と考えているのだろうが,その正反対である0%というのはローマ字のような表音文字 ( see [2010-06-23-1] ) を話題にしている限り,定義上ありえない.表語文字である漢字ですら,形声文字では,音読みに関する限り,読み方の予測可能性はかなり高いのである.つまり,100%の対極として0%を想定することは現実的にはありえない.取り得る値の範囲は,0--100% ではなく,例えば 50--100% くらいに落ち着くはずである.その中で84%という数値を評価する必要がある.
また,英語と同じローマ字を用いる他のヨーロッパ語を考えてみると,フランス語やドイツ語などで同じような推計をとると限りなく100%に近くなるのではないかと想像される.それと比較すると,英語の84%という値は相当に低いとも考えられる.「表音文字で綴られる言語」を標榜している限り,完璧な100%までは求めずともせめて95%くらいは欲しい,譲っても90%だなどと考えれば,84%では心許ないともいえる.「表音文字」であるから100%を建前としているし,取り得る値のボトムが0%でありえないという上記の前提を考慮すると,英語の84%という値の解釈は難しい.
出てきた数値はそれなりに客観的だとしても,その解釈は相対的にならざるを得ないと考える所以である.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
[2010-07-06-1]の記事で <oa> の綴字との関連で Richard Mulcaster という名に触れたが,今日は英語綴字改革史におけるこの重要人物を紹介したい.
Richard Mulcaster (1530?--1611) は,Merchant-Taylors' School の校長,そして後には St. Paul's School の校長を歴任した16世紀後半のイングランド教育界の重鎮である.かの Edmund Spenser の師でもあった.彼の教育論は驚くほど現代的で,教師を養成する大学の設立,教師の選定と給与の問題,よい教師に最低年次を担当させる方針,教師と親の関係,個性に基づいたカリキュラム作成など,250年後にようやく一般に受け入れられることになる数々の提言をした.彼はこうした教育的な動機から英語の綴字改革にも関心を寄せ始め,1582年に保守派を代表する書 The First Part of the Elementarie を世に送った(文法を扱うはずだった The Second Part は出版されなかった).
16世紀は大母音推移 ( Great Vowel Shift ) が進行中で,綴字と発音の乖離の問題が深刻化し始めていた.多数の正音学者 ( orthoepist ) が輩出し,この問題を論じたが,大きく分けて急進派と保守派に分かれていた.急進派は,一文字が一音に厳密に対応するような文字体系を目指す表音主義の名の下に,新しい文字や文字の使い方を提案した.John Cheke (1514--57),Thomas Smith (1513--77), John Hart (d. 1574), William Bullokar (1530?--1590?) などが急進派の代表的な論者である.
それに対して,伝統的・慣習的な綴字の中に固定化の基準を見つけ出そうとする現実即応主義をとるのが保守派で,Richard Mulcaster を筆頭に,1594年に Grammatica Anglicana を著した P. Gr. なる人物 ( Paulo Graves? ) や 1596年に English Schoole-Maister を著した E. Coote などがいた.急進的な表音主義路線はいかにも学者的であるが,それに対して保守的な現実路線をとる Mulcaster は綴字が発音をそのまま表すことはあり得ないという思想をもっていた.綴字と発音の関係の本質を見抜いていたのである.結果としては,この保守派の現実的な路線が世論と印刷業者に支持され,Coote の著書が広く普及したこともあって,後の綴字改革の方向が決せられた.17世紀後半までには綴字はおよそ現代のそれに固定化されていたと考えてよい.18世紀にも論争が再燃したが,保守派の Samuel Johnson による A Dictionary of the English Language (1755) により,綴字はほぼ現代の状態へ固定化した.現代英語の綴字体系の是非はともかくとして,そのレールを敷いた重要人物として Mulcaster の英語史上の役割は大きかったといえるだろう.
Mulcaster は,イングランドが力をつけはじめた Elizabeth 朝の時代に,英語の独立と卓越に確信をもった教育者だった.彼の英語に対する信頼と自信は,著書 The First Part of the Elementarie からの次の有名な文に表れている.
I loue Rome, but London better, I fauor Italie, but England more, I honor the Latin, but I worship the English.
・ Mulcaster, Richard. The First Part of the Elementarie. Menston: Scolar Reprint 219, 1582. (downloadable here from OTA)
昨日の記事[2010-02-05-1]の続編.英語の文字体系を漢字と同じ表語文字(正確には表形態素文字)ととらえれば,喧伝されている英語綴字の不条理について,不満が少しは静まるのではないかという話である.
日本語の不便の一つに同音異綴 ( homophony ) がある.例えば「こうし」と仮名で書いた場合,『広辞苑』によればこれは44語に対応する.
子牛・犢,工師,公子,公司,公私,公使,公試,孔子,甲子,交子,交趾・交阯,光子,合志,好士,考試,行死,行使,孝子,孝志,更始,厚志,厚紙,後肢,後翅,後嗣,皇子,皇師,皇嗣,紅脂,紅紫,郊祀,香脂,格子,貢士,貢使,高士,高志,高師,黄紙,皓歯,構思,嚆矢,講師,恋し
発音ではアクセントによって「子牛」と「講師」などは区別がつけられるが,大部分は区別不能である.文脈によって判別できるケースも多いだろうが,何よりも漢字で書けば一発で問題は解決する.これは,漢字の本質的な機能が,音を表すことではなく語(形態素)を表すことにあるからである.
英語では,同音異義はこれほど著しくはないが,やはり存在する.so, sow, sew はいずれも /səʊ/ と発音されるが,語(形態素)としては別々である.通常は文脈によって判別できるだろうが,やはり綴字の違いがありがたい.これも,英語の綴字の機能の一部として,音でなく語(形態素)を表すという役割があるからこそである.ここにも,英語の綴字と漢字の共通点があった.
日本語の文字体系において,仮名は音(音節)を表し,漢字は主に語を表す.もちろん漢字にも音は付随しているが,通常,仮名のように一対一で音に対応しているわけではない.たとえば,<言>という漢字は /い(う)/, /こと/, /げん/, /ごん/ と複数の音読の仕方がある.日本語の非母語学習者が漢字を覚えるのはさぞかし大変だろうと思うが,非英語母語話者が英語を学習する場合にも,程度の差こそあれ同じような面倒を経験している.
"alphabet" は表音文字と同義に用いられることもあるが,見方によれば,特に英語の alphabet の場合,phonetic どころか phonemic ですらない.これまでにもいくつかの記事で spelling_pronunciation_gap の話題を取り上げてきたように,英語ではある文字がただ一つの音素に対応するということはなく,文字体系は一見めちゃくちゃである.だが,英単語の約84%については綴字が対応規則により予想可能だといわれており (Pinker 187),世間で非難されるほどひどい文字体系ではないという意見もある.
ここで発想を転換して,英語の文字体系は表音文字でなく(漢字と同じ)表語文字である,と考えてみよう.より正確にいえば,語 ( word ) というよりは形態素 ( morpheme ) を表す文字であると考える.たとえば,photograph, photographic, photography という一連の語のそれぞれについて <photograph> の部分を内部分割できない一つのまとまりとして,一文字の漢字であると想像してみよう.いまや <photograph> は「写真,画」を意味する一形態素 {photograph} を表す一漢字であるから,先の3語はそれぞれたとえば <画>, <画ic>, <画y> などと書けることになる.ちょうど漢字の <画> が /か(く)/, /かく/, /が/ など複数の音連鎖に対応しているように,<photograph> が上記3語において /ˈfəʊtəgrɑ:f/, /ˌfəʊtəˈgræf/, /fəˈtɒgrəf/ という複数の音連鎖に対応しており,このこと自体は不思議ではない.音でなく形態素に対応しているがゆえに,photograph, photographic, photography の派生関係や語源的つながりは一目瞭然であり,便利であるともいえる.
このように英語の綴字と漢字には共通点があると考えると,漢字を使いこなす日本人にとって,英語の spelling-pronunciation gap などかわいいものではないだろうか.また,英語母語話者の綴り下手も,日本人の漢字力の衰えと比較すれば合点が行く.
・Pinker, Steven. The Language Instinct: How the Mind Creates Language. New York: W. Morrow, 1994. New York : HarperPerennial, 1995.
現代英語の綴字と発音の乖離は,英語史上の主要な問題であり,本ブログでも定番の話題となってきた(関連記事を参照→spelling_pronunciation_gap).
今日はこの乖離をだしにした詩を紹介する.Gelderen (14) が掲載しているもので,"unknown source" とされている.couplet で脚韻を踏んでいるが,ほぼすべての組で綴字が異なっているのがミソ.綴字と発音の乖離を逆手に取ったことば遊びとして実によくできている.
I take it you already know
Of tough and bough and cough and dough?
Some may stumble but not you,
On hiccough, thorough, slough, and through?
So now you are ready perhaps
to learn of less familiar traps?
Beware of heard, a dreadful word
that looks like beard and sounds like bird,
and dead is said like bed, not bead or deed.
Watch out for meat, great, and threat that
rhyme with suite, straight, and debt.
より長い完全なバージョンがあるようで,Web で探したらこんな動画(スクリプト付き)があった(YouTube版もあり).発音記号つきのスクリプトを参照したい方は,こちらのPDFもどうぞ.
特に前半の <ough> の発音の多様性が印象的である.through の綴字については,[2009-06-20-1]他参照.
・Gelderen, Elly van. A History of the English Language. Amsterdam, John Benjamins, 2006. 163.
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