hellog〜英語史ブログ

#3212. 黒死病,死の舞踏,memento mori[literature][black_death]

2018-02-11

 英語死における黒死病 (black_death) の意義について,「#119. 英語を世界語にしたのはクマネズミか!?」 ([2009-08-24-1]),「#138. 黒死病と英語復権の関係について再考」 ([2009-09-12-1]),「#139. 黒死病と英語復権の関係について再々考」 ([2009-09-13-1]),「#3058. 「英語史における黒死病の意義」のまとめスライド」 ([2017-09-10-1]) をはじめとする諸記事で考えてきた.
 14世紀半ばの黒死病の到来は中世ヨーロッパの死生観を変え,「死の舞踏」 (dance of death, danse macabre) のモチーフの流行をもたらすなど,文化史や社会史において甚大な影響を及ぼしたとも言われるが,松田の近著『煉獄と地獄』によれば,正確には「死の普遍性を再認識する契機となった」と捉えるべきだろうという.死の普遍性という捉え方は,古今東西,それこそ普遍的であり,特に中世のヨーロッパに特有のはずはない.むしろ,黒死病はその普遍的な言説のなかに取り込まれていったとみるべきではないか.松田 (19--20) を引用する.

 こうした〔黒死病の〕光景は一四世紀のヨーロッパの多くの都市に共通して見られ,死の普遍性を再認識する契機となったことだろう。一五―一六世紀に「死の舞踏」の壁画がシチリアからイングランド北部に至るまで広く人気を博した背景には,この悲惨な共通体験があったとヨハン・ホイジングは『中世の秋』(一九一九年)で指摘した。両者を直接の因果関係で結びつけることは短絡的だとしても,「死の舞踏」にはドリュモーが指摘した「神罰の様相,死の攻撃の凶暴さ,貧富老若を問わぬ死の平等性」というペストの三つの特徴がそのままあてはまると感じられたことは想像に難くない。
 ペストという共通体験は,死の文学における地域性を見えにくくしていると言えるかもしれない。しかし,本書で扱う中世後期のポピュラーな死の文学ジャンルやモチーフ――現世蔑視,三人の生者と三人の死者,往生術,死語世界探訪譚,死の舞踏など――は,いずれも特定の地域に限定されたものではなく,少なくとも西ヨーロッパの複数の言語で同時的に見られるものばかりである。文学史的な見方をするならば,死の文学に関しては聖書にまで遡るモチーフや比喩の伝統が確立していて,ペストといえどもその受け継がれてきた表現形態や機能を大きく変革することはなかったと考えることができる。実際,ペストが神に対する絶望のような神学的問題を引き起こすことは稀で,むしろ原因追及の矛先は,中世の天変地異の解釈がしばしばそうであったように,人間の道徳的堕落へと向けられた。ペストは死神を介して与えられた神罰であり,その衝撃は最終的に教化という死の文学の機能のなかに吸収されて,予定調和的に処理されたと言えるだろう。


 上でみたように,黒死病と「死の舞踏」のモチーフの流行の間に直接の因果関係があるかどうかは別として,後者は中世から近代にかけてのヨーロッパの死生観をヴィジュアルに示したものとして際立っている.松田 (223) によれば,

この死の遍在性を端的に視覚化したモチーフとして,中世の終わりから近代初期にかけて流行した「死の舞踏」がある。「死の舞踏」とは,腐乱あるいは白骨化した屍がさまざまな階級や職業,年齢の生者の手を取って,ときに踊るようなステップであの世へと誘う姿を描いたもので,屍と生者が一組となって通常三〇組ほどの列を成す。パリのイノサン墓地の四方を取り囲む納骨堂の回廊に一四二四年に描かれた一連の壁画を嚆矢とするとされ,一五世紀から一六世紀にかけてヨーロッパ各地で製作された。現在でもフランス,イタリア,ドイツの教会を中心にかなりの数が保存されている。


 黒死病以降の人々にとって,死はこれまで以上に身近になり,いまわの際にのみ恐れおののく対象ではなく,日頃から意識すべき対象,つまり memento mori そのものとなった.これを松田は,終章の副題として「薄く引き延ばされた死」と表現している.
 死は人間にとって普遍的ではあるが,その扱い方は文化によっても時代によっても変異するし,変化もする.中英語期から初期近代英語期の各世紀のコーパスで,「死」,「死」の類義語,「死」と関連するキーワード等を分析し,通時比較してみると,死のモチーフの流行度の推移が測れたりするかもしれない.文化研究を念頭においた語彙調査の対象としておもしろそうだ.

 ・ 松田 隆美 『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』 ぷねうま舎,2017年.

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