標記の4語は,いずれもラテン語で「体」を意味する corpus に遡る単語である.「#4096. 3重語,4重語,5重語の例をいくつか」 ([2020-07-14-1]) でも取り上げた堂々たる4重語 (quadruplet) の事例だ.
corpus /ˈkɔɚpəs/ (集大成;言語資料)は,中英語期に直接ラテン語から入ってきた語形で,現代では専門的なレジスターとして用いられるのが普通である.
corpse /kɔɚps/ (死体),およびその古形・詩形として残っている corse /kɔɚs/ は,ラテン語 corpus がフランス語を経由しつつ変形して英語に入ってきた単語だ.フランス語では当初 cors のように綴字から <p> が脱落していたが,ラテン語形を参照して <p> が復活した.英語でも,この語源的綴字 (etymological_spelling) の原理が同様に作用し,<p> が加えられたが,<p> のない語形も並行して続いた.
corps /kɔɚ/ (複数形は同綴字で発音は /kɔɚz/)(軍隊)は "a body of troops" ほどの語義で,フランス語から後期近代英語期に入ってきた単語である.綴字に関する限り,上記 corpse の異形といってよい.
<p> が綴られるか否か,/p/ が発音されるか否か,さらに /s/ が発音されるか否かなど,4語の関係は複雑だ.この問題に対処するには,各々の単語の綴字,発音,語義,初出年代,各時代での用法や頻度の実際を丹念に調査する必要があるだろう.また,それぞれの英単語としての語誌 (word-lore) を明らかにするにとどまらず,借用元であるラテン語形やフランス語形についても考慮する必要がある.特にフランス語形についてはフランス語史側での発音と綴字の関係,およびその変化と変異も参照することが求められる.
さらに本質的に問うならば,この4語は,中英語や近代英語の話者たちの頭の中では,そもそも異なる4語として認識されていたのだろうか.現代の私たちは,綴字が異なれば辞書で別々に立項する,という辞書編纂上の姿勢を当然視しているが,中世・近代の実態を理解しようとするにあたって,その姿勢を持ち込むことは妥当ではないかもしれない.
疑問が次々に湧いてくる.いずれにせよ,非常に込み入った問題であることは間違いない.
今回の記事は,ヘルメイトによる2件のhel活コンテンツにインスピレーションを受け,『英語語源辞典』と OED を参照しつつ執筆した.
・ lacolaco さんが「英語語源辞典通読ノート」の最新回で取り上げている corporate, corpse, corpus に関する考察
・ 上記 lacolaco さんの記事を受け,ari さんがこの問題について Deep Research を初利用し,その使用報告をかねて考察した note 記事「#224【深掘り】corsはどう変化したか。ChatGPTに調べてもらう。」
私自身も,一昨日の heldio 配信回「#1385. corpus と data をめぐる諸問題 --- コーパスデータについて語る回ではありません」で lacolaco さんの記事と corpus 問題について取り上げている.ぜひお聴きいただければ.
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2月20日,白水社の月刊誌『ふらんす』2025年3月号が刊行されました.今年度,毎月,同誌で連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿してきましたが,今回が最終回となります.過去号ではフランス語から英語への影響に注目してきましたが,最後は英語からフランス語への影響という逆流現象に光を当てて締めたいと思います.タイトルは「フランス語に入った英単語」です.以下に各節の概要を示します.
1. 英語からフランス語への語彙借用
英語からフランス語への語彙の流入は,18世紀以降に顕著になってきます.当時の社会的・文化的背景と照らし合わせて,語彙借用を見ていきましょう.政治・経済・スポーツ・技術といった分野の単語が英語からフランス語へ借用され,定着しました.
2. 18世紀のイギリスへの関心
フランスでは18世紀にイギリスの政治・商業・運輸・生活様式に対する関心が高まりました.その影響で bill, committee, jockey などの英単語がフランス語に取り入れられました.budget という借用語にとりわけ注目します.
3. 19世紀の英語からの影響
19世紀になると,フランス語は英語からの影響に警戒感を示す一方で,政治・商業・ジャーナリズム・スポーツの分野の語彙を英語から多く借用し,日常に定着させました.例えば interview や ticket といった単語がフランス語に流入しています.
4. 21世紀,腐れ縁は続いていくのか?
英仏語の関係は千年以上にわたる腐れ縁です.グローバル化が進む現代では,英語の影響がさらに拡大し,インターネットやソーシャルメディアを通じてフランス語に浸透し続けています.今後も英語からの語彙借用は継続していくのではないでしょうか.
最後に触れたように,英仏語の言語交流,とりわけ語彙交流は今後も続いていく可能性が高いと考えています.そこには苦い歴史もありましたが,良くも悪くも強い靱帯で結ばれた仲間です.両言語の今後の関係にもアンテナを張っていきたいと思います.連載記事をお読みいただいた皆さんも,ぜひご一緒に見守っていきましょう!
過去号についての hellog 記事は furansu_rensai にまとまっていますので,1年間にわたる英語とフランス語の歴史の旅を,ぜひ振り返っていただければ.1年間のお付き合い,ありがとうございました.
・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第12回 近代のフランス借用語」『ふらんす』2025年3月号,白水社,2025年2月20日.52--53頁.
5日ほど前に Voicy heldio にて,リスナー lacolaco さんの「英語語源辞典通読ノート」の最新回に基づいて「#1357. 接頭辞 con- の単語はまだ続く --- lacolaco さんの「英語語源辞典通読ノート」最新回より」と題する音声配信をお届けした.
そこで話題の1つとして,「コネクション」に対応する英単語の綴字が connection と connexion の間で揺れを示す件が触れられた.前者の綴字が一般的だがイギリス式では後者の綴字も見られるという.deflection, inflection, reflection についても同様に,メジャーな <-ction> に対してマイナーな <-xion> も辞書に登録されている.一方,complexion については,むしろこちらの綴字のほうが一般的で complection は稀である.
上記の heldio の配信後,この問題に関心を抱かれたリスナーのり~みんさんが,「-ction v.s. -xion」と題して Google Ngram での調査と合わせて記事を書かれている.
私もこの問題が気になって,少し調べてみた.というのも,私自身の研究テーマが英語の屈折 (inflection) の歴史にあり,先行研究の文献内で inflexion の綴字をよく目にしてきたからだ.
Upward and Davidson (167--68) によれば,英語では本来的には <-xion> も普通に見られたが,アメリカの辞書編纂家かつ綴字改革者の Noah Webster (1758--1843) が <-ction> のほうを推奨したのだという.19世紀から現代にかけての <-ction> の一般化に,Webster の影響があったらしい.
-XION and -CTION
Complexion, crucifixion, fluxion are standard ModE forms, and connexion, deflexion, inflexion exist as alternatives to connection, etc.
・ Complexion derives from the past participle plexum from the Lat verb plectere; although ME and EModE used such alternatives as complection, complection, ModE is firm on the x-spelling.
・ Crucifixion derives from the participle fixum of figere 'to fix'; the form crucifixion has been consistently used in the Christian tradition, and *crucifiction is not attested.
・ Fluxion is similarly determined by the Lat participle fluxum; the verb fluere offers no -CT- alternative.
・ Uncertainty has arisen in the case of connexion, deflexion, inflexion because, despite the Lat participles nexum, flexum with x, the corresponding infinitives, nectere, flectere have given rise to the Eng verbs connect, deflect, inflect.
・ In his American Dictionary of the English Language (1828), the American lexicographer Noah Webster . . . recommended the -CT- forms, which (despite ModFr connexion, deflexion, inflexion are today found much more frequently.
単純化していえば <-xion> はラテン語の過去分詞に基づき,かつそれを採用したフランス語的な綴字であり,<-ction> はラテン語の不定詞に基づき,それを推奨したアメリカ英語的な綴字ということになる.crucifixion が <-xion> としか綴られないのは,十字架の表象たる <X> と関係があるのだろうか,謎である.
今回の問題と関連して「#2280. <x> の話」 ([2015-07-25-1]) も参照.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
昨日の記事「#5775. passers-by のような中途半端な位置に -s がつく妙な複数形」 ([2025-02-17-1]) に続き,複数形の -s が語中に紛れ込んでいる例について.今日も Poutsma を参照する (142--43) .
フランス語の慣用句に由来する複合名詞(句)の多くは,英語に入ってからもフランス語の統語論を反映して「名詞要素+形容詞要素」の順にとどまる.英語としては,これらの語句の複数形を作るにあたって,名詞要素に -s をつけるのが一般的である.attorneys general, cousins-german, book-prices current, battlesroyal, Governors-General, damsels-errant, heirs-apparent, knights-errant のようにだ(ただし,attorney generals, letters-patents 等もあり得る).
今回の話題の発端である passer(s)-by のタイプ,すなわち名詞要素の後ろに前置詞句・副詞が付く複合語も,名詞要素に -s を付して複数形を作るのが一般的だ.commanders-in-chef, fathers-in-law, heirs-at-law, quarters-of-an-hour, bills of fare; blowings-up, callings-over, hangers-n, knockers-up, lookers-on, lyings-in, standars-by, whippers-in, goers-in, comers-out, breakings-up, droppings asleep, fallings forward など (cf. men-at-arms) .
ただし,表記上ハイフンの有無などについてしばしば揺れが見られる通り,各々の表現について歴史や慣用があるものと思われ,一般化した規則を設けることは難しそうだ.形態論と統語論の交差点にある問題といえる.
・ Poutsma, H. A Grammar of Late Modern English. Part II, The Parts of Speech, 1A. Groningen, P. Noordhoff, 1914.
「#344. cherry の異分析」 ([2010-04-06-1]) の記事で,数の異分析 (numerical metanalysis) の典型例として cherry, pea, sherry を見た.Poutsma (138) より,標題の3語が同現象の他の例であることを知ったので,ここに記しておきたい.
burial, from Mid. English buriels. When the e was changed to a in Mod. English, burials seemed to be a plural like victuals, vitals, espousals, etc.
marquee, from Mod. English marquees, a modified spelling of French marquise.
riddle, from Mid. English redels.
burial と riddle に関しては,歴史的には語幹末に -els という要素を示していたが,これがラテン語由来の名詞化語尾 -al (ex. arrival, denial) と複数語尾 -s に再分析されたという共通点がある.また,marquee と以前に取り上げた cherry については,いずれもフランス語で語幹を構成していた -ise が再分析された結果である.
数の異分析の事例を検討すると,対象となる語には語源的・形態的な特徴があることがわかる.
・ Poutsma, H. A Grammar of Late Modern English. Part II, The Parts of Speech, 1A. Groningen, P. Noordhoff, 1914.
米国ではトランプ2.0が発足し,世界も予測不能のステージに入ってきている.この新政権では,DEI (= diversity, equity, and inclusion) の理念からの離脱が図られているとされる.この1つめの diversity は「多様性;相違」を意味するキーワードであり,英語にはラテン語からフランス語を経て14世紀半ばに借用されてきた.
この名詞の基体はラテン語の形容詞 dīversum であり,これ自体は動詞 dīvertere (わきへそらす,転換する)に遡る.それて転じた結果,「別種の;多様な;数個の」へ展開したことになる.
ところで,現代英語辞書には divers /ˈdaɪvəz/ と diverse /daɪˈvəːs/ とが別々に立項されている.綴字上は語尾に <e> があるかないかの違いがあり,発音上は強勢の落ちる音節および語末子音の有声・無声の相違がある.意味・語法としては,前者は古風・文学的な響きをもって「別種の;数個の」で用いられ,後者は主に「多様な」の語義で通用される.もともとは両者は互いに異形にすぎず,中英語期以降いずれの語義にも用いられてきたが,1700年頃に語形・意味において分化してきた.
divers /ˈdaɪvəz/ は「数個;数人」を意味する名詞・代名詞としても用いられるようになったためか,その語末子音は,名詞複数形の -s を反映するかのように /z/ へと転じた.また,diverse /daɪˈvəːs/ の発音と綴字は,ラテン語由来の adverse, inverse などと関連づけられて定着したものと思われる.
OED でも両語は別々に立項されているが,Diverse, Adj. & Adv. の項にて両語の形態と発音の歴史が詳細に解説されている.
Form and pronunciation history
The stress was originally on the second syllable, but was at an early date shifted to the first, although both pronunciations long coexisted, especially in verse. In early modern English divers (with stress on the first syllable) is the dominant form (overwhelmingly so in the 17th cent.), especially in the very common sense 'several, sundry, various' (see divers adj.) in which the word always occurs with a plural noun (the final -s coming to be pronounced /z/ after the plural ending -s, making the word homophonous with the plural of diver n.).
By the 18th cent. the senses of the word had come to be distinguished in form, with divers typically used to express the notions of variety and (especially) indefinite number (see divers adj. & n.) and diverse (probably by more immediate association with Latin diversus) the notion of difference (as in senses A.1 and A.3); thus Johnson (1755), Sheridan (1780), and Walker (1791), all of whom have two parallel entries. Both forms were typically stressed on the first syllable, and differed only in the pronunciation of the final consonant (respectively /z/ and /s/ ). The same formal and semantic distinction is reflected in 19th-cent. dictionaries, including Smart (1836), Worcester (1846), Knowles (1851), Stormonth (1877), Cent. Dict. (1889), and New English Dictionary (OED first edition) (1897). The latter notes at divers adj. (in sense 'various, sundry, several') that it is 'now somewhat archaic, but well known in legal and scriptural phraseology'; in this form the word is now chiefly archaic and used mainly in literary or legal contexts.
In the second half of the 19th cent. (as divers adj. was gradually becoming more restricted in use), the dictionaries begin to note an alternative pronunciation for diverse adj. with stress on the second syllable. This pronunciation probably continues the original one that had never entirely disappeared for this form, as is shown by examples from verse (compare e.g. quots. a1618, 1837 at sense A.1a, 1754 at sense A.3a). Knowles (1851) is one of the first dictionaries to note this pronunciation of diverse adj. (which, interestingly, he gives as the sole pronunciation); more commonly the two alternatives are given, as e.g. Craig (1882), who puts the pronunciation with initial stress first, and Stormonth (1877), Cent. Dict. (1889), New English Dictionary (OED first edition) (1897), who give priority to the pronunciation with stress on the second syllable; this has since become by far the more common pronunciation of the word.
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1月23日,白水社の月刊誌『ふらんす』2025年2月号が刊行されました.今年度,同誌で連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿していますが,今回は第11回「近代のフランス借用語」です.
1. 近代にフランス単語が借用された背景
フランス語からの借用は中英語期以降も継続的に行われ,特に17--18世紀にはフランス語がヨーロッパの知的共通語としての地位を確立した.この時期,イングランドではフランス借用語への反感も一部で示されたものの,受け入れの大きな阻害要因とはならなかった.
2. フランス語らしさをとどめる近代の借用語
近代の借用語は原語の形をほぼ保持したまま定着し,多くは貴族的・知的な印象を持つ単語群だった.また,借用時期の違いは単語の強勢パターンにも反映され,中世以前は第1音節,近代以降はフランス語本来の位置に強勢が置かれる傾向があった.
3. ロマンス諸語からの借用の窓口としてのフランス語
フランス語は直接の借用元としてだけでなく,イタリア語やスペイン語など他のロマンス諸語からの語彙を英語に導入する窓口としても機能した.ただし,ロマンス諸語は語形が似ているため,借用語の由来を特定することが難しい場合もある.近代英語期のフランス語借用は,18世紀以降,特に料理やファッション,文化・芸術分野で顕著となり,これらの借用語は既存の英語の語彙に新たなニュアンスを加えた.
4. 20世紀以降のフランス借用語
20世紀以降も garage や montage など多くの語が借用され続けており,21世紀に入ってからも parkour のような新しい借用語が登場している.約千年にわたるフランス語と英語の語彙的な関係は,今後も継続していくと予想される.
さらに詳しくは,直接『ふらんす』2月号を手に取ってお読みいただければと思います.過去10回の連載記事は hellog 記事群 furansu_rensai で紹介してきましたので,そちらもご参照ください.
これまで11回にわたって,千年以上にわたる英語の仏語との言語接触の歴史を眺めてきました.次号はいよいよ最終回となります.お楽しみに!
(以下,後記:2025/02/01(Sat))
今号と関連して,heldio でも「#1343. 近代のフランス借用語 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第11弾」と題してお話ししていますので,こちらもお聴きください.
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・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第11回 近代のフランス借用語」『ふらんす』2025年2月号,白水社,2025年1月23日.52--53頁.
18世紀のフランス語における英語の影響については,「#1026. 18世紀,英語からフランス語へ入った借用語」 ([2012-02-17-1]) でみた.そこでも参照したホームズ・シュッツ (167--68)が,19世紀の英語の言語的影響について1節を割いている.
94. 英語の影響
19世紀を通じて英語はフランスで,大きな影響を商業,政治,ジャーナリズムと特にスポーツに与えた.新しく加えられた語の中のいくつかは実際は昔,フランス語であった語の逆輸入で,外国で使われているうちに新しい性格を身につけたフランス語であった.中世フランス語の bougette [小さな革袋]はイギリスに渡って budget [予算]となり,故国に戻って来た.中世フランス語の desport, disport も同様で,英語で sport となって戻ってきた.entrevue > interview, étiquette > ticket.だが多くの語は,事実は大部分だが,採用されるまではフランスの土を踏んだことのない語である.フランスのある人びとは新しい英語マニアを毛嫌いした.ミュッセ Alfred de Musset (1810--1857) は自作の戯曲 Il ne faut jurer de rien の中の Van Buck という登場人物の口を借りて珍な発音の単語について痛烈な皮肉を十分に言っている.すぐれた批評家で作家でもあったレミ・ド・グールモン Rémy de Gourmont (1958--1915) は自分の母国語の精髄に対して脅威となると信じたこの英語の侵入について自著 Esthétique de la langue française の多くのページをさいている.彼によれば,単語を借用すべきというのは正しく,ガストン・パリス Gaston Paris (1839--1903) を先頭にする言語学研究の歴史をみてもそれは解るという.彼はガストン・パリスを師とすることに誇りを感じている.しかし,英語はフランス語が単語を借りる自然の泉ではないという.英語はしばしば耳に不快である.話す時に多くの外国語的言い廻しを使うのは当世の écoliet limousin 〔「パンタグリュエル」中の人物〔中略〕〕である.時には英語からの借用語は滑稽である.たとえば Harry Cower という名のバラは,まるで haricot vert [さや隠元]と書いてあるような発音になるではないか〔原註:この例は R. de Gourmont のような趣味豊かな人でも反感を持つとこのような極端なことを言うに至るというよい例である〕.この批評家も英語の侵入をとめることは出来なかった.
引用の最後のほうの原注部分が興味深い.言葉遣いに関する流行やそのアンチというものは常に存在し,その世代の内部にあっては,完全に客観的な批評家になることが難しいことを示している.
逆にいえば,時代を代表する批評家ですら当時の英語の影響力に待ったをかけることができなかった,ということかもしれない.
・ U. T. ホームズ,A. H. シュッツ 著,松原 秀一 訳 『フランス語の歴史』 大修館,1974年.
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12月23日,白水社の月刊誌『ふらんす』2025年1月号が刊行されました.今年度,同誌で連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿していますが,今回は第10回「英語綴字におけるフランス語の影響」です.
なんと今号は『ふらんす』の100周年号という記念すべき号でした."Revue France, 100 ans!" と表紙にあり,特集企画「ふらんす100年!」も掲載されています.そのような記念号の一画に,フランス語史ならぬ英語史の連載記事を載せていただくのは恐縮でもあり,喜びでもあります.稀な瞬間に立ち会わせていただき,白水社さんにも感謝いたします.
1. 英語の綴字は意外とフランス語風
ノルマン征服の影響で,その後の英語の綴字にはフランス語の綴字習慣が多分に反映されています.英単語の綴字が実はフランス語的であることはあまり知られていません.
2. 「氷」が īs から ice へ
英語の綴字は,フランス語の影響のもと中英語期にかけて大きく変容しました.「過剰修正」の結果,例えば現代英語の ice にみられるような -ce の綴字が広く採用されました.
3. チャ行子音の綴字が c から ch へ
フランス語の影響により,古英語では c で表記されたチャ行子音が中英語期に ch へと置換されました.これにより英単語 child や church などの綴字が確立しました.
4. 消えた古英語の文字
古英語で常用された文字 (æ, ƿ, þ, ð)は,フランス語に存在しなかったこともあり,中英語以降に衰退していき,最終的には消滅しました.
5. なぜ英語綴字はフランス語かぶれしたのか?
英語綴字は,簡素化や合理化の方向を目指すのではなく,むしろ威信あるフランス語の綴字習慣を受け入れることにより,若干複雑化しました.フランス語は権力と教養と洗練の言語だったのです.
英語の綴字におけるフランス語の影響は,中英語期の綴字変化や古英語文字の廃用に顕著に見られます.これにより古英語的な綴字は影を潜め,代わって現代的な見栄えの綴字が拡がることになりました.
さらに詳しくは,直接『ふらんす』1月号を手に取ってお読みいただければ.過去9回の連載記事は hellog 記事群 furansu_rensai で紹介してきましたので,そちらもご参照ください.
今号と関連して,heldio でも「#1305. 英語綴字におけるフランス語の影響 --- 月刊『ふらんす』の連載記事第10弾」と題してお話ししていますので,こちらもお聴きください.
・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第10回 英語綴字におけるフランス語の影響」『ふらんす』2025年1月号,白水社,2024年12月23日.52--53頁.
Durkin (216--19) にかけて,英語に入ったギリシア語由来の要素が列挙されている.接尾辞 (suffix),接頭辞 (prefix),連結形 (combining_form) に分けて,主たるものを列挙しよう.ラテン語やフランス語からの借用語のなかに混じっている要素もあり,究極的にはギリシア語由来であることが気づかれていないものも含まれているのではないか.
[ 接尾辞 ]
-on (plural -a), -ter, -terion, -ma/-mat- (adj. -matic), the family of -ize/-ise (-ist/-ast, -ism, -asm), -ite, -ess, -oid, -isk, -(t)ic, -istic(al), -astic(al)
[ 接頭辞 ]
a(n)-, amph(i)-, an(a)-, anti-, ap(o)-, cat(a)-/kat(a)-, di(a)-, dys-, a(n)-, end(o)-, exo-, ep(i)-, hyper-, hyp(o)-, met(a)-, par(a)-, peri-, pro-, pros-, syn-/sys-
[ 連結形 ]
acro- "high; of the extremities", agath(o)- "good", all(o)- "other, alternate, distinct", arch- "chief; original", argyr(o)- "silver", aut(o)- "self(-induced); spontaneous", bary-/bar(o)- "heavy; low; internal", brachy- "short", brady- "slow", cac(o)- "bad", chlor(o)- "green; chlorine", chrys(o)- "gold; golden-yellow", cry(o)- "freezing; low-temperature", crypt(o)- "secret; concealed", cyan(o)- "blue", dipl(o)- "twofold, double", dolich(o)- "long", erythr(o)- "red", eu- "good, well", glauc(o)- "bluish-green, grey", gluc(o)- "glucose"/glyc(o)- "sugar; glycerol"/glycy- "sweet", gymn(o)- "naked, bare", heter(o)- "other, different", hol(o)- "whole, entire", homeo- "similar; equal", hom(o)- "same", leuc/k(o)- "white", macro- "(abnormally) large", mega- "huge; very large", megal(o)- "large; grandiose" and -megaly "abnormal enlargement", melan(o)- "black; dark-colored; pigmented", mes(o)- "middle", micr(o)- "(very) small", nano- "one thousand-millionth; extremely small", necr(o)- "dead; death", ne(o)- "new; modified; follower", olig(o)- "few; diminished; retardation", orth(o)- "upright; straight; correct", oxy- "sharp, pointed; keen", pachy- "thick", pan(to)- "all", picr(o)- "bitter", platy- "broad, flat", poikil(o)- "variegated; variable", poly- "much, many", proto- "first", pseud(o)- "false", scler(o)- "hard", soph(o)- and -sophy "skilled; wise", tachy- "swift", tel(e)- "(operating) at a distance", tele(o)- "complete; completely developed", therm(o)- "warm, hot", trachy- "rough"
英語ボキャビルのおともにどうぞ.
・ Durkin, Philip. Borrowed Words: A History of Loanwords in English. Oxford: OUP, 2014.
英語にとって,フランス語は歴史的に「腐れ縁」の仲である.古英語末期より現代に至るまで,言語的な付き合いが途切れたことはない.時代によって浮き沈みはあるものの,フランス語の単語は常に英語に流入し続けてきたし,フランス語は英語にとって心理的距離が最も近い言語といってよいだろう.
中英語期や近代英語期ほどではないが,現代でもフランス単語は着実に英語に流入してきている.OED で検索すると,20世紀以降のフランス借用語は,ざっと1000語ほどある.そのなかでも比較的頻度の高いものを50個ほど挙げてみよう.
micelle (1901), garage (1902), reductase (1902), limousine (1902), austenite (1902), bloc (1903), metro (1904), fuselage (1909), camp (1909), sabotage (1910), ciel (1910), Cubism (1911), Chardonnay (1911), mas (1912), matière (1915), surrealist (1918), collage (1919), adage (1920), bacteriophage (1921), saboteur (1921), hydrolase (1922), bistro (1922), nematic (1923), lipid (1925), exclusivity (1926), infrastructure (1927), surrealism (1927), moderne (1928), montage (1930), anomie (1933), evacuee (1934), Gaullist (1941), microfiche (1950), Annales (1952), chlorpromazine (1952), nouveau (1955), neuroleptic (1958), virion (1959), operon (1960), eukaryote (1961), auteur (1962), non (1963), prokaryote (1963), Art Deco (1966), retro (1972), intertextuality (1973), fractal (1975), endorphin (1976), Prolog (1977), acquis (1979)
この一覧には,日本語に入っている語も多い.ガレージ,リムジン,ブロック,メトロ,サボタージュ,キュービズム,シャルドネ,ビストロ,シュールレアリスム,モンタージュ,マイクロフィッシュ,アールデコ,レトロ,フラクタル,エンドルフィンなど,20世紀中に,英語語彙のみならず日本語語彙にも貢献してきたフランス単語を評価したい.
ちなみに21世紀になってから(2002年に)英語に借用された parkour (パルクール)というフランス単語にも注目しておこう.環境内の障害物を越えていく軍事訓練から発達した競技で、現在世界中で人気急上昇のスポーツである.
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一昨日の11月25日,白水社の月刊誌『ふらんす』12月号が刊行されました.今年度,同誌で連載記事「英語史で眺めるフランス語」を寄稿していますが,今回は第9回「英文法におけるフランス語の影響」です.
フランス語の英語への影響としては主に語彙部門が注目されますが,文法部門での議論もないではありません.確かに目立つ項目は少ないのですが,一度立ち止まって考察してみる価値はあります.今回の記事は,4つの小見出しのもと,次の趣旨で執筆しています.
1. フランス語の英文法への影響はあったか?
英語に対するフランス語の影響は,中英語期(1100--1500年)に顕著でした.特に語彙や音韻,借用表現において大きな影響が見られましたが,文法構造への影響は限定的だったことが確認されています.
2. フランス語の影響が取り沙汰されている文法事項
受動態の動作主を表わす前置詞の選択や the which という定冠詞つき関係代名詞の使用などがフランス語の影響として議論されることがありますが,必ずしもそうとは言えない可能性が指摘されています.
3. 文法への影響を評価するのは難しい
2言語が類似した文法項目を共有しているからといって,一方が他方に影響を与えたと結論づけることは困難です.文法項目については偶然の一致の可能性が十分にあり,慎重に評価する必要があります.
4. 英文法へのフランス語の最大の貢献は?
フランス語の最大の貢献は,個別の文法項目への影響というよりも,社会言語学的な側面にあります.1066年のノルマン征服後,英語は規範的な圧力から解放され,自由闊達に文法変化を遂げることが可能となりました.フランス語は英語の自然な変化を促す社会言語学的な環境を提供したと言ってよいでしょう.
文法項目に関する限り,フランス語の影響は「直接的・言語学的」な影響というよりも「間接的・社会言語学的」な影響というべきものでした.これは英語史におけるフランス語のインパクトを考察する上で,とても重要な点となります.
ぜひ『ふらんす』12月号を手に取ってお読みいただければと思います.過去8回の連載記事は hellog 記事群 furansu_rensai でも紹介してきましたので,そちらも合わせてご参照ください.
(以下,後記:2024/11/29(Fri))
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・ 堀田 隆一 「英語史で眺めるフランス語 第9回 英文法におけるフランス語の影響」『ふらんす』2024年12月号,白水社,2024年11月25日.52--53頁.
1週間ほど前の10月26日に,今年度の朝日カルチャーセンター新宿教室でのシリーズ講座の第7回が開講されました.今回は「英語,フランス語に侵される」と題して,主に中英語期の英仏語の言語接触に注目しました.90分の講義では足りないほど,話題が盛りだくさんでした.対面およびオンラインで,多くの方々にご参加いただき,ありがとうございました.
その盛りだくさんの内容を,markmap というウェブツールによりマインドマップ化して整理してみました(画像としてはこちらからどうぞ).受講された方は復習用に,そうでない方は講座内容を垣間見る機会としてご活用ください.