標準英語の規範文法 (prescriptive_grammar) では,二重否定 (double negative) が忌避される.「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) のランキングにも入り込んでいる項目であり,誤用の悪玉のようにみなされている.古い英語では二重否定ばかりか多重否定がごく普通に用いられてきた事実があり,それはこの語法に言語学的な効用が確かにあることを物語っているように思われるが,規範主義の立場からはダメの一点張りである(「#549. 多重否定の効用」 ([2010-10-28-1]) を参照).
標準英語における二重否定は,このように18世紀の規範文法の強力な影響下で忌避されるに至り,現在まで敵視されているというのが通常の見方だが,この見方は必ずしも正確ではないようだ.先行研究を参照しつつ Tieken-Boon van Ostade (81) が,次のように指摘している.
Many scholars believe that the disappearance of double negation from standard English was due to the influence of the normative grammarians, but Nevalainen and Raumolin-Brunberg . . . have shown that double negation was already on the way out during the EModE period. The same is true for another 'double' construction, the use of double comparatives and superlatives, no longer in general use either when first condemned by the grammarians (González-Díaz 2008)
言及されている先行研究に戻って確かめていないが,もしこの見方がより正確なものだとすれば,先に自然の言語使用において二重否定(や二重比較級・最上級)が廃れ出し,その事実を受けて18世紀の文法家がすでに劣勢だった件の構造に駄目を出した,という順序だったことになる.
二重否定については,double negative の外部記事を,また二重比較級については「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1]) の hellog 記事を参照.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
Tieken-Boon van Ostade (138) による後期近代英語の概説書を読んでいて,英文法書とレシピ本に見られる思いも寄らない共通点を教えられた.
Between 1500 and 1850, the number of such books [= cooking recipes] increased dramatically, which, interestingly, shows a parallel with the steep rise in the publication of English grammars since the 1760s . . . . Their reading public was also similar: people who desired access to the 'polite' middle classes, and who needed tools for this, even cookery books. Another similarity is that writers of cookery books often 'copy from existing collections so that such compilations tend to be "improvements" of earlier cookery books' (Görlach 1992: 750).
まず,両テキストタイプともに,近代期を通じて出版が伸び続けており,とりわけ18世紀後半に増加したという.また,その需要はいずれも上昇志向の強い中流階級に支えられていたという点が指摘されている.いずれも,気品ある紳士淑女にとって「たしなみ」と捉えられていたのである.さらに,著者たちが「改善」と称して,既刊書からのコピペを当たり前のように行なっていたということも共通点だ.現在であれば明らかに剽窃として罰せられるところだが,当時は珍しいことではなかったのだろう.とはいえ,18世紀後半には,顰蹙を買うに足る行為と認識されるようになっていたようである.
昨今の日本では,結婚相手として男女ともに料理のたしなみが求められるようになってきているようだが,特に日本語文法の知識は求められていない.これはある意味でほっとするところである.18世紀のイギリス社会は, "social climbers" にとって生きるのも楽ではなかったのだなあと考えさせる意外な共通点だった.
・ Tieken-Boon van Ostade, Ingrid. An Introduction to Late Modern English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2009.
「#1097. quotation marks」 ([2012-04-28-1]) で,英語の引用符の single か double の差について論じた.今回は,引用符の開きと閉じの習慣について歴史をひもといてみよう.
現在の慣習では,引用符を “ で開いたら ” で閉じるというのは自明のように思われる.しかし,前の記事でみたように,本来的にこの記号は「ここから引用が始まりますよ」という合図として,欄外に置かれるマークとして出発したのだった.「ここから始まる」と言っておいて「どこそこで終わる」と言わないのは,引用者として無責任のように思われるかもしれないが,これは現代的な思考法なのかもしれない.古くは,閉じの引用符は置かれなかったのである! 書き手にとって,どこで引用が終わるかは明らかだし,読み手もそれで何とかなるだろうと,ある種の鷹揚さを持ち合わせていたかのようだ.
話者が頻繁に交替する会話の再現が稀な時代であれば,実際,何とかなったろう.しかし,小説のようなジャンルが盛んになると,閉じない引用符の問題は深刻となる.こうして,小説が人気を獲得する18世紀に,ついに閉じの引用符が慣習的に用いられるようになった.おりしも18世紀には現代人にとっては見苦しいほど句読法を多用することが是とされたので,Murray の規範文法でも,このような2重引用符の使用が推奨されたのである.新たな文学ジャンルの発達とそれに伴う直接話法の頻用,そして当時の重めの句読法の慣習が,新しい記号使用を促進したことになる (Crystal 308--09) .
引用符の開きと閉じの問題について,印刷家が直面したもう1つの問題があった.それは,引用が複数の段落にまたがるとき,前の段落の最後に閉じの引用符を含めるか,あるいは後の段落の最初に開きの引用符を繰り返すか,といった問題である.印刷家によっては,各段落の始めと終わりを,それぞれ開きと閉じの引用符で標示するという方法を採用した.しかし,これでは各段落で独立して引用が導入されているかのように誤読される恐れがある.現在採用されているのは,各段落の始めは改めて開きの引用符を付して引用の継続を示すが,閉じの引用符は引用全体の終末時にしか付さない,という方法だ (Crystal 310) .一見すると論理的ではないかのようだが,説明されれば,その実用性と合理性のバランスの取れていることは納得できるだろう.
歴史的には,引用符は必ずしも閉じるのが当然ではなかったという事実に注意すべきである.かつての緩い句読法は,開きと閉じの括弧の対応が正確でないとすぐにエラーとなる現代のプログラミング言語のようなガチガチの理屈とは対極にある,実におおらかな世界の慣習だったのである.
・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.
昨日の記事に引き続き,18世紀の規範主義と各々の文法家の政治的スタンスについての話題.前の記事で触れたように,18世紀に洪水のように規範文法書が出版され,なかには飛ぶように売れたものもあった.この文法書市場の高まりと各文法家の政治的スタンスとは,いかなる関係にあったのだろうか.
どうやら,特定の政治的スタンスが文法書に埋め込まれ,それが政治的な意味合いをもって受容され,市場を賑わわせた,ということではなさそうだ.むしろ,市場における文法書の人気が潜在的にあるところに,政治的スタンスという要素が加わり,出版や受容という過程が政治化した,ということのようだ.英文法が政争の具となったとも表現できそうだが,実際にはそこまで悪いように具とされたわけでもないようであり,難しい.Beal (101) を引用する.
The 'doctrine of correctness' was thus invoked by writers of all political persuasions, so it would be a mistake to argue that any set of political circumstances created the market for grammars in the eighteenth and nineteenth centuries. It might be wiser to agree with Crowley that 'language becomes a crucial focus of tension and debate at critical historical moments, serving as the site upon which political positions are contested' (2003: 217). Thus, the emergence of these grammars and the accompanying discussions about language and power are symptomatic of the turbulent times in which they were written.
本記事の標題では「18世紀の規範主義」と銘打ったが,Beal の議論は,上の引用にもある通り19世紀にも当てはまるというし,さらに読み進めると,20--21世紀にも等しく通じるとも述べられている.一見すると,文法書と政治性というのは結びつかないように思われるが,文法書を「正しい語法の集大成」と解釈すれば,いかに文法というものが社会的な「正しさ」と結びつけられる政治の問題に近寄りうるかということが理解されよう.ひいては,人類の歴史において言葉の問題は常に政治の問題だったとも言えるのかもしれない.
なお,上の引用で言及されている Crowley は,Crowley, T. Standard English and the Politics of Language. London: Palgrave, 2003. のことである.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
英語史上,18世紀は "doctrine of correctness" に特徴づけられた規範主義の時代であると評価されてきた.確かにこの世紀には,前半だけで50ほどの,後半には200を超える英文法書が出版され,規範英文法書の世紀といっても過言ではない.
しかし,Beal は,著書の第5章 "Grammars and Grammarians" において,18世紀に与えられたこの伝統的な評価について再考を促す.Beal (90) は,18世紀には規範主義の風潮自体は間違いなくあったものの,諸家の立場は,その政治的信条やイデオロギーに応じて様々かつ複雑であり,単に規範的といった評価では不十分であると論じている.
[E]ighteenth-century grammarians had a range of motives for writing their grammars, and . . . these and later grammars, far from being uniformly 'prescriptive', would be better described as occupying different points on a prescriptive-descriptive continuum.
英語に関する著作をものした諸家は,各々の政治的スタンスから英語について発言していた.例えば,Swift は Ann 女王と君主制を守ろうとする保守主義から物を申し,行動もしていた.また,1707年の大ブリテン連合王国の成立を受けて,南部の標準的な英語を正しい英語と定め,スコットランド人などにそれを教育する必要性も感じられていた.規範主義の背景には,政治的思惑があったのである (Beal 97) .
Whilst it is perfectly valid to see eighteenth- and nineteenth-century grammars both as the necessary agents of codification and as self-help guides for the aspiring middle classes, it cannot be denied that many of the authors of these works were politically and/or ideologically motivated.
Beal (111) は,しばしば対立させられる Lowth と Priestley にも言及し,両者の違いは力点の違い(含意として政治的スタンスの違い)であるとしている.
These two grammarians [= Lowth and Priestley] were writing within a year of each other, so any norms of usage to which they refer must have been the same. Although both used a classical system of parts of speech, neither is influenced by Latin here: they both describe preposition-stranding as a naturally occurring feature of English, more suited to informal usage. The difference between Lowth and Priestley is one of emphasis only, far from the prescriptive-descriptive polarization which we have been led to expect.
18世紀(及びそれ以降)の言語的規範主義を巡る問題について,常に政治性が宿っていたという事実に目を開くべきだという議論には納得させられた.しかし,Beal の再評価を読んで,従来の評価と大きく異なっているわけではないように思われた.そこでは,18世紀は規範主義の時代であるという事実に対して,大きな修正は加えられていない.Beal では "prescriptive-descriptive continuum" という表現がなされているが,これは「基本は prescriptive であり,その prescription の定め方として reason-usage continuum があった」と考えることは,引き続きできそうである.この時代を論じるに当たって "descriptive" という形容詞を用いることは,まだ早すぎるのではないか.
関連して,「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]),「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]),「#2778. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家」 ([2016-12-04-1]),「#2796. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家 (2)」 ([2016-12-22-1]) を参照.
・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.
「#2778. Joseph Priestley --- 慣用重視を貫いた文法家」 ([2016-12-04-1]) の第2弾.先の記事で述べたように,Rudiments of English Grammar の初版は1761年に出版された.その約1ヶ月後に Lowth の A Short Introduction to English Grammar が出版され,1762年には James Buchanan の The British Grammar が,1763年には John Ash の Grammatical Institutes が,それぞれ立て続けに出版されている.また,多少の時間を経て,1784年には Noah Webster の A Grammatical Institute of the English Language も世に出ている.このように,18世紀後半は主要な規範文法書の出版合戦の時代であった(なお,これらに先立つ1755年には Johnson の Dictionary of the English Language も出版されている).
Priestley の Rudiments は,この出版合戦の先鋒となった点で重要だが,この文法書についてそれ以上に顕著な特徴は「慣用を言語の主要な基準とする近代的言語観を最も鮮明に打ち出し」た点にこそある(山川,p. 279).Priestley の慣用重視の姿勢は,その後の慣用主義の模範として,しかも乗り越えられない模範として燦然と輝くことになったからだ.
山川 (287) の評によると,以下の通りである.
Rudiments よりもひと月遅れて A Short Introduction to English Grammar を出版した Robert Lowth や,一般文法の哲学的研究と銘打った Hermes (1751) の著者 James Harris が文法と修辞学の論理派に属するとするならば,Joseph Priestley は18世紀における科学派を代表する学者であった.Priestley は極力英文法をラテン語文法のわくから超脱させ,生きたありのままの英語を忠実に観察して,そこから則るべき規範を割り出そうと努めた.そのため,英語の生態に人為的制約を加えて,それをそと側から規制し固定しようとする公共の機関である学士院 (Academy) の設立には反対している.このような自由で進歩的な態度は,規則としての文法では律し切れない言語の慣用 (Usage) が存在することに注意する態度につながっている.Priestley にとっては,Preface で述べている言葉を借りていうならば,「話し言葉の慣習 (the custom of speaking)」こそ,その言語の本源的で唯一の正しい基準なのである.」実に,Priestley は18世紀において初めて英語の慣用を正しく認識した学者であるといえるが,それは Priestley の科学者的素養とそれに基づく公正な判断力に帰せられるものであった.Priestley の慣用を重視する態度は,のち1776年に The Philosophy of Rhetoric を著わした George Campbell に引き継がれ,彼によって usage が定義づけられた.しかし,その Campbell も,good usage と認められた言語表現も,その地位を保持するために依拠しなければならない規範 (canons) を設定しており,usage に対する見解に一貫性を欠くところがあった.その点,時代も数十年早い Priestley のほうが態度が一貫しており,Priestley こそ最も早く現代的言語研究の道を唱導し,みずからもそれを実践した開拓者であるといえる.Priestley が従来のラテン語式な文法規則にこだわらず,すぐれた作家たちによる実例に照らして慣用性を注目し,公平な解釈を下していることは,Rudiments 中でも,とくに 'Notes and Observations' の部に目立つ特徴である.それは現在に至るまで研究者の論議の対象となり,以降2世紀間における英文法問題考察の端緒となっていることが,読者に気づかれよう.
近代のイギリスと結びつけられるコモン・センスという概念は,慣用重視の姿勢ともいえる.Priestley は,英語学史上の名前としては Lowth や Murray に比べれば影が薄いかもしれないが,ある意味でイギリスを最もよく代表する英文法家だったといえる.
・ Priestley, Joseph. The Rudiments of English Grammar with Explanatory Remarks by Kikuo Yamakawa and A Course of lectures on the Theory of Language, and Universal Grammar with Explanatory Remarks by Kikuo Yamakawa. Reprint. Tokyo: Naun'un-Do, 1971.
Noah Webster がアメリカ英語の地位を強烈に推進する役割を担ったことは英語史上よく知られているが,その背後で影が薄かったものの,1人の興味深い登場人物がいたことを忘れてはならない.アメリカ第2代大統領 John Adams (1735--1826) である.Adams は,英語を改善すべくアカデミーを設立することに意欲を示していた.ちょっとした Jonathan Swift のアメリカ版といったところか.大統領職に就く以前の話だが,1780年9月5日にアムステルダムから議会議長に宛てて,アメリカにおける英語という言語の役割の重要さを説く手紙を書いている.Baugh and Cable (355) に引用されている手紙の文章を再現しよう.
The honor of forming the first public institution for refining, correcting, improving, and ascertaining the English language, I hope is reserved for congress; they have every motive that can possibly influence a public assembly to undertake it. It will have a happy effect upon the union of the States to have a public standard for all persons in every part of the continent to appeal to, both for the signification and pronunciation of the language. The constitutions of all the States in the Union are so democratical that eloquence will become the instrument for recommending men to their fellow-citizens, and the principal means of advancement through the various ranks and offices of society. . . .
. . . English is destined to be in the next and succeeding centuries more generally the language of the world than Latin was in the last or French is in the present age. The reason of this is obvious, because the increasing population in America, and their universal connection and correspondence with all nations will, aided by the influence of England in the world, whether great or small, force their language into general use, in spite of all the obstacles that may be thrown in their way, if any such there should be.
It is not necessary to enlarge further, to show the motives which the people of America have to turn their thoughts early to this subject; they will naturally occur to congress in a much greater detail than I have time to hint at. I would therefore submit to the consideration of congress the expediency and policy of erecting by their authority a society under the name of "the American Academy for refining, improving, and ascertaining the English language. . . ."
最後に "refining, improving, and ascertaining" と表現しているが,これは数十年前にイングランドの知識人が考えていた「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) をすぐに想起させるし,もっといえば Swift の "Correcting, Improving and Ascertaining" のなぞりである.この意味では,Adams の主張はまったく新しいものではなく,むしろ陳腐ともいえる.また,このような提案にもかかわらず,結局はアメリカにおいてもアカデミーは設立されなかったことからも,Adams の主張はむなしく響く.
しかし,ここで Adams が,イギリスにおいてイギリス英語に関する主張をしていたのではなく,アメリカにおいてアメリカ英語に関する主張をしていたという点が重要である.Adams は,イギリスでのアカデミー設立の議論の単なる蒸し返しとしではなく,アメリカという新天地での希望ある試みとして,この主張をしていた.アメリカ英語への賛歌といってもよい.同時代人の Webster が行動で示したアメリカ英語への信頼を,Adams は彼なりの方法で示そうとした,と解釈できるだろう.
なお,上の引用の第2段落にある,英語は次世紀以降,世界の言語となるだろうという Adams の予言は見事に当たった.彼が挙げている人口統計,イングランドの影響力,アメリカの国際関係上の優位などの予言の根拠も,適切というほかない.母国に対する希望と自信に満ちすぎているとも思えるトーンではあるが,Adams の慧眼,侮るべからず,である.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
18世紀には様々な文法家や「言語評論家」というべき人々が登場した.Samuel Johnson (1709--84), Robert Lowth (1710--87), John Walker (1732--1807), Lindley Murray (1745--1826) 等がとりわけ有名だが,もう1人の重要な登場人物として Joseph Priestley (1733--1804) の名前を挙げないわけにはいかない.理性を重視した Lowth に対し,Priestley は慣用を重視した文法書を著わしている.Priestley はこの時代の慣用派の代表的論客といってよい.
例えば,1761年に出版された Rudiments of English Grammar という文法書で,Priestley は,でっち上げで恣意的な文法規則ではなく,自然に育まれてきた慣用に基づく文法規則を打ち立てるべきだと論じている.
It must be allowed, that the custom of speaking is the original and only just standard of any language. We see, in all grammars, that this is sufficient to establish a rule, even contrary to the strongest analogies of the language with itself. Must not this custom, therefore, be allowed to have some weight, in favour of those forms of speech, to which our best writers and speakers seem evidently prone . . . ?" (qtd. from Baugh and Cable 277)
The best and the most numerous authorities have been carefully followed. Where they have been contradictory, recourse hath been had to analogy, as the last resource. If this should decide for neither of two contrary practices, the thing must remain undecided, till all-governing custom shall declare in favour of the one or the other. (qtd. from Baugh and Cable 277)
また,Priestley は同じ Rudiments のなかで,アカデミーについても発言しており,そのような機関を設けるよりは慣用に従うほうが妥当だもと述べている.
As to a public Academy, invested with authority to ascertain the use of words, which is a project that some persons are very sanguine in their expectations from, I think it not only unsuitable to the genius of a free nation, but in itself ill calculated to reform and fix a language. We need make no doubt but that the best forms of speech will, in time, establish themselves by their own superior excellence: and, in all controversies, it is better to wait the decisions of time, which are slow and sure, than to take those of synods, which are often hasty and injudicious. (qtd. from Baugh and Cable 264)
1762年の Theory of Language でも,同趣旨が繰り返される.
In modern and living languages, it is absurd to pretend to set up the compositions of any person or persons whatsoever as the standard of writing, or their conversation as the invariable rule of speaking. With respect to custom, laws, and every thing that is changeable, the body of a people, who, in this respect, cannot but be free, will certainly assert their liberty, in making what innovations they judge to be expedient and useful. The general prevailing custom, whatever it happen to be, can be the only standard for the time that it prevails. (qtd. from Baugh and Cable 277)
Priestley の言語観には,実に先進的で現代的な響きが感じられる.この言語観は,酸素を発見した化学者としての Priestley の名言の1つ「ひとつの発見をなしとげると,必ずそれまで考えつきもしなかった別の不完全な知識を得ることになる……」(すなわち,知識は常に発展する)とも共鳴しているように思われる.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事 ([2016-11-28-1]) の続編.今回は,英語史における標準化と規範化の試みが語彙→文法→発音の順序で進んでいったのはなぜか,という問いについて考えてみたい.この順番に関する議論はあまり読んだ記憶がないが,考察してみる価値はありそうだ.
まず,歴史的事実を改めて確認しておくが,昨日説明したように,およそ語彙→文法→発音の順で進んだということは言えそうだ.しかし,注意しなければならないのは,それぞれの部門の標準化・規範化の期間には当然ながらオーバーラップする部分があることだ.語彙が終わってから文法が始まり,文法が終わってから発音が始まった,というような人工的な区切りのよさが確認されるわけではない.規範主義者たちが,最初から問題を3部門に切り分け,数世紀の時間をかけて "divide and conquer" しようと計画していたわけでもなさそうだ.
1つ考えられるのは,この順序は標準化・規範化の取り組みやすさと関連しているのではないかということだ.言語を標準化・規範化するというときに対象となるのは,たいてい話し言葉よりも書き言葉が先である.それは,書き言葉に関する規則ほうが制定・公表・普及しやすいという事情があったろう.その効果も,書き言葉という持続的な媒体に残るほうが,評価しやすい.言語の標準化・規範化の目的が国家の威信を内外に示すという点にあったとすれば,その効果はまさに目に見える形で現われ,残ってくれないと困るのである.そうだとすれば,語彙および綴字が,最も見えやすく,具体的に,手っ取り早く片付けられる部門ということになりそうだ.
次に,語彙よりも抽象的ではあるが,やはり「正しい書き言葉」と強く結びつけられる部門である文法がターゲットとなる.こうして書き言葉の肉(=語彙)と骨(=文法)が完成すれば,初期近代英語からの標準化・規範化の課題は最低限のところ達成されたことになるだろう.
さらにもう一歩進めるとなれば,ターゲットを書き言葉から話し言葉へ移すよりほか残されていない.しかし,人々の話し言葉を統制するということは,古今東西,著しく困難である.実際,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) の衝撃は,後に容認発音 (rp) が発達する契機となりはしたが,実際に容認発音を採用するようになった人は,現在に至るまで少数派であり,大多数の一般大衆の発音は「統制」されていない.つまり,発音の標準化・規範化は,語彙や文法に比べて「成功している」とは言い難い(もっとも,語彙や文法とて,どこまで「成功している」のかは怪しいが,相対的にいえばより「成功している」ように思われる).
英語史における言語の標準化・規範化は,上記のように,規制とその効果の見えやすさ,換言すれば取り組みやすさの順で進んだということができるのではないか.
中英語の末期から近代英語の半ばにかけて起こった英語の標準化と規範化の潮流について,「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1]),「#1244. なぜ規範主義が18世紀に急成長したか」 ([2012-09-22-1]),「#2741. ascertaining, refining, fixing」 ([2016-10-28-1]) を中心として,standardisation や prescriptive_grammar の各記事で話題にしてきた.この流れについて特徴的かつ興味深い点は,時代のオーバーラップはあるにせよ,語彙→文法→発音の順に規範化の試みがなされてきたことだ.
イングランド,そしてイギリスが,国語たる英語の標準化を目指してきた最初の部門は,語彙だった.16世紀後半は語彙を整備していくことに注力し,その後17世紀にかけては,語の綴字の規則化と統一化に焦点が当てられるようになった.語彙とその綴字の問題は,17--18世紀までにはおよそ解決しており,1755年の Johnson の辞書の出版はだめ押しとみてよい.(関連して,「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]),「#2321. 綴字標準化の緩慢な潮流」 ([2015-09-04-1]) を参照).
次に標準化・規範化のターゲットとなったのは,文法である.18世紀には規範文法書の出版が相次ぎ,その中でも「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) や「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1]) が大好評を博した.
そして,やや遅れて18世紀後半から19世紀にかけて,「正しい発音」へのこだわりが感じられるようになる.理論的な正音学 (orthoepy) への関心は,「#571. orthoepy」 ([2010-11-19-1]) で述べたように16世紀から見られるのだが,実践的に「正しい発音」を行なうべきだという風潮が人々の間でにわかに高まってくるのは18世紀後半を待たなければならなかった.この部門で大きな貢献をなしたのは,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) である.
「正しい発音」の主張がなされるようになったのが,18世紀後半という比較的遅い時期だったことについて,Baugh and Cable (306) は次のように述べている.
The first century and a half of English lexicography including Johnson's Dictionary of 1755, paid little attention to pronunciation, Johnson marking only the main stress in words. However, during the second half of the eighteenth century and throughout the nineteenth century, a tradition of pronouncing dictionaries flourished, with systems of diacritics indicating the length and quality of vowels and what were considered the proper consonants. Although the ostensible purpose of these guides was to eliminate linguistic bias by making the approved pronunciation available to all, the actual effect was the opposite: "good" and "bad" pronunciations were codified, and speakers of English who were not born into the right families or did not have access to elocutionary instruction suffered linguistic scorn all the more.
では,近現代英語の標準化と規範化の試みが,語彙(綴字を含む)→文法→発音という順序で進んでいったのはなぜだろうか.これについては明日の記事で.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
英語史上有名な Swift による A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue (1712) では,題名に3つの異なる動詞 correct, improve, ascertain が用いられている.英語を「訂正」し,「改善」し,「確定する」ことを狙ったものであることが分かる.「英語の言葉遣いをきっちりと定める」という点では共通しているが,これらの動詞の間にはどのような含意の差があるのだろうか.correct には「誤りを指摘して正しいものに直す」という含意があり,improve には「より良くする」,そして ascertain には古い語義として「確定させる」ほどの意味が感じられる.
この3つの動詞とぴったり重なるわけではないが,Swift の生きた規範主義の時代に,「英語の言葉遣いをきっちりと定める」ほどの意味でよく用いられた,もう1揃いの3動詞がある.ascertain, refine, fix の3つだ.Baugh and Cable (251) によれば,それぞれは次のような意味で用いられる.
・ ascertain: "to reduce the language to rule and set up a standard of correct usage"
・ refine: "to refine it--- that is, to remove supposed defects and introduce certain improvements"
・ fix: "to fix it permanently in the desired form"
「英語の言葉遣いをきっちりと定める」点で共通しているように見えるが,注目している側面は異なる.ascertain はいわゆる理性的で正しい標準語の策定を狙ったもので,Johnson は ascertainment を "a settled rule; an established standard" と定義づけている.具体的にいえば,決定版となる辞書や文法書を出版することを指した.
次に,refine はいわばより美しい言葉遣いを目指したものである.当時の知識人の間には Chaucer の時代やエリザベス朝の英語こそが優雅で権威ある英語であるというノスタルジックな英語観があり,当代の英語は随分と堕落してしまったという感覚があったのである.ここには,「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) や「#1948. Addison の clipping 批判」 ([2014-08-27-1]) も含まれるだろう.
最後に,fix は一度確定した言葉遣いを永遠に凍結しようとしたもの,ととらえておけばよい.Swift を始めとする18世紀前半の書き手たちは,自らの書いた文章が永遠に凍結されることを本気で願っていたのである.今から考えれば,まったく現実味のない願いではある (cf. 「#1421. Johnson の言語観」 ([2013-03-18-1])) .
18世紀の規範主義者の間には,どの側面に力点を置いて持論を展開しているのかについて違いが見られるので,これらの動詞とその意味は区別しておく必要がある.
最近「美しい日本語」が声高に叫ばれているが,これは日本語について ascertain, refine, fix のいずれの側面に対応するものなのだろうか.あるいは,3つのいずれでもないその他の側面なのだろうか.よく分からないところではある.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
アメリカ英語母語話者はイギリス英語母語話者よりも規範的な文法や語法を重視する傾向が強いといわれる.アメリカ英語に蔓延する規範主義的な性格は,「#897. Web3 の出版から50年」 ([2011-10-11-1]) や「#1304. アメリカ英語の「保守性」」 ([2012-11-21-1]) でも述べたように,伝統といえるものである.これには様々な歴史的理由があると思われるが,古典的英語史書の著者 Algeo and Pyles (209--10) が,英米を対比しながら社会言語学な価値の在処という観点から1つの見解を示している.
Perhaps because pronunciation is less important in America than it is in Britain as a mark of social status, American attitudes toward language put somewhat greater stress on grammatical "correctness," based on such matters as the supposed "proper" position of only and other shibboleths.
Algeo and Pyles は何気なくこの見解を述べたのかもしれないが,この発言の背後には「いずれの共同体においても何らかの社会言語学的な区別はあるものだ」という前提があるように思われる.イギリスには主として階級を標示するものとしての発音の差異があり,アメリカには主として教養や道徳の有無を標示するものとしての文法の差異があるのだ,と.社会言語学的な区別の種類と手段こそ両国のあいだで異なるが,いずれにせよ存在はする,という主張だ.
議論のためにこの見解を受け入れるとしても,なぜその手段がイギリスでは発音であり,アメリカでは文法であるのかという問題は残る.これは英語歴史社会言語学の興味深いトピックになりそうだが,ここでは歴史を離れて通言語的な観点から示唆に富む見解を1つ提示してみよう.それは,「#1503. 統語,語彙,発音の社会言語学的役割」 ([2013-06-08-1]) で紹介した Hudson の遠大な仮説に関係する.
Hudson (45) は,文法,語彙,発音の典型的な社会言語学的役割に,それぞれ「団結を表わす」「相違を表わす」「アイデンティティを表わす」機能があるのではないかと考えている.もしこの仮説を信じるならば,発音の差異が重要な社会的意味をもつイギリスでは,話者が自らの属する階級を標示することを重視する傾向があるということが示唆され,一方,文法の差異が意味をもつアメリカでは,話者が社会的結束の標示を重視する傾向があるということが示唆される.単純化して解釈すれば,イギリスでは所属する階級への帰属意識が重視され,アメリカでは国家への帰順が重視される,ということになろうか.
もちろん Hudson の仮説は純然たる仮説であり,このように議論を進めることは短絡的だろう.しかし,speculation としては実におもしろい.
・ Algeo, John, and Thomas Pyles. The Origins and Development of the English Language. 5th ed. Thomson Wadsworth, 2005.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
受験英文法で「びっくり should」「がっくり should」「当たり前の should」という呼び名の用法がある.It is surprising that she should love you. などにおける従属節の should の用法のことだ.私も受験生のときに,これを学んだ覚えがある.
しかし,英語史の立場からこの現象を解釈しようとする者にとっては,このような呼称はあまりに共時的,便宜的に聞こえる.明確に通時的な立場を取る細江にとって,should のこの用法に対する様々な呼称は気に障るようである (309) .
この should は邦語の「何々しようとするのはむつかしく何々しようとするのはやさしい」などの「しよう」の中に含まれている叙想的意義を持つものである.それゆえこれを「意外という意味の should」「正当を意味する should」などいうようなのは全く言語道断である.
歴史的なスタンスに立つ私自身も,細江の主張には賛同する.上の引用で端的に述べられているが,ポイントは,かつては屈折語尾で表わされていた叙想法(仮定法,接続法)が,後に助動詞を用いる迂言法で置き換えられたことを反映し,現在 should が用いられている,ということだ.この should の用法を「意外」の用法などと呼ぶことは共時的なショートカットにすぎず,歴史的な観点からは「迂言的接続法」あるいは「接続法の迂言的残滓」と呼ぶべきものである.その心は,と問われれば,細江 (310) が答えて曰く「この should の意義はある事柄をわれわれの判断に訴える思考上の問題とするのにあるので,けっして他の意はない」である.
この should が用いられる典型的な構文は It is strange that . . . should . . . . などだが,変異パターンも多い.細江 (310--13) を参照して,近代英語からのいくつかの例文を挙げよう.
・ It is right that a false Latin quantity should excite a smile in the House of Commons; but it is wrong that a false English meaning should not excite a frown.---Ruskin.
・ How almost impossible is it that good should come unmixed with evil!---Watts-Dunton.
・ That there should have been such a likeness is not strange.---Macaulay.
・ How very strange that you should have said so!---Hardy.
・ It is natural enough, Mr. Holgrave, that you should have ideas like these.---Hawthorne.
・ It is strange I should not have heard of you.---Wilkie Collins.
・ Is it not extraordinary that a burglar should deliberately break into a house at a time when he could see from the lights that two of the family were still afoot?---Doyle.
・ Is it possible, on such a sudden, you should fall into so strong a liking with old Sir Rowland's youngest son?---Shakespeare
・ It is impossible you should need any assistance.---Cowper.
・ I wonder you should ever have troubled yourself with Christ at all.---Borrow.
・ Now, I wonder a girl of your sense should waste a thought upon such a trumpery.---Goldsmith.
・ I am sorry that Murray should groan on my account.---Byron.
・ I lament that your father should be deceived.---Ainsworth.
・ I am content it should be in your keeping.---Scott.
・ O that men should take an enemy into their mouths to steal away their brains!---Shakespeare.
・ Oh, Henry, to think that you should have such a grief as this; your dear father's tomb violated!---Watts-Dunton.
これらの例文では should が用いられているが,先述のとおり,古くは接続法の屈折が用いられていた.近代英語でもまだ屈折はかろうじて生き残っていたので,例は挙げられる.
・ 'Tis better that the enemy seek us.---Shakespeare
・ It is not proper that I be beholden to you for meat and drink.---George Borrow.
・ I am often ashamed lest this be selfish.--Miss Mulock.
ここから分かる通り,この用法の should は,「びっくり」「がっくり」などの特別なラベルを貼り付けるのがふさわしい用法というよりは,単に古い時代の屈折による接続法の代用としての迂言的な接続法の用法にすぎない.実際上,共時的に「びっくり」「がっくり」などの含意が伴うことが多いのは確かだが,should と「びっくり」「がっくり」とは直接には結びつかない.これらを間接的に結びつける鍵は,接続法の本来の機能である「想念」というより他ない.「想念」という広い範囲を覆うものであるから,文脈によっては「驚き」ではなく「不安」「疑い」「喜び」「憧れ」等々,何とでもなり得るのである.このように理解すると,この should の用法を公式的に「びっくり should」ととらえる場合よりも,理解に際して応用範囲が広くなるだろう.これは,言語現象を通時的に見る習慣のついている英語史がもたらしてくれる知恵の1つである.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
先日,1918世紀半ばの規範英文法書のベストセラー「#2583. Robert Lowth, Short Introduction to English Grammar」 ([2016-05-23-1]) を紹介した.今回は,1918世紀後半にそれを上回った驚異の英文法家とその著者を紹介する.
Lindley Murray (1745--1826) は,Pennsylvania のクエーカー教徒の旧家に生まれた.父親は成功した実業家であり,その跡を継ぐように言われていたが,法律の道に進み,New York で弁護士となった.示談を進める良心的で穏健な仕事ぶりから弁護士として大成功を収め,30代後半にはすでに一財をなしていた.健康上の理由もあり1784年にはイギリスの York に近い Holgate に転置して,人生の早い段階から隠遁生活を始めた.たまたま近所にクエーカーの女学校が作られ,その教師たちに英語修辞学などを教える機会をもったときに,よい英文法の教科書がないので書いてくれと懇願された.当初は受ける気はなかったが,断り切れずに,1年たらずで書き上げた.これが,18世紀中に競って出版されてきた数々の規範文法の総決算というべき English Grammar, adapted to the different classes of learners; With an Appendix, containing Rules and Observations for Promoting Perspicuity in Speaking and Writing (1795) である.したがって,この文法書は,規範主義の野心や商売気とは無関係に生まれた偶然の産物である.
Murray は,序文においても極めて謙虚であり,この文法書を著作 (work) とは呼ばず,先達による諸英文法書の編纂者 (compilation) と呼んだ.参照した著者として Harris, Johnson, Lowth, Priestley, Beattie, Sheridan, Walker, Coote を挙げているが,主として Lowth を下敷きにしていることは疑いない.例の挙げ方なども含めて,Lowth を半ば剽窃したといってもよいくらいである.何か新しいことを導入するということはなく,すこぶる保守的・伝統的だが,読者を意識した素材選びの眼は確かであり,結果として,理性と慣用のバランスの取れた総決算と呼ぶにふさわしい文法書に仕上がった.
English Grammar は出版と同時に爆発的な売れ行きを示し,1850年までに150万部が売れたという.イギリスよりもアメリカでのほうが売れ行きがよく,ヨーロッパや日本でも出版された.19世紀前半においては英文法書の代名詞として君臨し,その後の学校文法の原型ともなった.
以上,Crystal (53) および佐々木・木原(編)(248--49) を参照した.
(後記 2016/06/06(Mon):冒頭に2度「19世紀」と書きましたが,いずれも「18世紀」の誤りでした.ご指摘くださった石崎先生,ありがとうございます.)
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
規範主義が席巻した18世紀の前半における最も重要な文法家は,オックスフォードの詩学教授およびロンドンの主教も務めた聖職者 Robert Lowth (1710--87) である.1755年に Samuel Johnson が後に規範的とされる辞書を世に出した7年後の1762年に,今度は Lowth が一世を風靡することになる規範英文法書 Short Introduction to English Grammar: with Critical Notes を匿名で上梓した.この本は1800年までに45刷りを経るベストセラーとなり,後にこの記録を塗り替えることになる Lindley Murray の大英文法書 English Grammar (1795) の基礎となった本でもある.Lowth の文法書に現われる規範的な文法項目は,その後も長くイギリスの子供たちに教えられ,その影響は20世紀半ばまで感じられた.まさに規範文法の元祖のような著作である.
Lowth の規範主義的な立場は序文に記されている.Lowth は当時の最も教養ある層の国民ですら文法や語法の誤りを犯しており,それを正すことが自らの使命であると考えていたようだ.例えば,有名な規範文法事項として,前置詞残置 (preposition_stranding) の禁止がある.Lowth 曰く,
The Preposition is often separated from the Relative which it governs, and joined to the Verb at the end of the Sentence, or of some member of it: as, "Horace is an author, whom I am much delighted with." . . . . This is an Idiom which our language is strongly inclined to; it prevails in common conversation, and suits very well with the familiar style in writing; but the placing of the Preposition before the Relative is more graceful, as well as more perspicuous; and agrees much better with the solemn and elevated Style.
おもしろいことに,上の引用では Lowth 自身が "an Idiom which our language is strongly inclined to" と前置詞残置を用いているが,これは不用意というよりは,ある種の冗談かもしれない.いずれにせよ,この文法書ではこのような規範主義的な主張が繰り返し現われるのである.
Lowth がこの文法項目を禁止する口調はそれほど厳しいものではない.しかし,Lowth を下敷きにした後世の文法家はこの禁止を一般規則化して,より強く主張するようになった.いつしか文法家は "Never end a sentence with a preposition." と強い口調で言うようになったのである.
この規則に対しておおいに反感を抱いた有名人に Winston Churchill がいる.Churchill が皮肉交じりに "(this was a regulated English) 'up with which we will not put'" と述べたことは,よく知られている (Crystal 51) .
・ Crystal, David. Evolving English: One Language, Many Voices. London: The British Library, 2010.
昨日の記事「#2579. 最初の英文法書 William Bullokar, Pamphlet for Grammar (1586)」 ([2016-05-19-1]) の話題と関連して,渡部 (68--69) が「近世初頭における国語に対する認識段階」を4つに整理している.その内容を要約しよう.
第1段階は国語に対する劣等感の時代であり,1561年まで続く.英語の語彙は貧弱で野蛮であり,英語でものを書くことはいまだ恥ずかしい所業であるとみなされていた.Gouernour (1531) を著わした Sir Thomas Elyot や Toxophilus (1545) の著者である Roger Ascham もこのグループに属する.
第2段階は1561--86年の四半世紀間であり,外来語の導入を含む様々な手段での語彙増強を通じて,英語が面目を一新した時期である.ここにきて英語に対する自信が見られるようになった.その典型は Sir Philip Sidney の An Apology for Poetrie (c. 1583) に見られ,そこでは英語が他の言語と比較してひけを取らないと述べられている.
第3段階は1585年頃から1650年までで,英語が語彙の点では「豊富」を得て,完全に自信を獲得したが,正書法と文法においてはまだ劣っていると考えられていた.Mulcaster や Bullokar がこのグループに属し,彼らは国語運動が一歩進んでいたイタリアやフランスを意識していた.目指していた英文法はラテン語文法に沿うものであり,ラテン語の権威を借りることによって英語をも高く見せようと企図していた.
第4段階は1650年以降で,英文法をラテン文法より独立させようという方向性が表われ出す.Wallis 以降,むしろラテン語離れを意識した独立した英文法書が目指されるようになる.
昨日取り上げた Bullokar による英語史上初の英文法書は,第3段階を代表するものだったといえるだろう.
初期近代英語期は,英語が国語としての自信を獲得し,ラテン語から自由になっていく過程であるが,それは近代の幕開けに繰り広げられた国家と言語の二人三脚の競技と言えるものだったのである.関連して,「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]) を参照.
・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
現代英語について,標準的な正書法にこだわる人々は多い.英語綴字の歴史を著わし,本ブログでたびたび取り上げてきた Horobin は,このように綴字に対する保守的な態度が蔓延している現状について論じている.だが,標題に挙げたように,そもそもなぜそのような人々は正しい綴字にこだわるのだろうか.この問題に関する Horobin の見解が凝縮されているのが,次の箇所である (pp. 228--29) .
Why is correct spelling so important? Throughout this book I have tried to show that standard English spelling comprises a variety of different forms that have developed in an erratic and inconsistent manner over a substantial period of time. We must therefore discard any attempt to impose a teleological narrative upon the development of English spelling which would argue that our standard spelling system is the result of a kind of Darwinian survival of the fittest, producing a system that has been refined over centuries. We have also seen that the concept of a standard spelling system is a relatively modern one; earlier periods in the history of English were able to manage without a rigidly imposed standard perfectly well. What is more, informal writing, as in the letters and diaries of earlier periods, has often allowed more relaxed rules for spelling and punctuation. So why should it be different for us? I suspect that one reason is that spelling is the area of language use that is easiest to regulate and monitor, and thus the area where users come under the strongest pressure to conform to a standard. Older generations of spellers have considerable personal investment in maintaining these standards, given that they themselves were compelled to learn them. As David Mitchell confesses in his Soapbox rant against poor spellers, 'I'm certainly happy to admit that I do have a huge vested interest in upholding these rules because I did take the trouble to learn them and, having put that effort in, I am abundantly incentivized to make sure that everyone else follows suit. The very last thing I want is for us to return to a society where some other arbitrary code is taken as the measure of a man, like how many press-ups you can do or what's the largest mammal you can kill'. But is correct spelling more than simply a way of providing puny men with a means of asserting themselves over their physically more developed peers?
綴字は言語について人々が最も保守的になりがちな領域であるという主張には,おおいに賛成する.この事実は書き言葉の特徴と不可分である.書き言葉は話し言葉と違って,「見える」し,いつまでも「残る」媒体である.水掛け論がそうであるように,話し言葉であれば言った言わないのごまかしが利くかもしれないが,書き言葉では物理的な動かぬ証拠が残ってしまうだけにごまかせない.書き言葉でも,文法や語法などは語の綴字よりも評価のターゲットとするには大きく抽象的な単位であり,槍玉に挙げる(あるいは賞賛する)には語の綴字というのが手っ取り早い単位なのだ.良きにつけ悪しきにつけ,綴字は評価に対して無防備なのだ.
もう1つ,「オレは学校で苦労して綴字を覚えた,だから息子よ,オマエも苦労して覚えよ」論も,わからないではない.理解できる側面がある.だが,これは Horobin にとっては,肉体的マッチョ論ならぬ,同じくらい馬鹿げた知的マッチョ論と見えるようだ.この辺りの問題は世代間・時代間の不一致という普遍的な現象と関わっており,全面的な解決はなかなか難しそうだ.この問題と関連して,慣れた正書法から離れることへの心理的抵抗という要因もあることは間違いない.「#2087. 綴字改革への心理的抵抗」 ([2015-01-13-1]) や「#2094. 「綴字改革への心理的抵抗」の比較体験」 ([2015-01-20-1]) も参照されたい.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
ドラッカーの名著『プロフェッショナルの条件』 (45--46) に,ヨーロッパ(及び日本)の歴史を標題の趣旨で大づかみに表現した箇所がある.中世を特徴づけていた多元主義は,近代において,国家権力のもとで一元主義へと置き換えられ,その一元的な有様こそが進歩であるという発想が,現代に至るまで根付いてきた.しかし,現在,その一元主義にはほころびが見え始めているのではないか.
社会が今日ほど多元化したのは六〇〇年ぶりのことである.中世は多元社会だった.当時の社会は,たがいに競い合う独立した数百にのぼるパワーセンターから成っていた.貴族領,司教領,修道院領,自由都市があった.オーストリアのチロル地方には,校訂の天領たる自由農民領さえあった.職業別の独立したギルドがあった.国境を越えたハンザ同名があり,フィレンツェ商業銀行同盟があった.徴税人の組合があった.独立した立法権と傭兵をもつ地方議会まであった.中世には,そのようなものが無数にあった.
しかしその後,王,さらには国家が,それらの無数のパワーセンターを征服することがヨーロッパの歴史となった.あるいは日本の歴史となった.
こうして一九世紀の半ばには,宗教と教育に関わる多元主義を守り通したアメリカを除き,あらゆる先進国において,中央集権国家が完全な勝利をおさめた.実におよそ六〇〇年にわたって,多元主義の廃止こそ進歩の大義とされた.
しかるに,中央集権国家の勝利が確立したかに見えたまさにそのとき,最初の新しい組織が生まれた.大企業だった.爾来,新しい組織が次々に生まれた.同時にヨーロッパでは,中央政府の支配に服したものと思われていた大学のようなむかしの組織が,再び自治権を取り戻した.
皮肉なことに,二〇世紀の全体主義,特に共産主義は,たがいに競い合う独立した組織からなる多元主義ではなく,唯一の権力,唯一の組織だけが存在すべきであるとしたむかしの進歩的信条を守ろうとする最後のあがきだった.周知のように,そのあがきは失敗に終わった.だが,国家という中央権力の失墜は,問題の解決にはならなかった.
中世から近現代に至る言語史も,この全般的な社会史の潮流と無縁でないどころか,非常によく対応している.近代国家では,数世紀のあいだ,言語の標準化が目指され,継いで規範的な文法,語彙,正書法,発音,語法が策定されてきた.そして,押しつけの程度の差こそあれ,およそ国民は公的な場において言葉遣いの規範を遵守するよう求められてきた.かつては多元主義によって開かれていた言葉遣いの様々な選択肢が,文字通りに一元化したわけではないが,著しく狭められてきた.
しかし,ドラッカーが現代の中央政府の支配について述べている通り,言葉の規範主義や一元主義も,近代後期以降に一度確立したかのようにみえた矢先に,現在,非標準的で多様な言葉遣いがある部分で自治権を回復し,許容され始めているようにも思われる.
英語綴字の歴史を著わした Horobin も,中世の綴字の多様性と近代の綴字の規範性・一元性という時代の流れをたどった上で,現在と未来における多様性の復活を匂わせているように思われる.国家(権力)と言語の密接な関係について,改めて考えてみたい.
・ ドラッカー,P. F. (著),上田 惇生(訳) 『プロフェッショナルの条件 ―いかに成果をあげ,成長するか―』 ダイヤモンド社,2000年.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
フランス語は非常に規範的な言語であるとされる.規範主義の伝統は英語にもあるが,フランス語には英語を上回る強い規範の伝統がある.もしかすると世界一規範主義的な言語といえるかもしれない.このフランス語の規範主義の確立と,それに伴う言語の神話 (language_myth) については,以下の記事で扱ってきた.
・ 「#626. 「フランス語は論理的な言語である」という神話」 ([2011-01-13-1])
・ 「#1077. Rivarol のフランス語優勢説の迷根拠 (1)」 ([2012-04-08-1])
・ 「#1078. Rivarol のフランス語優勢説の迷根拠 (2)」 ([2012-04-09-1])
・ 「#1079. Rivarol のフランス語優勢説の迷根拠 (3)」 ([2012-04-10-1])
Perret (70--71) に従ってフランス語規範主義の発展の歴史を概説すると,以下のようになる.15--16世紀,フランス王たちはラテン語に代わってフランス語を公式の言語として重用した.これはフランス語の標準化の流れを促進させ,17世紀には Academie française の創立(1635年)及び規範的な文法書や辞書の出版が相次ぎ,18世紀のフランス語国際化の重要な布石となった.18世紀末の革命によりフランス語は新生国家のシンボルに仕立て上げられ,フランス語以外の言語や非標準的なフランス語変種は法的に排除されることになり,標準フランス語の絶対主義は20世紀まで続いた.20世紀以降は,英語敵視の潮流が色濃く,1994年の Toubon 法では,英語表現の公的な使用を制限しようとした経緯がある.一昨日,昨日と話題にした La Francophonie ([2015-04-28-1], [2015-04-29-1]) の20世紀後半における発展は,このような英語敵視の観点から位置づけることもできるだろう.一方,フランス語の世界的拡散と定着に伴い,標準的・規範的なフランス語が従来の権威を必ずしも維持できなくなってきたことも事実である.国・地域ごとの国民的フランス語諸変種 (français nationaux) が存在感を強めてきている.これは (World) Englishes (world_englishes) のフランス語版といえるだろう.
フランス語の規範主義の芽生えとフランス革命の関係については,田中の4章「フランス革命と言語」が読みやすく,示唆に富む.
・ Perret, Michèle. Introduction à l'histoire de la langue française. 3rd ed. Paris: Colin, 2008.
・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
英語史における final_e の問題は,発音においても綴字においても重要な問題である.後期古英語から初期中英語にかけて著しく進行した屈折語尾の水平化 (levelling of inflection) の諸症状のうち,final e の消失は後の英語の歴史に最も広範な影響を及ぼしたといってよいだろう.これにより,古英語からの名詞,形容詞,動詞などの屈折体系は大打撃を受け,英語は統語論を巻き込む形で形態論を再編成することとなった.特に形容詞の -e 語尾の問題については,ilame の各記事で扱ってきた.
後期中英語までには,概ね final e は音声的に無音となっていたと考えられるが,綴字上は保持されたり復活したりすることも多く,規範的な機能を獲得しつつあった.Chaucer の諸写本では,格式が高いものほど final e がよく保たれているなどの事実が確認されており,当時 final e のもつ保守性と規範性が意識されていたことがうかがえる.初期中英語までは屈折語尾として言語的機能を有していた final e が,後期中英語以降になるに及んで社会言語学的・文体的機能を担うようになってきたのである.さらに近代英語期に入ると正書法への関心が高まり,綴字上の final e の保存の規則についての議論もかまびすしくなった.
final e の社会化とも呼べそうな上記の英語史上の現象は,興味深いことに,近代ドイツ語にも類例がみられる.高田 (113) によれば,ドイツ語における final e の音声上の消失は,15世紀末に拡大し,16世紀前半に普及したという (ex. im Lande > im Land) .これは,英語よりも数世紀ほど遅い.また,17世紀に e が綴字の上で意図的に復活した様子が,ルター聖書諸版や印刷物の言語的修正から,また文法書にみられる規範的なコメントからも知られる.17世紀中葉までには,e の付加が規範的となっていたようだ.
おもしろいのは,テキストによるが,男性・中世名詞の単数与格の e が aus dem winde や in ihrem hause などのように復活したばかりではなく,人称代名詞や指示代名詞の与格の e が zu ihme や sieder deme のように復活していたり,-ung, -in, -nis の女性接尾辞にも e が付加されて Zuredunge, nachbarinne, gefengnisse のように現われることだ.これらの e は16世紀以降に一般には復活せず,17世紀の文法書でも誤りとされていたのである(高田,p. 114).一種の過剰修正 (hypercorrection) の例といえる.
英語史で final e が問題となるのは,方言にもよるが初期中英語から初期近代英語といってよく,英語史研究者にとっては長々と頭痛の種であり続けてきた.ドイツ語史では問題の開始も遅く,それほど長く続いたものではなかったようだが,正書法などの言語的規範を巻き込んでの問題となった点で,両現象は比較される.屈折語尾の水平化というゲルマン諸語の宿命的な現象に起因する final e の問題は,歴史時代の話題ではあるが,ある意味で比較言語学のテーマとなり得るのではないだろうか
・ 高田 博行 「ドイツの魔女裁判尋問調書(1649年)に記されたことば」『歴史語用論の世界 文法化・待遇表現・発話行為』(金水 敏・高田 博行・椎名 美智(編)),ひつじ書房,2014年.105--32頁.
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