hellog〜英語史ブログ     ChangeLog 最新     カテゴリ最新     前ページ 1 2 3 4 5 6 / page 6 (6)

dialect - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-05-02 13:01

2010-07-23 Fri

#452. イングランド英語の諸方言における r [dialect][rhotic][bre][phonetics][lexical_diffusion][map]

 [2010-06-07-1]の記事で New York City の r について触れたが,今日はイングランドにおける r を取り上げる.典型的にイギリス英語では,armfar など母音後の r ( postvocalic r ) は発音しない ( non-rhotic ) とされる.しかしこれはイギリス英語全般に当てはまるわけではない.スコットランドやアイルランドでは r が広く聞かれるし,実はイングランドでも rhotic な地域のほうが面積としては広い.以下は,arm という語の伝統的な方言の分布を示したイングランドの地図である ( Trudgill, pp. 25--28 ).

 Rhotic Areas in England

 ロンドンとそこから東部や北部に向かっては non-rhotic な地域が広がっているが,南部,西部の大域やスコットランドに近い北部の周辺では rhotic な発音が聞かれる.地図上に (r) で示されている小区画では,単語毎に rhotic か non-rhotic かが異なる地域である.
 もともとはイングランドでもすべての地域で r は発音されていた.綴字に <r> が残っていることからもそのように考えるのが妥当である.ところが,250年ほど前に,ロンドン付近の東部方言で r が脱落するという音声変化が生じた.このロンドン付近発祥の革新が北部や東部へと波状に広がり,各地の方言の語彙を縫うように拡大していった.この伝播は最北部や西部の保守的な方言の境目にぶつかることで減速・休止し,現在の分布に至っている.周辺地域に r が残っていること,また語によって r の発音の有無が異なる地域があることは,伝播の波が地理的にも語彙的にも一気に展開したわけではなく,徐々に浸透していったことを示唆する.イングランド英語における r の脱落は語彙拡散 ( lexical diffusion ) の一例と言っていいだろう.
 ロンドン方言や標準イギリス英語が non-rhotic であるから「イギリス英語=イングランド英語=non-rhotic」という等式を信じてしまいがちだが,これが不正確であることがわかるだろう.むしろ,面積でみる限り,イギリス英語あるいはイングランド英語はどちらかというと rhotic であるという事実が浮かび上がってくる.

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2010-05-21 Fri

#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先 [jute][history][germanic][popular_passage][dialect][kyng_alisaunder][map][anglo-saxon]

 英語の歴史は,449年に北ドイツや南デンマークに分布していたアングル人 ( Angles ),サクソン人 ( Saxons ),ジュート人 ( Jutes ) の三民族が西ゲルマン語派の方言を携えてブリテン島に渡ってきたときに始まる ( see [2009-06-04-1] ).ケルトの王 Vortigern が,北方民族を撃退してくれることを期待して大陸の勇猛なゲルマン人を招き寄せたということが背景にある.その年を限定的に449年と言えるのは,古英語期の学者 Bede による The Ecclesiastical History of the English People という歴史書にその記述があるからである.この記述は後に The Anglo-Saxon Chronicle にも受け継がれ,ブリテン島における英語を含めた Anglo-Saxon の伝統の創始にまつわる神話として,現在に至るまで広く言及されてきた.The Anglo-Saxon Chronicle の北部系校訂本の代表である The Peterborough Chronicle の449年の記述から,有名な一節を古英語で引用しよう.現代英語訳とともに,Irvine (35) より抜き出したものである.

Ða comon þa men of þrim megðum Germanie: of Aldseaxum, of Anglum, of Iotum. Of Iotum comon Cantwara 7 Wihtwara, þet is seo megð þe nu eardaþ on Wiht, 7 þet cyn on Westsexum þe man nu git hæt Iutnacynn. Of Ealdseaxum coman Eastseaxa 7 Suðsexa 7 Westsexa. Of Angle comon, se a syððan stod westig betwix Iutum 7 Seaxum, Eastangla, Middelangla, Mearca and ealla Norþhymbra.


PDE translation: Those people came from three nations of Germany: from the Old Saxons, from the Angles, and from the Jutes. From the Jutes came the inhabitants of Kent and the Wihtwara, that is, the race which now dwells in the Isle of Wight, and that race in Wessex which is still called the race of the Jutes. From the Old Saxons came the East Saxons, the South Saxons, and the West Saxons. From the land of the Angles, which has lain waste between the Jutes and the Saxons ever since, came the East Anglians, the Middle Anglians, the Mercians, and all of the Northumbrians.


 この一節に基づいて形成されてきた移住神話 ( migration myth ) は,いくつかの事実を覆い隠しているので注意が必要である.449年は移住の象徴の年として理解すべきで,実際にはそれ以前からゲルマン民族が大陸よりブリテン島に移住を開始していた形跡がある.また,449年に一度に移住が起こったわけではなく,5世紀から6世紀にかけて段階的に移住と定住が繰り返されたということもある.他には,アングル人,サクソン人,ジュート人の三民族の他にフランク人 ( Franks ) もこの移住に加わっていたとされる.同様に,現在では疑問視されてはいるが,フリジア人 ( Frisians ) の混在も議論されてきた.移住の詳細については,いまだ不明なことも多いようである ( Hoad 27 ).
 上の一節にもあるとおり,主要三民族は大陸のそれぞれの故地からブリテン島のおよそ特定の地へと移住した.大雑把に言えば,ジュート人は Kent や the Isle of Wight,サクソン人はイングランド南部へ,アングル人はイングランド北部や東部へ移住・定住した(下の略地図参照).古英語の方言は英語がブリテン島に入ってから分化したのではなく,大陸時代にすでに分化していた三民族の方言に由来すると考えられる.

Homeland of the Angles, Saxons, and Jutes

 西ゲルマン諸民族のなかで,特に Jutes の果たした役割については[2009-05-31-1]を参照.また,上の一節については,オンラインからも古英語現代英語訳で参照できる.

 ・ Irvin, Susan. "Beginnings and Transitions: Old English." The Oxford History of English. Ed. Lynda Mugglestone. Oxford: OUP, 2006. 32--60.
 ・ Hoad, Terry. "Preliminaries: Before English." The Oxford History of English. Ed. Lynda Mugglestone. Oxford: OUP, 2006. 7--31.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2010-03-26 Fri

#333. イングランド北部に生き残る thou [personal_pronoun][dialect]

 二人称単数代名詞の thou については,このブログでも何度か話題に取りあげた([2010-02-12-1], [2009-10-29-1], [2009-10-11-1]).現代標準英語では聖書や詩などの限られた register で生き残っているにすぎないが,地域変種を考慮に入れると,イングランド北部などで生き延びていることが確認される.通常,綴りは <tha>,発音は /ðə/ で,予想通り中英語以来の親近感のこめられた二人称単数代名詞として用いられているという.
 次の用例は,ヨークシャー発の表現である (Svartvik and Leech 55).

Don't thou thou me, thou thou them as thous thee.


 thou は,二人称親称代名詞としての用法のほか,「二人称親称代名詞 thou で呼びかける」という動詞の用法があり,ここでは "Please don't use thou in addressing me; use thou to address people who use thou in addressing you." ほどの意味になる.

 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

2009-09-04 Fri

#130. 中英語の方言区分 [me_dialect][dialect][standardisation][map][isogloss]

 現在の言語学では,通時的な研究にしろ共時的な研究にしろ,方言が重視されている.とりわけ中英語に関しては方言研究が盛んである.その現れの一つとして,このブログでも何度か紹介してきたが,初期中英語期の方言地図 LAEME がオンラインで公表されたことが挙げられる.
 とりわけ中英語研究が方言学と相性がよいのには理由がある.古英語や現代英語では,標準語なるものが存在する.ここでは 標準変種 ( standard variety ) と呼んでおくことにしよう.古英語では書き言葉に限定すれば West-Saxon 方言が標準変種であったし,現代英語では英国に限定すれば BBC English や Estuary English などが標準変種とされる.このように社会的に広く認められた標準変種が存在すると,そうでない変種,特に地方方言は,標準から逸脱した変種,堕落した変種としてとらえられることが,従来は多かった.このような従来の風潮では,方言研究は亜流であるとのステレオタイプから免れることは難しかった.
 ところが,中英語にはそもそも標準変種と呼ばれるものがない.確かに中英語の末期には書き言葉標準の萌芽が見られるようになるが,確立された標準変種は,中英語期を通じてほぼなかったといってよい.政治・経済・文化の中心地たるロンドンで話されていた言葉ですら,特別視されるような変種ではなく,あくまで「ロンドン方言」であった.したがって,中英語には標準変種もなければ,方言間の社会的な上下差もなく,まさに各方言が百花繚乱に咲き乱れた時代といえる.
 その百花繚乱の中英語方言を地理的に区分する試みは古くからなされているが,どんな言語特徴を基準に区分するかによって諸説ある.下に掲げたのは,現在,比較的ひろく受け入れられている区分である.

ME Dialect Map

 区分線は,およそ注目する語(群)の等語線 ( isogloss ) によるが,その選択は恣意的である.また,特に West Midland と East Midland を分ける線などは,実際にはこれほど明確ではなく,かなり曖昧であった.地図上の区分はあくまで目安までに.

 ・ Laing, Margaret and Roger Lass, eds. A Linguistic Atlas of Early Middle English, 1150--1325. http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/laeme1.html . Online. Edinburgh: U of Edinburgh, 2007.

[ 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow