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philology - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-23 11:02

2019-08-22 Thu

#3769. 言語学とフィロロジー [linguistics][philology][terminology][history_of_linguistics]

 言語学 (linguistics) とフィロロジー (philology) は,ともに言語を研究する分野でありながら,対置されて捉えられることが多い.後者は「文献学」と訳されてきた経緯があるが,誤解を招くきらいがあることから,しばしばそのまま「フィロロジー」と横文字で称される.
 言語研究は伝統的にフィロロジーと呼ばれてきたが,19--20世紀以降に一般化・理論化の方向を示す近代言語学が発展してくると,それを前者から区別し,言語学と呼ぶようになった.両者の間には以下のような相違がある.

 フィロロジー言語学
研究対象文化や文学を担うものとしての言語(したがって,民族の精神文化に迫ろうとする)言語自体(したがって,文字や文学をもたない言語も対象となる)
指向性テキスト指向的,データ中心的非テキスト指向的,事実中心的
目的個別性を目指し,たとえば「英語性」を明らかにしようとする一般化と理論体系の構築を目指す
スタンス歴史的記述的


 このように言語学とフィロロジーには言語に対するまなざしの違いがあるが,いずれも等しく追究するに値する言語研究の方法である.したがって,たとえば英語学といった場合にも,フィロロジー的英語学 (English philology) と言語学的英語学 (English linguistics) が区別されることになる.理想をいえば,いずれの英語学をも視野に収めて研究していくことが望まれる.
 以上,安藤・澤田, p. 2--3 に依拠した.関連して「#542. 文学,言語学,文献学」 ([2010-10-21-1]) も参照されたい.

 ・ 安藤 貞雄・澤田 治美 『英語学入門』 開拓社,2001年.

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2018-10-24 Wed

#3467. 文献学における校訂の信頼性の問題 [philology][methodology][manuscript][punctuation][editing][corpus][evidence]

 英語史・英語文献学に携わる者にとって,標題は本質的な問題,もっといえば死活問題でもある.この問題について,児馬 (31) が古英語資料との関係でポイントを要領よくまとめている.

OE資料を使う際に,校訂の信頼性という問題は避けて通れない.歴史言語学で引用されているデータ(例文)の多くは写本研究,すなわち写本から校訂・編集を経て活字となった版 (edition) か,ないしは,特に最近はその版に基づいた電子コーパスに基づくことが多い.そうした文献学研究の多大な恩恵を受けて,歴史言語学研究が成り立っていることも忘れてはならないが,と同時に,校訂者 (editor) の介入がオリジナル写本を歪めることもありうるのである.一つの作品にいくつか複数の写本があって,異なる写本に基づいた複数の版が刊行されていることもあるので,その点は注意しなければならない.現代と同じように,構成素の切れ目をわかりやすくしたり,大・小文字の区別をする punctuation の明確な慣習はOE写本にはない.行の区切り,文単位の区切りなどが校訂者の判断でなされており,その判断は絶対ではないということを忘れてはならない.ここでは深入りしないが,それらの校訂本に基づいて作成された電子コーパスの信頼性もさらに問題となろう.少なくとも,歴史言語学で使用するデータに関しては,原典(本来は写本ということになるが,せいぜい校訂本)に当たることが不可欠である.


 上で述べられていることは,古英語のみならず中英語にも,そしてある程度は近代英語以降の研究にも当てはまる.文献学における「証拠」を巡るメタな議論は非常に重要である.
 関連して,「#681. 刊本でなく写本を参照すべき6つの理由」 ([2011-03-09-1]) ,「#682. ファクシミリでなく写本を参照すべき5つの理由」 ([2011-03-10-1]),「#2514. Chaucer と Gawain 詩人に対する現代校訂者のスタンスの違い」 ([2016-03-15-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]),「#2546. テキストの校訂に伴うジレンマ」 ([2016-04-16-1]) .

 ・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.

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2018-10-02 Tue

#3445. 日本語史も英語史も,時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為 [japanese][historiography][variety][philology][writing][medium]

 昨日の記事「#3444. 英語史は,英語の時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為」 ([2018-10-01-1]) の内容は,そのまま日本語史にも当てはまるし,さらにいえば他の多くの個別言語の歴史にも当てはまるだろう.日本語史について,清水 (4) は次のように述べている.

文献にみえる日本語がどのような日本語を反映しているのか,そのことは日本語の歴史を考える際に最も重要なことである.文献資料は幸いに古代から現代まで残っているものの,そこにはそれぞれの時代の文献に反映されている言葉の方処的な問題とその言葉の担い手の問題とがいつも絡んでいることに留意しなければならない.
 方処的な問題というのは,奈良時代にあっては大和地方の言葉,平安時代以降約千年弱は京都地方の言葉,江戸時代後半以降にあっては江戸・東京の言葉というように,政治・文化の中心地に即して移動していることである.したがって,ここに中央語の歴史という言い方をするならば,その流れは地域に連続性を欠くために,連綿としたときの流れの中に中央語の歴史を扱うのはなかなか厄介である.
 一方,言葉の担い手に関しても奈良?平安時代には貴族や僧侶の言葉,鎌倉時代には武士の言葉,室町時代には上層町人の言葉,江戸時代後期には下層町人の言葉が加わることとなり,ひと口に中央語といってもその内実は等質的なものではないのである.


 一方,時の試練を経て長く保たれた京都の都言葉は,新興勢力の言葉によって大きく変更することはなかったのも事実である.とはいえ,上の事情は日本語史を記述する上で非常に重要な点である.
 英語史でも近年では The Stories of EnglishAlternative Histories of English などの諸変種の歴史を盛り込んだ記述が見られるようになってきたが,一般的に英語史といえば「中央語」の歴史記述が期待されるという状況は大きく変わっていない.英語史においても「中央語」は空間的にも位相的にも連続性を欠いているということは厳然たる事実であり,銘記しておく必要があるだろう.
 改めて,個別言語史は時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為なのである.

 ・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.

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2018-10-01 Mon

#3444. 英語史は,英語の時空間内の無数の点をそれらしく結んでいこうとする行為 [historiography][register][dialect][variety][philology][writing][medium]

 英語史研究において,しばしば見過ごされるが,きわめて基本的な事実として,現存する文献資料のムラの問題がある.時代によって文献資料の量や種類に大きな差があるという事実だ.
 種類の差といっても,それ自体にも様々なタイプがある.時代によって,文献が書かれている方言が異なる場合もあれば,主立った書き手たちの階級や性など,社会的属性が異なる場合もある.時代によって,媒体も発展してきたし,文章のジャンルも広がってきた.書き表される位相の種類にも,時代によって違いがみられる.
 現存する文献資料の言語が,時代によって多種多様であるということは,その言語の歴史を通じての「定点観測」が難しいということである.地域方言に限定して考えても,主たる方言,すなわち「中央語」の方処は,後期古英語期ではウェストサクソンであり,初期中英語期では存在せず,後期中英語期以降はロンドンである.つまり,1つの方処に立脚して一貫した英語史を描くことはできない.
 時代ごとに書き言葉の担い手も変わってきた.中世ではものを書くのは,ほぼ聖職者や王侯貴族に限られていたが,中世後期からは,より広く世俗の人々にものを書き記す機会が訪れるようになり,近現代にかけては教育の発展とともに書き言葉は庶民に開かれていった.書き言葉の担い手という側面においても,定点観測の英語史を描くことは難しい.
 では,普段当たり前のように使う「英語の歴史」とは何を指すのだろうか.「英語」そのものと同じように「英語の歴史」も,かなりの程度,フィクションなのだろうと思う.英語史は,単なる英語という言語に関する事実の時系列的な記述ではなく,本来は互いに結びつけるには無理のある時空間内の無数の点を,ある程度の見栄えのする図形へと何とか結びつける営為なのではないか.ただし,ポイントはそれらの点をランダムに結ぶわけではないということだ.そこには,自然に見えるための工夫がほしい.自然に見えるということは,おそらく真実の何某かを反映しているはずだ,という希望をもちながら.

Referrer (Inside): [2018-10-02-1]

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2018-08-19 Sun

#3401. 英語語彙史の方法論上の問題 [methodology][dictionary][oed][htoed][philology][lexicography][lexicology][semantics][etymology]

 昨日の記事「#3400. 英語の中核語彙に借用語がどれだけ入り込んでいるか?」 ([2018-08-18-1]) で取り上げた Durkin の論文では,英語語彙史の実証的調査は,OEDHTOED という2大ツールを使ってですら大きな困難を伴うとして,方法論上の問題が論じられている.結論部 (405--06) に,諸問題が要領よくまとまっているので引用する.

One of the most striking and well-known features of lexical data is its extreme variability: as the familiar dictum has it 'chaque mot a son histoire', and accounting for the varied histories of individual words demands classificatory frameworks that are flexible, nonetheless consistent in their approach to similar items. Awareness is perhaps less widespread that the data about word histories presented in historical dictionaries and other resources are rarely 'set in stone': sometimes certain details of a word's history, for instance the details of a coinage, may leave little or no room for doubt, but more typically what is reported in historical dictionaries is based on analysis of the evidence available at time of publication of the dictionary entry, and may well be subject to review if and when further evidence comes to light. First dates of attestation are particularly subject to change, as new evidence becomes available, and as the dating of existing evidence is reconsidered. In particular, the increased availability of electronic text databases in recent years has swollen the flow of new data to a torrent. The increased availability of data should also not blind us to the fact that the earliest attestation locatable in the surviving written texts may well be significantly later than the actual date of first use, and (especially for periods, varieties, or registers for which written evidence is more scarce) may actually lag behind the date at which a word or meaning had already become well established within particular communities of speakers. Additionally, considering the complexities of dating material from the Middle English period . . . highlights the extent to which there may often be genuine uncertainty about the best date to assign to the evidence that we do have, which dictionaries endeavour to convey to their readers by the citation styles adopted. Issues of this sort are grist to the mill of anyone specializing in the history of the lexicon: they mean that the task of drawing broad conclusions about lexical history involves wrestling with a great deal of messy data, but the messiness of the data in itself tells us important things both about the nature of the lexicon and about our limited ability to reconstruct earlier stages of lexical history.


 語源情報は常に流動的であること,初出年は常に更新にさらされていること,初出年代は口語などにおける真の初使用年代よりも遅れている可能性があること,典拠となっている文献の成立年代も変わり得ること等々.ここに指摘されている証拠 (evidence) を巡る方法論上の諸問題は,英語語彙史ならずとも一般に文献学の研究を行なう際に常に意識しておくべきものばかりである.OED3 の編者の1人である Durkin が,辞書は(OED ですら!)研究上の万能なツールではあり得ないと説いていることの意義は大きい.

 ・ Durkin, Philip. "The OED and HTOED as Tools in Practical Research: A Test Case Examining the Impact of Loanwords in Areas of the Core Lexicon." The Cambridge Handbook of English Historical Linguistics. Ed. Merja Kytö and Päivi Pahta. Cambridge: CUP, 2016. 390--407.

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2018-07-25 Wed

#3376. 帝国主義の申し子としての英語文献学 [history_of_linguistics][history][lexicography][oed][edd][philology]

 標題は「#3020. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (1)」 ([2017-08-03-1]),「#3021. 帝国主義の申し子としての比較言語学 (2)」 ([2017-08-04-1]) と関連させての話題.19世紀における英語文献学や英語史という分野の発達は,大英帝国の発展と二人三脚で進んでいたという事実が指摘されてきた.児馬 (43) が同趣旨のことを次のように説明している.

 19世紀ヨーロッパのナショナリズムを形成するのに中心的だったのが Oxford English Dictionary (OED) を編纂した James Murray (1837--1915), The English Dialect Dictionary (1896--1905) を編集した Joseph Wright であった.19世紀は英語の辞書・方言学・文献学・文法の黄金時代であり,Murray の OED 編集期間は大英帝国の時代 (The Age of Empire (1875--1914)) と大体一致するのである.OED は,1888年に A New English Dictionary (NED) として第1巻を出版し,1928年に完結し,その後補遺を加えて全11巻として,1933年に完成した.〔後略〕
 大英帝国の拡張と言語科学の発展が並行している.Furnivall (1825--1910) が初期英語テキスト協会 (The Early English Text Society: EETS) を設立したのも1864年,イギリス方言協会の設立も1873年のことであった.Anglo-Saxon を Old English と呼び変えたのも,このような国家と言語を一体化する傾向と無関係ではないかもしれない.


 OEDEDD の編纂は,形式的には決して国家プロジェクトではなく,個人的な事業にちがいなかったものの,大英帝国を背負ってなされた企画という点では,事実上の国家プロジェクトに近い性格をもっていたということができる.
 現在,私たちは英語史を含めた英学の研究において,日々 OED (の改版)の恩恵にあずかり,"Old English" という呼称も当たり前のように使っているが,これらのツールや用語が確立してきた背景に,帝国主義の歴史が深く関わっていることは銘記しておかなければならない.

 ・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.

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2018-07-21 Sat

#3372. 古英語と中英語の資料の制約について数点のメモ [oe][me][philology][manuscript][statistics][representativeness][methodology][evidence]

 「#1264. 歴史言語学の限界と,その克服への道」 ([2012-10-12-1]),「#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント」 ([2017-03-01-1]) で取り上げてきたが,歴史言語学には資料の限界という,いかんともしがたい問題がある.質量ともに望むほどのものが残っていてくれないのが現実である.児馬 (29) は,『歴史言語学』のなかの「古英語資料の留意点:量的・質的制約」という節において次のように述べている.

歴史言語学では現存する資料が最重要であることはいうまでもない.現代の言語を研究対象とするのであれば,文字資料・録音資料に加えて,話者の言語直観・内省などの言語心理学的資料も含めて実に豊富な資料を使えるのであるが,歴史言語学ではそうは簡単にならない.古い時代の資料を使うことが多い分野なので,この種の限界は当然のように思えるが,実際は,想像以上に厳しい制約があるのを認識しなければならない.特に扱う資料が古ければ古いほど厳しいものがあり,英語史では,特にOE資料の限界についてはよく認識したうえで,研究を進めていかなくてはならない.


 具体的にどれくらいの制約があるのかを垣間見るために,古英語と中英語の資料について児馬が触れている箇所を数点メモしておこう.

 ・ 古英語期の写本に含まれる語数は約300万語で,文献数は約2000である.部分的にはヴァイキングによる破壊が原因である.この量はノルマン征服以降の約200年間に書かれた中英語の資料よりも少ない.(29)
 ・ とくに850年以前の資料で残っているものは,4つのテキストと35ほどの法律文書・勅許上などの短い公的文書が大半である.(29)
 ・ 古英語資料の9割がウェストサクソン方言で書かれた資料である.(31)
 ・ 自筆資料 (authorial holograph) は非常に珍しく,中英語期でも Ayenbite of Inwit (1340年頃),詩人 Hoccleve (1370?--1450?) の書き物,15世紀ノーフォークの貴族の手による書簡集 Paston Letters やその他の同時期の書簡集ほどである.(34)

 英語史における資料の問題は非常に大きい.文献学 (philology) や本文批評 (textual criticism) からのアプローチがこの分野で重要視される所以である.
 関連して「#1264. 歴史言語学の限界と,その克服への道」 ([2012-10-12-1]),「#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント」 ([2017-03-01-1]),「#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1)」 ([2012-03-13-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]) も参照.

 ・ 児馬 修 「第2章 英語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.22--46頁.

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2018-07-15 Sun

#3366. 歴史語用論は文献学の21世紀的な焼き直しか? [historical_pragmatics][philology][japanese][hisopra][methodology][history_of_linguistics]

 標記の問題は,「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]),「#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか?」 ([2018-02-02-1]) などで取り上げてきた.この問題について,高田・小野寺・青木(編)が最近『歴史語用論の方法』の序章で議論しているので,覗いてみたい.編者たちは,近年の歴史語用論の発展を日本語史(文献学)の立場から,次のように評価している (20--21) .

これまでの研究の歩みを振り返ると分かるように,「歴史語用論」は英語研究中心の体制で進められてきた.一九九八年の国際語用論会議における初めてのパネルでは,歴史的言語には話しことばデータが存在しない点をいかに乗り越えるかが,大きな問題になったという.しかし,こうした問題は,日本語史研究では,いわば常識といってよい事柄である.亀井ほか (1966) には,「言語史の窮極の目的は,口語の発展の追求にある」が,「過去の言語にせまる場合の第一の材料は,大部分,やはり文字による記録でしめられる」ため,「言語史の研究者は,まず文献学に通じ,その精神を――のぞむらくは深く――理解しえた者であるべきである」と明示的に述べられている.すなわち,文献学的研究によって,資料に現れた言語が何者であるかをまず追究し,資料に顔を出す「口語」を掬い取りながら言語の歴史を編むことが目指されたのであり,これが日本語史(国語史)の王道であった.


 この説明は,「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) で引用した「とっくにやってる」発言と完全に同じものである.ただし,ここで一言付け加えておきたいことがある.上の引用でなされているのは「日本語史ではとっくにやっている」という趣旨の主張だが,実は「英語史でもとっくにやっている」のである.共時的・理論的な英語学の立場からみれば,ようやく最近になって「歴史的言語には話しことばデータが存在しない点をいかに乗り越えるかが,大きな問題になった」のだろうが,英語史・英語文献学の分野では,この問題意識は常に「いわば常識といってよい事柄」だった.
 だからといって,歴史語用論が文献学の単なる焼き直しであると主張したいわけではない.編者たちの以下のような受け取り方に,私も賛成する (23) .

従来の日本語史研究の方法に則って進めてきた研究が,“新しい”「歴史語用論」という研究分野の俎上に載せられることを実感しながら進めていくのもよし,「歴史語用論」の方法を自覚的に実践することで,従来見過ごされてきた現象に光を当てることができた,あるいは説明が不十分であった現象に適切な説明を与えることができたと感じられれば,それもまたよいであろう.


 ・ 高田 博行・小野寺 典子・青木 博史(編) 『歴史語用論の方法』 ひつじ書房,2018年.
 ・ 亀井 孝・大藤 時雄・山田 俊雄 「言語史研究入門」『日本語の歴史』平凡社,1966年.

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2018-02-02 Fri

#3203. 文献学と歴史語用論は何が異なるか? [philology][historical_pragmatics][methodology][linguistics][history_of_linguistics]

 「#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental」 ([2018-01-28-1]) で触れたように,特に European Continental 流の歴史語用論は,伝統的な文献学と親和性が高い.また,「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) で述べたとおり,昨今英語歴史語用論の名のもとに研究されている課題の多くは,従来の英語史の文献学的研究で「とっくにやっている」課題が多い.文献学と歴史語用論は,何を強調するかというポイントや研究者の受けてきた訓練の種類に違いこそあれ,互いに近い位置にいることは確かである.では,両者の間で何が共通しており,何が異なっているのだろうか.Taavitsainen がこの点について考察している.
 文献学の強みは,なんといっても個別の言語変種について詳しい知識をもっていることだろう.英語文献学者についていえば,古英語や中英語を精読する訓練をしっかり受けており,原文を読み解く基盤がしっかりしている (Taavitsainen 1463) .
 文献学者はまた,同時代の歴史や文化の文脈 (context) にも精通している(ことが期待されている).歴史語用論も広い意味での文脈を重視するわけであるから,両学問分野が結びつくのは当然ともいえる.ただし,歴史語用論では文脈の重視が分野の存立基盤ともいえ,その扱いがすぐれて体系的である点に特徴がある.歴史語用論者としての Taavitsainen (1464) 曰く,"We need to go beyond the text and consider linguistic, non-linguistic, and situation factors that might reveal communicative functions in a systematic and principled fashion. This is a task not addressed by traditional philology or historical linguistics."
 文献学者と歴史語用論者のあいだには,研究対象としてどのようなテキストを選ぶかという点でも差がある.文献学者は得てして文学的価値のあるテキストに偏る傾向がある.その意味では,文学史にも近接する.一方,歴史語用論者は,むしろ日常的で「他愛もない」テキストを選ぶ傾向がある.Taavitsainen (1467) は次のように述べている.

In the times of traditional philology, literary, and religious texts, or texts with curiosity value, were considered worthy of study. These choices had consequences for historical linguistics as early studies of the language of past periods were based on these editions. The paradigm has shifted to more everyday and ephemeral materials like the interest in private correspondence, notes, (auto)biographies and handbooks. With contextual assessments, the approaches to data have become more refined, and it is interesting that literary texts are gaining an important position in historical pragmatics . . . .


 細かな相違点をとらえればキリがないが,結局のところ,文献学者でもあり歴史語用論者でもある研究者は少なくない.歴史語用論は文献学で培われた伝統を尊重しつつさらに発展していく一方で,文献学は歴史語用論という新しいラベルのもとに活気づいていけばよいのではないか.

 ・ Taavitsainen, Irma. "New Perspectives, Theories and Methods: Historical Pragmatics." Chapter 93 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1457--74.

Referrer (Inside): [2018-07-15-1] [2018-02-03-1]

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2018-01-28 Sun

#3198. 語用論の2潮流としての Anglo-American 対 European Continental [pragmatics][methodology][philology][historical_pragmatics][history_of_linguistics]]

 「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]) や「#2000. 歴史語用論の分類と課題」 ([2014-10-18-1]) で取り上げたように,語用論の潮流には,"the (Anglo-American) component view" と "the (European Continental) perspective view" の2種類があるとされる.歴史語用論に対する姿勢から両者を対置させると,前者は理論言語学的な色彩が強く,言語変化を説明するための語用論という位置づけが濃厚である.一方,後者は,言語のみならず社会や文化を含めた広い文脈 (context) を重視し,各時代の談話を読み解いていくという傾向を示す.後者は伝統的な文献学とも親和性が高い.
 ハンドブックのある章で,Jucker が歴史語用論を紹介しながら,2潮流の対立を次のように簡潔に表現している.

Researchers investigating pragmatic explanations of language change in general usually adopt the narrow understanding of Anglo-American or theoretical pragmatics, while those studying the diachronic development of pragmatic entities adopt the broader Continental European or social approach to pragmatics.


 著者のスタンスは Continental European である.ニュースの談話を取り巻く歴史語用論的な議論の後に,同じ章の最後 (566) で,Continental European の見方の射程の広さをアピールしている.

In a wider Continental European understanding of pragmatics, the pragmaticist focuses not only on the communicative contexts for language change but also on the larger contexts of change in communicative practices, including not only text structures and the ensemble of genres in a particular field of discourse but also larger communicative patterns such as the gathering, transmission, and dissemination of news content.


 最初の引用で用いられている "narrow" と "broad" という形容詞も,もちろん客観的な意味における守備範囲の広さ・狭さのことであり,評価的な意味合いは込められていないだろう.とはいえ,両者のスタンスはおおいに異なることは確かである.それぞれの潮流を代表する研究者の間には,様々な違いがある.受けてきた教育の種類の違い,理論と記述のバランスの配分の差,言語学寄りか歴史寄りか,語用論を手段ととらえるか目的ととらえるか,等々.
 しかし,2潮流の対立を強調するというよりは,両者がどのように出会い得るかを待ってみるのがよいと思っている.力んで合流点を探すというわけではなく,2つの流れをそのまま流していくのも手なのではないか.「#2883. HiSoPra* に参加して (1)」 ([2017-03-19-1]),「#2884. HiSoPra* に参加して (2)」 ([2017-03-20-1]) でも述べたように,歴史語用論のような新しい分野は,「若さ」ゆえの悩みも当然あるが,過去の学術的遺産を眺望できる立場にあるなど,後発としてのアドバンテージもたくさんもっている.2潮流の行方を眺めていくのも悪くない.

 ・ Jucker, Andreas H. "Pragmatics and Language Change: Historical Pragmatics." Chapter 29 of The Oxford Handbook of Pragmatics. Ed. Yan Huang. Oxford: OUP, 2017. 550--66.

Referrer (Inside): [2018-02-03-1] [2018-02-02-1]

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2017-03-01 Wed

#2865. 生き残りやすい言語証拠,消えやすい言語証拠――化石生成学からのヒント [philology][writing][manuscript][representativeness][textual_transmission][evidence]

 言語の歴史を研究するほぼ唯一の方法は,現存する資料に依拠することである.ところが,現存する資料は質的にも量的にも相当の偏りがあり,コーパス言語学の用語でいえば "representative" でも "balanced" でもない.
 まず物理的な条件がある.現在に伝わるためには,長い時間の風雨に耐え得る書写材料や書写道具で記されていることが必要である(「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).次に,メディアの観点から,話し言葉(的な言葉遣い)は,書き残されて,現在まで伝わる可能性が低いことは明らかだろう.書き手の観点からは,文献にはもっぱら読み書き能力のあるエリート層の言葉遣いや好みの話題が反映され,それ以外の層の言語活動が記録に残さることはほとんどないだろう.さらに,ジャンルや内容という観点から,例えば反体制的な書き物は,歴史の途中で抹殺される可能性が高いだろう.
 現存する文献資料は,様々な運命をすり抜けて生き残ってきたという意味で歴史の「偶然性」を体現しているのは確かだが,生き残りやすいものにはいくつかの条件があるという上記の議論を念頭に置くと,ある種の「必然性」をも体現しているとも言える.歴史言語学や文献学において,どのような「条件」や「必然性」があり得るのか,きちんと整理しておくことは重要だろう.
 そのための間接的なヒントとして,どのような化石や遺跡が現在まで生き残りやすいかを考察する化石生成学 (taphonomy) という分野の知見を参考にしたい.例えば,人類化石の残りやすさ,残りにくさは,何によって決まると考えられるだろうか.ウッドは「人類化石記録の空白と偏在」と題する節 (73--75) で,次のように述べている.

 何十年間も,人類学者は,700?600万年前以降に生存した何千もの人類個体に由来する化石を集めてきた.この数は多いように思えるかもしれないが,大部分は現在に近い年代のものだ.この年代的な偏在のほかにも,人類化石にはさまざまな偏りがある.このような偏りが起こる機序を明らかにし,それを正そうとする学問は「化石生成学」とよばれる.歯や下顎骨あるいは四肢の大きな骨はよく残るが,椎骨,肋骨,骨盤,指の骨などは緻密性が薄く,容易に破損するので残りにくい.つまり,骨の残りやすさは大きさと頑丈さに比例する.椎骨のような軽い骨は雨による川の氾濫で流され,湖に運ばれ,サカナやワニの骨と一緒に化石になる.一方,重い頭骨や大腿骨は洪水で流され,川底の岩の間に引っかかって,ほかの陸生の大型動物の骨と一緒に化石になる.
 化石の残り方を左右するもう一つの要因は,捕食動物が死体のどの部分を好むかである.ヒョウはサルの手足を噛むのが好きなので,もし昔の絶滅した捕食動物も同じ習性があったのなら,人類化石の手足も発見されることが少ないはずである.実際,手足の化石はあまり産出しておらず,そのため歯の進化についてはよくわかっているが,手足の進化はよくわかっていない.身体の大きさも,化石が残るかどうかに影響する,身体の大きな種は化石として残りやすいし,同一種内でも身体の大きな個体は残りやすい.もちろん,このような偏りは人類化石にも該当する.
 ある環境では,ほかに比べ,骨が化石になりやすく,発見されやすい.したがって,ある年代やある地域に由来する化石が多いからといって,その年代あるいは地域に多くの個体が住んでいたとは限らない.その年代や地域の状況が,ほかに比べて化石化に適していた可能性があるのだ.同様に,ある年代や地域から人類化石が見つからなくても,そこに人類が住んでいなかったことにはならない.「証拠のないのは,存在しない証拠ではない」という格言もある.したがって,昔の種は,最古の化石が発見される年代より前に誕生し,最新の化石が発見される年代より後まで生存していたことになる.つまり,化石種の起源と絶滅の年代は実際に比べて常に控えめになる.
 同様の制限は化石発見遺跡の地理的分布にも当てはまる.人類は,化石が発見される遺跡より広範囲で生存していたはずだ.また,過去の環境は現在とは違っていたはずだ.現在では厳しい環境も過去には住みやすかったかもしれないし,逆もあり得る.さらに,骨や歯を化石として保存してくれる環境は決して多くはない.酸性の土壌では,骨も歯もめったに残らない.とくに森林環境では,湿度が高く土壌が酸性なので,化石は残らないと考えられてきた.しかし,最近では,必ずしもそうではないことが明らかになった.とはいえ,考古学者が石器と人骨を一緒に発見したいと願っても,たいてい人骨は溶けてしまい,石器しか発見できないのである.


 この問題は,ある語の初出した時期や廃語となった時期を巡る文献学上の問題とも関連するだろう.言語史研究における資料の問題については,「#1051. 英語史研究の対象となる資料 (1)」 ([2012-03-13-1]),「#1052. 英語史研究の対象となる資料 (2)」 ([2012-03-14-1]) を参照されたい.関連して,文字の発生についての考察も参考になる(「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#2389. 文字体系の起源と発達 (1)」([2015-11-11-1]),「#2457. 書写材料と書写道具 (2)」 ([2016-01-18-1]) を参照).

 ・ バーナード・ウッド(著),馬場 悠男(訳) 『人類の進化――拡散と絶滅の歴史を探る』 丸善出版,2014年.

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2016-12-05 Mon

#2779. コーパスは英語史研究に使えるけれども [hel_education][corpus][methodology][philology][representativeness]

 歴史言語学とコーパス使用とは相性がよいと言われる.例えば英語史で考えれば,歴史的なテキストは有限であるから,すべてを電子的に格納すれば,文字通り網羅的に調査することができる.従来の英語史記述研究も,電子的でこそなかったが,特定のテキスト群を調査対象としてきた点では,同じ「コーパス」研究だったという事情もある.現在では,ますます多くの研究者が電子コーパスとその関連ツールを用いて研究しているし,この潮流は間違いなく一層発展していくだろう.
 しかし,注意すべきこともある.英語コーパス言語学の入門書を著わしたリンドクヴィスト (197) が次のように述べている.

1990年以降,歴史言語学者にとってコーパスは非常に重要なツールとなりました.手作業で文献から用例を収集しなければならなかった一昔前よりも,かなり効率よく用例を捜し,傾向を探る手助けになります.とはいえ,歴史言語学では,現代言語のコーパスを使った研究以上に,元の文献に立ち返り,精査する必要があります(ただし古い時代では,その「元の文献」すら必ずしも原本ではなく複写であるかもしれず,さらにはその複写も,複数の写字生がときに自らの方言で改編して残したものの一つにすぎない可能性があります).こうした状況から,この種の歴史的なコーパス言語学は,ここ二,三百年の言語の研究とは性質を異にします.学生が古い時代の英語コーパス研究をしたいならば,英語史の授業との関連で行うのがよいでしょう.


 引用に述べられている通り,とりわけ古い時代の言語を対象とする場合には,注意を要する.現代の言語を扱うかのような前提のままでいると,数々の問題にぶつかるからだ.例えば,英語史でいえば,初期近代英語以前では綴字が安定していない.ある単語を検索しようとしても,標準的な綴字がないので,考え得る様々な異綴りで検索してみる必要がある.また,文法的なタグ付けがなされている場合にも,現代英語と古英語・中英語とでは文法範疇も異なっているし,屈折語尾の種類も相違しているので,検索するにあたって事前に古い文法の知識が必須となる.要するに,先に古い言語に習熟していることが求められるのである.
 さらに,引用で言及されている通り,「元の文献」の深い理解が不可欠であるにもかかわらず,コーパスを表面的に用いることに慣れてくると,得てして問題の深みに意識が向かなくなりがちだ.換言すれば,本文批評 (textual criticism) や文献学的なアプローチから疎遠になってしまう傾向がある.もちろん,コーパス自体が悪いというわけではなく,研究する者が,このことを意識的に自覚していればよいということではあるのだが,簡単ではない.
 もう1つ,電子コーパス時代ならずとも問題になるが,コーパスの代表性 (representativeness) の問題が常にある.古い言語の場合には,現在に伝わるテキストは偶然に生き残ってきたという致し方のない事情があり,代表性の問題はことさらに深い.
 古い時代の言語をコーパスで調査するということは,理論的にも実践的にも,一見するほどたやすくないということを理解しておきたい.関連して,以下の記事も参照.

 ・ 「#568. コーパスの定義と英語コーパス入門」 ([2010-11-16-1])
 ・ 「#363. 英語コーパス発展の3軸」 ([2010-04-25-1])
 ・ 「#368. コーパスは研究の可能性を広げた」 ([2010-04-30-1])
 ・ 「#1165. 英国でコーパス研究が盛んになった背景」 ([2012-07-05-1])
 ・ 「#307. コーパス利用の注意点」 ([2010-02-28-1])
 ・ 「#367. コーパス利用の注意点 (2)」 ([2010-04-29-1])
 ・ 「#1280. コーパスの代表性」 ([2012-10-28-1])
 ・ 「#2584. 歴史英語コーパスの代表性」 ([2016-05-24-1])

 ・ ハーンス・リンドクヴィスト(著),渡辺 秀樹・大森 文子・加野 まきみ・小塚 良孝(訳) 『英語コーパスを活用した言語研究』 大修館,2016年.

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2015-12-05 Sat

#2413. ethnomethodology [sociolinguistics][ethnography_of_speaking][anthropology][conversation_analysis][pragmatics][discourse_analysis][terminology][function_of_language][philology]

 標題の ethnomethodology (エスノメソドロジー)は,1967年にアメリカの社会学者 Harold Garfinkel の作り出した用語であり,言語コミュニケーションに関する社会学的なアプローチを指す.日常会話の基礎となる規範,しきたり,常識を探ることを目的とする.人類言語学 (anthropological linguistics),社会言語学 (sociolinguistics),会話分析 (conversation analysis),おしゃべりの民族誌学 (ethnography_of_speaking) などの領域と重なる部分があり,学際的な分野である.Trudgill の社会言語学用語辞典より,関連する4つの用語の解説を与えたい.

ethnomethodology A branch of sociology which has links with certain sorts of sociolinguistics such as conversation analysis because of its use of recorded conversational material as data. Most ethnomethodologists, however, are generally not interested in the language of conversation as such but rather in the content of what is said. They study not language or speech, but talk. In particular, they are interested in what is not said. They focus on the shared common-sense knowledge speakers have of their society which they can leave unstated in conversation because it is taken for granted by all participants.

ethnography of speaking A branch of sociolinguistics or anthropological linguistics particularly associated with the American scholar Dell Hymes. The ethnography of speaking studies the norms and rules for using language in social situations in different cultures and is thus clearly important for cross-cultural communication. The concept of communicative competence is a central one in the ethnography of speaking. Crucial topics include the study of who is allowed to speak to who --- and when; what types of language are to be used in different contexts; how to do things with language, such as make requests or tell jokes; how much indirectness it is normal to employ; how often it is usual to speak, and how much one should say; how long it is permitted to remain silent; and the use of formulaic language such as expressions used for greeting, leave-taking and thanking.

ethnography of communication A term identical in reference to ethnography of speaking, except that nonverbal communication is also included. For example, proxemics --- the study of factors such as how physically close to each other speakers may be, in different cultures, when communicating with one another --- could be discussed under this heading.

conversation analysis An area of sociolinguistics with links to ethnomethodology which analyses the structure and norms of conversation in face-to-face interaction. Conversation analysts look at aspects of conversation such as the relationship between questions and answers, or summonses and responses. They are also concerned with rules for conversational discourse, such as those involving turn-taking; with conversational devices such as discourse markers; and with norms for participating in conversation, such as the rules for interruption, for changing topic, for overlapping between one speaker and another, for remaining silent, for closing a conversation, and so on. In so far as norms for conversational interaction may vary from society to society, conversation analysis may also have links with cross-cultural communication and the ethnography of speaking. By some writers it is opposed to discourse analysis.


 ethnomethodology は,言語の機能 (function_of_language) という深遠な問題にも疑問を投げかける.というのは,ethnomethodology は,言語をコミュニケーションの道具としてだけではなく,世界を秩序づける道具としてもとらえるからだ.Wardhaugh (272) 曰く,"people use language not only to communicate in a variety of ways, but also to create a sense of order in everyday life."

 ・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
 ・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.

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2015-11-04 Wed

#2382. 英語地名学の難しさ [onomastics][toponymy][philology][etymology]

 固有名詞学 (onomastics) の一部をなす地名学 (toponymy) は,英語の世界でよく研究されてきた.英語地名学は当然ながら英語語源学とも関連が深いが,英語が歴史上様々な言語と接触してきた事実により,英語語源学が複雑であるのと同様に,英語地名学も難解である.同じ場所を指示する名称のはずだが,時代によって異なる言語の音韻形態的特徴を反映するなどし,通時的な同一性を確認する文献学的な作業が厄介なのである.英語のみならず関係する諸言語の語源学,音韻形態論,綴字習慣など,多くの学際的な知識を総動員して初めて同一性が可能となる.
 この英語地名学の難しさについて,Coates (338--39) は次のように表現している.

[E]xplaining many English names is a delicate exercise in philology, as the elements which make them up have to be identified in one of a number of languages. The tradition of writing in England stretches back more than 1,300 years, and phonetic and orthographic evolution have not always been in step with each other. In addition, there is a radical discontinuity in the written record. Before 1066, the record contains many place-names formulated in interpretable OE, the native language of most of those engaged in writing, though Latin was also a language of record. After 1066, a bureaucracy was installed where, irrespective of the writers' native language, Latin and French were the languages of record; the scribal practices adopted were in part those used for Latin, but otherwise those originally applied in the writing of French late in the first millennium. These did not sit easily with the phonology of English, and there was a period where the recorded names may be hard to interpret, i.e. to assign to known places. By the thirteenth century, those who applied the conventions were again producing passable renderings of the phonology of English names, and they often begin to show affinity with the forms current now. Until the fifteenth century, they are often still in French or Latin texts and influenced to some degree by that context, e.g. by being formed and spelt in a way suitable for declension in Latin (normally first-declension feminine --- Exonia for Exeter, for instance, or more mechanically the twelfth-century Stouenesbia for Stonesby (Lei)); administrative writing in English belongs only to the period since Henry V set the tone for the use of English in chancery.


 このような事情で,例えば古英語のある地名が,中英語で大きく異なる綴字で現われているようなケースで,果たしてこれを同一視してよいのか,その確認のために文献学的な作業が必要となる.具体例を挙げれば,早くも695年に記録されている Gislheresuuyrth は,現在の Isleworth (Mx) と同一指示対象と考えられているが,この同一視は一目瞭然というわけではない.
 また,あるアングロサクソン地名が,ほぼ間違いなく古英語期に使用されていたと考えてよいにもかかわらず,文献上は Domesday Book で初めて記録に現われるというケースもある.一般に歴史言語学の宿命ではあるが,地名として実在していた時期と文献上に現われる時期とがおおいに異なっているという事態は,とりわけ地名学の場合には日常茶飯事だろう.ここから,地名学は独自のアプローチをもたざるを得ず,独立した1つの学問分野を形成することになる.

 ・ Coates, Richard. "Names." Chapter 6 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 312--51.

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2014-10-18 Sat

#2000. 歴史語用論の分類と課題 [historical_pragmatics][pragmatics][history_of_linguistics][philology][onomasiology]

 「#545. 歴史語用論」 ([2010-10-24-1]),「#1991. 歴史語用論の発展の背景にある言語学の "paradigm shift"」 ([2014-10-09-1]) で,近年の歴史語用論 (historical_pragmatics) の発展を話題にした.今回は,芽生え始めている歴史語用論の枠組みについて Jucker に拠りながら略述する.まずは,Jucker (110) による歴史語用論の定義から([2010-10-24-1]に挙げた Taavitsainen and Fitzmaurice による定義も参照).

Historical pragmatics (HP) is a field of study that investigates pragmatic aspects in the history of specific languages. It studies various aspects of language use at earlier stages in the development of a language; it studies the diachronic development of language use; and it studies the pragmatic motivations for language change.


 一見すると雑多な話題,従来の主流派言語学からは「ゴミ」とすら見られてきたような話題を,歴史的に扱う分野ということになる.歴史言語学は,研究者の関心や力点の置き方にしたがって,方向性が大きく2つに分かれるとされる (Jucker 110--11) .Jacobs and Jucker の分類によれば,次の通り.

 (1) pragmaphilology
 (2) diachronic pragmatics
   a) diachronic form-to-function mapping
   b) diachronic function-to-form mapping

 まず,歴史語用論の「歴史」のとらえ方により,過去のある時代を共時的にみるか (pragmaphilology) ,あるいは時間軸に沿った発達を,つまり通時的な発展をみるか (diachronic pragmatics) に分けられる.後者はさらに,ある形態を固定してその機能の通時的な変化をみるか (diachronic form-to-function mapping),逆に機能を固定して対応する形態の通時的な変化をみるか (diachronic function-to-form mapping) に分けられる(記号論的には semasiology と onomasiology の対立に相当する).
 上記の Jacobs and Jucker の分類と名付けは,Huang が "European Continental view" あるいは "perspective view" と呼ぶ語用論のとらえ方を反映している.そこでは,語用論は,言語能力を構成する部門の1つとしてではなく,言語行動のあらゆる側面に関与するコミュニケーション機能として広く解されている.この流れを汲む歴史語用論は,文献学的な色彩が強い.
 一方,Huang が "Anglo-American view" あるいは "component view" と呼ぶ語用論のとらえ方がある.そこでは,語用論は,音声学,音韻論,形態論,統語論,意味論と同等の資格で言語能力を構成する1部門であると狭い意味に解される.この語用論の見方に基づいた歴史語用論の下位分類として,Brinton のものを挙げよう.ここでは,歴史語用論は,言語学的な色彩が強い.

 (1) historical discourse analysis proper
 (2) diachronically oriented discourse analysis
 (3) discourse oriented historical linguistics

 (1) は,過去のある時代における共時的な談話分析で,Jacobs and Jucker の pragmaphilology に近似する.(2) は,談話の経時的変化を観察する通時談話分析である.(3) は,談話という観点から意味変化や統語変化などの言語変化を説明しようとする立場である.
 上に述べてきたように,歴史語用論にも種々のレベルでスタンスの違いはあるが,全体としては統一感をもった学問分野として成長してきているようだ.逆にいえば,歴史語用論は学際的な色彩が強く,多かれ少なかれ他領域との連携が前提とされている分野ともいえる.特に European Continental view によれば,歴史語用論は伝統的な文献学とも親和性が高く,従来蓄積されてきた知見を生かしながら発展していくことができる点で魅力がある.
 しかし,発展途上の分野であるだけに,課題も少なくない.Jucker (18) は,いくつかを指摘している.

 ・ 学問分野としてまだ若く,従来の分野の方法論と競合するレベルに至っていない
 ・ 欧米の主要言語や日本語を除けば,他の言語への応用がひろがっていない
 ・ 研究の基礎となる,ある言語の歴史的な speech_act の一覧や discourse types/genres の一覧などがまだ準備されていない
 ・ 研究の基礎となる,"the larger communicative situation of earlier periods" が依然として不明であることが多い

 歴史語用論は,有望ではあるが,まだ緒に就いたばかりの分野である.
 語用論に関する European Continental view と Anglo-American view の対立については,「#377. 英語史で話題となりうる分野」 ([2010-05-09-1]),「#378. 語用論は言語理論の基本構成部門か否か」 ([2010-05-10-1]) も参照.

 ・ Jucker, Andreas H. "Historical Pragmatics." Variation and Change. Ed. Mirjam Fried et al. Amsterdam: Benjamins, 2010. 110--22.
 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2012-06-07 Thu

#1137. prophet の原義と文献学 [etymology][greek][philology]

 prophet には,「預言者」および「予言者」の両方の意味がある.その語源は,ギリシア語 prophḗtēs に遡り,pro- "before, forth" + -phḗtēs "sayer" という語形成である.後半要素は,動詞 phēmí "I say" に基づく派生名詞であり,つまるところ prophet の原義は "one who speaks before/forth" 辺りであると想像される.
 だが,pro- に割り当てられた2つの現代英語訳語 "before" と "forth" とでは,全体の解釈が異なってくる."before" をとれば「前もって言い当てる人」となり,「予言者」に等しい,"forth" をとれば「公言(公表)する人」となり,むしろ「預言者」に近い.預言はたいてい予言でもあるので,両者の語義は近く,原義がいずれであったかを定めること難しい問題である.ところが,ギリシア語には動詞 prophēmi があり,そこでの意味は「予言する」である.とすると,prophḗtēs は,この動詞から派生した名詞であると考えるのが妥当であり,その原義は対応する「予言」に違いない,と考えられる.
 しかし,ここからが文献学の出番である.Fortson (7) によれば,テキストからの証拠に従うと,名詞 prophḗtēs は動詞 prophēmi よりも700年も前に現われるのである.また,pro- をもつ他の語を調べると,この接頭辞の原義は "before" ではなく,"before" の語義の発達は prophḗtēs の出現の後の出来事らしいことがわかってくる.このように見ると,本来 prophḗtēs とは "one who speaks forth or announces the will of the gods" の意であり,"one who foretells the future" の意は後世の発達であると結論づけることができる.語の原義や意味の発達を正確に跡づけるために,文献学的な様々の証拠を援用する必要があることを教えてくれる好例だろう.
 なお,接頭辞 pro- については,[2011-03-23-1]の記事「#695. 語根 fer」を参照.

 ・ Fortson IV, Benjamin W. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Malden, MA: Blackwell, 2004.

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2011-01-25 Tue

#638. 国家的事業としての OED 編纂 [oed][philology]

 [2010-02-25-1]の記事で OED 制作プロジェクトについて触れた.そこでは,1857年の時点で英語世界に存在した英語辞書のもつ数々の問題点が,新しい本格辞書の編纂の動機づけとなったことを述べた.しかし,当時の大陸ヨーロッパ,特にドイツとフランスにおける文献学のめざましい業績を考慮に入れると,イギリスにおける OED 編纂の背景には,イギリス文献学界の焦燥感,もっと言えば文献学の名を借りた愛国主義があったのである.
 19世紀にヨーロッパで隆盛した比較言語学を支えていたのは主にドイツ人だった.その最新の比較言語学の成果を反映して,グリム兄弟 ( Jacob and Wilhelm Grimm ) は1838年,後に高評を得ることになるドイツ語辞典 Deutches Wörterbuch の編纂を開始していた(第1巻は1852年に出版され,全32巻の完成はなんと1961年のこと).フランスでも,Paul-Émile Littré が1844年にフランス語辞典 Dictionnaire de la langue française を開始していた(1863--1873年にかけて4巻が出版された).大陸ヨーロッパにおけるこの2つの偉業を目の当たりにして,イギリス文献学の関係者は完全に焦っていた.例えば,The Philological Society の会長だった Richard Morris は1875年の会長講演で,この60年間イギリスは独立した研究によって比較言語学の進展にほとんど貢献することができなかったと嘆いている.その次期会長を務めた Henry Sweet も1877年に同様の趣旨でイギリス文献学の出遅れを憂慮した.
 OED の編集主幹 James Murray もそのようなイギリス文献学の焦燥感を共有していたが,新しい辞書を作るのに拙速は慎むべきだとの強い意見をもっていた.ドイツとフランスの偉業を見て,イギリスの新辞書はより完璧でなければならないと,野心的なライバル意識を燃やしていた.大陸のライバルに単に追いつこうとするのではなく,追い越そうと遠望していたのである.実際,イギリス内でもそのような期待が抱かれていた.オックスフォード大学の Max Müller (比較言語学をイギリスに根付かせることに貢献したドイツ人学者)は,1878年に OED の編纂に対して熱い期待を寄せた.

In an undertaking of such magnitude, in which one might almost say that the national honour of England is engaged, no effort should be spared to make the work as perfect as possible, and at all events no unworthy rival of the French Dictionary lately published by Littré, or the German Dictionary undertaken by the Brothers Grimm. (qtd in Mugglestone, p. 5)


 OED の編纂に直接イギリスという国が国家的に参与したということはない.しかし,少なくとも文献学者にとっては OED 編纂は国の威信をかけた大事業だったのである.OED のページを繰るたびに,編纂者の勤勉さ,いや狂気ともいうべき凄みを感じる.そこには単なる学問的な関心以上の何かがあると考えざるを得ない.それが愛国心なのだろうと思うと,すえ恐ろしい気もする.

 ・ Mugglestone, Linda. "'Pioneers in the Untrodden Forest': The New English Dictionary." Lexicography and the OED: Pioneers in the Untrodden Forest. Ed. Lynda Mugglestone. Oxford: OUP, 2000. 1--21.

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2010-10-21 Thu

#542. 文学,言語学,文献学 [philology][pragmatics][linguistics][literature]

 文学 ( literature ) と言語学 ( linguistics ) のあいだの距離が開いてきたということは,すでに言われるようになって久しい.また,文献学 ( philology ) が20世紀後半より衰退してきていることも,随所で聞かれる.この2点は,広く世界的にも英語の領域に限っても等しく認められるのではないか.もちろん両者は互いに深く関係している.
 Fitzmaurice (267--70) がこの状況を簡潔に記しているので,まとめておきたい.

(1) 20世紀後半より,言語学は文学テクストを不自然な言葉として避けるようになった.
(2) 一方で文学は理論的な方法論を追究し,言葉そのものへの関心からは離れる傾向にあった.例えば現在の英文学の主流に新歴史主義 ( new historicism ) があるが,その基礎は英語史の知見にあるというよりは人類学の発展にある.
(3) 言語学は,逸話よりも数値を重視する方向で進んできた.
(4) 一方で文学は,数値よりも逸話を重視する方向で進んできた.

 このように文学と言語学が両極化の道を歩んできたことは,当然その間に位置づけられる文献学の衰退にもつながってくる.文学と言語学の方法論をバランスよく取り入れた文献学的な研究というものが一つの目指すべき理想なのだろうが,それが難しくなってきている.もっとも,この10年くらいは上記の認識が各所で危惧をもって表明されるようになり,文学と言語学を近づけ,文献学に新たな息を吹き込むような新たな試みが出始めてきている.近年の歴史語用論 ( historical pragmatics ) の盛り上がりも,その新たな試みの一つの現われと考えられるだろう.

 ・ Fitzmaurice, James. "Historical Linguistics, Literary Interpretation, and the Romances of Margaret Cavendish." Methods in Historical Pragmatics. Ed. Susan Fitzmaurice and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 2007. 267--84.

Referrer (Inside): [2019-08-22-1]

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