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periodisation - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-12-23 11:02

2018-04-09 Mon

#3269. Blake の英語史時代区分の第2期 [periodisation][norman_conquest][grapheme][ab_language][ormulum][standardisation]

 「#3231. 標準語に軸足をおいた Blake の英語史時代区分」 ([2018-03-02-1]) で紹介したように,Blake による英語史時代区分は,徹頭徹尾,標準化という観点からなされた区分である.一般的な英語史の時代区分に慣れていると,おやと思うところがいくつかあるが,とりわけノルマン征服 (norman_conquest) に一顧だにせず,1066年という点をさらりと乗り越えていくかのような第2期(9世紀後半?1250年)の設定には驚くのではないか.ノルマン征服といえば,通常,英語史上およびイングランド史上最大の事件として扱われるが,Blake の見解によると,あくまで第2期の内部での事件という位置づけだ.
 Blake によれば,第2期はウェストサクソン方言の書き言葉標準が影響力をもった時代とされる.しかし,ノルマン征服によってウェストサクソンの書き言葉標準は無に帰したのではなかったか.また,「#2712. 初期中英語の個性的な綴り手たち」 ([2016-09-29-1]) で取り上げたように,1250年までに局所的ではあれ,AB language, Orm, Laȝamon において標準語に準ずる類の一貫した綴字習慣が発達しており,これらは来たるべき新しい時代の到来を予感させるという意味で,むしろ第3期に接近しているととらえるべきではないか.
 しかし,ノルマン征服後,12世紀後半から13世紀にかけて見られるこれらの限定的な「標準的」綴字は,Blake によれば,あくまで後期古英語のウェストサクソン標準語に起源をもつものであり,そこからの改変形・発展形ととらえるべきだという.確かに少なからぬ改変が加えられており,独自の発展も遂げているかもしれないが,かつての標準語の流れを汲んでいるという意味で,その本質は回顧的なものであるとみている.
 この回顧的な性質を保っていた,第2期の最後のテキストの1つは,1258年の「#2561. The Proclamation of Henry III」 ([2016-05-01-1]) だろう.ここではかつての標準語の名残が見られるといわれ,その最も分かりやすい例が <æ> の使用である.Blake (135) によれば,古英語の流れを汲んだ <æ> の英語史上最後の使用例だという.
 この辺りの年代を超えると,回顧的な雰囲気は消え,明らかに新しい次の時代,つまり標準語という概念がない時代へと入っていく.Blake (131) 曰く,

From now on there were no further attempts to create a standard English writing system which could be said to look back to that found earlier, and Old English manuscripts ceased to be living texts which were copied and recopied. A period of uncertainty as to writing in English succeeded, and when a new standard started to arise it would be based on different premises and a different dialect area.


 ・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.

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2018-03-02 Fri

#3231. 標準語に軸足をおいた Blake の英語史時代区分 [standardisation][periodisation][historiography][chancery_standard][prescriptive_grammar][prescriptivism][romanticism]

 Blake の英語史書は,英語の標準化 (standardisation) と標準英語の形成という問題に焦点を合わせた優れた英語史概説である.とりわけ注目すべきは,従来のものとは大きく異なる英語史の時代区分法 (periodisation) である.英語史の研究史において,これまでも様々な時代区分が提案されてきたが,Blake のそれは一貫して標準語に軸足をおく社会言語学的な観点からの提案であり,目が覚めるような新鮮さがある (Blake, Chapter 1) .7期に分けている.以下に,コメントともに記そう.

 (1) アルフレッド大王以前の時代 (?9世紀後半):標準的な変種が存在せず,様々な変種が並立していた時代
 (2) 9世紀後半?1250年:ウェストサクソン方言の書き言葉標準が影響力をもった時代
 (3) 1250年?1400年:標準語という概念がない時代;標準語のある時代に挟まれた "the Interregnum"
 (4) 1400年?1660年:標準語の書き言葉(とりわけ綴字と語彙のレベルにおいて)が確立していく時代
 (5) 1660年?1798年:標準語の統制の時代
 (6) 1798年?1914年:諸変種や方言的多様性が意識された時代
 (7) 1914年?:英語の分裂と不確かさに特徴づけられる時代

 (1) アルフレッド大王以前の時代 (?9世紀後半) は,英語が英語として1つの単位として見られていたというよりも,英語の諸変種が肩を並べる集合体と見られていた時代である.したがって,1つの標準語という発想は存在しない.
 (2) アルフレッド大王の時代以降,とりわけ10--11世紀にかけてウェストサクソン方言が古英語の書き言葉の標準語としての地位を得た.1066年のノルマン征服は確かに英語の社会的地位をおとしめたが,ウェストサクソン標準語は英語世界の片隅で細々と生き続け,1250年頃まで影響力を残した.少なくとも,それを模して英語を書こうとする書き手たちは存在していた.英語史上,初めて標準語が成立した時代として重要である.
 (3) 初めての標準語が影響力を失い,次なる標準語が現われるまでの空位期間 (the Interregnum) .諸変種が林立し,1つの標準語がない時代.
 (4) 英語史上2度目の書き言葉の標準語が現われ,定着していく時代.15世紀前半の Chancery Standard が母体(の一部)であると考えられる.しかし,いまだ制定や統制という発想は稀薄である.
 (5) いわゆる規範主義の時代.辞書や文法書が多く著わされ,標準語の統制が目指された時代.区切り年代は,王政復古 (Restoration) の1660年と,ロマン主義の先駆けとなる Wordsworth and Coleridge による Lyrical Ballads が出版された1798年.いずれも象徴的な年代ではあるが,確かに間に挟まれた時代は「統制」「抑制」「束縛」といったキーワードが似合う時代である.
 (6) Lyrical Ballads から第1次世界大戦 (1914) までの時代.前代の縛りつけからある程度自由になり,諸変種への関心が高まり,標準語を相対化して見るようになった時代.一方,前代からの規範主義がいまだ幅を利かせていたのも事実.
 (7) 第1次世界大戦から現在までの時代.英語が世界化しながら分裂し,先行き不透明な状況,"fragmentation and uncertainty" (Blake 15) に特徴づけられる時代.

 伝統的な「古英語」「中英語」「近代英語」の区分をさらりと乗り越えていく視点が心地よい.

 ・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.

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2017-11-28 Tue

#3137. 日本語史の時代区分 (2) [periodisation][japanese]

 日本語史の時代区分について,「#1525. 日本語史の時代区分」 ([2013-06-30-1]),「#1526. 英語と日本語の語彙史対照表」 ([2013-07-01-1]),「#2669. 英語と日本語の文法史の潮流」 ([2016-08-17-1]) で紹介したが,今回は沖森 (16) による複数の区分法をみてみよう.

二分法 古代 近代
三分法 古代 中世 近代
四分法 古代 中世 近世 近代
五分法 上代 中古 中世 近世 近代
六分法 古代前期 古代後期 中世前期 中世後期 近世 近代
七分法 古代前期 古代後期 中世前期 中世後期 近世前期 近世後期 近代
八分法 古墳時代,飛鳥時代,奈良時代 平安時代 院政・鎌倉時代 室町時代 江戸時代 明治時代


 採用する時代区分の違いは,日本語史をどうとらえるかによる.二分法は,古典語が成立して崩壊する「古代」と,現代語が成立する「近代」とに分ける,大きな潮流に重点を置く立場である.三分法はその過渡期として「中世」を想定する.これは西洋史における三区分主義を模倣したものといってよいだろう(「#232. 英語史の時代区分の歴史 (1)」 ([2009-12-15-1]) を参照).四分法も三区分法の流れを汲むといってよく,現在までに長くなりすぎた「近代」を「近世」と「近代」に再編成したものである.五分法は日本文学史でよく用いられる区分である.六分法と七分法は,四分法をもとに接頭辞「前」「後」を付したもので,きめ細かに日本語史をみる際に有用である.
 言語史における時代区分について,periodisation の各記事で論じてきたが,どんな区分法であれ本質的には恣意的である.あくまで参照の便を図るための道具立てだ.しかし,道具立てとして採用する以上は,その時々の目的に照らして最も役立つものを選ぶべきだろう.それゆえ,各時代区分の特徴を知っておくことは重要である.

 ・ 沖森 卓也 『日本語全史』 筑摩書房〈ちくま新書〉,2017年.

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2017-07-08 Sat

#2994. 後期近代英語期はいつからいつまでか? [lmode][periodisation][sociolinguistics][history]

 昨日の記事「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で,近年の後期近代英語研究の興隆について紹介した.後期近代英語 (Late Modern English) とは,いつからいつまでを指すのかという問題は,英語史あるいは言語史一般における時代区分 (periodisation) という歴史哲学的な問題に直結しており,究極的な答えを与えることはできない(比較的最近では「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]),「#2774. 時代区分について議論してみた」 ([2016-11-30-1]),「#2960. 歴史研究における時代区分の意義」 ([2017-06-04-1]) で議論したので参照).
 ややこしい問題を抜きにすれば,後期近代英語期は1700--1900年の時期,すなわち18--19世紀を指すと考えてよい.もちろん,1700年や1900年という区切りのわかりやすさは,時代区分の恣意性を示しているものと解釈すべきである.ここに社会史に沿った観点から細かい修正を施せば,英国史における「長い18世紀」と「長い19世紀」を加味して,後期近代とは王政復古の1660年から第1次世界大戦終了の1918年までの期間を指すものと捉えるのも妥当かもしれない.特に社会史と言語史の密接な関係に注目する歴史社会言語学の立場からは,この「長い後期近代英語期」の解釈は,適切だろう.Beal (2) の説明を引く.

Of course, it would be foolish to suggest that any such period could be homogeneous or that the boundaries would not be fuzzy. The starting-point of 1700 is particularly arbitrary, especially since . . . the obvious political turning-point which might mark the Early/Later Modern English boundary is the restoration of the monarchy in 1660. This coincides with the view of historians that the 'long' eighteenth century extends roughly from the restoration of the English monarchy (1660) to the fall of Napoleon (1815). On the other hand, the 'long' nineteenth-century in European history is generally acknowledged as beginning with . . . 'the great bourgeois French Revolution' of 1789 . . . and concluding with the end of World War I in 1918 . . . .


 終点をさらに少しく延ばして第2次世界大戦の終了の1945年にまで押し下げて,「非常に長い後期近代英語期」を考えることもできるかもしれない.このように見てくると,この約3世紀に及ぶ期間が,いまや世界的な言語である英語の歴史を論じるにあたって,極めて重要な時代であることは自明のように思われる.しかし,この時期に本格的な焦点が当たり始めたのは,今世紀に入ってからなのである.

 ・ Beal, Joan C. English in Modern Times: 1700--1945. Arnold: OUP, 2004.

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2017-06-05 Mon

#2961. ルネサンスではなく中世こそがラテン語かぶれの時代? [renaissance][emode][loan_word][latin][inkhorn_term][periodisation]

 英語史では,初期近代英語期,つまり文化でいうところのルネサンス期は,大量のラテン語彙が借用された時代として特徴づけられている.当時のインク壺語 (inkhorn_term) を巡る論争は本ブログでも多く取り上げきたし,まさに「ラテン語かぶれ」の時代だったことに何度も言及してきた.
 しかし,昨日の記事「#2960. 歴史研究における時代区分の意義」 ([2017-06-04-1]) で参照した西洋中世史家のル・ゴフは,むしろ中世のほうがラテン語かぶれしていたという趣旨の議論を展開している.以下,関連箇所 (104--05) を引用する.

やはり古代ローマの延長線上で,中世は言語に関するある大きな進歩をとげる.聖職者と世俗エリートの言語であったラテン語が,キリスト教化されたあらゆる地域に広められたのである.古典ラテン語からみれば変化していたものの,このラテン語はヨーロッパの言語的統一を基礎づけ,この統一は十二・十三世紀よりあとでさえも残ったのである.しかしこの頃,社会の最下層の日常生活で,時代にそぐわないこのラテン語に代わり,たとえばフランス語のような俗語が用いられるようになる.中世は,ルネサンスよりもはるかに「ラテン語」時代なのだ.


 中世こそがラテン語かぶれの時代であるという主張は,一見矛盾する物言いにも聞こえるが,ここでは「ラテン語」「かぶれ」の意味が異なっている.中世において,「ラテン語」とは古典ラテン語というよりは,主として中世ラテン語,あるいは俗ラテン語である.また,中世では,知識階級が意識的にラテン語に「かぶれ」ていたというよりは,むしろキリスト教化した地域が風景の一部としてラテン語を取り込んでいたという意味において「かぶれ」方が自然だったということだ.
 別の角度からこの問題を考えれば,「ラテン語」「かぶれ」の解釈の違いをあえて等閑に付しさえすれば,みかけの矛盾は解消され,中世もルネサンスもともに「ラテン語かぶれ」の時代と言いうる,ということになる.これは,両時代の間に断絶ではなく連続性をみる方法の1つだろう.
 ひるがって英語史に話を戻そう.ラテン単語の借用は,確かに初期近代英語期に固有の特徴などではなく,中英語期にも,古英語期にも,古英語以前の時期にも見られた.さらに言えば,後期近代英語でも現代英語でも見られるのである(「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1]) を参照).時代によって,ラテン語彙借用の質,量,文脈はそれぞれ異なることは確かだが,これらを合わせて英語史に通底する一貫した流れとみなし,伝統の連続性を見出すことは,まったく可能であるし,意義がある.
 各時代のラテン語彙借用については,以下の記事を参照.

 ・ 「#1437. 古英語期以前に借用されたラテン語の例」 ([2013-04-03-1])
 ・ 「#1945. 古英語期以前のラテン語借用の時代別分類」 ([2014-08-24-1])
 ・ 「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1])
 ・ 「#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語」 ([2009-08-25-1])
 ・ 「#1211. 中英語のラテン借用語の一覧」 ([2012-08-20-1])
 ・ 「#478. 初期近代英語期に湯水のように借りられては捨てられたラテン語」 ([2010-08-18-1])
 ・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
 ・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])

 ・ ジャック・ル=ゴフ(著),菅沼 潤(訳) 『時代区分は本当に必要か?』 藤原書店,2016年.

Referrer (Inside): [2019-02-16-1]

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2017-06-04 Sun

#2960. 歴史研究における時代区分の意義 [periodisation][renaissance][historiography]

 英語史,あるいは一般に個別言語史の時代区分の問題について,periodisation の記事で考察してきた.この問題に迫るには,さらに一般的な意味における歴史の時代区分について考えなければならない.その参考とすべく,ル=ゴフ(著)『時代区分は本当に必要か?』を読んだ.
 著者は,西洋史においてルネサンスとは,中世の次に来る新時代と理解すべきではなく,18世紀半ばまで続く長い中世の最終期を飾る出来事にすぎないとし,従来の時代区分の見直しを迫っている.それによると,西洋の近代は18世紀半ばから始まることになる.また,昨今のグローバル化を適切に取り込んだ新しい歴史の時代区分が必要だとも主張している.著者は,時代区分とは,本来は区切り得ない連続体としての時間を何とか区切ってとらえるために積極的に利用すべき道具であり,その道具は柔軟でなければならない,という立場を取っている.以下,ル・ゴフからの引用集.

この言葉〔=「時代区分」〕が示すのは人間が時間に対して働きかける行為であり,その区切りが中立ではないという事実が強調されている.本書では,人間が時間を時代に区切った際のさまざまな理由を明らかにしていく.その理由がどの程度あからさまで,はっきり自認されたものかは場合によるが,しばしばそこには,彼らが時代に与える意味と価値を浮き彫りにするような定義が添えられている.
 時間を時代に区切ることが歴史にとって必要であるのは,歴史を,社会の進化の研究,または特殊なタイプの知や,あるいはまた単なる時間の推移という,一般的意味でとらえる場合である.だがこの区切りは,単に時間的順序をあらわすものではない.そこには同時に,移行や転換があるという考え,それどころか前の時代の社会や価値観の否定さえもが表現されているのだ.したがって時代には特別な意味がある.時代の推移そのもの,あるいはその推移が想像させる時間的連続やその逆に切断がもたらす問題において,時代は歴史家の重要な問いなおしの対象となっているのである. (12--13)


時代区分は,時間をわがものとするための,いやむしろ時間を利用するための助けになるが,ときにはそこから過去の評価にまつわるさまざまな問題が浮かびあがる.歴史を時代に区分けするということは,複雑な行為である.そこには主観性と,なるべく多くの人に受け入れられる結果を生み出そうとする努力とが,同時に込められている.これはたいへんに面白い歴史の研究対象であると私は思う. (15)


時代区分は人為であり,それゆえ自然でもなければ,永久不変でもない.歴史そのものの移り変わりとともに,時代区分も変わる.そういう意味で,時代区分の有用性には二つの側面がある.時代区分は過去の時間をよりよく支配するのに役立つが,また,人間の知が獲得したこの歴史という道具のもろさを浮き彫りにもしてくれるのである. (36)


文化がグローバル化し西洋が中心的地位を失ったいま,歴史の時代区分の原則は今日問題視されるようになっているが,時代区分は歴史家にとって必要な道具だということを,私は示したいと思っている.ただ,時代区分はより柔軟に用いなければならない.人が「歴史の時代区分」をはじめて以来欠けていたのは,その柔軟さなのだ. (100--01)


歴史の時代区分を保つことは可能であり,私は保たなければいけないのだと思う.現在の歴史思想を貫いている二つの大きな潮流,長期持続の歴史とグローバル化(後者はおもにアメリカのワールドヒストリーから生まれている)は,どちらも時代区分の使用をさまたげるものではない.くりかえして言うが,計られない持続と計られる時間は共存している.時代区分は,限られた文明領域にしか適用することができない.グローバル化とは,そのあとにこれらのまとまりのあいだの関係を見つけることなのだ.
 じっさい歴史家は,よくあることだが,グローバル化と画一化を混同してはならないのだ.グローバル化には二つの段階がある.まずは互いに知らない地域や文明のあいだにコミュニケーションが生じ,関係が確立される.つづいて,吸収され溶解していく現象が起こる.今日まで人類が体験したのは,このうちの第一段階のみである.
 このように時代区分は,今日の歴史家の研究と考察がくりひろげられる重大な一分野になっている.時代区分のおかげで,人類がどんなふうに組織され進化していくのかが明らかになるのである.持続のなかで,時のなかで. (187--88)


 英語史の時代区分を念頭に置きつつ,私も時代区分とはあくまで便利な道具であり,時と場合によって柔軟に変更すべきものと考えている.だからといって,時代区分の価値を認めていないわけではまったくなく,むしろ歴史の把握と記述のために慎重に用いるべき装置だろう.リンガ・フランカとしてグローバル化する英語という言語の歴史を研究するにあたって,その時代区分の意義は,真剣に考えておく必要があると思う.
 英語史の時代区分を巡る一般的な問題については,とりわけ「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]),「#2774. 時代区分について議論してみた」 ([2016-11-30-1]) を参照されたい.

 ・ ジャック・ル=ゴフ(著),菅沼 潤(訳) 『時代区分は本当に必要か?』 藤原書店,2016年.

Referrer (Inside): [2017-07-08-1] [2017-06-05-1]

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2016-11-30 Wed

#2774. 時代区分について議論してみた [periodisation][hel_education][historiography]

 英語史の時代区分について,本ブログでは periodisation のいくつかの記事で論じてきた.この問題は,英語史に限らず一般に○○史を扱う際には,最重要の問題だと思っている.歴史家にとって,時代の区分数,区分名,区分幅,区分点,区分法は,自らの歴史観を最も端的に提示する機会であり手段であるからだ.また,時代区分を下手に理解してしまうと,「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]) で論じたように,得るところよりも失うところが多いことにもなりかねない.この問題については,一度ゼミなどで議論してみたいと思っていたが,先日,1コマ時間を割いて,それを実践してみた.英語史や○○史の時代区分について一般的にいわれていることを概説した上で,時代区分を設けることの長所と短所を自由に議論してもらった.その結果のいくつかを簡単に箇条書きしておこう.

[ 時代区分の良い点 ]

 ・ 学習者にとっては,区分ごとに学んでいけばよいので学びやすい
 ・ ある時点や時期を参照するのに名前がついていると便利
 ・ 複数の時期を比較するのに便利
 ・ 時代につけられた名前により時代の典型的なイメージが喚起される
 ・ 適切な区分数で区切られていると何かと扱いやすい

[ 時代区分の問題点 ]

 ・ 時代間の連続性がつかみにくくなる
 ・ 区分数,区分幅,区分名などに恣意性が感じられる
 ・ 区切りの年だけが注目され,その他の年は平凡で平穏なものとしてとらえられる傾向が生じる
 ・ ある区分の時代の内部では,何も変化が起こっていないような印象を与えてしまう
 ・ 時代につけられた名前により喚起されるイメージとは異なる歴史的事件が起こった場合,それをその時代に典型的でない不自然な出来事ととらえる視点が形成されてしまう

 他にもいろいろあったが,とりあえず重要なものを列挙してみた.時代区分の便利な点を一言でいえば,特定の時点・時期を参照するのにたいへん優れているということだ.しかも,その時代に,その時代を象徴・代表する適切な名前をつけることによって,典型的なイメージが喚起されやすい.この点では,単に「○○世紀」や「紀元前○○年」というような数字による参照よりも,格段に優れている(ただし,そのかわりに参照の時間的正確さは少々犠牲となる).
 時代区分の問題点について最も重要なのは,ある時代区分により各時代に幅と名前が与えられると,各時代の内部に生じているはずの諸々の出来事が一緒くたにまとめられてしまい,あたかも変化の乏しい平坦な時間が流れているかのような錯覚が引き起こされることだ.逆に,時代区分の境目の年代には,突如として大きな変化が生じたかのような錯覚が生じがちだ.だが,実際には,歴史における変化は,程度の差こそあれ緩やかなスロープであることが多いのである.本来はスロープなのに,時代区分を設けることで,あたかも階段であるかのように錯覚してしまうという点で,問題である (「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) を参照).歴史記述の観点からいえば,歴史的断続を主張したいときには,時代区分とそれに与える名前を工夫することでその目的を達成できるということであり,歴史的連続性を強調したいときには,時代区分はむしろ邪魔となることすらあるということである.
 この問題については,今後も考察していきたい.

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2016-11-26 Sat

#2770. 『金・銀・銅の日本史』と英語史 [periodisation][history]

 村上隆(著)『金・銀・銅の日本史』を読んだ.ある特定の切り口による○○史というものは,一般の政治史とは異なる発想が得られることが多く,英語史や言語史を再考する上で参考になる.日本における金属の歴史は,村上 (v--vi) によれば,端的に次のように要約される.

日本において,本格的に金属が登場するのは,弥生時代までさかのぼる.日本では,長く見積もっても金属はたかだが二五〇〇年程度の歴史しか持たない.しかも,自らの文化的な発達過程で自然発生的に生み出されたものではないから,その変遷は他国とは異なり個性的である.〔中略〕当初は中国大陸や朝鮮半島から渡ってきた人たちの世話になりながら,技術の移転と定着を実現し,長い年月をかけて独り立ちに至る.そして,やがて近世を迎える頃には,汎世界的に見ても,人類が獲得した技術の最高峰にまで登り詰めるとともに,一時期には世界有数の金属産出国となり,さらには輸出国にもなるのである.


 その上で,村上 (vii) は「金・銀・銅」を中心とした金属の日本史を7つの時代に区分している(以下では,原文の漢数字はアラビア数字に変えてある).

草創期  弥生時代?仏教伝来(538)
定着期  仏教伝来(538)?東大寺大仏開眼供養(752)
模索期  東大寺大仏開眼供養(752)?石見銀山の開発(1526)
発展期  石見銀山の開発(1526)?小判座(金座の前身)の設置(1595)
熟成期  小判座(金座の前身)の設置(1595)?元文の貨幣改鋳(1736)
爛熟期  元文の貨幣改鋳(1736)?ペリーの来航(1853)
再生期  ペリーの来航(1853)?


 この時代区分が非常におもしろい.「模索期」が約800年間続くのが,一見すると不均衡に長すぎるようにも思われるものの,金属という切り口から見れば,これはこれで理に適っているようだ.村上 (114) によれば,

そして,いよいよ約八〇〇年にわたる長い模索期の静けさを破るときが到来する.歴史とは不思議なものである.いくつかの出来事が,一斉に動き出すような瞬間がある.一六世紀の初めの頃も,ちょうどそんなときだったのだろう.「金・銀・銅」をめぐるダイナミズムの口火が切られるのである.一端,動き出すと急激に複合作用が生じて一〇〇年にも満たない間に,日本は当時の世界の中で,屈指の鉱山国にまで急成長した.長い模索期に十分な活性化エネルギーが蓄積されたから,一瞬で急激な反応が生じたのである.


 英語史では,11--12世紀という比較的短い期間に,文法体系を揺るがす大変化が生じている.ここでも,それ以前の「長い模索期に十分な活性化エネルギーが蓄積されたから,一瞬で急激な反応が生じた」と考えることができるかもしれない.「ダイナミズムの口火が切られ」,屈折語尾の水平化,格の衰退,文法性の消失,語順の台頭,前置詞の反映などの「いくつかの出来事が,一斉に動き出」したと見ることができそうだ.
 金属に焦点を当てた日本の歴史と英語の歴史との間の共通点は,それぞれ「金属」や「英語」という対象の歴史を扱っているように見えるものの,実際には人間社会が「金属」や「英語」をどのように用いてきたかという歴史であり,あくまで主体は人間であることだ.つまり,○○史の時代区分は,○○それ自体の有り様の通時的変化に対応しているわけではなく,人々が○○をどのように使いこなしてきたかという通時的変化に対応している.一方,両者の異なるのは,金属は本来「自然」のものであり,その自然史も記述可能だが,言語は金属のような意味において「自然」ではないことだ.しかし,言語もある意味では「自然」と言えなくもない,という議論も可能ではあろう.これについては,「#10. 言語は人工か自然か?」 ([2009-05-09-1]) の "phenomena of the third kind"(第三の現象)を参照.

 ・ 村上 隆 『金・銀・銅の日本史』 岩波書店〈岩波新書〉,2007年.

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2016-08-17 Wed

#2669. 英語と日本語の文法史の潮流 [japanese][periodisation][inflection][synthesis_to_analysis][syntax]

 言語史における時代区分については,periodisation の各記事で取り上げてきたが,英語史に関していえば,古英語,中英語,近代英語(現代を含む)と3分する方法が長らく行なわれてきた.文法史という観点から英語史のこの3分法を正当化しようとするならば,1つには印欧祖語由来の屈折がどのくらい保持されているか,あるいは消失しているかという尺度がある.それにより,古英語 = full inflection, 中英語 = levelled inflection, 近代英語 = lost inflection の区分が得られる.2つ目に,それと連動するかたちで,形態統語論的には総合性から分析性 (synthesis_to_analysis) への潮流も観察され,その尺度にしたがって,古英語 = synthetic,中英語 = synthetic/analytic,近代英語 = analytic という区分が得られる.いずれの場合も,中英語は過渡期として中間的な位置づけとなる.
 さて,日本語の文法史については,英語の文法史に見られるような大きな潮流や,その内部を区分する何らかの基準はあるのだろうか.森重 (81--83) によれば,日本語文法史には断続から論理への大きな流れが確認され,その尺度にしたがって,断続優勢の古代,断続・論理の不整たる中世,論理優勢の近代と3分されるという.この観点から各々の時代の特徴を概説すると次のようになる.

古代推古天皇の頃から南北朝期末まで文における断続の関係が卓越的に表面に出ており,論理的関係は裏面に退いている.断続の関係は,奈良朝期以前から特に係り結びによって表わされており,平安朝中期までに多様化し,成熟した.
中世室町期初頭から徳川期明和年間まで文における断続の関係と論理的関係がいずれも不整に乱れている.断と続が不明瞭で,論理的にも格のねじれた曲流文が成立した.この特徴の成熟は西鶴や近松に顕著にみられる.
近代徳川期安永年間から現在まで文における論理的関係が卓越的に表面に出ており,断続の関係は裏面に退いている.


 森重 (85) の言葉で日本語文法史の大きな潮流をまとめれば,「古代は断続の関係が卓越して論理的関係が裏面化し,中世は過渡的に両者が相俟って乱れ,近代は古代と逆の関係になった」(原文の旧字体は新字体になおしてある).もっと言えば,係り結びの衰退を軸として描ける文法史ということになろう.
 以上から,英語文法史は屈折の衰退を軸とした総合から分析への潮流を成し,日本語文法史は係り結びの衰退を軸とした断続関係から論理関係への潮流を成す,と大づかみできる.

 ・ 森重 敏 「文法史の時代区分」『国語学』第22巻,1955年,79--87頁.

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2016-07-19 Tue

#2640. 英語史の時代区分が招く誤解 [terminology][periodisation][language_myth][speed_of_change][language_change][hel_education][historiography][punctuated_equilibrium][evolution]

 「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) (及び補足的に「#2629. Curzan による英語の書き言葉と話し言葉の関係の歴史」 ([2016-07-08-1]))の記事で,Hockett (65) の "Timeline of Written and Spoken English" の図を Curzan 経由で再現して,その意味を考えた.その後,Hockett の原典で該当する箇所に当たってみると,Hockett 自身の力点は,書き言葉と話し言葉の距離の問題にあるというよりも,むしろ話し言葉において変化が常に生じているという事実にあったことを確認した.そして,Hockett が何のためにその事実を強調したかったかというと,人為的に設けられた英語史上の時代区分 (periodisation) が招く諸問題に注意喚起するためだったのである.
 古英語,中英語,近代英語などの時代区分を前提として英語史を論じ始めると,初学者は,あたかも区切られた各時代の内部では言語変化が(少なくとも著しくは)生じていないかのように誤解する.古英語は数世紀にわたって変化の乏しい一様の言語であり,それが11世紀に急激に変化に特徴づけられる「移行期」を経ると,再び落ち着いた安定期に入り中英語と呼ばれるようになる,等々.
 しかし,これは誤解に満ちた言語変化観である.実際には,古英語期の内部でも,「移行期」でも,中英語期の内部でも,言語変化は滔々と流れる大河の如く,それほど大差ない速度で常に続いている.このように,およそ一定の速度で変化していることを表わす直線(先の Hockett の図でいうところの右肩下がりの直線)の何地点かにおいて,人為的に時代を区切る垂直の境界線を引いてしまうと,初学者の頭のなかでは真正の直線イメージが歪められ,安定期と変化期が繰り返される階段型のイメージに置き換えられてしまう恐れがある.
 Hockett (62--63) 自身の言葉で,時代区分の危険性について語ってもらおう.

Once upon a time there was a language which we call Old English. It was spoken for a certain number of centuries, including Alfred's times. It was a consistent and coherent language, which survived essentially unchanged for its period. After a while, though, the language began to disintegrate, or to decay, or to break up---or, at the very least, to change. This period of relatively rapid change led in due time to the emergence of a new well-rounded and coherent language, which we label Middle English; Middle English differed from Old English precisely by virtue of the extensive restructuring which had taken place during the period of transition. Middle English, in its turn, endured for several centuries, but finally it also was broken up and reorganized, the eventual result being Modern English, which is what we still speak.
   One can ring various changes on this misunderstanding; for example, the periods of stability can be pictured as relatively short and the periods of transition relatively long, or the other way round. It does not occur to the layman, however, to doubt that in general a period of stability and a period of transition can be distinguished; it does not occur to him that every stage in the history of a language is perhaps at one and the same time one of stability and also one of transition. We find the contrast between relative stability and relatively rapid transition in the history of other social institutions---one need only think of the political and cultural history of our own country. It is very hard for the layman to accept the notion that in linguistic history we are not at all sure that the distinction can be made.


 Hockett は,言語史における時代区分には参照の便よりほかに有用性はないと断じながら,参照の便ということならばむしろ Alfred, Ælfric, Chaucer, Caxton などの名を冠した時代名を設定するほうが記憶のためにもよいと述べている.従来の区分や用語をすぐに廃することは難しいが,私も原則として時代区分の意義はおよそ参照の便に存するにすぎないだろうと考えている.それでも誤解に陥りそうになったら,常に Hockett の図の右肩下がりの直線を思い出すようにしたい.
 時代区分の問題については periodisation の各記事を,言語変化の速度については speed_of_change の各記事を参照されたい.とりわけ安定期と変化期の分布という問題については,「#1397. 断続平衡モデル」 ([2013-02-22-1]),「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]),「#1755. 初期言語の進化と伝播のスピード (2)」 ([2014-02-15-1]) の議論を参照.

 ・ Hockett, Charles F. "The Terminology of Historical Linguistics." Studies in Linguistics 12.3--4 (1957): 57--73.
 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

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2016-07-07 Thu

#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線 [writing][medium][historiography][language_change][colloquialisation][periodisation]

 Curzan の規範主義に関する著書を読んでいて,英語史における書き言葉と話言葉の距離感についての Hockett (1957) の考察が紹介されていた (Hockett, Charles F. "The Terminology of Historical Linguistics." Studies in Linguistics 12 (1957: 3--4): 57--73.) .以下の図は,Curzan (55) に掲載されていた図に手を加えたものなので,Hockett のオリジナルとは多少とも異なるかもしれない.図に続けて,同じく Curzan (55--56) より孫引きだが,Hockett の付した説明を引用する.

Hockett's Timeline of Written and Spoken English

With Alfred, the 'writing' line begins to slope downwards more gently, becoming further and further removed from the 'speech' line. This is because Alfred's highly prestigious writings set an orthographic and stylistic habit, which tended to persist in the face of changing habits of speech. The Norman Conquest leads rather quickly to an end of this older orthographic practice; the new 'writing' line which begins approximately at this time represents the rather drastically altered orthographic habits developed under the influence of the French-trained scribes. I have begun this line somewhat closer to the 'speech' line at the time, on the assumption --- of which I am not certain --- that the rather radical change in writing habits led, at least at first, to a somewhat closer matching of contemporary speech. From this time until Caxton and printing, the 'writing' line follows more or less inadequately the changing pattern of speech, never getting very close to it, yet constantly being modified in the direction of it. But with Caxton, and the introduction of printing, there soon comes about the real deep-freeze on English spelling-habits which has persisted to our own day. (Hockett 65--66)


 この図と解説は,せいぜい20世紀半ばまでをカバーしているにすぎないが,その後,20世紀の後半から現在にかけては,むしろ書き言葉が colloquialisation (cf. 「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」 ([2011-01-12-1])) を経てきたことにより,少なくともある使用域において,両媒体の距離は縮まってきているようにも思われる.したがって,図中の2本の線をそのような趣旨で延長させてみるとおもしろいかもしれない.
 書き言葉と話し言葉の距離という話題については,「#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート」 ([2015-08-06-1]) や「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]) の図も参照されたい.

 ・ Curzan, Anne. Fixing English: Prescriptivism and Language History. Cambridge: CUP, 2014.

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2016-06-18 Sat

#2609. 初期の英語史書 [hel][history_of_linguistics][historiography][bibliography][periodisation]

 昨日の記事「#2608. 19世紀以降の分野としての英語史の発展段階」 ([2016-06-17-1]) で取り上げたように,英語史記述の伝統は19世紀に始まる.通史はおよそヴィクトリア朝に著わされるようになり,1つの分野としての体裁を帯びてきた.Cable (11) によると,ヴィクトリア朝を中心とする時代に出版された初期の英語史書(部分的なものも含む)の主たるものとして,次のものが挙げられる.

 ・ Bosworth, J. The Origin of the Germanic ans Scandinavian Languages and Nations. 2nd ed. London: Longman, Rees, Orme, Brown, and Green. 1848 [1836].
 ・ Latham, R. G. The English Language. 5th ed. London: Taylor, Walton, and Maberly. 1862 [1841].
 ・ Marsh, G. P. Lectures on the English Language. Rev. ed. New York: Scribner's, 1885 [1862].
 ・ Mätzner, E. Englische Grammatik. 3 vols. 3rd ed. Berlin: Weidmann, 1880--85 [1860--65].
 ・ Koch, K. F. Historische Grammatik der englischen Sprache. 4 vols. Weimar: H. Böhlau, 1863--69.
 ・ Lounsbury, T. R. A History of the English language. 2nd ed. New York: Holt, 1894 [1879].
 ・ Emerson, O. F. The History of the English Language. New York: Macmillan, 1894.
 ・ Bradley, H. The Making of English. Rev. ed. Ed. B. Evans and S. Potter. New York: Walker, 1967 [1904].
 ・ Jespersen, O. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. London: Harcourt, 1982 [1905].
 ・ Wyld, H. C. The Historical Study of the Mother Tongue. London: Murray, 1906.
 ・ Jespersen, O. A Modern English Grammar on Historical Principles. 7 vols. London: Allen & Unwin, 1909
 ・ Smith, L. P. The English Language. London: Williams and Norgate, 1912.
 ・ Wyld, H. C. A Short History of English. 3rd ed. London: Murray, 1927 [1914].
 ・ Baugh, A. C. A History of the English Language. 2nd ed. New York: Appleton-Century Crofts, 1957 [1935]. (Co-authored with Thomas Cable (1978--2002). 3rd--5th eds. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall.)

 Cable (11) によれば,現在の英語史記述の伝統に連なる最初期のとりわけ重要な著作は Latham と Lounsbury である.ことに後者は1879年に出版されてから,その後の Smith (1912) に至るまでの類書のモデルとなったといってよい.ただし注意すべきは,Lounsbury では,英語史記述の開始がいまだ現在でいうところの中英語期に設定されており,"Old English" あるいは "Anglo-Saxon" はむしろ大陸のゲルマン語の歴史の一部をなすと考えられていた点である.しかし,15年後の Emerson (1894) は,"Old English" を英語史記述の一部として位置づける姿勢を示している.
 20世紀が進んでくると,上に挙げたもののほかにも多数の英語史書と呼ぶべき著作が出版されたし,21世紀に入ってもその勢いは衰えていないどころか,ますます活発化している.このことは,英語史という分野が展望の明るい活気のある学問領域であることを示すものである.Cable (15) 曰く,

A casual observer might imagine that 200 years of modern scholarship on 1,300 years of the recorded language would have covered the story adequately and that only incremental revisions remain. Yet the subject continues to expand in fructifying ways, and interacting developments contribute to the vitality of the field: the recognition that cultural biases often narrowed the scope of earlier inquiry; the incorporation of global varieties of English; the continuing changes in the language from year to year; and the use of computer technology in reinterpreting aspects of the English language from its origins to the present.


 英語史はおおいに学習し,研究する価値のある分野である.関連して,以下の記事も参照.「#24. なぜ英語史を学ぶか」 ([2009-05-22-1]),「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」 ([2012-08-08-1]),「#1200. なぜ英語史を学ぶか (3)」 ([2012-08-09-1]),「#1367. なぜ英語史を学ぶか (4)」 ([2013-01-23-1]).

 ・ Cable, Thomas. "History of the History of the English Language: How Has the Subject Been Studied." Chapter 2 of A Companion to the History of the English Language. Ed. Haruko Momma and Michael Matto. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008. 11--17.

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2013-06-30 Sun

#1525. 日本語史の時代区分 [periodisation][historiography][timeline][japanese]

 昨日の記事「#1524. 英語史の時代区分」 ([2013-06-29-1]) を受けて,今日は日本語史の時代区分を示す.日本語についても,細かい時代区分は研究者の数だけあるといって過言ではないが,そのうち2つの時代区分の例を示したい.1つ目は『日本語概説』 (pp. 282--83) に示されている時代区分をもとにしたもの.フラットに区分と名称が与えられている.

1.古代B.C. 13000 ? A.D. 600縄文・弥生・古墳時代
2.上代600 ? 784飛鳥・奈良時代 約200年間
3.中古784 ? 1184平安・院政時代 約400年間
4.中世1184 ? 1603鎌倉・室町時代 約400年間
5.近世1603 ? 1867江戸時代 約300年間
6.近代1868 ? 1945明治・大正・昭和前半時代 約80年間
7.現代1946 ?昭和後半・平成時代 約70年間


 次に,『概説 日本語の歴史』 (p. 14) の表をもとにしたものを掲げる.

IIIIIIIVV
古代古代上代上代奈良時代とそれ以前
中古中古平安時代
中世中世前期中世前期院政・鎌倉時代
近代中世後期中世後期室町時代
近代近世近世前期江戸時代前期
近世後期江戸時代後期
現代現代明治以降


 ここでは,階層上に入り組んだ区分と名称が用いられている.最も大雑把には I のレベルの区分により古代と近代が区別されるが,一般的には III や IV のレベルの区分と名称が用いられることが多い.
 日本史の時代区分を2例ほど挙げたが,相互に時代の呼称が入り乱れていることからも推察されるように,時代区分はその研究者の言語史観を如実に表わすものとして研究上重要な意味をもつが,一方で参照ポイントとしてはあくまで便宜的なものにすぎないことに注意されたい.

 ・ 加藤 彰彦,佐治 圭三,森田 良行 編 『日本語概説』 おうふう,1989年.
 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

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2013-06-29 Sat

#1524. 英語史の時代区分 [periodisation][historiography][timeline]

 標記の話題は periodisation の各記事で様々に扱ってきた.また,timeline の各記事で種々の英語史年表を掲げてきた.英語史に関するブログなので,古英語,中英語,近代英語,現代英語など,各時代の呼称や範囲に関する知識は前提としてきたが,一応の解説は施しておくほうがよいと思ったので以下に記す.
 個別言語史の時代区分は言語そのものと同様に揺れ動くものであり,これぞ決定版というものはない.実際,研究者の数だけあるといっても大げさではないほどだ.英語史や日本語史も例外ではない.だが,研究者間で緩やかな合意があることは確かであり,時代間の区切り目の年代が一致しないなど細部の相違はあるものの,互いに「翻訳」可能なので実際上の大きな問題は生じない.以下に挙げるのは,厳密さを期さない,区切り年代を分かりやすく取った英語史時代区分だが,比較的広く受け入れられているものの1つではある.参考のために古英語より前の時代も含めてある.すべての年代を表わす数字に circa (およそ)を補って理解されたい.細かいことを言い始めるときりがないので,ひとまずはこの辺りで.

始源印欧語 (Proto-Indo-European)  -- 4000 BC
始源ゲルマン語 (Proto-Germanic)  4000 BC -- 500 BC
始源古英語 (Proto-Old English)  500 BC -- 450
古英語 (Old English)前古英語 (Pre-Old English)450 -- 700450 -- 1100
初期古英語 (Early Old English)700 -- 900
後期古英語 (Late Old English)900 -- 1100
中英語 (Middle English)初期中英語 (Early Middle English)1100--13001100 -- 1500
後期中英語 (Late Middle English)1300--1500
近代英語 (Modern English)初期近代英語 (Early Modern English)1500--17001500 -- 1900
後期近代英語 (Late Modern English)1700--1900
現代英語 (Present-Day English)  1900 --

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2012-09-19 Wed

#1241. 語彙的にみれば Anglo-Saxon 語の終わりは13世紀? [periodisation][lexicology][french][loan_word][romance]

 英語史の時代区分について,periodisation の記事で扱ってきた.とりわけ,いつ古英語が終わり,中英語が始まったかについては,[2012-06-12-1], [2012-06-13-1]の記事で諸説を見た.中英語の開始時期については,いずれの議論も屈折の衰退という形態的な基準に拠っているが,あえてその伝統的な基準を退け,語彙的な基準を採用すると,様相は一変する.昨日の記事「#1240. ノルマン・コンクェスト後の法律用語の置換」 ([2012-09-18-1]) で取り上げた Lutz の論文では,語彙の観点からの時代区分がやんわりと提案されている.
 Lutz は,(1) よく知られているようにフランス語彙の流入のピークは13世紀以降であり([2009-08-22-1]の記事「#117. フランス借用語の年代別分布」,[2012-08-14-1]の記事「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」を参照),(2) 初期中英語期の英語テキストは古英語テキストの伝統を引き継ぐものが多く,フランス借用語はそれほど顕著に反映しておらず,(3) 他言語に比べ英語ロマンスの出現が遅れた,という事実を示しながら,古英語(あるいは Lutz の呼ぶように Anglo-Saxon)の終わりを,伝統的な区分での初期中英語の終わりに置くことができるのではないかと提案する.

For the lexicon, we need a . . . bipartite periodization distinguishing Anglo-Saxon (comprising Old and Early Middle English) from English (comprising all later stages), which reflects the lexical and cultural facts. . . . During this extended period of time, several generations of inhabitants of post-Conquest England preserved their Anglo-Saxon lexicon and, more generally, seem to have looked back to their Anglo-Saxon cultural heritage when they expressed themselves in their own tongue. . . . / By contrast, the English we are familiar with is basically a creation of the late thirteenth to fifteenth centuries when the French-speaking ruling classes of England gradually switched to the language of those they governed and, in the course of that process, imported their superstratal lexicon in large quantities. (161--62)


 Lutz の論考は,結果として,ノルマン・コンクェストとフランス借用語の本格的流入のあいだには時差があるという事実を強調していることになるだろう.

 ・ Lutz, Angelika. "When did English Begin?" Sounds, Words, Texts and Change. Ed. Teresa Fanego, Belén Méndez-Naya, and Elena Seoane. Amsterdam and Philadelphia: John Benjamins, 2002. 145--71.

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2012-08-01 Wed

#1192. 初期近代英語という時代区分 [emode][periodisation][historiography][history]

 初期近代英語 (Early Modern English; 1500 or 1450 -- 1700) という時代区分は,英語史研究ではすでに一般化している.古英語,中英語,近代英語という伝統的で盤石な3区分に割って入るほどの力はないかもしれないが,実用上は日常化しているといってよいだろう.このことは,Early Modern English を題に含む多くの論著が著わされ,実りある成果を上げている事実からもわかる.
 近代英語期を細分化する試みは,[2009-12-18-1]の記事「#235. 英語史の時代区分の歴史 (4)」で見たように,古くは19世紀からある.20世紀前半にも,Zachrisson や Karl Luick などが初期近代英語という区分を提案している.しかし,この時代区分が広く認められ出したのは,Baugh, Görlach, Penzl などの論に反映されているとおり,20世紀後半である.ここには,ドイツ語史における確立した時代区分 "Frühneuhochdeutsch" からの類推が影響しているかもしれない (Penzl 261--62) .
 言語史において時代区分の役割が甚大であることは,[2012-06-12-1]の記事「#1142. 中英語期はいつ始まったか (1)」でも説いた.Penzl も同趣旨で次のように述べている.

A "period" is by definition a part of a language continuum; it should be a "natural" stage within the documentable history of a language. Its historical reality is not simply assured by scholarly tradition or practice, but only by definitely established, describable initial and terminal boundaries and by criteria applicable to the corpus of the entire period in question. (261)

A major advantage of specific and maximal periodization is the fact that it by no means handicaps the description of the transition to adjacent periods, but on the contrary forces the historiographers to consider internal change as well as internal cohesion and the impact of external historical events. (266)


 Penzl は,言語史の区分においては,言語内的な基準が唯一の基準であり,言語外的な基準は参照しないという考え方のようである.他言語との言語接触などの社会言語学的な要因は,言語内的な基準により定められた区画のなかで,その影響を考察すべきものであり,逆ではないという立場だ.
 一方で,Görlach のように,内面史と外面史のバランスを取った時代区分をよしとする論者もある.Görlach は,初期近代英語の始まりを1500年とする言語外的な根拠として,印刷術の開始 (1476) ,バラ戦争の終結 (1471) ,人文主義の開始 (1485--1510) ,英国国教会のローマとの分離 (1534) ,アメリカの発見 (1492) などの歴史的出来事を挙げている.
 しかし,Penzl (266) によれば,初期近代英語の終点である1700年前後については,英語の発展に直接あるいは間接の影響を及ぼす歴史的事件として目立ったものはない.しかし,言語内的にみれば,短母音字 <a>, <u> が現在の音価をもつに至っていたという事実や,規範文法がすでに固まっていたという事実があると述べている.
 時代区分は研究のためにあるのであり,時代区分のために研究があるわけではないが,現実問題としては相互依存の関係であるのも確かだ.初期近代英語というくくりに基づいた研究で多くの成果が出てきているという事実は重く見るべきだろう.

 ・ Penzl, Herbert. "Periodization in Language History: Early Modern English and the Other Period." Studies in Early Modern English. Ed. Dieter Kastovsky. Mouton de Gruyter, 1994. 261--68.

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2012-06-13 Wed

#1143. 中英語期はいつ始まったか (2) [me][periodisation][inflection][analogy][me_dialect]

 昨日の記事[2012-06-12-1]に引き続き,中英語の開始時期の話題.古英語と中英語の境を1000年頃におく Malone の見解は,極端に早いとして,現在,ほとんど受け入れられていない.その対極にあるのが,1200年頃におくべきだとする Kitson の論考である.
 Kitson (221--22) は,まず,現在の主流の見解である1100年あるいは1150年という年代が,どのような議論から生み出されてきたかを概説している.[2009-12-19-1]の記事「#236. 英語史の時代区分の歴史 (5)」で示したように,Henry Sweet の3区分は後に圧倒的な影響力をもつことになったが,Sweet 自身の中英語期の開始時期についての意見は揺れていた.1888年の段階では1150年,それから4年後の1892年の段階では1200年に区切りを設定していたからである(後者は[2009-12-20-1]の記事「#237. 英語史の時代区分の歴史 (6)」で示されている見解).その後,1150年とする見解は比較的多くの支持者を得たが,現在では Hogg (9) の "by about 1100 the structure of our language was beginning to be modified to such a considerable degree that it is reasonable to make that the dividing line between Old English and Middle English" との見解が広く受け入れられているようだ.いずれの場合も,試金石は,屈折語尾の母音がいつ [ə] へ水平化したかという点である.
 Kitson の議論を要約すれば,中英語の開始時期を巡る問題が難しいのは,母音の水平化が一夜に生じたものではなく,時間をかけて,方言によって異なる速度で進行したからである.また,母音の水平化は,ただ機械的な音韻変化として進行したわけではなく,複雑な類推作用 (analogy) の絡んだ形態変化として進行したのであり,その過程を跡づけることは余計にややこしい.そこで,中英語の開始時期を決めるにあたっては,(1) どの方言における母音水平化を中心に据えるか,(2) 母音水平化の始まった時期を重視するのか,あるいは完了した時期を重視するのか,あるいは中間時期を重視するのか,などの基本方針を決めなければならない.
 Kitson (222--23) は,(1) の方言の問題については,後期古英語の標準語の中心が Winchester だったこと,初期中英語の標準化された言語の代表例として South-West Midland 方言の "AB-language" があったこと,母音水平化を詳細に跡づけることが可能なほどに多くの写本がこの方言から現存していること,Sweet の区分でも South-West Midland 方言の Laȝamon を基準として用いていることなどを指摘しながら,"the area between, broadly, Wiltshire and Herefordshire" あるいは "the north Wessex--south-west midland area" (223) を基本に据えるべきだと結論づけている.(2) の母音水平化の完了の程度という問題については,音韻形態変化としての母音水平化が決して逆行しえない段階,すなわち完全に終了した段階をもって中英語の開始を論じるのが理に適っていると結論している.

And bearing in mind that the linguistic processes of the transition were to a large extent analogical rather than strictly regular sound-changes, it seems most reasonable to date the beginning of Middle English, as against Old English whether or not with a sub-period specified as Transitional, to the point of time from which even if external events influencing linguistic change had taken so different a course as to lead to directions of analogy violently different from the actual ones, reduction of inflectional variety to the single-un-stressed-vowel level characteristic of actual Middle English was irrevocable. (223)


 Kitson は,この移行期間に南部方言で書かれた文書における綴字と発音の関係を精密に調査し,1200年頃までは,いまだ前舌母音と後舌母音の区別が残っていたと主張し,次のように結論づけている.

. . . even at the end of the twelfth century the replacement of language with at least some variety of inflections by language with fully levelled inflections was not absolutely irrevocable. . . . Granting the level of fuzziness at the edges inescapable in all tidy divisions of linguistic periods, Sweet's 1892 dating really is right after all.


 ・ Malone, Kemp. "When Did Middle English Begin?" Language 6 (1930): 110--17.
 ・ Kitson, Peter R. "When did Middle English begin? Later than you think!." Studies in Middle English Linguistics. Ed. Jacek Fisiak. Berlin: Mouton de Gruyter, 1997. 221--269.
 ・ Hogg, Richard M., ed. The Cambridge History of the English Language: Vol. 1 The Beginnings to 1066. Cambridge: CUP, 1992.

Referrer (Inside): [2012-09-19-1]

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2012-06-12 Tue

#1142. 中英語期はいつ始まったか (1) [me][periodisation][inflection]

 言語変化は連続的であるため,言語内的な観点のみにより,ある言語の歴史を時代区分することは不可能である.言語内的な観点に加え,多分に言語外的な観点をも含めて,時代区分してゆくのが通例である.また,ある区分がいったん定まってしまうと,慣例や定説となって無批判に受け継がれてゆくことになる.確立された時代区分は研究の範囲や方法を決定づける力があり,研究の動向に勢いを与えるプラスの側面があると同時に,研究の幅を狭めてしまうマイナスの側面ももっている.したがって,時代区分を批判的に見ておくことは非常に重要である.
 英語史の時代区分の歴史的変遷については,##232,233,234,235,236,237 の連続記事で取り上げてきた.Henry Sweet の提示した3区分方式が現在に至るまで伝統的に受け継がれているが,とりわけ中英語期の始まりをどの年代に当てるかという点については,いまだに専門家の間でも見解が揺れている.多くの概説書では,1100年あるいは1150年という年代がよくみられる.しかし,互いに半世紀も異なるというのは,議論を巻き起こすに十分である.
 古くはあるが,よく引用される議論として,思い切った提言をした Malone の論考をのぞいてみよう.まず,Malone は,Sweet の原典を引きながら,伝統的な3区分が屈折の残存の程度によるものであることを確認した.

I propose, therefore, to start with the three main divisions of Old, Middle and Modern, based mainly on the inflectional characteristics of each stage. Old English is the period of full inflections (nama, gifan, caru), Middle English of levelled inflections (naame, given, caare), and Modern English of lost inflections (naam, giv, caar). (qtd in Malone, p. 110 as from Sweet, A History of English Sounds, printed on p. 160 of the Transactions of the Philological Society for 1873--74.)


 Sweet の古英語と中英語を区別する基準は,屈折語尾が水平化されているかどうかという点にある.より具体的にいえば,屈折語尾に現われる,様々な母音字で表わされる母音が,それぞれに特徴的な音価を保っていたか,あるいは [ə] へと曖昧化していたかという点にある.曖昧化それ自体がすぐれて連続的であるため,それが始まった年代も終わった年代も正確に限定することはできない.しかし,およその限定ということでいえば,多くの論者が12世紀辺りだろうと踏んでおり,それが現在おおむね受け入れられている1100年や1150年などの区切り年代に反映されている.
 Malone は,Sweet に従って,屈折語尾の母音の [ə] 化の年代が,すなわち古英語と中英語を分ける年代であるとするのであれば,それは1000年頃にまでさかのぼらせる必要があると論じている.というのは,10世紀のものとされる南部の4写本 (the Vercelli Book, the Exeter Book, the Junius Codex, the Beowulf Codex) における屈折母音字の分布を詳細に検討すると,すでに屈折母音の [ə] 化が進んでいる様子が "scribal error" を通じて窺えるからだ.
 この議論は,同時期のテキストの言語がどこまで後期ウェスト・サクソン方言の Schriftsprache を反映しているのか,発音と綴字の関係がどこまで正確に突き止められるのかという問題に密接に関わっている.綴字のみを考えるのであれば,母音字の明らかな <e> 化は11世紀あるいは12世紀を待つ必要があるのかもしれない.しかし,発音を推し量るのであれば,母音の [ə] 化の兆しは,早くも10世紀に見られるということになる.既存の説の中では極端に早い年代ではあるが,この議論を通じて,中英語期はいつ始まったかという問いの難しさの要因をのぞき見ることができるように思われる.

 ・ Malone, Kemp. "When Did Middle English Begin?" Language 6 (1930): 110--17.

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2009-12-22 Tue

#239. オーストラリア発,英語史のアンチョコ集 [link][periodisation]

 Wovreはオーストラリア発の大学生コミュニティサイト.大学の授業の講義ノートのまとめサイトというか,試験直前のアンチョコ集というか,そのようなコンテンツを収集している.オーストラリアやニュージーランドの大学生が加盟(?)しているようで,英語史に関するものも二つ見つかった.

 ・Language Acquisition and Change --- History of English: 英語史を5分で総復習といった風.
 ・Language Change --- Timeline: 表の形式で英語史をざっくりと一望.

 時代区分(periodisation)の観点からは,偶然にも上記二つの「英語史」はともに8区分である.ただし,英語がブリテン島に持ち込まれた5世紀以降だけを考えると,前者が7区分,後者が6区分である.前者では,16世紀以降はおよそ1世紀刻みの区分となっている.多かれ少なかれ時代区分は恣意的である以上,1世紀刻みというのは,むしろわかりやすい区分かもしれない.
 いずれも試験前の大学生のために要点をまとめたという感じがよく出ている.授業を受けた学生なら「へぇ,便利」と思うに違いない.だが,当然ながらまとめアンチョコなので情報は断片的であり,決して体系的ではない.
 良質なアンチョコを作るには,通史を記述するのと同じくらいのセンスが必要ではないだろうか.「英語史のアンチョコ」にはいつかトライしてみたい.

Referrer (Inside): [2009-12-24-1]

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2009-12-20 Sun

#237. 英語史の時代区分の歴史 (6) [periodisation]

 [2009-12-19-1]で見たように,Sweet の Old English, Middle English, Modern English の三区分は,現在に至るまで英語史に強い影響を及ぼしている.Sweet はこの三区分をさらに細分化した八区分のバージョンをも唱えている.後者は,各時代を代表する作家名あるいは作品名を添えているのが特徴である.

Period Prototype Range
Early Old English Alfred 700--900
Late Old English Ælfric 900--1100
Transition Old English Laȝamon 1100--1200
Early Middle English Ancrene Riwle 1200--1300
Late Middle English Chaucer 1300--1400
Transition Middle English Caxton 1400--1500
Early Modern English Shakespeare 1500--1650
Late Modern English no prototype 1650--


 この八区分の特徴は,Old English の最後期,Middle English の最後期として,"Transition" という時期を設定していることである.これは,言語変化は連続体であり,ある段階の言語を明確に一つの時代区分へと落とし込むことは本質的に不可能であるとの Sweet の認識を示唆している.
 とはいえ,この八区分がもとの三区分を基礎にしていることは明らかであり,事実上 "triadomany" の伝統に沿っているとみなして差し支えないだろう.下位レベルで Early, Late, Transition とさらに三分割していることは,むしろ "triadomany" を強化しているとすら言えるかもしれない.

 ・Lass, Roger. "Language Periodization and the Concept of 'middle'." Placing Middle English in Context. Eds. Irma Taavitsainen, Terttu Nevalainen, Päivi Pahta and Matti Rissanen. Berlin and New York: Mouton de Gruyter, 7--41. esp. Page 16.

Referrer (Inside): [2012-06-13-1] [2011-04-19-1]

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