近隣言語のあいだにみられる関係を把握する方法には,伝統的に系統樹モデル (family_tree) と波状モデル (wave_theory) が提唱されている.前者が前提とするのは系統樹によって表わされる語族 (language_family) という考え方であり,後者が前提とするのは言語圏 (linguistic_area である.両者の対立については,##999,1118,1236,1302,1303,1313,1314 などの各記事で取り上げてきた.だが,実際には「#1236. 木と波」 ([2012-09-14-1]) で議論したように,両モデルは対立する関係というよりは,相互に補完すべき関係というほうが適切だろう.しかし,互いがどのような関係にあるのか,具体的にはあまり論じられていないのが現状である.
ディクソンは,両モデルを独特な形で融合させようと試みた.その結果として提案された仮説が,断続平衡モデル (punctuated equilibrium) である.
断続平衡モデルの説明は著書のあちらこちらに散らばっているが,最も重要と思われる箇所を,やや長いが,先に引用しよう.
本書で私はある仮説を立てた。一九七二年にエルドリッジとグールドがはじめて発表した生物学における断続平衡 (punctuated equilibrium) というモデル〔種の進化には変化のない長期の安定期と、それと比べて相対的に著しく急速な種分化と形態変化によって特徴づけられる中間期があるとする仮説〕に触発され、この考えを言語の発達と起源に当てはめてみたのである。人類の歴史の大部分の期間は平衡状態が保たれてきた。ある地域には、多くの、似たようなサイズや組織の政治集団があったと考えられる。そこではどの集団も他の集団の上にとりわけ大きな力を持つということはなく、それぞれが自分たちの言語または方言を話していただろう。これらの言語は、比較的平衡を保ちつつ長い期間にわたって言語圏を形づくっていく。しかし何事もまったく静止状態だったわけではない――潮の干満のようにゆったりした変化や推移はあっただろう――が、どちらかといえば小さなものだ。そして平衡が破られる時が訪れ、急激な変化が起きる。この中断は旱魃や洪水などの自然災害によるものかもしれないし、新しい道具や武器の発明、または農耕の発達、新しい土地への移動を可能にした船舶の改良、さらには帝国主義の発達や宗教的侵略によりひき起こされたものかもしれない。平衡状態を破るこのような中断は、往々にして言語の内部や言語間に根本的な変革をもたらす引き金となる。このため人々の集団や言語は拡張したり、分裂したりする。言語の系統樹モデルが適用できるのはこの、非常に長い平衡期の間に挟まっているごく短い中断期なのである。
私の推論では、平衡期の間に、同地域に存在する異なる言語間に種々の言語特徴が伝播する傾向があり、非常に長い時間をかけてではあるが、一つの共通の原型に収束する。そして拡張と分裂で特徴づけられる中断期には、一つの共通祖語から分岐して、一連の新しい言語が発達するのである。
この仮説は当然言語の起源の問題と結びつくが、それにはいくつかの可能性が考えられる。一つは、言語が大変にゆっくりと、つまり千年以上もかかってほんの数百の語や少しの文法項目を増やしていくといった具合に、未発達の言語から原始的な言語に、さらに少し進歩して前近代的言語、そして近代的言語にと進化して現代の姿になる、というものだ。しかし私の考える筋書はこれとは違う。初期の人間は比較的安定した状態のなかで生活し、認知、伝達能力を増やしていっただろうと思うが、言語は持たなかったのではないだろうか。そこに、なんらかの中断期が訪れて言語が発生したのだと考える。この過程はかなり急激に起き、二、三世紀あるいは多分二、三世代のうちには、原始的な言葉の断片というよりむしろ、現在話されている言語の複雑さに劣らないくらい十分発達した、まさに言語と呼べるものができあがったのではないかと思う。そして次にまた長い平衡期が始まる。 (4--5)
著者は,この引用の後で,この2千年,特にこの数百年は格段の中断期であり,系統樹モデルでよりよく説明される諸言語の分岐が起こっているのだと主張する.また,系統樹モデルでいう祖語のとらえ方については,次のように述べている.
中断期の前後に横たわる長い言語的平衡期の間、地域の人々は比較的調和を保って生活する。たくさんの言語特徴を含んだ、多くの文化的特性が伝播波及する。同一地域の言語は互いに似通ったものとなっていく――これらの言語は一つの共通の原型に向かって収束するだろう。やがて、この収束によりもとの系統関係すなわち最後の中断期にあった系統樹の先端がぼやけていく。 (129)
系統樹モデルで特徴づけられる言語の拡張と分裂という観念に基づいて、比較言語学者はしばしば祖語を、あたかも中断期に起きた急速な分裂の結果生まれたものであるかのようにみなす。だが多分そうではないだろう。中断期は長い平衡期の間に間欠的に挟まるもので、祖語を担う語族の始まりはすでに平衡期に潜在する。つまり、一つの言語圏内で言語間の収束が起き、そこから生まれた言語状態が語族の下地となったのだと思う。実際、一つの語族はたった一つの言語から生まれ出るわけではないのではないか。 (138)
最後の点については,「#736. 英語の「起源」は複数ある」 ([2011-05-03-1]) でも少しく触れた問題である.
ディクソンは,オーストラリアを始めとする世界の諸言語のフィールドワークによって得た知見に基づき,断続平衡モデルをありそうな仮説であると提案したが,反証がほぼ不能という点では,彼の酷評する Nostratic 大語族 ([2012-05-16-1]) と異ならない.それでも,しばしば対立させられる系統樹モデルと波状モデルとを,大きな言語史のスパンなのなかで統合して理解しようとする姿勢には共感する.
系統樹モデルの抱える問題に関しては,第III章「系統樹モデルはどこまで有効か」が秀逸である.
・ ディクソン,R. M. W. 著,大角 翠 訳 『言語の興亡』 岩波書店,2001年.
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