hellog〜英語史ブログ

#2033. 日本とイングランドの方言地図[hel_education][historiography][map][dialectology][history_of_linguistics][geolinguistics][geography][dialect]

2014-11-20

 様々な方言地図を眺めながら日本語とイングランド英語の方言について概要を学ぼうと思い,以下の4冊をざっと読んだ.いずれも概説的で読みやすく,気軽に方言地図のおもしろさを味わえるのがよい.

 ・ 柴田 武 『日本の方言』 岩波書店〈岩波新書〉,1958年.
 ・ 徳川 宗賢(編) 『日本の方言地図』33版,中央公論新社〈中公新書〉,2013年.  *
 ・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.  *
 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.

 方言地理学と言語史は密接な関係にある.現代方言はいわば生きた言語史の素材を提供してくれ,言語史の知識は方言地図の解釈を助けてくれる.両者の連携を意識すれば,そこは通時態と共時態の交差点となるし,汎時的 (panchronic) な平面ともなる.英語史の記述や教育にも,現代方言の知見を盛り込むことにより,新たな可能性が開かれるのではないかと感じている.
 さて,日本における方言地図作成の歴史は,世界のなかでも最も古い類いに属する.徳川 (ii) によると,明治期に文部省の国語調査委員会が標準語制定の参考とするために音韻と口語法に関する方言調査を行い,その成果として刊行された29面の『音韻分布図』 (1905) と37面の『口語法分布図』 (1906) が日本の方言地理学の出発点である.Gilliéron らによる画期的なフランス方言地図 (Atlas linguistique de la France) の出版が1902--10年であることを考えると,日本の方言研究も相当早い時期に発展してたかのように思われる.しかし,当時の国語調査委員会の目的は標準語制定や方言区画論といった実用的な色彩が強く,学問としての方言地理学のその後の発展に大きく貢献することはなかった.
 日本の方言地理学にとって次の重要な契機となったは,柳田国男の『蝸牛考』 (1930) (cf. 「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1])) である.しかし,柳田が作り出した潮流は戦争により頓挫し,その発展は戦後を待たなければならなかった.戦後,国立国語研究所(文部省・文化庁)による大規模な全国調査の結果として,300面に及ぶ『日本言語地図』 (1966--74) が刊行された.その目的は方言地理学と日本語史の研究に資する材料を提供することであり,明治期と異なり,明らかに科学的な方向を示していた.日本語方言地理学の本格的な歩みはここに始まるといってよい.手に取りやすい新書『日本の方言地図』(徳川宗賢(編))は,『日本言語地図』の300面から50面を選び出して丁寧に解説した方言学の入門書である.
 一方,英語の方言地図作成は,日本や他のヨーロッパ諸国に比べて,出遅れていた.イングランド英語の最初の本格的な方言地図は,Harold Orton と Eugen Dieth が企図し,Leeds 大学を基点として行われた大規模な全国調査に基づく Survey of English Dialects (A in 1962; B in 1962--71) である.これは,現地調査員が1948--61年のあいだに全国313地点において伝統方言 (Traditional Dialects) を調査した成果であり,イングランドの方言地理学の基礎をなすものである.
 日本においてもイングランドにおいても,大規模調査に基づいて作成された方言地図が,現在の各言語の方言地理学の基礎となっている.それぞれすでに半世紀以上前の伝統方言の調査結果であり,古めかしくなっていることは否定できないが,方言地図の1枚1枚がそれぞれの言語項と話者の歴史を物語っており,言語資料であるとともに貴重な民俗資料ともなっている.

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#1031. 現代日本語の方言区分[japanese][dialect][flash][family_tree][map]

2012-02-22

 この2日間の記事 ([2012-02-20-1], [2012-02-21-1]) で,イングランドにおける現代英語方言区分の概略を示したが,イングランドは相当に細かく区分されていることを改めて思い知らされた.
 イングランドの国土は比較的狭いにもかかわらず,方言がこれほどまでに分化したことは,国土は広いが言語的には同質的とされるアメリカ英語と好対照をなす.アメリカでは,「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1]) や「#457. アメリカ英語の方言区分( Kurath 版)」 ([2010-07-28-1]) で話題にした通り,方言区分はずっと粗い.両者の差異は,英語が根付くことになった経緯,歴史の長さ,交通の発達,規範に対する意識など,様々な要因に帰せられる.
 しかし,程度の差はあれ,方言の分化は言語にとって普遍的だ.イングランド同様に国土が狭いとされる日本の方言状況を顧みれば,よく理解できる.以下は,佐藤 (167) の方言区画図を再現したものである.

Japanese dialects  *  


 日本語を2分する大分水嶺は,本土方言と琉球方言のあいだの海のなかだが,次に大きな分水嶺は本州の東と西を分ける線だろう.新潟県の糸魚川と静岡県の浜名湖を結ぶ,くの字の線だ.明治政府の『口語法調査報告書』によると,「假ニ全國ノ言語區域ヲ東西ニ分タントスル時ハ大略越中飛彈美濃三河ノ東境ニ沿ヒテ其境界線ヲ引キ此線以東ヲ西部方言トスルコトヲ得ルガ如シ」とある(佐藤,p. 169--71).

 ・ 佐藤 武義(編著) 『展望 現代の日本語』 白帝社,1996年.

Referrer (Inside): [2014-02-01-1]

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#1029. England の現代英語方言区分 (1)[dialect][bre][flash][family_tree][map]

2012-02-20

 中英語の方言区分については,[2009-09-04-1]の記事「#130. 中英語の方言区分」で地図とともに取りあげた.今回は,England における現代英語の方言区分を示したい.
 扱う方言の種類は,Traditional Dialect と呼ばれるもので,古英語や中英語からの方言区分の延長線上にあるものである.Trudgill (5) の説明を引用する.

Traditional Dialects are what most people think of when they hear the term dialect. They are spoken by a probably shrinking minority of the English-speaking population of the world, almost all of them in England, Scotland and Northern Ireland. They are most easily found, as far as England is concerned, in the more remote and peripheral rural areas of the country, although some urban areas of northern and western England still have many Traditional Dialect speakers. These dialects differ very considerably from Standard English, and from each other, and may be difficult for others to understand when they first encounter them.


 England の Traditional Dialect の調査はヨーロッパの他の国よりも遅れたが,Orton, H. et al. Survey of English Dialects: The Basic Material. 4 vols. Leeds: E. J. Arnold, 1962--71. により1950年代以降の方言分布が明らかにされてきた.以下に示すのは,部分的に Survey に依拠した Trudgill (35) の区分である.13の方言区画へと区分されている.

Traditional Dialects in England  *  

 また,Trudgill (40, 44, 47) に従ってさらに下位区分した,ノードの開閉もできる Flash 版を作成したので,そちらもどうぞ.
 イングランドの最も大きな方言区分は,South と North を分ける線だ.この線は Lancashire 海岸と the River Humber 河口を結んでおり,概ね古英語以来変わっていない.1600年以上続く大分水嶺である.

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Blackwell: Malden, MA: 2000.

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#1030. England の現代英語方言区分 (2)[dialect][bre][link][isogloss]

2012-02-21

 昨日の記事「#1029. England の現代英語方言区分 (1)」 ([2012-02-20-1]) でイングランドにおける現代英語の方言区分を示した.方言区分は,なるべく弁別力の高い語を選び出し,その等語線 (isogloss) の重なり具合で線引きしてゆくのが伝統的な手法だが,どの語を選び出すかについての客観的な基準を設けることは難しい.多かれ少なかれ方言学者の主観が入るものだ.
 では,昨日の Trudgill の方言区分は何に基づいているか.Trudgill は,以下の8個の単語を選び出し,その等語線によって13の区分を設けた.等語線が複雑に入り組んでいることは,以下の分布表から容易に知れるだろう (Trudgill 33) .

  LongNightBlindLandArmHillSevenBat
older form lang /læŋ/neet /niːt/blinnd /blɪnd/land /lænd/arrm /aːrm/hill /hɪl/seven /sevn/băt [bat]
newer form long /lɒŋ/nite /naɪt/blined /blaɪnd/lond /lɒnd/ahm /aːm/ill /ɪl/zeven /zevn/bæt [bæt]
1Northumberlandlangneetblinndlandarrmhillsevenbat
2Lower Northlangneetblinndlandahmillsevenbat
3Lancashirelongneetblinedlondarrmillsevenbat
4Staffordshirelongniteblinedlondahmillsevenbat
5South Yorkshirelongneetblinndlandahmillsevenbat
6Lincolnshirelongniteblinndlandahmillsevenbat
7Leicestershirelongniteblinedlandahmillsevenbat
8Western Southwestlongniteblinedlandarrmillzevenbat
9Northern Southwestlongniteblinedlondarrmillsevenbat
10Eastern Southwestlongniteblinedlandarrmillsevenbat
11Southeastlongniteblinedlændarrmillsevenbæt
12Central Eastlongniteblinedlændahmillsevenbæt
13Eastern Countieslongniteblinedlændahmhillsevenbæt


 以下に,これまで本ブログで扱った英米における方言区分に関する記事,及び外部ページへのリンクを張っておこう.一括して見るなら ##1029,130,457,458,376 から.

 ・ 「#1029. England の現代英語方言区分 (1)」: [2012-02-20-1]
 ・ 「#130. 中英語の方言区分」: [2009-09-04-1]
 ・ 中英語の方言地図: The distribution of Middle English dialects
 ・ 古英語の方言地図: The distribution of Old English dialects
 ・ 「#457. アメリカ英語の方言区分( Kurath 版)」: [2010-07-28-1]
 ・ 「#458. アメリカ英語の方言区分( Baugh and Cable 版)」: [2010-07-29-1]
 ・ 「#376. 世界における英語の広がりを地図でみる」: [2010-05-08-1]

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Blackwell: Malden, MA: 2000.

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#1055. uvular r の言語境界を越える拡大[map][phonetics][wave_theory][french][linguistic_area]

2012-03-17

 言語変化がある地点から周囲の方言に広がってゆく様子について,波状説 (the wave theory; Wellentheorie) や方言周圏論の名のもとに,いくつかの事例を見てきた(「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) ,「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1])).しかし,ある言語変化が方言の境界ではなく言語の境界を越えて同様に広がってゆく事例も確認されている.よく知られているのは,フランス発祥の uvular r (口蓋垂の r; IPA [ʀ])の拡大である.
 トラッドギル (189--99) によれば,16世紀まではヨーロッパの言語では r の発音は,イタリア語,ロシア語,スコットランド方言の英語で典型的に行なわれているような舌尖のふるえ音か弾き音だった.ところが,17世紀になってパリの上流階級のフランス語において uvular r がはやりだした.ヨーロッパの一部,しかもその限られた社会階級から発した流行は,それから300年の間に北西ヨーロッパの広い領域へ広がった.現在では,フランス語とドイツ語では教養あるほとんどの人々によって,またオランダの一部,デンマークのほぼ全域,スウェーデンとノルウェーの南部の一画で,uvular r が行なわれている.一方,ドイツ語圏南部から南や東の方向へは広がっていない.トラッドギル (189) の地図を掲載しよう.

Map of Uvular r in Western Europe

 広がり方が波状だったかどうかは判然としないが,北海やバルト海方面へ地を這うように進み,いったん海に出れば海路でスカンディナヴィア半島の南端に伝播したのだろうということは容易に推測できる.
 なお,標準的な英語の r は,IPA では [ɹ] と表記される後部歯茎接近音 (post-alveolar approximant) あるいは無摩擦持続音 (post-alveolar frictionless continuant) だが,Northumberland や Durham などのイングランド北東部の方言では uvular r も聞かれる.

 ・ P. トラッドギル 著,土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波書店,1975年.

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#1000. 古語は辺境に残る[wave_theory][geography][map]

2012-01-22

 昨日の記事「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]) で紹介した the wave theory は,言語を含む人文現象の拡散の仕方として当たり前とは述べたが,教えてくれることが多く,興味をそそられる.
 波状説と深く関連づけられている謂いに「古語は辺境に残る」 (archaism in marginal areas) というものがある.例外も少なくないが,言語革新は往々にして政治,経済,文化の中心地において生じる.この中心地から革新が波状に拡散してゆくが,当然のことながら,遠く離れれば離れるほど,辺境であればあるほど,革新の波は及びにくい.結果として,辺境には革新の影響は届かず,古い形態なり用法なりが残りやすい.
 ここでおもしろいのは,波紋は同心円状に広がってゆくため,辺境の一地点 A と別の一地点 B とは,同じ辺境にあったとしても,相当に距離の開いた位置関係,極端な場合には円の中心を挟んだ反対側どうしの位置関係となることがあり得ることだ.逆にいえば,このように互いに隔絶したA地点とB地点において,周囲とは異なる言語項目が共通して確認された場合,「辺境に残った古語」として説明されうるということである.
 フランク語から南西ヨーロッパへ広がった言語革新の例として,「白い」を表わす形容詞 blank の伝播を例に取ろう.フランク語の blank は,まずフランス語へ借用され,その後,南下してイタリアやスペインにまで波及した.しかし,ポルトガル北部,サルディニア島,ルーマニアには及ばず,そこではより古くからのラテン語 albus (白い)に由来する語がいまだに用いられている(以下に,下宮 (122) に掲載されている König (48) の地図を再掲).

Geographical Diffusion of Frankish

 かくも離れた地域に alvo, arbu, alb が確認されることは,もともと albus 形が南西ヨーロッパに広く分布していたが,北から blank が波状に伝播し,その波が及ばなかった辺境で古語が残存したと考えなければ,うまく説明できないだろう.古語は「偏狭」に残る,ともいえるかもしれない.

 ・ 下宮 忠雄 『歴史比較言語学入門』 開拓社,1999年.
 ・ König, Werner. DTV-Atlas zur deutschen Sprache. München: Deutscher Taschenbuch Verlag, 1978.

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#1045. 柳田国男の方言周圏論[wave_theory][dialect][geography][isogloss]

2012-03-07

 「#999. 言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]) や「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) で波状説や言語地理学 (linguistic geography) について触れた.日本における同様の説としては,柳田国男 (1875--1962) が『蝸牛考』 (1930) にて提唱した方言周圏論が有名である.
 『蝸牛考』は我が国における言語地理学の最初の論考であり,そこで示された方言周圏論は,1872年に Johannes Schmidt (1843--1901) の発表した the wave theory (Wellentheorie) の日本版といってよい.柳田が Schmidt の説を知っていたかどうかは明らかでないが,フランスの言語地理学については学んでいたようであり,発想の点で間接的に影響を受けていたということは考えられる.
 柳田は,語によって方言ごとに異形の種類はまちまちであることを取り上げ,これを各語の方言量と呼んだ (21) .とりわけ方言量の多い語として,柳田が方言調査のために選んだのが「蝸牛」である.まず,京都を中心とする近畿地方で「デデムシ」の分布が確認される.そのすぐ東側と西側,中部や中国では「マイマイ」が分布しており,さらにその外側,関東や四国では「カタツムリ」の地域が広がっている.その外縁を形成する東北と九州では「ツブリ」が,そのまた外側に位置する東北北部と九州西部では「ナメクジ」の地域が見られる.蝸牛の呼称の等語線 (isogloss) は,細かくみれば,多くの言語項目の方言線と同様に錯綜しているが,図式化すれば以下のようになる(波線で表わした長方形は日本列島に相当).

kagyuukou

 ここから推定されるのは,蝸牛を表わす語が,時期を違えて次々と京都付近で生まれ,各々が同心円状に外側に広がっていったという過程である.逆からみると,最も外側に分布する語が最古層を形成し,内側にゆくにしたがって新しい層となり,京都にいたって最新層に出会う.地層を観察すればかつての地質活動を推定できるのと同様に,方言分布を観察すればかつての言語項目の拡散の仕方を推定できることを,柳田は蝸牛語によって実証的に示したのである.なお,「ナメクジ」のさらに古層として周縁部に貝類の総称としての「ミナ」が分布しているというのも興味深い(柳田,pp. 149--50).
 蝸牛語の実証はみごとだが,後に柳田自身も述べている通り,方言周圏論は方言分布の解釈の1つにすぎない.語彙についてはある程度うまく説明することができても,音韻やアクセントの分布では,むしろ中心こそ保守的な特徴を保つとされ,方言周圏論は適用できない.語彙についてさえ,各地で独立に新形態が生まれる多元発生説も唱えられている.また,新形態の拡大は,必ずしも地を這って進むとは限らないという考えもある.
 方言周圏論あるいは波状説について日本語と英語とで異なっている点は,日本語では,近世前期までは,主要な言語変化は京都を中心とすると考えておよそ間違いないが,英語では必ずしもロンドンを中心とする革新ばかりではなかったという点だ.ロンドンを中心とする南イングランドが言語革新の発信地となって,それが同心円状に各地へと伝播してゆく過程は,確かにある.[2010-07-23-1]の記事「#452. イングランド英語の諸方言における r」で紹介した,18世紀後半の postvocalic r の消失が代表例だ.一方で,[2011-11-24-1]の記事「#941. 中英語の言語変化はなぜ北から南へ伝播したのか」で取り上げたイングランド北部や東部を発信地とする言語変化も多く確認される.したがって,方言周圏論の立場から見ると,イングランドは南北両方から発信された同心円が錯綜し,複合的な方言状況を呈しているということになる.

 ・ 柳田 国男 『蝸牛考』 岩波書店,1980年.

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#2036. イングランド方言にみられる方言周圏論の典型例[wave_theory][dialect][geography][isogloss][map][geolinguistics]

2014-11-23

 方言周圏論といえば,「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]) でみた「蝸牛」の例がよく知られている.ほかにも,「とんぼ(蜻蛉)」を指すアキヅに類似する形が,福島から岩手にかけての東北地方と宮崎南部という遠く離れた地域に分布する例,「退屈」を意味するトゼンの訛語がやはり東北と九州に独立して分布する例などが知られている.南西ヨーロッパの albus に由来する古形が周辺に残存している例も,「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) でみた.では,英語における方言周圏論の例として,何が挙げられるだろうか.
 1つは「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) の地図である.r 脱落という革新がイングランド南東部に発し,北部や東部へ拡がっている.現在も拡大中だが,波紋の及んでいない最北部や西部などの周辺的な地域では,r を保持する古形が残存している.このように方言周圏論の典型例では,ある形態が互いに遠く離れた周縁部 (relic area) に現われる.
 Upton and Widdowson のイングランド方言地図をパラパラ眺めていて,もう1つ典型的な例を見つけることができた.以下は,Upton and Widdowson (140) に掲載されている「(ワシ・タカの)くちばし」を意味する beak の方言語の分布である.

Map of

 標準語形である beak がイングランドの大半を覆っているが,南西部,西部,北部の辺境に bill の小島が細々と分布している.これほど互いに離れた地域で独立して bill が発生したとは考えにくいので,代わりに,かつて全土を覆っていた bill が革新的で勢いのある beak に詰め寄られ,かろうじてその侵入を免れた小区画が辺境に点々と分布しているものと解釈する.ただし,北西部に第3の方言形 neb もある程度の分布を占めており,若干複雑な様相を呈する.
 beak は古フランス語 bec からの借用語で13世紀半ばに入ってきた比較的新しい語である.一方,bill は古英語 bile に遡る本来語で,その起源は古い.neb も同様に古英語 neb(b) に遡る本来語である.現在はイングランド北西部のほかスコットランドにも方言として使用されているが,この北寄りに偏った分布は,英語史的には古ノルド語の同根語 nef の存在によって補強されたのではないかと考えたくなる.
 英語史の知見を交えながらこの方言地図と読み解くと,通時的には次のような過程があったのではないかと想像される.まず,古英語期には bill がイングランド中に広く分布していた.それと並んで neb もそれなりの分布を示していた可能性があるが,とりわけ古ノルド語との接触以来,北部方言で勢力を強めていった.続く中英語期にフランス語からの新参者 beak がおそらく南部に導入され,波状にイングランド全土へ伝播していった.大半の地域では beak が従来の語を置き換えつつ定着していったが,周縁部には本来語の billneb がしぶとく生き延びる小区画が点々と残ることとなった.以上は1つの歴史のシナリオにすぎないが,少なくとも方言地図の示す分布と矛盾しないシナリオである.方言地図の読み解き方の1つの指南として,「#2019. 地理言語学における6つの原則」 ([2014-11-06-1]) も参照されたい.

 ・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.

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#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論[wave_theory][geolinguistics][geography][dialect][map][gravity_model]

2014-11-21

 言語革新がある地点から波状に伝播していくという波状理論 wave_theory について,その具体例を「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1055. uvular r の言語境界を越える拡大」 ([2012-03-17-1]),「#1505. オランダ語方言における "mouse"-line と "house"-line」 ([2013-06-10-1]),「#1506. The Rhenish fan」 ([2013-06-11-1]) などでみてきた.波状理論の最も純粋な解釈によれば,言語革新はある地点から文字通り同心円の波紋を描きながら拡がっていくとされる.これを現実的な地理空間の用語で言い換えると,言語革新は中心地となる町や村から,東西南北あらゆる方向へ,隣り合う町や村に順次伝播していくということになる.
 しかし,この純粋な波状理論には当てはまらない伝播の事例も数多く例証される.言語革新のみならず文化的流行にせよ疫病にせよ,必ずしも隣り合う町伝い,村伝いに伝播するとは限らず,遠く離れた地点へ飛び火するということがありうる.とりわけ交通網の発達した社会では,周辺の村邑を素通りして,大都市間で革新が共有されるタイミングのほうが早いことが多い.例えば,東京発信の革新は,関東外縁へ波状に広まるよりも,東海道新幹線に沿って飛び飛びに横浜,名古屋,京都,大阪へ伝わるほうが早いかもしれない.この場合,波状理論というよりは飛び石理論を想定したくなる.しかし,両理論は排他的な関係ではない.飛び石の各着地点(上の例では横浜,名古屋,京都,大阪)からは,着地の刺激によりそこを中心にやはり新しい波紋が広がりだす.したがって,波状理論のほうがより基本的なモデルであるらしいことがわかる.
 飛び石理論は Chambers and Trudgill による提案だが,拙著で関連する以下の文章を書いたことがあるので引用しておきたい.

As for dialect-to-dialect change, the wave model was first proposed to describe the geographical diffusion of linguistic innovation. Then some geographically aware linguists developed an extended theory on linguistic diffusion over space. Chambers and Trudgill, for example, advanced the gravity model against the wave model to account for the path along which innovation diffuses in space (166). In this model, a linguistic innovation is likened to a stone skipping across a pond because it spreads not necessarily from a speaker or place to the immediate next but jumps from a speaker or place to another which may be geographically apart but socially connected. For example, linguistic innovation can spread from a big city to another, skipping through small towns in between. (Hotta 173)


 言語革新の伝播に関する飛び石理論の具体例としては,イングランド伝統方言における「橋」を表わす bridge (標準語形)と brig の方言分布が挙げられる(以下,地図は Upton and Widdowson 154 より).前者は古英語の本来的な形態 (brycg) を継承する語形であり,後者は古ノルド語の同根語の形態 (bryggja) より影響を受けたとされる語形である.基本的な方言形の分布としては,イングランド南部の大半で bridge が,北部では brig が行われているが,北部の東岸に2箇所,それぞれ離れたエリアに,bridge が用いられている小区画がある.1つは最北の Newcastle, Sunderland, Durham を含むエリア,もう1つはより南の Humber 河口の Grimsby を含むエリアである.周囲がすべて brig である地域に,2つの小区画がポツポツと小島のように浮かんでいる印象だ.これは,南から勢力を拡げる標準語形 bridge が,波状でじわじわと北部に詰め寄っているというよりは,北部東海岸の都市から都市へと飛び石風に分布を拡げているという伝播の仕方を示唆する.そして,その北部東海岸の各都市から近郊へと,今度はおよそ波状に分布を拡げていったという具合だ.

Map of

 Trudgill (129, 132) はイングランドの都市化の潮流と関連づけて,この方言形の分布を読み解いている.

The geographical patterning of the occurrence of the two words suggests that the southern and Standard English word is beginning to spread north, and in a rather interesting way. In its spread northwards, bridge has first invaded the coastal city areas of Sunderland and Grimsby, and then spread outwards again from these centres. This is just one example of the importance of urban centres in the spreading of new forms in language . . ., and of the way in which the increasing urbanization of England has contributed in this century to the loss of Traditional Dialects.


 ・ Hotta, Ryuichi. "The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English." PhD thesis, University of Glasgow. Glasgow, November 2005.
 ・ Chambers, J. K. and Peter Trudgill. Dialectology. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1998.
 ・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.  *
 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.

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#2040. 北前船と飛び石理論[geolinguistics][geography][dialect][japanese][map][gravity_model]

2014-11-27

 「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]) 及び「#2037. 言語革新の伝播と交通網」 ([2014-11-24-1]) で話題にしたように,言語革新は,その他の文化的革新と同様に,交通網に沿って伝播することが多かった.現代はテレビやインターネットなど各種のメディアが発達し,物理的な障害をいともたやすく飛び越えていく時代だが,近代までは物理的な交通こそが,あらゆる文化的伝播の基礎にあった.
 ある一地方で始まった言語革新や,ある一地方に限定されていた方言形が,交通網に沿って伝播する例は,近世の日本にもみられる.明治期までの日本の物流の幹線は,内陸の街道ではなく,沿海の航路である.江戸初期の寛永年間 (1624--44) に河村瑞賢 (1618--99) により本州を巡る廻船航路が開かれると,廻米船が本州の沿岸を頻繁に巡るようになった.大阪,瀬戸内海,日本海岸,酒田を巡る西廻り航路と,江戸,太平洋岸,日本海岸,酒田を巡る東廻り航路と,大阪,太平洋岸,江戸を巡る南海路があった.特に日本海岸を往来した西廻り航路の北前船の活躍がよく知られている.廻船は佐渡,酒田,松前,宮古,銚子などに寄港し,これらの港町に上方の物品,文化,そして方言を伝えた.いわば途中の中小の港町や内陸部を飛び越えて,遠く離れた大きな港町へ飛び石風に上方方言を伝えることとなったのである.  *
 具体例を挙げれば,西廻り航路の要衝だった佐渡には京都風の敬称「?はん」(共通語の「?さん」に相当)が行われているほか,「行かない」の意の近畿方言形「いきゃせん」,「いとおしむ」の意の東北方言形「かなじゅむ」,「だけど」の意の九州方言形「ばってん」などが聞かれる(井上,p. 44).また,宮古など岩手県の沿岸部や千葉県の銚子では「ありがとう」の意味での「おおきに」が聞かれる.ほかに銚子方言では「煮る」ことを「たく」と表現するが,これも上方の方言に倣ったものである.周囲にそのような方言形が行われている地域がなく,孤立した分布を示しているため,これらは当時の廻船航路という交通網に沿っての飛び石現象と解釈するよりほかない.また,八丈島の「おじゃる」は古い京都の方言で,黒潮に乗って流れ着いたと言われており,広い意味で交通網に沿った方言形の伝播の例といってよい(井上,pp. 8--9).
 北前船の活躍は幕末から明治初期が最盛期だったが,その後に汽船や内陸鉄道網の発達で衰退していった.それとともに方言伝播のルートも変わっていったものと思われる.

 ・ 井上 史雄(監修) 『方言と地図』 フレーベル館,2009年.

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#2037. 言語革新の伝播と交通網[wave_theory][geolinguistics][geography][dialect][sociolinguistics][map][gravity_model]

2014-11-24

 「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]) で,都市から都市への言語革新の伝播に触れた.交通が未発達の社会では,人々の行動半径は大きくなく,移動は近隣の地域に限られる.その場合には,言語革新の伝播の様式は,波状理論 (wave_theory) で予想されるとおりの波紋状になるだろう.しかし,交通が発達した社会では,言語革新は例えば道路網や鉄道網に沿うなどして,互いに遠く離れた都市から都市へと飛び石のように伝播するだろう.このように波状理論と飛び石理論は互いに矛盾するものではなく,むしろその社会の交通の発達度を変数とする,より一般的な理論へと止揚できるように思われる.
 刷新形の伝播と交通網とがいかに連動しているかを知るには,イングランド南部で「かいばおけ」を表わす標準形 manger が伝統方言形 trough を置換していく過程と分布を眺めるのがよい.Survey of English Dialects のための調査が進められていた20世紀半ばには,この地域では伝統方言形 trough が行われていたが,北から標準形 manger が着実に浸透しつつあった.その侵入の経路を詳しくみてみると,ロンドンから南西,南,南東へ延びる幹線道路と鉄道網にぴったりと沿いながら浸透していることがわかったのである.結果として,交通網に沿った地域では新形 manger が早く根付いたが,交通網から外れた地域では古形 trough が持続しているという状況が示された.以下,Trudgill (130--31) より,方言地図と交通地図を示す(両地図がいかに重なるかを見るには,こちらのGIFアニメーションをどうぞ.)

Map of

It can be seen that each of the three southward-encroaching prongs of the manger area, two of which actually reach the coast, coincide with the main London to Dover road and rail route, the main London to Brighton route, and the main route from London to Portsmouth. The spread of the incoming form is clearly accelerated in areas with good communications links, and is retarded in more isolated areas. (Trudgill 132)


 言語革新に限らず,モノにせよウィルスにせよ情報にせよ,あらゆるものが交通網に沿って,より一般的にはコミュニケーション・ネットワークに沿って移動し伝播する.考えてみれば当然のことだが,南イングランドにおける「かいばおけ」の例のように地図で示されると,そのことが具体的に理解でき,納得できる.方言地理学がいかにダイナミックであるかを味わわせてくれる好例だろう.「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) の分野からの研究例としても評価できる.

 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.

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#2042. 方言周圏論の反対[wave_theory][japanese][dialect][dialectology][geography][geolinguistics][stress][prosody][map][prescriptive_grammar][speed_of_change]

2014-11-29

 「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),方言周圏論を含む他の記事で,言語革新の典型的な伝播経路とその歴史的な側面に言及してきた.中心的な地域はしばしば革新的な地域でもあり,そこで生じた言語革新が周囲に波状に伝播していくが,徐々に波の勢いが弱まるため周辺部には伝わりにくい.その結果,中心は新しく周辺は古いという分布を示すに至る.互いに遠く離れた周辺部が類似した形態をもつという現象は,一見すると不思議だが,方言周圏論によりきれいに説明がつく.
 以上が典型的な方言周圏論だが,むしろまったく逆に中心が古く周辺が新しいという分布を示唆する例がある.日本語のアクセント分布だ.日本の方言では様々なアクセントが行われており,京阪式アクセント,東京式アクセント,特殊アクセント,一型アクセント,無アクセントが区別される.興味深いことに,これらのアクセントの複雑さと地理分布はおよそ相関していることが知られている.例えば2音節名詞で4つの型が区別される最も複雑な京阪式アクセントは,その名が示すとおり,京阪を中心として近畿周縁,さらに波状に北陸や四国にまで分布している.その外側には2音節名詞で3つの型が区別される次に複雑な東京式アクセントが分布する.東京を含む関東一円から,東は(後で述べる無アクセント地域は除き)東北や北海道まで拡がっており,西は近畿を飛び越えて中国地方と九州北部にまで分布している.つまり,東京式アクセントは,近畿に分断されている部分を除き,広く本州に分布している.
 続いて2音節名詞で2つの型を区別する特殊アクセントは,埼玉東部や九州南西部に飛び地としてわずかに分布するにとどまる.1つの型しかもたない一型アクセントは,全国で鹿児島県都城にのみ認められる.最後に型を区別しない無アクセントは,茨城県,栃木県,福島県,そして九州中央部の広い地域に分布している.このように互いに遠く離れた周辺部に類似したアクセントがみられることは,方言周圏論を想起させる.
 しかし,ここで典型的な方言周圏論と著しく異なるのは,歴史的にはより古い京阪アクセントが本州中央部に残っており,より新しい東京アクセントその他が周辺部に展開していることだ.また,平安時代の京都方言では2音節名詞は5つの型を区別していたことが知られている.すると,平安時代の京都方言のアクセントのもつ複雑さを現代において最もよく保っているのが京阪式アクセントで,そこから順次単純化されたアクセントが波状に分布していると解釈できる.中心が複雑で古く,周辺が単純で新しいという図式に整理できるが,これは方言周圏論の主張とはむしろ逆である.日本の方言を分かりやすく紹介した彦坂 (77) は,次のように述べている.

 内輪にあたる中央の文化的な地方では、教育や伝統がよく伝えられ、ことばもふるい型がたもたれやすかったのです。その外側の中輪の地方になるとこれが弱まり、さらに外輪の地方ではもっと弱まります。近畿を中心に円をえがくようにして、中心がアクセントの型をたもち外側がくずれているのは、そのためです。これは、方言の歴史的な変化のようすを語るものです。
 ――きみはこれを聞いて、前に話した「方言周圏論」=“文化が活発な中央で新しい語が生まれてひろがり、地方にはふるい語がのこる”というのと反対だと、思うかもしれません。この考え方は方言単語のひろがり方によく当てはまります。
 でも、アクセントを中心にして考えられたこうした解しゃくは、「アクセントなどのふくざつな型をもつものは地方のほうが変化を起こしやすい」という、ことばのもうひとつの変化の仕方を語っています。


 構造的に比較的単純な語と複雑なアクセントは,変化や伝播の仕方に関して,別に扱う必要があるということだろうか.構造的複雑さと変化速度との間に何らかの関連があるかもしれないことを示唆する興味深い現象かもしれない.と同時に,上の引用にもあるように,規範や教育という社会的な力が作用しているとも考えられる.
 なお,最も周縁部に分布する無アクセントが最新ということであれば,それは今後の日本語アクセントの姿を予言するものであるとも解釈できる.事実,彦坂 (75) は,「将来の日本語はこういうアクセントになるかもしれません。いゃ、なるでしょう。」と確信的である.  *

 ・ 彦坂 佳宣 『方言はまほうのことば!』 アリス館,1997年.

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#1314. 言語圏[linguistic_area][phonetics][borrowing][world_languages][geolinguistics]

2012-12-01

 昨日の記事「#1313. どのくらい古い時代まで言語を遡ることができるか」 ([2012-11-30-1]) で,言語圏 (linguistic area) という考え方を導入した.今日は,これについてもう少し説明を加えたい.
 地理的に隣り合う言語どうしが長いあいだ接触し続けると,言語特徴が互いに似通ってくるのではないかと想像することができる.多くの言語特徴が束になって言語境界を越えて往来し,結果的に周辺の言語がまとまった類似性を示すということがあるだろう.このようにして生じたと想定される地理空間のことを,言語圏と呼んでいる."linguistic area" のほか,"Sprachbund", "diffusion area", "adstratum", "convergence area" などとも呼ばれることがある.言語圏という概念は,借用されやすい語彙よりも,とりわけ音声や文法において顕著な類似性が見られる場合に言及されることが多い.
 よく知られている言語圏としては,昨日の記事で触れたインド諸語に関する South Asian (or Indian subcontinent) linguistic area のほか,Balkan linguistic area, Baltic linguistic area, Ethiopian linguistic area, Mesoamerican linguistic area, Northwest coast (of North America) linguistic area などが挙げられる.とりわけ Balkan linguistic area は有名である.バルカン半島には, いずれも印欧語族には属するが,Serbo-Croatian, Macedonian, Bulgarian (Slavic) ,Romanian (Italic),Greek (Hellenic), Albanian (Albanian) など異なる語派の諸言語がひしめき合っている.系統的には互いに遠いといってよいが,何世紀ものあいだ隣接して暮らしてきたことにより,いくつかの共通の特徴をもつにいたった.これらはバルカン的特徴 (Balkanisms) と呼ばれている.バルカン的特徴は,たとえ系統的には近い関係であっても圏外の諸言語には観察されない特徴である.その1つとして,Albanian, Bulgarian, Macedonian, Romanian に共通して見られる冠詞の後置を挙げておこう.他のヨーロッパ諸語で冠詞の後置をおこなうのは地理的に遠く離れた北欧諸語のみであるから,バルカン言語圏を想定しない限り,この特徴は説明できない.
 もう1つ有名なのは,南アフリカで話されている Sotho, Zulu, Xhosa などの Bantu 諸語や,Bushman, Khoikhoi などの Khoisan 諸語にまたがって行なわれている舌打ち音 (click) である.世界の言語のなかでも非常に珍しい発音であり,これが1地域の諸言語に共通して用いられているのは偶然とは考えられない.[2012-03-17-1]の記事で取り上げた「#1055. uvular r の言語境界を越える拡大」も言語圏に関する話題である.
 以上,主としてトラッドギル (188--93) を参考にして執筆した.

 ・ Campbell, Lyle and Mauricio J. Mixco, eds. A Glossary of Historical Linguistics. Salt Lake City: U of Utah P, 2007.
 ・ P. トラッドギル 著,土田 滋 訳 『言語と社会』 岩波書店,1975年.

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#1500. 方言連続体[dialect_continuum][dialect][geography][isogloss][map][terminology][language_or_dialect]

2013-06-05

 方言どうしの境界線(あるいは時に言語どうしの境界線)は,必ずしも明確に引けるとは限らない.否,多くの場合,方言線は多かれ少なかれ恣意的である.「#1317. 重要な等語線の選び方」 ([2012-12-04-1]) で述べたように,等語線 isogloss が太い束をなすところに境界線が引かれるとするのが一般的ではあるが,絶対的な基準はないといってよい.
 ある旅行者が地理的に連続体をなすA村からZ村へと歩いてゆく旅を想像すると,A村の言語とB村の言語とは僅少な差しかなく,B村とC村,C村とD村も同様だろう.旅行者は,各々の言語的な差異にはほとんど気付かずに歩いて行き,ついにZ村に達する.ところが,客観的にA村とZ村の言語を比べると,明らかに大きな差異があるのである.村から村への言語差はデジタルではなくアナログであり,旅行者が体験したのは方言連続体 (dialect continuum) にほかならない.世界各地に方言連続体が存在するが,ヨーロッパだけを見ても複数の方言連続体が見られる.以下は,Romain (12) の図を参考にして作った方言連続体の地図である.

Map of Dialect Continua in Europe

 この地図は,例えばイタリア南端からフランス北部のカレーまで,あるいはアムステルダムからウィーンまで,方言連続体を旅することができるということを意味する.
 方言連続体を示す地域の限界は,波線で示された国境線と一致することもあれば一致していないこともある.これは,隣り合う2つの村が国境を挟んでいるからといって,必ずしも大きく異なる言語を用いているというわけではないということを示すと同時に,場合によっては同一国内の隣り合う2つの村でも言語の断絶があり得るということを示す.
 方言連続体に関しては,理論的な問題がある.A, B, C, . . . Zの村々が方言連続体を構成していると想定した場合,それぞれの村の内部では一様な言語が行なわれていると考えてよいのだろうか.あるいは,村の西端と中央と東端とではミクロな方言連続体が存在しているのだろうか.もしA村とB村がそれぞれ言語的に一様だと仮定するならば,A村は1つの方言地域 (dialect area) を構成し,B村はもう1つの方言地域を構成するということになり,A村の方言とB村の方言の間には連続体ではなく小さいながらも断絶が想定されるということにならないだろうか.方言連続体という概念と方言地域という概念はどのように関連しているのだろうか.この理論的問題は,Chambers and Trudgill の問題として,Heeringa and Nerbonne によって取り上げられている.

Chambers and Trudgill (1998) introduced an interesting puzzle, one that is related to whether dialects should be viewed as organized by areas or via a geographic continuum. They observed that a traveller walking in a straight line notices successive small changes from village to village, but seldom, if ever, observes large differences. This sounds like a justification of the continuum view . . . . (376)


 いかに方言連続体が生じるか,なぜ方言が存在するのかという問題については,「#1303. なぜ方言が存在するのか --- 波状モデルによる説明」 ([2012-11-20-1]) の記事も参照.

 ・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
 ・ Heeringa, Wilbert and John Nerbonne. "Dialect Areas and Dialect Continua." Language Variation and Change 13 (2001): 375--400.
 ・ Chambers, J. K. and Peter Trudgill. Dialectology. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1998.

Referrer (Inside): [2013-06-27-1] [2013-06-06-1]

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