[2010-10-03-1], [2010-10-04-1]に引き続き,フランス借用語の使用で注目されがちな Chaucer が,英語本来語をいかに用いていたかを考えてみたい.今回注目したいのは,接頭辞 for- を含む派生語である ( Horobin 75--76 ) .この接頭辞は語根の意味を強めたり,悪い意味を添えたりする機能がある.現代英語の例(古めかしいものもあるが)では forbear 「自粛する」, fordo 「滅ぼす」, forfend 「予防する」, forget 「忘れる」, forbid 「禁じる」, forsake 「見捨てる」, forswear 「誓って否認する」などがある.
以下の3語は,OED でも MED でも Chaucer が初例として挙げられている(以下,引用は The Riverside Chaucer より).
・ forbrused "severely bruised" (MkT: 2613--14)
But in a chayer men aboute hym bar,
Al forbrused, bothe bak and syde.
・ forcracchen "scratched severely" (RRose: 322--23)
Nor she hadde nothyng slowe be
For to forcracchen al hir face,
・ forsongen "exhausted with singing" (RRose: 663--64)
Chalaundres fele sawe I there,
That wery, nygh forsongen were;
・ forwelked "withered, shriveled up" (RRose: 361-62)
A foul, forwelked thyng was she,
That whylom round and softe had be.
・ forwrapped "wrapped up, covered" (PardT: 718; ParsT: 320)
Why artow al forwrapped save thy face?
Al moot be seyd, and no thyng excused ne hyd ne forwrapped,
他に fordronke "completely drunk", forlost "disgraced", forpampred "spoiled by indulgence", forpassing "surpassing", fortroden "trampled upon", forwaked "tired by lack of sleep", forweped "worn out by weeping" なども,Chaucer が(初例ではなくとも)利用した for- 派生語である.
昨日の記事[2010-10-04-1]で触れた drasty の「下品さ」とも関連するかもしれないが,感情のこもりやすい「強調」という機能は本来語要素を用いる方がふさわしいとも考えられる.「感情に訴えかけるための本来語の開拓」という視点でとらえると,Chaucer の語彙の違った側面が見えてくるのではないか.
本来語意の感情に訴えかける性質については,[2010-03-27-1]を参照.
・Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007.
Carstairs-McCarthy (108--09) によると,20世紀後半に顕著な語形成が二種類認められるという.一つはラテン語やギリシャ語に由来する一部の接頭辞による派生,もう一つは特定のタイプの headless compound である.
19世紀以来,super-, sub- といったラテン語に由来する接頭辞や,hyper-, macro-, micro-, mega- といったギリシャ語に由来する接頭辞による派生語が多く作られた.superman, superstar, super-rich, supercooling などの例があり,それ以前の同接頭辞による派生語 supersede, superimpose などと異なり,本来語に由来する基体に付加されるのが特徴である.このブームは現在そして今後も続いていくと思われ,特に giga-, nano- などの接頭辞による派生語が増えてくる可能性がある.
headless compound は exocentric compound とも呼ばれ,pickpocket, sell-out などのように複合語全体を代表する主要部 ( head ) がない類の複合語のことである. sell-out, write-off, call-up, take-over, breakdown など「動詞+副詞」のタイプは対応する句動詞が存在するのが普通だが,そうでないタイプもあり,後者のうち -in をもつ複合語が1960年代ににわかに流行したという.sit-in, talk-in, love-in, think-in のタイプである.
いずれの流行も,近代英語期以降の語形成の一般的な潮流に反しているのが特徴である.ラテン語やギリシャ語の接頭辞は同語源の基体に付加され,その派生語は主に専門用語に限られてきたし,複合語も対応する句動詞が存在するのが通例だった.語形成の傾向にも大波と小波があるもののようである.
・ Carstairs-McCarthy, Andrew. An Introduction to English Morphology. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002. 134.
sand-blind 「かすみ目の,半盲の」という語がある.OED によると初出は15世紀とされる.この語の語源,特に sand- の部分についの由来については確かなことはわかっていないが,Johnson's Dictionary によると "Having a defect in the eyes, by which small particles appear to fly before them" という説明がつけられている.
有力な説として,古英語にあったと推測される *sāmblind に由来するのではないかという説がある.この形は古英語では例証されていないが,「盲目の」を意味する blind に「半分の」を意味する接頭辞 sām- が付加されたものと解釈できるのではないかという.古英語には sāmbærned "half-burnt", sām-cwic "half-dead", sāmgrēne "half-green", sāmhāl "unwell, weakly", sāmlǣred "half-taught, badly instructed", sāmlocen "half-closed", sāmmelt "half-digested", sāmsoden "half-cooked", sāmstorfen "half-dead", sāmswǣled "half-burnt", sāmweaxen "half-grown", sāmwīs "stupid, dull, foolish", sāmworht "unfinished" など多数の合成語が例証されており,*sāmblind もありえない話しではない.これが後に,上記の Johnson の説明にあるように「砂塵に視界がさえぎられるかのように半盲の」と解され,音声的にも sand と結びつけられて,sand-blind という形態が生じたのではないかという.このように,sam- 「半分の」という歴史的な語源で解釈されずに,半ば強引に新たな語源や来歴が付与されるようなケースを民間語源 ( folk etymology ) と呼ぶ.
さて,sam- 「半分の」で気づいたかもしれないが,これは昨日の記事[2010-04-14-1]で触れたラテン語 semi-,ギリシャ語 hemi- と同語根の接頭辞の英語版である.いずれも印欧祖語の *sēmi- にさかのぼる.現代標準英語では,(上記の説を受け入れるならば)sam- の僅かな痕跡は sand-blind に残るばかりとなってしまったが,イングランドの方言を考慮に入れると,現在でも sam-ripe, sam-sodden などが使われている.印欧語の歴史を感じさせるマイナー接頭辞である.
[2009-09-22-1]の記事で,オランダ語 (そこでは Netherlandic language と呼んだ) から派生した,南アフリカ共和国で公用語の一つとして話されている Afrikaans という言語に言及した.南アでは英語も公用語の一つであり,両言語は互いに影響を及ぼしあっている.その記事へ,以下のようなコメントがあった.
印欧語から一度は分かれた(?)英語とオランダ語が,遠い南アフリカの地で出会って,今お互いに影響し合っているっていうのは不思議な感じです….
印欧諸語の発達のある段階において一度は別れた言語どうしが,歴史の偶然により,後に遠い地で「よりを戻す」というルートは確かに興味深い.南アをはじめ旧植民地では,複数のヨーロッパ列強の言語が並存しているということは十分にあり得たことで,その最たる例はアメリカだろう.現在のアメリカの一部はかつてはスペイン領やフランス領だったわけであり,こうした地域では,英語を含めたヨーロッパ諸語が影響を与え合ってきた.言語接触の舞台がヨーロッパではなくアメリカだったというところがおもしろいのだが,各国の共通の狙いが植民地奪取であったことを考えれば,本国近辺ではなく,むしろ遠く離れた地でこそ接触が起こったということは自然なのかもしれない.
アメリカでの英語とヨーロッパ諸語の言語接触については,Mencken に興味深い話題があったことを記憶していたので,探してみた.米語には ker- の接頭辞をもつ単語がいくつかある.重いものがドシンと落ちる感じをあらわす接頭辞だというが,例えば ker-flop, ker-smash, ker-thump などがある.Mencken によると,これはドイツ語の接頭辞 ge- に遡り得るのではないかという.( Mencken には Dorpalen と Horwill の参考文献が挙げられているが,筆者は未確認.)
また,ドイツ移民の多かった Pennsylvania や Wisconsin では興味深いドイツ語の影響が見られるようだ.例えば,接続詞 that が単独で so that の意味を表せるという.
この二つの例に共通しているのは,古英語では,現代ドイツ語に対応する接頭辞や語法がもともとあったという点だ.そして,それらは英語では後に失われてしまったが,同じ Germanic に属するドイツ語と何百年後かにアメリカの地で出会うことにより,復活したという点だ.復活したといっても英語の側にその自覚はないわけだが,この事情を客観的に眺めてみると,「二つの言語の血がまたつながった」かのようである.
言語変化と言語接触の一期一会というべきか.
・Mencken, H. L. The American Language. Abridged ed. New York: Knopf, 1963. 194.
・Dorpalen, Andreas. "German Influences on the American language." American-German Review (1941). 14.
・Horwill, H. W. American Variations. London: Clarendon, 1936. 176.
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