[2010-01-09-1], [2010-02-19-1]の記事で,Chaucer の英語史上に果たした役割について触れた.従来,語彙については,Chaucer がフランス借用語の初例を多く提供しているとして,その英語史上の意義が喧伝されたが,最近ではそれは言い過ぎであるとの評が出てきている.Chaucer が文体や韻律のためにフランス借用語を大いに活用したことは事実だが,それは必ずしも Chaucer がもたらした革新ではなく,あくまで既存の言語資源を「最大限に」活用した点に Chaucer の特徴があるということだろう.
フランス借用語を最大限に活用するためには,当然ながらそれと対比される英語本来語や他の言語からの借用語(主として古ノルド語やラテン語)をも最大限に活用していなければならないはずだ.今回は,Chaucer の語彙についてフランス借用語の陰であまり注目されることのない語類の1つ,英語本来語に注目してみたい.具体例として,Horobin に挙げられている stevene 「声」 (pp. 72--73) の例を取り上げる.
Chaucer の時代には「声」を表わす語には英語本来語の stevene ( < OE stefn ) とフランス借用語の voice の2つがあったが,両者の分布は一様ではない.コーパスを The Canterbury Tales に絞ると,前者が6例,後者が28例現われる(この件数調査は A Glossarial DataBase of Middle English: Canterbury Tales の検索に基づく).圧倒的に後者のほうが普通である.しかも,前者の6例のうち5例までが行末に現われ,明らかに脚韻の要請に動機づけられている.特に興味深いのは "The Knight's Tale" ll. 2561--62 の次の例である(以下,引用は The Riverside Chaucer より).
The voys of peple touchede the hevene, (l. 2561)
So loude cride they with murie stevene, (l. 2562)
voys と stevene の両方が用いられており,英仏語彙の variation が文体的に活用されている.一方で,stevene の使用によって hevene 「天国」との脚韻が成立しており,韻律上も見事にまとまっている.しかも,声が天に届く様子が生き生きと伝わって来る.stevene の使われている他の例でも4例までに hevene との脚韻が見られることから,この古英語由来の語はほぼ脚韻専門の語と考えてよさそうだ.stevene は Chaucer の頃にはもはや一般的でなくなっていたのかもしれないが,それでも死語にはなっていないという状況を Chaucer は最大限に利用してこれだけの文体的効果を生み出しているのである.
・Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow