hellog〜英語史ブログ

#470. toilet の豊富な婉曲表現[euphemism][thesaurus][japanese][synonym]

2010-08-10

 昨日の記事[2010-08-09-1]euphemism を紹介した.euphemism の典型例の1つに「トイレ」を表す1群の語句がある.英語に限らずおそらく多くの言語で「トイレ」は直接的に指すのがはばかられる語であり,間接的に指す表現が豊富に発達していると思われる.「トイレ」などの婉曲表現が豊富に発達するのは,直接性を和らげるために様々な方法で作り出された間接的な表現が,しばらく使用されていると再び直接性を帯びるようになってしまい,次なる間接的な表現が必要とされるからである.こうして,かつては間接的だった表現が半死半生のままに累々と語彙のなかに積み残されることになる.一般に,タブー語に対応する婉曲表現が豊富なのはこのような理由による.
 では,具体的に英語の toilet に相当する表現を見てみよう.複数の辞書や類義語辞典 ( thesaurus ) で調べて和集合を取ったところ,実に86の語句を収集することができた.壮観.

backhouse, basement, bathroom, bedpan, biffy, bog, can, carzey, chamber, chamber pot, chemical closet, chemical toilet, cloakroom, cloaks, closet, cludgie, comfort station, commode, convenience, conveniences, crapper, donagher, don(n)icker, dunny, earth closet, facilities, facility, gents, gutbucket, head, hopper, jakes, jerry, john, johnny, johnny house, jordan, kahsi, karzy, khaziv, ladies , ladies' room, latrine, lav, lavatory, lavvy, little boy's room, little girl's room, loo, lounge, men's room, middy, Mrs. Chan, necessary, outhouse, piss pot, piss-house, pisser, pot, potty, potty-chair, powder room, privy, public conveniences, relief station, restroom, shitter, shouse, stool, the smallest room, throne, throne room, throttle pit, thunder mug, thunder-bowl, thunderbox, toilet, toilet room, toilette, toot, urinal, washroom, Washroom, water closet, WC, women's room


 ただ,ここでは地域変種,使用域 ( register ),含蓄的意味 ( denotation ),トイレの種類の別などは考慮に入れず,フラットに並べただけなので使用上は要注意.(← 後記:denotation ではなく connotation の誤りでした.)
 日本語も同様に調べてみた.英語等からの借用語も含めて実に48の表現があり,同じく壮観.

浅草,隠所(いんじょ),ウオーター・クロゼット,ウオッシュルーム,お下(しも),お下屋敷,御手水(おちょうず),お手洗い,おトイレ,厠(かわや),勘考場(かんこうば),潅所(かんじょ),化粧室,後架(こうか),高野(こうや),御不浄,尿殿(しどの),ジョーン,西浄(せいちん),雪隠,洗面所,WC,手水所(ちょうずどころ),手水場,手洗い,手洗所,手洗場(てあらいば),トイレ,トイレット,トイレットルーム,東司(とうす),東浄(とうじょう,とうちん),トワレット,パウダールーム,憚(はばか)り,ひが場,尾閭(びりょ),不浄,不浄場(ば),屁厠(へがわ),便室(べんしつ) ,便所,メンズルーム,用場(ようば) ,ラバトリー,ルー,レストルーム,レディーズルーム

 いずれの言語の表現も,昨日の記事[2010-08-09-1]で示した様々な euphemism の作り方が適用されているようだ.

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#471. toilet の豊富な婉曲表現を WordNet と Visuwords でみる[web_service][thesaurus][synonym][link]

2010-08-11

 昨日の記事[2010-08-10-1]で,toilet の婉曲表現が豊富であることを見た.複数の辞書を引き比べていて感じたが,最近の(特に学習者用)英英辞書は類義語間の使い分けや語法の解説が詳しく,類義語辞典 ( thesaurus ) ならずともそれに準ずる実用的な類義語リストが得られて有用である.それでも,類義語リストの提示に特化した thesaurus にはかなわない.
 最近はWeb上にも thesaurus が豊富に転がっており,例えば the Free Online Dictionary, Thesaurus and EncyclopediaThesaurus.com などが手軽に利用できる.昨日はWeb辞書は調べていなかったが,追加すべき「トイレ」代替表現がいくつかあるようである.
 Web上の本格的な thesaurus として有名なのは,Princeton University の George A. Miller の指揮によって編纂されている WordNet である.自然言語処理の世界では WordNet と連係しながら様々な応用が図られているようだ.現時点では Version 3.0 のデータベースがこちらから検索可能となっており,例えば toilet の検索結果はこの通り である.上位語 ( hypernym ) や下位語 ( hyponym ) へも一瞬のうちにアクセスでき,英語の意味の世界が手軽に扱えるようになったことを実感できる.また,WordNet 3.0 database statistics には英語の名詞の平均語義数が1.24なのに対して動詞の平均語義数は2.17であるなど,有用な情報がある.
 語の意味の世界を視覚化したネットワーク図が手軽に得られるようなWeb上のサービスも出てきた.Visual Thesaurus がその1つだが有料.フリーでも以下のような簡便なネットワーク図が得られる.

toilet on Visual Thesaurus

 Visual Thesaurus は有料なので,代わりに私がたまに使っているフリーのものが Visuwords.上記の WordNet のデータベースと連係している.出力されるネットワーク図は以下の通り.以下のイメージをクリックして現われる拡大画像,あるいは Visuwords で直接 toilet を検索した出力で,詳細を確かめてみてほしい.

toilet on Visuwords

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#847. Oxford Learner's Thesaurus[lexicography][dictionary][thesaurus][lexicology][synonym][semantic_prosody]

2011-08-22

 英語には数多くの類義語辞典 (thesaurus) があり,[2010-08-11-1]の記事「toilet の豊富な婉曲表現を WordNet と Visuwords でみる」で示したようにオンライン版辞書や類義語の視覚化ツールも少なからず存在する.歴史的類義語辞典としても,近年 HTOED (Historical Thesaurus of the Oxford English Dictionary)TOE (A Thesaurus of Old English) が公開されており,活況を呈している.
 共時的にも通時的にも英語語彙の研究環境は著しく整ってきているが,外国語としての英語の学習環境という観点からは類義語辞典の役割はこれまであまり目立ってこなかった.学習の観点からの類義語の解説については,OALDLDOCE などの老舗学習者用英英辞書も力を入れてきており,発信用の英語学習にも役立つおもしろい解説が増えてきたが,類義語の列挙と解説に特化した学習者用類義語辞典というものはあまり出版されていなかった.唯一,American Heritage Thesaurus for Learners of English (2002) があったくらいだが,2008年になって標題の Oxford Learner's Thesaurus (OLT) が出版された.この辞書は私の手元にもあったが,これまで特に強い関心はなく,意識的に開いたことはほとんどなかった.だが,最近 Komuro and Ichikawa による OLT の辞書分析を読んで,学習者用類義語辞典に興味がわいてきた.辞書は特徴を知っておくことが重要なので,以下に OLT について知っておいてよい点を,Komuro and Ichikawa を参照しながらいくつか挙げておきたい.

 ・ OLT は,Oxford Thesaurus of English (2000, 2004) からの派生物ではなく,むしろ OALD7 (2005) との関係が強い (12) .実際に,OALD7 の類義語解説が多く OLT に反映されている.(つまり,最初から学習者向けにチューニングされており,平易でかゆいところに手が届く記述が期待され,実際にそのようになっている.)
 ・ OLT に限らないが,学習者用類義語辞典の主たる機能は,"(1) make users aware of different connotations or shades of meaning synonyms have and to (2) enable users to choose and use the most appropriate word, which may not be part of their (active) vocabulary, in order to express their idea" (14) .
 ・ 見出し語数は学習者向けに選ばれた1973個で,単語だけでなく複合語や句が見出し語となっている場合もある (16) .
 ・ 1つの見出し語に与えられている類義語の数は,最頻値をとると5--6個 (26) .多すぎず,少なすぎず,学習者にとって適切.
 ・ 挙げられている例文はおおむね適切で,CD-ROM版では各類義語に対して平均3.7個ほどの例文が挙げられている (29) .
 ・ 類義語間の区別にとりわけ重要な register のレーベルや解説が質量ともに充実している (35--45) .特に解説は読み物としておもしろく書かれている (45, 49) .
 ・ 意味の強度によって区別される類義語群について,視覚的な "synonym scales" なる提示法が導入されており,学習上,非常に効果的である (49--52) .

 全体として Komuro and Ichikawa は "a groundbreaking learner's thesaurus (55) と高い評価を与えており,特に最後の "synonym scales" の評価については,私も実際に見てみたが同感.例えば,afraid の類義語の synonym scale は以下の通り.このように一覧されると,頭が整理される.

Synonym Scale of

 レビュー論文を読んでこれから積極的に OLT を利用してみたいと思った.また,英語学習に役に立ちそうであることは言うに及ばず,語彙論や意味論の研究に際しても,本格的な類義語辞典やその他の辞書を用いる前の見当づけやテーマ探しにも使えそうだという印象をもった.例えば,synonym scale を与えられている以下の126語の見出し語から適当な類義語群を選び出し,コーパスを用いて semantic_prosody の研究をするというのもおもしろそうだ.

admiration [n], afraid [a], anger [n], anger [v], angry [a], annoy [v], approval [n], bad [a], beautiful [a], cheap [a], childhood [n], close [a], cold [a], concern [n], convincing [a], crazy [a], crisis [n], defeat [v], delicious [a], delight [v], determine [v], dictate to sb [pv], disappoint [v], disapprove [v], disgusting [a], distress [n], embarrass [v], emotion [n], exciting [a], expose [v], fast [a], fat [a], fear [n], flush [v], frequent [a], friendship [n], frighten [v], frightening [a], frown [v], funny [a], gap [n], glad [a], happy [a], hate [v], hatred [n], high [av], hill [n], hot [a], hungry [a], hurt [v], hysterical [a], immediate [a], impress [v], inspire [v], interest [v], interested [a], interesting [a], ironic [a], like [v], likely [a], lonely [a], lose your temper [idiom], love [n], love [v], mad [a], magnificent [a], mean [a], mentally ill [a], minute [n], modern [a], negative [a], nice [a], odour [n], pain [n], painful [a], plain [a], please [v], pleasure [n], poor [a], possibility [n], praise [v], press [v], pressure [n], probably [adv], quite [adv], radical [a], rain [v], rape [v], recession [n], recommend [v], remarkable [a], respect [v], revenge [n], ridiculous [a], rough [a], rude [a], ruin [v], run [v], ruthless [a], sad [a], serious [a], shock [n], shock [v], show [v], small [a], smile [v], soak [v], sorry [a], star [n], strict [a], suppress [v], sure [a], surprise [v], take advantage of sb/sth [v], taste [n], tear [v], temper [n], tight [a], tired [a], ugly [a], unhappy [a], upset [a], violent [a], well [a], wet [a], worry [v]


 ・ American Heritage Thesaurus for Learners of English. Boston & New York: Houghton Mifflin Harcourt Publishing Company, 2002.
 ・ Oxford Learner's Thesaurus: A Dictionary of Synonyms. Oxford: OUP, 2008.
 ・ Komuro, Yuri and Yasuo Ichikawa. "An Analysis of the Oxford Learner's Thesaurus: A Dictionary of Synonyms." Lexicon 41 (2011): 11--59.
 ・ Oxford Advanced Learner's Dictionary. 7th ed. Oxford: OUP, 2005.

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#334. 英語語彙の三層構造[lexicology][french][latin][register][thesaurus][loan_word][lexical_stratification]

2010-03-27

 類似概念を表すのに二つ以上の語が存在するという状況はどの言語でも珍しくない.確かに,完全な「同義語」というものが存在することは珍しいが,少し条件をゆるめて「類義語」ということであれば,多くの言語に存在する.とはいうものの,英語の類義語の豊富さは,多くの言語と比べても驚くべきほどである.このことは類義語辞典 ( thesaurus ) を開いてみれば,一目瞭然である.
 英語史の観点から類義語の豊富さを説明すれば,それは英語が多くの言語と接触してきた事実に帰せられる.異なった言語から対応する語を少しずつ異なったニュアンスで取り入れ,語彙のなかに蓄積していったために,結果として英語は類義語の宝庫 ( thesaurus ) となったのである.
 類義語を語源別にふるい分けてみると,そこに「層」があることがわかる.例えば,典型的な類義語のパターンとして「三層構造」とでも呼ぶべきものがある.下層が本来語,中層がフランス語,上層がラテン・ギリシャ語というパターンである.

nativeFrenchLatin/Greek
askquestioninterrogate
bookvolumetext
fairbeautifulattractive
fastfirmsecure
foeenemyadversary
helpaidassistance
kinglyroyalregal
risemountascend


 下層は文字通り「レベルが低い」が,同時に「暖かみと懐かしさ」がある.本来のゲルマン系の語彙であるから,故郷の懐かしさのようなものが感じられるのは不思議ではない.
 中層は多少なりとも権威と教養を感じさせるが,庶民が届かないほどレベルが高いものではない.歴史的には中世イングランドの公用語がフランス語だったことに対応するが,中英語期に借用されたフランス語彙のなかには特別な権威を感じさせず,十分に庶民化したといってよい語も多い ( ex. face, finish, marriage, people, story, use ) .
 上層には,学問と宗教の言語,すなわち権威を体現したような言語たるラテン語(あるいはギリシャ語)が控えている.語の響きとしては厳格で近寄りがたく,音節数も多いのが普通である.
 このように,語彙の三層構造が歴史的に育まれてきた英語では,階層間の使い分けが問題になる.特に微妙な意味の差や適切な 使用域 ( register ) の見極めが肝心である.例えば日常会話では下層や中層の語彙がふさわしいが,学術論文では中層や上層の語彙を使いこなす必要がある.気軽に尋ねるのに "May I interrogate you?" は妙だろう.
 このような語彙の階層については,具体例を一覧表で列挙している橋本先生の英語史の第5章が参照に便利である.

 ・ 橋本 功 『英語史入門』 慶應義塾大学出版会,2005年.

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#387. trisociationtriset[lexicology][latin][greek][lexical_stratification]

2010-05-19

 [2010-03-27-1]の記事で英語語彙の三層構造を紹介した.その記事では,foe, enemy, adversary などの三語一組の例を挙げ,それぞれ (1) 英語本来語,(2) フランス借用語,(3) ラテン・ギリシャ借用語の層をなしていることを示した.英語語彙に見られるこの特異な三層構造を言い表す術語がないかなと思っていたが,McArthur が trisociation と呼んでいるのをみつけた.この三語一組のことは triset と呼んでいる.
 ただ,McArthur の trisociation は,(1) 英語本来語,(2) フランス語・ラテン語,(3) ギリシャ語というように層別しているようで,上述の foe の例の層別とは異なる.実際には四層あるものを三層に分けて考えているのだからこのようなヴァリエーションもありうるが,語という単位ではなく形態素という単位で考える場合には McArthur の層別のほうがうまくいく.McArthur が挙げている triset の例を再掲する(主に本来語が b-, n-, s- で始まる triset の例).

triset of morphemestriset of words
ant, formic-, myrmec-ant-eater, formicarium, myrmecology
bad, mal-, caco-badly, malign, cacophony
be, ess-, ont-being, essence, ontology
belly, ventr-, gastr-potbellied, ventral, gastritis
best, optim-, aristo-bestseller, optimal, aristocrat
big, magn-, mega(lo)-bigheaded, magnitude, megalomania
bird, avi-, ornith-bird-watcher, aviary, ornithology
birth, nasc-/nat-, gen-/gon-birthday, nascent/native, genesis/cosmogony
black, nigr-, melan-blacken, denigrate, melanin/melancholy
blood, sanguin-, (h)aem(at)-/(h)em(at)-bloody, sanguinary, an(a)emic
body, corp(or)-, som(at)-bodily, corporeal/incorporate, psychosomatic
bone, oss(e)-, osteo-rawboned, osseous, osteopath
book, libr-, biblio-bookish, library, bibliography
breast, mamm-, mast-doublebreasted, mammography, mastitis
earth, terr-, ge-earthquake, terrestrial, geography
fire, ign-, pyr-fire-fighter, igneous, pyromania
naked, nud(e)-, gymn-nakedness, nudity, gymnosophist
name, nomin-, onom-/onym-namely, nominate, onomastic/synonym
new, nov-, neo-newness, innovate, neologism
night, noct-, nyct-nightly, nocturnal, nyctalopia
nose, nas-, rhin-nosiness, nasal, rhinitis
salt, sal-, (h)al-salty, salinity, halophyte
say, dict-, phas-/phat-saying, dictum, emphasis
sea, mar-, thalass-seascape, marine, thalassocracy
see, vid-/vis-, scop-all-seeing, evident/vision, telescope
self, ips-, aut(o)-unselfish, solipsism, autistic
shape, form-, morph-shapely, formal, metamorphosis
sharp, ac(u)-, oxy-sharpen, acute, oxygen
skin, cut(i)-, derm(at)-skinny, subcutaneous, dermatitis
sound, son-, phon-soundless, sonic, telephone
speak, loqu-/loc(ut)-, log-unspeakable, eloquent, dialog(ue)
stand, sta(t)-, stas-/stat-outstanding, stable, stasis/statis
star, stell-, aster-starry, stellar, asteroid
stone, lapid-, lith-stony, lapidary, megalithic
sun, sol, heli(o)-sunny, solar, heliograph


 ラテン語 /s/ とギリシャ語 /h/ の対応については,[2010-04-14-1]で扱ったのでそちらを参照.

 ・ McArthur, Tom. "English in Tiers." English Today 23 (July 1990): 15--20.

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#820. 英仏同義語の並列[french][loan_word][register][lexicology][hybrid][binomial][lexical_stratification]

2011-07-26

 中英語期にフランス借用語が大量に流入してきた事実についてはすでに多くの記事で扱ってきた([2009-08-22-1]の記事「フランス借用語の年代別分布」ほかを参照).これにより英語の表現の可能性が広がったが,注目すべき表現として,英語本来語と対応するフランス借用語を並列させる2項イディオム (binomial idiom) の表現がある(バケ,p. 60).my heart and my corage, wepe and crye, huntynge and venerye の如くである.この表現は,本来語とフランス借用語の間に使用域 ( register ) の差のあることを利用した修辞的な技法ともとらえることもできるが(「英語語彙の三層構造」については[2010-03-27-1]の記事を参照),目新しい借用語の理解を容易にするための訳語として本来語を添えたとも考えられる.後者は,説明を要する語に注解 ( gloss ) を施すという古英語以来の習慣の一端と言えるかもしれない.これはまた,17世紀の難語辞書 (see [2010-12-27-1], [2010-11-24-1]) の登場にもつらなる言語文化的習慣である.近代以降では lord and master, my last will and testament などが慣用表現となっている.
 なお,並列表現といっても,必ずしも and のような等位接続詞で結ばれているとは限らない.例えば court-yard (中庭)や mansion-house (邸宅)は英仏対応要素の直接複合であり,冗語的といえる.
 借用語の流入は,単に既存の語を置きかえたり,語の種類を増やしたりすだけではなく,既存の語彙と連携して当該言語の表現可能性を高めている側面もあることを評価すべきだろう.関連して,英仏両要素が1語内に混合している hybrid の各記事(特に[2009-08-01-1]の「英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )」)も参照.

 ・ ポール・バケ 著,森本 英夫・大泉 昭夫 訳 『英語の語彙』 白水社〈文庫クセジュ〉,1976年.

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#573. 名詞と形容詞の対応関係が複雑である3つの事情[adjective][loan_word][lexicology]

2010-11-21

 英語には,名詞に対応する形容詞語彙が難解であるという問題点がある.ここには,形容詞が主にフランス語,ラテン語,ギリシア語からの借用語によってまかなわれているという事情がある.この問題には3つの側面があるように思われる.
 (1) 名詞は本来語だが対応する形容詞は借用語である場合に,形態の類似性が認められない.father に対して paternalking に対して royal, regal など,形態的に予測不可能であり,学習者は一つひとつ暗記するよりほかない.father -- paternal のようなペアは究極的には同語源だが ( see [2009-08-07-1] ) ,それを知るには専門的な知識が必要である.[2010-04-18-1]の記事で列挙したように,動物名に対応する形容詞はこの問題を表わす典型的な例である.
 (2) 上の (1) のようなペアには本来語の派生形容詞が並存する場合があり,その場合,複数種類の形容詞の間に意味の分化が生じる.father に対する形容詞としては paternal のほかに fatherly も存在する.同様に,king に対しては royalregal のほかに kingly も存在する ( see [2010-03-27-1] ) .これらの形容詞の間には意味や使用域 ( register ) の差があり,学習者はやはり一つひとつ違いを学ばなければならない.
 (3) 名詞自体が借用語の場合,通常,対応する形容詞も同語源の借用語なので,一見すると予測可能性が高そうだが,付加される形容詞語尾が複数種類あるのでどれが「正しい」形容詞か分からない.例えば,labyrinth 「迷宮」を例に取ろう.この語はギリシア語からラテン語を経て英語に借用され,英語での初例は1387年となっている.そして,16世紀以降,その形容詞形が英語で用いられることになった.ところが,出ること出ること,17世紀を中心にしてなんと7種類の形容詞が記録されている.OED での初出年とともに形態を示そう

AdjectiveYear
labyrinthial (obsolete)a1550
labyrinthian1588
labyrinthical (rare)1628
labyrinthine1632
labyrinthic1641
labyrinthal (rare)1669
labyrinthiform1835


 ここには特に意味や register の差異は感じられない( labyrinthiform はやや特殊かもしれないが).これらは,言語には珍しいとされる完全な synonym 群の例ではないだろうか.英語は世界一語彙の多い言語といわれるが,こういった synonym 群を含んでいるのであれば,むべなるかなと感じざるを得ない.いや,こうして世界一になったからといって本当に名誉なことなのだろうか.首をかしげたくなる.

Referrer (Inside): [2014-12-29-1]

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#350. hypermarketsupermarket[etymology][indo-european][latin][greek][french][loan_translation][lexical_stratification]

2010-04-12

 以前に住んでいたところの近くにスーパーマーケット Olympic があった.食料品から生活品までが一カ所で揃うので,毎日といってもいいほどに常用していた.そのため,転居して Olympic を利用する機会がなくなったにもかかわらず,常に店内に流れていた Olympic のテーマ曲が今でも頭を回ることがある.おそらく今でも変わっていないだろう.

楽しく明るいお店です 品物豊富なお店です♪
嬉しい安さに微笑んで いつも賢いお買い物♪
あなたの欲しい物 何でも揃う
O L Y M P I C(オーエルワイエムピーアイシー)
ハイパーマーケット オリンピック♪


 そう,Olympicsupermarket ならぬ hypermarket なのである.hypermarket の定義はこの辺りの辞書に任せて,ここでは語源を考えてみたい.supermarket は読んで字の如く super- + market の合成語で,英語には1933年が初出である.一方,hypermarkethyper- + market の合成語で,1970年辺りにフランス語 hypermarché を翻訳借用 ( loan translation ) して英語に取り込んだものである.フランス語の hypermarché 自体は,supermarché "supermarket" にならった造語である.
 フランス語でも英語でも,そして日本語(カタカナ)でも,hypermarketsupermarket の巨大進化版であると考えられている.hyper- のほうが super- よりも上位であるという感覚だ.この接頭辞はともに「上の,上位の,過度の」を表す点で共通するが,それもそのはず,印欧祖語の一つの語根 *(s)uper にさかのぼる.この印欧語根がラテン語では super- として伝わり,ギリシャ語では最初の子音が気音化し hyper- となった.above, over, up なども究極的にはこの語根と関連する.
 さて,語源が共通であるとすると hyper- のほうが super- よりも上位であるという感覚には根拠がないことになるが,現実的にはそうした感覚が歴然としてある.言語において類義語どうしの意味の棲み分けは自然のことであり,この場合もたまたま hyper- と super- のあいだに程度の差が生まれたのだと論じることはできよう.しかし,hyper- が super- より上位であり,その逆ではないことには,偶然以上の根拠があるのではないか.[2010-03-27-1]の記事で見たように,英語語彙には,大雑把にいってラテン語,フランス語,英語本来語の三層構造が認められる.この最上位に位置するのがラテン語だが,実はその上に超最上位というべきギリシャ語が存在するのである.歴史的に,英語が文化的により上位のフランス語やラテン語から多くの語彙を借用してきたのと同じように,ラテン語は文化的により上位のギリシャ語から多くの語彙を借用してきた.ギリシャ語はラテン語にとって高みにある言語なのである.このような言語文化的な背景を背負ったままに,現在,英語でギリシャ語系 hypermarket とラテン語系 supermarket が区別されているのではないか.
 ちなみに,「下位の」を表す接頭辞はラテン語 sub-,ギリシャ語 hypo- である.ここでも /s/ ( Latin ) と /h/ ( Greek ) の対応があることに注意.

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