言語の標準化 (standardisation) や標準語をどうみるかという問題は,社会言語学の重要なトピックである.英語でいえば,標準英語 (Standard English) とは何かという話題だ.これについては,本ブログでも様々な形で扱ってきた(##1228,1237,1245,1247,1275,1396,3207,3232,3499,3780,4093の記事セットを参照).
標準語には威信 (prestige) が付随しているのが普通である.平たくいえば標準語は他変種よりも「偉い」.しかし,「偉い」といっても社会的にたまたまそのような役割を付されているという意味で「偉い」のであって,言語的に他変種より優れているという含みをもって「偉い」わけではない.しかし,後者の意味において「偉い」ものであると錯覚されてしまうことが多く,これにこそ注意すべきである.
では,社会的に「偉い」とはどういうことだろうか.実は偉くも何ともないのである.ただ,1つの取り決めとして社会の中心に据えられており,皆がそのサービスを享受するために,便利で有名で注目されやすいということにすぎない.その点では,度量衡や交通マナーなどの取り決めに類する.この秀逸な比喩は Horobin (72--73) のものである.
. . . many people today insist that Standard English is inherently superior. Such a view implies a misunderstanding of a standard language, which is simply an agreed norm that is selected in order to facilitate communication. We might compare Standard English with other modern standards, such as systems of currency, weights and measures, or voltage. No one system is inherently better than another; the benefit is derived from the general adoption of an established set of norms.
Another useful analogy is with the rules of the road. There is no reason why driving on the left (as in England) should be preferred over driving on the right-hand side (as on the continent and in the USA). The key reason to choose one over another is to ensure that everyone is driving on the same side of the road.
標準語は,皆が同意している社会的な取り決めであり,だからこそ社会的に便利なものである.しかし,だからといって他変種と比べて本質的に優れた変種であるわけではない.社会的な取り決めが変われば,標準語となる言語変種も変わることがある.言ってしまえば,その程度の代物である.この辺りをしっかり押さえておきたい.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
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