古英語や中英語では,現代英語の <th> /θ, ð/ に相当する文字として,<þ> "thorn" と <ð> "eth" or "edh" が頻繁に用いられた.中英語期以降は <th> が両者を置き換えてゆくことになったが,ルーン文字に由来する前者は([2012-01-28-1]の記事「#1006. ルーン文字の変種」を参照),中英語期中,とりわけ北部方言でしぶとく生き残った.17世紀の印刷本に現われることすらあったという (Schmitt and Marsden 159) .
では,<þ>, <ð>, <th> に関する上の記述は,Helsinki Corpus によって裏付けられるだろうか.写本の時代区分(COCOA の <C で表される part of corpus)をキーにしておおまかに頻度を数え,各時代の内部比率でグラフ化した.数値データは,HTMLソースを参照.また,時代区分についてはマニュアルを参照.
近代英語での <þ> の使用は Helsinki Corpus では確認できなかったものの,上に概観した3種類の文字素の盛衰はおよそ裏付けられたといってよいだろう.古英語から M2 (1250--1350) にかけて,<ð> がひたすら減少する一方で,<þ> は分布を広げていた.しかし,絶頂もつかの間,次の時代以降,<þ> は <th> に急速に置き換えられてゆく.
中英語ではとりわけ北部で <þ> が持続したというが,こちらも確認したいところだ.Helsinki Corpus を用いた他の頻度調査の例としては,「#381. oft と often の分布の通時的変化」 ([2010-05-13-1]) も参照.
・ Schmitt, Norbert, and Richard Marsden. Why Is English Like That? Ann Arbor, Mich.: U of Michigan P, 2006.
Helsinki Corpus (The Diachronic Part of the Helsinki Corpus of English Texts) は1991年に公開されて以来,英語歴史コーパスの元祖として重用されてきた.HC の役割は現在でも薄れておらず,本ブログでも「#381. oft と often の分布の通時的変化」 ([2010-05-13-1]) を始め,hc の各記事で言及してきた.
HC を本格的に使いこなすには,こちらのマニュアルを熟読する必要がある.とりわけ時代別サブコーパスの語数は押さえておく必要があるし,COCOA Format による参照コードの理解も重要だ.COCOA Format は,HC のソーステキスト内にそのテキストに関する種々の情報を付与するための形式である.各テキストについて,その年代,方言,著者の性別,韻文か散文かなどの情報が,この形式により付与されている.使用者は,この情報を利用することにより,特定の条件を満たすテキストを選び出すことができるというわけだ.
HC の COCOA 情報を利用した条件の絞り込みを簡便にするために,まず表形式にまとめ,それをデータベース化 (SQLite) した.
A = "author"
B = "name of text file"
C = "part of corpus"
D = "dialect"
E = "participant relationship"
F = "foreign original"
G = "relationship to foreign original"
H = "social rank of author"
I = "setting"
J = "interaction"
K = "contemporaneity"
M = "date of manuscript"
N = "name of text"
O = "date of original"
P = "page"
Q = "text identifier"
R = "record"
S = "sample"
T = "text type"
U = "audience description"
V = "verse" or "prose"
W = "relationship to spoken language"
X = "sex of author"
Y = "age of author"
Z = "prototypical text category"
典型的な検索式を例として挙げておく.
# 表全体を再現[ 固定リンク | 印刷用ページ ]
select * from hccocoa
# 時代区分別のテキスト数
select C, count(*) from hccocoa group by C
# テキストタイプ別のテキスト数
select T, count(*) from hccocoa group by T
# ME に時代区分されているテキストの各種情報を一覧
select B, C, D, V from hccocoa where C like 'M%' order by C
中英語には,最上級 most が mest という前舌母音字を伴って現われることが少なくない.近代英語以降,後者は廃れていったが,両形の起源と分岐はどこにあるのだろうか.
most は Proto-Germanic *maistaz に遡ることができ,ゲルマン諸語では Du. meest, G meist, ON mestr, Goth. maists などで文証される.音韻規則に従えば,古英語形は māst となるはずであり,実際にこの形態は Northumbrian 方言で確認されるものの,南部方言では確認されない.南部では,前舌母音を伴う West-Saxon mǣst や Kentish mēst が用いられた.OED によれば,前舌母音形は,lǣst "least" との類推とされる.この前舌母音の系統が,主として mest(e) という形態で中英語の南部方言へも継承され,そこでは15世紀まで使われた.
一方,北部方言に起源をもつ形態は,中英語では後舌母音の系統を発達させ,主として most(e) という形態が多用された.じきに中部,南部でも一般化したが,北部方言形の南下というこの時期の一般的な趨勢に加え,比較級 mo, more の母音との類推も一役買ったのではないかと想像される.
結果的に,近代英語以降にはゲルマン祖語からの規則的な発達形 most が標準的となってゆき,古英語から中英語にかけて用いられた mest は標準からは失われていった.「一番先の」を意味する中英語 formest (cf. 比較級 former) が,15世紀に foremost として再分析された背景には,上述の most による mest の置換が関与しているかもしれない.もっとも,古英語より,最上級語尾の -est 自体が -ost とよく混同されたのであり,最上級に関わる形態論において,両母音の交替は常にあり得たことなのかもしれない.
なお,PPCME2 でざっと後舌母音系統 (ex. most) と前舌母音系統 (ex. mest) の分布を調べてみると,前者が354例,後者が168例ヒットした.Helsinki Corpus でも簡単に調査したが,中英語でも現代標準英語と同様に most 系統が主流だったことは間違いないようだ.
標題のような here や there を第1要素とし,前置詞を第2要素とする複合副詞は多数ある.これらは,here を this と,there を it や that と読み替えて,それを前置詞の後ろに回した句と意味的に等しく,標題の語はそれぞれ by this, of this, to that, with that ほどを意味する.現代では非常に形式張った響きがあるが,古英語から初期近代英語にかけてはよく使用され,その種類や頻度はむしろ増えていたほどである.だが,17世紀以降は急激に減ってゆき,現代のような限られた使用域 (register) へと追い込まれた.衰退の理由としては,英語の構造として典型的でないという点,つまり総合から分析への英語の自然な流れに反するという点が指摘されている (Rissanen 127) .文法化した語として,現代まで固定された状態で受け継がれた語は,therefore のみといってよいだろう.
現代英語で確認される使用域の偏りは,すでに中英語にも萌芽が見られる.here-, there- 複合語は,後期中英語ではいまだ普通に使われているが,ジャンルでみると法律文書での使用が際だっている.以下は,Rissanen (127) の Helsinki Corpus による調査結果である(数字は頻度,カッコ内の数字は1万語当たりの頻度を表わす).
Statutes | Other texts | |
---|---|---|
ME4 (1420--1500) | 68 (60) | 621 (31) |
EModE1 (1500--70) | 77 (65) | 503 (28) |
EModE2 (1570--1640) | 84 (71) | 461 (26) |
EModE3 (1640--1710) | 126 (96) | 191 (12) |
中英語ではごく普通に見られるが,現代の視点から見ると妙な構造がある.go に主語に対応する目的格代名詞が付随する構造で,現代風にいえば he goes him のような表現である.統語的には主語を指示する再帰代名詞と考えられるが,himself のような複合形が用いられることは中英語にはない(中尾, p. 187).機能的には一種の ethical dative と考えられるかもしれないが,そうだとしてもその機能はかなり希薄なように思える.
例えば,Chaucer の "The Physician's Tale" (l. 207) からの例(引用は The Riverside Chaucer より).
He gooth hym hoom, and sette him in his halle,
この構造についてざっと調べた限りでは,まだ詳しいことは分からないのだが,OED では "go" の語義45として以下の記述があった.
45. With pleonastic refl. pron. in various foregoing senses. Now only arch. [Cf. F. s'en aller.]
例文としては,中英語期から4例と,随分と間があいて1892年のものが1例あるのみだった.
一方 Middle English Dictionary のエントリーを見てみると,2a.(b) に関連する記述があったが,特に解説はない.以前から思っていたことだが,中英語では実に頻繁に起こる構造でありながら,ちょっと調べたくらいではあまり詳しい説明が載っていないのである.ただし,中尾 (187) によれば,中英語では gon のほか,arisen, feren, flen, rennen, riden, sitten, stonden などの往来発着の自動詞がこの構造をとることが知られている.
中英語で盛んだったこの構造は,近代英語期ではどうなったのだろうか.Helsinki Corpus で go him を中心とした例を検索してみたが,中英語からは10例以上が挙がったものの,近代英語期からは1例も挙がらなかった.この統語構造は近代英語期に廃れてきたようにみえるが,どういった経緯だったのだろうか.
・ 中尾 俊夫 『英語史 II』 英語学大系第9巻,大修館書店,1972年.
現代英語の文法では,形容詞の比較級は,-er を接尾辞として付加する屈折 ( inflection ) か,more を前置する迂言 ( periphrasis ) かによって形成される.いずれを適用するかについては,例外はあるもののおよその傾向はある.一音節語は原則として屈折形をとり,それ以外の多音節語は原則として迂言形をとる.しかし,二音節語のうち語尾に -y, -ly, -er, -le などをもつものについては屈折形をとることが多いという.実際には両方法ともに可能な語も少なくない.
Kytö (123) によると,現代英語のこの傾向は16世紀の初めまでにおよそ確立したという.古英語期には散発的な迂言形の例を除いて,すべての形容詞において屈折形が原則だった.13世紀になるとラテン語の影響(おそらくはフランス語の影響よりも強い),そして強調の目的で自発的にも迂言形が生じてきて,中英語期を通じて拡大した.これは,総合 ( synthesis ) から 分析 ( analysis ) へ向かう英語の一般的な言語変化の流れに乗ったゆえとも考えられる.
しかし,後期中英語から初期近代英語の比較級(と最上級)の分布を Helsinki Corpus で調査した Kytö の研究によると,synthesis から analysis へという全体的な流れに反して,屈折形もかなり粘り強く残ってきたし,語群によってはむしろ復活・拡大してきたという.まとめとして,このように述べている.
The results indicate that while the comparison of adjectives first followed the tendency of English to favour analytic forms as against synthetic, it was the synthetic forms that finally took over during the period when the Present-day usage became established. (140)
流れに逆らっているように見える比較級形成の歴史はおもしろい.
・ Kytö, Merja. " 'The best and most excellentest way': The Rivalling Forms of Adjective Comparison in Late Middle and Early Modern English." Words: Proceedings of an International Symposium, Lund, 25--26 August 1995, Organized under the Auspices of the Royal Academy of Letters, History and Antiquities and Sponsored by the Foundation Natur och Kultur, Publishers. Ed. Jan Svartvik. Stockholm: Kungl. Vitterhets Historie och Antikvitets Akademien, 1996. 123--44.
過去二日の記事[2010-05-11-1], [2010-05-12-1]で,often という語の歴史をみた.OED によると oft に代わって often が一般化するのは16世紀以降ということだが,頻度の高い語なので Helsinki Corpus ( The Diachronic Part of the Helsinki Corpus of English Texts ) で確かめられそうだと思い,時代区分( COCOA の <C で表される part of corpus )のみをキーにしておおまかに頻度を数えてみた.時代区分の略号などはこちらのマニュアルから.
WORD | PERIOD | oft | often |
REGEX | /\bofte?\b/ | /\boft[ei]n\b/ | |
OE | O1 | 0 | 0 |
O2 | 72 | 0 | |
OX/2 | 4 | 0 | |
O3 | 45 | 0 | |
O2/3 | 32 | 0 | |
OX/3 | 106 | 0 | |
O4 | 9 | 0 | |
O2/4 | 8 | 0 | |
O3/4 | 37 | 0 | |
OX/4 | 2 | 0 | |
ME | M1 | 67 | 0 |
MX/1 | 20 | 0 | |
M2 | 60 | 4 | |
MX/2 | 9 | 1 | |
M3 | 63 | 4 | |
M2/3 | 15 | 0 | |
M4 | 15 | 7 | |
M2/4 | 3 | 0 | |
M3/4 | 17 | 1 | |
MX/4 | 20 | 0 | |
EModE | E1 | 14 | 28 |
E2 | 14 | 33 | |
E3 | 9 | 78 |
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