hellog〜英語史ブログ

#928. 屈折の neutralization と simplification[inflection][contact][language_change][germanic][old_norse]

2011-11-11

 英語史では,古英語から中英語にかけて起こった屈折体系の簡単化を,屈折の水平化 (levelling) や単純化 (simplification) という用語で表現するのが普通である.同様の現象が多かれ少なかれ他のゲルマン諸語でも生じてきたことは,昨日の記事「#927. ゲルマン語の屈折の衰退と地政学」 ([2011-11-10-1]) や「#656. "English is the most drifty Indo-European language."」 ([2011-02-12-1]) で話題にしてきたが,ここでも水平化や単純化という用語が適用されるだろう.
 しかし,O'Neil は,ゲルマン諸語に見られる屈折の衰退は,明確に区別されるべき2つの用語 neutralizationsimplification によって記述されるべきだと強調している.それぞれの定義は,O'Neil (283) によると次の通り.

(A) If there is significant and more-or-less permanent contact between two closely related languages differing for the most part only in superficial aspects of their grammars (inflections, accent, tone, etc.), these superficial differences will be rapidly neutralized or erased. (283)


(B) Without language contact, inflectional systems will simplify only so far as there is room available for easing learning without greatly decreasing perceptibility. (283)


 つまるところ,言語接触が契機となって文法カテゴリーの区別が失われるような言語体系の簡単化を neutralization と呼び,言語接触とは関係なく,学習や知覚に関わる話者の言語心理学的な要求に基づいて自然に進行する言語体系の簡単化を simplification と呼び分けるべきだと,O'Neil は主張している.比喩的に言えば,neutralization は突如として激しく作用するデジタルな力,simplification は常に少しずつ作用しているアナログな力と捉えられるだろうか.
 この用語でゲルマン諸語の屈折体系の簡単化を改めて記述すると,次のようになるだろう.Icelandic や High German などの相対的に保守的な言語では,主として simplification による屈折体系の簡単化のみが観察されるのに対して,著しく簡単化した英語,大陸スカンジナビア諸語,アフリカーンス語などでは,simplification に加えて,言語接触によって引き起こされた neutralization が作用した.
 古英語後期から言語内的に進行していた屈折の簡単化が古ノルド語との接触により著しく加速したという歴史的な説明は,今では広く受け入れられているが,それを明確に区別される2つの用語により説明しなおしたという点に,O'Neil の意義がある.既に進行していたプロセス (simplification) がそのまま延長されたのではなく,簡単化という意味では一緒にくくることができるものの,古ノルド語との接触により誘発された別のプロセス (neutralization) によって後押しされたと考えている点が重要である.

 ・ O'Neil, Wayne. "The Evolution of the Germanic Inflectional Systems: A Study in the Causes of Language Change." Orbis 27 (1980): 248--86.

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#931. 古英語と古ノルド語の屈折語尾の差異[oe][old_norse][inflection][conjugation][paradigm][contact][language_change]

2011-11-14

 [2011-11-11-1]の記事「#928. 屈折の neutralization と simplification」では,古英語の言語体系が古ノルド語との接触により簡単化していった過程を,O'Neil の用語を用いて neutralization と呼んだ.この過程の要諦は,古英語と古ノルド語との間で,対応する語幹はほぼ同一であるにもかかわらず,対応する屈折語尾は激しく異なっていたために,後者が積極的に切り落とされたということだった.
 では,具体的にどのように両言語の屈折体系が混乱を招き得るものだったかを確かめてみよう.以下は,典型的な強変化動詞,弱変化動詞,弱変化名詞,強変化女性名詞 (o-stem) の屈折の対照表である (O'Neil 257--59) .

Strong Verb

 Old EnglishOld Norse
Infdrīfan 'drive'drífã
Pres. Sing. 1.drīfedríf
2.drīfestdrífR
3.drīfeðdrífR
Plur. 1.drīfaðdrífom
2.drīfaðdrífeð
3.drīfaðdrífã
Past Sing. 1. and 3.drāfdreif
2.drifedreift
Plur. 1.drifondrifom
2.drifondrifoð
3.drifondrifð
Pres. pple.drīfendedrífande
Past pple.drifendrifenn

Weak Verb

 Old EnglishOld Norse
Inftellan 'count'teljã
Pres. Sing. 1.telletel
2.telesttelR
3.telðtelR
Plur. 1.tellaðteljom
2.tellaðteleð
3.tellaðteljã
Past Sing. 1taldetalda
2.taldesttalder
3.taldetalde
Plur. 1.taldontǫldom
2.taldontǫldoð
3.taldontǫldõ
Pres. pple.tellendeteljande
Past ppl.etaldtal(e)ð

Weak Noun

 Old EnglishOld Norse
Sing. Nom.guma 'man'gume
Obliquegumangumã
Plur. Nom.gumangumaR
Acc.gumangumã
Gen.gumenagum(n)a
Dat.gumumgumon

Strong Noun (Feminine ō-stems)

 Old EnglishOld Norse
Sing. Nom.bōt 'remedy'bót
Acc.bōtebót
Gen.bōtebótaR
Dat.bōtebót
Plur. Nom.bōtabótaR
Acc.bōtabótaR
Gen.bōtenabóta
Dat.bōtumbótom


 語幹はほぼ同一であり,わずかに異なるとしても「訛り」の許容範囲である.ところが,対応する屈折語尾を比べると,類似よりも相違のほうが目立つ.対応するスロットに異なる語尾が用いられているということはさることながら,形態的に同一の語尾が異なるスロットに用いられているというのも混乱を招くに十分だったろう.例えば,古英語の drīfeð は現在3人称単数だが,同音の古ノルド語 drífeð は現在2人称複数である.
 このように屈折表を見比べると,両言語話者の混乱振りが具体的に見えてくるのではないか.

 ・ O'Neil, Wayne. "The Evolution of the Germanic Inflectional Systems: A Study in the Causes of Language Change." Orbis 27 (1980): 248--86.

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#932. neutralization は異形態の縮減にも貢献した[oe][old_norse][inflection][conjugation][paradigm][contact][language_change][analogy]

2011-11-15

 [2011-11-11-1]の記事「#928. 屈折の neutralization と simplification」と[2011-11-14-1]の記事「#931. 古英語と古ノルド語の屈折語尾の差異」で,古ノルド語との言語接触に起因する古英語の屈折体系の簡単化について取り上げてきた.O'Neil が neutralization と呼ぶ,この英語形態論の再編成については,両言語話者による屈折語尾の積極的な切り落としという側面が強調されることが多いが,より目立たない側面,allomorphy の縮減という側面も見逃してはならない.
 昨日の記事で示したパラダイムの対照表を見れば,屈折語尾の差異を切り落とし,ほぼ同一の語幹により語を識別するという話者の戦略が有効そうであることが分かるが,語幹そのものの同一性が必ずしも確保できないケースがある.パラダイムのスロットによっては,語幹が異形態 (allomorph) として現われることがある.昨日の例では,drīfan の過去形においては,単数1・3人称 (drāf) で ā の語幹母音を示すが,単数2人称および複数 (drifedrifon) で i の語幹母音を示す.
 他にも,現在単数2・3人称の屈折において語幹母音が i-mutation を示す古英語の動詞は少なくない.OE lūcan "to lock" の現在形の活用表を示すと,以下のように語幹母音が変異する (O'Neil 262) .

 Old English
Inflūcan 'lock'
Pres. Sing. 1.lūce
2.lȳc(e)st
3.lȳc(e)ð
Plur.lūcað


 ところが,中英語の典型的なパラダイムでは,現在単数2・3人称の語幹は他のスロットと同じ語幹を取るようになっている.ここで生じたのは allomorphy の縮減であり,結果として,不変の語幹が現在形のパラダイムを通じて用いられるようになった.動機づけのない allormophy をこのように縮減することは,当時,互いに意志疎通を図ろうとしていた古英語や古ノルド語の話者にとっては好意的に迎え入れられただろうし,それ以上にかれらが縮減を積極的に迎え入れたとすら考えることができる.

I think it clear that working from quite similar, often identical, underlying forms but with different sets and intersecting sets of endings associated with them and bewildering allomorphies as a result of the conditions established by the endings, the basic underlying sameness of Old English and Old Norse had become somewhat distorted and thus a superficial barrier to communication between speakers of the two languages had arisen. It is not surprising then that the inflections of the languages were rapidly and radically neutralized, for they were the source of nearly all difficulty. (O'Neil 262--63)


 allormophy の縮減は,言語接触による neutralization の過程としてだけでなく,言語内的な類推 (analogy) や 単純化 (simplification) の過程としても捉えることができる.実際には,片方のみが作用していたと考えるのではなく,両者が共に作用していたと考えるのが妥当かもしれない.
 allomorphy の縮減は,パラダイム内の levelling (水平化)と読み替えることも可能だろう.この用語については,[2010-11-03-1]の記事「#555. 2種類の analogy」を参照.

 ・ O'Neil, Wayne. "The Evolution of the Germanic Inflectional Systems: A Study in the Causes of Language Change." Orbis 27 (1980): 248--86.

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#1585. 閉鎖的な共同体の言語は複雑性を増すか[suppletion][social_network][sociolinguistics][language_change][contact][accommodation_theory][language_change]

2013-08-29

 Ross (179) によると,言語共同体を開放・閉鎖の度合いと内部的な絆の強さにより分類すると,(1) closed and tightknit, (2) open and tightknit, (3) open and tightloose の3つに分けられる(なお,closed and tightloose の組み合わせは想像しにくいので省く).(1) のような閉ざされた狭い言語共同体では,他の言語共同体との接触が最小限であるために,共時的にも通時的にも言語の様相が特異であることが多い.
 閉鎖性の強い共同体の言語の代表として,しばしば Icelandic が取り上げられる.本ブログでも,「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1]), 「#903. 借用の多い言語と少ない言語」 ([2011-10-17-1]), 「#927. ゲルマン語の屈折の衰退と地政学」 ([2011-11-10-1]) などで話題にしてきた.Icelandic はゲルマン諸語のなかでも古い言語項目をよく保っているといわれる.social_network の理論によると,アイスランドのような,成員どうしが強い絆で結ばれている,閉鎖された共同体では,言語変化が生じにくく保守的な言語を残す傾向があるとされる.しかし,そのような共同体でも完全に閉鎖されているわけではないし,言語変化が皆無なわけではない.
 では,比較的閉鎖された共同体に起こる言語変化とはどのようなものか.Papua New Guinea 島嶼部の諸言語の研究者たちによると,閉鎖された共同体では,言語変化は複雑化する方向に,また周辺の諸言語との差を際立たせる方向に生じることが多いという (Ross 181) .具体的には異形態 (allomorphy) や補充法 (suppletion) の増加などにより言語の不規則性が増し,部外者にとって理解することが難しくなる.そして,そのような不規則性は,かえって共同体内の絆を強める方向に作用する.このことは「#1482. なぜ go の過去形が went になるか (2)」 ([2013-05-18-1]) で引き合いに出した accommodation_theory の考え方とも一致するだろう.補充法の問題への切り口として注目したい.
 閉鎖された共同体の言語における複雑化の過程は,Thurston という学者により "esoterogeny" と名付けられている.この過程に関して,Ross (182) の問題提起の一節を引用しよう.

In a sense, these processes, which Thurston labels 'esoterogeny', are hardly a form of contact-induced change, but rather its converse, a reaction against other lects. However, as they are conceived by Thurston their prerequisite is at least minimal contact with another community speaking a related lect from which speakers of the esoteric lect are seeking to distance themselves. Thurston's conceptions raises an interesting question: if a community is small, and closed simply because it is totally isolated from other communities, will its lect accumulate complexities anyway, or is the accumulation of complexity really spurred on by the presence of another community to react against? I am not sure of the answer to this question.


 "esoterogeny" の仮説が含意するのは,逆のケース,すなわち開かれた共同体では,言語変化はむしろ単純化する方向に生じるということだ.関連して,古英語と古ノルド語の接触による言語の単純化について「#928. 屈折の neutralization と simplification」 ([2011-11-11-1]) を参照されたい.

 ・ Ross, Malcolm. "Diagnosing Prehistoric Language Contact." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 174--98.

Referrer (Inside): [2022-12-02-1] [2018-08-23-1]

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#1839. 言語の単純化とは何か[terminology][language_change][pidgin][creole][functionalism][functional_load][entropy][redundancy][simplification]

2014-05-10

 英語史は文法の単純化 (simplification) の歴史であると言われることがある.古英語から中英語にかけて複雑な屈折 (inflection) が摩耗し,文法性 (grammatical gender) が失われ,確かに言語が単純化したようにみえる.屈折の摩耗については,「#928. 屈折の neutralization と simplification」 ([2011-11-11-1]) で2種類の過程を区別する観点を導入した.
 単純化という用語は,ピジン化やクレオール化を論じる文脈でも頻出する.ある言語がピジンやクレオールへ推移していく際に典型的に観察される文法変化は,単純化として特徴づけられる,と言われる.
 しかし,言語における単純化という概念は非常にとらえにくい.言語の何をもって単純あるいは複雑とみなすかについて,言語学的に合意がないからである.語彙,文法,語用の部門によって単純・複雑の基準は(もしあるとしても)異なるだろうし,「#293. 言語の難易度は測れるか」 ([2010-02-14-1]) でも論じたように,各部門にどれだけの重みを与えるべきかという難問もある.また,機能主義的な立場から,ある言語の functional_loadentropy を計測することができたとしても,言語は元来余剰性 (redundancy) をもつものではなかったかという疑問も生じる.さらに,単純化とは言語変化の特徴をとらえるための科学的な用語ではなく,ある種の言語変化観と結びついた評価を含んだ用語ではないかという疑いもぬぐいきれない(関連して「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]) を参照).
 ショダンソン (57) は,クレオール語にみられるといわれる,意味の不明確なこの「単純化」について,3つの考え方を紹介している.

 (A) 「最小化」 ―― この仮説は、O・イエスペルセンによって作られた。イエスペルセンは、クレオール語のなかに、いかなる言語にとっても欠かせない特徴のみをそなえた最小の体系をみた。
 (B) 「最適化」 ―― L・イエルムスレウの理論で、彼にとって「クレオール語における形態素の表現は最適状態にある」。
 (C) 「中立化」 ―― この視点はリチャードソンによって提唱された。リチャードソンは、モーリシャス語の場合、はじめに存在していた諸言語の体系(フランス語、マダガスカル語、バントゥー語)があまりに異質であったために、体系の節減が起こったと考えた。


 しかし,ショダンソンは,いずれの概念も曖昧であるとして「単純化」という術語そのものに疑問を呈している.フランス語をベースとするレユニオン・クレオール語からの具体的な例を用いた議論を引用しよう (57--58) .ショダンソンの議論は,本質をついていると思う.

 単純化という概念そのものが自明ではない。たとえばレユニオン・クレオール語の mon zanfan 〔わたしのこども〕という表現は、フランス語で mon enfant 〔単数:わたしの子〕と mes enfants 〔複数:わたしの子供たち〕という二つの形に翻訳することができる。これをみて、レユニオン語は単数と複数とを区別しないから、フランス語より単純だといいたくなるかもしれないが、別の面からみれば、同じ理由から、クレオール語の表現はもっとあいまいだから、したがってより「単純」ではないともいえるだろう!実際、「単純」という語の意味は、「複合的ではない」とも、「明晰」「あいまいでない」ともいえるのである。しかし、上の例をさらによく調べるならば、レユニオン語は、はっきりさせる必要があるときは複数をちゃんと表わすことができることに気がつく。その時には mon bane zanfan (私の子供たち)のように〔bane という複数を表わす道具を用いて〕いう。だから、クレオール語とフランス語のちがいは、一部には、もっぱら話しことばであるクレオール語がコンテクストの要素に大きな場所をあたえていることによる。母親がしばらくの間こどもをお隣りさんにあずけるとき、vey mon zanfan! 〔うちの子をみてくださいね〕と頼んだとしよう。このときわざわざ、こどもが一人か複数かをはっきりさせる必要はない。他方で、口語フランス語では、複数をしめすには、たいていの場合、名詞の形態的標識ではなく、修飾語の標識によっている。だから、クレオール語で修飾語の体系を組み立てなおしたならば、それと同時に、数の表示にも手をつけることになるのである。しかし、これは別の過程から来るとばっちりにすぎない。
 この数の問題についての逆説をすすめていくと、レユニオン・クレオール語は双数をもっているから、フランス語よりももっと複雑だということにもなろう。事実、レユニオン・クレオール語では、何でも二つで一つになっているもの(目、靴など)に対し、特別のめじるしがある。「私の〔二つの〕目」については、mon bane zyé ということはできず、mon dé zyé といわなければならない。同様に「私の〔一つの〕目」といいたいときは、mon koté d zyé という。koté d と dé は、双数用の特別のめじるしである。したがって、mon bane soulie は、何足かの靴を指すことしかできないのである。
 このような事情があるから、「単純化」ということばは使わないにこしたことはない。この語には〔クレオール語を劣ったものとみる〕人種主義的なニュアンスがあるし、機能的、構造的に異なる言語を比較している以上、事柄を具体的に解明するには、あまりに精密を欠き、あいまいだからである。「再構造化」といったほうがずっといい。「再構造化」という語のほうがもっと中立的であるし、他の多くの用語(単純化、最小化、最適化)とことなり、明らかにしようとしている構造的なちがいの原因を、偏見の目で判断しないという利点がある。


 上の最初の引用にあるイエスペルセンの言語観については「#1728. Jespersen の言語進歩観」 ([2014-01-19-1]) を,イエルムスレウについては「#1074. Hjelmslev の言理学」 ([2012-04-05-1]) を参照.

 ・ ロベール・ショダンソン 著,糟谷 啓介・田中 克彦 訳 『クレオール語』 白水社〈文庫クセジュ〉,2000年.

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